6.5.12

モントリオールの夏休み1985ーその7(モントリオールへ!)

いつの間にか、秋から冬へ向かっていることに気づいた今日この頃。室内では、半袖でも平気なのに、外に出るとものすごく冷たい風を感じます。コートかジャケットなしでは、外にでられない日が多くなりはじめました。先週末の日曜日は、オークランドからフェリーで、1時間15分で行く事ができる Tiritiri Matangi Islandという、ニュージーランド特有の鳥が住む島に、行ってきました。話しには、聞いていましたが、鳥や山歩きが好きな人なら、天国のような島でした。昔この島には、ほとんど森がなかったのですが、たくさんのボランテイアによって、ニュージーランドの木の植林が行われ、今では島全体に美しい森がひろがっています。現在でも国の野生保護局とボランテイアの人の手で島の自然や鳥は、保護され、鳥についてのガイドもボランテイアの人が行っています。では、一緒に行った仲間がとった写真を何枚か紹介いたしましょう。

Tui (ツイ)
ニュージーランドには、英語の他にあと一つ、マオリ語という公用語があります。この鳥の名前は、マオリ語。
Takahe (タカへ)
まったく飛べない鳥で、林の中より、草が広がったところを好む鳥。すごく大きい!

 たぶん、Rifleman (titipounamu)という体長8cmの小さな鳥




オークランドの話どころではありませんね!今週は、いよいよモントリオール到着のお話ですから!でも、自分でも何をどこまで覚えているか定かではないので、どうなることかと心配しています。それでは、スタート!




ストラットフォードからトロントまでは、地図でみるとそんなに離れていないようなのに、今 VIA Rail Canadaのサイトで時刻表を調べてみたら、午前8時34分にストラットフォード駅を出ると、トロント駅に到着するのは、なんと午後8時58分!12時間もかかっていたのでしょうか!記憶がありません。。。 




その後の電車に乗ったとしたら、トロント到着は、午後11時20分!トロント到着後、トロントへ宿泊したという記憶もないので、トロント駅からモントリオール駅に向けてそのまま電車に乗ったのでしょうか。。。そして、旅の相棒だったブレンダさんと一緒にモントリオール駅に降りたという記憶もあいまいです。いつまで一緒にいたのでしょうか。ただモントリオール到着後は、一人旅が始まったということは、覚えています。では、トロント駅からモントリオールまでの時刻表を見てみましょう。
えええ。。。やはり、そんなに遅い時間に出発する電車はないようですね。27年前の85年の夏にはあったのか?それにしても、この時刻表と同じようだったとすると、トロントでどこかに宿泊しなければならなかったと思うのに、全く!覚えていません。駅の構内などに野宿?というようなことをしたのでしょうか。。ただ覚えている光景は、トロントの駅をすぐ出たところにきれいな噴水があったこと。夜だったので、タクシーでナイアガラへ向かう時か、モントリオールへ向かう前ということになります。雨はふっていなかったので。。。トロントに泊まった???これは、深く考えずに。。。先に進むことにします。日本においてあるアルバムにも噴水の写真はあったのに、その他のトロントからの写真はなかったような。。。アルバムの写真をいくつかカメラに撮ってきてあったものを見てみます。ありました、噴水の写真!トロントの駅の前にある噴水と書いてあるようです。
この写真は、ナイアガラへ向かう時のアルバムのページなので、モントリオールへ向かう前のものではありませんね。。。 


トロントユニオン駅


この写真の説明によると、このコンコースは、VIA Rail がトロントを出て、オタワ、モントリオール、ウインザー(キッチナー/ウオータール、ストラットフォード)などへの出発口だそうです。この写真をみて、「知ってる!」と思ったのは、記憶違いではありませんでした。このあたり、よく覚えています。覚えている場所の写真を見つけると、すごく嬉しい!まるで思い出探しという感じがします。


時刻表によると、トロント駅からモントリオール駅までは、朝一番の電車午前6時40分に乗ると、正午に着くので、5時間20分かかっています。ストラットフォードからトロントの方がずっと距離が短いのに、どうしてこちらの方が早いのか!メインの路線だから電車も速い電車だったのかも。



 photo@via rail canada
トロントのCNタワーとVIA Rail Canada の電車




5時間20分の間、モントリオール駅に向かう間、私は一体何をして、何を考えていたのでしょうか。覚えている事は、ルネのカセットテープを聴いて、モントリオール=ルネ!という感激でもう胸をいっぱいにしていたこと。オタワまで電車が近づくとそれまで、街という感じでもなかった景色が少しづつ都会のような景色が現れてきたこと。


 首都オタワ駅のプラットフォームであっても、日本の首都東京駅のような雰囲気はもちろんまったくなし。。。でも他のカナダの駅に比べると、ずっと「都会風」なのでした。(日本の都会と比べられるような都市は、カナダでなくともあまりないと思いますが!)

 電車にいるときには、気がつかなかったと思うのですが、オタワあたりから、他の州より断然フランス語が使われていることに、後で気がつくことになります。やはり、首都だけあって、公用語としてのフランス語を他の州のお飾り的なフランス語の使い方(公的なインフォメーションのみ!)ではなく、ちゃんともっと使っている雰囲気がありました。BC州では、小学校から高校に入る前までは、フランス語を「必修」として学ばなければなりませんでした。多分他の州も同じだと思います。そして高校に入ると「選択科目」となります。(84年ー85年当時)授業を見させていただく機会がありましたが、フランス語をふつうに使えるようになるというような感じでは、全くなかった!ような雰囲気でした。

フランス語を教える先生のほとんどは、夏休みなどを利用して、モントリオールでの完全にフランス語だけのレッスンを受けるという研修などをよくしているようでした。BC州の知り合いの高校のフランス語の先生、ノエルさんも、85年の夏休みに、この研修でモントリオール大学に来ることになっていました。私よりも少し遅れて。モントリオール大学の学生寮にお世話になっていた私は、このノエルさんと晩ご飯を街に食べに行ったり、少し観光したり、ノエルさんの研修に出席させていただいたりしていました。


さてさて!私の乗った電車は、もう少しでモントリオールに到着!私の胸はドキンドキンと高鳴り始めました!そして、聞こえてくるアナウンスはもう完全にフランス語!「モンロエアル、 モンロエアル」という感じで聞こえてくる「モントリオール」到着が近い事を伝えるアナウンス。この時私は、モントリオールのオリジナルな意味を思い出したのです。英語で言うと「マウント ロイアル」!「あああー!そうだったわ!そうなんだ!」と思ったのをとてもよく覚えています。そして、頭の中では、ルネの76年のモントリオールオリンピックの公式ソングの 'Welcome to Montreal, Welcome to Montreal!' という音楽がなりだしました!窓から見える景色も、もうイギリス的なものではなく、完全にフランスという感じに変わっていました。


  
 このルネのモントリオールオリンピック の公式ソングについては、興味深い話があります。過去の記事でそのことを書いていますので、お読みください。この曲は、英語とフランス語バージョンの2つがあります。



ルネが、オリンピックがはじまる以前のオリンピック委員会の前で、 この曲を披露している姿が見られるビデオがyoutubeにあります。これもフランス語版。このオリンピックで有名になったナデア コマネチの演技もあります。





私もこんな感じでプラットフォームに降り立ちました。

モントリオールの駅のプラットフォーム、構内に入っても今までのカナダとちがう別のフランス的カナダ(または、アメリカ的フランス)という感じで、洗練された雰囲気。とにかく、住んでいたBC州とも、旅の途中で見てきたどのカナダの街ともまったく違う別世界だったのです。

 
                                             photo@flickr juitar photography

モントリオール駅構内

ここのカウンターで何かを確認した記憶がありますが、何をしたのか思い出せません。
とにかく、ブレンダさんの姿はもう見当たらないということは、覚えていますから、一人だったのでしょう。駅員のおじさんもだれもかも、英語を話しても、それは、フランス語のアクセントのある可愛らしい(と思った)英語でした!

このあと、とりあえず、駅から近い、若者が泊まるホステルのような所を見つけて、 一泊。ここで、はやりいろいろなところから、旅行にきていた女の子たちと仲良くなり、街へちょっと出かけようと言うことになり、おなかのへっていた私たちが向かったのは、おいしそうなパン屋さん!パン屋さんというより、ベーカリー兼カフェという感じのしゃれたお店でした。



こんな感じのお店とパンだったでしょうか。


それにしても、真っ先に私が駆け込むべきだったところは、ルネのレコードを探しに、レコードショップのはずでは! ルネよりもまず食べることを選んでしまった私が信じられません。私がモントリオールの街でおいしいパンとラテを楽しんでいる一年もまえに、ルネは、このとき、こんな風に素敵な青年に成長していましたが(下の写真)。。。 よく見ると83年に東京音楽祭のプレゼンターとしてナタリーと東京にきた時とあまり変わっていないかもしれません。


これは、83年からスタートしていたルネとナタリーのファンクラブ、Rene & Nathalie Fan Club Internationalからの定期購読によるファンクラブの雑誌(たぶん、これは、84年のもの)

フェイスブックでは、引き続き、ケベックのルネとナタリーの大ファン、そして、「ミドリ色の屋根は永遠に」のRuneさんをはじめ、日本のルネの大ファンの方たちと楽しく話したり、興味深いお話を聞いて、「えええええ!そんなことが!?」という驚きと嬉しさが毎日のようにあります。この上の写真を私がシェアした時のことを、今回の記事の最後として紹介いたしましょう。

ルネは、ミドリの植物に囲まれてステキに微笑んでいますが、これは、現在でも同じなのです。ルネの現在の趣味というか、とても楽しんでいる事は、(最近はあまりその暇もないとの事ですが) 植物を育てる事。家の中の鉢物を太陽の光がさす方向が変わるたびに光の下へ移動させているほど、植物を大切に育てているのだそうです。そしてルネの夢は、いつか自分だけのグリーンハウスを持つこと。

そして、ルネは、猫のアレルギーがあって猫は飼えないそうです。だから植物なら安全!というようなことをファンであるマリエルさんが言っていました。うわっ。。。。このことを家人に言ったら、一言いわれました。「じゃ、いくらルネのことが好きでも、ルネは、この家には絶対!くることはないね。猫アレルギーじゃ。。。」うーん。。。そのとおり。。(でも、そんなことなんて考えてもいませんから、別に悲しくなんて。。。ありません!)

 Runeさんがシェアして下さったルネのお父さんジャンロックシマール氏が書かれた本の表紙にルネが黒猫を抱いている写真があります。Runeさんと二人で、「ルネは、いつから猫アレルギーに?小さな頃は大丈夫だったのに」と話していました。ここでその写真を紹介して、今週の記事は終わりにいたします。モントリオールでの冒険は、来週です。

photo@'rune'さんより


なんと!もう午前4時27分。。。おやすみなさいませ!

riko auckland/nekonomiminoura/しゃむねこ



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