みなさま、遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
フェイスブックの「ルネシマール」ページでは、クリスマスと年賀状をこのイベントに参加されたみなさんで作って一つにまとめてルネに送りました。
また、第5回ルネクイズグランプリのイベントも終了して、グランプリを受賞されたみなさまは、1999年5月23日にトロントで上演されたルネのオペラ座の怪人のステージの様子が収録されたデイスク(私個人所有のもの)を手に入れることができました。
さて、ルネの祖先を探す旅 その2の記事をさっそく書いて行きたいと思います。
先ずは、その1の記事の中で、ルネが「船長の家」には入らず、その家の庭で何か唄を口ずさんでいたということを書いていましたが、その唄のタイトルが分かりました。今回の記事に協力していただいたケベックのルネやナタリーのファンの友人には、ジョアンヌさんの他に、パトリシアさん、そしてジョセフくんがいます。この情報はジョセフくんに教えていただきました。
Merci beaucoup, Johanne, Patricia et Josef!
ルネが口ずさんでいたのは、1971年、フランスの詩人でもあった歌手のレオ・フェレ Léo Ferré の「アヴェック・ル・タン」 "Avec le temps"で、日本語に訳すと「時の流れに」という唄だったそうです。ルネが「船長の家」に入らなかったことについては、何の説明もされていなかったそうです。では、この唄をyoutubeから見てみましょう。
Avec le temps アヴェック・ル・タン 《宇藤カザン訳》
Avec le temps...
Avec le temps, va, tout s´en va
On oublie le visage et l´on oublie la voix
Le cœur, quand ça bat plus, c´est pas la peine d´aller
Chercher plus loin, faut laisser faire et c´est très bien
時と共に・・・
時と共に、流れ、全ては消えて行く
面影を忘れ、声も忘れる
心臓、それが止まれば、その先を求めても無駄なこと
なすがままに、それでいいのだ
Avec le temps...
Avec le temps, va, tout s´en va
L´autre qu´on adorait, qu´on cherchait sous la pluie
L´autre qu´on devinait au détour d´un regard
Entre les mots, entre les lignes et sous le fard
D´un serment maquillé qui s´en va faire sa nuit
Avec le temps tout s´évanouit
時と共に・・・
時と共に、流れ、全ては消えて行く
憧れた人、雨の中を探し求めた人
文字の間に、行間に、
夜の闇に消えて行く虚飾の誓いの化粧の下に
一瞥のもとに見抜いた人
時と共に全ては消え去る
次にルネが訪ねた場所は、ルネが生まれた土地サグネ(Saguenay)があるチクテイミでした。ちょっとややこしいのですが、現在サグネというのは、チクテイミ(Chicoutimi, La Baie, Jonquiereの3つの地域が一緒になり、「サグネ市」になっているようです。ルネの祖先にさかのぼっていく旅は、ここから始まります。(ref: La Baie wiki)
いろいろな地名が出てくるので、分かりやすいように地図を所々に入れておきます。サグネ(Saguenay)、ラマルベー(La Malbaie)、ベーサンポール(Baie Saint Paul)、ラベ(La Baie)などの地名が出て来ますのでチェックしてみてください。地名とその土地や街がどのあたりにあるのかが分かると、この記事の話も分かりやすくなると思います。
そして祖先の資料を探しに。
リーデンググラス(老眼鏡)をかけて資料を見ているルネ!
見せてもらっているのは、ルネの祖先の洗礼の記録。「Alexis Simard アレクシスシマール」の名前を発見!
ルネのひい、ひいおじいさんとおばあさんの写真も保管されていました。この二人は、下の系図にある上から2番目にいるアレクシスシマール(1819−1896)とその妻のアントワネットです。
次にルネがさかのぼる祖先は、上の画像のアレクシスシマールの父親にあたるアレクシスシマール。同じ名前ですね!ニューフランス(ケベック)にフランスから父親ピエールとやってきたノエルシマールまでケベックでのルネの祖先をさかのぼって行くと、ひい、ひい、ひいおじいさんであるこのアレクシスを含めて、アレクシスという名前の祖先は、4人、そしてAnge, Noelという名前の祖先が2人ずつ存在しています。そしてルネの弟のアレジャンロジャーにもアレクシスという名前が付いて、ジャンロジャーアレクシスとなっています。
ルネの祖先を捜す旅の番組についてのことをちょっと休憩して、あるルネの家系図サイトで書かれていたことを元にルネの兄弟姉妹のこと、祖父と祖母、曾祖父と曾祖母、そしてノエルシマールについてのお話を少ししたいと思います。
ルネの弟の話が出ましたので、ここでルネの兄弟姉妹について。ルネには、実はもう2人ベルナール(Bernard)とクロード(Claude)という名前のお兄さんがいたようですが、なんらかの理由で赤ちゃんの時に亡くなっていたようです。ベルナールは、ルネのお兄さんのレジスのすぐ上、そしてクロードは、ルネのすぐ上のお兄さんでした。(ref: descendants de vincent brun 1611)
このことを考えると、ルネのミドルネームになぜクロードという名前がつけられているのかがうなずけます。このお話について少しだけルネがインタビューで話していたことは覚えていますが、実際にそのお兄さんたちの名前を知ったのは、今回の記事のためにルネの家系図を調べていた時でした。この家系図のサイトは、とても詳しく調べられているようですが、この資料の事実性は、きちんと自分で確認するようにという注意書きがあります。このサイトでルネの祖先の家系図をたどって行くととても興味深いことが分かりますので、興味があれば見てみるといいと思います。
下記はそのリンクです。リンクを開くと出てくるページは、ルネのお父さん、ジャンロックシマールのページになりますので、祖先をさかのぼるには、ジャンロックシマール氏の父親の名前をクリックしていきます。
ルネの祖先の家系図サイト:descendants de vincent brun 1611
このサイトで紹介されていた、ルネの祖父と祖母、そしてひいおじいさんとおばあさんの写真、ケベックにフランスからやってきたノエルシマールのイラスト画像です。
先ずは、ルネの祖父アレクシスと祖母のマチルダの画像。これは番組の中でも紹介されていましたね。(ブログ記事その1)おばあちゃんのスカートの柄や壁に掛かっている写真なども以前に見たものより鮮明な画像のように思います。ケベックのルネとナタリーのファンのパトリシアさんのお話によると、マチルダさんは、ルネに会うと必ず、ルネの頬を手でつまんで引っ張ったそうです。もちろん愛をたくさん込めて!楽しいおばあちゃんだったのですね。笑
もう少し若かった頃のお二人。一緒にいる女の子は、だれなのか分かりませんが、たぶんお孫さんのお一人?
このお二人の画像は、たぶん葬儀の時に配られたものという気がします。このサイトによると、マチルダさんは、1974年9月3日に亡くなられたそうです。ルネが日本に初めてやって来た後すぐのことだったのですね。おばあちゃんは、ルネの日本での活躍を喜んでくれていたのでしょう。
もう少し若かった頃のお二人。一緒にいる女の子は、だれなのか分かりませんが、たぶんお孫さんのお一人?
このお二人の画像は、たぶん葬儀の時に配られたものという気がします。このサイトによると、マチルダさんは、1974年9月3日に亡くなられたそうです。ルネが日本に初めてやって来た後すぐのことだったのですね。おばあちゃんは、ルネの日本での活躍を喜んでくれていたのでしょう。
そしてこの画像は、ルネのおじさんとおばさんたち!ルネのおじいちゃんとおばあちゃんには、15人ものお子さんがいたのです。前列に座っている左から2人目の男性が、ルネの若かりし日のお父さん、ジャンロックシマール氏。やはり、とてもハンサムです。中央に座っているのがアレクシスおじいちゃんとマチルダおばあちゃん。
次の画像は、ルネのひいおじいちゃんのアンドレシマールとひいおばあちゃんのクララさん。
そして、これがケベックをはじめ北米大陸に住むシマール家の祖先であるノエルシマールのイラスト画像。ノエルシマールのフランスでの仕事は、父親と同じように石工や大工などをしていたようです。ケベックにやってきてからは、イロコワ族の襲撃から守るために作られていた要塞の建築や入植者の家のために仕事に従事していたそうですから石工としての仕事は役に立ったのかもしれません。その後は、父親ピエールがBeaupréに手に入れた土地を開拓して定住しますが、借金の返済のためケベックでの初めての司教Lavalが持っていたBaie-Saint-Paulにあった土地の開拓をしたりして、その後、そこで自分の土地を手に入れます。(ref:traces_Pierre.pdf)
話は前後してしまいますが、この話を考えると祖先をさかのぼって旅しているルネが、フランスに旅立つ前に訪問した場所がこのBaie-Saint-Paulであったことがうなずけます。
ノエルシマール(1637-1715)
では、また番組のルネの様子を見て行きましょう。
ルネが手にしているのは、ここでいただいた家系図と上の青い家系図の一番上にいるアレクシスシマール(1788−1875)とエリザベスが、住んでいた土地の地図のコピー。このアレクシスシマールは、ルネにとって、ひい、ひい、ひいおじいさんに当たり、サグネ地方の La Baie(ラベ)で大活躍をした人でした。
アレクシスシマールが住んでいた土地が記された地図は、1845年に測量士Jean Baptiste Dubergerによって描かれた色付きの土地の計画書です。アレクシスの土地は、右から2番目にあります。
下にあるのは、ルネが見ていた土地の計画書のオリジナル版です。ルネの出演したこの番組「あなたはだれ?」のために資料やリサーチなどを協力したというサグネのケベック州立の図書館/資料館のサグネ支部Bibliothèque et Archives nationales du Québec(BANQ) Saguenayのサイトで、ルネとアレクシスシマールと共に紹介されていたものです。この計画書には、土地の所有者の名前や、大切な場所である製材所や教会などの場所も記されています。(ref: Banq Saguenay)
上の画像が、ルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスシマールと妻のエリザベス
資料を持ってルネが次に旅したのは、アレクシスシマールが、大活躍したという土地 La Baie (ラベ)でした。地元の歴史家からアレクシスシマールについての話を聞いているルネ。
このLa Baieの街の地図の下中央にご注目!なんと、アレクシスシマールという名前のついた通りが!そうです、ルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスシマールの名前なんです。なぜなのでしょう。それは、アレクシスシマールがこの地域の開拓の歴史を開くために貢献したからなのです。
アレクシスシマールは、その頃、La Baieへの入植を希望していた人たちが多く住んでいたLa Malbaire(ラマルベー)に家族と住んでいました。そしてLa MalbaieでLa Baieでの仕事をするために結成された「ソサエティ21」と呼ばれる21人の1人でした。このグループは、松の木の伐採をする会社を設立し、La Baieでその仕事を始めたことがきっかけで、それまでは、開拓が許されず、入植も許可されていなかったこの地域に多くの入植者を呼び、土地の開拓が始まり街が作られる基礎を作りました。次の画像が、番組で公開された、「ソサエティ21」のグループ写真です。
けれども、La Baie(ラベ)の入植と開拓を実現させるのは、簡単なことではありませんでした。当時、ニューフランス政府との契約により、La Baie周辺で、ビーバーの毛皮猟や漁業そして伐採にいたるまで独占していたイギリスの勅許会社、「ハドソン湾会社」の存在があったからです。土地やサグネ川を独占して好きなように仕事をしていたハドソン湾会社にとっては、フランス人がこの土地に入植し開拓を進めるのは、歓迎することではありませんでした。
セントローレンス川沿い、特にケベックシテイ周辺では、この頃入植者が多くなり他の土地を探していた人たちが多く、その中でも土地が肥えているというレポートが公開されたLa Baieに入植したいと望んでいた人はたくさんいたようです。けれどもハドソン湾会社の存在とその会社が1842年まで持っていたla Baieでの活動許可のために、人が入り込めることができなかい状況が続いていました。
入植を希望する人たちが嘆願書を提出しましたが1度目はニューフランス政府の許可を得ることはできず、2度目の嘆願書が提出された後に、ソサエティ21がLa Baieにやってくることが可能になったそうです。ニューフランス政府もla Baieの様子をもっと調べたいという理由があり、ハドソン湾会社も、木材の切り出しだけならということを承諾したのでした。ソサエティ21には、すでに多くの入植を希望する人たちの期待があったのかもしれませんね。
ソサエティ21は、1838年4月25日にLa Malbaieを帆船で出発、途中、Tadonssacというところで立寄り、製材所を作っています。La Baieに到着したのは、1838年の6月11日でした。(ref: la baie wiki)
その当時のLa Baieの画像。もうLa Baieでの開拓が始まった後のような様子が見えますね。
では、具体的にルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスは、どんな貢献をしたのでしょうか。グループをまとめたのは、Alexis Tremblay という人でしたし、この会社の代表になったのは、Thomas Simardという人だったので、そういう意味では、表立ってのリーダーというわけではなかったようです。では、一体なにを?
ハドソン湾会社の意向であった木の伐採だけするという約束と意向に挑み、この土地に種を撒き、農作業をして開拓を始めた人がアレクシスシマールだったのです。このことがきっかけとなり、ほかの人たちの入植が始まったのでした。(ref: saguenay tours guides booklet )
アレクシスがしたことは、それだけではありませんでした。 La Baieの街に教会を建てるために力を尽くしたようです。その教会、St-Alexis-de-la Grande-Baie presbyteryが1842年に建てられるまでの期間、自分の家を教会として使って、礼拝などができるようにサポートもしていた。アレクシスは、この土地に定住したいと思う人たちが、そうなりたいと思うようなモデルになった人でした。(ref: tourisme saguenay ca tours guides booklet)
「ソサエティ21」の伐採会社は、その後数カ所に製材所を作りましたが、2年ほどの間にお金のやりくりが立たなくなり、かねてからケベックで材木関係の仕事をしていたイギリス人William Priceに一切の事業を譲渡することになります。
番組で紹介された、現在のSt-Alexis-de-la-Grande-Baie presbytery(右にある建物)
この教会は、アレクシスシマールの当時から何度も修復をされ改築され、William Priceが譲り受けた伐採会社と製材所で作った木材も使われたそうです。(ref: saguenay tours guides booklet)
そして、この教会の右隣には、最初の開拓者たち、「ソサエティ21」の貢献に感謝した記念のモニュメントがあります。1924年にまず大理石の下の部分が建てられ、1926年にその上にブロンズ像が加えられました。このブロンズ像の名前は、「Alexis Simard le semeur アレクシスシマール 種を撒く人」。(ref:alexis simard le semeur, waymarking)
そうです!、この像は、ルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスシマールなんです!
このモニュメントの上にいるアレクシスシマールのブロンズ像を見上げるルネ。さぞや嬉しく、おじいさんのことを誇りに思ったことでしょう。
モニュメントには、‘Aux Preminers Colons La Partrie Reconnaissante' "To the early settlers, the grateful homeland". 「最初の開拓者たちよ、この土地に感謝します」というような意味のことが記されてあります。
そして、「ソサエティ21」のメンバーの名前が記され、アレクシスシマールの名前は、この会社・グループをまとめたAlexis Tremblay (Picote)の次に登場しています。この記事を書いている私でさえ、感動で胸が震えるような気持ちでいるのですから、私が調べたようなアレクシスシマールの話を聞き、このモニュメントを見たときのルネは、胸がいっぱいだったのではないかと想像します。
このla Baieでの開拓がスタートしたことで、サグネ地域全体に入植が始まり開拓がされていったそうです。また、アレクシスシマールには、10人の子供が誕生、その子供たちから98人の孫、そしてひ孫が375人も誕生し、その子孫たちがこの地方一帯に住み、開拓を進め、地域の発展に貢献したのだと思います。(番組の中での紹介 ジョアンヌさんより)
「ハドソン湾会社」は、その影響で、1842年に契約が終了した後は、ニューフランス政府との契約更新にはならず、この地域から撤退することになりました。
そういうわけで、ソサエティ21とアレクシスシマールの貢献は、この地方の歴史の中で偉大なものだったのでしょう。このことがこの地方での最初の歴史的な出来事として、2013年6月6日、 Ministry of Culture and Communicationによって正式に認識され、この年の6月11日の記念日には、このモニュメントの下で、175周年記念式典がありました。毎年6月11日には、ここで記念式典が行われているそうです。(ref: societe-des-vingt-et-un wiki)
La Baieの街の観光パンフレットには、興味深い画像とアレクシスシマールに関すること、今でも見ることができる場所などが画像とともに多く紹介されています。pdfでダウンロードができます。ケベックに行くときには、この街にもぜひ行ってみたいですね。
次にルネが行った場所は、最初の入植者たちについての展示を行っているところでした。
ここで、ルネは、この地方で最初に生まれた赤ちゃんの名前がロザリーであったことを知ります。ロザリーはルネにとって特別な名前です。ルネの娘さんの名前もロザリーなのですから。ここで生まれた最初の赤ちゃんとして洗礼を受けたロザリーは、ルネのケベックでの最初の祖先、ノエルシマールの娘でした。ノエルシマールの妻のマドレーヌには、14人の子供が誕生し、ロザリーは9番目に生まれました。ノエルシマールがBaie-Saint-Paulという土地に引っ越してきて新しい土地で初めて生まれたのがこのロザリーだったわけですね。
ルネがこの女性から、ケベックに住む10人に4人がルネと同じ祖先から出た子孫であることを教えられます。その様子を下のリンクからビデオで観ることができます。
4 quebecois sur 10 partagent un ancetre avec rene simard
番組のサイトで紹介されていた若き日のルネと家族。マリージョセに抱かれているのが、まだ赤ちゃんの頃のロザリー。
そして、このモニュメントが、ノエルシマールと妻のマドレーヌとマドレーヌに抱かれている幼いロザリー。家族が働きに来て、定住したBaie-Saint-Paulという街にこの記念碑が建てられています。番組では、この記念碑の紹介はしていなかったようです。
source:simardises
ルネが次に行ったのは、このBaie-Saint-Paulでした。そこまでは、アレクシスシマールが La MalbaieからLa Baieまで帆船でやって来た同じサグネ川をルネも同じようにボートに乗り、アレクシスも眺めていたであろう風景や土地を眺めながら、Baie-Saint-Paul (Charlevoix)に向かったのでした。
番組サイトで紹介されているルネの言葉です。
「僕は、(仕事で)世界中を旅するチャンスがあるけれど、ここにこうして立ち、この目映いばかりの美しい景色を見ていると、僕たちはなんて幸運なのだろうと思う。僕の祖先が愛してやまなかった土地。それは僕にとってとても刺激的で、僕を力づけてくれるものだ。」
Baie-Saint-Paul(または、La Malbaie)でルネがお話することになったのは、Charlevoix(シャルルボワ)歴史協会の代表であるSerge Gauthierさん。この方とこの番組のために仕事をしている様子のルネが紹介されていた記事がありました。それによると、この撮影がされたのは、昨年の5月。この後ルネは番組の中でフランスへ飛ぶのですが、それが実際に行われたのは、昨年の8月。
余談ですが、ルネが着ているシャツは、数年前にも着ていたものであることに気がつきました。最初に訪問していたサグネの資料館で着ていたシャツも、やはり数年前に何かのショーか番組の中で着ていたものでした。ルネは、物持ちがいいというか、きちんとしているというか!こんなところもルネのステキなところだと思います。
ここで二人が話したことは、たぶんアレクシスシマールの住んでいた土地のこと、そしてフランスからニューフランス(ケベック)へやってきたノエルシマールとその父親のピエールシマールのこと。フランスで二人が住んでいた街のことだったのだと想像します。ルネの祖先を捜す旅は、過去へ過去へとさかのぼっているのですから。
ルネが最初の場所で、コピーしてもらったアレクシスシマールの住んでいた土地の分かる計画書をもとに、このSerge Gauthierに、その正確な場所を教えてもらい、その場所を二人で歩くことに。ジョセフくんのお話では、二人が歩いているボードウオークのあたりがアレクシスシマールの住んでいた場所(土地)だったそうです。
まだよく分からないことは、アレクシスシマールの住んでいた土地とされる場所は、La Baieだったはずなのですが、この二人が歩いている場所はla Baieではないということです。うーん。。。この点については、まだ実際にこの番組を見たケベックのファンの方たちからお聞きしていないので、はっきりとしません。教えていただいたら、ここに書き加えますね。
フランスへの旅とルネのこの旅についての感想などは、次回その3として紹介いたします。
大変長い記事になりましたが、この記事を書くためにいろいろなサイトの文献などを読みまくり、自分で知ったことをどのようにまとめようかと時間がかかってしまいました。読みながら、ルネはきっとこのような内容のことを知ったのだと思うと、とても嬉しい気持ちになりました。
調べてみると、シマール家の家系は、とても有名だったこと、そしてルネが訪ねたように、フランスのシマール家が住んでいた街へカナダやアメリカからたくさんの子孫が訪問していることなども分かりました。
フランスからノエルシマールがどのような理由でやってきて、マドレーヌと結婚し、Baie-Saint-Paulに落ち着くまでのこと、マドレーヌの有名な祖父のこと、そしてアレクシスシマールのことなど、たくさん読んで、私の中でルネという存在が以前にも増して大切な宝石のように輝きを放っています。ルネが生まれる前のずっと昔、祖先がどのように生きていたのかを知ることができたことが嬉しく、そしてそんな祖先からルネがつながって生まれてきたことをとても素晴らしく感じています。
ジョセフくんの言っていたこと、「ルネには、祖先に変な人がいなかったことは、とてもラッキーなことだと思う。変な人どころかルネの祖先は素晴らしい人たちだった!すごいことだと思うよ。」
調べてみると、シマール家の家系は、とても有名だったこと、そしてルネが訪ねたように、フランスのシマール家が住んでいた街へカナダやアメリカからたくさんの子孫が訪問していることなども分かりました。
フランスからノエルシマールがどのような理由でやってきて、マドレーヌと結婚し、Baie-Saint-Paulに落ち着くまでのこと、マドレーヌの有名な祖父のこと、そしてアレクシスシマールのことなど、たくさん読んで、私の中でルネという存在が以前にも増して大切な宝石のように輝きを放っています。ルネが生まれる前のずっと昔、祖先がどのように生きていたのかを知ることができたことが嬉しく、そしてそんな祖先からルネがつながって生まれてきたことをとても素晴らしく感じています。
ジョセフくんの言っていたこと、「ルネには、祖先に変な人がいなかったことは、とてもラッキーなことだと思う。変な人どころかルネの祖先は素晴らしい人たちだった!すごいことだと思うよ。」
次回、フランスでの旅で、ルネがどのような体験をして、どのようなことを知ったのでしょう。私と一緒にみなさんも旅をしてくださいね!