29.6.08

ロッテのロンドン(キャンデイ)とルネコレクション

今週の記事は、つい先ほどyoutubにアップしたルネのtvコマーシャルの音声、「ロッテのロンドン」とルネのコレクションを紹介いたします。


「ロッテのロンドン」

これは、ロッテが発売したキャンデイでした。ルネがtvで歌っていた部分の歌詞は、

「この一粒は、僕の気持ち。」そのあと「ロッテロンドン」という歌の終わりの部分がルネの歌声で入り、そしてルネのセリフ、「ロッテのロンドン、誰にあげよかな?」

というものでした。キャンデイのパッケージのデザイン、キャンデイの形などよく覚えていないのが残念です。がんばって考えてみると、チェルシーのような形だったような気もしますが。この歌を以前に話していたカセットテープに録音していました。




そしてルネは、ロッテのもう一つ別のキャンデイのコマーシャルもしていました。そのキャンデイの名前は、ロッテの「ハローレデイ」。このコマーシャルの音声も録音してあるので、後ほどyoutubeにアップしたいと考えています。これにもルネの可愛らしいセリフが入っています。


ルネコレクションと思い出

ルネが日本に来なくなって、アルファが主催していたファンクラブ「メープルメイツ」は、ルネが変声期をすぎ活動するまで閉鎖という連絡がありました。ルネのこれまでの思い出の写真を載せた最後の会報誌も送られてきたのです。その後、このクラブのメンバー、とくに福岡の人たちが中心となりメープルメイツll というファンクラブが設立となり、ルネへ手紙を書いたり、ルネのその後を調べたりなどして会報なども2度ほど発行になりました。この白黒の写真は、私の記憶では、ファンクラブを主催していた福岡のファンの方からいただいたものだったと思います。たぶん大阪のテレビ局のスタジオで写されたものだったと思います。



このファンクラブ、「メープルメイツll」は、その後、まもなくメンバーの受験などで活動がストップしてしまうことになります。このメープルメイツllと同じ頃、私もファンクラブらしきものをスタートし、ルネについての情報を集めたり、ルネに手紙を定期的に書き始めることになりました。また、ルネが日本にまた来るように署名をあつめ、東京音楽祭、カナダ大使館、cbsソニーなどルネに関係のあるところに、ファンクラブの雑誌などといっしょに送っていました。

そのころ、福岡のFM放送局で、ルネのバンクーバーでの人気の話題についての放送があり、FM福岡の担当の方にその放送で使われたレコードを送っていただいたりしました。放送されたものは、レコードに録音されたものを使用したもので、語り手は、重松美子という女性の人だったと記憶しています。また、その担当の方は、ルネの個人的なファンでもあり、カナダで発売されていたルネのアルバムのいくつかを所持していたことから、それをテープにとって送ってくれたりしました。ルネのアルバムの写真のコピーなども送っていただいていたと思います。

ルネの姿がまったく見えず、その活動内容もほとんどわからないという状況の日々は、心がはりさけそうな毎日だったような気がします。(大げさ!?)あの時代に現在のようなインターネットがあったらどんなに素敵なことだったでしょう。グループサイトをつくったり、他のルネのファンのみなさんとインターネットをとおしてルネの昔の活動のこと、現在の様子について語り合うことは、あの時ほんとうにしたかった事でした。長い年月をえて、このことが可能になったことは、とても嬉しいことです。高校生だったあの頃の気持ちとほとんど同じであることも不思議です。長い年月がたったことなど信じられないことと言った方がいいのかもしれませんね。そして、何よりもルネの魅力が大きなものとしてあるからなのでしょう。






ルネのポスター

後ろにある車は、ポルシェでしょうか。このルネのファッションはよく覚えているものの一つ。トレードマークになっていたスカーフ、そしてこの飛行機のデザインのシャツ。



成長してポルシェ?にのっているルネ。
passion rene et nathalie simard のメンバー

Nathalie Bourgeoisさんのコレクションからの写真です。




22.6.08

ルネの娘ロザリーが高校を卒業/ルネの小学校

今週のルネに関するニュースは、ルネの娘のロザリーが高校を卒業したことです。
おめでとうございます、ロザリー!


また、歌手活動から引退し、現在はドミニカ共和国に暮らすナタリーは、ケベックの雑誌に近況などのインタビュー取材をうけた記事が紹介され、その中で、14才の娘のイブも新しい暮らしについてお話をしているようです。イブの写真も12枚公開されている家族の写真の中で公開し、雑誌の表紙を飾っています。イブは、ナタリーよりも父親のほうによく似ているようです。


そして、肺炎などで入院していたルネのお父さん、ジャンロック氏が無事退院をいたしました。

画像提供:passion rene et nathalie simard


先週お話ししていたルネの「雪の降る街を」をいくつかの日本時代の画像とともにyoutubeで公開していますのでご覧下さいね。このサイトの右側の一番上で紹介していますので、そこをクリックするとyoutub サイトに行かなくとも見る事もできます。
      ルネの歌う「雪の降る街を」


ロザリーの高校の卒業を記念して、ルネと学校に関しての画像を紹介いたしましょう。

このポスターのルネがいる場所は、私の記憶では、ルネが通ったセントペトロネル小学校だったと思います。このポスターを手にしたのは、私が中学生の時。その後85年の夏に、私はこのルネのいる小学校を訪れることができました。そこで撮った写真をこのポスターとともに披露しましょう。




1984年、85年とカナダのブリッテシュコロンビア州に留学した私は、(もちろん動機は、ルネです!)85年の夏休み、2ヶ月近くを大陸横断鉄道に乗ってバックパックを背負ってルネのいるケベック州への大旅行を実現したのでした。

ケベックには、一ヶ月ほどいたのですが、その間にケベックシテイに行き、そこからルネの暮らしていたオルレアン島になんとサイクリングで出かけ、島を一周したのです。今考えるとなんと若かったことでしょうか。この旅行については、後ほどルネへの旅行記として記事にしていきたいと思っていますが、その島で自転車を走らせている間、是非見たかったものは、ルネの暮らしていた家、小学校、そして教会でした。3つとも見る事ができたのですが、下の写真は、そのセントペトロネル小学校です。


セントペトロネル小学校 1985年の夏の写真から


小学校は、その当時、というかその夏の時期だけだったのかもしれませんが、プレスクールのようなものとして利用されていました。中に入るとたくさんの小さな子どもたちと先生がいらっしゃってそのことを話してくださいました。片言の英語だったような記憶があります。

ルネのポスターと見比べるとルネは、2階のどれかの窓辺にすわっていたのではないでしょうか。とてもきれいでかわいらしい建物ですね。




オルレアン島のイラストマップ
ルネの暮らしていたペトロネル村は、
マップの左端にあります。





15.6.08

雪の降る街を/ルネコレクション

先週は、私が録音していたルネの古いテープに入っていた歌の一つ、「七里ケ浜の哀歌」について書きましたが、今週も同じテープに入っていた歌で、「雪の降る街を」について紹介しましょう。そして、初期のルネコレクションのいくつかもご覧下さいね。




石坂浩二の司会だった「スター千一夜」に
ゲスト出演したときに撮られたものと
思われるルネのポスター。これには、
多分旺文社と会ったような気がします。
中二時代の付録だったのでしょうか。


時間はわずか1分13秒の長さで、ルネが「雪の降る街を」の一番だけを日本語で歌っています。どんな番組で歌っていたのかは、はっきりしませんが、雰囲気からするとその頃ルネがよく出ていた「ロッテ歌のアルバム」のようでもあります。会場には、お客さんがいて、ルネは,そのお客さんの歓声を受けながら歌っています。




これは、はじめて手に入れたルネ
(の雑誌の切り抜き)です。
東京音楽祭でルネを初めて見てから
1週間以内だったような気がします。
この切り抜きと音楽祭のルネの出番の模様を
録音したテープは、その後しばらく
私の一番の宝物になったのでした。


なぜ「ロッテ歌のアルバム」からのものだと思うのかは、このテープには、「ロッテ歌のアルバム」に出演していたルネの歌が他にも入っているのですが、お客さんの歓声など、同じような雰囲気がするからです。




上で紹介したルネの画像と同じルネですね。
これは白黒でした。



では、ルネが歌っている一番の歌詞を書いてみます。



「雪の降る街を」

作詞:内村直也 作曲:中田喜直

雪の降るまちを 雪の降るまちを
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降るまちを 遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を いつの日か包まん
あたたかき幸せの ほほえみ


作曲家の中田喜直(1923年 - 2000年)は、「小さい秋みつけた」「めだかのがっこう」「夏の思い出」などの名曲を作曲した20世紀を代表する作曲家の一人だそうです。(ウキペデイア雪の降る街を中田喜直より




          
糊で貼ってしまったルネの白黒の画像。
もうくちゃくちゃになってしまっていますが!
東京音楽祭でグランプリとフランクシナトラ賞を
獲得後に「ミドリ色の屋根」をもう一度
披露した時の模様でしょう。


そしてお父さんのジャンロック氏と喜びを分かち合うルネ。
音楽祭のグランプリのトロフィーを持っています。


ルネの「雪の降る街を」は、ルネのとても幼くて可愛らしい歌声で、しかも情感をこめて歌われています。テープの状態もよくきれいな音で残っていることがとても嬉しいです。この曲も、みなさまに早くお聴かせしたいと思っていますのでお楽しみに!




8.6.08

 七里ケ浜の哀歌/ルネの浅草訪問

日本から持ち帰ったルネの関するものの中に古いカセットテープがあります。中には、主にルネがテレビ出演したときに歌っていた曲、それからコマーシャルの唄などが録音されいます。日本に滞在中、特にその中の一曲について心をとらわれました。フランス語で歌っていますが、メロデイは日本調。悲しい感じのする曲です。今回は、この曲についてのことを書きながら、ルネの浅草訪問時の白黒画像も紹介いたします。画像の状態は、全く良くありませんが、それでも懐かしいルネの様子をみることができます。

  

浅草観音寺でのルネ
画像の周りの黄色の部分は、なんとセロテープ!
古くなりすぎて色があせてしまった結果です。
それにしても、セロテープでルネを貼ってしまうとは。。。!



寒い日本で風邪をひきながらも、両親との時間を楽しみました。両親とドライブ中の車の中で、このテープを聴き、ルネに関わる昔の懐かしい思い出話をしていましたが、そのとき、中学生だった私がこの唄をテープに録音していたときに、母親がこの曲について「この唄は、現実に起こった悲しいことを歌っている曲なのよ」と言った事を思い出していました。母親は、そのことをすっかり忘れてしまっていましたが、この曲が日本のものである事には同意。それから私がこちらに帰ってきてからも、母親と電話で話す機会がある時には、この曲のタイトルを二人でよく考えていました。

お祈りしているルネ


そして、このルネの曲と同じらしき曲をとうとう発見。そのメロデイも探して母親にも電話口でルネの唄とこの唄を聴き比べてもらいました。二人の意見はこの曲で一致!この曲のタイトルは、「七里ケ浜の哀歌」または、「真白き富士の嶺」として知られているものです。ルネがどの番組でどうしてこの唄を歌っていたのかは、未だに思い出せませんが、これはまさしくルネが歌っていたものなのです。


浅草観音の仲店通りでのルネ



「七里ケ浜の哀歌」(真白き冨士の嶺)について

母親も昔語っていた現実にあった悲しい話というのは、1910年(明治43年)1月23日、逗子開成高校のボートの転覆事故で亡くなった12人の生徒への哀悼歌として作られた曲です。

この曲のオリジナルは、あの「大草原の小さな家」の著者ローラインガルスワイルダーの親戚でもあるというアメリカの作曲家、ジェレミーインガルス(1764ー1828年)が刊行した白人霊歌集 「クリスチャン・ハーモニー (Christian Harmony)」の中で紹介していた
Love Divine」という曲です。

この歌が1890年(明治23年)に刊行された「明治唱歌」の中で「夢の外」としてあったものを「七里ケ浜の哀歌」としてアレンジしたのは、逗子開成高校の姉妹校、鎌倉高女の教師であった三角錫子。2月6日逗子開成高校の校庭で行われた追悼会でこの先生がオルガンを弾き、鎌倉高女の生徒がこの歌を合唱したそうです。



詳しくはこちらのサイトをどうぞ。

ウイキペデイア 真白き富士の嶺

今日の事あれこれと
(この曲についての記事を書かれているブログサイトです)

「真白き富士の嶺」映画

逗子開成高校

youtube真白き富士の嶺1

youtube真白き富士の嶺2



浅草観音と仲店通りへの入り口にある
有名な大きな提灯の下でのルネ





「七里ケ浜の哀歌」(真白き冨士の嶺)

作詞者 三角錫子  作曲者 ジェレミーインガルス



真白き富士の根、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心

ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さ腕(かいな)に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺

み雪は咽びぬ、風さえ騒ぎて
月も星も、影を潜め
みたまよ何処に迷いておわすか
歸れ早く、母の胸に

みそらにかがやく、朝日のみ光
暗(やみ)に沈む、親の心
黄金(こがね)も宝も、何にし集めん
神よ早く、我も召せよ。

雲間に昇りし、昨日の月影
今は見えぬ、人の姿
悲しさあまりて、寝られぬ枕に
響く波の、音も高し

帰らぬ浪路に、友呼ぶ千鳥に
我も恋し、失(う)せし人よ
尽きせぬ恨みに、泣くねは共々
今日も明日も、かくてとわに


ルネが歌っている 「七里ケ浜の哀歌」(真白き冨士の嶺)は、わずか、1分2秒という短さですが、ルネのファンのみなさまには、とても興味のある歌なのではないかと思います。グループサイトを通して、または、このサイトを通してみなさまにもお聴かせできるようにしたいと思っていますのでお楽しみに!


1.6.08

コレクションと思い出4 ソングシート

ルネが「ミドリ色の屋根」と「小さな生命」を歌っていたころ、雑誌の多くには ルネの写真とともにその歌の歌詞が紹介されたいました。スクラップブックにもそのようなソングシートを数多く発見しました。そのいくつかをご覧に入れましょう。

グループサイトに以前紹介していた記事の中から、これらの画像に関した記事も探してみました。いっしょにお楽しみくださいね。


「ミドリ色の屋根」


ルネのこのファッションは、カナダ大使館に招かれた時に着ていたものでもありケベックの空港で東京音楽祭のグランプリのトロフィーを抱えて、お母さんに久しぶりで対面したときにもきていたものです。カナダ大使館に出かけた時には、フランクシナトラ賞でもらった時計もしていました。


この服装に関した記事がグループサイトの「日本でのルネ2」のページにありますので紹介します。




蛇の目傘をさしているルネ。この白のスーツと水玉のシャツを覚えていらっしゃいますか。この服装で、ルネは、カナダ大使館主催の東京音楽祭グランプリとシナトラ賞受賞パーテイに出席しました。そして、ルネがしている腕時計は、シナトラと音楽祭からシナトラ賞の副賞として贈られたものです。音楽祭受賞からケベックの空港にもどってお母さんと対面したときもこの服装でした。これもケーシーさんがアップしたyoutubeの映像でご覧いただけます。


ケベックの空港に到着して、フランクシナトラ賞のトロフィを披露しているルネとお父さん。

「小さな生命」



これは、スター千夜一夜に出演したときに撮られた写真を使ったものです。 スター千夜一夜に出演したときのこと、取材でよく一緒になったアグネスチャンとのことについての記事がグループサイト「日本でのルネ」のページにあります。


Rene and Agnes Chan

ルネとアグネスチャン

and Rene's busy days

そしてルネの忙しい毎日

from japanese magazine article in 1974


ルネの日本活動中は、その当時とても人気のあった香港からの歌手、アグネスチャンと一緒にとった写真、記事などがたくさんありましたね。ここにあるのも、そのような記事のひとつです

ルネは 日本にいるときは、いつも忙しいスケジュールのようでしたが、テレビ出演も多くありました。この記事のなかの画像でも、スタジオでファンの前でうたうルネ の収録の様子が紹介されています。この時のルネの赤いジャンプスーツは、よくおぼえているもののひとつです。ポスターなどにも使われていましたよね。そし て石坂浩二の司会だった「スター千夜一夜」にも、ルネは出演しています。私はこの番組のことをおぼえていないので、覚えている方がいらっしゃったら、どん な話をしていたのか教えていただけたら嬉しいです。


very charming Rene with Agnes Chan !!

かわいすぎるピンクのルネです!かわいー!



モントリオール讃歌 Bienvenue à Montréal

ルネの「モントリオール讃歌」は、1976年のモントリオールオリンピックの公式の歓迎の曲でした。けれども、この曲は、公式の曲でありながらも、あまり使用される事なく終ってしまったようです。

それは、このオリンピックは、準備期間中から予算を大幅にオーバーしたり、オリンピックドームには、後々まで支障があったりという問題が山積されて、そのためにモントリオールの人々の税金が上がったり、日常生活にまで支障がでるようになったりで、人々はオリンピックにうんざりしていたり、怒りをもっていたという状態であったようです。

そのような状況の中で、ルネの作詞したこの歓迎のテーマ曲は、反って人々のオリンピックへの感情を逆撫でするものであるかもしれないという理由などでメデイアが使用する事を好まなかったそうです。


ルネは、この曲を開会式で本当に歌ったのか歌わなかったのかということについては今もはっきりとわかっていません。オリンピックの公式報告書の中には、ルネの歌は、公式の歓迎のテーマ曲という記述はありますが、開会式で歌った記述はありません。


ということで、「モントリオール讃歌」については、まだまだミステリアスな部分があり興味をそそられますが、今回は、私がwikianswersというサイトで、ずいぶん以前に質問していたこの問題について、だれかが応答してくれましたので
そのことについて書いていたデイスカッションエリアからの話を記事として紹介いたします。メンバーのローラさんと私のメッセージのやり取りもご覧下さい。

なお、wikianswersでの今回の答えと同じような内容の記事を以前にcbcのニュースサイトで見つけて、それを記事にしたものを過去に書いていますのでご覧下さい。最後に、その記事にあった英語の雑誌のルネの記事の続きも紹介いたします。ルネが工事中のオリンピックサイトにでかけて、大きな機械を操縦していますよ。

モントリオールオリンピック

グループサイトデイスカッションエリアからの話しから。

私が、6ヶ月以上も前に、wikianswersというサイトに質問していたことについてようやく誰かが答えてくれたました。 質問は、「なぜルネのオリンピックソングは、ボイコットされてしまったのか」でした。 このことについては、「レアな画像」のページの中で、モントリオールオリンピックについてかいた記事の中で
紹介していましたが、wikianswersで答えてくれたことも同じ内容でした。



Why was Rene Simard's Montreal Olympics 1976 theme song boycotted?

According to Sports Illustrated Magazine, March 8, 1976:

"...Canadians have failed to respond to the 'official' Olympic Games welcoming song. Recorded by a teen-age singing sensation named René Simard, whose records usually sell in the hundreds of thousands in Canada, Bienvenue à Montréal (Welcome to Montreal) has been a bomb. Miffed by this is André Morin, whose title is director general of official ceremonies. 'We could sell millions of records,' he says, 'but it must be played over the air. The press and the radio don't want it on the air because of their personal evaluation of the song.'

A Montreal radio station confirms this, but insists that its refusal to play Welcome to Montreal is actually an effort to help the Olympics. The song, it says, is both unimaginative and overpromotional, and because there is so much cynicism already about the Olympics, 'playing the song might turn a lot of people off.'"


日本語訳

Sports Illustrated Magazineという雑誌の1976年3月8日に掲載された記事をそのまま書いてくれました。

****

カナダの人たちは、モントリオールオリンピックの公式ソングに賛同することはありませんでした。 ルネシマールという大変人気のあった10代の歌手がレコーデングしたBienvenue à Montréal (Welcome to Montreal) という曲でした。普通なら、ルネが出したレコードは、とても売れるはずでした。 オリンピックの公式セレモニーのデイレクター、André Morinは、ルネが歌う事でインパクトがあり、この歌をテレビやラジオでたくさん流せば、レコードも大ヒットになり多くの売り上げが期待できる だろうと言っていたのですが、メデイアは、それを拒否したのでした。それは、メデイア側が ルネの歌を嫌っていたからです。

モントリオールのラジオ局では、この話を認めています。 でも、この歌をラジオで流さなかったことで、かえってオリンピックのために貢献したと言っています。 この曲は、よくあるような内容の歌詞で、オリンピックについて宣伝しすぎているような曲であったと 述べています。そして、そのころすでに、(たくさんの問題を抱えていた)オリンピックついて 信頼が失われていた状態でしたから、このような内容の歌をメデイアで流すことは、カナダの人たち(とくにモントリオールの人たち)の 気分を害してしまうかもしれなかったからです。

***

wikianswersのサイトには、新しい質問をしてあります。
「ルネは、オリンピックの開会式もしくは閉会式で歌ったのか」という質問です。だれかが答えてくれることを願っています。


続いて、ローラさんからの応答メッセージ

I also think that at the time, at least from the newspapers' view over here in Ontario was that the Montreal Olympics were causing great scandals in overspending, not finishing on time etc. There was constant criticism of how much the costs were going over budget. There was a real negative attitude towards the Olympics and the high
cost before they even began.

However, once the opening ceremonies took place and with the magic of such amazing performances like those by Nadia Comaneci, there was great excitement and support for these magnificent games. I bet if Rene's song had come out during the Olympics, it would have been more played. I think there is great pride and memories today of the Montreal Olympics.

Best,
Lora
日本語訳

その当時のオンタリオ州の新聞でも、モントリオールオリンピックについて、開催までに工事が 間に合わないというような、たくさんの問題やスキャンダルが 報じられていました。予算も大きくオーバーしていました。 オリンピックに対して本当に否定的な雰囲気があり、そしてゲームが始まる前から多くの費用をかけていました。

でも、いったんオリンピックがはじまってみると、ナデイアコマネチのような選手も現れ オリンピックは、素晴らしいものになりました。もし、ルネの曲がこの大会が始まった後に 公開されていたならきっともっとこの曲がきけたことでしょう。 現在では、モントリオールオリンピックのことをみんな誇りに思っているのでしょう。

ローラ


hi, lora

what you said about the olympics is very truen, and it was wonderful that rene sang a special song for nadia comaneci when she visited montreal once again for the first time after the olympic. chantal hakase shares this video on youtube

オリンピックについてローラさんが言っていることに同感です。 後年になって、ルネがコマネチがオリンピック後に初めてモントリオールにやってきたときに 彼女のために特別な歌をうたってあげたことができたことは、すばらしいことだと思います。 シャンタル博士がそのときのビデオをyoutube で公開しています。

http://www.youtube.com/watch?v=ECdsvA5NWas

おなじくシャンタル博士のビデオ。ルネの曲が開会式で流れている映像です。ニュース映像なのかもしれません。
also chantal hakase's video, rene's song is used for the opening ceremony, might be for the news?

http://www.youtube.com/watch?v=NVhhf5ogxeQ&feature=related

モントリオールの問題を起こしてしまった中心人物、当時のモントリオール市長についてなどのビデオ video about the mayor of montreal city who caused the problems...

http://www.youtube.com/watch?v=L37b3_Q-rC4&feature=related

group news blog site link for the montreal olympic article
グループニュースブログサイトにある関連記事

http://renesimard.blogspot.com/search/label/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%...

「ルネオリンピックに行く」からの記事の続き。以前のオリンピックに関する記事の中で、この雑誌記事の写真1と2と記事の日本語訳を紹介していますのでそれもご覧下さい。



3) 「現場監督が僕のために仕事を一休みして、オリンピックドームをどのように建設しているかを話してくれました。ドームではたくさんのアスリートたちがベストを尽くす事でしょう。監督の説明は、とても素晴らしかったですよ。」

4) 「僕はとても平気なように見えますが、本当はとても怖かったんです。この人がこの大きな機械を操作する人で、僕に機械がどのように動くか見せてくれました。次の写真を注意して見てくださいね。」

5)「僕を見て!おおー神様。。。怖くてしんじゃいそうです。僕が本当にスチームショベルを動かしているんですよ。楽しいですよー。みなさんもいつか動かせるチャンスがあるといいですね!」