19.7.08

Catch Up With Rene Simard! 1977年の記事


1977年のアメリカの雑誌からと思われる記事を紹介します。内容は主に、先々週紹介した記事にあったルネのカナダでの英語圏向けのショー番組、The Rene Simard Showについてのこと、そしてルネのこれまでの経歴などを含め、いかにルネが素敵なテーンエイジャーに成長しているかについて書かれています。

先週お話していたように、インターネットがスタートするようになって1995年以来、ルネの様子について調べていましたが、私の記憶のどこかで、この記事はその頃のインターネットからみつけたような気がしています。あるいは、東京のカナダ大使館広報課の方からいただいたものだったかもしれません。ハードコピーとして手元に残っているので、あるいは大使館の方からいただいたものというのが正しいかもしれません。

記事の写真にいる16才のルネは、まだ幼さが残っていて日本時代のルネの面影があるようですね。この記事の一年前にあたる時期に、アルファが主催していたファンクラブ、メープルメイツがルネの総集編のブックレットと共に閉鎖となりましたが、その 最初の頁を開いて、髪の毛を短く切ったルネの写真を初めて見る事になったのでした。そのルネは、この記事のルネよりわずかに幼いような気がしますが、とても似ています。このルネの写真とその時のルネからの挨拶も紹介します。


Catch Up With Rene Simard!
ルネの最新情報!


French Love Songs? Well, Canada's Rene Simard Has Grown From Adorable Little Child Star To Handsome- And Hunky-Host of His Very Own Canadian TV Variety Series!

フランス語のラブソングがききたいですか? カナダの誇るルネシマールは、かわいらしい小さな子どものスターからハンサムでセクシーな若者に成長しました。そして自分自身のカナダのテレビバラエテイシリーズの司会もするようになりました。


ルネはもう16才です。
ルネがカナダのスペシャルショーの一つで生で歌っていたとき、外では、ものすごい大雨が降っていました。オーケストラが自分たちだけで練習しているしている間、ルネはステージに残り、「すごい雨が降っているね」とセリフを歌にして冗談ぽく歌って聴衆を楽しませていました。このように振る舞う事は、この若くてとても可愛らしいカナダ人の歌手にとっては、ごく普通のことなのでした。ルネは、本当のプロなのです。

ルネは、16才ですが、9才のときから歌っています。そして世界中で歌ってきました。アメリカでは、主にMerv Griffinショーや他のたくさんのバラエテイショーでテレビにも出演していました。そのようなショーでは、ルネのパワフルな歌声と可愛らしさで皆をとりこにしてしまうのでした。ルネのことを知りたくないという女の子は一人もいなかったし、大人は、ラスベガスでLiberaceと共演したルネに魅了されました。


メープルメイツからの最後の会報誌
総集編 (1976年)





ルネは、大家族で育ったとても才能のある子どもでした。父親のジャン、母親のガブリエルの二人は、音楽を愛し、7人の子どもたちとも音楽を楽しみました。ルネには、3人の兄弟と3人の姉妹がいるのです。その中で、飛び抜けた音楽の才能をみせたのは、ルネだったのでした。その上ルネの性格もその才能のためにぴったりのものだったのです。

現在では、ルネは、貫禄のある16才となっています。もう12枚のアルバムをだし、3つの映画、100以上ものテレビ出演や、1000以上ものコンサートをこなしています。マルチミリオネアのルネです。けれども信じられないかもしれませんが、ルネは、お金や名声には、あまり興味がなく、みんなから好かれる普通の男の子です。(ルネの大好きな食べ物は、ハムサンドイッチなのですから!)新しく発売されたばかりのアルバムは、Never Know The Reason Whyといいます。このアルバムをルネは、英語圏とフランス語圏のファンのためにそれぞれ英語とフランス語でレコーデングしたのです。このようなことをするのは、ルネにとっては、特別なことではありません。ルネは、日本語でもレコーデイングしたことがあるのですから!


記事の中にあった英語圏での初めてのレコード
Never Know The Reason Why




けれども、この茶色の目をした歌手ルネにとってものすごく素晴らしいことはカナダで、自分の新しいバラエテイショーをスタートさせたことでしょう。このショーは、ルネシマールショーという名前で、毎週多くのゲストが出演し、ルネといっしょに歌ったり、ダンスをしたりするのです。

ルネは、whatta band という自分のバンドとThe Renettes というバックコーラスも従えているのです。ゲストは、カナダのスターやアメリカのスター、たとえば Paul Williams,Jim Stafford, Keane Brothersなどが出演したりしています。Bay City Rollers も出演する予定があるようです。ルネは、カナダのテレビ界のSonny Bono (またはダニーオズモンド)のようになりそうですね。


日本のファンにとっては、
はじめて目にした
ショートカットのルネ
ファンクラブ
メープルメイツ最後の会報誌より


ルネのプライベートな生活は、このところ仕事でなくなってしまっているようですが、時々家族と一緒にも暮らしています。暇ができると水泳をしたり他の歌手の歌を聴いたりしているそうです。歌手では、特にフランクシナトラです。

ルネが東京音楽祭でフランクシナトラからベストパフォーマンス賞を受け取ったとき、どんなに心弾ませたかわかるでしょうか。シナトラは、「このまま大きくならないで」とその時言ったそうです。でも、ルネのファンは、ルネがその約束をまもらなかったことを嬉しがっていることでしょう。なんといってもルネはセクシーで素敵な歌手の一人に成長したのですから。そしてルネは、女の子が大好きなのです。

来月になると、ルネは、アメリカに戻ってきていくつかのトークショーに出演するので、ルネがどんなに素敵に成長したか見る機会があると思います。それにルネは、とても男性らしくなりました。ルネに会うときには、おしゃれをしてくださいね。あなたがルネをうっとりとして見るように、ルネもあなたを同じように見るかもしれませんよ。愉しみにしていてくださいね。




ファンクラブメープルメイツ
最後の会報誌へ
寄せた
ルネのメッセージ



メープルメイツのみなさまへ

みなさんお元気ですか。
いつも僕の歌を応援してくれてありがとう。
楽しい夏休みでしたか? 
今年の夏は僕のふるさとモントリオールで
オリンピックが開かれたので、
日本のみなさんもカナダのことが
少しわかったのではないかと思っています。

ところで最近僕の新しいレコードが出ないので
不思議に思っているみなさんもいることでしょう。

実は声変わりの時期に入って歌をおやすみしています。
そのかわり立派な歌手になるために
お芝居やダンスのレッスンを
受けて毎日を過ごしています。

一日も早く新しいレコードを出して、
またみなさんにお目にかかるのを愉しみにしています。
ぼくのことを忘れないでね!!

ルネ

13.7.08

Passion ルネシマール Au Japon 一周年記念によせて

PassionルネシマールAu Japonができるまでのことについて
ちょっと長いのですが、私のこれまでのことも含め、
間にルネからのカードなどを紹介しながら
お話ししたいと思います。



グループコミュニテイサイト、Passion ルネシマール Au Japonがスタートして一周年を迎える事ができました。google groupサイトにサインアップしてスタートしたのが去年の7月3日のことでした。そして私がコミュニュテイサイトを始めようと「やる気」にさせてくださった「ミドリ色の屋根は永遠に ルネシマールに首ったけ」ブログのshimazaki runeさんが7月7日に一番目のメンバーになってくださり、8日、9日には 情報交換をし合っているケベックのPassion Rene et Nathalie Simard グループのSophie さんとGisele さんも加わり、サイトの様子を見守ってくださっていました。




ルネから送られてきたサイン入りプロマイド
ルネからは、4度か5度自筆でメモ、
手紙などをいただきましたが
これもそのうちのひとつだったと思います。
ルネは、17才か18才くらい?

一年後の現在、メンバーは、私も含め29人となり、日本からのルネファンも増えそして活発な英語圏のメンバーもでき、ケベックのルネコレクションの有名人シャンタル博士もいて、少しずつルネサークルの輪が広がりつつあります。トロントからのメンバーで、youtube にたくさんのルネのビデオを公開されているCaseyさんはいつかみんなで、ルネのいるモントリオールや故郷であるオルレアン島に行って会う事ができたら大変楽しいだろうと話しています。昔のようにまた大好きなルネについて話したり、ビデオや写真を見せ合ったりできるのは素晴らしいことだと言っていました。本当にその通りだと思います。



1980年ぐらいの時に送られてきたクリスマスカード。
2枚のカードの裏には、短いメッセージが
書かれていました。妹のナタリーがデビューして
現在3枚のアルバムを出している事など。

gcプロダクションは、現在はもう無くなり、
この住所も使われていません。

このようにルネのファンとつながりを持ち、今まで知らなかったルネのこと、そして自分の知っているルネのことを伝えられ、ルネを応援したり、ルネの活動を楽しむことは高校生のときからの熱い想いと希望でしたが、それを現在できるようになったことはまるで夢のようなことです。



インターネットは、ニュージーランドに来てから1年後の95年ぐらいからしていて、ルネの情報をいつも探していましたがその当時は、まだあまり多くはなくてガッカリしてばかりでした。ブログなどもあまりしている人はいませんでしたし、接続もダイアルアップという時代でしたから、今と比べると状況はまったくちがっていたようです。


1980年の手紙

でも、昔のようにルネにひと月に一度というような手紙を書いたりファンクラブを作ってルネを応援しようというような気持ちの自分はなくて、自分は自分の道を頑張る事がルネのファンでいることなのだという気持ちでいました。これは、85年の夏、モントリオールに滞在中、トロントでルネとナタリーのコンサートに2夜、招待していただく機会があり、コンサート後に楽屋でルネとナタリーに実際に会ってから、二人がすでに有名で人気もあるにもかかわらず絶えず努力して一生懸命自分の仕事をしている姿を目の辺りにしてショックを受けたせいだと考えています。

ショックというより、二人を大好きなルネとナタリーとしてより、自分と同じ一人の人間であるのだということがわかったのです。当たり前なのですが!、とにかくそのような感じを強く受けたのでした。そして自分はどうなのか、がんばっているのだろうか。これからのことは?というように、自分の生き方をまた考えるようになったのでした。同じ時代を生きていて、おなじように自分のしたい事を頑張ることができることだけで、私はなんだか幸せになったような気がしました。


1983年の1月に送られてきたルネの手紙

これ以後日本へ帰ってから、このような気持ちで毎日を過ごすことになります。そしてルネと同じくらい大好きになったカナダにもう一度もどり、仕事をしていくことを目標に頑張り始めたのですが、94年の2月からニュージーランドに来ることになり、最初はカナダで仕事をするいい経験になるだろうぐらいに考えていたのに、ニュージーランドにすっかり落ち着くことになってしまいました。そして、仕事を続け、仕事を休み、もう一度こちらの大学で勉強することになり、またなんと4年間も大学で過ごす事なったです。2001年当時は珍しかったiPodに懐かしいルネの歌を入れて大学に通っていたのでした。そして大学での勉強が終ったのが2005年。2006年からは、また仕事に戻って現在の私があります。

数年前からインターネットでは、ルネの情報が多くなりルネのオフィシャルサイトもできるようになっていました。(現在はありません)そして、ルネで検索するとかならずといっていいほどルネに関するサイトには、シャンタル博士の名前があり(笑)その熱意とルネへの愛に脱帽していました。ルネのケベックのファンサイトもgiselさんやsophieさんによって作成されていましたが、2004年には、それもなくなり、2005、6年ぐらいに現在のpassion rene et nathalie simardグループとして再結成されたのでした。そして、日本のサイトで、去年の初めのある日(だと思うのですが)、「ミドリ色の屋根は永遠に ルネシマールに首ったけ」のブログがあり、日本にもこのような熱心なルネのファンがまだいたのだ!ということにビックリ。

それまでは、どちらかというと日本には、ルネを懐かしく思い出すファンはいても、現在進行形の形での熱心なファンはいないのだろうと考えていたからでした。そして、ルネが1983年に来日したときにも、ルネファンの熱意を感じる事ができず、日本のルネ旋風は、ルネが成長した事で終ってしまったのだ。あんなにルネと騒いでいたことは、一時的なものだったのだというような否定的な気持ちでもいました。考えてみれば、1974、5年は、遠い昔で、情報も入らなかったルネのことを忘れてしまうのは当たり前のことだったのでしょう。今でもルネを思う人がいることをもっと喜ぶべきだったのです。


すっかり大人になったルネ。
これは、1983年の1月の手紙の入っていたものだった
のかどうか記憶がさだかではありません!

という気持ちでいましたから、「ミドリ色の屋根は永遠に ルネシマールに首ったけ」のブログを書かれていたshimazaki runeさんのサイトにもメッセージは残さず時々みせていただいていたのです。けれどもあるとき、runeさんがシャンタル博士のサイトに関してとても悲しい気持ちでいた事があって、その悲しい様子をだまってみていることができず、メッセージを残したのがきっかけで、runeさんと交流するようになりました。そしてrune さんの持つ深く、熱いルネへの気持ちに接する事になり、私もルネの情報を自分のみで知るだけでなく、それを知らないでいるかもしれないルネのファンの人たちにも伝えてあげる事ができたら、そして高校生のときに熱望していた日本やケベックのルネファンと友人になり、いろいろなことを分かち合う事ができたらどれほど嬉しいことだろうと思うようになったのです。幸い、大学での勉強も終っていて仕事も一段落していた時期だったので、このコミュニュテイサイトPassionルネシマール Au Japonを GiseleさんとSophieさんのグループの名前の一部をいただきスタートすることになったのでした。




1983年の春、第12回東京音楽祭世界大会
スペシャルゲストとして来日したルネとナタリーが
帰国の途に着く日。成田空港(現在の第一ターミナル)
二人の後ろの女性はgc夫人。
空港には、10名ほどのファンがいました。
この写真は、私がとったものでなく、
そのときお友達になったルネのファンのかた
からいただきたものです。


最後に

「ミドリ色の屋根は永遠に ルネシマールに首ったけ」のshimazaki runeさんには、心より感謝をしたいと思います。そしてをGiseleさん、Sophieさん、シャンタル博士、トロントのloraさん、Caseyさんそして、日本のメンバーやケベックのメンバーの皆様、また、このサイトに来てくださりルネの様子を知ってくださり、これから仲間になっていただける皆様にも感謝をしたいと思います。そして、いろいろなことがあっても常に前向きに自分の家族と仕事のために力一杯頑張り続ける姿を見せてくれているルネにも感謝です。みなさま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


83年ルネとナタリーの来日時からのサイン
日付は、83年3月28日
第12回東京音楽祭世界大会前夜祭にて


また、一周年を記念して、youtube にルネが姉のリン、クロデイーヌバチョー、そしてルネアンジェリルと「オールスター家族対抗歌合戦」に出演しコーラスで歌った「アルエット」Alouetteの音声をアップいたしましたのでお楽しみください。


アルエット Allouette

「スター家族対抗歌合戦」に出演した様子
1983年にクロデイーヌとダニエルバチョー姉妹が書いた
ルネとナタリーの本より



感謝をこめて

nekonomiminoura

passion ルネシマールau japon マネージャー











7.7.08

1977年のTVガイド記事/ルネからのメモ

ルネが日本での活動を辞め、ファンクラブ「メープルメイツ」も閉鎖となった後に、いつも一番知りたかったことは、ルネがその後どのような活動をしているか、ルネの近況の様子でした。特に変声期は、どのように過ごしていたのかなど、心配というか不安な気持ちでいっぱいでした。

その頃、同じような気持ちでいた他のファンのみなさんとファンクラブ的な活動をしていたのですが、その活動の一つに、ルネに手紙を書く事がありました。ファンクラブの会誌なども送っていました。また、カナダ大使館の広報課の方の協力も得て、大使館からもモントリオールのルネの事務所に会誌などを送っていただいていたのです。そのころがきっと1977年。ルネは、CBCテレビでのシリーズ番組「ルネシマールショー」の準備をしていた頃なのでしょう。それからこの頃、ルネから初めての返事がきました。短く、事務所のメモ用紙に書かれたルネの文字は、どれほど私を感激させたことかご想像できるでしょうか。。。またカナダでは、ルネの英語でのファンクラブもこの頃、できていました。私が会員になったことは、いうまでもありません。


英語圏のファンを意識しての
新しいルネのカナダでのオフィシャル
ファンクラブが設立されていました。
クラブの名前は、
Rene Simard Fan Club

私の会員証


この何年か後の80年代には、
カナダでのオフィシャル
ファンクラブは、
妹ナタリーと一緒の
Fan Club International Rene & Nathalie
が設立されることになります。

85年モントリオールを訪れていた私は、
そのとき、このファンクラブに入会をしています。
会員証は、プラスチック製で、
現在よく使われているような
カードスタイルでした。

これも私の会員証





ルネについてのことで、今も一番わくわくと胸を踊らせてしまうのが、この頃のルネの様子がわかる記事を読む事です。今回は、そのような記事の一つを紹介することにします。

記事は、1977年9月24日から30日号のテレビガイドからのもので、ルネのアメリカ進出や、CBCテレビでのシリーズ番組の制作が決まった頃のルネの様子を知ることができます。また、現在もルネのそばでルネの仕事をサポートしているgcの秘書であったクロデイーヌバチョーさんのルネに対する少し恋的な気持ちもうかがうことのできるインタビューも含まれていて興味深いものです。少し長い記事ですが、私のようにルネのそれからのことを知りたくて仕方が無かったというファンのみなさまに読んでいただけたら嬉しいです。

なお記事の提供は、ケベックのファングループpassion rene et nathalie simard からです。merci!


1977年9月24日から30日号のテレビガイド




(16才のルネ)

ルネは、待ちきれなくて、
一人で食べにでかけることにした。

ロン ベイス記者

辛抱強くもう3時間も待っていたルネでしたが、レコーデングスタジオのまわりを飛び跳ねだしました。その後、ロトーカナダのテレビ番組のために録音する予定の2曲を口ずさんでいました。そしてとうとうもう待つことにうんざりして何か食べに外出することに決めました。

この決断はルネにとっては、驚くべきことでした。自分できめたことだからです。ルネは、スタジオの後ろのソファで待っている、ルネの面倒を見ている29才のブロンドの女性、クロデイーヌバチョーに許可を得ることもせずにでした。元レコードショップのオーナーで6年前にタレントショーで優勝したルネを見つけ、10才のルネをケベックのスターに育て上げたマネージャーのGCにも外にでる許可を得ませんでした。そのマネージャーは、その場所にはいなかったのですが、普通ならこのマネージャーがルネの生活についての全ての事を決めるのでした。

けれども今回は別でした。そしてルネは、食事をするために一人で通りを歩くことになったです。モントリオールでは、こんなことは決してしないでしょう。ファンに取り囲まれるだけでなく(ルネが14才のとき、スーパーマーケットをオープンしたことがありましたが、店の中で騒ぎが起き大変でした。)マネージャーは、 とくにケベックでは、身代金欲しさに ルネが誘拐されてしまうのではないかという心配もしています。

でもこの夜、ルネが外出したのは、モントリオールではなくトロントでした。ルネがレコーデイングをしていたイーストエンドのスタジオの周りは、狭い通りに囲まれ人もあまり来ないような場所にありました。時おり通りかかる人たちは、ルネよりもブロンドのクロデイーヌに気をとられるようです。






CBC制作の昨年トロントで撮影された
ルネのスペシャル番組から




ルネが着ていたのは、赤と白のシルクジャケット、後ろのポケットにキングコングの絵のある高価なジーンズでした。ルネは、もう16才となり、多くの母親に当たる年齢の女性をとりこにさせた肩まであった女の子のようなヘアスタイルを変えています。今はもっと短く、レイヤーも入って、ブロードライをしているヘアスタイルです。顔の形も以前より細くなり大きな目と濃いまつげのルネは、小さな頃よりもっとハンサムになりました。

歩き出して間もなく、ルネはあごのあたりに赤い物があるのに気がつき、こういいました。「あ、ニキビができている」と。それを聞いたクロデイーヌは、即座に、スターにはニキビはできないもの、ファンにはニキビのことなど知らせなくてもいいのだとルネを注意しました。

ルネは、あごから手をはずして肩をあげて、笑いました。ルネは、絶えず笑っています。まるで見えない手で糸をあやつり口に微笑みをうかべさせているように。

ルネが食事のために選んだのは、小さなレストランで、クロデイーヌの前の席に座りました。そして怒こったような顔つきで、面倒なお客はうんざりという態度の大きなウエイトレスがやってきました。ルネは、メニューを眺めると、ウエイトレスをみて2000ものキャンドルのような威力のある笑顔をみせました。そしていったのです。「ハムとチーズサンドイッチをお願いします。」ウエイトレスはうなずき、そしてルネの笑顔がもっと広がると、彼女はそのようなかわいらしい笑顔と温かな態度にビックリしてしまったようでした。

「それから」ルネは続けます。「僕はそれをトーストサンドイッチにしてほしいんです。でもチーズはとろけさせないように。できますか?」ウエイトレスは微笑んで、母親のようなやさしい笑顔をみせて「もちろんですよ」と答えたのでした。そして手を伸ばしてルネの髪をなでたのでした。

ルネには、年上の女性に対してこのような魅力を発揮する力があるのです。ルネに魅了された大人の女性は、ルネの母親になりたい、そしてルネが自分の子どものようだという気持ちになってしまうのです。ルネがケベックで最初に有名になった時にも、ルネのことを天使のようだと思わずつぶやく女性でいっぱいでした。




このようなルネへの賛辞は、ルネが幼い時には、良かったのです。ケベックで一番の歌手になるために役立ったことでしょう。ケベックでのルネのレコードの売り上げは、あのビートルズやエルビスプレスリーよりもすごいものでした。またフランス系カナダ人の歌手よりも。ルネの最初のあるバムは、発売から3時間後には、ケベックだけでもう162,000枚を記録しました。その後ルネは、18枚のアルバム(すべてフランス語)を出し、そして突然有名になった日本では、コンサートツアーもしました。個人的な財産は800,000ドルになりました。(タイムマガジンが書いたのは、ルネを最小年の億万長者としてでしたが、実は、まだ億万長者という域には達していませんでした。)

ルネは、今はもうテーンエイジャーです。それに、マネージャーは、ルネをアメリカで有名にさせたいと思っています。「それが我々の第一の願いなのです。」とgcは言います。それは、ルネには、新しいイメージが必要になるということでもあります。その準備をするために、今までの2年間、ルネはロサンジェルスに住み、英会話を学び、ボーカルのコーチに付いて変声期のために声がでなくならないようにレッスンをしています。ルネの声は、1オクターブ低くなりましたが、音声は、以前よりもパワフルになっています。それにルネは、アメリカでのショーやラスベガスとレイクタホでのリベラーチェとの6ヶ月間のショーに出演もしていました。

ルネの周囲の人たちは、ルネが新しいダニーオズモンドのようになってくれることを期待しているようです。大人の女性たちを興奮させることはできないかもしれませんが、テーンエイジャーの女の子を興奮させることができるでしょう。ダニーオズモンドは、現在19才ですからもうすぐ大人になってしまいます。そうすると女の子たちは、ルネに目が行き、ケベックの母親の女性たちに変わってルネを愛するようになるでしょう。

その女の子たちのアイドルになるためには、ルネをテレビで売り込む必要があります。デビッドキャシデイは、「パートリッジファミリー」、ショーンキャシデイは、最初、12才で「ハーデイボーイズ」に出演しました。そしてダニーオズモンドは、「ダニーとマリー」の番組でレコードの売り上げが落ちてしまった後もその人気をつないでいます。幸運にもルネにとってテレビ出演は、味方をしてくれています。gcは、モントリオールのトークショーにルネが出演したときにルネを発見し、リベラーチェは、Diahann Carroll and Sandy Duncanショーに出演したルネをみてすぐに、ルネに自分のショーへの出演依頼をしました。日本では、テレビ出演後にレコードの売り上げが一気に伸びました。「テレビには向かないパフォーマーがいるけれど、ルネは素晴らしい。」とルネのレコード制作者は言っています。


ABCネットワークも、その考えと同じようです。去年、ルネのサマーシリーズの番組の制作を決めました。カナダ人の制作者Alan Thicke を起用し、ルネの番組を任せることにしました。Thickeは、30才ですがとても信頼されているプロデユーサーです。これまでに、Bill cosby and Bobby Vinton Showなどを手がけ、そしてこの夏は、Norman Learのトークショー、Frenwood 2 Nightなどを制作しました。けれどもABCネットワークは、ルネのシリーズ番組は、もっと時間をかけて考えたいという意向を示しました。そしてルネは、ルネの番組の制作が始まるまで、ネットワークのバラエテイショーなどに出演することを約束されたのでした。Thicke は、ルネが早く自分のショーをもって、自分らしくショーの内容などをコントロールできるようにさせてあげたいと考え、このことについてCBCテレビジョンのバラエテイ番組の主任 Jack McAndrewと話しました。McAndrew は、以前からルネに注目し、ABCネットワークの制作に期待していました。CBCでは、できないこともABC ならできるだろうと考えていたので様子をみているだけで、ルネと交渉をもつことを我慢していたそうです。ですから、Thicheがきたとき、決心する事ができたのです。gcも「今がルネにとってシリーズ番組をもつのに最適なときだ」という考えで、McAndrewは、ルネと26回のシリーズの契約を結ぶ事ができたのでした。

McAndrewは、その後、バラエテイ番組制作セクションの一番の番組としてニューシーズンに向けて宣伝を始めました。一回のショーの予算は、60.000ドルから70.000ドル。これは、カナダのテレビ制作の基準からするとかなり大きな予算です。これは、バンクーバーにある新しいプロダクションのスタジオで制作されていましたが、まもなく問題が起こりました。それは、カナデイアンテレビジョンラジオアーテイスト協会(ACTRA)からのものでした。ルネの番組のために雇われた6人のアメリカ人の脚本家はロサンジェルスで仕事をしていましたが、 このACTRAからの苦情によりアメリカ人の脚本は使用できなくなったのです。テレビショーを制作するのは、まるで政治をするようなものなのです。」とMcAndrewは言います。


ルネは、このような状況をどう思っているのでしょうか。ルネがあらゆる事に対してどのように感じているかを知るのは、とても難しいことです。ルネは、楽しそうで、複雑な事はかんがえていなさそうで、それにとても純粋そうです。ルネのたった一つの心配は、彼の仕事のことについてです。ルネになぜこのシリーズ番組をするのか聞いてみました。ルネは、「僕は(このテレビのシリーズ番組をすることを)気にしていません。違った事をするのは、好きですから。」と言いました。





ルネは、これまで、9才から周囲から近くで見守られ、厳しい現実からも守られてきました。最初は、gcによってそして今は、gcの秘書であるクロデイーヌによって。彼女は、法的なルネの保護者ではありませんが、自分では、ルネの保護者であると考えているようです。クロデイーヌは、ルネの洋服を購入し、スケジュールを管理し、ルネが自分の家族や家から離れている時には、ルネの母親のような役割をしています。ルネが見いだされた時生活保護を受けて暮らしていたルネの両親は、現在もルネのふるさとであるケベック市の対岸にあるオルレアン島に暮らしています。

ルネは、クロデイーヌと大変親しい仲にあります。よくクロデイーヌに、こんなことを言うほどです。「クロデイーヌは、絶対結婚をしてはいけないよ。クロデイーヌが結婚していなくなったら僕はどうしていいかわからないから。」でも、クロデイーヌは、ルネの生活がもうすぐ変化していくことを知っています。「ルネが一人でもやっていける時がやってきます。でも、時々自分では不思議な気持ちになる時があるんです。私はルネと年齢的にそれほど大きな差はないのです。自分では若いつもりでいるので、ルネのことを追いかける若い女の子たちを見ると。。。わかるでしょうか。おかしな気持ち(嫉妬?)になってしまうのです。」

ルネは、この時点では、まだどんな母親も誇りにできる息子的な男の子でいます。タバコや、麻薬などの誘惑、そしてセックスなどには、まだルネには関係ないようです。ルネは、大切な喉を守るためにタバコをすった事がありません。そして麻薬も。クロデイーヌは、言います。「ルネはそのようなことには、とても怖がっているのです。」そして女の子の話題についてもあまり気はなさそうです。「おーそうですね。たくさんの女の子が僕の周りにはいますね。」でも、現実には、ルネが女の子と個人的に出会うことは、むずかしい環境にあるのです。

あのトロントの小さなレストランのウエイトレスは、ルネがどこの一体誰だったのかまったく知らなかったのですが、ルネについて訊ねてみると、微笑んで、声も優しくなり、「あの子がだれか知りませんが、息子にしてもいいと思うような男の子ですね。」と言いました。

テーンエイジャーの女の子たちは、もうしばらく、成長するルネのことを待たなければならないのかもしれません。そして、カナダの母親の女性たちもルネのことをあきらめきれないでいるのかもしれませんね。


最後に初めに話していたルネからのメモをお見せ致しましょう。ファイルに挟んでいたのですがシミができてしまっています。また、その頃の英語でのファンクラブ「Rene Simard Fan Club」か、または、ルネ自身から送られてきたか、今は忘れてしまいましたが、今回紹介したテレビガイドにあるルネの写真とよく似ている大きなブロマイドがありますので、これも紹介します。

ルネからのメモ


少し文字が薄れてしまっていますね。。。

内容は

Thank you for your beautiful letter.
am happy.
(私の名前),please write again.

Rene Simard



テレビガイドと同じファッションのルネ。
刺繍がきれいです。
そしてすっかりテーンエイジャーとなったルネ。