14.5.12

モントリオールの夏休み1985年ーその8(ケベックシテイ)


今日の日曜日は、母の日。ニュージーランドでも、このお祝いをします。でも日本でよく贈られるカーネーションの花を贈る習慣はありません。昨夜の夕食は、 パートナーの母親を家に招待して夕食を共にいたしました。日本の母には、お花を送りましたが、昨日のうちに近くのお花屋さんによって届けられたようです。 良かった!



フェイスブックでも、ケベックのルネファンが、母の日にちなみ、お母さんに関わる歌をうたうルネや妹ナタリーのビデオや写真などのシェアが盛んに行われています。


 「普通の子供」の中で「僕のママは天使」を歌っているルネ(10才)

ルネが71年の生まれて初めてのコンサートで、会場にいるお母さんに向かって歌う"Ma Mère Est Un Ange" (Mama is An Angel/僕のママは天使姿が Caseyさんがアップしているyoutube のビデオで見る事ができます。これは、ルネのドキュメンタリー「普通の子供」のパート3。この歌は、お兄さんのレジスが作曲作詞をした曲。ケベック州では、最年少で作曲した人として今でも記録に残っているそうです。ちっちゃなルネが堂々とお母さんのために歌っています。ケベック中のお母さんたちを虜にしたルネの人気が理解できますね!



 photo@passion Rene Nathalie et Regis simard

 ルネとガブリエルお母さん(70年代後半)


Passion Rene Nathalie et Regis Simardがシェアをした ビデオ "Une mère c'est l'amour"「母は愛」からのルネとお母さんのガブリエルの写真。ルネがステージで歌い、お母さんは会場からそのルネを見て少し微笑んでいます。いつも控えめで落ち着いたお母さんですね。このビデオは、84年から87年にかけてRSVP というバラエテイショーのホストをつとめていた時にその番組でのステージです。お母さんの下のリンクを開くとフェイスブックのpassion グループのページに行って、このビデオを観ることが可能です。ただし、フェイスブックのアカウントが必要です。

ルネは、今年の母の日、どのようにガブリエルお母さんと過ごしているのでしょうか。





すっかり母の日に関することばかり書いてしまいました!では、モントリオールでのお話をはじめましょう。モントリオールと言っても私の記憶では、モントリオールに落ち着く前にケベックシテイに行ったのだと思います。といいながら本当はどちらだったのかさえうまく思い出せません。日本にある旅行のアルバムとメモを母と電話で話すときに説明してもらっているのですが、自分で確認する事ができていないので母の話もあてにはできず!モントリオールーで数日過ごしすぐにケベックシテイに電車で出かけ、また数日後にモントリオールに帰って落ち着いたのでしょう。今回は、とりあえず、ケベックシテイでの出来事に話をしぼってお話しした方がいいと思います。




じゃ、ルネのレコードをまだ探していないの?と思われるかもしれませんが、このあたりでの私の荷物には、ルネのレコードらしきものは、まだ一枚も入っていませんでした。バックパックで旅行していたので、レコードを買っても、持ち運びができなかったからだと思います。では、レコード屋さんに行ったのかというと、レコード屋さんに行ったという記憶もありません。。。一体、何をしていたのやら!ルネのレコードを探すのは、ケベックシテイのあとに、これでもかというほどいたしました!





モントリオールからケベックシテイまでは、VIR Canada Rail の電車で3時間弱。ケベックシテイまでの電車の中は、予想通り観光客でいっぱいでした。ケベックシテイにちかづいてもあの美しいオールドケベックと呼ばれる旧市街の町並みはほとんど観ることはできず、駅から旧市街までは、バスに乗ったことを覚えています。もうここでは、観光客をのぞくと、モントリオールよりも更にフランス的な感じでした。今ネットでこのケベック駅を見てみると、本当に中世のフランスの建物のようです。


宿泊したのは、ホステルのような所だったと思います。旧市街の中ではなく、少し離れていたかもしれません。ここで日本の親のところに電話をかけようとしたのですが、オペレーターのおばさん(だったと思います。。。)がフランス語しか話さず、お互いに理解不可能で日本へのコレクトコールは、ついにかなわなかったことをよく覚えています。「なんてところなんだ!」と電話をつないでもらえなかった無念があったからでしょう!

旧市街で、先ず一番に見たかったところは、雑誌明星でルネが紹介していたところ。おこずかいをもってキャンデイを買いに行くあたりとか、観光客用の馬車のあるところなど。ここは旧市街でも一番観光客があつまるあたりでした。近くには、あの壮大なシャトーフロントナックホテル近衛兵の交代が見られるラシタデル( 城塞)などがありました。シャトーフロントナックホテルの入り口付近に立って、さてこれからどこにまず行こうかと考えていたとき、13才のルネぐらいの男の子がチョコレートを買わないかと言ってきました。その時は、怪しい奴と考えて、買わずに終わってしまいましたが、後になって買ってあげればよかった!と後悔しましたっけ。

 シャトーフロントナックホテル
なかなか入り口がある写真が探せなくて、夜景になってしまいました!


 ブログ「ミドリ色の屋根は永遠に」のRune さんから
お借りしたルネの記事。

ここは、Rue Sainte-Anneという通りでした。ルネのいる場所は下の写真と同じところです。シャトーフロンとナックのすぐ後ろあたりにあったと思うのですが。城壁にかこまれた旧市街は、ほとんどの所に歩いて行くことが可能でした。




 このブログCanadissabeanには、とても素敵なケベックシテイの写真がたくさんありますよ!見る価値ありです。
 photo@candissabean
Rue Sainte-Anneを違う方向から見た写真。ルネが馬車にのっているあたりにあったベンチが見えますね!(ベンチごときに感激しています。)



 このあたりには、馬車がいつもいるようです。この写真の馬車、ルネが乗っていた馬車に良く似ていますね。私は馬車に乗りませんでした!でも馬をなでたかもしれませんね。




このルネがいるのは、多分、城塞につづいていたところか、その近く。ここを上がったあたりのところに城塞があって、城塞の周りには広い広い芝生が広がっていて、右手には、セントローレンス川が広がっていました。夏の間城塞では、ここに配置されている英連邦内の王立第22連隊の近衛兵の交代式を見ることが出来ます。この連隊は、カナダで唯一、フランス語によって指揮されている連隊だそうです。ですから、この交代式を見ている間、いつしかフランスの連隊という錯覚に陥り、軍服から行進の仕方から、何から何までイギリスの近衛兵に似ているなあ。。。あ!そうだ、彼らは、英連邦の王立22連隊なのだ!と現実を思い出しました。英語のツアーガイドで城塞の中も見せていただきました。


なぜヤギ?調べてみます。


ルネが上の写真で走っているところは、左上のあたりのような気がします。そしてもっと左上を下がって行くとシャトーフロントナックホテルに続く広い木でできたテラス(歩道)がセントローレンス川に沿ってあるのです。

ケベックシテイ(旧市街)では、この後もいろいろと観光しましたが、絶対行こう!と決めていたところは、ルネが住んでいたというオルレアン島でした。オルレアン島がカナダで一番行きたいところだったというのが本当の気持ちでした。なぜか、自分の足で自分だけで行きたいと思い詰め、レンタルバイク(自転車)を借りてオルレアン島まで、走ったのでした!ケベックシテイからオルレアン島までは、かなりの道のりがあったと思われますが、自転車専用のスペースが作られていたスムーズに走ることができたと思います。ただし日帰りでしたから、時間をとりすぎないようにタイミングを計るのが大変だった気が。
オルレアン島についてからも島を一周したのですから!

オルレアン島については、来週の記事で書きます。ルネの家、ルネの通ったセントペトロネルの学校などの写真があります。

では、最後に自分の写真を2枚紹介して終わりにいたします。これはたぶんケベックシテイで撮ったと思われます。あ、電車のチケットとケベックのウインターカーニバルのボノム (Le Bonhomme Carnaval)の絵はがきもありますね。私の旅行のアルバムからの一ページです。そしてナンバープレートに書いてある言葉も、よく覚えています。



Je me souviens 「私は忘れない」 

この言葉は、ケベック州の公式なモットーで、「自分たちの文化、言葉を忘れない、そしてイギリスに征服されたことも忘れない」というような意味があるそうです。ケベック州の車のナンバープレートには、このモットーが刻まれています。

ケベック州には、昔から、カナダからケベック州は、独立すべき!と考える人たちが多くいて、現在でもそれを実現しようとする活動をしている人たちがいます。自分たちの文化と言葉、そして歴史は、他のカナダの州とは、全く違うのだという認識が強いのです。

ケベックが他のカナダと違うということに、私も、まったく同感です。ケベック州は、カナダであるけれども、他のカナダの州が持っている背景とは、まるきり違うことをbc州での一年と、この旅行で、知識だけではなく、体と肌で感じたように思います。ルネが日本で活動していたときに、私たちは、ルネ=カナダという認識をもっていたし、ルネは、カナダからきたアーテイストという考えでいましたが、実際には、カナダ全体を背負ってルネは日本に来たのではなかったのです。カナダは想像を絶する広さですし、住んでいる人も住む地域によってまったく違っています。ルネのことは、全く知らないという人ばかりだったのも当たり前な事でした。ですから、ルネのレコードもルネに関する雑誌の記事もケベック州以外では、目にする事はなかったのです。

ケベックは、別の国!という強い認識が、私の中にも出来てきていました。Je me souviensこの言葉の意味に、私は、もう一つ「ルネを忘れない!」と付け加えようと思ったのでした。





では、来週はオルレアン島からです。



riko auckland/nekonomiminoura/しゃむねこ






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