10.3.13

ルネの誕生日で想ったこと/第12回東京音楽祭前夜祭2


今夜は、ルネのToujours Plus Loin というアルバムを聴きながら、どんな記事を書こうかとまだ考えています。83年の第12回東京音楽祭前夜祭のステージに立ったルネのビデオの続きをアップしようと思っているうちに、そのビデオの編集が済んでいなかったので、また前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今夜はそのビデオも紹介します。


ルネの誕生日、そして想った こと




ビデオの前に、ルネの誕生日で想ったことを少し 書いてみたいと思います。

先週の2月28日は、ルネの52才のお誕生日でした。 フェイスブックの日本のルネのファンの皆さんとオンタリオ州のルネファンのローラさんとで、一枚のバースデーカードを作り、ジゼルさんのVippassion Simard のページに送りました。大勢のケベックのファンも気に入ってくれたようです。カードは、それぞれがお気に入りのルネの画像を一枚選び、そこにお誕生日のメッセージとそして' Rene to Japan!'の一言を添えたものをコラージュ風にしたものでした。これは、みんなで参加する「ルネを日本へ!(もう一度呼びましょう)」のブロジェクトの最初のイベントとして企画したものでもありました。フェイスブックでは、「Rene to Japan! ルネを日本へ!」というグループページも作ってあります。

できたらみなさんで作ったそのカードをここで紹介したいのですが、みなさんに許可をまだいただいていないので、私のカードの部分だけをアップいたします。



 「ルネを日本へ!」という夢は、まだてしなく夢のままですが、その夢への小さなプロセスを、プレッシャーや、苦痛を感じるのではなく、楽しみながら勧めていくのが大人になった私たちがしたいことだと私は思うのです。ルネを日本に呼ぶということだけが目標ではなく、それまでのプロセスを「ルネとファンとの切れた糸をつなぐ」という時間に使えたら、それはとても素晴らしいことだと思います。ルネが日本のファンについて現在どう思っているのか、どれほどの気持ちがあるのかよくわかりませんが、時が流れ、時代が変わってお互いに大人になり、昔とはちがったもっと近いファンとルネの関係が作り上げられたとしたら。。。考えるだけでとても興奮してしまいます。

そして、他のファンのお友達との信頼関係を築くことも大切だと思います。それがなければ、一緒にルネを日本へ呼ぶという夢も叶うことはないのですから。昔、高校生だった頃に手紙のやり取りだけで他のファンのみなさんと交流していたことが、今では、ネットで簡単に交流ができるようになりました。特にフェイスブックでは、一人一人が、コメントを書いたり読んだり、日常生活からの画像のアップなども簡単に出来るので、お互いの事が他の方法より分かってくるように思います。それぞれが、「自分」を表現できる場所だと思います。


それから、いつも思うのは、ルネにまた日本に来てほしい、そして昔と同じような気持ちでいつづけるルネのファンが、はたしてどのくらいいるのか?ということ。昨年のルネのcdの発売でもどのくらいの数のリクエストがあったのか、わかりませんが、そのリクエストした全員が、懐かしいという気持ち以上にルネのことをまだ思い続けているのか? ということ。私たちの年代でフェイスブックをしている人は、まだ少ないのかもしれません。でもまだ出会えていないかもしれない多くのルネのファンの方たちがほんとうにいますように。そして「是非フェイスブックでお会いしたい」と思うのです。


昔のルネの話、そして現在のルネになるまでのこと、現在のルネのことをたくさんお話して、関係のないことも楽しくお話して、お互いを知り、ルネのことも知り、ルネにもメッセージを届け。。。という時間を持ち、いつかそのファンの方たちと共にルネを(どのような形でも)日本に迎える日が来たら、ルネにとっても、私たちファンにとっても、それはそれは、素敵な夢の実現になると確信します。



それでは、1983年3月、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネのビデオです。これは、前回の記事のビデオの続きで、パート3ということで紹介いたします。前夜祭パーテイ会場でのインタビューが終わり、司会の朝比奈マリアさんに紹介され、ナタリーとルネが会場のステージへ立ちます。このパート3では、ルネの英語での挨拶からナタリーと「ミドリ色の屋根」をデユエットする直前まで。ルネは、とっても紳士的にオトナのルネとして頼もしくお話しています。この時、ルネは22才、ナタリーは13才です。




そしてパート4として編集したのは、ルネの挨拶のあとに歌われた「ミドリ色の屋根」のステージ。このステージを目の前で観ていた私には、感動を通り越してのショック以外の何ものでもなかったこのステージ上のルネとナタリーの姿と歌声。ルネが突然日本から姿を消してしまったあの1976年以降、初めて目にする本当のルネ。それまで、10代後半のルネの姿、20才になったルネの姿は写真では知っていましたが、私にとっては、14才のルネが一気に22才として現れ、妹のナタリーは、顔や姿、声まで13、4才のルネに生き写し。。。という二人の姿を同時に見て、しかもその二人があの「ミドリ色の屋根」を一緒に歌っている。。。あれほど会いたかったルネ、日本に来てほしかったルネは、ファンには何の前ぶれもなく、ファンの気持ちとは関係のないところで実現したルネの来日。嬉しくて胸がいっぱいなのですが、それは、嬉しいだけの気持ちというより、「複雑な嬉しさ、そして悔しさ」感じながら、胸がえぐられる?ようなそんな気持ちで、涙があとから後からこぼしながら、ステージのルネとナタリーを見ていました。。。

メープルメイツ2やボンジュールルネというファンで作っていたファンクラブでは、1976年ぐらいから、アルファレコードやCBSソニー、東京音楽祭事務局へ、ルネの来日を願う署名を送ってはいたものの、それは、このルネの来日の4年ぐらい前には、終わっていたのです。




83年の時には、まだ知らなかったことばかりでした。ルネがどうして日本での活動をやめることになったのか。でも、現在では、ルネが置かれていたその頃の状況のことが分かり、理解できているので、このビデオのルネとナタリーのステージを、今は、落ち着いた気持ちで見ることができるのがとても嬉しいです。そして、ルネのファンの皆様にその時の気持ち(これは以前にもよく書いていたことでしたね。)をシェアしながら、一緒にこのルネとナタリーの「ミドリ色の屋根」のステージを観ることができるのもとても嬉しく思います。

次回には、ナタリーの「五月の手紙」のステージ、そしてルネとナタリーが花束贈呈をする場面のビデオを紹介したいと思います。


Riko Auckland


3 件のコメント:

yume さんのコメント...

fbの方でコメントできませんでしたので、こちらに書かせていただきます。
22歳のルネを間近で見たRikoさんの揺れるお気持ちを想像すると、今の私でさえ足が震えるような気がします。
ルネの姿を求めて私は毎年東京音楽祭の放送を祈る想いで見ていましたが、この年は見ることができませんでした。
ルネの来日を知ったのは、ナタリーのデビュー後です。
ルネの綺麗な英語、大人の声、そしてすっかり青年になったルネの姿をあの時私が見ていたら、ルネがとてつもなく遠い所に行ってしまった現実を突きつけられた気持ちになったかもしれません。

30年が過ぎた今、Rikoさんのおかげで22歳の若いルネの姿に触れてさまざまな思い出を蘇らせることができること、とても幸せに思います。
ありがとうございました。

ルネに私たちの想いが届きますように!!

yume さんのコメント...

fbの方でコメントできませんでしたので、こちらに書かせていただきます。
22歳のルネを間近で見たRikoさんの揺れるお気持ちを想像すると、今の私でさえ足が震えるような気がします。
ルネの姿を求めて私は毎年東京音楽祭の放送を祈る想いで見ていましたが、この年は見ることができませんでした。
ルネの来日を知ったのは、ナタリーのデビュー後です。
ルネの綺麗な英語、大人の声、そしてすっかり青年になったルネの姿をあの時私が見ていたら、ルネがとてつもなく遠い所に行ってしまった現実を突きつけられた気持ちになったかもしれません。

30年が過ぎた今、Rikoさんのおかげで22歳の若いルネの姿に触れてさまざまな思い出を蘇らせることができること、とても幸せに思います。
ありがとうございました。

ルネに私たちの想いが届きますように!!

Riko Auckland さんのコメント...

yumeさん、コメントをありがとうございました。22才のルネを見たときの気持ちのこと、ずっとずっと時間が過ぎた今、こうしてyumeさんのようなルネのファンのお友達に読んでいただけ、同じ気持ちをシェアし合える事は、とても嬉しいことです。「ルネがとてつもなく遠いところへ行ってしまった」。。。ほんとにそうだったんです。そして私たちの知らないところであんなに大人になって、私たちがどんなに日本にきて欲しい、せめて私たちともう一度連絡をとりあってほしいという願いをもってファン活動をしていた時期にはなにも起こらなかったのに、大きな力では、ルネの来日が叶うという現実にも打ちのめされた。。。という感じだったと思います。30年!も経ってしまったけれども、今こうして22才のルネの姿を見ていただけたこと、私もとても嬉しいです。

ルネに私たちの想いが届きますように!