24.11.07

「栄光の一時間」のルネの様子

あいかわらず「栄光の一時間」の番組で、活躍しているルネですが、そんなルネの様子を雑誌「7Jours」が紹介しています。今週は、その記事をアップします。
記事の後に、この番組の様子がわかるビデオ映像のリンクも紹介していますから、
司会をしているルネの姿と出演者の様子をお楽しみに!

栄光の一時間」のルネの様子

雑誌7joursの記事から

Rene at L'heure de Gloire

from 7 jours magazine article

from passion rene et nathalie simard photo album

merci beaucoup beaucoup!


ラ イドショースタイルで楽しむ「栄光の一時間」。司会だけでなく時間を調整したり、振り付けやアシスタントデレクターとしても番組で活躍するルネは、毎週金 曜日の番組を素晴らしい内容にしています。


8時52分:スタジオに入る前には、かならず音響の部屋に行って、そこにいるスタッフと挨拶をするルネ。今夜は、デレクター、Luc Siroisのアシスタントの Sandrine Boulangerに挨拶を。


8時55分:バックステージに到着したルネ。数分前に来ていた番組の出演者と挨拶。


番組中は、出演者といろいろな話を。 楽しい笑いやユーモアのある話で盛り上がります。

9時47分:出演者の二人のパフォーマンスが終ったあと、二人についてのコメントを訊くルネ。



ルネが現在司会として活躍しているテレビ番組の一部がyoutube で紹介されています。

1. 11月16日の放送分
http://youtube.com/watch?v=eSfVInBIzhg

2. 栄光の一時間初回に登場した3人組のオーデションビデオから

http://youtube.com/watch?v=PN_xWLwGUIs&feature=related

3. とってもかわいらしい娘さんとお父さんがステージに!
二人の様子に胸がいっぱいになりますよ!
http://youtube.com/watch?v=wSZCO231Lxk&feature=related

17.11.07

 Growing Pains 1979年のルネの記事から。

今週は、先週に紹介した「ルネシマールショー」についての新聞記事に続き、その一年後の1979年の記事を、グループサイトの「日本を離れてからのルネ2」のページより紹介します。

アメリカとカナダの英語圏で、活躍をはじめていたルネですが、より国際的なスターとなるために必要な英語でのヒット曲がでない状況、大人っぽさを強調するようになった「ルネシマールショー」の様子、またルネのこれからについて、ルネの周囲の人たちが語っている内容の記事です。



Growing Pains

Rene Simard suddenly faces an uncertain future


この記事は、1978年10月のトロントスター紙の「ルネシマールショー」の記事から約一年後の1979年、ルネが18歳のときの記事です。苦しみが大きくなっていく。突然予期できない将来に向き合っているルネシマール」

newspaper:unknown

writer: jeani read

記事提供:passion rene et nathalie simard
merci, gisele et group!

今年、私達は、カナダのテレビ界のスター、ルネの活躍を楽しみにしているはずだったのです。ルネは、北アメリカでレコードをヒットさせ、アメリカでのバラエテイショー、そして、最後には、国際的なスターになるはずでした。


昨 年、ルネシマールのCBCテレビのバラエテイショーでは、ルネは、ジャンプスーツをきて飛んだりはねたりという感じでしたが、今年は,洗練されたデザイ ナーの衣装を着ています。テーンエイジャーが叫んでいるシーンも少なくなりました。その代わりに、もっとクラッシックなポップソングが増えたのです。デイ スコルネも加えられ、スタジオには、デイスコバーのセッテングがあり、独身の若者としてのルネの日常を描くシーンもあります。


ルネシマールは、成長して、CBCのネットワークテレビの枠も超えました。18歳になったルネは、2年の間、CBCの最も人気のあるバラエテイショーのスターであり続けています。次のシーズンには、スーパースペシャル番組に移る予定です。


ルネにとってこの2年間は、とても大切なステップでした。とマネージャーのgcは言います。けれどもルネは、まだとても若いので、あまりテレビに出過ぎたりしてルネの名前を売り出しすぎるのは危険なことなのです。


「ルネシマールショー」でのルネ。
ゲストは、アンデイウイリアムス


ルネは、英語圏のカナダで知られるようになる以前からから、ケベック州では、大スターでした。ルネが10歳のときの1971年に、最初のアルバムが出され、162, 000枚もが売れました。アルバムを買ったのは、主に、小さくてとてもかわいらしい合唱団の少年を拒みきれなかった母親たちが買ったのでした。その後、ル ネは、その母親たちの娘にも人気が出るようになったのでした。21枚ものルネのフランス語のアルバムは、百万枚以上も売れ、3つの映画はトップヒットにな り、コンサートのチケットは、売り切れになるという状況です。そして今年、1979年は、成長したルネが北アメリカの音楽業界でどのぐらい活躍できるかど うかという年なのです。

けれども、ルネが出した英語のアルバムは、現在までで一枚だけです。これは、スタンダードなポップスのコレクショ ン集で、主に英語圏のカナダで、20、000枚ほどが売れただけです。そのアルバムを出したカナダのロンドンレコード社のGary Chalmer氏は、こう言います。「ルネは、とても才能があり、生まれながらにしてのショーマンである。ルネは、若い子たちに人気があるけれど、このア ルバムは、ルネらしいものではなかった(のであまり売れなかった)」

アメリカの大きなレコード会社との契約が予定されている。とgcは言 います。そしてルネのオリジナル曲で新しい英語のアルバムを発売する予定なのだと。もしこの契約がうまくいけば、多分来年の秋に発売になるでしょう。そし て、ABC ネットワークは、ルネとの契約を3年目も続けるようです。ルネがアメリカで人気が出れば、契約をさらに延長する予定です。

ルネにヒット曲を出さ せ、トップチャートにルネの名前がでることがルネの周りにいる人たちの一番の目標になっているのです。ルネには、ヒット曲がでないけれど、テレビでは出来 る限りのことをしてきた」とCBC テレビネットワークで「ルネシマールショー」の制作をしているプロデユーサー、Alan Thicke氏は言っています。「ルネには、大勢のファンがいるし、プロダクションもしっかりしているし、そしてルネには、才能と可能性があり、ダニーオ ズモンドやレイフギャレットなどよりもずっと自然な素質があるのです。ルネは、若くて時間にも余裕があるのですが、でも、今ルネは、ヒット曲をだす必要に せまられているのです。」

「 ルネシマール スーパーキッド」ショーでのルネ。Diane CarrollとSandy Duncanとのダンスシーン。(1976年)


ルネのヒット曲をださなければならないことについて同じ考えです。けれども、ルネが周りの大人の考えに同意しな い場合には、その機会を見つけるのは、むずかしいことです。「僕のキャリアのためには、何か新しいことをしてみてもいいと思うのです。」ルネは、熱心に言 います。「リスクがあるかもしれません。でもおもしろいことでもあるでしょう。もしリスクを恐れているだけなら、いつまでたっても同じ場所や状況にいるだ けです。」


gcによると、ルネは 百万ドルを超える財産を築き、お金の面では、恵まれている状況にあり、だれもがあこがれるダニーオズモンドと同じぐらいにうまくいっているそうです。ルネ の更なる成功をにぎっているのは、ルネにぴったりの曲を探すことなのです。「トップ40のチャートに入るシングルレコードがルネには、必要なのです。」と Alan Thicke氏は、言います。ルネが好んでいる曲は、キャットステーブンス、バリーマにロウ、そしてビージーズなどが唄うような曲です。ポップデイスコの ような曲調の曲がルネには、合うのでしょう。

このシーズンのルネシマールショーを観ていると、このような曲を多く唄うようなプログラムに 変わっています。でも調査によると視聴者の3分の1しか、ショーの内容または、ルネ自身が変わっていることに気がついていません。ルネの身長が4インチ (約10、20cm)も伸びていること、少年から大人の男性のようになってきていること、そして、ルネのベルリッツスクールの英語も以前よりもずっと上手 になっていて、英語の歌もスムーズになっているにも関わらずにです。それから、おかしなジャンプをしたりすることもやめ、ベイシテイローラーズやシルバー ズのような幼稚なゲストの代わりに、コニーステーブンスやバレリーハーパーのような大人のゲストを呼ぶようになりました。

ルネは、このよ うなショーの落ち着いたペースがスキだと言います。「僕はとても批判的なのです。以前の自分のショーを観たとき、「この子は、とってもイライラする嫌な子 だ。」と思ってしまいました。 「ショーは、とても神経をつかうデリケートなものです。僕と同じ年齢層の人たちがみているのですから。ですから僕は、自分らしくしなくてはならな いんです。」といました。ルネは、スキにならずにはいられないような魅力で、ニコッと笑いました。


ロサンゼルスでMerv Griffin Showに出演したルネ。
(1974)


フィラデルフィアで「マイクダグラスショー」に出演したルネ(1975年)


ラスベガスで活躍していたピアニスト、リベラーチェとルネ。ルネは、リベラーチェのラスベガス, ヒルトンホテルでのステージにゲスト出演しました。(1976年)

この4つの画像は、 ルネとナタリーについての本、Rene & Nathalie Simard: Les Enfants cheris du Show-Bizz (by Danielle et Claudine Bachand) 1983年より

本の裏表紙にある画像
左から、ナタリー、ダニエル、ルネ、クロデイーヌ

クロデイーヌとダニエルバチョーは、姉妹で、ルネのデビュー当時から、付き人をしています。現在でもクロデイーヌさんは、ルネの事務所で働いているとのこと。(現在のクロデイーヌさんについては、シャンタル博士情報です。)


アメリカでは、(マイ クダグラスショーやdinah!などの)トークショーでルネの若々しい魅力が紹介されました。そしてマイアミやラスベガスのホテルのステージの上でも。 「アメリカでのルネのコンサートは、まだあまりしていない。」と Thicke 氏は言います。「これは、私の個人的な意見ですが、ラスベガスはルネにとって特別に格好の場所ではないと思います。ルネは、がラスベガスでショーをした時 には、有名なピアニストであるリベラーチェのステージに出演してルネの評判はとても良かったのですが、そのステージは、ルネ自身のものでなく、他の人のス テージであり、ステージの設定もルネのための設定ではありませんでした。ルネは、あくまでも他の人のステージの一部分として出演したにすぎません。ルネ は、一人のパフォーマーとして自分を作り上げなくてはならないのです。けれどもルネがレコードをヒットさせなければ私達がルネのためにできることはあまり ないのです。」

11.11.07

「ルネシマールショー」当時のルネ 1978年10月

 「日本を離れてからのルネ」のページから、今週アップした1978年10月14日付けのトロントスター紙のルネの記事を紹介します。

この記事は、グループの活発なメンバー、ローラさんが持っていたものでした。この当時ルネは、17歳。カナダの英語圏で放送されるテレビ番組をバンクーバーのスタジオで収録する忙しい毎日を過ごしていました。この記事には、番組 The Rene Simard Show「ルネシマールショー」のこと、英語での収録に苦労したり、大人になりつつあるルネの様子が書かれてあります。

記事の後には、グループのメンバーであるシャンタル博士がyoutubeで紹介しているルネシマールショーの映像のリンクもありますので、記事と合わせてお楽しみくださいね。

この当時のルネの様子は、私にとって、とっても知りたかったことだったので、この記事をドキドキしながら読みました。日本時代から3年経ったルネの様子をみなさまにもそんな気持ちで楽しんでいただけると嬉しいです。




毎週ヒゲを剃るようなって、成長したルネ
大人っぽくなったスーパーキッドは、背の高さもダンサーと同じになりました。

トロントスター紙  Sid Adilman
バンクーバー発 1978年10月14日


午前9時30分、バンクーバーのCBC の建物の外には、 午後6時から配布、そして8時から入場の無料のチケットを待っている女の子たちが、ガムをかみながら待ちきれない様子でいます。

トロントスター紙の記者をその建物まで連れてきたタクシーの運転手は、「あのカエル(フランス人)の男の子をケベックに送り返してくれ!」と言いました。

モントリオールのla presse 紙は、「彼は、ピエールトルドーの擁護者である。」と厳しい調子で非難しています。


CBC−TV のバラエテイのチーフ、ジャックマックアンドリュウ氏は、彼のことをこのように言います。「彼は、私が今まで一緒に仕事をした中で最もプロのパフォーマー である。そして彼は性格が良くて癇癪をおこしたことが一度も無い。少し癇癪をもったほうがいいと言っているぐらいである。」

バンクーバーのCBC広報課のレグジェサップさんは、建物の周りに朝から列を組んでいる女の子たちを見て「やれやれ、あいつがバンクーバーにもどってきたから、どこにでも女の子たちがいるようになった!」と言っていました。

怒りや興奮で満ちあふれているようでした。この男の子は、パンクロッカー?!
いいえ、この男の子は、CBCTVとその2百万人の視聴者のために、番組の続編を収録に戻ってきたスーパーキッド、ルネシマールのことです。

彼は変わった。


新しい続編では、ルネはもうキャンデーストライプのジャンプスーツをきたり飛び跳ねたりは、しません。ルネの近くに行くと少なくとも一週間に一度ルネがヒゲを剃っていることがわかります。成長したルネがカジュアルスーツをきてカメラの前に立ちます。そして、ホテルの喫茶店では、ジーンズで。

「僕 は、自分がスターであるという気がしません。」ルネは、落ち着いて言います。「スターである人はいないと思うのです。なぜかというとスターといえるのは、 パーフェクトでなければならないからです。そして僕はパーフェクトな人間ではありません。バンクーバーでのTVのショー番組 でもたくさん直さなければならないことがあるし、自分自身のことについてもそうです。」

ケベック州では、9歳のときからプロとして活躍し ているルネですが、カナダの他の州ではまったく知られていませんでした。マックアンドリュウ氏は、「ルネは、アベマリアを歌っていた天使の歌声のボーイソ プラノの男の子でした。昨年ルネのショーを始めた頃は、初めての変声期が始まっていたころでした。そしてその後収録がはじまってからルネの声がハーフトー ンも落ちていることがわかったのです。」

少しずつジャンプスーツは、三つ揃いのスーツに変わり始め、8ヶ月をすぎた今は、カジュアルなル ネに変わり始めようとしています。「ルネは、私にもマネージャーにも言わずに前髪を切ってしまったのです。」とクロデイーヌバチョーは言います。彼女は、 マネージャーであるgcの代理人でgcが8年前にルネのマネージメントをはじめて以来ずっとルネの世話係としてルネといっしょに行動しています。

「ルネは、ほんとに私の目の前でぐんぐん成長しているのがわかります。」とクロデイーヌは、ため息をつきます。「ルネが成長していくのは、小さな頃からずっと近くにいてルネをみてきた私にとっては、少し寂しいことでもあります。」

結 局のところ、ルネは、もう17歳なのです。そして、キャメロという自分の車があり運転もしています。Gcによると、ルネの年間所得額は、400,000ド ルにもおよびます。これは、TV番組や、ケベックでのレコーデイング、ペプシカナダのスポークスマン(広告)そしてコンサートなどからの所得です。

高額なおこずかい


カナダの典型的なテーンエイジャーとはまったくちがい、ルネのおこずかいは、しゅうに100ドルです。残りのお金は銀行に預けられます。これは、法できめられていることであり、18歳になるまではこのようにルネのお金が管理されます。

ル ネのイメージをつくりあげようとしていると非難されているマックアンドリュウ氏は、「イメージをつくりあげる問題ではない。ルネの成長に応じてルネのイ メージをだしているだけである。今のルネにジャンプスーツを着させるのは、とても可笑しすぎる。衣装担当に頼んでいることは、ルネの衣装が大げさになった り派手になったりしすぎず、すこし普通のものにしてほしいということだけです。今の子供たちは、ただジーンズだけをはいているのではありません。デイスコのせいで、もっとコーデネイトして洋服をきるようになったのです。」

CBC バンクーバーの衣装デザイナーは、テーンエイジャーのTVスターの衣装には慣れていなくて、ルネにどんな衣装を着せていいのかよく理解していませんでし た。ですから、ルネとクロデイーヌがあまり好んでいないコーデイネイトした衣装(新しいデイスコのセットに合った色で、前回のショーに出演していた若いダ ンサーたちが着ていたような衣装)をデザインしてルネに着せていたのです。ルネは、与えられた衣装を自分なりに工夫してオープンシャツをきたり、スカーフをしてみたりして着ていたのです。

ルネは、数年前にロサンジェルスでジャズダンスを習っている間に、英語を学びました。ですからそんなルネにだれも、ショーをどうしたいのか、ショーのなかで話したいことは何か、訊こうとする人はいませんでした。

ルネには、他の人が考えたショーのための会話が用意されていました。
ルネにとって英語でおしゃべりをすることは、そんなに簡単なことではありませんでしたから、ルネが失敗してしまうたびに収録のし直しがたくさんあり、ルネを見るために一日中待っていた女の子たちも疲れてしまうほどでした。

ショー のプロデユーサー、アランテイックが一休みの合図をするとルネは、「むずかしい、むずかしい」と自分で繰り返していました。緊張をほぐすためにルネは、会 場の観衆にアルエットの歌を教えて一緒にうたっていました。その様子をカメラが撮っていなかったことは残念です。なぜならルネの様子は、リラックスしてい て最高の瞬間だったからです。

後になって、ルネは、シリーズになっているショーの収録がどんなものであるかを知らなかったことを認めています。そして特に、ショーの制作の費用やアメリカ人のゲストを起用するために、ショーの収録を一度にたくさん行わなければならないということを。

急がされている気がする

「去 年は、とても急がされていました。」とルネは言います。「ですから今年は、去年のようなやり方ではやりたくないと言ってあるのです。去年は、2週間と ちょっとの間に10本のショーを収録しなくてはならないほどでした。そしてそれ以前には、3日間でその全てのショーで唄う歌の録 音をしなくてはならなかったのです。信じられないくらい大変なことでした。僕は人間です。声も大切にしなくてはならないのです。だから忙しくて頭がおかし くなりそうでした。一度など、僕に何もいわないで、他のみんなが一休みして、コーヒーをのみにでかけていってしまったこともありました。その間僕は一人で 仕事をしていたのです。」


マックアンドリュウ氏によると、「ルネは、129曲の英語の歌を覚えなくてはならなかったのですが、それは、英語を母国語としていない人にとってはとても大変なことです。去年の仕事のスピ−ドはとても早すぎました。今年はもっと時間がありますから少し楽になりましたが。」

「でも考えてみてください。ルネは、私達のショーの仕事だけをしているわけではありません。ツアーしていろいろな場所を旅行したり、学校にいったり(グレード12。日本の教育システムでは、高校3年生ぐらいですね。)、モントリオールでの仕事も持っているわけです。」


「ショー ビジネスの世界では、子供のスターは、大人に利用されるとよく言われますが、ルネの場合は少しちがうかもしれません。ルネのマネージャーのgcはいつもル ネのそばにいます。仕事に関係しているマネージャーのような人は、どんな仕事の内容にしたいのかを決めたいと思うのは当たり前のことでしょう。ルネのマ ネージャーは、自分の仕事をきちんとしているだけのことなのかもしれません。」バンクーバーで、ルネはこの話に同感しています。


「英 語を話すことは僕にとってとても新しい経験であり、英語でゲストを紹介したりすることにも慣れていませんでした。ゲストの名前さえ正確に言うこともできま せんでしたから、とても申し訳なく思いました。だれも何もいいませんでしたが、僕はちゃんと英語を話したかったのです。それから(英語圏で)ヒット曲を出 したいと願っています。ケベックでは、(ヒット曲がありますから)気分がいいのですが、カナダの英語圏では、そんな気持ちになれません。」

皮肉にも、ルネは、英語でのヒット曲を出さないままでTVのスターになってしまいましたが、来週、RCAカナダと契約を結ぶことになっています。契約の中には、ルネの曲のための作曲家や作詞家もRCA が提供することになっています。
そして、来年の春には、毎週のTVショーを辞めたいといっていたルネですが、あと一つのシリーズを続行させたいと願っています。CBCは、ルネを疲れさせることなく、来年ルネのスペシャル番組をいくつか制作したいと考えています。
若いけれどもお金持ち

18 歳になると、ルネはお金持ちになります。ルネは、ショービジネスから引退するのでしょうか。「いいえ、絶対そんなことはありません。」とルネは微笑みま す。「ショービジネスは僕にとって、麻薬みたいなものです。一度するともっと必要になるのです。(もちろん僕は麻薬をしませんが!)2週間ぐらい家族に合 える時間があるとき、とても嬉しいです。けれども何もしないでいるのは辛いことです。僕には、何か楽しみにしていることが必要なのです。休暇の後に何か準 備することが必要なのです。」


ルネは、ケベックで英語圏でルネがTVショーをしていることについての辛辣な批評をどう感じているのでしょうか。

「ケベックで批評家が何を言っても僕は気にしません。ケベックのフランス語のTVのネットワークは、僕にショー番組をしてくれと頼んだことはなかったのですから。」

マックアンドリュウ氏が、去年(ケベックの)CBCのラジオカナダにルネシマールショーのバイリンガル版(フランス語版)を制作してみないかと持ちかけましたが興味を示さなかったそうです。


「ケ ベックのフランス系のパフォーマーも、英語系のネットワークでのこのようなショーの仕事をしたいと思っているのです。そのためなら、ひざまずいて頼むで しょう。そんな人たちは僕がこのショーの仕事をしていることに反感をもっているのかもしれません。なぜなら英語系のネットワークからこのような仕事を頼ま れなかったからです。僕は、ある人たちのように政治的ではありませんから。」

「もしある日、僕がカナダよりアメリカで人気者になってもアメリカには住むことはないでしょう。そんなことはできません。カナダの人たちを失望させられません。僕の住む家は、いつもカナダにあり続けるでしょう。」

何人かの批評家たちは、ルネが英語系のネットワークの仕事をしているのはカナダ統一についてのCBCの考えだと言っています。


ル ネがケベック出身という事実は、偶然ということにすぎない。」とマックアンドリュウ氏は、言っています。フランス語のアクセントがあるので、ケベック出身 ということは、ルネという人を少し異国的または、ちょっとちがったフンイキの人に見せている程度です。去年、7月1日に雨の中、オタワで唄うルネを、 800万人の人が観たのです。ルネが人気者になるということが一目瞭然でした。ルネの人気が(英語圏で)でるのは、もうすぐなのです。

「60 年代は、ルネシマールが人気になるという状況はどこにもありませんでしたが、70年代は、もっと伝統的または控えめな時代です。少女たちがルネを愛し、母 親の年代の女性たちは、自分の家にいる誰かを愛するようにルネを愛するという具合です。ルネは、若い十代初めの女の子、そしてもっと年代の上の30歳から 50歳ぐらいの女性たちに人気があるのです。」


「今 年は、ショーのダンサーをもっと若い年齢の人たちにしたのです。リサーチによると多くの視聴者が去年のダンサーのことを良く思っていなかったのです。去年 のダンサーはルネより年上だったせいです。潜在意識だったのです。つまり視聴者は、(ルネの周りで踊る年上の)ダンサーたちに嫉妬していたのです。」

ルネにそのことを話すとルネは、おもしろそうにわらって、「僕のすぐそばで踊っているから嫉妬ですか。へえ、もっとその話を聞きたいですね。もっと教えてくださいよ。」と言うのです。

記事は以上で終了

ルネシマールショーのテーマ曲の映像

'another saturday night' and 'still the one'

'you've got a friend...Rene and Regis Simard

ebay で見つけたルネシマールショー当時のルネの画像

ルネシマールショー関係のサイトを読んでいた時に見つけたルネと

CBCの番組スタッフとの写真。ルネは、赤いセーターを着て中央に座っています。

CBC GROUP SHOW -Alex Waterhouse-Hayward


先週と今週末の一人ずつ日本からのファンの方がグループに参加されてグループの人数は25名となりました。日本の方は、私も含め8人となりました!まだまだカナダのファンの方のほうが多いグループです。日本のファンの方の参加をまた楽しみにお待ちしています!

nekonomiminoura - group owner



3.11.07

ケーシーさんの「ルネと私」

先週に続いて今週末も、「ルネと私」のページからのグループメンバーのお話を紹介いたします。今週は、ローラさんと同じカナダのオンタリオ州に住むケーシーさんのお話です。

ケーシーさんの「ルネと私」

私は、ルネが10歳のときからのファンです。(英語圏の)オンタリオ州に住んでいる/いた)ので 英語でのルネに関した情報は、あまりありませんでした。そして、子供だったので、 (ルネのレコードを買うための)お金もあまりありませんでした。

ルネのLPレコードを買うために、11歳ではじめて仕事をしました!

それからモントリオールにペンフレンドを何人かみつけて、 その人たちとルネについてのニュースの記事の交換などもしていました。

でも、今は、youtube のサイトや、この8ヶ月の間にたくさんのルネのファンや お友達に出会う事ができたので、とても嬉しく思っています。 そして、もう一度昔のように、一番大好きな歌手についてファンでいられることも嬉しいです。

ルネのような素晴らしい歌手は、もう二度と現れないのではないでしょうか。 ルネのお兄さんのレジスや、妹のナタリーも大好きです。

モントリオールの人との交換で手に入れたルネの子供の頃のオリジナルの写真を 何枚か持っています。その写真をこのグループの皆さんにもお見せする事ができると いいと考えています。

フランス語での「日本でのルネ」「普通の子供」そして j'ai mon voyage を一度もみたことがありません。でも、白黒フィルムでの「普通 の子供」とj'ai mon voyageの英語版を持っていますが。 それからマイクダグラスショー、merv griffen, howard cowsell ショーなどに出演したルネも みたことがありません。

私のルネコレクションは、他の人のように多くありませんから、もし誰か私が見た事のない 映画やテレビ番組などのビデオをお持ちでしたら、ぜひ見せていただけるととても嬉しいです。

Ebayで以前に見つけたルネの白黒の写真も何枚か持っています。 ルネが10歳ぐらいの時のものだと思います。

ルネには、3度あったことがあります。そしてレジスとナタリーには一度ずつ会った事があります。

ほんとうに、このグループに招待してくれてありがとう! みなさんは、みんなとてもいい人たちですね。いつか私達みんなで ルネについての集まりができるといいですね! そうできたらとても素敵なことだと思います。


ケーシー


ケーシーさんは、シャンタル(博士と私達は読んでいます!笑)と同じように、youtube でたくさんのルネやナタリーの貴重な映像を紹介しています。  ケベックでのデビュー当時から、ルネの日本での活躍、日本の後でのアメリカやカナダの英語圏での活躍の様子などをみることのできるjapan footage, million dollar baby part 1,2は、必見です。また、ナタリーの日本でのシングル盤「五月の手紙」のB面にあった「海の中のあなたへ」をケベックのテレビ番組で唄うナタリーの映像もあります。そして、83年の第12回東京音楽祭前夜祭でルネと「ミドリ色の屋根」を歌うビデオもありますよ!

rene simard -japan footage