25.12.12

京都 平野屋さんへの旅



Joyeux Noël!  Have a Merry Christmas!
ジュワイユー ノエル!メリークリスマス!





今夜はクリスマスイブ(あ、もうクリスマスの25日になってしまっています!) クリスマスだからクリスマスにちなんだルネの情報か歌をとも考えましたが、夏のクリスマスシーズンを過ごす私のここ数日は、ケベックの深い深い雪の中でのクリスマスを夢に見たり、寒い日本で過ごしたかもしれないクリスマスとお正月のことを考えていました。寒い日本、雪。。。ルネ。。。では、この3つに関係したことを書こうと思います。それは、2009年の12月の寒い時期に初めて訪ねた京都の平野屋さんでのこと。平野屋さんには、今年10月に日本に帰った時にも2度目の訪問をさせていただいていましたが、2度目の事は来週あたりに書けたらなと思います。


なぜ平野屋?平野屋さんとは?  ルネのファンのみなさまなら、京都の平野屋と聞けば、どんなところなのかすぐにおわかりになるでしょう。では、念のため、このポスターから。。。



忘れてはいませんでしたか、このポスター?これは、ルネのファーストコンサートのLPアルバムに付録?としてきたものでした。この毛氈が敷かれた縁台でお茶をすするポーズをしているルネ。この撮影がされた場所が京都の奥嵯峨野にある400年続くというお茶屋さん/鮎料理のお店である「平野屋」さんでした。えええ?この写真のルネって。。。この他にも見た事があるわ。。。という皆さんがいらっしゃるでしょう。この時に撮影されたルネの写真は、雑誌、そして日本でのルネのファンクラブ「メープルメイツ」が閉鎖される時に送られて来た「RENE 総集編」の会報の中でも紹介されていました。



 これが「総集編」の会報で2ページ目で紹介されていたルネ。嵯峨野の竹林でヤブ蚊にさされて泣きべそをかいたというエピソードが当時の芸能雑誌平凡または明星で竹林の中のルネの写真といっしょに書かれていましたけど、この写真でもルネが腕を少し掻いていますね。笑。。では、平野屋さんの写真の前にその竹林のルネから見て行きましょう。

 この画像の記事には、こう書かれてあります。

ルネ 京都の休日 「休日を京都観光ですごすルネ。嵯峨野の竹やぶをまわり、念仏寺の無縁仏に手を合わせ、茶店の縁台で日本茶をすする。情緒たっぷりの古都のたたずまいにすっかり見せられた様子。。。。(以下略)」撮影 村田憲治

ここに出て来た「茶店」というのが、今回の記事の「平野屋」さんでした。そしてこの竹やぶのルネのページの後に出ていたのが、この画像。私の大好きなルネの画像の一枚。日本に置いてある記事なのか、それとも持っていないのか。。よくわかりません。スクラップブックには糊づけしていない記事だとは思いますが。(ルネの多くの記事を糊づけしてしまっていたなんて、今考えると信じられません。。。)このとてもきれいに保存されている画像は、「ミドリ色の屋根は永遠にーRene Simard に首ったけ」 のブログを書いていらっしゃるkeiさんにお借りしました。本当に感動の一枚です。keiさんのブログでも、平野屋さんやルネの京都での様子を詳しく書かれていますので、お読みくださいね。keiさんも平野屋さんをたずねていらっしゃるとのことです。「ルネの京都の休日(前編)」
( 後編)


 photo@ミドリ色の屋根は永遠に

とにかくこのルネの画像は、とても印象的でこの当時から京都に行ったら絶対行きたいところという想いがとても強くありました。京都には、日本で仕事をしていたとき、そしてこちらでの仕事の関係で、2年に1度くらいの割合で行くチャンスがあった/あるのですが、仕事での滞在では、奥嵯峨野に足を運ぶということがまったくできませんでした。毎回残念に思っていたので、2009年の12月に初めて四国に一人旅をした帰りに、平野屋さんに出かけてみたいと思ったのでした。それもゆっくりと当時のルネのことを考えながら。

四国の松山を早朝一番の特急に乗って、岡山に到着。そして新幹線で京都へ。京都に降り立ったのは、お昼少し前のこと。雪は降っていませんでしたが、とっても底冷えのする京都でした。帰りの夕方の東京行きの新幹線までの時間までの4、5時間を使って、長年の夢!だった平野屋さんへいざ出発!JR京都駅からJR嵯峨野線で、嵯峨嵐山駅で下車。そのあとバスに5分くらい乗って平野屋さんのすぐ上にある「愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)」に向かいました。(歩くと、30分くらいかかります。)いくらだったか忘れましたけど、安い料金だったと思います。





そして、すぐに平野屋さんへ!とは思ったのですが、せっかく来たので、「愛宕念仏寺」を見学することに。ここには、1981年から始まったという「昭和の羅漢彫り」で、一般の人たちによって彫られたというユニークな羅漢さまがたくさんいました。

では、私が撮った 羅漢さまの写真です。(ルネと平野屋の話は。。。すぐですからね。。。)



 このような羅漢さまを観ていると、大きなカメラを抱えて防寒着できっちりきめた、二人のおじさまが私に話しかけてきました。

二人:一人で来ているの? 

私:はいそうです。

二人: へえ、さみしくないの?

私:いいえ、かえって喜楽で楽しいです。

二人:へえええ。。。そうなんですか。じゃ、写真とってあげましょう。(私のカメラを渡して)ついでに一緒にも撮りましょう。

私:ありがとうございます。。。。

 私とお二人のおじさまのうちのお一人(笑)
(とっても寒そうでしょう。。。)

二人:ここの羅漢さまをよく見てご覧。きっとあなた自身のような羅漢さまがいるはずなんだよ。

私:へえ、そうなんですか。じゃ、探しましょう。



私:いないなあ。。。。。いた!いたいた!あれですよ、私!

二人:どれどれ?



私:これです。猫を抱えている羅漢さま。

二人:苦笑

 私:じゃあ、パートナーも探します。あ、いたいた!これ。あはは!

二人:。。。。


 というわけで、この後も家族に似ている羅漢さまを探すことが続きました。愛宕念仏寺は、それほど大きくないお寺ですが、落ち着いていい感じのところでした。

さて、では、そろそろ本当の目的地である、このお寺のすぐ下にある平野屋さんへと向かうことになったのでしたが。。。大阪からやって来たというこのお二人もいっしょに是非行きたいということになり。。。(えええ。。。できることなら一人で行きたかった。。。でも、嫌だとも言えないし。。。)3人で平野屋さんへ。。。このお二人は、カメラが大好きで、大阪から京都へは度々出かけてくるそうです。お二人ともいい感じのおじさまで、いろいろとお話をしながら平野屋さんへと到着。私たちは、この写真の右側から降りて来ました。茅葺きの屋根に苔が生していい感じですね。



 この写真にいるおじさまは、あの二人のおじさまには、まったく関係のない方です。通りすがりの観光客の男性だったと思います。平野屋さんのお客さまではなくとも、ルネも座ったこの縁台にちょっと座らせていただいて記念写真を撮るという観光客がたくさんいました。ルネが座った記念すべきところなのに。。。まあ、なんともったいないというか気軽な。。。という感じがいたしました。



 私は。。。恐れ多くてすぐにこの縁台に座る事ができませんでした。。。あああ。。。この縁台をじっと見つめて、ルネの座っていたあのかわいらしい姿を想い描くだけでした。。。想い描くといっても、大阪からのおじさま二人と一緒でしたから、それほど長く夢想しているわけには行かず、障子のドアを開けて、すぐのところにある火鉢のある部屋へ。


歴史のある日常品のようなものがたくさん飾られていました。



お二人のおじさま。。。(笑)



本当なら、お昼ご飯を平野屋さんでいただきたかったのですが。。。時間もないし、一緒にいたお二人に悪いので、私もお茶(抹茶)としんこと呼ばれるお団子 などをいただきました。これは、あとで平野屋さんの女将さんにお聞きしたことですが、ルネもこのしんこのお団子を食べたそうです。このお団子に興味のある方は、しんこと呼ばれるお団子のところをクリックすると平野屋さんのサイトにあるお団子についての説明を読むことが出来ます。

そういえば、この時のルネの写真は、ファンクラブ、メープルメイツの1975年用のダイアリーというブックレットがあり、そこにも使われていました。ルネがお茶を注いでいる(ふり?)をして、そのお茶碗のよこにあるのが、たぶん「しんこ」団子だと思います。お団子のねじれ具合が少し見えるような気がします。。。



1975年 メープルメイツダイアリー(3月、4月のページより)


一体ルネのことはどうなっているの。。?と思われていらっしゃることでしょう。。では、肝心なルネのことについて。




 平野屋さんの女将さん
(2009年12月)

せっかく平野屋さんに来たので、恥ずかしいけれど、必ずルネのことを少しお話したいと思っていました。このお団子などを持って来て下さった女性に、女将さんとお目にかかりたいということをお話しました。そのあと、女将さんがやって来てくれて、勇気を出して「実は私が平野屋さんに来てみたかったのは、ルネシマールという人のファンなので。。。以下略」というお話に耳を傾けていただいたのでした。忙しいのに、女将さんは、とても親切にお話を聞いて下さって、私は、まるでルネに会ったかのように胸がいっぱいになってしまったのでした。すぐ横では、あの二人のおじさまが、興味深そうにというかわけがわからないというか。。。そんな感じで私たちの話を聞かされていました。

女将さんのお話によると、私のようなルネのファンが時々やってくることがあるそうです。私で3人か4人目とおっしゃっていました。でも私のような長話はしていないと思うのですけど。。。あのルネが座っていた縁台を見て、胸がいっぱいになり泣いてしまったというファンもいたそうです。「ルネってすごいんですね!もうすごく昔のことなのに、まだこれほど思われているなんて。。。平野屋のことをこうして今も思っていてくれるのは、本当に感謝です。」というのが女将さんのお言葉でした。

私:ルネのこと、まだ覚えていらっしゃいますか。

女将さん:ルネさんが(女将さんは、いつもルネさんとルネのことを呼んで下さっていました)撮影で来られた時のことは、細かなことは覚えていませんけど、 ルネさんがとっても可愛らしかったことを覚えています。




あの時は、この平野屋の暖簾(ルネの撮影の時の暖簾は、夏だったので、麻の暖簾でした) の背後でルネさんの撮影の様子をじっと見させてもらっていたんです。とっても可愛くて、着物がよく似合っていて。。。

私:平野屋さんでのルネの写真には、着物姿の女性がいたんですが、あの方はその当時の女将さんでしょうか。

女将さん:えーと。。。あの撮影の後、確かその記事が載った雑誌をいただいていたんですけど、どこへやってしまったのか、もうないので、よく分からないんですけど。。。

私:確か、40代後半か、50代前半ぐらいの女性でした。(この時、私のiphoneには、この画像があったにもかかわらず、そのことをまったく忘れていて、女将さんにお見せできないままでお話していました。。。)

女将さん:ああ。。。もしかしたら、私の母だったかもしれません。

私:ええ!そうなんですか。じゃあ、帰ったらさっそくこの画像をお送りいたします。

女将さん:ありがとうございます。

というようなお話をすることができました。平野屋さんの後、ルネも訪れた「化野念仏寺」にも行く予定でしたから、忙しい合間をぬってお話相手をしていただいた女将さんとお分かれする時間に。そして、ルネの座った縁台のところで、写真を一緒に撮りましょうということになり。。。


女将さんと私(猫の羅漢の顔をお借りしています)女将さんには、このブログで紹介することを承諾いただいています。

この写真を撮っていただいたのは、お二人のおじさまのうちの一人。この写真に写っているデイパックは、たぶんそのおじさまのものだったと思われます。。。(なにもルネが座った縁台のすぐそばに置かなくとも。。。笑)こうして見ると、ルネが座ったところから少しずれて座ってしまっていたようです。。。そして、ルネが座っていたときの画像と見比べてみると、ルネがいかに小ちゃかったかということがよく分かります。もっとも私は、平均的日本人と比べて、「大きい/身長がある」体格ですから、そう思うのかもしれませんけど。。。!

この後、女将さんとは、名前と連絡先の交換をして、握手とハグをしてお分かれし(女将さんがまるでルネのようでした!)、またの訪問をお約束をして、おじさまたちと化野念仏寺方面に足を向けました。


このあたりは、「嵯峨野鳥居本伝統的建造物群保存地区」となっているそうで、平野屋さんから嵯峨野駅までの道筋をゆっくりと歩くのは、気持ちがよかったです。貸し自転車もあるようですが、ルネの歌を聴きながら、嵯峨野駅から、胸をドキドキさせて平野屋さんへの散歩をするのがいいなと思います。そして、ゆっくりと一人で平野屋さんで、おいしいお豆腐と鮎の懐石料理をいただく。。。いいでしょう!?


京都には、この翌年2010年の7月にも仕事で出かけましたが、やはり奥嵯峨野まで足を伸ばすことができず、ゆっくり一人で、平野屋さんを訪問し、お昼ご飯をいただくことができたのが、今年の10月でした。紅葉には、まだ早くて、残暑?が残る暑い一日でした。そして、女将さんとの再会。お話もたくさんすることが出来ました。このお話は、化野念仏寺でのことと一緒に、次回ということにいたします。




4年前に、グループブログの一周年を記念して「ロッテ歌のアルバム」にルネが出演して歌っていたものをカセットテープに録っておいたものをスライドショーと一緒にyoutubeにアップしたものです。ルネの日本語は、やはりとてもはっきりしていてきれいです。


フェイスブックでお話するケベックのルネファンによると、ケベックは今、雪が降り続けていてすごく寒いそうです。ルネは、その雪の中、家族とどのようにクリスマスの準備をして過ごしているのでしょうか。いろいろなプロジェクトを抱えていて忙しいということを聞いていますが、クリスマスのホリデーはどんなことがあっても家族と過ごすのがきっとルネでしょう。もっともクリスマスは、欧米の人にとっては、お正月のように家族でゆっくりと過ごす大切な時間というように扱われますから、これはルネだけに特別なことではないと思います。

クリスマスプレゼントも、日本の「お歳暮」的な感じで、今年お世話になった知人、友人、そしてもちろん家族へも贈り物をするという感じです。少なくともニュージーランドのクリスマスの贈り物はそのようであると思います。

そして、おいしいクリスマスランチ。大好きなのはデザートのスチームドプデイングというケーキ。ラム酒につけ込んだドライフルーツをいれたケーキ。長い時間をかけて味をつけ、そして長い時間をかけて蒸して完成させ、冷たいバニラクリームとクリーム(泡立てる前の生クリーム)カスタードクリームをたっぷりかけていただく。。。うーん。。まちきれません。




では、みなさま、メリークリスマス! ジュワイユー ノエル!


riko auckland

16.12.12

フェイスブックでの奇跡 道上さんとロメオ




フェイスブックでの奇跡


今週は、週末になる直前にフェイスブックで起きた「奇跡」についてお話をいたしましょう。その「奇跡」は、二つ。ここで言う「奇跡」とは、思ってもいなかったことが起きたという意味の奇跡と、そしてとても嬉しいことが起きたという意味の奇跡です。


一つ目の奇跡は、まさに「大奇跡」です。それは、ルネが来日していた1974、75年にルネの通訳をしていた道上さんと連絡が取れたこと。しかも、その道上さんが、ルネのお話をしているファンの様子を知りたいと言って、私たちのフェイスブックでのグループ「ルネシマール」と Passion Rene Simard Au Japon, そして Club Rene Simard, ジゼルさんたちのPassion Rene, Nathalie, Regis Simardのグループに入って下さったこと。そして、ジゼルさんやルネの現在のマネージャーのクロデイーヌさんを通して、ルネと連絡をとりあいたいということにもなりました。「ルネシマール」では、もう私たちと少しずつお話をしていただいています。ルネといつも一緒にいられた道上さんと直接お話できるようになったことは、いかに私たちを夢のような気持ちにさせてくれていることか、ルネファンのみなさまには想像がつくことと思います。


では、その奇跡について、懐かしい「スーパーアイドルルネ」からのルネと道上さんの画像を見ながらお話していきましょう。「   」の中にあるのは、本に書かれてあるその記事の説明です。


 
 「せんだみつお氏は、もうルネのお友だち」

1974年7月10日 午後3時30分 銀座テレサG入り。午後5時「ぎんざNOW」出演。


 道上さんがルネと再会できたのは、21年前のことで、そのときは、大感動の出会いをしたそうです。ルネとは兄弟のような仲だったそうで、現在のルネに連絡をとれるのをとても喜ばれていました。


スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号 昭和49年9月1日発行第一巻第6号 発行所 ケイブンシャ (定価650円)


でも、これが、ファイスブックでの「奇跡 」?と思われる事でしょう。その「奇跡」の始まりは、「ルネシマール」のメンバー、Mさんとのおしゃべりからでした。最初に話していことは、Mさんがシェアした気になるお店の記事。そしてそこに置いてあった伊丹十三記念館の本のことに。私が、数年前に四国の松山にあるこの伊丹十三記念館 に出かけていたことから、さらに伊丹十三氏の話になり、伊丹氏が司会をしていた番組にルネが出た事、その時ルネと楽しくおしゃべりをフランス語でしていたお話につながって行きました。そしてそこから道上さんのお話に展開!今道上さんは。。。?ということになりました。では、要約して私たちの会話をご紹介しましょう。



伊丹十三記念館を訪れた際に買い求めた、この話の中で話題になった本「伊丹十三記念館ガイドブック」



 記念館で購入した伊丹十三氏の絵はがき。愛猫「こがね丸」と。


記念館入り口
 記念館入場チケット



Mさん:えええ、ルネと伊丹十三さんって 会った事があったんですか。

私:はい、「三時に会いましょう」という番組にルネが出演した時に、司会をされていた  方が伊丹十三さんでした。

Mさん:その画像がありますか。

私:はい、「スーパーアイドルルネ」というルネを特集した雑誌のなかに、通訳の道上さんが「日本のルネシマール 完全スケジュール 同行記」というタイトルでルネが最初に来日したときの様子を書いていて、そこに伊丹さんとルネの画像がでています。まっててくださいね。さがします。

これです。


 「伊丹十三氏と、話はつきません。」



私:そ してそのときの事が同行記のなかで、こう書かれてあります。

(1974年)7月3日午後3時。TBS「三時にあいましょう」に出演。 「日本には、英語が話せたり、理解す る人はたくさんいます。でも、フランス語となると、とても少ないのです。TBSのスタジオで、フランス通の伊丹十三さんと会った時には、まるで友だちのよ うに楽しげに話し合っていました。」

 Mさん:わあ、「話はつきません」と書いてありますね。伊丹さんは、フランス語は話せるだけではなくて、フランス通でもあったんですね。やはりただものではない!

「 三時に会いましょうのリハーサル」




 私:この写真の真ん中の方が道上さんです。伊丹さんとすごくよく似ていますよね。身長、ファッションセンスそして髪型まで!

Mさん:ああ、最初見た時、(伊丹さんと道上さんを)まちがえてしまいました!Rikoさん、通訳の道上さんて。。。もしや。。。。の道上さんではありませんか?

私:ええ、そうなんですか。ちょっと調べてみましょう。。。ああああ!ええええ!そうかもしれません。。。ぜったいこの道上さんですよ。

Mさん:人ってどこかでつながっているんですね。すごい発見です。探偵気分!


という二人のおしゃべりのあと、早速フェイスブックに参加されているかどうかチェック。そして、いた!ということになり、お友達リクエスト、そしてプライベートメッセージをお送りいたしました。そして翌日お返事があり、お友達の承認もしていただきました。そしてルネの通訳をされていたこともお話してくださり、「懐かしいですね!」「ルネシマール」のグループページでは、私たちがいまだにルネのファンで、思い出を話したり現在のルネの様子をみたり、応援していることを「素晴らしい」とコメントしていただきました。

道上さんは、東京に在住、ビジネスをしていらっしゃるそうなので、一度、ルネファンのみなさんと集まってお話会のようなことを楽しくできたらいいですねとお話しています。私が日本に行く時まで待っていて下さるそうです。(嬉しい!)



 「銀座通りで。隣は、川添象郎氏」
道上さんは、向かって右側 の長身の方。


この後は、ジゼルさんや、ローラさん、ジョセフ君、日本のルネのファンのお友達にも道上さんを紹介して、今はみな「お友達同士」 になりました!現在の道上さんを見つけたこと、ジゼルさんは、きっとルネが知ったらとっても喜ぶだろうとジゼルさん自身もとても嬉しい様子でした。


 「ルネはいたずらっ子 出番を待つ間、ルネは、テレビスタジオの中を飛び回ります。通訳の道上君に、かかえられて、その自尊心が爆発!」


 「ブルースリーもビックリ!見事なキックです。」ルネは、この「ブルースリーキック」をパリでも東京でもしていたのですね!




ルネと遊園地 「何度乗ってもあきないジェットコースターや、電気の自動車に、ルネは夢中です。係のおじさんもルネのために、長い時間機械を動かしてくれました。」

1974年7月7日(日)豊島園のジェットコースター。道上さんもルネとクロデイーヌの後ろにいます。


1974年7月7日(日) 豊島園(この後ルネ一行は、横浜ドリームランドへも)ルネの後ろを歩く道上さん。



 こうして、ケベックのファン、英語圏のファン、日本のファン、ルネ本人さえも、このフェイスブックのルネファンの集まりを通して、みんなで懐かしい方や、直接お話することなど考えられもしなかった方たちなどと思い出や現在のこと、ルネに関係のない事でもお話をシェアできるということは、38年前、いえ、つい数年前であっても考えられない ことだったと思います。お互いに、年を重ねて来たから、そして38年も前のことだから、なつかしく話せるというより、「今話さなくてどうするの!」という貴重な思い出になりつつあるのかも知れません。



「ファンの中でルネはもみくちゃ」

1974年7月14日(日)午後7時45分、カナダ太平洋航空機にてルネ離陸。ここにもルネのそばには、道上さんの姿が。

ケベックのルネファンのマリエルさんとルネの日本での時間についてお話することがあります。マリエルさんによると、ルネが日本に持って行ったバッグの数は、20数個だったのに、ケベックに戻ってくる時には、おみやげが多くて、バッグが60数個にも増えていたのだそうです。マリエルさんは、「日本の人ってとても気前がいいのね!」と言っていました。


 もう一つの奇跡

あと一つの奇跡は、先週の記事にも書いていた、パリでのルネのお友達、ロメオくん。1973−1976年の間、稀だと言われる「ボーイバリトン」声で、ゴールデンボイスと呼ばれ、人気者になったそうです。だから、先週お話していたように、「ボーイソプラノ」のルネの声よりもずっと低い声だったのですね。では、奇跡とは? そうです!もう想像がついたかもしれませんが、このロメオ君とローラさんが、お友達になりました。先週の記事をロメオ君にローラさんが紹介したことがきっかけだったようです。そして、私にもプライベートメッセージを書いてくれました。それは、「僕のことを、ブログに書いて下さって、ありがとう。ルネとは、いい思い出がたくさんあります。」というような内容でした。ルネとの思い出にはどんなことがあったのか、簡単な事でも教えていただけたらなあと思っていますが。。。お友達の承認をまだいただいていませんので、これは実現が可能か不明です。

先週紹介していたリンクに、ロメオ君のベストアルバムCDがありましたが、このアルバムの紹介記事(英文)がPDFファイルになっているものを見つけました。


 

 Alpha records com(PDFファイル)


ロメオくんが歌手としてデビューするまでの話なども含まれ大変興味をそそがれる内容です。記事を訳してみると。。。


「1973年から76年にかけて、ロメオはフランスで最も人気のある少年歌手だった。本名のGeorges Brizeは、「黄金の声を持った子供」というぴったりのニックネームが付いた。彼の曲は、みな大ヒットし、フランス中のラジオ局やテレビ局でも放送された。彼のファーストアルバム「Maman」は、発売後、数週間のうちに90万枚を売り上げ、ロメオの出したレコードは、合計400万枚以上もの売り上げの記録を出した。

ロメオがどのように見いだされたのかという話は、おとぎ話のようでもある。一番ロマンチックなストーリーは、こうである。

ロメオの両親は、リヨンの近くにあるSaint-Georges de Reneinsという小さな街で、食事と宿泊を提供するカントリーインを経営していた。ロメオがこの付近で遊んでいた時に、車で通りすがった一人の男性がいた。その男性は、タイヤがパンクしてしまい、タイヤを交換しなければならなくなり、汚れた手を洗うために、遊んでいたロメオに手を洗える場所を尋ねた。ロメオは、両親の経営するカントリーインにその男性を連れて行き、そのあと、インのお客さんのために歌を歌い始めた。ロメオは、4才の頃からこうして歌を歌ってきたのである。その歌声を聴いた男性は、すぐに知り合いのレコードプロデユーサーに連絡をとり、ロメオの歌をレコーデングするように頼んだ。

この男性は、その当時フランスでヒットを飛ばしていた最も人気のある歌手Shielaの親しい友人だったのである。そして彼が連絡をとったレコードプロデユーサーは、70年代を通して、フランスの音楽界でもっとも影響力を持っていた会社の(Carrère レコードの創立者であるClaude Carrèreだったのだ。

1976年、ロメオは、勉強に集中して学業を終了できるようにという理由で音楽界からの引退を発表しました。人々は悲しみましたが、ロメオの願いを理解しました。」

Romeo はステージネームで、本名はGeorges Briz. 1961年1月29日生まれ


うーん、そうだったんですか。多くのサイトには、声変わりのために引退と書いてある事が多いようでしたけど、声変わりのためだけでもなかったのかもしれませんね。   フランス語wikiには、声変わりのためと書かれているようです。そして現在は、翻訳/通訳/ジャーナリストという職業についているとか。フェイスブックでお訊きしてみましょうか。。。でも先週紹介しましたように、最近また歌を歌っているようです。「僕の新しい歌をほめていただいてありがとう」とも言われていましたから。



ロメオ君の 歌った曲目、アルバムなどの詳しいリストは、以下のサイトで見る事ができます。

BCSD(The Boy Choir & Soloist Directory)
 



 現在のロメオくんを見たい方は、こちらのサイトへどうぞ



道上さんとロメオ君へ、この場をお借りしてまた、改めて、お礼を申し上げたいと思います。


ありがとうございます!道上さま 

Merci Beaucoup, Romeo!






10.12.12

ローラさんのルネとロメオ Lora's Rene & Romeo


 今週末から「夏休み」に入った私は、この2、3日、古くからのルネファンの友人ローラさんと一日中!と言ってもいいぐらい、フェイスブックのウオールや、プライベートメッセージなどでお話しています。ローラさんは、このブログの過去の記事でも度々その名前が出てきましたが、ルネがトロントで活動していた76、77年頃にルネととても仲良くしていたというファンの方です。Passion ルネシマール Au Japonのメンバーとしても、2005年頃から活動しています。youtube にもskfanincan  という名前で、沢山のルネに関するビデオを紹介していたり、スライドショーを制作しています。

since my 'summer holiday' has started, I've been spending a lot of time talking with Lora on facebook. You should know who Lora is by now as I have often mentioned her and her Rene collection and youtube videos in this blog.  Lora is a member of Passion Rene Simard Au Japon and we've known each other since around 2005.  Lora has been a so lucky girl who got to know Rene well during the time Rene was actively working in Toronto 1976-77. She has created a lot of rene slide shows and sharing on youtube with a name 'skfanincan'.

ということで、今週は、そのローラさんとのお話しの内容やローラさんがシェアしてくれた画像などを紹介したいと思います。ローラさんは、フェイスブックに参加されていないルネファンのためにこのグループブログでも紹介してほしいと希望されています。

 This week article is a little bit about what Lora and I have talked for the last few days. It is about Rene and Romeo in France 1974-75.  Lora kindly suggested me to share her rene clipping from France on this group blog for people who haven't joined in our Rene Simard Fan circle on facebook yet.



Thank you to our Lora!


 フランスでのルネ Rene in France

ローラさんの手元には、まだpassion simardでも取り上げられていないルネの画像がありました。たくさんあるのですが、その中でもルネが日本とパリを行き来していた74、75年ぐらいの時の雑誌の記事がとても興味深いです。これは、ローラさんが知り合ったフランスのルネのファンだった女性から譲っていただいたものだそうです。はじめて見た時、ローラさんは、「えええええええ!なんてことをしているのだろう!」と思ったそうです私もそうでした!「えええええ!」。。。では。。。その画像をお見せいたしましょう。

The clippings Lora has shared are rare that I didn't see even in Passion Simard collection.  Especially it is very interesting to see the ones from 1974, 75 when Rene was 'commuting' to Japan. Lora obtained the following ones from Rene's fan in France.  "Ahhhhh! What!!??" ...was Lora's reaction when she first saw this 'naughty' smoking Rene's photo. My reaction was the same ..."Ahhhhh, Rene is smoking!?"

ルネとロメオ 1975年 7月 パリで
Romeo & Rene in Paris, July 1975 


なんと!ルネが同じ年ぐらいの不良少年といっしょにタバコ!えええええ!これは一体。。。どういうこと!?しかも、堂々と雑誌の写真を載せてしまっているのって。。。


でも。。よーく見てみると。。。タバコの形をしたチョコレートだったのです!そういえば、子供の頃、こんなチョコレートが日本でも売られていて、ルネと同じように、いかにも「タバコが旨い」というようなポーズを決めていたような記憶もあります。

but it was 'chocolate' cigarette Rene was 'smoking'! I think this kind of chocolate was sold in Japan also around the same time, and I might have had the same 'cigarette' moments as Rene and Romeo!

でも、ルネと一緒にいる「ロメオ」(Romeo)  って一体誰?ロメオくんは、その頃、ルネと同じようにフランスで人気のあった少年歌手だそうです。ルネとの共通点は、少年歌手という他に、二人のレコードは同じレコード会社「Carrere」から出ていたこと。

So who is Romeo? He was a very popular boy singer like Rene around 70s as Rene.  His records were released from Carrere, the same record company as Rene.

このサイトで、ロメオくんのベストCDに入っている70年代の曲を全曲少しだけ聴くことができます。ロメオくんの曲は、現在でもitunesで購入することもできるそうです。ルネの曲も、いつかitunesで購入が可能になるといいのですけど!

You can check Romeo's best album in the following site.  Lora says you can purchase this album on itunes store as well as this site.  Wish one day soon, we will be able to purchase Rene's songs on itunes!





ルネが74年、75年ごろにフランスで出したレコード。下にあるのがロメオくんのレコード。一番右にあるルネのレコードジャケットMaman, laisse-moi sortir ce soir)とすぐ下にあるロメオくんのレコードジャケットは、とっても似ているとローラさんと話していました。 彼の声は、ルネよりずっと低い声のようです。ローラさんいわく、ルネのお兄さんのレジスの声に良く似ている!私も同感です。では、歌っているロメオくんを見てみましょう。 

Rene's records released in France around 74 and 75, also Romeo's.  Those record jacket layout are very similar to each other, the last ones especially.  Romeo's voice is lower than Rene and Lora thinks Romeo does sound like Rene's one year older brother, Regis.


romeo juste un petit baiser (youtube)



Romeo - Ecoute (youtube)

大人になったロメオ 'mature adult Romeo'
落ち着いたいい声で歌っています。 

 この歌は ルネの妹ナタリーがデビューして間もない頃のアルバム Nathalie chante pour ses amis (1980)の中でも歌っている曲です。Nathalie, Rene's younger sister also sang this song in this album that she released in 1980.



 実際のナタリーの歌は、シャンタル博士のサイトリンクから聴くことができます。You can listen to  Nathalie's song on this site.





この記事の画像を見てみると、ルネは、友人を得て、とっても元気にいろいろなことを楽しんでいるようにも見えます。では、二人がどのようなことをしていたのか、見ていきましょう。 

Rene and Romeo looks like having a lot of fun doing variety of things around Paris.


だれかに電話?「アロー!」もしかすると電話の相手は、ルネが大好きで、パリのいろいろな場所に一緒に出かけていたという、年上のイザベルという女の子かもしれませんね。ローラさんの話では、ルネは、きっとブロンドの女の子に惹かれることが多いとか!そういえば、奥さんのマリージョセもブロンドですね。

Who is Rene calling to? " Allô ?"  It could have been Isabel that Rene adoresIt was said Rene spent a lot of time with her while he was in Paris. Lora says that Rene tended to prefer 'blonde' girls.  Marie-Josee, his wife, also 'blonde'! 
 

イザベルに電話した後は。。。そうだ!ブルースリーの映画へ行こう!映画のポスターの前でブルースリー並みのキックを披露するルネ。日本でお父さん相手に柔道を繰り広げていたルネを思い出します。

After talking with Isabel (only guessing!) "Oh yes! let's go see Bruce Lee film!" Rene's kicking does remind us of Bruce Lee...!  While in Japan, Rene also tried 'Judo' against his father Jean Rock Simard!
 

  映画の後は、食事。レストランへ!何を食べようかな。。。僕の好きなラザニアか。。チキンサンドイッチはあるかな?(私の勝手な想像です。)

"It's a meal time after the film! What shall I eat...  do they have my favorite lasagna or  chicken sandwiches?" (again, I am only guessing what Rene has thought...)

食事が終わったら。。。そうだ!パスポート写真を撮ろう!また日本に行くから、余分にパスポート写真を持っていた方がいいからね。(これも勝手な想像をしております。)よく見てみると。。。ロメオくんと二人で撮ってあるようですね。今ならもっとルネは、プリクラなども楽しめたでしょうに。

次は買い物!


そしてテイータイム。日本のファンに手紙を書こう!

 それから、レコードの打ち合わせ?



では、ルネがフランスで出していた曲を少し聴いてみましょう。



 maman, laisse moi sortir ce soir
(ママ、今夜遊びに出かけてもいい?)1975



この画像は、以前にお話したことがある私たちがしていた手作りのルネのファンクラブ「ボンジュールルネ」の会誌第2号(1978年7月号)のあるページ。このページの上のほうにあるのは、そのころルネの事務所がしていた英語でのルネシマールファンクラブに入会したときのルネからの「ようこそ」というようなメッセージの最後の部分。これは、ルネの手書きのものですが、もちろん印刷されてあったものでした。そして下の部分にあるのは、そのファンクラブから送られて来たこれまでのルネについてのお話の部分の日本語訳をしたもの。この始めの頃に、フランスでのルネのことが少し書かれていたことを思い出したので、この画像を紹介いたしました。日本を離れて、ロサンゼルスで英語やダンスを勉強していたり、全米進出をめざし、有名なテレビショーに出ていたことも紹介されていいます。それにしても、このルネは、かわいらしいと思います。これは、たぶん旺文社の学習雑誌にでていたルネのように思いますけど。「ママ、今夜遊びにいってもいい?」という曲は、フランスで、ゴールドレコードという賞に輝いたと書かれています。

ところで、フランスにもルネのファンクラブがあったそうです。ローラさんにこれらの切り抜きなどを譲ってくれた女性もファンクラブに入っていた人だったそうです。最初の頃の名前はフランス語だったそうですが、そのあとは、Club Rene Simardという名前だったとローラさんは、聞いているそうです。Club Rene Simardと言えば、フェイスブックには、この名前のルネのファングループもあるんです。Passion Simard は、やく2千人ぐらいだったと思いますが、このClub Rene Simard は、350人ほど。アメリカやカナダの英語圏のファンも多いようです。なぜか最近、何の連絡もないままに、このグループの代表のうちの3人のうちの1人に昇進?させていただいたようで驚いています。



その他の曲は。。。


la monde de walt disney ウオルトデイズニーの世界(1974)


Merci ma chance チャンスをありがとう(1974)
これは、「ウオルトデイズニーの世界」のB面の曲でした。


Les petites filles modeles (girls models) (1974)




une maman c'est toi (mother is you) (1974)
この歌が、les petites filles modelesのB面だったと思います。


最後に、ロメオくんとルネが、1974年の3月には、もうお友達でいたことを示す新聞?と雑誌の切り抜き画像です。ローラさんも言っていたように、ルネは、74年の始め頃から頻繁にフランスに出かけていたのですね。そして6月には、日本。第3回東京音楽祭。この年の12月3日に、パリのオリンピア劇場で、Daniel Guichardのコンサートの最初のパートでルネがステージに立ったのです。

まずは、オリンピア劇場で歌うルネの画像から。



 Daniel Guichardと


オリンピア劇場のルネの名前


ロメオくんの記事


ルネの記事



ルネが日本とフランスを忙しく駆け回っていたことは知っていましたが、この記事で紹介したローラさんがフランスから取り寄せたという画像を見るまでは、ルネが実際にフランスでどのような様子でいたのか知ることはできませんでした。38年も!!昔むかしのことなのに、38年後にこのルネの様子が分かったということが嬉しくて仕方がありません。ローラさんもフランスでの記事をとても興奮してしまって、二人で夢中でお話しました。ルネのフランスでの画像は、もう少しあるそうなので、ローラさんがそれを見つけたらご紹介したいと思います。


では、フランス パリのルネを楽しんでいただけましたように!