フェイスブックでの奇跡
今週は、週末になる直前にフェイスブックで起きた「奇跡」についてお話をいたしましょう。その「奇跡」は、二つ。ここで言う「奇跡」とは、思ってもいなかったことが起きたという意味の奇跡と、そしてとても嬉しいことが起きたという意味の奇跡です。
一つ目の奇跡は、まさに「大奇跡」です。それは、ルネが来日していた1974、75年にルネの通訳をしていた道上さんと連絡が取れたこと。しかも、その道上さんが、ルネのお話をしているファンの様子を知りたいと言って、私たちのフェイスブックでのグループ「ルネシマール」と Passion Rene Simard Au Japon, そして Club Rene Simard, ジゼルさんたちのPassion Rene, Nathalie, Regis Simardのグループに入って下さったこと。そして、ジゼルさんやルネの現在のマネージャーのクロデイーヌさんを通して、ルネと連絡をとりあいたいということにもなりました。「ルネシマール」では、もう私たちと少しずつお話をしていただいています。ルネといつも一緒にいられた道上さんと直接お話できるようになったことは、いかに私たちを夢のような気持ちにさせてくれていることか、ルネファンのみなさまには想像がつくことと思います。
では、その奇跡について、懐かしい「スーパーアイドルルネ」からのルネと道上さんの画像を見ながらお話していきましょう。「 」の中にあるのは、本に書かれてあるその記事の説明です。
「せんだみつお氏は、もうルネのお友だち」
1974年7月10日 午後3時30分 銀座テレサG入り。午後5時「ぎんざNOW」出演。
道上さんがルネと再会できたのは、21年前のことで、そのときは、大感動の出会いをしたそうです。ルネとは兄弟のような仲だったそうで、現在のルネに連絡をとれるのをとても喜ばれていました。
スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号 昭和49年9月1日発行第一巻第6号 発行所 ケイブンシャ (定価650円)
でも、これが、ファイスブックでの「奇跡 」?と思われる事でしょう。その「奇跡」の始まりは、「ルネシマール」のメンバー、Mさんとのおしゃべりからでした。最初に話していことは、Mさんがシェアした気になるお店の記事。そしてそこに置いてあった伊丹十三記念館の本のことに。私が、数年前に四国の松山にあるこの伊丹十三記念館 に出かけていたことから、さらに伊丹十三氏の話になり、伊丹氏が司会をしていた番組にルネが出た事、その時ルネと楽しくおしゃべりをフランス語でしていたお話につながって行きました。そしてそこから道上さんのお話に展開!今道上さんは。。。?ということになりました。では、要約して私たちの会話をご紹介しましょう。
伊丹十三記念館を訪れた際に買い求めた、この話の中で話題になった本「伊丹十三記念館ガイドブック」
記念館で購入した伊丹十三氏の絵はがき。愛猫「こがね丸」と。
記念館入り口
記念館入場チケット
Mさん:えええ、ルネと伊丹十三さんって 会った事があったんですか。
私:はい、「三時に会いましょう」という番組にルネが出演した時に、司会をされていた 方が伊丹十三さんでした。
Mさん:その画像がありますか。
私:はい、「スーパーアイドルルネ」というルネを特集した雑誌のなかに、通訳の道上さんが「日本のルネシマール 完全スケジュール 同行記」というタイトルでルネが最初に来日したときの様子を書いていて、そこに伊丹さんとルネの画像がでています。まっててくださいね。さがします。
これです。
「伊丹十三氏と、話はつきません。」
私:そ してそのときの事が同行記のなかで、こう書かれてあります。
(1974年)7月3日午後3時。TBS「三時にあいましょう」に出演。 「日本には、英語が話せたり、理解す る人はたくさんいます。でも、フランス語となると、とても少ないのです。TBSのスタジオで、フランス通の伊丹十三さんと会った時には、まるで友だちのよ うに楽しげに話し合っていました。」
Mさん:わあ、「話はつきません」と書いてありますね。伊丹さんは、フランス語は話せるだけではなくて、フランス通でもあったんですね。やはりただものではない!
私:この写真の真ん中の方が道上さんです。伊丹さんとすごくよく似ていますよね。身長、ファッションセンスそして髪型まで!
Mさん:ああ、最初見た時、(伊丹さんと道上さんを)まちがえてしまいました!Rikoさん、通訳の道上さんて。。。もしや。。。。の道上さんではありませんか?
私:ええ、そうなんですか。ちょっと調べてみましょう。。。ああああ!ええええ!そうかもしれません。。。ぜったいこの道上さんですよ。
Mさん:人ってどこかでつながっているんですね。すごい発見です。探偵気分!
という二人のおしゃべりのあと、早速フェイスブックに参加されているかどうかチェック。そして、いた!ということになり、お友達リクエスト、そしてプライベートメッセージをお送りいたしました。そして翌日お返事があり、お友達の承認もしていただきました。そしてルネの通訳をされていたこともお話してくださり、「懐かしいですね!」「ルネシマール」のグループページでは、私たちがいまだにルネのファンで、思い出を話したり現在のルネの様子をみたり、応援していることを「素晴らしい」とコメントしていただきました。
道上さんは、東京に在住、ビジネスをしていらっしゃるそうなので、一度、ルネファンのみなさんと集まってお話会のようなことを楽しくできたらいいですねとお話しています。私が日本に行く時まで待っていて下さるそうです。(嬉しい!)
「銀座通りで。隣は、川添象郎氏」
道上さんは、向かって右側 の長身の方。
この後は、ジゼルさんや、ローラさん、ジョセフ君、日本のルネのファンのお友達にも道上さんを紹介して、今はみな「お友達同士」 になりました!現在の道上さんを見つけたこと、ジゼルさんは、きっとルネが知ったらとっても喜ぶだろうとジゼルさん自身もとても嬉しい様子でした。
「ルネはいたずらっ子 出番を待つ間、ルネは、テレビスタジオの中を飛び回ります。通訳の道上君に、かかえられて、その自尊心が爆発!」
「ブルースリーもビックリ!見事なキックです。」ルネは、この「ブルースリーキック」をパリでも東京でもしていたのですね!
ルネと遊園地 「何度乗ってもあきないジェットコースターや、電気の自動車に、ルネは夢中です。係のおじさんもルネのために、長い時間機械を動かしてくれました。」
1974年7月7日(日)豊島園のジェットコースター。道上さんもルネとクロデイーヌの後ろにいます。
1974年7月7日(日) 豊島園(この後ルネ一行は、横浜ドリームランドへも)ルネの後ろを歩く道上さん。
こうして、ケベックのファン、英語圏のファン、日本のファン、ルネ本人さえも、このフェイスブックのルネファンの集まりを通して、みんなで懐かしい方や、直接お話することなど考えられもしなかった方たちなどと思い出や現在のこと、ルネに関係のない事でもお話をシェアできるということは、38年前、いえ、つい数年前であっても考えられない ことだったと思います。お互いに、年を重ねて来たから、そして38年も前のことだから、なつかしく話せるというより、「今話さなくてどうするの!」という貴重な思い出になりつつあるのかも知れません。
「ファンの中でルネはもみくちゃ」
1974年7月14日(日)午後7時45分、カナダ太平洋航空機にてルネ離陸。ここにもルネのそばには、道上さんの姿が。
ケベックのルネファンのマリエルさんとルネの日本での時間についてお話することがあります。マリエルさんによると、ルネが日本に持って行ったバッグの数は、20数個だったのに、ケベックに戻ってくる時には、おみやげが多くて、バッグが60数個にも増えていたのだそうです。マリエルさんは、「日本の人ってとても気前がいいのね!」と言っていました。
ケベックのルネファンのマリエルさんとルネの日本での時間についてお話することがあります。マリエルさんによると、ルネが日本に持って行ったバッグの数は、20数個だったのに、ケベックに戻ってくる時には、おみやげが多くて、バッグが60数個にも増えていたのだそうです。マリエルさんは、「日本の人ってとても気前がいいのね!」と言っていました。
もう一つの奇跡
あと一つの奇跡は、先週の記事にも書いていた、パリでのルネのお友達、ロメオくん。1973−1976年の間、稀だと言われる「ボーイバリトン」声で、ゴールデンボイスと呼ばれ、人気者になったそうです。だから、先週お話していたように、「ボーイソプラノ」のルネの声よりもずっと低い声だったのですね。では、奇跡とは? そうです!もう想像がついたかもしれませんが、このロメオ君とローラさんが、お友達になりました。先週の記事をロメオ君にローラさんが紹介したことがきっかけだったようです。そして、私にもプライベートメッセージを書いてくれました。それは、「僕のことを、ブログに書いて下さって、ありがとう。ルネとは、いい思い出がたくさんあります。」というような内容でした。ルネとの思い出にはどんなことがあったのか、簡単な事でも教えていただけたらなあと思っていますが。。。お友達の承認をまだいただいていませんので、これは実現が可能か不明です。
先週紹介していたリンクに、ロメオ君のベストアルバムCDがありましたが、このアルバムの紹介記事(英文)がPDFファイルになっているものを見つけました。
Alpha records com(PDFファイル)
ロメオくんが歌手としてデビューするまでの話なども含まれ大変興味をそそがれる内容です。記事を訳してみると。。。
「1973年から76年にかけて、ロメオはフランスで最も人気のある少年歌手だった。本名のGeorges Brizeは、「黄金の声を持った子供」というぴったりのニックネームが付いた。彼の曲は、みな大ヒットし、フランス中のラジオ局やテレビ局でも放送された。彼のファーストアルバム「Maman」は、発売後、数週間のうちに90万枚を売り上げ、ロメオの出したレコードは、合計400万枚以上もの売り上げの記録を出した。
ロメオがどのように見いだされたのかという話は、おとぎ話のようでもある。一番ロマンチックなストーリーは、こうである。
ロメオの両親は、リヨンの近くにあるSaint-Georges de Reneinsという小さな街で、食事と宿泊を提供するカントリーインを経営していた。ロメオがこの付近で遊んでいた時に、車で通りすがった一人の男性がいた。その男性は、タイヤがパンクしてしまい、タイヤを交換しなければならなくなり、汚れた手を洗うために、遊んでいたロメオに手を洗える場所を尋ねた。ロメオは、両親の経営するカントリーインにその男性を連れて行き、そのあと、インのお客さんのために歌を歌い始めた。ロメオは、4才の頃からこうして歌を歌ってきたのである。その歌声を聴いた男性は、すぐに知り合いのレコードプロデユーサーに連絡をとり、ロメオの歌をレコーデングするように頼んだ。
この男性は、その当時フランスでヒットを飛ばしていた最も人気のある歌手Shielaの親しい友人だったのである。そして彼が連絡をとったレコードプロデユーサーは、70年代を通して、フランスの音楽界でもっとも影響力を持っていた会社の(Carrère レコードの創立者である)Claude Carrèreだったのだ。
1976年、ロメオは、勉強に集中して学業を終了できるようにという理由で音楽界からの引退を発表しました。人々は悲しみましたが、ロメオの願いを理解しました。」
Romeo はステージネームで、本名はGeorges Briz. 1961年1月29日生まれ
うーん、そうだったんですか。多くのサイトには、声変わりのために引退と書いてある事が多いようでしたけど、声変わりのためだけでもなかったのかもしれませんね。 フランス語wikiには、声変わりのためと書かれているようです。そして現在は、翻訳/通訳/ジャーナリストという職業についているとか。フェイスブックでお訊きしてみましょうか。。。でも先週紹介しましたように、最近また歌を歌っているようです。「僕の新しい歌をほめていただいてありがとう」とも言われていましたから。
ロメオ君の 歌った曲目、アルバムなどの詳しいリストは、以下のサイトで見る事ができます。
BCSD(The Boy Choir & Soloist Directory)
現在のロメオくんを見たい方は、こちらのサイトへどうぞ
道上さんとロメオ君へ、この場をお借りしてまた、改めて、お礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございます!道上さま
Merci Beaucoup, Romeo!
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