ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ
26.3.13
第12回東京音楽祭世界大会 ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ
第12回東京音楽祭のルネとナタリー ビデオ ルネの記事
ビデオトラブル!
今回の記事は、とっても遅れました!なぜかというと、どうしても今回の記事に使う予定だったルネとナタリーのビデオがこのページにアップロードできないという今までには経験しなかったトラブルが(大げさですね。。。)発生していたのです。。私のビデオの編集とそれをexportするプロセスでおかしくなってしまっているのか、または、ブロガーのサイト自体が少し変わったのか。。毎夜のようにいろいろと方法を変えてアップしようとしていたのですが、「もう、疲れた!」という気分になりつつあるので(笑)、このままの状態で一応記事自体のアップだけしておこうと思います。ビデオは、引き続きアップの努力をいたしますので、そのアップの時を楽しみにお待ちくださいませ。今のところ、ビデオを見ようとしてもエラーのメッセージが出てしまいます。
日本のルネのファンのお友達がまたお一人増えました!
フェイスブックの日本のルネファンの輪に、先日またお一人お仲間が増えました。「ルネを日本へ」のグループに参加されたいと連絡がありました。とても嬉しいです。そしてフェイスブックにいるファンの方達も嬉しそうです。いっしょに交流が持てることを楽しみにしていたいと思います。
私たちのように、いまだにルネを想い、昔の思い出、そして現在のルネの様子などについてお話したりしたい、そしていつか、ファンの手でルネの来日を実現させたいと願うルネのファンが日本には一体どのくらい残っているのだろう。。。というのが私のいつも考えることだと前回の記事に書いていたと思うので、このルネのファンの方の出現は、心が震えるほどに嬉しいことです。このブログやkeiさんの「ミドリ色の屋根は永遠に」のブログを読んでいてくれたそうです。ルネのことについて現在でも身近に感じられるということがとても嬉しいとお話して下さいました。ルネのことを想うファンのみなさまに一人でも多く出会うことができるのをみんなで楽しみにお待ちしております。どうぞ、フェイスブックのアカウントをお持ちになり、もう一度ルネファンとしてひとつになりましょう!アカウント名は、本名でなくても大丈夫です。
それでは、以下がずっと書きとめていた今回の記事です。
******* ー ******* ー *******
今夜の記事は、前回に引き続き、1983年3月に行われた、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネとナタリーの様子。そして翌日の音楽祭のステージの最後で、グランプリ受賞者に花束を渡す二人の姿のビデオを紹介します。そして、この来日を果たす前に日本に行くことついて語っているルネの記事のこと。
この記事は、公式のファンクラブを持たないルネがほとんど公式のように認めているジゼルさんのpassion rene nathalie, regis simardというフェイスブック上にあるファングループのページでジゼルさんが公開してくれた、1983年の切り抜きです。
このページは、だれもが見られるページです。vippassion simardという、もう一つのページがあり、そこでは、passion rene nathalie regis simardのページでは、公開されていない画像やビデオを観ることができます。このページのメンバーになりたい方は、まず、passion rene nathalie regis simardのページのlikesを押し、vippassion simardへお友達リクエストをするとメンバーになることができます。この vippassion simardのメンバー(お友達)となると、passion rene nathalie et regis simardのページでは、最後まで観ることのできなかったビデオや、そこでは紹介されていない画像なども見ることができます。そして、ルネのことが本当に今も好きな人たちが集まっているので、その方達とも翻訳機能を使ってお話することが可能です。
それでは、まず、ビデオから観てみましょう。最初のビデオは、今まで紹介したビデオに続いているものなので、今回紹介するのは、パート5と6と7になります。パート5では、ルネがナタリーが日本でデビューすることを紹介している様子。パート6は、ナタリーの日本デビュー曲の「五月の手紙」を歌う様子。そしてパート7は、音楽祭の特別ゲストのバリーマニロウの紹介の様子。ステージの終わりでルネとナタリーが花束贈呈をする様子です。
第12回東京音楽祭前夜祭パート5:
ルネがナタリーの日本デビュー曲の紹介をしています。
ルネに紹介されて、ナタリーがいよいよ「五月の手紙」を歌います。
音楽祭の特別ゲストとして来日したバリーマニロウの紹介です。ここで、バリーは、私が今まで気がつかなかったことを言っています。来日するのは、この時がまったくの初めて。そして音楽祭のあとの2週間は日本全国で、コンサートをする予定なので日本のいろいろな地域を見るのが楽しみだと言っています。東京では、渋谷のNHKホールで少なくとも2度したことは覚えています。私は、そのどちらにも行っていたような気がするのですが。。。本当に2度行ったかどうか記憶が鮮明ではありません。でもコンサートの様子は、よく覚えています。とてもすてきでした。ファンを舞台に上がらせていっしょに歌をうたったり、ダンスをしたり。一人だけでしたから、会場のファンはとってもうらやましがっていました。さよならする時には、もちろん頬にキスをしてお別れ。次回の記事には、世界大会のゲストとしての彼のステージの様子を少しご紹介したいと思います。この時にバリーは、42才くらい。まだとっても若々しくて可愛らしいです。ルネは、この東京でのバリーのコンサートに出かけていたそうです。NHKホールのあの会場のどこかでルネもこのステージを見ていたのでしょうか。
パート8
これは、前夜祭の翌日の晩、東京武道館での12回東京音楽祭世界大会のグランプリ発表の様子です。史上初の2組のグランプリ受賞者。その2組に、お祝いの花束を渡したのが、ナタリーとルネでした。最後の最後にほんの少しの時間だけ、舞台での二人の姿を見る事ができたのです。ルネは、特別ゲストとして来日と言われていましたが、バリーのようなおおきなステージを任されるゲストではなく、結局花束贈呈だけを頼まれた。。。。ということはとってもショックでしたけれど、今考えると、ルネの来日は、どちらかというとナタリーの日本でのデビューをサポートするためという目的だったのだと思います。ナタリーとルネの姿は、2分ぐらいの場面で現れます。
ルネの記事から
この記事は、ルネがナタリーと来日した1983年の終わりごろ、または、84年のはじめの記事のようです。レポーターが、この83年の一年のことについてルネに聞いています。どのような年であったのか、どう思ったのかなど。ルネは、以下のようにお話しています。
「この一年もたくさんの素晴らしい事がありました。それをひとつひとつリストアップしたら、お話するのに大変な時間がかかってしまうでしょう。ボクの仕事のことをお話するなら、それは、ナタリーと一緒に日本に行ったことです。とても感動しました/心を動かされました。そして、それは、ボクが1974年にグランプリを受賞した東京音楽祭のそのステージだったのですから。」
ルネは、日本に行ったことをとても喜んでいたとジゼルさんがこの記事をシェアする時に書いてくれました。それをとても嬉しく読みました!
次回は、バリーマニロウのステージの様子を少しと、ルネとナタリーが出演したモーニングショーの様子 のビデオもご紹介できたらと思います。お楽しみに!
riko auckland
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10.3.13
ルネの誕生日で想ったこと/第12回東京音楽祭前夜祭2
今夜は、ルネのToujours Plus Loin というアルバムを聴きながら、どんな記事を書こうかとまだ考えています。83年の第12回東京音楽祭前夜祭のステージに立ったルネのビデオの続きをアップしようと思っているうちに、そのビデオの編集が済んでいなかったので、また前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今夜はそのビデオも紹介します。
ルネの誕生日、そして想った こと
ビデオの前に、ルネの誕生日で想ったことを少し 書いてみたいと思います。
先週の2月28日は、ルネの52才のお誕生日でした。 フェイスブックの日本のルネのファンの皆さんとオンタリオ州のルネファンのローラさんとで、一枚のバースデーカードを作り、ジゼルさんのVippassion Simard のページに送りました。大勢のケベックのファンも気に入ってくれたようです。カードは、それぞれがお気に入りのルネの画像を一枚選び、そこにお誕生日のメッセージとそして' Rene to Japan!'の一言を添えたものをコラージュ風にしたものでした。これは、みんなで参加する「ルネを日本へ!(もう一度呼びましょう)」のブロジェクトの最初のイベントとして企画したものでもありました。フェイスブックでは、「Rene to Japan! ルネを日本へ!」というグループページも作ってあります。
できたらみなさんで作ったそのカードをここで紹介したいのですが、みなさんに許可をまだいただいていないので、私のカードの部分だけをアップいたします。
「ルネを日本へ!」という夢は、まだ果てしなく夢のままですが、その夢への小さなプロセスを、プレッシャーや、苦痛を感じるのではなく、楽しみながら勧めていくのが大人になった私たちがしたいことだと私は思うのです。ルネを日本に呼ぶということだけが目標ではなく、それまでのプロセスを「ルネとファンとの切れた糸をつなぐ」という時間に使えたら、それはとても素晴らしいことだと思います。ルネが日本のファンについて現在どう思っているのか、どれほどの気持ちがあるのかよくわかりませんが、時が流れ、時代が変わってお互いに大人になり、昔とはちがったもっと近いファンとルネの関係が作り上げられたとしたら。。。考えるだけでとても興奮してしまいます。
そして、他のファンのお友達との信頼関係を築くことも大切だと思います。それがなければ、一緒にルネを日本へ呼ぶという夢も叶うことはないのですから。昔、高校生だった頃に手紙のやり取りだけで他のファンのみなさんと交流していたことが、今では、ネットで簡単に交流ができるようになりました。特にフェイスブックでは、一人一人が、コメントを書いたり読んだり、日常生活からの画像のアップなども簡単に出来るので、お互いの事が他の方法より分かってくるように思います。それぞれが、「自分」を表現できる場所だと思います。
それでは、1983年3月、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネのビデオです。これは、前回の記事のビデオの続きで、パート3ということで紹介いたします。前夜祭パーテイ会場でのインタビューが終わり、司会の朝比奈マリアさんに紹介され、ナタリーとルネが会場のステージへ立ちます。このパート3では、ルネの英語での挨拶からナタリーと「ミドリ色の屋根」をデユエットする直前まで。ルネは、とっても紳士的にオトナのルネとして頼もしくお話しています。この時、ルネは22才、ナタリーは13才です。
そしてパート4として編集したのは、ルネの挨拶のあとに歌われた「ミドリ色の屋根」のステージ。このステージを目の前で観ていた私には、感動を通り越してのショック以外の何ものでもなかったこのステージ上のルネとナタリーの姿と歌声。ルネが突然日本から姿を消してしまったあの1976年以降、初めて目にする本当のルネ。それまで、10代後半のルネの姿、20才になったルネの姿は写真では知っていましたが、私にとっては、14才のルネが一気に22才として現れ、妹のナタリーは、顔や姿、声まで13、4才のルネに生き写し。。。という二人の姿を同時に見て、しかもその二人があの「ミドリ色の屋根」を一緒に歌っている。。。あれほど会いたかったルネ、日本に来てほしかったルネは、ファンには何の前ぶれもなく、ファンの気持ちとは関係のないところで実現したルネの来日。嬉しくて胸がいっぱいなのですが、それは、嬉しいだけの気持ちというより、「複雑な嬉しさ、そして悔しさ」感じながら、胸がえぐられる?ようなそんな気持ちで、涙があとから後からこぼしながら、ステージのルネとナタリーを見ていました。。。
メープルメイツ2やボンジュールルネというファンで作っていたファンクラブでは、1976年ぐらいから、アルファレコードやCBSソニー、東京音楽祭事務局へ、ルネの来日を願う署名を送ってはいたものの、それは、このルネの来日の4年ぐらい前には、終わっていたのです。
83年の時には、まだ知らなかったことばかりでした。ルネがどうして日本での活動をやめることになったのか。でも、現在では、ルネが置かれていたその頃の状況のことが分かり、理解できているので、このビデオのルネとナタリーのステージを、今は、落ち着いた気持ちで見ることができるのがとても嬉しいです。そして、ルネのファンの皆様にその時の気持ち(これは以前にもよく書いていたことでしたね。)をシェアしながら、一緒にこのルネとナタリーの「ミドリ色の屋根」のステージを観ることができるのもとても嬉しく思います。
次回には、ナタリーの「五月の手紙」のステージ、そしてルネとナタリーが花束贈呈をする場面のビデオを紹介したいと思います。
Riko Auckland
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28.1.13
京都 2度目の平野屋さんへの旅 その1
大変遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。ずっと夏休みをすごしていたのに、このブログへの記事の投稿を一ヶ月ほどおやすみしてしまっていました。クリスマス頃から義母の容態が大変心配な状態が続き、入退院を繰り返していました。幸い退院ができ、やっと落ち着いた毎日となりました。私の夏休みももう間もなく終わりです。2月に入る前にブログの更新ができるようになり良かったと思います。生きて行くということは、本当にいろいろなことがあるものです。悲しい事や、苦しい事は、たとえ、クリスマスでもお正月にでも起こるのだということを痛烈に実感いたしました。また同時に、大変嬉しいことは、苦しいときでも嬉しく感じられるのだということも。うまくいえませんが、この夏休みは、このようなことの繰り返しだったような気がします。オークランドは、今日がオークランドアニバーサリーというオークランド地域だけが祝日となる日でロングウイークエンドとなっています。お天気も最高で、オークランドのワイテマタ海峡では、セーリングやカヌーレースなどの催し物でにぎわっています。
2013年が、皆様にとって、健やかで平和で、喜びを感じることがたくさんあるいい一年でありますようお祈りさせていただきます。
さて、では、今回の記事は、昨年10月、2度目に京都の奥嵯峨野にある平野屋さんへの旅についてです。平野屋さんがルネファンのみなさんにとって、どんな場所であるか忘れてしまったという方は、前回の記事をお読みになって下さいね。
photo@ミドリ色の屋根は永遠に
10月に日本へ戻った本当の目的は、母の入院と手術のためでした。そしてその手術の内容、容態の深刻さは、実家に到着したその日に初めて知らされ、そしてその翌日には入院、翌々日には手術という忙しいスケジュールで日本での時間がスタート。ですから、それから10日間ぐらいの間は、ずっと病院での付き添いと看護という毎日。病室で寝たり、家に帰って洗濯、おにぎりを作ってまた病院へという毎日は、想像していたより大変でした。それから、老齢の両親にipad でfacetimeが出来るように猛特訓というのもほぼ毎日。
facetimeの特訓中。
オークランドにいるうちの猫とパートナーを相手に練習。
というわけで、母の様子が一段落して、さあ、日本での残りの数日一番何がしたいかと自分に訊いてみたら。。。「ゆっくりと平野屋さんに一人で行ってランチを食べること」という返事。そしてさっそくその翌日、京都へ向かう新幹線に飛び乗りました。なりふり構わずまったくの普段着でという感じで、ただひたすら、静かなところでゆっくりしたいという一心だったように思います。何につけてもルネとかかわり合いのあることを考えてしまうのは、自分なのですが、今もこうして「ルネと生きる」というような生活ができることをこんな時でも幸せに感じたのでした。
JR嵯峨野嵐山駅 に2年ぶりで降り立った私は、前回のバスは利用せず、徒歩で平野屋さんに向かうことに決め、iphoneでルネの歌を聴きながら、残暑の中、歩き始めたのでした。そして忘れずに平野屋さんへランチの予約の電話をすると、電話口に出られたのは、懐かしい女将さんの声。そして2年前にお邪魔させていただいてルネのお話をした自分の事をもう一度告げると女将さんは覚えていてくれていました。女将さんにはなんの予告もなくメールもしないで、出かけてしまったのでホッといたしました。駅から歩くのなら30分か40分見ておいた方がいいということで、ランチの時間を決めたのでした。
平野屋さん付近は「嵯峨野鳥居本伝統的建造物群保存地区」なっています。そのいい雰囲気の道をずっと歩いて平野屋さんへ向かいたいと思われる方は、だれもが降り立つ南口ではなく、この北口を降りて、鳥居本のサインをたどって行くとその道が見つかります。ただし貸し自転車で行きたい方は一度、南口へ降り立ち、貸し自転車屋さんを探して下さい。
注*
平野屋さんに徒歩で、ルネの歌を聴きながら向かいたい場合には、ルネの歌の入っているiphone, ipod, ipadなどには、十分バッテリーを準備しておいたほうがいいですよ。写真をとりながらそしてルネの歌を聴いているとすぐにバッテリーが残り少なくなり、安心した気持ちでルネの歌を楽しむ事ができません。(私が経験者でもあります。)
保存地区までの道を探すまで少し迷うかもしれませんが、この清涼寺までたどり着けばもう大丈夫。この力車の行く方向に曲がります。 (私の来た方向は、お寺の看板がある方向です。)では、バッテリーを気にしながら撮影した平野屋さんまでの写真を紹介していきましょう。
清涼寺
そしてしばらく歩くと、左手に宝筐院。ここは、女性だけが宿泊できる宿坊でもあります。大変人気があるそうで、予約される方は早めにしておいたほうがいいそうです。何度か宿泊しようとしたことがありませすが、いまだに宿泊できたことはありません。
このお店は、2年前に平野屋さんでとることのできなかった食事をしたところです。もう夕方であまりお店が開いていないという頃でした。湯豆腐がどうしても食べたくて、このお店に飛び込みました。中に入って行くと、そこは、江戸時代の終わりか明治のはじめ。。といったら言い過ぎかもしれませんが、とっても雰囲気のあるところでした。テーブルもサブトンもとっても小さくて、ガラス戸入りの障子があり、お庭も見えて。。。なんだかジャックと豆の木のジャックになってしまったような錯覚に落ち入りました。おとなりは、瀬戸内寂照さんのお寺。ちょうど瀬戸内寂照さんがお話をされている時とかで、女将さんと二人で聞き耳をたてましたが私にはよく聞こえませんでした。。。
そして、ここが化野念仏寺への入り口に向かう石段。まだ紅葉には早すぎ、緑がとてもきれいでした。
そして少し歩くと、あの懐かしい、そして特別なルネの思い出のある赤い鳥居が見えてきました。このあたりに平野屋さん専用の駐車場もあります。
この写真、なかなかいいと思いませんか。ルネが鳥居の下の石段に座ってすこし右上を見ていたあのかわいらしい姿を思い出すからです。ルネが右上を見上げた頃は多分8月頃。緑がもっと生き生きしていた頃だったのでしょうね。
photo@ミドリ色の屋根は永遠に
ルネが見上げていたのはこの辺り?
(バスが走る道路がこの樹の上にあります)
ルネは、この石段の4段目に座っていたのですね。 この時の写真を見てみると、ルネは、あのかすりの着物を着ていませんね。女将さんのお話では、ルネが平野屋さんで写真撮影をした時、ルネは、すでに着物を着ていたそうなのですが、一体どこで着替えをしていたのでしょう。それともこれは、大覚寺でお茶をすすった時のルネの服装と同じですから、翌日または前日に写されたものなのかもしれませんね。化野念仏寺でのルネもこの服装だったと覚えています。
photo@ミドリ色の屋根は永遠に
この写真は、2年前の12月に平野屋さんを訪問した帰り、化野念仏寺に寄ったときに撮影したものです。ミドリ色の屋根は永遠にのkeiさんにお借りしたルネの雑誌の画像にある場所を見ると、記憶に残っていた通り、まさにルネが石を積んでいたのは、まさにこの辺り!真ん中の大きな石塔の右側の石塔だったのではないでしょうか。こんなことに喜んでいるのもおかしいことかもしれませんが、大感動!これから化野念仏寺に出かける方は、入場料500円(だったと思います)を払って、この同じ石塔に石を積んで来て下さいね。笑 10月の訪問の時には私はこのお寺には寄らずに帰ってまいりましたけど。
では、平野屋さんへ行ってみましょう!
この写真で思い出しましたが、facebookでのルネの日本のファンのお友達が、前回の記事を見て、今日本ではホンダの車のコマーシャルで、この平野屋さんが出ているということを教えてくれました。そこに出演しているのは、ジョンレノンの息子さんのショーンレノン。そして一番最初にでてきた東寺は、パートナーと出かけていた思い出のあるお寺でした。ご紹介しておきましょう。かわいらしく「ちょうどいい!」を繰り返していますよ。
このサイトでこのコマーシャルのビデオも観ることができます。
では、ルネの座った場所を見ながら、中へと入って行きましょう。
ランチをするために通された部屋です。もちろん個室。落ち着いた昔ながらの日本間という感じのところでした。障子を開けると、平野屋さんの有名な鮎の生け簀が手前にあり、その向こうには、池があります。障子の近くに置いてあるのは、私のデイパックとお茶のボトル。。。!ここに写ってしまっていたとは気がつきませんでした。そうです、私は、デイパックを(またしても)担いで出かけていたのでした。
ずっと歩いて汗をかいていた私は障子を開けさせていただいて気持ちのいい風で、涼をとることができました。この部屋に座ってこの眺めを見た時、初めてホッとできたと感じました。ルネの元へ来れたというか、自分の来たかった場所に来れたというか。。。ここで初めて癒されるという気持ちがしました。
お部屋の入り口の障子。廊下もお部屋もさすがに築400年という雰囲気でまるで博物館の一室にいるようでもありました。
そしてすぐに仲居さんがお茶とおしぼりを持って来て下さいました。そのあとは、ランチのお料理を何にするかについて。。。と楽しく美味しい時間が過ぎて行ったのでした。
今回の平野屋さんでの時間の中で一番嬉しかった事は、やはり女将さんとのお話がゆっくりと二人でできたこと。そして、 前回の時に、女将さんにお見せする事ができなかった現在のルネの写真やビデオでお見せすることができたこと。ipadにたくさんのルネとルネの歌を入れて持参していたのですが、それを女将さんは、なれた手つきでひょいひょいと次々にルネの画像を観て、感想を述べてくれたのでした。「ipadを私も使っているんですよ!便利ですよね!」といいながら。可愛らしかったです。
みなさんは、信じられないかもしれませんが、女将さんは、ルネがあの時どんな歌を歌っていたのか、どういう人だったのか、まったく知らなかったそうです。そして今回ルネの歌「ミドリ色の屋根」をipadで聴くまでまったく聴いたことが無かった!のです。ルネがどんな人なのか、かいつまんで、ささーっとお話して、現在の父親、夫としてのルネ、現在の様子などをお話しました。ルネの息子さんと娘さん、そして奥さんと一緒にいるルネを観て、幸せそうですねと言われていました。
そして、ルネの歌を聴いたあとで、女将さんは、 「この子は、とっても心が澄んだ歌をうたっていたんですね。」見た感じと同じ純粋さを感じられると。そして現在のルネを見て、「今もその面影があって、ステキに年をとられている」と。その時の女将さんの言われた言葉通りではないかもしれませんが、確かに女将さんはこのようなことをおっしゃってくれました。
続きは次回です。次回には、女将さんがルネについてお話して下さったビデオを紹介いたします。女将さんには、昨年発売となったルネのCDとブックレット、2003年に発売になったルネのCD(本物ではないんですけど。。。)をお送りしましたので、感想を聞くのを楽しみにしています。
Rene to Japan!
あ、そうでした。ルネのCDを受け取ったローラさんは、今まで聴いたことのなかったルネの曲をはじめ、このCDに付いていたブックレットの中のルネの姿、そしてこのCDが今でもルネとルネの歌の思い出を大切にしている日本のルネのファンのリクエストで実現化したものであるということを知って、大変感動されています。そしてルネのファンページpassion simardへのページにルネ宛に、ルネは、1974年の記念の年である来年の2014年(なんと40周年!)絶対日本に行ってファンの人たちのためにもう一度何かをするべきだというメッセージを書いています。そしてfacebookに集う日本のルネファンに向けて、Rene to Japan!というスローガンで、ルネの関心を引くというようなメッセージを送って来ています。もし、ルネが日本にきてまたファンのために歌いたいという気持ちになったらとても素晴らしい事です。そのときがいつ来るかわかりませんが、facebookに集う日本のファンが力を会わせてルネが来たときのための計画をスタートしようということになりました。
小さな規模でもどこか素敵なホテルでルネのデイナーショーなどが実現できましたらほんとうに胸がいっぱいになることでしょう。そしてプロではなく、私たちファンの手でそのお手伝いができたら!ルネのファンであるみなさんも、この大冒険の計画に参加されませんか。あるファンは、もうどんな服を着ていったらいいかという可愛らしい心配をされています!果たしてこの想いがルネにとどいて、そしてどんな形でもルネを私たちの手で日本に呼ぶことができる日が来るのでしょうか。ルネと出会ってから39年目の夢は、まだまだ広がって行きます。
それでは、また次回に、平野屋さん(の記事)でお会いいたしましょう!
riko auckland
10.12.12
ローラさんのルネとロメオ Lora's Rene & Romeo
今週末から「夏休み」に入った私は、この2、3日、古くからのルネファンの友人ローラさんと一日中!と言ってもいいぐらい、フェイスブックのウオールや、プライベートメッセージなどでお話しています。ローラさんは、このブログの過去の記事でも度々その名前が出てきましたが、ルネがトロントで活動していた76、77年頃にルネととても仲良くしていたというファンの方です。Passion ルネシマール Au Japonのメンバーとしても、2005年頃から活動しています。youtube にもskfanincan という名前で、沢山のルネに関するビデオを紹介していたり、スライドショーを制作しています。
since my 'summer holiday' has started, I've been spending a lot of time talking with Lora on facebook. You should know who Lora is by now as I have often mentioned her and her Rene collection and youtube videos in this blog. Lora is a member of Passion Rene Simard Au Japon and we've known each other since around 2005. Lora has been a so lucky girl who got to know Rene well during the time Rene was actively working in Toronto 1976-77. She has created a lot of rene slide shows and sharing on youtube with a name 'skfanincan'.
ということで、今週は、そのローラさんとのお話しの内容やローラさんがシェアしてくれた画像などを紹介したいと思います。ローラさんは、フェイスブックに参加されていないルネファンのためにこのグループブログでも紹介してほしいと希望されています。
This week article is a little bit about what Lora and I have talked for the last few days. It is about Rene and Romeo in France 1974-75. Lora kindly suggested me to share her rene clipping from France on this group blog for people who haven't joined in our Rene Simard Fan circle on facebook yet.
Thank you to our Lora!
フランスでのルネ Rene in France
ローラさんの手元には、まだpassion simardでも取り上げられていないルネの画像がありました。たくさんあるのですが、その中でもルネが日本とパリを行き来していた74、75年ぐらいの時の雑誌の記事がとても興味深いです。これは、ローラさんが知り合ったフランスのルネのファンだった女性から譲っていただいたものだそうです。はじめて見た時、ローラさんは、「えええええええ!なんてことをしているのだろう!」と思ったそうです私もそうでした!「えええええ!」。。。では。。。その画像をお見せいたしましょう。
The clippings Lora has shared are rare that I didn't see even in Passion Simard collection. Especially it is very interesting to see the ones from 1974, 75 when Rene was 'commuting' to Japan. Lora obtained the following ones from Rene's fan in France. "Ahhhhh! What!!??" ...was Lora's reaction when she first saw this 'naughty' smoking Rene's photo. My reaction was the same ..."Ahhhhh, Rene is smoking!?"
The clippings Lora has shared are rare that I didn't see even in Passion Simard collection. Especially it is very interesting to see the ones from 1974, 75 when Rene was 'commuting' to Japan. Lora obtained the following ones from Rene's fan in France. "Ahhhhh! What!!??" ...was Lora's reaction when she first saw this 'naughty' smoking Rene's photo. My reaction was the same ..."Ahhhhh, Rene is smoking!?"
ルネとロメオ 1975年 7月 パリで
Romeo & Rene in Paris, July 1975
イザベルに電話した後は。。。そうだ!ブルースリーの映画へ行こう!映画のポスターの前でブルースリー並みのキックを披露するルネ。日本でお父さん相手に柔道を繰り広げていたルネを思い出します。
After talking with Isabel (only guessing!) "Oh yes! let's go see Bruce Lee film!" Rene's kicking does remind us of Bruce Lee...! While in Japan, Rene also tried 'Judo' against his father Jean Rock Simard!
Romeo & Rene in Paris, July 1975
なんと!ルネが同じ年ぐらいの不良少年といっしょにタバコ!えええええ!これは一体。。。どういうこと!?しかも、堂々と雑誌の写真を載せてしまっているのって。。。
でも。。よーく見てみると。。。タバコの形をしたチョコレートだったのです!そういえば、子供の頃、こんなチョコレートが日本でも売られていて、ルネと同じように、いかにも「タバコが旨い」というようなポーズを決めていたような記憶もあります。
but it was 'chocolate' cigarette Rene was 'smoking'! I think this kind of chocolate was sold in Japan also around the same time, and I might have had the same 'cigarette' moments as Rene and Romeo!
but it was 'chocolate' cigarette Rene was 'smoking'! I think this kind of chocolate was sold in Japan also around the same time, and I might have had the same 'cigarette' moments as Rene and Romeo!
でも、ルネと一緒にいる「ロメオ」(Romeo) って一体誰?ロメオくんは、その頃、ルネと同じようにフランスで人気のあった少年歌手だそうです。ルネとの共通点は、少年歌手という他に、二人のレコードは同じレコード会社「Carrere」から出ていたこと。
So who is Romeo? He was a very popular boy singer like Rene around 70s as Rene. His records were released from Carrere, the same record company as Rene.
このサイトで、ロメオくんのベストCDに入っている70年代の曲を全曲少しだけ聴くことができます。ロメオくんの曲は、現在でもitunesで購入することもできるそうです。ルネの曲も、いつかitunesで購入が可能になるといいのですけど!
You can check Romeo's best album in the following site. Lora says you can purchase this album on itunes store as well as this site. Wish one day soon, we will be able to purchase Rene's songs on itunes!
So who is Romeo? He was a very popular boy singer like Rene around 70s as Rene. His records were released from Carrere, the same record company as Rene.
このサイトで、ロメオくんのベストCDに入っている70年代の曲を全曲少しだけ聴くことができます。ロメオくんの曲は、現在でもitunesで購入することもできるそうです。ルネの曲も、いつかitunesで購入が可能になるといいのですけど!
You can check Romeo's best album in the following site. Lora says you can purchase this album on itunes store as well as this site. Wish one day soon, we will be able to purchase Rene's songs on itunes!
ルネが74年、75年ごろにフランスで出したレコード。下にあるのがロメオくんのレコード。一番右にあるルネのレコードジャケット(Maman, laisse-moi sortir
ce soir)とすぐ下にあるロメオくんのレコードジャケットは、とっても似ているとローラさんと話していました。 彼の声は、ルネよりずっと低い声のようです。ローラさんいわく、ルネのお兄さんのレジスの声に良く似ている!私も同感です。では、歌っているロメオくんを見てみましょう。
Rene's records released in France around 74 and 75, also Romeo's. Those record jacket layout are very similar to each other, the last ones especially. Romeo's voice is lower than Rene and Lora thinks Romeo does sound like Rene's one year older brother, Regis.
Rene's records released in France around 74 and 75, also Romeo's. Those record jacket layout are very similar to each other, the last ones especially. Romeo's voice is lower than Rene and Lora thinks Romeo does sound like Rene's one year older brother, Regis.
romeo juste un petit baiser (youtube)
Romeo - Ecoute (youtube)
大人になったロメオ 'mature adult Romeo'
落ち着いたいい声で歌っています。
Romeo - Ecoute (youtube)
大人になったロメオ 'mature adult Romeo'
落ち着いたいい声で歌っています。
この歌は ルネの妹ナタリーがデビューして間もない頃のアルバム Nathalie chante pour ses amis (1980)の中でも歌っている曲です。Nathalie, Rene's younger sister also sang this song in this album that she released in 1980.
実際のナタリーの歌は、シャンタル博士のサイトリンクから聴くことができます。You can listen to Nathalie's song on this site.
この記事の画像を見てみると、ルネは、友人を得て、とっても元気にいろいろなことを楽しんでいるようにも見えます。では、二人がどのようなことをしていたのか、見ていきましょう。
Rene and Romeo looks like having a lot of fun doing variety of things around Paris.
Rene and Romeo looks like having a lot of fun doing variety of things around Paris.
だれかに電話?「アロー!」もしかすると電話の相手は、ルネが大好きで、パリのいろいろな場所に一緒に出かけていたという、年上のイザベルという女の子かもしれませんね。ローラさんの話では、ルネは、きっとブロンドの女の子に惹かれることが多いとか!そういえば、奥さんのマリージョセもブロンドですね。
Who is Rene calling to? " Allô ?" It could have been Isabel that Rene adores. It was said Rene spent a lot of time with her while he was in Paris. Lora says that Rene tended to prefer 'blonde' girls. Marie-Josee, his wife, also 'blonde'!
Who is Rene calling to? " Allô ?" It could have been Isabel that Rene adores. It was said Rene spent a lot of time with her while he was in Paris. Lora says that Rene tended to prefer 'blonde' girls. Marie-Josee, his wife, also 'blonde'!
イザベルに電話した後は。。。そうだ!ブルースリーの映画へ行こう!映画のポスターの前でブルースリー並みのキックを披露するルネ。日本でお父さん相手に柔道を繰り広げていたルネを思い出します。
After talking with Isabel (only guessing!) "Oh yes! let's go see Bruce Lee film!" Rene's kicking does remind us of Bruce Lee...! While in Japan, Rene also tried 'Judo' against his father Jean Rock Simard!
映画の後は、食事。レストランへ!何を食べようかな。。。僕の好きなラザニアか。。チキンサンドイッチはあるかな?(私の勝手な想像です。)
"It's a meal time after the film! What shall I eat... do they have my favorite lasagna or chicken sandwiches?" (again, I am only guessing what Rene has thought...)
食事が終わったら。。。そうだ!パスポート写真を撮ろう!また日本に行くから、余分にパスポート写真を持っていた方がいいからね。(これも勝手な想像をしております。)よく見てみると。。。ロメオくんと二人で撮ってあるようですね。今ならもっとルネは、プリクラなども楽しめたでしょうに。
次は買い物!
そしてテイータイム。日本のファンに手紙を書こう!
それから、レコードの打ち合わせ?
では、ルネがフランスで出していた曲を少し聴いてみましょう。
maman, laisse moi sortir ce soir
(ママ、今夜遊びに出かけてもいい?)1975
(ママ、今夜遊びに出かけてもいい?)1975
この画像は、以前にお話したことがある私たちがしていた手作りのルネのファンクラブ「ボンジュールルネ」の会誌第2号(1978年7月号)のあるページ。このページの上のほうにあるのは、そのころルネの事務所がしていた英語でのルネシマールファンクラブに入会したときのルネからの「ようこそ」というようなメッセージの最後の部分。これは、ルネの手書きのものですが、もちろん印刷されてあったものでした。そして下の部分にあるのは、そのファンクラブから送られて来たこれまでのルネについてのお話の部分の日本語訳をしたもの。この始めの頃に、フランスでのルネのことが少し書かれていたことを思い出したので、この画像を紹介いたしました。日本を離れて、ロサンゼルスで英語やダンスを勉強していたり、全米進出をめざし、有名なテレビショーに出ていたことも紹介されていいます。それにしても、このルネは、かわいらしいと思います。これは、たぶん旺文社の学習雑誌にでていたルネのように思いますけど。「ママ、今夜遊びにいってもいい?」という曲は、フランスで、ゴールドレコードという賞に輝いたと書かれています。
ところで、フランスにもルネのファンクラブがあったそうです。ローラさんにこれらの切り抜きなどを譲ってくれた女性もファンクラブに入っていた人だったそうです。最初の頃の名前はフランス語だったそうですが、そのあとは、Club Rene Simardという名前だったとローラさんは、聞いているそうです。Club Rene Simardと言えば、フェイスブックには、この名前のルネのファングループもあるんです。Passion Simard は、やく2千人ぐらいだったと思いますが、このClub Rene Simard は、350人ほど。アメリカやカナダの英語圏のファンも多いようです。なぜか最近、何の連絡もないままに、このグループの代表のうちの3人のうちの1人に昇進?させていただいたようで驚いています。
その他の曲は。。。
la monde de walt disney ウオルトデイズニーの世界(1974)
Merci ma chance チャンスをありがとう(1974)
これは、「ウオルトデイズニーの世界」のB面の曲でした。
Les petites filles modeles (girls models) (1974)
une maman c'est toi (mother is you) (1974)
この歌が、les petites filles modelesのB面だったと思います。
最後に、ロメオくんとルネが、1974年の3月には、もうお友達でいたことを示す新聞?と雑誌の切り抜き画像です。ローラさんも言っていたように、ルネは、74年の始め頃から頻繁にフランスに出かけていたのですね。そして6月には、日本。第3回東京音楽祭。この年の12月3日に、パリのオリンピア劇場で、Daniel Guichardのコンサートの最初のパートでルネがステージに立ったのです。
まずは、オリンピア劇場で歌うルネの画像から。
Daniel Guichardと
オリンピア劇場のルネの名前
ロメオくんの記事
ルネの記事
ルネが日本とフランスを忙しく駆け回っていたことは知っていましたが、この記事で紹介したローラさんがフランスから取り寄せたという画像を見るまでは、ルネが実際にフランスでどのような様子でいたのか知ることはできませんでした。38年も!!昔むかしのことなのに、38年後にこのルネの様子が分かったということが嬉しくて仕方がありません。ローラさんもフランスでの記事をとても興奮してしまって、二人で夢中でお話しました。ルネのフランスでの画像は、もう少しあるそうなので、ローラさんがそれを見つけたらご紹介したいと思います。
では、フランス パリのルネを楽しんでいただけましたように!
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