26.8.12

モントリオール1985年の夏休みーその19(Ottawa 1)

 先々週のあらすじ

今週は、先々週の記事の続きのお話。その記事は、モントリオールのルネとナタリーのファンクラブ(インターナショナル)のオフィスで、そこで働いていたニコルさん、ヘレンさん、そしてファンクラブの会長として仕事をされていたジャンピローテさんと会ったことについてでした。そのジャンさんに、数日後にナタリーとルネのコンサートが2晩、オタワであるということを知らされ、そのコンサートに招待していただけるというところで記事は終わっていました。

オタワへ




オタワ (Ottawa)は、バンクーバーからモントリオールまでの大陸横断鉄道で、通り抜けていたと思っていましたが、路線をもう一度見てみると、オタワは含まれていなかった事に気づきました!だから、ルネのコンサートを見るためにオタワに向かったのが、オタワとの最初の出会いだったのだと思います。

オタワまでは、モントリオールから数時間かけてやはりVIA Canada Railで出かけました。まだパスが有効でしたから、お金をかけずに行くことができました。オタワは、ご存知のようにカナダの首都。ルネのコンサートが開かれたのは、National Arts Centre (NAC)というパフォーマンスセンター。この会場からチューリップとroyal mounted policeで有名な国会議事堂は、すぐそこでした。国会議事堂もNational Arts Centreもその横には、Rideau Canalという運河がながれていて、河川敷は、コンクリートできれいに整理されていて、素敵な地域でした。運河には観光用ボートが浮かび、それにのって付近を観光もすることができ、そして運河に沿って、しゃれたレストランやショッピングモールなどが並んでいたという記憶が強く残っています。


 National Arts Centre (NAC)

それまでオタワには、大きな劇場がなかったために、オタワ市がカナダ政府に市庁舎が建っていた土地を寄付してこの劇場の建設が進められたそうです。1963年から計画が進められ、46億カナダドルの費用をかけて建設され、1969年6月2日にオープンしたこの劇場は、2006年からカナダ国定史跡の建物に指定されています。


  
The NAC is Born - 02.06.69 - Le CNA est né (youtube)

National Arts Centreが出来るまでの興味深いビデオを発見!この劇場の歴史を感じさせませすよ。ルネとは直接関係ないんですけれど!


 National Arts Centre Ottawa, Canada (youtube)

このビデオは、ちょっと古そうですが、それでも劇場の内部などを見ることができます。入り口付近は、とてもなつかしいです。まさしく、私が入って行った入り口です。その付近には、ルネとナタリーのコンサート用のポスターが貼ってあったと思います。大きい物ではなくて白黒のB5くらいのサイズでした。そのポスター、実はけっこうたくさんいただいてきてしまいました!それは、来週お見せいたしましょう。








 photo@national arts centre



このNational Arts Centreの写真が、私が覚えている劇場のイメージにとても近いです。夏の季節に撮られた写真だからでしょうね。


左上に国会議事堂の建物が見え、その下に少し写っているのが、National Arts Centreです。
「Centre? 変なスペルじゃないの?」と思われている方がいるかもしれませんが、カナダもそして私の住むニュージーランドも使われている英語は、イギリス英語。だからスペルも日本で学ぶアメリカ英語とはすこし違っているものがあります。このcentre(センター)もその一つ。centerではなくて、 centreです。 


Rideau Canal (youtube)

運河のビデオ。この運河は北アメリカで一番最初の作られた運河であること、冬になると凍結し、世界で一番大きなスケートリンクになること、その大きさは。90ものホッケーリンクの大きさと同じであることなど説明しています。

私が宿泊することにしたのは、この劇場の近くにあったYWCA。 YMCAの女性版です。安くてきれいで劇場にも近かったところだったと思われます。そして着いたその夜にルネとナタリーのコンサートの一日目があったと思います。そしてコンサートが終わってからの一日か二日ぐらい、国会議事堂またその周辺の観光をいたしました。ショッピングモールでは、ルネのレコードをレコード屋さんで見つけることも普通にできるという嬉しさもモントリオール同様に味わいました。

コンサートの様子、そしてその時の自分の気持ちを落ち着いてじっくり書きたいと思うのですが、今日は、なんだかその気分になれません。そんなふうに書ける時間がないこと、そしてその記事を書いたら、今までしばらく続いてきた、「モントリオール1985年の夏休み」の記事 が終わることなどを考えると、やはり最後は、もっときちんと書きたいと思うのです。

ということで。。。国会議事堂周辺を観光した時の写真があるので、 それをアップして今週の記事のしめくくりを始めましょう。


帽子をかぶって、水色のシャツを着ているのは、国会議事堂でガイドツアーをしてくれたおじさんだったと思います。グループに分かれてのツアー。おじさんと私がいるのは、たぶん一番高いところにある時計塔の場所。写真は、モントリオールへの旅行アルバムからの一ページを写したものです。


          
         Parliament Hill Ottawa, Canada (youtube) 



  
Et tu dances avec lui (youtube)
1985年の発売されていたルネのアルバム Et tu dances avec luiのプロモーションのビデオの用です。もうすぐコンサートでこのようなルネの姿を観ることができるのですね!コンサートのステージに現れたルネは、本当にこのようなまだ若いルネでした。24才のルネですね。(ということは、83年に日本に来たルネは、22才。。。うーん、若かったんですね!)

先週末から今週は、うちの猫のことばかりで大変だった気がします。おかげさまで今は落ち着いています。最後に、最近、フェイスブックのpassion simard のページで紹介された、ルネのファンからのリンクの画像があります。ルネとレジスがそれぞれに犬と猫を抱いている昔懐かしい写真です。ルネは、なんだかナタリーに良く似ていて、そしてレジスはお姉さんのリンによく似ている感じがします。 ルネの犬や猫が病気になった時には、やはりとても心配していたのでしょうね。でも、現在のルネは、猫アレルギーとかで、猫は(たぶん犬も!)飼っていないとのこと。

 では、また来週!

 photo@passion simard





19.8.12

ルネとマリージョセの基金活動la Fondation Sourdine pour l’École oraliste de Québec pour enfants malentendants ou sourds



今夜は、GOLDEN BEST LimitedルネシマールのCDの2枚目を聴きながら、この記事を書いて行こうと思います。最初の曲は、「去年の夏」。ルネの変声期の声にショックを受けながらも、ルネが確実に成長していることの実感(嬉しいような悲しいような)とその不思議にも思えるような声の魅力に引き込まれながら、レコードでこの歌を聴いていた事を思い出します。




実は今夜、夕食の後で、うちの猫の目が少しおかしい事に気がつき、よく見てみると、その目の上が少し赤くなっていて、同じ側の耳のところからすこし血が出ていて。。。という状態を発見して、明日の早朝、獣医さんに連れて行くことになりました。うちの猫は、いろいろと他の猫がしないようなことをしがちなのですが、そのうちのひとつに、トイレの後にその事をすごく気にしてしまって、家中をすごい勢いで(「新幹線」というニックネームもあるぐらいの速さで)走り回るという習慣があります。その時に、頭をどこかにぶつけてしまうということがあるのです。今朝も、走り回っていた音が聞こえていたように思うのですが、そのあとはずっと寝ている姿をみていただけで、この目の異常と耳のことに気がつかないでいました。痛みはまったくないようなのですが、とても心配しています。今夜は、ブログをよほどおやすみしてしまおうかと思ったぐらい、本当は、心配と不安で胸がどきどきしているのですが。。。でも、短くても今夜の記事を書こうと思います。だからルネの歌を聴きながらではないと、集中できないようです。そして少し、心配な気持ちも落ち着いてきます。明日にならないと、何もすることはできないのですから。。。人間も動物も、健康であるというのは、本当にかけがえのないものですね。

今、ルネの曲は、4曲目の「アベマリア」です。


今夜は、うちの猫の様子が心配で、オタワでのコンサートの様子をうまく記事にする自信がありません。。。予定を変更してルネの最新ニュースを書くことにしたいと思います。





少し前の記事でも少し書いていたことですが、ルネとマリージョセは、Ècole Oraliste de Québec Pour Engants Sourds (ケベックオーラリストスクール)(聴覚の問題を持つ子供たちが手話を使わず、リップリーでイングを声を出して学ぶ学校)の第一次期の基金集めのスポークスマンを5年間務めることを決めました。5年間での目標は、2,500,000ドル。

その最初ともいえる仕事として、二人は、 聴覚の健康のためのグループのLobe Sante auditive et communicationの雑誌のインタビューを受けています。二人のすてきな写真がその雑誌の表紙を飾っています。インタビューに答えているのは、マリージョセ。この雑誌は、PDFでもダウンロードすることができます。ダウンロードできるサイトアドレスは、http://lobe.ca/magazine/  リンクを利用してもダウンロードのページに行くことができます。そしてPDFのアイコンをクリックするとダウンロードが始まります。





マリージョセのインタビュー記事は、5ページにあります。PDFファイルなので、コピーペイストで翻訳ページを利用すると簡単に英語または日本語に訳することが可能です。訳はおかしいかもしれませんが、概要は知る事ができると思います。

インターネットでルネのことを調べてみると、いろいろと新しく知ることがたくさんあると思いますが、この二人がどうしてこれほど聴覚に問題のある子供たちのために力を尽くそうとしているのかというと、二人の子供のロザリーとオリビエも聴覚に問題をもって生まれてきたという理由があります。このことに関してはここでは、書き尽くせないくらいのことがありますので、ここでは、このことについて今回は、ふれないでおきます。ただ、このマリージョセのインタビューを読んでみると、ルネとマリージョセがオリビエ が11ヶ月になるまでオリビエの聴覚に問題があることに気がつかないでいたこと、ロザリーは誕生とともにすぐに検査をして問題のあることがわかったことなどにふれて、少しでもおかしいなと思うことがあれば、病院に連れて行って検査をすることがその子供の将来のためにどれほど大切であることかを力説しています。

 photo@passion simard
ルネ、オリビエ(11ヶ月)、マリージョセ
雑誌Le Lundi1990年6月9日号の表紙

フェイスブックのpassion simardのページで紹介されていた昔の雑誌の表紙。ケベックのルネの大ファンのマリエルさんとのフェイスブックでのコメント欄での話では、この時、ルネとマリージョセは、オリビエの聴覚の問題には気づいていなくて、気がついたのは、この一ヶ月後ぐらいだったのだそうです。オリビエとロザリーの聴覚問題の原因は、ルネとマリージョセの遺伝子の組み合わせに関わりがあるのだそうです。


また、Lobe のブログのページで紹介されているマリージョセのインタビュー記事では、ルネとマリージョセが手話を学んだこと、オリビエが5才、ロザリーが4才の時に、人口内耳(cochlear implant)の手術をしたことを話しています。

そしてオリビエとロザリーのことを誇りに思っていること。現在の二人の様子も話しています。二人とも学校では、多くの大変な努力をしなければならなかったけれども、現在、ロザリーは、大学の2年生としてビュジュアルアートやダンスの勉強を勉強していること 、そして、クラフトショップでアルバイトをしているそうです。

オリビエは、電気エレクトロニクスの技術者として就職していること。そして最近では、3ヶ月の間カナダ西部に単身でかけ、英語を学んでいたとのこと。

 ルネは、このインタビューで話していませんが、ルネもこれまでにもっと多くの聴覚に問題のある子供たちが人口内耳の手術を受けることができるように基金を集める運動をしています。ケベックの人たちやルネのファンたちは、すでにこのことを昔から知っていて、ルネの運動に協力をしています。そういえば、最近シャンタル博士が、 フェイスブックのMusee Simardで1998年にスーパーで行われていた募金活動で使われていた「募金箱」の写真を公開していました!ちょっとその写真をお借りしてきましょう。



ルネは、機会があるたびに、よく「子供たちやマリージョセのことをほんとうに誇りにして、愛している」ということを言いますが、表面的ではなく、本当にほんとうにいろんなことがあって、みんなで頑張ってきた、そして今も頑張っているからこそ、このように言えるのだろうと思うのです。「私たちが知っているルネ」だけでなく「私たちが知らなかったルネ」としても深く協賛し、尊敬できる人であると思います。

このことについて私が初めて知ったのは、2002、3年の頃に、passion simardのグループに入った時だったと思います。そしてルネの子供たちの手術をした医者のサイトで書かれていたことなどを読んだり、その記事と関係していたオリビエとロザリーのドキュメンタリーを youtubeでアップされていたので、みたりしていました。現在残っているのは、同じものではありませんが、ドキュメンタリーの一部をみることができるものが一つだけあります。

オリビエとロザリーのことを、このブログで記事にしようとは考えていませんでしたが、 今回、ルネとマリージョセがこの募金活動のスポークスマンになるということで、私も二人の応援がしたいと思い、書くことにいたしました。そして、もしかしたら、このブログを読んでいる方の中にも二人の活動に協賛されて募金をしたいと思って下さる方がいるかもしれませんね。

Le drame de René Simard

 

Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie(dailymotion)

ミドリ色の屋根は永遠に」のkei さんが、dailymotionのサイトにあるマリージョセのバイオグラフィーのリンクを紹介してくれました。これも、youtubeに昔アップされていた映像だと思いますが、私が話していた人口内耳の手術を勧める医者/グループのサイトで紹介されていたもう一つのドキュメンタリーとは、違うものです。そのドキュメンタリーは、ロザリーとオリビエが中学生または高校生の時までの様子も紹介されていたような気がします。この映像は、マリージョセの自叙伝というタイトルのあるもので、これはそのパート3です。この中でマリージョセ、ルネは、二人の子供の聴覚問題のことが分かった時のこと、人口内耳の手術を受けた時のことなどを話しているようです。二人の話していることがもっとよくわかったらいいのですが。。。keiさんは、以前に「ルネの子供たち」のタイトルで記事を書かれていますので、keiさんのサイトで詳しくお読み下さいませ。

  

 



募金活動に興味がある方は、こちらのサイトFoundation Sourdineをご覧になってください。






以下に翻訳サイトBingでフランス語から英語に訳したものをコピーしておきます。少しおかしな英語の部分があるかもしれませんが、マリージョセの言っている事はよくわかるとおもいます。


Interview with Marie - Josée Taillefer: make visible deafness
Posted on August 12, 2012
Marie-Josée Taillefer and René Simard spokesperson of the first campaign of the «Fondation sourdine» to school oralist of Quebec for hearing impaired children or deaf, Marie-Josée Taillefer agreed to at the outset we grant an interview.

Who better to understand the importance of our awareness campaign to inform the population on the importance of hearing in our life the days this pair of extraordinary people, Marie-Josée Taillefer and René Simard, who have a life absolutely inspiring with their two deaf children experience.

Birth of Olivier, Marie-Josée and René have always thought they had a very quiet child, very quiet. Far from silent, the babbling of Olivier did not believe that he did not intend. However, over time, these small sounds began to subside as he heard them not; It had therefore not reflex to repeat them. However, as each of us, he felt the vibrations. For example, if an object falling on the ground, he could startled not because he had heard him, but because he felt it. Marie-Josée says that they found at one point that they were not able to secure their son only by the sound of their voice when he was crying. Olivier soothed only when he saw his parents. They therefore decided to have net. It is at the age of 11 months that the verdict fell. Olivier is diagnosed deaf.

Early stimulation: important!

For Rosalie, arrived two years later, it was completely different. From birth, a new apparatus for detecting deafness in infants was tested at the hospital. The same verdict of deafness is established to Rosalie. For the couple, the news was a shock. Experience with Olivier showed them how it is crucial to act quickly, to sail the child and to immediately adopt appropriate behaviours to ensure that the latter will not delay since the development of the language of a child builds before the age of 3 years. "For example, if a child starts to talk to 1 year, it is that he has heard for a year." Imagine the delay can take a child if it begins to hear only in 5 years! ", we emphasized Marie-Josée.

Olivier has worn hearing aids from the age of 1 year to stimulate his hearing. "Our son when he was in an audiologic cabin for testing, well intended pure sounds and he reacted. However, we quickly realized that, in everyday life, he was unable to distinguish the sounds. Exchanges with specialists of the hearing led us clearly: Olivier had very late! ", we reveal Marie-Josée. As parents, they have even learned sign language to be able still able to communicate with their children.

Despite this, Marie-Josée and René who always wanted to give their children all the communication tools to facilitate autonomy turned to the cochlear implant. Supported and supported by Dr. Ferron to Quebec and his team, their two children were operated: 5 years for Olivier and 4 years for Rosalie.

Marie-Josée recalls how deafness is a sneaky disability, it is not easy to detect. "We do not think that the hearing of our child can be reached, it is assumed at birth that he means well." Imagine, you are 24 hours a day with your child and, despite the fact that Olivier is deaf, it took to gather all these small signs have a reasonable doubt and decide to take steps to assess his hearing. Then imagine a child who has a mild deafness or moderate. Often, parents are in will report only to the school, when the child will have difficulties to read and write. "If there is any doubt, consult an audiologist to be net", we entrust Marie-Josée.

Olivier and Rosalie: what do do now?

Marie-Josée is very proud of the path of his children. Despite the obstacles at school because of their difference and all the efforts that they had to deploy, they were able to carve out a place in society. Rosalie is dance. She is in her second year at the University in Visual arts. She is also part time in Omer DeSerres where she advises the clients.

Olivier, he held a position in electronics at Bombardier. He is the living example, according to Marie-Josée, that can be an oraliste with a sign. Olivier left only three months in the West to learn English. A boy determined to get a place! He worked also as a server


それでは、来週こそ、オタワでのコンサートについての記事が紹介できますように。コンサートは、2日間あり、そのどちらとも招待していただきました。

12.8.12

モントリオール1985年の夏休みーその18(Fan Club International Rene & Nathalie その後)



  photo@passion rene nathalie et regis simard

ルネとマリージョセ、結婚25周年おめでとうございます!

2012年8月8日は、ルネとマリージョセの25回目の結婚記念日でした。フェイスブックでは、二人の結婚式のビデオや写真などをルネファンがシェアをし合って、お祝いで盛り上がっていました。1987年8月8日に、ルネとマリージョセが結婚式をあげたのは、モントリオールから車で45分ほど北に行ったSaint-Sauveur(サンソヴエール)という街にある教会でした。どうして、その場所で?という私の質問に答えてくれたのは、その結婚式場に入ることができたルネの大ファンのセリーヌさん。

ルネとマリージョセが式をあげたSt Sauveur 教会

この街は、スキーが出来るところが沢山あり、自然や山が美しいところで、二人がよく遊びに出かけていたところだったそうです。二人が大好きな場所ということでここが選ばれたのだそうです。

ルネの結婚記念に出された雑誌は、そのあとまもなくファンクラブのニコルさんの紹介でお友達になったルネの大ファンのハーマンさんという男性が、送ってくれました。ですから、一番最初にアップしたルネとマリージョセの結婚式の写真は、とてもよくおぼえています。それから、びっくりするほどのファンが教会に駆けつけてお祝いをしている様子、ナタリーがお祝いの歌を歌っていた姿など。一番好きだったのは、ルネとお父さんのジャンロックシマールが一緒にリムジンに乗り込む二人の姿だったことも。同じ雑誌だったかどうか忘れてしまいましたが、その背表紙がルネとマリージョセが新婚旅行にでかける空港での写真。ルネはなぜか、アフリカンサファリルック?とも思えるようななんともいえない服装をしていたことなど。これは、ニコルさんがおくってくれたファンクラブで作成した記念誌だったのかもしれません。いずれにしても、このような雑誌は日本に置いたままなので、今開けて見て詳しく見てみるということができないのが少し残念です。


 photo@celine


86年にルネとマリージョセの結婚式の様子を写真で見た時には、おめでとう!という気持ちよりも、なんだか複雑な気分で、できれば見たくないと思いながらも片目で、または指の隙間から写真を見ていたような気がします(笑)別に、自分がルネとどうなりたかった!とかそんな大それたことは考えもしていなかったのですが、83年に「大人」のルネの姿を1メートルもないところで会って(正確には見て)、小さかった「あのルネ」をまだ探していた私には、「あのルネ」が結婚!してしまうなんて。。。という気持ちを持っていたのかもしれません。「大人のルネ」にがんばって追いついてそのルネを応援したいのに、なかなか追いつけなくて。。。よほど「あのルネ」が大きな存在だったでしょう。日本のルネのファンの皆さんの多くもきっと同じなのかもしれませんね。

ルネとマリージョセの結婚前の写真などのスライドショービデオ(@passion rene nathalie et regis simard)  リンクをクリックしてビデオサイトに行って、ご覧下さい。


ジョセフくんからのルネとマリージョセのエピソード

ファンクラブの話を始めるのが遅くなってしまいますが。。。ジョセフくんからお聞きしたルネとマリージョセのかわいいエピソードをご紹介いたしましょう。マリージョセのお父さんは、テレビ番組のプロヂューサーをしていたそうで、ルネとも知り合いだったそうです。ルネがマリージョセとはじめて(?)デートをしたときに、ルネがマリージョセのスカートから少し下着のような物がでていたのを気にして、それを秘書のクロデイーヌバチョーさんに「マリージョセに、このことを教えてあげた方がいいのだろうか」と訊いたそうです。クロデイーヌさんの答えは。。。「それは、ファッションなのよ。下着じゃないから、下着がスカートから出ているなんて言わないこと!」と注意されたそうです。
 二人がまだテーンエイジャーの時代のこと。かわいいですね。。。:)

マリージョセ側からのエピソードもあります。これは同じデートの時かもしれません。ルネがマリージョセを始めて映画に誘って見に行った時の事。マリージョセが帰宅してお母さんにこう言ったそうです。「もうルネとなんて、出かけないわ!私を子供扱いして、子供が観るような映画に連れて行ったから!」うーん。。。こうして考えてみると、ルネは、うぶというか。。。デートになれていなかったというか。。。真面目というか。。。やっぱりルネっていいですよね!このお話は、ルネのデビュー25周年記念の雑誌の中に書かれてある記事だそうです。 

ルネとマリージョセの結婚式の様子、じっくり楽しめるビデオです。86年の頃と比べると、もう平気で結婚式の様子を観ることができます。ふうう。。そしてルネは、マリージョセと結婚することができて本当に良かった!おめでとう!と心から言うことができます。
(今更ですが!)

LE MARIAGE DE RENÉ SIMARD & MARIE-JOSÉE TAILLEFER


 さあ。。。では、ファンクラブでのその後についてお話を始めましょう。ニコルさんとヘレンさんに事務所の中に案内されて、しばらくお礼や自己紹介などをした後、今までファンクラブから出されていたファンクラブの雑誌など見せていただいていました。壁には、ルネやナタリーの雑誌やポスターが飾られ、机の上には、ルネルネルネ、ナタリーナタリー!という名前が所狭しと並んでいる書類?やファンからの手紙などがあり、ほんとうにここは、ファンクラブ事務所なのだなあという感慨深い気持ちを味わっていました。
雑誌を見たあとは、ファンクラブで作っているルネとナタリーの缶バッチ を見せていただいきました。そしてその雑誌と缶バッチをすべてプレゼントすると言われた時には。。。絶句という感じで胸がいっぱいになりました。「えええ、いいんですか。。。」と遠慮してはいましたが、嬉しくて仕方がありませんでした。






 いただいたルネとナタリーの缶バッチ

カナダ滞在中にいただいたバッチも入っていたり、メープルメイツのバッチもはいっていたりして関係のないバッチも含まれています。カブスカウトよりも小さい年齢の子たちが集まるビーバーやガールスカウトのバッチもあります。少しですがお手伝いしていたので、お別れにバッチなどいただいたのです。これはBC州でのお話。


そして、ニコルさんが、私のためにファンクラブの会員への登録の手続きを始めてくれたのでした。このファンクラブは、80年代の初め頃からのスタートのようでしたから、私は、このファンクラブの存在をモントリオールに来るまでまったく知りませんでした。ファンクラブへの入会はすべて無料で、このあとの雑誌もニコルさんが日本に送ってくれたのでした。それがどのくらい続いていたのか覚えていませんが、90年に入ってもファンクラブは続いていたのか。。。それほど長く続いていたという記憶もないように思います。

 ニコルさんが私の目の前で作ってくれたファンクラブの会員証です。


ニコルさんとヘレンさんと3人で、英語、日本語、フランス語のミックスで、ワイワイガヤガヤという感じで、83年に見たルネとナタリーのこと、二人が東京音楽祭前夜祭で私の目の前で一緒にミドリ色の屋根を歌ったこと(ステージで!)、そのあとナタリーが「五月の手紙」をまるでルネの生まれ変わり(!)のような姿と声で歌ったこと。。。偶然ルネとナタリーと一緒のエレベーターに乗っていたこと!それもルネとナタリーと私の3人だけで。。。などお話していると。。。入り口のドアがギイ。。。と開いて、一人の若者が部屋に入って来たのでした。「は?ルネ??ルネじゃない。。誰!?でもルネに感じがどことなく似ている人!」ということが頭を駆け巡っていました。

その人は、英語がペラペラ!おおお!ホッとしました。白いショートパンツをはいていたのがとても印象的。その人の自己紹介によると、「僕は、ルネとは、私生活でも仲の良い友達というか親友で、このファンクラブの会長をしているんです。」ということでした。「ええええ!え?!」という気持ちで目と頭がグルグルしてきたのを覚えています。その男性の名前は、「ジャン ピローテ」と言いました。これは、ずっとずっと後で知ることになったのですが、彼は、ルネのマネージャーだった(過去形です)gcの甥にあたる人で、ルネとも、ずっと後に日本で「エルビスストーリー」というミュージカルが上演されることになった時にもルネと来日しています。その他にも、ルネとは数々のミュージカルやショーのために仕事をしてきた人なのです。現在は、ケベックシテイにある、Le Capitol de Quebecという歴史的な建物であるホテルのオーナーでもあるようです。このホテルには、Capitol シアターという劇場もあり、ルネのプロヂュースしたショーの上演もされたことがあります。ルネとは多分同じような年齢で、しかも身長もおなじくらい?だったような。ネットで検索してみると、今も、85年の時と変わらず、すてきな方のようです。ただし、現在では、ルネと仕事をしているということは、ないということを聞いています。


では、ジャンピローテ氏をご紹介しましょう。。。いかがですか。なんとなくルネに似ていませんか?そして全体の雰囲気も似ていると思いました。でも、英語をペラペラと話すからか、ルネよりももっと活発というか社交的というような印象を受けました。(私の話しているルネは、83年に見たルネの印象からですので、念のため。。。)
 
左から、ニコルさん、ジャンピローテ氏、ヘレンさん


85年にお会いしたジャンピローテ氏は、ほんとうに素敵な人でした。気さくで私の自己紹介とこれまでのルネファンとしての歴史!など(何度同じような話を何人もの人にしたことか。。。)をよく聞いてくれていました。そして英語もよく出来る人でしたから、話がポンポンとスムーズに出来たのです。ルネの最近の様子など、少し話してくれたあと、このような会話を。。。

ジャン:「あと何日モントリオールには、いられるの?」

私:「えーと、あと一週間ぐらいはいます。」

ジャン: (ニッコリ笑って)「実は。。。。あと2、3日したら、オタワで、ルネとナタリーのコンサートがあるんだけれど、オタワに一人で来ることはできるの?」

私:「は!??」沈黙。。。。(頭が空白に。。。そして胸がいっぱいに。。。)

ジャン: 「これないかなあ。。。」

私:「あああ、えええええ、行けます!コンサート????!えーーー!、そうなんですか!知らなかった。。。全く知りませんでした!」

ジャン:「じゃ、これから、コンサート会場の住所と名前、電話番号を書いて渡すから、ぜったいなくさないでね。僕の名前もかいておくので、これをもって、コンサート開始前の30分前に、会場のチケット窓口のところにいてくれる?」 

 ジャンピローテ氏が書いてくれたメモノート


私:「は?はい!わかりました!」(えええ。。。。大丈夫なのかな。。どうしよう!)

ジャン:「僕がそこに行くので、それまで待っていてね、そこでチケットを渡すので」

私:「いくらでしょうか?」

ジャン:「僕が招待するんですから、無料です。」

私:「あああ。。。!本当に。。? ありがとうございます!(心で、もう泣いています)


ふうう。。。もう昔のことなのに、この会話を書いていて、手に汗握り。。。という感じになってしまいました。本当にジャンピローテ氏は、素敵だったんです。ルネの分身のような。。。

 ということで。。。びっくりの連続だったんです。そして、私はジャン氏に言われた通りに数日後、オタワに向かうことになったのでした。あああああああああああああ!ルネに会えるんです。ステージのルネに!ルネのコンサートだなんて。。。もう今思い出しても胸が熱くなって何も言えなくなってしまいます。。。



 ニコルさん、ジャンピローテ氏と


それでは、来週です。ルネのコンサートです!会場は、オタワにあるCentre National des Art (C.N.A)  どうなることでしょうか。。。お楽しみに!



 
 


5.8.12

モントリオール1985年の夏休みーその17( Fan Club International Rene & Nathalie)



 コメデイミュージカル「雨に唄えば」その後


ルネの「雨に唄えば」いよいよステージが後半に入ってきましたね。Passion Rene Nathalie et Regis Simard (facebook page for public)で紹介されたばかりの雑誌 Allo vedettes8月号の記事の画像です。ルネを見て下さい。余分な(!)贅肉もすっかりとれて、すっきりさわやかなルネの姿。このステージ観たルネのファンのニコルさんも、このルネの姿に見とれたそうです。姿ばかりでなく、唄、ダンスのすべて!ルネの「一番」の瞬間がたくさん続いて、ルネがとても輝いているステージだったと言っていましたが、このルネを見て、私もそのステージが想像できるようです。

1ページ目の見出しの訳:
「雨に唄えば」のステージに感謝。ルネシマールの素晴らしい年月
特に2012年は、ルネシマールの年であると言えるだろう。映画「雨に唄えば」のコスモブラウン役のドナルド オコーナーも人気があったけれど、ルネもステージを観たほとんどすべての人々から絶賛された。51才の歌手、そしてダンサー(のルネ)にとって、このステージを披露するタイミングは、パーフェクトだった、そうでなければ、ルネは、このような、素晴らしいパフォーマンスを見せる事はできなかっただろう。」

(ルネの奥さんの)マリージョセも、ルネのステージをとても喜んでいる。



Just for Laugh フェステイバル(ルネのステージは、このフェステイバルの参加作品)から8月4日にアップされた「雨に唄えば」のステージのプロモーションビデオです。今までに見た事が無かったルネのステージのパートを観ることができますよ。


Chantons sous la pluie 



では、今週も、暑い1985年のモントリオールの夏へ出発です!先週お話した、ルネのレコードの配給会社であるDistribution Selectへの訪問が終わってから、モントリオール大学の学生寮の自分の部屋で、「モントリオールにいる間に、絶対しておきたいことは?」と自分との対話をしていました(大げさな。。。!)そして、ルネのファンクラブの事務所に行きたい!という自分に、もう一人の自分が、「そうね!ルネとは会えなくても(会いたいという気持ちは不思議なことになかったのです。ルネを遠くで見ていたいというような先週お話した複雑な気持ちでいたからです。)、ルネのために仕事をしているファンクラブの事務所の人たちに会って、ルネの近況などについて話したい。」という返答をして、この計画が実行されることになったのでした。

その時、ルネのファンクラブは、以前のようなルネだけのファンクラブではなくて、ナタリーと一緒のファンクラブへと変わっていました。ファンクラブの名前は、Fan Club International Rene & Nathalieでした。

そのファンクラブについて、その時私がわかっていたことは、電話番号のみ!うーん。。。住所は。。。分からなかったんです。というか、ファンクラブの住所は、私書箱システムでしたから。それで、どうしたかというと。。。ご想像どおり、電話をするしか方法がありませんでした。電話に出たのは、女の人。英語は片言という感じの人。そして私は、英語のみで、フランス語はほとんど分からずという状況でした。。。とりあえず、私のリクエストをお話して。。。「日本からこの夏だけモントリオールに来ているルネの日本のファンです。是非、ファンクラブに行って、お会いして、ルネの最近の様子などを知りたいのです。もうすぐ、日本に帰らなくてはいけないので、よろしくおねがいします。」ようなことを熱意を込めて!(爆)学生寮の壁を見ながら、電話口に向かってお話ししていました。その電話も、学生寮の廊下に設置してあった公衆電話でしたから、小銭をたくさん用意して!今思うとほんとうにシンプルな時代というか。。。なにごともマニュアルな時代でした。テレフォンカードも、携帯も、何もなかった。。。


 Fan Club International vol2 no.3 Feb 85
ファンクラブの雑誌、85年2月号からのルネのポスター


その女性は、ニコルさんと言う人でした。(先ほど話していたルネのファンのニコルさんとは、全く別の人です。)ニコルさんは、「ファンクラブがある場所は、ファンには、絶対秘密なので、来ることはできませんよ。どうしても住所を教える事はできません!だめ!だめ!」と、いいながらも、ずっと私のお話を聞いてくれていました。だめよ!と言った後に、電話を切ってしまうことも出来たはずなのに。私も、一度は、やはり、だめなのか、そうだろうなあと考えて、あきらめようかと思ったのですが、モントリオールまで来ていて、こうしてルネのために仕事をしている人とお話をしているのに、絶対自分の「切実な気持ち」を分かったもらいたいと考え直して、ルネのファンになった頃からのお話、ルネが日本に来なくなってからの悲しかった気持ち、ルネにずっと手紙を書いていた事、ファンクラブを作っていたこと、そして、83年に東京で「会った」のではないけれど「見た」ルネ のこと、ナタリーのことをお話しました。そして、ずっと憧れていたカナダに来ることができたこと、BC州から長い時間をかけて、カナダという国を見ながら、ケベックに来て、オルレアン島にも行ってみたこと、そしてモントリオールでの話。でも、もうすぐBC州に戻り、それから日本に帰ってしまうこと。。。(長いながいお話でした。。。)だから、絶対!ご迷惑がかかってしまうことを承知の上で、お願いしたい。訪問させて下さい!と、お願いしつづけたのでした。。。若かったというかクレイジーでした。


  photo@patof facebook

フェイスブックのPatofのページで紹介されたルネとピエロ。このピエロは、1972年頃からケベックで放送されていた番組で人気があったキャラクター。ルネとも仲良しでした。今年、40周年記念だそうで、フェイスブックのページでも昔の写真など紹介しているようです。その中からのルネとの記事。ルネは、もっと多くのファンを持つために「子供」の時代に仲良くなったピエロとのさよならをするというような内容の記事です。

 photo@patof facebook

 ルネとレジスとピエロ。ルネがやんちゃな表情を見せていて可愛らしい!



そんなクレイジーな私に、ニコルさんも根負けしてしまったのでしょう。。。(ごめんなさい、ニコルさん!)やっと、ニコルさんからのオーケーが出たのでした!お願いしておきながら、そのオーケーの返事に耳をうたがったのでしたが、そのあとは、ニコルさんがゆっくり、ファンクラブの事務所への行き方を、教えてくれるのをメモして(指が震えていたのを思い出します。)いました。ふう。。。この時のことを思い出してみると、今も肩に力が入ってしまいます。(笑)

そして、その後、その日のうちに、そのメモを頼りに、地下鉄を使い、バスを使い、ようやく、その事務所にたどりつくことができたのです。


ファンクラブの事務所は、ビルの一室にあるのだろうという私の予想とは違って、住宅街にありました。かわいらしい一階建ての家。その入り口のドアをコンコンとノックすると、ニコルさんともう一人の女性のヘレンさんが、満面の笑顔で気持ちよく迎えてくれたのです。この写真は、ニコルさんと、ファンクラブの事務所で。自分の顔をケアベアで隠して、ニコルさんのお顔を隠さないのは、ちょっと悪い気もいたしますが、かわいらしいニコルさんの姿を皆様にも、おみせしたいと思いました。ニコルさんの後ろの壁にかざってあるのは、ファンクラブで発行していた雑誌です。この雑誌は、A3のサイズのものもあって、小さいサイズでもA4サイズだったので、日本のこのような雑誌と比べると大きくてびっくりしました。後ほど、それまでに発行されていたファンクラブの雑誌を全部プレゼントしていただいて、大切に日本に持ち帰りました。先日、この雑誌を日本から送ってもらったので、来週紹介いたしましょう。このブログを通して、85年に感激してページをめくったファンクラブの雑誌について、またお話できて、嬉しいです。そして懐かしいです!


 ニコルさんと



いただいたファンクラブの雑誌

青い背景にタキシード姿でたたずむルネは、ファンクラブの雑誌ではなくて、20才のころに、ルネが un homme/レデイメアリーという曲の入ったシングルレコードと一緒に送ってくれた、ルネのコンサートからのパンフレットです。これは、ルネが成人となったことを記念してのコンサートと曲だったと思います。(はい、レコードとこのパンフレットをルネの短い英文でのメッセージと共に、手にしたとき、もちろん、感激で泣いてしまった事は、ご想像どおりです!)


 
この事務所でのこの後のお話は、来週に書きたいと思います。今日は時間がありません!ごめんなさい。でも、来週を楽しみにしていてくださいね。