大変遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。ずっと夏休みをすごしていたのに、このブログへの記事の投稿を一ヶ月ほどおやすみしてしまっていました。クリスマス頃から義母の容態が大変心配な状態が続き、入退院を繰り返していました。幸い退院ができ、やっと落ち着いた毎日となりました。私の夏休みももう間もなく終わりです。2月に入る前にブログの更新ができるようになり良かったと思います。生きて行くということは、本当にいろいろなことがあるものです。悲しい事や、苦しい事は、たとえ、クリスマスでもお正月にでも起こるのだということを痛烈に実感いたしました。また同時に、大変嬉しいことは、苦しいときでも嬉しく感じられるのだということも。うまくいえませんが、この夏休みは、このようなことの繰り返しだったような気がします。オークランドは、今日がオークランドアニバーサリーというオークランド地域だけが祝日となる日でロングウイークエンドとなっています。お天気も最高で、オークランドのワイテマタ海峡では、セーリングやカヌーレースなどの催し物でにぎわっています。
2013年が、皆様にとって、健やかで平和で、喜びを感じることがたくさんあるいい一年でありますようお祈りさせていただきます。
さて、では、今回の記事は、昨年10月、2度目に京都の奥嵯峨野にある平野屋さんへの旅についてです。平野屋さんがルネファンのみなさんにとって、どんな場所であるか忘れてしまったという方は、前回の記事をお読みになって下さいね。
photo@ミドリ色の屋根は永遠に
10月に日本へ戻った本当の目的は、母の入院と手術のためでした。そしてその手術の内容、容態の深刻さは、実家に到着したその日に初めて知らされ、そしてその翌日には入院、翌々日には手術という忙しいスケジュールで日本での時間がスタート。ですから、それから10日間ぐらいの間は、ずっと病院での付き添いと看護という毎日。病室で寝たり、家に帰って洗濯、おにぎりを作ってまた病院へという毎日は、想像していたより大変でした。それから、老齢の両親にipad でfacetimeが出来るように猛特訓というのもほぼ毎日。
facetimeの特訓中。
オークランドにいるうちの猫とパートナーを相手に練習。
というわけで、母の様子が一段落して、さあ、日本での残りの数日一番何がしたいかと自分に訊いてみたら。。。「ゆっくりと平野屋さんに一人で行ってランチを食べること」という返事。そしてさっそくその翌日、京都へ向かう新幹線に飛び乗りました。なりふり構わずまったくの普段着でという感じで、ただひたすら、静かなところでゆっくりしたいという一心だったように思います。何につけてもルネとかかわり合いのあることを考えてしまうのは、自分なのですが、今もこうして「ルネと生きる」というような生活ができることをこんな時でも幸せに感じたのでした。
JR嵯峨野嵐山駅 に2年ぶりで降り立った私は、前回のバスは利用せず、徒歩で平野屋さんに向かうことに決め、iphoneでルネの歌を聴きながら、残暑の中、歩き始めたのでした。そして忘れずに平野屋さんへランチの予約の電話をすると、電話口に出られたのは、懐かしい女将さんの声。そして2年前にお邪魔させていただいてルネのお話をした自分の事をもう一度告げると女将さんは覚えていてくれていました。女将さんにはなんの予告もなくメールもしないで、出かけてしまったのでホッといたしました。駅から歩くのなら30分か40分見ておいた方がいいということで、ランチの時間を決めたのでした。
平野屋さん付近は「嵯峨野鳥居本伝統的建造物群保存地区」なっています。そのいい雰囲気の道をずっと歩いて平野屋さんへ向かいたいと思われる方は、だれもが降り立つ南口ではなく、この北口を降りて、鳥居本のサインをたどって行くとその道が見つかります。ただし貸し自転車で行きたい方は一度、南口へ降り立ち、貸し自転車屋さんを探して下さい。
注*
平野屋さんに徒歩で、ルネの歌を聴きながら向かいたい場合には、ルネの歌の入っているiphone, ipod, ipadなどには、十分バッテリーを準備しておいたほうがいいですよ。写真をとりながらそしてルネの歌を聴いているとすぐにバッテリーが残り少なくなり、安心した気持ちでルネの歌を楽しむ事ができません。(私が経験者でもあります。)
保存地区までの道を探すまで少し迷うかもしれませんが、この清涼寺までたどり着けばもう大丈夫。この力車の行く方向に曲がります。 (私の来た方向は、お寺の看板がある方向です。)では、バッテリーを気にしながら撮影した平野屋さんまでの写真を紹介していきましょう。
清涼寺
そしてしばらく歩くと、左手に宝筐院。ここは、女性だけが宿泊できる宿坊でもあります。大変人気があるそうで、予約される方は早めにしておいたほうがいいそうです。何度か宿泊しようとしたことがありませすが、いまだに宿泊できたことはありません。
このお店は、2年前に平野屋さんでとることのできなかった食事をしたところです。もう夕方であまりお店が開いていないという頃でした。湯豆腐がどうしても食べたくて、このお店に飛び込みました。中に入って行くと、そこは、江戸時代の終わりか明治のはじめ。。といったら言い過ぎかもしれませんが、とっても雰囲気のあるところでした。テーブルもサブトンもとっても小さくて、ガラス戸入りの障子があり、お庭も見えて。。。なんだかジャックと豆の木のジャックになってしまったような錯覚に落ち入りました。おとなりは、瀬戸内寂照さんのお寺。ちょうど瀬戸内寂照さんがお話をされている時とかで、女将さんと二人で聞き耳をたてましたが私にはよく聞こえませんでした。。。
そして、ここが化野念仏寺への入り口に向かう石段。まだ紅葉には早すぎ、緑がとてもきれいでした。
そして少し歩くと、あの懐かしい、そして特別なルネの思い出のある赤い鳥居が見えてきました。このあたりに平野屋さん専用の駐車場もあります。
この写真、なかなかいいと思いませんか。ルネが鳥居の下の石段に座ってすこし右上を見ていたあのかわいらしい姿を思い出すからです。ルネが右上を見上げた頃は多分8月頃。緑がもっと生き生きしていた頃だったのでしょうね。
photo@ミドリ色の屋根は永遠に
ルネが見上げていたのはこの辺り?
(バスが走る道路がこの樹の上にあります)
ルネは、この石段の4段目に座っていたのですね。 この時の写真を見てみると、ルネは、あのかすりの着物を着ていませんね。女将さんのお話では、ルネが平野屋さんで写真撮影をした時、ルネは、すでに着物を着ていたそうなのですが、一体どこで着替えをしていたのでしょう。それともこれは、大覚寺でお茶をすすった時のルネの服装と同じですから、翌日または前日に写されたものなのかもしれませんね。化野念仏寺でのルネもこの服装だったと覚えています。
photo@ミドリ色の屋根は永遠に
この写真は、2年前の12月に平野屋さんを訪問した帰り、化野念仏寺に寄ったときに撮影したものです。ミドリ色の屋根は永遠にのkeiさんにお借りしたルネの雑誌の画像にある場所を見ると、記憶に残っていた通り、まさにルネが石を積んでいたのは、まさにこの辺り!真ん中の大きな石塔の右側の石塔だったのではないでしょうか。こんなことに喜んでいるのもおかしいことかもしれませんが、大感動!これから化野念仏寺に出かける方は、入場料500円(だったと思います)を払って、この同じ石塔に石を積んで来て下さいね。笑 10月の訪問の時には私はこのお寺には寄らずに帰ってまいりましたけど。
では、平野屋さんへ行ってみましょう!
この写真で思い出しましたが、facebookでのルネの日本のファンのお友達が、前回の記事を見て、今日本ではホンダの車のコマーシャルで、この平野屋さんが出ているということを教えてくれました。そこに出演しているのは、ジョンレノンの息子さんのショーンレノン。そして一番最初にでてきた東寺は、パートナーと出かけていた思い出のあるお寺でした。ご紹介しておきましょう。かわいらしく「ちょうどいい!」を繰り返していますよ。
このサイトでこのコマーシャルのビデオも観ることができます。
では、ルネの座った場所を見ながら、中へと入って行きましょう。
ランチをするために通された部屋です。もちろん個室。落ち着いた昔ながらの日本間という感じのところでした。障子を開けると、平野屋さんの有名な鮎の生け簀が手前にあり、その向こうには、池があります。障子の近くに置いてあるのは、私のデイパックとお茶のボトル。。。!ここに写ってしまっていたとは気がつきませんでした。そうです、私は、デイパックを(またしても)担いで出かけていたのでした。
ずっと歩いて汗をかいていた私は障子を開けさせていただいて気持ちのいい風で、涼をとることができました。この部屋に座ってこの眺めを見た時、初めてホッとできたと感じました。ルネの元へ来れたというか、自分の来たかった場所に来れたというか。。。ここで初めて癒されるという気持ちがしました。
お部屋の入り口の障子。廊下もお部屋もさすがに築400年という雰囲気でまるで博物館の一室にいるようでもありました。
そしてすぐに仲居さんがお茶とおしぼりを持って来て下さいました。そのあとは、ランチのお料理を何にするかについて。。。と楽しく美味しい時間が過ぎて行ったのでした。
今回の平野屋さんでの時間の中で一番嬉しかった事は、やはり女将さんとのお話がゆっくりと二人でできたこと。そして、 前回の時に、女将さんにお見せする事ができなかった現在のルネの写真やビデオでお見せすることができたこと。ipadにたくさんのルネとルネの歌を入れて持参していたのですが、それを女将さんは、なれた手つきでひょいひょいと次々にルネの画像を観て、感想を述べてくれたのでした。「ipadを私も使っているんですよ!便利ですよね!」といいながら。可愛らしかったです。
みなさんは、信じられないかもしれませんが、女将さんは、ルネがあの時どんな歌を歌っていたのか、どういう人だったのか、まったく知らなかったそうです。そして今回ルネの歌「ミドリ色の屋根」をipadで聴くまでまったく聴いたことが無かった!のです。ルネがどんな人なのか、かいつまんで、ささーっとお話して、現在の父親、夫としてのルネ、現在の様子などをお話しました。ルネの息子さんと娘さん、そして奥さんと一緒にいるルネを観て、幸せそうですねと言われていました。
そして、ルネの歌を聴いたあとで、女将さんは、 「この子は、とっても心が澄んだ歌をうたっていたんですね。」見た感じと同じ純粋さを感じられると。そして現在のルネを見て、「今もその面影があって、ステキに年をとられている」と。その時の女将さんの言われた言葉通りではないかもしれませんが、確かに女将さんはこのようなことをおっしゃってくれました。
続きは次回です。次回には、女将さんがルネについてお話して下さったビデオを紹介いたします。女将さんには、昨年発売となったルネのCDとブックレット、2003年に発売になったルネのCD(本物ではないんですけど。。。)をお送りしましたので、感想を聞くのを楽しみにしています。
Rene to Japan!
あ、そうでした。ルネのCDを受け取ったローラさんは、今まで聴いたことのなかったルネの曲をはじめ、このCDに付いていたブックレットの中のルネの姿、そしてこのCDが今でもルネとルネの歌の思い出を大切にしている日本のルネのファンのリクエストで実現化したものであるということを知って、大変感動されています。そしてルネのファンページpassion simardへのページにルネ宛に、ルネは、1974年の記念の年である来年の2014年(なんと40周年!)絶対日本に行ってファンの人たちのためにもう一度何かをするべきだというメッセージを書いています。そしてfacebookに集う日本のルネファンに向けて、Rene to Japan!というスローガンで、ルネの関心を引くというようなメッセージを送って来ています。もし、ルネが日本にきてまたファンのために歌いたいという気持ちになったらとても素晴らしい事です。そのときがいつ来るかわかりませんが、facebookに集う日本のファンが力を会わせてルネが来たときのための計画をスタートしようということになりました。
小さな規模でもどこか素敵なホテルでルネのデイナーショーなどが実現できましたらほんとうに胸がいっぱいになることでしょう。そしてプロではなく、私たちファンの手でそのお手伝いができたら!ルネのファンであるみなさんも、この大冒険の計画に参加されませんか。あるファンは、もうどんな服を着ていったらいいかという可愛らしい心配をされています!果たしてこの想いがルネにとどいて、そしてどんな形でもルネを私たちの手で日本に呼ぶことができる日が来るのでしょうか。ルネと出会ってから39年目の夢は、まだまだ広がって行きます。
それでは、また次回に、平野屋さん(の記事)でお会いいたしましょう!
riko auckland