26.3.13

第12回東京音楽祭世界大会 ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ 




ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ
 

ビデオのアップで試行錯誤していた時に、なぜかこのビデオだけが成功していた下書きがありました! というわけなので、前回の記事の中で紹介するつもりだったビデオですが、ビデオのトラブルが解決するまで、ここにこのビデオを置いておきますので、お楽しみいただけたらと思います。このビデオは、第12回東京音楽祭世界大会グランプリの受賞の様子です。まずナタリーが花束をもって、ステージに登場し、その後すぐにルネも花束を持って登場。この時のグランプリはダブル受賞でしたので、受賞したのが二組になりました。






第12回東京音楽祭のルネとナタリー ビデオ ルネの記事


 ビデオトラブル!

今回の記事は、とっても遅れました!なぜかというと、どうしても今回の記事に使う予定だったルネとナタリーのビデオがこのページにアップロードできないという今までには経験しなかったトラブルが(大げさですね。。。)発生していたのです。。私のビデオの編集とそれをexportするプロセスでおかしくなってしまっているのか、または、ブロガーのサイト自体が少し変わったのか。。毎夜のようにいろいろと方法を変えてアップしようとしていたのですが、「もう、疲れた!」という気分になりつつあるので(笑)、このままの状態で一応記事自体のアップだけしておこうと思います。ビデオは、引き続きアップの努力をいたしますので、そのアップの時を楽しみにお待ちくださいませ。今のところ、ビデオを見ようとしてもエラーのメッセージが出てしまいます。


日本のルネのファンのお友達がまたお一人増えました!

フェイスブックの日本のルネファンの輪に、先日またお一人お仲間が増えました。「ルネを日本へ」のグループに参加されたいと連絡がありました。とても嬉しいです。そしてフェイスブックにいるファンの方達も嬉しそうです。いっしょに交流が持てることを楽しみにしていたいと思います。

私たちのように、いまだにルネを想い、昔の思い出、そして現在のルネの様子などについてお話したりしたい、そしていつか、ファンの手でルネの来日を実現させたいと願うルネのファンが日本には一体どのくらい残っているのだろう。。。というのが私のいつも考えることだと前回の記事に書いていたと思うので、このルネのファンの方の出現は、心が震えるほどに嬉しいことです。このブログやkeiさんの「ミドリ色の屋根は永遠に」のブログを読んでいてくれたそうです。ルネのことについて現在でも身近に感じられるということがとても嬉しいとお話して下さいました。ルネのことを想うファンのみなさまに一人でも多く出会うことができるのをみんなで楽しみにお待ちしております。どうぞ、フェイスブックのアカウントをお持ちになり、もう一度ルネファンとしてひとつになりましょう!アカウント名は、本名でなくても大丈夫です。



 それでは、以下がずっと書きとめていた今回の記事です。

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今夜の記事は、前回に引き続き、1983年3月に行われた、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネとナタリーの様子。そして翌日の音楽祭のステージの最後で、グランプリ受賞者に花束を渡す二人の姿のビデオを紹介します。そして、この来日を果たす前に日本に行くことついて語っているルネの記事のこと。





この記事は、公式のファンクラブを持たないルネがほとんど公式のように認めているジゼルさんのpassion rene nathalie, regis simardというフェイスブック上にあるファングループのページでジゼルさんが公開してくれた、1983年の切り抜きです。

このページは、だれもが見られるページです。vippassion simardという、もう一つのページがあり、そこでは、passion rene nathalie regis simardのページでは、公開されていない画像やビデオを観ることができます。このページのメンバーになりたい方は、まず、passion rene nathalie regis simardのページのlikesを押し、vippassion simardへお友達リクエストをするとメンバーになることができます。この vippassion simardのメンバー(お友達)となると、passion rene nathalie et regis simardのページでは、最後まで観ることのできなかったビデオや、そこでは紹介されていない画像なども見ることができます。そして、ルネのことが本当に今も好きな人たちが集まっているので、その方達とも翻訳機能を使ってお話することが可能です。

それでは、まず、ビデオから観てみましょう。最初のビデオは、今まで紹介したビデオに続いているものなので、今回紹介するのは、パート5と6と7になります。パート5では、ルネがナタリーが日本でデビューすることを紹介している様子。パート6は、ナタリーの日本デビュー曲の「五月の手紙」を歌う様子。そしてパート7は、音楽祭の特別ゲストのバリーマニロウの紹介の様子。ステージの終わりでルネとナタリーが花束贈呈をする様子です。

第12回東京音楽祭前夜祭パート5:
ルネがナタリーの日本デビュー曲の紹介をしています。








パート6
ルネに紹介されて、ナタリーがいよいよ「五月の手紙」を歌います。




   
 パート7
音楽祭の特別ゲストとして来日したバリーマニロウの紹介です。ここで、バリーは、私が今まで気がつかなかったことを言っています。来日するのは、この時がまったくの初めて。そして音楽祭のあとの2週間は日本全国で、コンサートをする予定なので日本のいろいろな地域を見るのが楽しみだと言っています。東京では、渋谷のNHKホールで少なくとも2度したことは覚えています。私は、そのどちらにも行っていたような気がするのですが。。。本当に2度行ったかどうか記憶が鮮明ではありません。でもコンサートの様子は、よく覚えています。とてもすてきでした。ファンを舞台に上がらせていっしょに歌をうたったり、ダンスをしたり。一人だけでしたから、会場のファンはとってもうらやましがっていました。さよならする時には、もちろん頬にキスをしてお別れ。次回の記事には、世界大会のゲストとしての彼のステージの様子を少しご紹介したいと思います。この時にバリーは、42才くらい。まだとっても若々しくて可愛らしいです。ルネは、この東京でのバリーのコンサートに出かけていたそうです。NHKホールのあの会場のどこかでルネもこのステージを見ていたのでしょうか。





  

パート8
これは、前夜祭の翌日の晩、東京武道館での12回東京音楽祭世界大会のグランプリ発表の様子です。史上初の2組のグランプリ受賞者。その2組に、お祝いの花束を渡したのが、ナタリーとルネでした。最後の最後にほんの少しの時間だけ、舞台での二人の姿を見る事ができたのです。ルネは、特別ゲストとして来日と言われていましたが、バリーのようなおおきなステージを任されるゲストではなく、結局花束贈呈だけを頼まれた。。。。ということはとってもショックでしたけれど、今考えると、ルネの来日は、どちらかというとナタリーの日本でのデビューをサポートするためという目的だったのだと思います。ナタリーとルネの姿は、2分ぐらいの場面で現れます。







ルネの記事から


この記事は、ルネがナタリーと来日した1983年の終わりごろ、または、84年のはじめの記事のようです。レポーターが、この83年の一年のことについてルネに聞いています。どのような年であったのか、どう思ったのかなど。ルネは、以下のようにお話しています。

「この一年もたくさんの素晴らしい事がありました。それをひとつひとつリストアップしたら、お話するのに大変な時間がかかってしまうでしょう。ボクの仕事のことをお話するなら、それは、ナタリーと一緒に日本に行ったことです。とても感動しました/心を動かされました。そして、それは、ボクが1974年にグランプリを受賞した東京音楽祭のそのステージだったのですから。」

ルネは、日本に行ったことをとても喜んでいたとジゼルさんがこの記事をシェアする時に書いてくれました。それをとても嬉しく読みました!

次回は、バリーマニロウのステージの様子を少しと、ルネとナタリーが出演したモーニングショーの様子 のビデオもご紹介できたらと思います。お楽しみに!

riko auckland

10.3.13

ルネの誕生日で想ったこと/第12回東京音楽祭前夜祭2


今夜は、ルネのToujours Plus Loin というアルバムを聴きながら、どんな記事を書こうかとまだ考えています。83年の第12回東京音楽祭前夜祭のステージに立ったルネのビデオの続きをアップしようと思っているうちに、そのビデオの編集が済んでいなかったので、また前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今夜はそのビデオも紹介します。


ルネの誕生日、そして想った こと




ビデオの前に、ルネの誕生日で想ったことを少し 書いてみたいと思います。

先週の2月28日は、ルネの52才のお誕生日でした。 フェイスブックの日本のルネのファンの皆さんとオンタリオ州のルネファンのローラさんとで、一枚のバースデーカードを作り、ジゼルさんのVippassion Simard のページに送りました。大勢のケベックのファンも気に入ってくれたようです。カードは、それぞれがお気に入りのルネの画像を一枚選び、そこにお誕生日のメッセージとそして' Rene to Japan!'の一言を添えたものをコラージュ風にしたものでした。これは、みんなで参加する「ルネを日本へ!(もう一度呼びましょう)」のブロジェクトの最初のイベントとして企画したものでもありました。フェイスブックでは、「Rene to Japan! ルネを日本へ!」というグループページも作ってあります。

できたらみなさんで作ったそのカードをここで紹介したいのですが、みなさんに許可をまだいただいていないので、私のカードの部分だけをアップいたします。



 「ルネを日本へ!」という夢は、まだてしなく夢のままですが、その夢への小さなプロセスを、プレッシャーや、苦痛を感じるのではなく、楽しみながら勧めていくのが大人になった私たちがしたいことだと私は思うのです。ルネを日本に呼ぶということだけが目標ではなく、それまでのプロセスを「ルネとファンとの切れた糸をつなぐ」という時間に使えたら、それはとても素晴らしいことだと思います。ルネが日本のファンについて現在どう思っているのか、どれほどの気持ちがあるのかよくわかりませんが、時が流れ、時代が変わってお互いに大人になり、昔とはちがったもっと近いファンとルネの関係が作り上げられたとしたら。。。考えるだけでとても興奮してしまいます。

そして、他のファンのお友達との信頼関係を築くことも大切だと思います。それがなければ、一緒にルネを日本へ呼ぶという夢も叶うことはないのですから。昔、高校生だった頃に手紙のやり取りだけで他のファンのみなさんと交流していたことが、今では、ネットで簡単に交流ができるようになりました。特にフェイスブックでは、一人一人が、コメントを書いたり読んだり、日常生活からの画像のアップなども簡単に出来るので、お互いの事が他の方法より分かってくるように思います。それぞれが、「自分」を表現できる場所だと思います。


それから、いつも思うのは、ルネにまた日本に来てほしい、そして昔と同じような気持ちでいつづけるルネのファンが、はたしてどのくらいいるのか?ということ。昨年のルネのcdの発売でもどのくらいの数のリクエストがあったのか、わかりませんが、そのリクエストした全員が、懐かしいという気持ち以上にルネのことをまだ思い続けているのか? ということ。私たちの年代でフェイスブックをしている人は、まだ少ないのかもしれません。でもまだ出会えていないかもしれない多くのルネのファンの方たちがほんとうにいますように。そして「是非フェイスブックでお会いしたい」と思うのです。


昔のルネの話、そして現在のルネになるまでのこと、現在のルネのことをたくさんお話して、関係のないことも楽しくお話して、お互いを知り、ルネのことも知り、ルネにもメッセージを届け。。。という時間を持ち、いつかそのファンの方たちと共にルネを(どのような形でも)日本に迎える日が来たら、ルネにとっても、私たちファンにとっても、それはそれは、素敵な夢の実現になると確信します。



それでは、1983年3月、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネのビデオです。これは、前回の記事のビデオの続きで、パート3ということで紹介いたします。前夜祭パーテイ会場でのインタビューが終わり、司会の朝比奈マリアさんに紹介され、ナタリーとルネが会場のステージへ立ちます。このパート3では、ルネの英語での挨拶からナタリーと「ミドリ色の屋根」をデユエットする直前まで。ルネは、とっても紳士的にオトナのルネとして頼もしくお話しています。この時、ルネは22才、ナタリーは13才です。




そしてパート4として編集したのは、ルネの挨拶のあとに歌われた「ミドリ色の屋根」のステージ。このステージを目の前で観ていた私には、感動を通り越してのショック以外の何ものでもなかったこのステージ上のルネとナタリーの姿と歌声。ルネが突然日本から姿を消してしまったあの1976年以降、初めて目にする本当のルネ。それまで、10代後半のルネの姿、20才になったルネの姿は写真では知っていましたが、私にとっては、14才のルネが一気に22才として現れ、妹のナタリーは、顔や姿、声まで13、4才のルネに生き写し。。。という二人の姿を同時に見て、しかもその二人があの「ミドリ色の屋根」を一緒に歌っている。。。あれほど会いたかったルネ、日本に来てほしかったルネは、ファンには何の前ぶれもなく、ファンの気持ちとは関係のないところで実現したルネの来日。嬉しくて胸がいっぱいなのですが、それは、嬉しいだけの気持ちというより、「複雑な嬉しさ、そして悔しさ」感じながら、胸がえぐられる?ようなそんな気持ちで、涙があとから後からこぼしながら、ステージのルネとナタリーを見ていました。。。

メープルメイツ2やボンジュールルネというファンで作っていたファンクラブでは、1976年ぐらいから、アルファレコードやCBSソニー、東京音楽祭事務局へ、ルネの来日を願う署名を送ってはいたものの、それは、このルネの来日の4年ぐらい前には、終わっていたのです。




83年の時には、まだ知らなかったことばかりでした。ルネがどうして日本での活動をやめることになったのか。でも、現在では、ルネが置かれていたその頃の状況のことが分かり、理解できているので、このビデオのルネとナタリーのステージを、今は、落ち着いた気持ちで見ることができるのがとても嬉しいです。そして、ルネのファンの皆様にその時の気持ち(これは以前にもよく書いていたことでしたね。)をシェアしながら、一緒にこのルネとナタリーの「ミドリ色の屋根」のステージを観ることができるのもとても嬉しく思います。

次回には、ナタリーの「五月の手紙」のステージ、そしてルネとナタリーが花束贈呈をする場面のビデオを紹介したいと思います。


Riko Auckland