26.5.12

モントリオール1985年の夏休みーその10(オルレアン島)



オークランドは、もうすっかり秋です。冬のコートが活躍する日が多くなってきました。ケベックでは、その逆で、春が落ち着き始めたようです。フェイスブックのルネファンたちは、春の日差しをとても喜んでいるようです。




Île d'Orléans!

  オルレアン島を紹介する一分間のビデオ

おだやかなBGMと一緒にオルレアン島のスライドショー

では、今週は、オルレアン島へ出発!ルネがデビューの頃から住んでいたオルレアン島です。以前にお話していたように、オルレアン島は、カナダで一番行きたかったところでした。ルネが来 日していた頃、オルレアン島のことは、ルネの記事の中でも、メープルメイツのニュースペーパーや会報などでも、話題して いたものがたくさんあり、オルレアン島は、ルネの故郷であり、ルネのルーツがあるところで、強い結びつきがあると考えていたからでした。




メープルメイツ 会報 No3  1975年 夏号

オルレアン島、セントペトロネルのルネの家。ルネのこの家は、オルレアン島にきてからの2番目の家。もとの家主が船長だったことから、'maison du capitaine'「船長の家」とよばれています。この写真のどこにもなぜか、兄のレジスくんがいませんね。どうしていたのでしょう、この時?

なんと、若かったので(!)デイパックを背負い、たった一人で、レンタル自転車を借りて(でも、どんなところでレンタルしたのか、まったく覚えていません。)ケベックシテイのオールドタウンから約20キロメートル離れたオルレアン島へと向かったのでした。今もよく覚えている事は、自転車用の歩道がよく整備されていたことです。広い公道の道ではなく、車が来ないようなところを走っていたと思います。 車だと15分くらいだと言われていますから、休みなしに行けば、一時間くらいでしょうか。でも、結構休んだかも?天気は、よく晴れていました。

 http://www.bicycling.com/ride-maps/featured-rides/saddle-table?page=0,4

このような感じだったでしょうか。でも。。。ヘルメットなどは、かぶっていませんでした。この写真はオルレアン島のようです。紅葉していますから、秋ですね。
 
 
オルレアン島をレンタル自転車で観光しましょうというビデオ。




結構私の自転車旅行に似ていると思ったビデオです。

グーグルマップで、ケベックシテイからオルレアン島まで自転車で行く場合の道と、時間などを調べてみました。すると距離は、32、7キロメートル、時間は一時間58分と出ました。うーん、そのぐらいだったのかもしれませんね。。私の走った道も、千とローセンス川に沿った自転車道だったので、この道筋と同じようです。ただ、始めに行ったのは、ルネの住んでいた、セントペトロネル。のどかな緑のふんだんにあるところでした。これは、島全体に言えた事です。

オルレアン島は、フランスの探検家で、現在のケベックにヨーロッパ人として初めて足を踏み入れ、カナダの名付け親となった、ジャックカルチェが、1535年にオルレアン島を訪れ、その肥沃な土地に驚いたそうです。それで、フランス人の多くの入植者は、このオルレアン島にやってきたので、ケベック人の多くの祖先は、このオルレアン島の出身だとか。wiki:オルレアン島(英語) wiki: ジェックカルチェ(英語)


センとペトロネルは、島の一番端にあって、ケベックシテイとセントローレンス川がとても素晴らしく見えるところです。ですから、ケベックシテイのお金持ちたちが、このあたりに家を建てたり、購入したりしてとても人気があるところらしいです。


 

オルレアン島にわたる橋をすぎてもう少し行ったところにモンモラシーの滝というのがありました。すぐそばまで行って、滝の見物はせず(余分な時間が無かった!)橋の手前で少し観ていただけだったと思います。それが自転車を降りて最初の休憩時間でした。


 そうそう、ここです!この写真の場所は、滝から流れる川がセントローレンス川に注ぎ込むところで、上の写真に見えるのが、オルレアン島に通じている「オルレアン島」橋Île d'Orléans Bridgeです。 この橋が始まる手前あたりのところでひと休みしていたのでしょう。


photo@flickr
 モンモラシー滝(Montmorency Falls or Chute Montmorency)

1935年に完成。それまでは、オルレアン島は、現在よりも、昔のままの生活や歴史を残しているところだったそうですが、1990年にオルレアン島は、カナダ国定史跡に指定され、昔の生活スタイルや自然、風景などを残そうと努めているらしいです。オルレアン島で暮らす人たちが仕事にしている物は主に、農業。イチゴ、メープルシロップ、シュガーメープル、じゃがいも、リンゴ、バイソン(牧畜)ワイン醸造などだそうで、"Garden of Quebec"とも呼ばれているとか。


 セントローレンス川のクルーズ船から観たモンモラシー滝とオルレアン島橋。そうか。。こんなところを私はペダルを一生懸命こいでいたんですね。なるほど。。。



 ケベックシテイで購入したと思われるオルレアン島のバッチ。オルレアン島で買ったという記憶がありません。おみやげのお店らしいものは、みなかったと思うし、オルレアン島で買ったという記憶があるものは、セントペトロネルの道ばたで買ったイチゴだけなのです。道ばたで子供たちが売っていたのでつい。。。でもオルレアン島のイチゴは、おいしくて有名なんですよ! 

photo@FRAISES - ST LAURENT - ILE D'ORLEANS QC

セントペトロネル で収穫されたイチゴ



ルネの住んでいたセントペトロネルは、オルレアン島橋からすぐのところでした。さっそくルネの家、学校、教会などを探し始めた私でした。まずルネが日本で活動していた頃の「船長の家」。
 写真:ルネのお父さん、ジャンロックシマード 氏が共著で2007年に書いた本' beyond silence'から。

一番上の家は、'maison blanche'「白い家」と呼ばれ、ルネの家族が島に来て最初に住んでいた家。この家の2階を借りて住んでいました。ここに住んでいた時に生まれたのが妹のナタリー。左下にあるのがルネがデビュー後、購入した私たちが知っている「船長の家」です。'maison du captaine' 「船長の家」というニックネームがあることを知ったのは、この写真の下に 書かれていたからでした。この本は、知人がケベックに出かけた時に買ってきていただいていました。右下の家は、ルネの家の反対側の家?写真の説明は、この家のあるところ(セントペトロネル)は、島の一番端にあるので、セントローレンス川が見えてとても景色がいいところであると書いてあります。


 
 お父さんの本(2007年)

「船長の家」を見つけるために、自転車を走らせましたが、なかなか見つからず、あまり人気も無く、どうしましょう?と思っていたら、道ばたにイチゴを売っている10才ぐらいの子供が数人いたので、イチゴを買いました。そしてイチゴをいっしょに食べながら、ルネが好きな事、そしてルネの家をみたいことを身振り手振りで話しました!フランス語しかわからない子供たち。。。フランス語をはなせない私。。。 子供たちはなんとか、わかってくれたらしく、「船長の家」に連れて行ってくれたのでした!「うわああ、ありがとう!merci beaucoup!」という感じで家をじっくり見学。誰も住んでいないような気配でした。では、そのときの感動の写真。これは、自分で撮った写真です。


この家は今もルネまたはルネの家族が所有しているものばかりだと思っていましたが、この家にルネや家族が住んでいたのは、72年から74、75年の数年間のみ。その後は、ルネがお母さんのために所有していたようですが、80年代には、他の人の所有になっていたようです。この家について、フェイスブックのルネファンの間で話がはずみ、この情報もケベックのファンから聞いた ことです。この家のステップには、いろいろな思い出(といってもルネの記事や本でみた思い出ですけれど)があります。たとえば、これ。家族全員勢揃いです。

 


 二つの写真は同じ日に撮られたものだと思いますが、下の写真は、お父さんの本の中でも使われています。photo@passion rene nathalie et regis simard



 明星の記事

雑誌「明星」のルネとオルレアン島、ケベックシテイなどを取材した記事の中にこの写真がありました。家の庭でのルネとナタリー。この記事は、カラフルでルネのオルレアン島での家族との生活のこと、教会、学校などを特集したものでした。すごく大好きでよく覚えていた記事、そして日本のルネの茶箱にも入っています。というわけで、オルレアン島では、この写真に写っているルネの家を探したのですが、実際に教えてもらった家は、まったくこのようなレンガ?で建てられていたような家ではありませんでした。また、ルネの家の周りにこのような家は見当たらず、ルネが水泳を楽しんでいたプールのあるお宅もさがしてみましたが、道路からだと見えるはずが無くて、これも見つからず。

この家についてもグループのファンの間で、また、フェイスブックのほうのファンの間でも話題になりました。みんなが出したのは、「この家は、ルネの家じゃない!」という結論。「見かけがいい家で、庭も広いから、撮影用にお借りした?ものだったのではないか。」という意見も。フェイスブックのグループメンバー、ナタリーの大ファンであるジョニー君も、「船長の家」を訪れていました。写真もシェアしてくれています。そのジョニー君が、「次に島に行ったときには必ずこの家を探してくる!」と張り切っていました。

その他に話題として出たのは、このレンガの家は、もしかして、ルネがガールフレンドだと言っていたカトリーヌモリンの家かもしれないということ。彼女の家は、ルネの家の反対側にあったそうです。そしてこのガールフレンドについても、興味深い事が!それは、カトリーヌがルネの前におつきあい(っといっても子供の話ですからね。。。)していたのは、なんとルネの一つ年上の兄のレジスだったこと。これは、71か72年の頃の話。そのあと、ルネが日本で活動していたころには、カトリーヌはルネとおつきあいをしていたそうです。(この頃の写真をあとでアップいたします。)

ルネの家の反対側?森だったような。。。たぶんその中に隠れていたのでしょう!

たくさんのルネとナタリーのファンが今も、この「船長の家」を訪れているのですね!もちろん、「ミドリ色の屋根は永遠に」 のKeiさんも訪れています。オルレアン島についてブログで書かれていますので、ご覧下さいね。日本のルネファン、ルネ友さんたちも行っていますよ!フェイスブックで、そのようなお話もしています。みなさまもおいでくださいませ!






 「船長の家」を横から見たところ。白い柵のところに立てかけてある自転車は!私が乗っていた自転車です。こんなスポーツタイプのを乗っていたんですね。。。我ながらすごいと思います。たぶん、あの二階?または屋根裏部屋のルネの部屋でルネは、こんな感じでくつろいでいたのでしょうか。写真は、メープルメイツ1975年のダイアリーブック1月と2月のページから。

 photo@1975 Maple Mates Diary book


オルレアン島で、あと2つ見たかったところは、ルネの学校とルネが聖歌隊として歌っていた教会でした。学校はなんとか、わかったのですが、教会は。。。。

オルレアン島についての記事は、すぐに終わるわ!と思っていたのに、今週は時間切れです!次回に引き続きます。ごめんなさい!自分のたどったところを調べながら、そして関係ありそうなルネの記事や写真をアップしていると時間はみるみると経ってしまいます!いづれにしてもパート2は、別の記事として書くことにいたします。

今週の最後を飾る写真は、レジス、ナタリー、ジャンロジャー、ルネが子犬か子猫たちのようにかわいく集まって撮ってある写真です。幼そうなので、この家は、もしかするとオルレアン島での最初の家「白い家」だったのかもしれませんね。





では、みなさま。次回もまたオルレアン島の話をしたいと思います。学校のことと教会のこと。。。かな。。


Riko Auckland/nekonomiminoura/しゃむねこ
















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