14.12.14

ルネの祖先を探す旅 その1 テレビ番組 Qui êtes-vous? 「あなたはだれ?」から



     
12月1日午後9時より放送された 「あなたはだれ?」の番組からのルネ source: radio canada qui etes-vous?

最近のルネは、来年3月に発売される10年ぶりぐらいになるアルバムのこと、ジェミニ賞の司会、テレビ番組出演、来年2月に放送予定のテレビ番組収録など、話題にすることはたくさんありましたが、その様子は一般公開サイトのフェイスブックのルネのコミュニテイーページ「GOLDEN BEST limitedルネシマール」で紹介しています。いち早くルネの様子をシェアしているスペースです。コメントをするのは、facebookのアカウントが必要ですが、閲覧するのはどなたでもできますので、のぞいてみて下さいね。


     ルネの祖先を探す旅 その1         


今回は、久々に机に落ち着いて、このブログスペースで、ルネのお話を一つ選んで書いて行きたいと思います。いつも、何が一番書きたいことだろう?と自分に尋ねながら書く内容を決めていくのですが、今回は、数日前に放送されたテレビ番組 Qui êtes-vous?「あなたはだれ?」について。この番組は、ゲストの祖先について、ゲストと一緒に探して行くという内容です。シリーズ第2弾で、3人のゲストが出演する予定ですが、ルネはその一回目のゲストでした。




オルレアン島のセントペトロネルの「船長の家」付近でのルネ

          
放送終了後に番組のフェイスブックやtwitterでシェアされたケベックのファンや視聴者の感想は、とても素晴らしい内容だった!、感動した!というものばかりでした。それは、ルネの祖先そのものが、自分の祖先であったということを発見した人たちが多くいたからなのだと思います。

現在のケベックに住む10人のうちの4人の割合が、ルネと同じ祖先を持っているそうです。そしてアメリカを含む北米に住むシマール姓の人たちの祖先も、ルネと同じ祖先。

フランスでシマール姓を名乗る祖先が、はじめてケベックの地に足を踏み入れたのは、1657年7月のこと。ピエールシマールとその息子のノエルシマールでした。ノエルシマールがケベックで結婚し家族を持ったところからが、北米でのシマール姓を名乗る人たちの家系の始まりでした。ルネの祖先を探す旅は、視聴者にとっても自分の祖先を探す旅だったというわけですね。モントリオール、オルレアン島、チクテイミ地方、そしてフランスへと、ルネは、400年前までの祖先を辿って感動的な旅をしてきたようです。

ルネは、この番組で自分の祖先の生き方を知り、その祖先からずっとつながって来た自分の存在というものについての意味を感慨深く受け取り、次の世代である子ども達のオリビエくんとロザリーさんへの愛もいっそう深いものになったのではないでしょうか。


アレクシスシマール と エリザベスシマール
(1812年9月22日結婚)
ルネのgreat great great grandparents
下記に紹介していある家系図の中で6番と書かれてある夫婦です。
source:ケベックのファンのjohanneさんからいただいた番組からのスクリーンショット

ルネのgreat great great grandfatherでチクテイミ地方のLa Malbaieで生まれ結婚し、Saguenay-Lac-Saint-Jean に最初に入植し、地域に多大な貢献をしたと言われるアレクシスシマールを祖先に持つという女性のコメントもありました。「フランスに行って自分の祖 先のことを知ることは夢だったので、この番組はとても興味深く観た。ルネと番組のスタッフの方達に心から感謝したい。」ちがうコメントの中では、「泣いて しまったほどなにものにも代え難い貴重な贈り物をもらったような気持ち」と書かれていました。


ルネの祖先を探す旅ルートを説明した地図。モントリオールからオルレアン島のセントペトロネル、その後ルネが生まれたチクテイミ地域にあるサグネとBaie-Saint-Paul. そしてそこからフランスのAngouleme(アングレーム)、最後に訪れた場所は、Puymoyen(ピュイモワイヨン)sauce:radio canada qui etes-vous?


この番組をきっかけに、私が調べて読んでみたルネの祖先について興味深いこと、番組の内容とともに紹介していけたらなと思います。また、ケベックのルネとナタリーファンであるJohanneさんが、一時間ほど時間をかけてこの番組のビデオからスクリーンショットした画像を見せてくれながら、どんな場面なのかを説明してくれました。

Johanneさんに、ルネと一緒に祖先を捜す旅に連れて行っていただいているような気持ちになりました。その画像をみなさんにも見せていただいてくださいとJohanneさんから許可を得ていますので、それを含め、今、私が分かっていることを紹介しながらルネの旅を辿って行きたいと思います。ルネもこの同じ旅を息子さんのオリビエ、娘さんのロザリーを連れてもう一度再現したいそうです。「祖先がどんな人たちであったのか、そして祖先がユニークな考えを抱いて、ケベックにやって来たことを二人にも知っておいて欲しい。」と。

Merci beaucoup, Johanne!

(source: quebec huffingtonpost )

旅に出かける前に、昔の家族の写真を息子さんと娘さんと一緒に見ているルネ。

*photo source: johanne gagnon/radio canada qui etes-vous?

見ていた写真の一枚は、生後8ヶ月のルネ。息子さんのオリビエくんに現在のルネと見比べられています。(笑)

生後8ヶ月のルネ(やはり、耳がちょっと大きいかな。。ふふ)


番組の最初に先ずルネが話したことは、お父さんのジャンロックシマール氏とお母さんのガブリエルさんをどれほど愛しているか、感謝している気持ちだったそうです。そしてお母さんへの深くて強い信頼を持っていること。やはりとってもルネらしいなあと思いました。




ルネの家族:左からルネ(10才くらいでしょうか。デビュー直後だと思います。)姉リン、兄マルタン、母ガブリエル、妹ナタリー、弟ジャンロジェ(アレクシス)、父ジャンロック、兄レジス、姉オデット まだ「白い家」と呼ばれるセントペトロネル(オルレアン島)の家に住んでいた頃の写真なのかもしれません。


ルネとお母さんのガブリエルさん。ルネはお母さんに絶対の信頼を置いています。お母さんは、お元気に暮らしているそうです。


 もうすこし成長しているルネときょうだいたち。ルネと同じシャツを着ているのは兄のレジス。これは、「船長の家」と呼ばれるルネがデビュー後に購入したセントペトロネル(オルレアン島)の家の居間で。


このような昔の写真を見ているルネとオリビエくん、ロザリーさん。ルネがこんな風にお父さんになるなんて。。13才のルネのことを考えると感無量です。。ふふ。


 まだ3人は、家族写真を見ています。ルネの両親の結婚式の写真。向かって右のカップルがルネの両親。もう一組のカップルと合同で式をあげたそうです。1953年7月15日挙式。

  
さてこのお二人はどなたでしょう?ルネのお父さんの両親 です。クリスマスツリーが背後に見えますからクリスマスに集まった時の写真なのでしょうか。ルネの祖父のアレクシスシマールと祖母のマティイルダ (モらン )。このお二人の挙式は、1910年11月3日でした。



ルネの家系図 source: Club Rene SimardメンバーのSerge Comeauさんの提供
 シマール側の名前の下にあるのは、挙式日とその場所。奥さん側の名前の下にあるのは、奥さんの両親の名前です。

この家系図にある、一番上の11番目にあるのがルネとマリージョセ。そして一番下にある一番目にあるのがフランスからニューフランスと呼ばれていた頃にケベックに初めてやって来たルネのケベックでの最初の祖先のノエルシマールとケベックで出会い、結婚した奥さんのマデラヌ (らシヌ)。

マデラヌの祖父であるエイブラハムマルタンは、フランス王アンリ4世によって派遣され、ケベックを最初の定住植民地として開拓をしたサミュエルドシャンプランのためにセントローレンス川の港で働くパイロットとして働いていたそうです。

パイロットというのは、船が港に入るまでのナビゲーターをする人のこと。港付近の海や川の地形や、潮の流れ、潮の流れで変化する水位に詳しい知識を持ち、船がやってくると船が岩や浅瀬にぶつからず安全に港に寄港できるまで小さい船に乗って出迎え、船を港まで案内するのです。現在でもこの仕事は、とても責任のあるものですが、当時は、船の中にすべてのものを入れて運んでいたので、その船の安全を見守るパイロットの仕事は非常に重要でした。

その仕事ぶりを認められ、シャンプランよりお金や土地を贈与されました。マデラヌは、そのエイブラハムマルタンの娘マルガリットの娘(孫娘)でした。ref: Abraham Martin  dictionary of Canadian biography

エイブラハムマルタンのポートレート


マデラヌの家族は、ケベックで一番古く、シャンプランのためにパイロットとして仕事をしていた祖父のために敬意を受けていた家でした。お母さんマルガリットは、カナダ(ケベック)の地での定住者として初めて洗礼を受けた人でした。また祖父のエイブラハムマルタンの名前は、「エイブラハムの沿岸」、「エイブラハムの平原」(Plains of Abraham) という名前にも残され、ケベックの歴史の中で特別な役割をした家系でした。

エイブラハムの平原は、エイブラハムがシャンプランから譲り受けた土地だったと言うのが定説のようですが、実際には譲り受けた土地はもっと違う場所という話もあるそうです。このエイブラハム平原は、後の1759年にイギリス軍とフランス軍の戦いがあった場所でもあり、現在では、公園となっている場所です。歴史的な戦いがあった場所である戦場公園という名前もあるようですが、ケベックの人たちは、この場所をエイブラハムにちなんだ名前である、plains (of Abraham)と親しみを持って呼んでいるそうです。(ref: Abraham Martin origin of the simard family

ケベックを訪れて、この公園を歩く時には、ルネの祖先の名前が付けられている事実を思い浮かべ、嬉しさも深くなることでしょう!

source: Historical Narratives of Early Canada


現在のエイブラハム平原 シャトーフロントナックホテルのすぐお隣にあります。source:plaines of Abraham



ルネも番組の後半の部分で、マデラヌが結婚したノエルシマールのことを知ります。ノエルシマールは、1657年7月、父親のピエールシマールに連れられフランスから"Le Taureau"と言う船に乗ってやって来ました。その二人が住んでいたフランスのCharente地方のPuymoyen という街にもルネが訪ねて行くことになったのでした。(ref: quebec huffintonpost)


では、ノエルシマールとの出会いはまた後ほどということにして、ルネの旅を見て行きましょう。オリビエくんとロザリーさんとの思い出の家族写真を見た後、最初に出かけたのは、オルレアン島のセントペトロネルの村。ここは、チクテイミから越してきた後に数年住んでいたところというのは、みなさんもよくご存知でしょう。1974年、ルネが日本でデビューした時にもそれは紹介されていましたね。


いざ、オルレアン島へ!


車の運転はルネ!




オルレアン島はケベックシテイからすぐのところにあります。モンモラシーの滝の反対側にあるこの橋をわたって島へ。85年の夏、私はこの橋を自転車で渡り、島に向かいました。その時の話を紹介した記事がありますので、良かったら読んで下さいね。

モントリオール1985年の夏休みーその10(オルレアン島)






そしてセントペトロネル。橋を渡ったところのすぐ近く。島の西の端に位置しています。


ルネの家族が最初に住んだ家は、この画像にある家の2階でした。「白い家」と呼ばれています。ルネのドキュメンタリー映画「普通の子ども」にも出てきていました。ルネがあの階段のところに座っていて、マネージャーとなるgcが深い雪の中、ルネの両親に会いにくる場面と、この家を出て、新しくルネが家族のために購入した「船長の家」に越して行く場面だったと思います。 

この映画「普通の子ども」(Un Enfant Comme Les Autres)は、現在 itunesで、レンタルして手軽に観ることが可能になっています。けれども、今のところは、日本とニュージーランドitunesショップでのレンタルは不可。。。けれども下記のリンクからitunesを開いて、この映画を検索すると、そこでトレイラーも少し観られます。




ルネは、「白い家」2階の家を訪ね、中を案内してもらいました。





家の中の様子。昔ルネたちが居た頃から使われているものが残っていたそうです。このあたり、ルネのローラセコードのコマーシャルに出てくるキッチンの様子に少し似ている気がします。


そしてこのミドリのカップボードをみて驚いてしまうルネ。


このカップボードはルネたちが住んでいた頃に使っていたものだったからです。


そして、このカップボードの扉の内側には。。。?


そうです!ルネの家族たちが書いた落書きのようなものが今も残っていたんです。
ここには、真ん中あたりにレジス(Regis)の名前が。


そして、ルネ、14 と書かれているのが見えるのでしょうか。


次に案内されたのは。。。?


4人の男のきょうだい(マルタン、レジス、ルネ、ジャンロジャー)が寝ていた部屋!









白い家の近くには、ケベックシテイからのボートがやってくる船着き場があったそうで、そのボートがやってくる度にルネ一家は、みんなで外のテラスにでて、船から降りてくる人たちに向かってよく歌をうたっていたそうです。船から降りた人たちは、ルネと家族の歌を聞きながら歩いたそうです。そしてそんなルネの家族は、「歌う家族」と呼ばれていたとか。

これは、ケベックのナタリーファンであるジョセフくんが、ルネのお父さん(ルネかも)が雑誌の記事か何かで、この話をしてたのを覚えていて、とてもいい話だと思ったと教えてくれました。

この上の画像は、セントペトロネルのホテルAuberge la Goelicheのガゼボのある駐車場だと思います。昔このあたりにその船着き場があったのかもしれません。85年の夏、私もこの場所で自転車を停め、休憩したところです。このホテルで、セントローレンス川を行き来する船を観ながらルネの子ども時代の頃に思いを馳せ、食事などできたら素敵な時間が過ごせそうです。宿泊せずにレストランでの食事だけでも可能です。







以前のオルレアン島についての記事のために、セントペトロネル村地図に日本語の表示とルネとナタリーの画像を加え作ってみたルネファンマップ地図です。これを見ると、「白い家」と「船長の家」がどのくらい近いところにあるのか分かります。「白い家」の場所にナタリーの画像を使ったのは、ルネの家族がこの家に住んでいた時に、末っ子の妹ナタリーが誕生したからです。



ルネが次に訪れたのは、「船長の家」。「白い家」からとても近いところにあります。
船長の家の向こう側には、すぐにセントローレンス川が見えるんです。そしてこのような白樺の林も。私もこの辺り、とても記憶に残っています。





 ルネの右あたりには、ルネが聖歌隊をしていた教会へ行く横道があります。「白い家」から教会へ通っている時に、売りにでていた「船長の家」をデビュー後、ルネが購入しました。


 そして、これが「船長の家」。ここでは、ルネは家の中には入りませんでした。入る許可が出なかったのでしょうか。番組では、そのことには触れられなかったそうです。





では、ここで何枚か、「船長の家」での思い出の写真を。


「 船長の家」の入り口の階段のところで家族全員で。
 source: passion simard

「船長の家」で。暖炉の前で。左から兄レジス、妹ナタリー、弟ジャンロジャー(アレクシス)source: my own



家族でクリスマスの歌を家の居間でワイワイと楽しそうに歌っているのをレコーデングしたアルバム’Le Temps Des Fetes Chez La Famille Simard A L'Ile D'Orleans’のジャケットカバーにも使われたクリスマスの家族写真。パジャマ姿になっているのがとても可愛らしい!

このアルバムを聴いているととてもシアワセな気持ちになります。ルネの愛する信頼するお母さんも大きな声で歌っています。

左から:兄のマルタン、弟ジャンロジャー(アレクシス)、一番上の姉オデット、二番目の姉リン、ルネ、父ジャンロック、一つ上の兄レジス、母ガブリエル、妹ナタリー

この画像は、メープルメイツと呼ばれていたルネのファンクラブに入っていた方なら懐かしいものでしょう。会報誌no3(1975年夏)からのもの。source:my own


この画像も同じ会報誌からのものです。「船長の家」周辺で撮られた感じがします。家の裏かも。庭のようなものがあったのでしょうか。85年に私がその家を見た時には、家の裏には庭のようなものがなく、山林だったような記憶があります。75年当時とでは、まったく変わっていたと思いますが!

画像は、ルネが日本のファンからいただいてきたプレゼントやおみやげで、みんな浴衣、またはカンフースタイルですね。かわいい。。。ケベックのファン、マリエルさんのお話では、ルネが日本に出かけた時には鞄が数個だったのに、帰って来たときには、すごい数の鞄と荷物だったそうです。source: my own



家の横でルネは何か歌ったそうです。どんな歌だったのかケベックのファンにお聞きしてみますね。


 オルレアン島での思い出を考えているルネ。


石切をしているルネ。子どもの時にもきっとこうして兄弟たちと遊んでいたのでしょう。


ルネが見えますか。向こうの岩の上にたたずんでいます。

 あ、いました!


さあ!オルレアン島での思い出探しの旅は終わり!
次の場所は、ルネの生まれ故郷のチクテイミです。番組はここで休憩。



そして、チクテイミに到着!


この続きは、「ルネの祖先を探す旅 その2」で紹介していきますね。ここから先が本当の「祖先を探す旅」の始まりとなります。この地のために貢献をしたというルネのgreat great great grandfatherにあたるアレクシスシマールと言う人は、一体どんなことをしたのでしょう。次の記事をお楽しみに!



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