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5.4.14

「僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの」後編


先週からの記事の後編が今回の内容です。先週の記事の内容は、フェイスブックでのルネファンの方達の間では、とても心にしみたという感想でした。ルネの人生への考え方に協賛した、そして子供の頃のルネだけではなく、53才になった現在のルネのこともとても魅力的に感じる。誇りに思うという声がありました。また、同じぐらいの人生を生きてきている自分にとってルネはその道標のように感じるとおっしゃってくださった方もいました。


今回の後編では、ルネはデビュー当時のこと、父親のこと、自分の子供達のこと、そして奥さんのマリージョセとのことを多く語っています。そういうことを話した最後に、自分の笑顔にはどんな意味があるのかをまとめてくれたように思います。

思ったよりも長くて、日本語にするのにも時間がかかりました。その翻訳中に、記事の中で話されていることに関係のあるものを書き加えたいなと考えました。ですから、記事の内容の間に余計なものが書かれていたりビデオが入ったりして、記事が読みにくいと感じられるかもしれません。でもこの作業をして「ルネをもっと知るための旅」をしたような気持ちがしています。この記事を読む皆さんは、どのようなことを思うのでしょうか。


この画像は、また後ほど登場してくるものですが、「僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの」というルネの気持ちがなんだかとても伝わってくるなと感じていいなと思います。この記事を読み終えた時、みなさんもこのルネとマリージョセの姿を同じように感じるでしょうか。


番組のセットで一休み中のルネとマリージョセ
source:
Cap sur l'été Radio Canada


それでは、3月に発売された雑誌の記事の後編のスタートです!
ルネが直接言っているらしい言葉を青文字、記者がルネの考えをまとめているような内容をミドリの文字、そして私が記事に関係したものを書き加えたものを*黒文字で記述していきます。 以下にあるような黒い太文字は、段落ごとのタイトル、またはビデオなどのタイトルに使っています。


ルネが幼い頃のおかっぱヘアスタイルのヒミツ


ルネが幼い時のあの有名なヘアスタイルは、みんながしていた流行していたスタイルでした。けれどもルネにとっては、そのヘアスタイルは一番気持ちを落ち着かせてくれるものだったのです。ルネは、自分の大きな耳に強いコンプレックスを持っていたから。「僕が  テーンエイジャーの時に、手術をしてその形を矯正しました。よく女の子のように見られたロングヘアをしていたのは、その耳を隠したかったからなのです。だからついにそのロングヘアをカットした時には、僕はとても誇りに思いました。だってとうとう男になったというような気がしたからです。」


ノーとは言えない性格
ルネは、同僚に対しては、どんなことについてもノーと言う事ができない性格です。 たとえそれがもう一度、カメラの前や人前に出る仕事であってもです。2012年のミュージカル「雨に唄えば」の舞台に出演することになったのは、友人であり演出を担当していたdenise filiatreauitに頼まれたからであり、un air de famille の番組のデイレクターとしての仕事をするように説得したのは、やはり友人のPatrice  L' Écuyerでした。


1990年と91年のケベックの人たちが楽しみに観る大晦日に放映される風刺コメデイ番組’Bye Bye'にルネが初めて出演した時にも同じ理由によるものでした。友人であるDominique Michelから出演を頼まれたからでした。

Bye Byeは、その年に起こった出来事をおもしろおかしくコメデイにして演じられるケベックの大晦日恒例の番組。Dominique Michelをはじめ、L
Écuyerなどの友人たちがいろいろな役柄になってコメデイを演じます。

Dominique Michelは、ルネと兄レジスが出演した1973年の映画 ’J'ai mon voyage’ (僕の旅に出かける)で、 ルネ(とレジス)の母親役を演じたケベックのコメデイアン、女優、歌手、アーテイスト。

*(90年の初出演で、ルネは、友人であるPatrice  L' Écuyerの物まねをして、大好評を得ました。source: TV Hebdo  ) 







90年のBye Bye ルネの場面ショートバージョン





       同じ番組、ルネの出演場面のロングバージョン

* 見るだけで面白い!ルネのモノマネの才能を大発見!笑 必見です。ルネがモノマネをしているのは、司会の仕事をする仕事の多い友人Patrice Lécuyer、そのPatrice Lécuyerがモノマネをしているのが(赤いドレスの女性)同じくルネの友人のコメデイアン、女優のDominique Michel。白いドレスの女性が、そのDominique Michel.黒のジャンプスーツで現れているのがルネのモノマネをしているYves Jacques.


91年のBye Bye テレビコマーシャル

 

ルネは、ここでは、チャールズ皇太子!(91年Bye Bye)




これもルネ!
ルネは、Jean Drapeau


* Drapeauは、モントリオールオリンピックが開催された時のモントリオール市長。その時の公式テーマ曲、'Welcome to Montreal 'をルネに歌うように要請したのもDrapeau. オリンピックに市の財政を注ぎ込みすぎた市長にモントリオール市民やメデイアが反発、その財政難のために市のゴミ収集 もままならずという状態などもあり不満爆発。ルネの歌うこのテーマ曲は、そのような状況と雰囲気の中で発表されましたが、歌の歌詞はあまりにも受け狙いの商業的(でも歌詞は、ルネが作詞ということになっています)、こんな状況の中で聴いていると嫌気がさすなどの理由でメデイアにもボイコットされ、ルネがオリンピック開会式または閉会式でこの歌を披露することはついになかっ た。。といういわくつきのストーリーがあります。ルネは、その市長のモノマネ担当。そして歌っているのは、なんとその市長を風刺して?(たぶん)市長がお 金をたくさんかけて、建築デザインにも深く関わったモントリオールオリンピックスタジアムについての歌。。このようなことを分かった上でこのビデオを観る とちょっと複雑な心境ですけど。。。ルネは平気そう! 

Roger Taillibert は、モントリオールオリンピックスタジアムを設計したフランス人の建築家。


このテーマ曲に関するブログ記事「モントリオール讃歌」


Bye Bye 91 - Jean Drapeau et Roger Taillibert


将来いつか、ルネがまたこのような番組に出演するとしたら、それは友人からの依頼を断れないからでしょう。例えば、ADISQ など授賞式典番組でも共演していて、よく一緒にスキーに出かけ ているルネの仲良しな友人であるSylvain Cossette(ケベックで大人気のシンガーソングライター、シルバインコセット)「彼とはとても気が合うので、また一緒に仕事をするだろうと思います。」


Sylvain Cossette
-Pour toujours 「いつまでも」


* とっても素敵なシンガーソングライター、シルバイン コセット!ルネが親しくしている友人らしいです。このほかにも素晴らしい歌がyoutubeでたくさん紹介されています。ルネとは、ほとんど同い年(ルネは、61年、シルバインは63年生まれ)で、ちょっとルネに似ているようなそうでないような! ケベックでは、数々の賞を受賞、アルバムの売り上げもすごいようです。昨年から今年にかけて、過去12年間で初めての彼自身が書いたフランス語でのオリジナルな歌ばかりを納めたアルバムLe jour d'après を昨年の10月に発売し、昨年から今年にかけてツアーをしているそうです。(source: sylvain cossette wiki)


親しい友人たちをガッカリさせたくないという気持ちをルネが持つのは、ルネが子供の頃に感じていた寂しさから来ているものなのでしょう。ルネは、幼いときの自分を、「友人がいなくてとても孤独な子供だった」と記者に話しています。「世界中を旅行して仕事をしていた僕には、ふつうに暮らしている同じ年頃の友人を作るのは、本当に難しかったんです。」

自分の父親のような人生への別れはしない

53才のルネというアーテイストにとって、二人の子供達は何よりも大切なものです。ルネは、その二人のためだけでなく、将来のその二人の子供達/ルネの孫たちのためにも可能な限り長く生きていたいと考えています。ルネは、アルコール依存症で苦しみ、険しい生き方をしながら突然亡くなってしまった自分の父親のことをどうしても考えてしまうのです。「僕は、孫達が成長していくのを見届けるチャンスを持ちたいと願っています。僕の父親は、僕たちが予想もしていないぐらい早く突然に僕たちのもとを去って行ってしまいました。僕は父のようなお別れはしたくありません。」


ルネは、子供の時期、自分の父親にもっと一緒にいて欲しかったという憶いを隠そうとはしません。ルネが幼い時に必要としていたサポートをしてくれたのは、母親と、エンターテイメントの世界のプロの同僚たちでした。 Sous les étoiles(星の下で)と言うラジオ番組の中で、こんな風に話しています。「僕は、幼いながらもすぐに人前でどんな口調で話したり、態度をとったらいいかを学びました。あまりいろんなことをさらけ出さないようにすることは大切でした。顔をたたかれたこともありました。ギークルテイ(元のマネージャー)について、人々がどのように考えてもかまいませんが、僕が教えられたのは、インタビューの受け答えでは単刀直入に話すということでした。」


ルネ自身が父親になって、いつも考えてきたことがあります。それは、子供たちが10才の時、ネガテイブな影響から守りたいということでした。「なぜかと言えば、それは僕がエンターテイメントの世界にデビューした年齢が10才だったので、子供たちが10才を迎えた時には、絶対子供たちを守ろうと心に決めたんです。恐れていたのは、子供達がだれか/何かと悪い出会いをしてしまうのではないかということでした。」

年齢

ルネは、もう自分の身体が完璧ではない状態であるということを知っています。「もう2年の間体重が簡単に減らないということに気がついているんです。僕のメタボリズムは衰えてきているようです。とってもそのことを感じているんです!(笑)」それでもルネは、もう何年も毎日決まったスケジュールでエクササイズをしています。「マリージョセは、(シルクドソレイユとリーボックが開発した)jukari (fit to fly)のエクササイズと水泳をしています。僕は、毎朝リフテングをして、それから足を壁につけて頭を床に落として腕立て伏せを60回します。」ルネは、そのようなエクササイズをすることがとても苦しく思う朝さえ休むことをしません。たとえば、前の番にワインを飲みながら美味しい食事をしたら、ふつう翌日のエクササイズはちょっと休んでしまうか手を抜こうと考える朝でも、ルネは同じエクササイズをしています。

ルネとマリージョセにとって、50代になってもう一つ変化したことは、息子のオリバーが家族の「巣」/家から飛び立つのを見送ったことです。娘のロザリーは、まだ家に同居していますが、22才の女の子なので忙しいスケジュールがつまっていてあまり一緒に過ごす時間がありません。ルネとマリージョセが二人の子供たちの近くにいて世話をする必要がなくなったのです。二人はそれを寂しいと思っているのでしょうか。まったくそんなことはありません。ルネは、「マリージョセと二人でまたテーンエイジャー時代に戻ったみたいだ」と説明しています。長い年月が流れたのだなと感じながら、今この瞬間を楽しもうという気持ちでいます。ルネが50才の誕生日を迎えた時には南アフリカでお祝いしましたが2014年の今年もまた新たな旅を計画しています。

「まだどこに行くか分かりません。けれどもまだ健康で若いうちにできるだけ楽しまなくては!と思っています。」

マリージョセとルネのカップルは、ケベックの芸能界の中でも絆が深い夫婦の一組だと言われています。二人はお互いに出会う運命だったようです。ルネが子供時代のことを話してくれました。「学校の教室に雑誌の取材でやって来たカメラマンが、黒板に何か書いてほしいと頼んだんです。その時、マリージョセは、とても人気のあるコマーシャルをしていて僕たちの学校のノートにもその広告がありました。だから僕は、黒板のあちらこちらに、「僕はマリージョセを愛してる」と書いたんです。僕のスープの中にマリージョセの顔が見えるほど大好きだった。その時の写真(ルネがマリージョセを愛してると黒板に書いた写真?)を僕は今も持っているんです。」

*スープの中にその人の顔が見えるというのは、スープの中にもその人の顔が見えるくらい、どこをみてもその人の顔が浮かんでくるぐらい好きというとてもフランス的、あるいは、ケベックフレンチ的な愛情表現だそうです。ルネの妹ナタリーの大ファンであるジョセフくんとpassion simardのジゼルさんが教えてくれました。



* 70年代の初め、ルネもマリージョセもテレビコマーシャルをしていました。違う製品のコマーシャルでしたが制作していたのは同じケベックのフランス語の広告会社でした。そのことについてのブログ記事へのリンクです。ルネ、マリージョセのコマーシャル


source: Marielle Morin's photo (thanks Marielle!)

「マリージョセを愛してる」と黒板に書いていたのはこの時期?

source: biographie de marie-josee taillefer

その頃、コマーシャルをしているマリージョセ


25 年以上も二人は一緒にいます。にもかかわらず、火花を散らしたことはありません。去年の夏、二人はCap sur l'étéという番組のセットで毎日のように一緒に仕事をしました。ルネは、アーテイステックデイレクターとしての仕事を担当。番組のホストを務めるマリージョ セと仕事とすることを楽しみました。

「一緒に仕事をするというのが、うとましくなんてありませんでした!彼女がそこにいてくれるということがとても嬉しかったです。彼女は僕を理解してく れ、そして僕たちはお互いを信頼し合っています。そしてストレスのある生活をしている互いのことがよく分かるんです。」
* Cap sur l'été(夏を楽しもう!)は、春から夏にかけての季節を楽しもうというコンセプトのショー番組。90分の番組で、毎回様々な分野のゲストを迎え、料 理、ワイン、読書、外出先、アクティビティなどについておしゃべりし、春から夏のさわやかな季節をどう楽しむかを視聴者に提案していきます。 (sourse: cap sur l'été  radio-canada.ca



番組のセットで一休み中のルネとマリージョセ
source:
Cap sur l'été Radio Canada

Cap sur
l'été facebook

けれども、帰宅すると二人は仕事のことは忘れ、他のことを話します。こういう時間は二人にとって休暇を楽しんでいるようなひとときです。このような時間を持つことはとてもいいことです。ルネは、公衆の中にいる時の自分と自宅での本当の自分の少しだけの違いを話してはくれませんでしたが!(笑)

「自宅にいると、もっと笑顔を取り戻せるんです。」ルネは、一般の人たちがルネが難しい問題を抱えているのかどうか知るのは大切ではないと信じています。「人々が僕のトラブル/問題を知る必要はないんです。それは僕の問題だからです。僕の笑顔は、僕の防衛。効き目/効果があるんです。笑顔は、僕を守ってくれるものなんです!」


雑誌:Allô Vedettes 12014年3月5日号のルネの記事より

以上で記事が完結いたしました。読んだ感想はいかがでしたか。この記事の中で心に残るルネの言葉や考えがたくさんありましたが、特に胸にグッときたのは、「子供達が僕が10才でデビューした時と同じ10才になった時、僕は子供達が悪い人たち/悪い事との関わり合いを持たないように子供達を守ろうと思った」という言葉でした。このようにルネが思った理由は、やはりルネには、自分の子供達は芸能界には入れたくないという気持ちがあったからなのでしょうか。悪い人たち/悪いこととは、一体どのような意味なのか。ルネのこれまでのことを考える時、ルネの言っていることが理解できる気がします。

  アーテイステックデイレクターとして、un air de familleの番組のセットで仕事をするルネ


ルネは笑顔を絶やさない人であると思います。でもやはりその笑顔の中でルネは一生懸命戦ってきたのでしょう。自分を励ますために、そして難しいことがあっても自分で解決するために。幼いときから現在にいたるまでのルネの姿を考えてみると、ルネはよく笑う人だ、コメデイアンにもなりたかったと言っていたことがありますが、周囲を楽しい雰囲気にしてくれる人だと思います。その笑顔には、このようなルネの気持ちがあるということを話してくれたルネ。これからもそのルネ
の笑顔を応援して行きたいと思うのです。



31.3.14

「僕の笑顔、それは、僕を守ってくれるもの」前編


ルネは、元気です!すこしふっくらしたルネですが、ルネの明るくて親密さのある笑顔と誠意がこもっているお話はいつもどおりです。これは、9月からスタートする3回目のシーズンとなる家族対抗歌合戦的な番組 Un air de familleについてお話しているルネ。ルネは、出場する家族への歌やステージでのアドバイス、ステージの設定、進行など、番組の制作に関わっています。un air de famille を制作しているICI Radio-Canada Televisionのfacebook にシェアされているビデオです。リンクをクリックするとルネに会えますよ。1分43秒の間ルネがフランス語でお話しています。facebookでルネのファンページ Passion Rene Nathalie et Regis Simard をしてくださっているケベックのジゼルさんがルネの言っていることを要約してくれたので、それを日本語にしてみます。

 **  **   **
「un air de familleの3度目のシーズンの準備は好調です。出場家族のオーデイションも始まっています。前回までの番組の編成ややり方とは、少し変わることもあ りますが、あまり大きな変化はありません。un air de familleの番組は、(いろいろな意味で)’ラブストーリー’です。(ルネと一緒にこの番組の仕事をしている人たちのことを話しています。)そしてル ネは、最後に、「9月からまたスタートするun air de familleの番組でお会いしましょう!」と言っています。

  **   **   **  Thanks to Gisele, Passion Rene Nathalie et Regis Simard! 
           

  un air de famille (facebook page)
番組終了後に出演者たちと踊るルネ


みなさま、お久しぶりでした。やっと腰を落ち着けてこのブログを再開する時期がやって来ました。最後にアップした記事は、ルネのcdの発売のニュースについて。その日付は、2013年、4月6日でした。あとわずかで1年が経とうとしています。

その後に続く2013年は、私とニュージーランドと日本の家族にとって、深い悲しみと大きな驚きの連続となりました。このブログでも幾度か、ニュージーランドでの義母のことをお話していたかもしれませんが、2011年の手術以来、それまで楽しんで来た娘のような大きなラブラドール犬との一人暮らしができなくなり、その家に帰ることなく手術をした病院からオークランドの私たちの近くの場所に越してくることになりました。2年ほどのオークランドでの暮らしは、昨年の4月11日に終わりを告げ、義母は永眠いたしました。それは、ルネのcdが発売されたニュースをブログにアップした4月6日から約一週間後のこと。その後、オークランドでの葬儀、母が暮らしていた街でのお別れ会が終わったのが5月の中旬でした。義母は、私にとって、1994年の2月にニュージーランドに住むことになってからの19年間、こちらでの母、友人、仕事や人生の先輩として泣き笑いを共にしたかけがえのない素晴らしい女性でした。

その数ヶ月後には、今度は日本の母の新たな手術が必要という知らせが届き、大きな手術になるということで、9月末からクリスマス直前までの約3ヶ月間、仕事をお休みして日本に行くことになり、母が入院する直前から退院して家での生活がきちんと落ち着くまでのサポートをしてまいりました。おかげさまで、母の術後の様子は順調で、主夫として私の特訓を受けた父とともにまた騒がしく楽しい毎日を過ごすことができるようになりました。

ブログの再開は、すこし遅れましたが、フェイスブックでのルネファンの方たち、そしてそのファンのお友達のお友達との交流は、日本滞在中も続いて心配な毎日でしたが楽しいお話やお祈りを通して励まされました。心より感謝しています。ありがとうございました。

2013年は、私には、チャレンジの1年となりましたが、その間、父親が入院、そして亡くなっている経験を持つルネのことも絶えず考えていたように思います。こういう経験は、ルネでなくてもだれにでも起こっている経験ですが、「ルネは、どんな気持ちであったのだろう、どのように悲しみと向き合ったのだろう」というようなことを考えていた私でした。ルネの心の中にも、どれほど言葉を尽くしても尽くし足りない気持ち、悔やんだこと、葛藤、そして思い出があとからあとから溢れてきたのだと思います。そして、それは、だれにもわからない。自分との心の中の対話、そしてお別れ。




それでは、ブログ再開の最初の記事です。何について書きたいかと常に自分に問いかけていて、これは書きたい、これはきっとルネファンの方も興味があるだろうということを心がけていますが、今回の記事は、3月15日発売の雑誌 Allô Vedettes の中でのルネの記事の内容です。

記事のキャプションは、僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの、ルネがそのことを語ります。」とありました。なんだか、ルネの人生について私が想像していたことについて、そして私自身が置かれた状況を思う時、胸をドンとつかれた気持ちになりました。それで、その記事に書かれていたことをフランス語から英語に訳してみようと思いました。ここに書くのは、その英語を日本語にしたものです。ルネが直接言っているものを青文字で、そして雑誌の記者が言っているものをミドリの文字で記述します。ルネが直接言っていること、そして記者がルネと話した上でルネのことを書いているという2つの内容が一緒に書かれているような記事、そのうえ、私の迷訳ということで、すこし読みにくいと思いますが、それでも興味深い内容だと思います。


チャ イルドスター:「僕は寂しかった」70年代からルネは、私たちの目の前で成長してきたけれど、ルネの中でおこっていた精神的な変化を知ることはできません でした。繊細な少年だったルネは、53才という年齢になり、自分がこれから何をしたいのか何をしたくないのかがよくわかるようになりました。


「人生では、どんなことも永遠に続くことはないのだから、僕たちは、今この瞬間を楽しまなくてはいけない」とルネは言います。このような人生への考え方をルネは、子供時代から学びました。ルネは、多くのファンや一般の人たちから愛されましたが、テイーンエイジャーになるとそれが一夜にして終わってしまうというような経験をしました。そして現在、ルネは「その経験をしたことを以前よりももっと有り難いことだと考えるようになった」そうです。

ルネは、昔のことを懐かしがったり、後悔したりはしていません。そうできるのは、ルネが人生をポジテイブで明るく考え、見るという姿勢があり、人生がこれまで以上にいいものになると常に期待を持って生きているからです。


けれども、ルネは、国際舞台での人気が下がった後では、もうそのような人気が欲しいという気持ちは無くなりました。皆の注目の的になるということは、ルネにとってはあまり価値のあることではなくなりました。だからと言って、ルネがエンターテイメントの世界にいるのを辞めてしまいたいというわけではなく、エンターテイメントの世界は、今もルネが最初に足を踏み入れた日と同じように、ルネを魅了し続けています。

歌手そしてエンターテイナーとして毎日を過ごして名声を得た後、ルネは、違う道を歩き始めました。「僕はノスタルジックな(過去ばかりを憶う)人間ではありません。今この瞬間を生きたいと思う人間です。」ルネは、今は、毎日ではなく週単位で演技などを指導する仕事をしています。

大人の歌手としてのキャリアを追求しなかったというのは、たぶんガッカリしてしまうことだったかもしれません。一度はルネの歌手としての運命は計画され順調に行っていたのですから。(うまく行っていたのは/または、結局うまく行かなかったのは)タイミングやその時の状況にもよったのでしょう。「僕は、ルネアンジェリルと一緒にフランスや日本などへ何度も仕事のために出かけていました。」

「たぶん、あの時(アメリカ進出を狙っていた時?テーンエイジャーをすぎて?)は「僕の(成功する)時期」だったのではなかったのでしょう。でも、僕は、「僕の(成功した)時期」を持ちました。僕は、ケーキを一人で寂しく食べたいと思うような人間ではありません。30才の時、ルネは歌手を辞めたいと思いました。その頃、二人のルネの子供はまだとても幼くて子供と一緒にいる時間が欲しかったのです。そして子供と過ごす静かで平穏な生活を続けたかったのです。「僕の考えが変わったのは、その時期でした。僕は芸術/エンターテイメントというものを違う方向から見るようになったんです。」



歌手としての活動を辞めて、ルネは(歌やステージの)指導をするようになりました。最近では、特別な催しや祝典などのステージにもルネは出演するようになっています。ラジオカナダテレビからルネと奥さんのマリージョセに二人で司会をするショー番組の依頼があったのも最近のことですが、ルネは、マリージョセと二人でその仕事に通う/するということは 考えられないと思っています。ルネには、もっとしたいと思う人生のプロジェクトがあるからです。「毎日する仕事は、あまりのぞみません。そして僕が特にしたいと思うのは、スタジオで番組のシーンを作ったりするカメラの(前の仕事ではなく)背後にいる仕事なのです。」



記事は、あと1ページ続きます。この続きは、次回の記事でアップいたしましょう。やはりこの記事は、私が予感したように、ルネが成熟した大人の時期を迎えてこれまでの人生を思っての発言や考え方が多く出ているように思います。次回の記事の内容も、大変興味深いことをルネは、語っていますのでお楽しみに!



 

19.2.13

Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から


ルネの最新ニュース






Un Air de Familleというのは、ケベックで昨年9月から放映されていた家族対抗の歌のコンテストショー。ルネがステージデイレクター・アーテイステックデイレクターをしていたテレビ番組でした。準備は5月頃から出場する家族のオーデションなどが進められ、12月中旬に終了。司会はルネの古くからの友人で、ルネと同い年(やはり2月生まれ)でもある、いろいろな番組でも共演することの多い CBC Radio-Canada(ケベックのテレビ局)で働く有名なホスト(司会者)であるPatrice L'Ecuyer。他に3人の歌のコーチとしてサポートする Bruno Pelletier(ケベックで活躍する歌手), Johanne Blouin(ケベック出身のシンガーソングライター、80年代から90年のはじめには、ルネと同じプロダクションにも属していたことがある人), Jean-Francois Breau(オンタリオ州出身のシンガーソングライター)。毎回3組の家族が出場して練習してきた歌を披露し、そこから視聴者によって選ばれた家族が次のプロセスに進み、最終的に優勝する家族が決定するという仕組みのようでした

 このショーの制作に関わったルネにとっても嬉しいことがありました。それは、このショーにとても関心をもったFrementle Media(フリーマントルメデイア)という世界最大のテレビ制作会社が、他の国での、このショー番組の制作権利を購入したからです。フリーマントルメデイアは、American Idol, America's Got Talent, The X Factor などの制作も手がけています。ケベック州で制作されたショー番組(のアイデア)を購入するのは、もちろん初めてのことだそうです。 ( 資料:le Journal de Montreal ) 英語圏でのショーのタイトルは、「ファミリーハーモニー」になるだろうとのこと。

このUn Air de Familleの番組は、次のシーズンの放映が決定されており、現在は出場希望の家族を募集しているようです。今年の放映も秋から(9月)の予定。

この番組については、Facebookのページもあり、興味のある方はそのページを見ると、今まで出場してきた家族の画像やビデオなどが紹介されているので便利だと思います。



左から 司会のPatrice L'Ecuyer, ステージデイレクターのルネ!、歌のコーチ Jean-Francois Breau, Johanne Blouin, Bruno Pelletier.

 un air de famille facebookからのルネの画像 番組プロモーション用(上の写真)の撮影をする前にお化粧などをしていただいているようです。ヘアスタイルは、ちょっと鉄腕アトム風?(笑)


 そして撮影の準備。ルネは楽しそうに笑っていますね。また面白いことをいっているのでしょうか。


このショーについて質問を受けている司会のParice L'Ecuyer、そしてステージデイレクターのルネ。ルネの仕事について「卓越した素晴らしいもの!」と話すPatrice。照れるルネ。。。番組のビデオなどを見るとルネの姿がなく、どのようにルネがこの番組のステージのために仕事をしていたのかとっても観たかったのですが、このビデオで発見!ルネが生き生きとステージでどのように歌ったらいいかなどを見せています。ルネは、昨年のミュージカル「雨に唄えば」の練習や公演ですっきりした体型のままの様子で若々しい!

Facebookの番組ページには、youtubeでは紹介していない番組に関するビデオがたくさん紹介されています。昨年5月にこの番組の準備がスタートしたころのミーテイングのテーブルについていつものよう他の出演者や番組関係者を笑わしているルネの姿も見ることができますよ。元気そうな最近のルネの姿をみたいルネファンは是非観て下さいね。




 ミーテイング中のルネのビデオ
服装などから考えると、番組のプロモーション用の写真の撮影は、このミーテイングの後に行われたのだと思います。(Facebookのアカウントを持っていないと観ることはできません。)


で、今シーズンのショーで優勝した家族は? Latreille ファミリーでした。このビデオはこの家族の最初にステージの様子です。




では、いよいよ!。。あのビデオです。

 以前お話していた第12回東京音楽祭(1983年3月)前夜祭のテレビ番組からのルネとナタリーの様子をご紹介しましょう。ルネはこのとき、音楽祭のプレゼンター(結局はグランプリ受賞者への花束贈呈のみに終わったのですが)、そしてナタリーの日本でのシングルレコードを発売するためのプロモーションのために来日していました。このビデオは私がビデオテープに録画していたTBS「第12回東京音楽祭(前夜祭のパートも含む)」の 番組からの抜粋です。これから数回に分けて、ルネとナタリーが出演している部分のみを紹介していくつもりです。今回は、そのうちの2つのパート。



一つ目のビデオは、パーテイ会場の司会の三雲孝江さんと生島ヒロシさんがルネとナタリーにインタビューする前に、歴代の受賞者やゲストなどについて昔のビデオを観ながらお話をしていくのですが、その最後に第3回東京音楽祭でグランプリそしてゲストだったフランクシナトラ賞を獲得したルネが、黒いスーツで涙をこぼしながら感動的に受賞曲「ミドリ色の屋根」を歌う姿の場面。最後の部分でルネとナタリーの姿がちょっと見えます。




二つ目は、一つ目の最後に出てきたルネとナタリーの場面からスタート。(最初の部分が途中からになってしまっていますが、その後また最初の部分から観る事ができるようになっています。あああ、編集が。。ちょっと失敗してしまいましたね!)ルネとナタリーが司会の二人にいろいろとインタビューされています。このお話の内容については過去の記事で詳しく紹介していますので、そちらも参考にされて下さい。そして、最後の場面で登場するのは、翌日の音楽祭でも司会をしていた朝比奈マリアさんと井上順さんです。マリアさんがルネとナタリーを紹介し、ステージに呼んでいるところで終了。このあと、ルネとナタリーは、あの「ミドリ色の屋根」を二人で日本語とフランス語で歌います。多くの意味で感動の時間とステージの二人の姿。このことについても過去の記事で書いています。


みなさま、この二つのビデオ、楽しんでいただけますように。涙がでてしまう。。。というファンの方もきっと多いかもしれません。。。実際にこのインタビューとステージを会場で見ていた私は、もう涙なみだの時間でした。。。みなさんはどうでしょうか。。。

もうこのビデオに関しては何も言うことはないでしょう。。。みなさまのご感想を楽しくというかちょっと複雑な想いで想像していたいと思います。

日本やケベックのルネのファンの方たちとルネの思い出、ルネへの想い、現在のルネについてお話ししたい、ルネを通してお友達を作りたい、そしていつの日かルネをもう一度日本へ呼ぶための活動をする一人になりたい!と思っていらっしゃる方は、是非、フェイスブックのルネファンのサークルへおいでくださいませ。そこには、39年前と同じ!ように「ルネを夢見る世界」が広がっています。。。フェイスブックへで私たちを見つける方法は、右側のセクションの上の部分に書いてあります。


Riko Auckland