7.7.08

1977年のTVガイド記事/ルネからのメモ

ルネが日本での活動を辞め、ファンクラブ「メープルメイツ」も閉鎖となった後に、いつも一番知りたかったことは、ルネがその後どのような活動をしているか、ルネの近況の様子でした。特に変声期は、どのように過ごしていたのかなど、心配というか不安な気持ちでいっぱいでした。

その頃、同じような気持ちでいた他のファンのみなさんとファンクラブ的な活動をしていたのですが、その活動の一つに、ルネに手紙を書く事がありました。ファンクラブの会誌なども送っていました。また、カナダ大使館の広報課の方の協力も得て、大使館からもモントリオールのルネの事務所に会誌などを送っていただいていたのです。そのころがきっと1977年。ルネは、CBCテレビでのシリーズ番組「ルネシマールショー」の準備をしていた頃なのでしょう。それからこの頃、ルネから初めての返事がきました。短く、事務所のメモ用紙に書かれたルネの文字は、どれほど私を感激させたことかご想像できるでしょうか。。。またカナダでは、ルネの英語でのファンクラブもこの頃、できていました。私が会員になったことは、いうまでもありません。


英語圏のファンを意識しての
新しいルネのカナダでのオフィシャル
ファンクラブが設立されていました。
クラブの名前は、
Rene Simard Fan Club

私の会員証


この何年か後の80年代には、
カナダでのオフィシャル
ファンクラブは、
妹ナタリーと一緒の
Fan Club International Rene & Nathalie
が設立されることになります。

85年モントリオールを訪れていた私は、
そのとき、このファンクラブに入会をしています。
会員証は、プラスチック製で、
現在よく使われているような
カードスタイルでした。

これも私の会員証





ルネについてのことで、今も一番わくわくと胸を踊らせてしまうのが、この頃のルネの様子がわかる記事を読む事です。今回は、そのような記事の一つを紹介することにします。

記事は、1977年9月24日から30日号のテレビガイドからのもので、ルネのアメリカ進出や、CBCテレビでのシリーズ番組の制作が決まった頃のルネの様子を知ることができます。また、現在もルネのそばでルネの仕事をサポートしているgcの秘書であったクロデイーヌバチョーさんのルネに対する少し恋的な気持ちもうかがうことのできるインタビューも含まれていて興味深いものです。少し長い記事ですが、私のようにルネのそれからのことを知りたくて仕方が無かったというファンのみなさまに読んでいただけたら嬉しいです。

なお記事の提供は、ケベックのファングループpassion rene et nathalie simard からです。merci!


1977年9月24日から30日号のテレビガイド




(16才のルネ)

ルネは、待ちきれなくて、
一人で食べにでかけることにした。

ロン ベイス記者

辛抱強くもう3時間も待っていたルネでしたが、レコーデングスタジオのまわりを飛び跳ねだしました。その後、ロトーカナダのテレビ番組のために録音する予定の2曲を口ずさんでいました。そしてとうとうもう待つことにうんざりして何か食べに外出することに決めました。

この決断はルネにとっては、驚くべきことでした。自分できめたことだからです。ルネは、スタジオの後ろのソファで待っている、ルネの面倒を見ている29才のブロンドの女性、クロデイーヌバチョーに許可を得ることもせずにでした。元レコードショップのオーナーで6年前にタレントショーで優勝したルネを見つけ、10才のルネをケベックのスターに育て上げたマネージャーのGCにも外にでる許可を得ませんでした。そのマネージャーは、その場所にはいなかったのですが、普通ならこのマネージャーがルネの生活についての全ての事を決めるのでした。

けれども今回は別でした。そしてルネは、食事をするために一人で通りを歩くことになったです。モントリオールでは、こんなことは決してしないでしょう。ファンに取り囲まれるだけでなく(ルネが14才のとき、スーパーマーケットをオープンしたことがありましたが、店の中で騒ぎが起き大変でした。)マネージャーは、 とくにケベックでは、身代金欲しさに ルネが誘拐されてしまうのではないかという心配もしています。

でもこの夜、ルネが外出したのは、モントリオールではなくトロントでした。ルネがレコーデイングをしていたイーストエンドのスタジオの周りは、狭い通りに囲まれ人もあまり来ないような場所にありました。時おり通りかかる人たちは、ルネよりもブロンドのクロデイーヌに気をとられるようです。






CBC制作の昨年トロントで撮影された
ルネのスペシャル番組から




ルネが着ていたのは、赤と白のシルクジャケット、後ろのポケットにキングコングの絵のある高価なジーンズでした。ルネは、もう16才となり、多くの母親に当たる年齢の女性をとりこにさせた肩まであった女の子のようなヘアスタイルを変えています。今はもっと短く、レイヤーも入って、ブロードライをしているヘアスタイルです。顔の形も以前より細くなり大きな目と濃いまつげのルネは、小さな頃よりもっとハンサムになりました。

歩き出して間もなく、ルネはあごのあたりに赤い物があるのに気がつき、こういいました。「あ、ニキビができている」と。それを聞いたクロデイーヌは、即座に、スターにはニキビはできないもの、ファンにはニキビのことなど知らせなくてもいいのだとルネを注意しました。

ルネは、あごから手をはずして肩をあげて、笑いました。ルネは、絶えず笑っています。まるで見えない手で糸をあやつり口に微笑みをうかべさせているように。

ルネが食事のために選んだのは、小さなレストランで、クロデイーヌの前の席に座りました。そして怒こったような顔つきで、面倒なお客はうんざりという態度の大きなウエイトレスがやってきました。ルネは、メニューを眺めると、ウエイトレスをみて2000ものキャンドルのような威力のある笑顔をみせました。そしていったのです。「ハムとチーズサンドイッチをお願いします。」ウエイトレスはうなずき、そしてルネの笑顔がもっと広がると、彼女はそのようなかわいらしい笑顔と温かな態度にビックリしてしまったようでした。

「それから」ルネは続けます。「僕はそれをトーストサンドイッチにしてほしいんです。でもチーズはとろけさせないように。できますか?」ウエイトレスは微笑んで、母親のようなやさしい笑顔をみせて「もちろんですよ」と答えたのでした。そして手を伸ばしてルネの髪をなでたのでした。

ルネには、年上の女性に対してこのような魅力を発揮する力があるのです。ルネに魅了された大人の女性は、ルネの母親になりたい、そしてルネが自分の子どものようだという気持ちになってしまうのです。ルネがケベックで最初に有名になった時にも、ルネのことを天使のようだと思わずつぶやく女性でいっぱいでした。




このようなルネへの賛辞は、ルネが幼い時には、良かったのです。ケベックで一番の歌手になるために役立ったことでしょう。ケベックでのルネのレコードの売り上げは、あのビートルズやエルビスプレスリーよりもすごいものでした。またフランス系カナダ人の歌手よりも。ルネの最初のあるバムは、発売から3時間後には、ケベックだけでもう162,000枚を記録しました。その後ルネは、18枚のアルバム(すべてフランス語)を出し、そして突然有名になった日本では、コンサートツアーもしました。個人的な財産は800,000ドルになりました。(タイムマガジンが書いたのは、ルネを最小年の億万長者としてでしたが、実は、まだ億万長者という域には達していませんでした。)

ルネは、今はもうテーンエイジャーです。それに、マネージャーは、ルネをアメリカで有名にさせたいと思っています。「それが我々の第一の願いなのです。」とgcは言います。それは、ルネには、新しいイメージが必要になるということでもあります。その準備をするために、今までの2年間、ルネはロサンジェルスに住み、英会話を学び、ボーカルのコーチに付いて変声期のために声がでなくならないようにレッスンをしています。ルネの声は、1オクターブ低くなりましたが、音声は、以前よりもパワフルになっています。それにルネは、アメリカでのショーやラスベガスとレイクタホでのリベラーチェとの6ヶ月間のショーに出演もしていました。

ルネの周囲の人たちは、ルネが新しいダニーオズモンドのようになってくれることを期待しているようです。大人の女性たちを興奮させることはできないかもしれませんが、テーンエイジャーの女の子を興奮させることができるでしょう。ダニーオズモンドは、現在19才ですからもうすぐ大人になってしまいます。そうすると女の子たちは、ルネに目が行き、ケベックの母親の女性たちに変わってルネを愛するようになるでしょう。

その女の子たちのアイドルになるためには、ルネをテレビで売り込む必要があります。デビッドキャシデイは、「パートリッジファミリー」、ショーンキャシデイは、最初、12才で「ハーデイボーイズ」に出演しました。そしてダニーオズモンドは、「ダニーとマリー」の番組でレコードの売り上げが落ちてしまった後もその人気をつないでいます。幸運にもルネにとってテレビ出演は、味方をしてくれています。gcは、モントリオールのトークショーにルネが出演したときにルネを発見し、リベラーチェは、Diahann Carroll and Sandy Duncanショーに出演したルネをみてすぐに、ルネに自分のショーへの出演依頼をしました。日本では、テレビ出演後にレコードの売り上げが一気に伸びました。「テレビには向かないパフォーマーがいるけれど、ルネは素晴らしい。」とルネのレコード制作者は言っています。


ABCネットワークも、その考えと同じようです。去年、ルネのサマーシリーズの番組の制作を決めました。カナダ人の制作者Alan Thicke を起用し、ルネの番組を任せることにしました。Thickeは、30才ですがとても信頼されているプロデユーサーです。これまでに、Bill cosby and Bobby Vinton Showなどを手がけ、そしてこの夏は、Norman Learのトークショー、Frenwood 2 Nightなどを制作しました。けれどもABCネットワークは、ルネのシリーズ番組は、もっと時間をかけて考えたいという意向を示しました。そしてルネは、ルネの番組の制作が始まるまで、ネットワークのバラエテイショーなどに出演することを約束されたのでした。Thicke は、ルネが早く自分のショーをもって、自分らしくショーの内容などをコントロールできるようにさせてあげたいと考え、このことについてCBCテレビジョンのバラエテイ番組の主任 Jack McAndrewと話しました。McAndrew は、以前からルネに注目し、ABCネットワークの制作に期待していました。CBCでは、できないこともABC ならできるだろうと考えていたので様子をみているだけで、ルネと交渉をもつことを我慢していたそうです。ですから、Thicheがきたとき、決心する事ができたのです。gcも「今がルネにとってシリーズ番組をもつのに最適なときだ」という考えで、McAndrewは、ルネと26回のシリーズの契約を結ぶ事ができたのでした。

McAndrewは、その後、バラエテイ番組制作セクションの一番の番組としてニューシーズンに向けて宣伝を始めました。一回のショーの予算は、60.000ドルから70.000ドル。これは、カナダのテレビ制作の基準からするとかなり大きな予算です。これは、バンクーバーにある新しいプロダクションのスタジオで制作されていましたが、まもなく問題が起こりました。それは、カナデイアンテレビジョンラジオアーテイスト協会(ACTRA)からのものでした。ルネの番組のために雇われた6人のアメリカ人の脚本家はロサンジェルスで仕事をしていましたが、 このACTRAからの苦情によりアメリカ人の脚本は使用できなくなったのです。テレビショーを制作するのは、まるで政治をするようなものなのです。」とMcAndrewは言います。


ルネは、このような状況をどう思っているのでしょうか。ルネがあらゆる事に対してどのように感じているかを知るのは、とても難しいことです。ルネは、楽しそうで、複雑な事はかんがえていなさそうで、それにとても純粋そうです。ルネのたった一つの心配は、彼の仕事のことについてです。ルネになぜこのシリーズ番組をするのか聞いてみました。ルネは、「僕は(このテレビのシリーズ番組をすることを)気にしていません。違った事をするのは、好きですから。」と言いました。





ルネは、これまで、9才から周囲から近くで見守られ、厳しい現実からも守られてきました。最初は、gcによってそして今は、gcの秘書であるクロデイーヌによって。彼女は、法的なルネの保護者ではありませんが、自分では、ルネの保護者であると考えているようです。クロデイーヌは、ルネの洋服を購入し、スケジュールを管理し、ルネが自分の家族や家から離れている時には、ルネの母親のような役割をしています。ルネが見いだされた時生活保護を受けて暮らしていたルネの両親は、現在もルネのふるさとであるケベック市の対岸にあるオルレアン島に暮らしています。

ルネは、クロデイーヌと大変親しい仲にあります。よくクロデイーヌに、こんなことを言うほどです。「クロデイーヌは、絶対結婚をしてはいけないよ。クロデイーヌが結婚していなくなったら僕はどうしていいかわからないから。」でも、クロデイーヌは、ルネの生活がもうすぐ変化していくことを知っています。「ルネが一人でもやっていける時がやってきます。でも、時々自分では不思議な気持ちになる時があるんです。私はルネと年齢的にそれほど大きな差はないのです。自分では若いつもりでいるので、ルネのことを追いかける若い女の子たちを見ると。。。わかるでしょうか。おかしな気持ち(嫉妬?)になってしまうのです。」

ルネは、この時点では、まだどんな母親も誇りにできる息子的な男の子でいます。タバコや、麻薬などの誘惑、そしてセックスなどには、まだルネには関係ないようです。ルネは、大切な喉を守るためにタバコをすった事がありません。そして麻薬も。クロデイーヌは、言います。「ルネはそのようなことには、とても怖がっているのです。」そして女の子の話題についてもあまり気はなさそうです。「おーそうですね。たくさんの女の子が僕の周りにはいますね。」でも、現実には、ルネが女の子と個人的に出会うことは、むずかしい環境にあるのです。

あのトロントの小さなレストランのウエイトレスは、ルネがどこの一体誰だったのかまったく知らなかったのですが、ルネについて訊ねてみると、微笑んで、声も優しくなり、「あの子がだれか知りませんが、息子にしてもいいと思うような男の子ですね。」と言いました。

テーンエイジャーの女の子たちは、もうしばらく、成長するルネのことを待たなければならないのかもしれません。そして、カナダの母親の女性たちもルネのことをあきらめきれないでいるのかもしれませんね。


最後に初めに話していたルネからのメモをお見せ致しましょう。ファイルに挟んでいたのですがシミができてしまっています。また、その頃の英語でのファンクラブ「Rene Simard Fan Club」か、または、ルネ自身から送られてきたか、今は忘れてしまいましたが、今回紹介したテレビガイドにあるルネの写真とよく似ている大きなブロマイドがありますので、これも紹介します。

ルネからのメモ


少し文字が薄れてしまっていますね。。。

内容は

Thank you for your beautiful letter.
am happy.
(私の名前),please write again.

Rene Simard



テレビガイドと同じファッションのルネ。
刺繍がきれいです。
そしてすっかりテーンエイジャーとなったルネ。



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