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16.12.12

フェイスブックでの奇跡 道上さんとロメオ




フェイスブックでの奇跡


今週は、週末になる直前にフェイスブックで起きた「奇跡」についてお話をいたしましょう。その「奇跡」は、二つ。ここで言う「奇跡」とは、思ってもいなかったことが起きたという意味の奇跡と、そしてとても嬉しいことが起きたという意味の奇跡です。


一つ目の奇跡は、まさに「大奇跡」です。それは、ルネが来日していた1974、75年にルネの通訳をしていた道上さんと連絡が取れたこと。しかも、その道上さんが、ルネのお話をしているファンの様子を知りたいと言って、私たちのフェイスブックでのグループ「ルネシマール」と Passion Rene Simard Au Japon, そして Club Rene Simard, ジゼルさんたちのPassion Rene, Nathalie, Regis Simardのグループに入って下さったこと。そして、ジゼルさんやルネの現在のマネージャーのクロデイーヌさんを通して、ルネと連絡をとりあいたいということにもなりました。「ルネシマール」では、もう私たちと少しずつお話をしていただいています。ルネといつも一緒にいられた道上さんと直接お話できるようになったことは、いかに私たちを夢のような気持ちにさせてくれていることか、ルネファンのみなさまには想像がつくことと思います。


では、その奇跡について、懐かしい「スーパーアイドルルネ」からのルネと道上さんの画像を見ながらお話していきましょう。「   」の中にあるのは、本に書かれてあるその記事の説明です。


 
 「せんだみつお氏は、もうルネのお友だち」

1974年7月10日 午後3時30分 銀座テレサG入り。午後5時「ぎんざNOW」出演。


 道上さんがルネと再会できたのは、21年前のことで、そのときは、大感動の出会いをしたそうです。ルネとは兄弟のような仲だったそうで、現在のルネに連絡をとれるのをとても喜ばれていました。


スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号 昭和49年9月1日発行第一巻第6号 発行所 ケイブンシャ (定価650円)


でも、これが、ファイスブックでの「奇跡 」?と思われる事でしょう。その「奇跡」の始まりは、「ルネシマール」のメンバー、Mさんとのおしゃべりからでした。最初に話していことは、Mさんがシェアした気になるお店の記事。そしてそこに置いてあった伊丹十三記念館の本のことに。私が、数年前に四国の松山にあるこの伊丹十三記念館 に出かけていたことから、さらに伊丹十三氏の話になり、伊丹氏が司会をしていた番組にルネが出た事、その時ルネと楽しくおしゃべりをフランス語でしていたお話につながって行きました。そしてそこから道上さんのお話に展開!今道上さんは。。。?ということになりました。では、要約して私たちの会話をご紹介しましょう。



伊丹十三記念館を訪れた際に買い求めた、この話の中で話題になった本「伊丹十三記念館ガイドブック」



 記念館で購入した伊丹十三氏の絵はがき。愛猫「こがね丸」と。


記念館入り口
 記念館入場チケット



Mさん:えええ、ルネと伊丹十三さんって 会った事があったんですか。

私:はい、「三時に会いましょう」という番組にルネが出演した時に、司会をされていた  方が伊丹十三さんでした。

Mさん:その画像がありますか。

私:はい、「スーパーアイドルルネ」というルネを特集した雑誌のなかに、通訳の道上さんが「日本のルネシマール 完全スケジュール 同行記」というタイトルでルネが最初に来日したときの様子を書いていて、そこに伊丹さんとルネの画像がでています。まっててくださいね。さがします。

これです。


 「伊丹十三氏と、話はつきません。」



私:そ してそのときの事が同行記のなかで、こう書かれてあります。

(1974年)7月3日午後3時。TBS「三時にあいましょう」に出演。 「日本には、英語が話せたり、理解す る人はたくさんいます。でも、フランス語となると、とても少ないのです。TBSのスタジオで、フランス通の伊丹十三さんと会った時には、まるで友だちのよ うに楽しげに話し合っていました。」

 Mさん:わあ、「話はつきません」と書いてありますね。伊丹さんは、フランス語は話せるだけではなくて、フランス通でもあったんですね。やはりただものではない!

「 三時に会いましょうのリハーサル」




 私:この写真の真ん中の方が道上さんです。伊丹さんとすごくよく似ていますよね。身長、ファッションセンスそして髪型まで!

Mさん:ああ、最初見た時、(伊丹さんと道上さんを)まちがえてしまいました!Rikoさん、通訳の道上さんて。。。もしや。。。。の道上さんではありませんか?

私:ええ、そうなんですか。ちょっと調べてみましょう。。。ああああ!ええええ!そうかもしれません。。。ぜったいこの道上さんですよ。

Mさん:人ってどこかでつながっているんですね。すごい発見です。探偵気分!


という二人のおしゃべりのあと、早速フェイスブックに参加されているかどうかチェック。そして、いた!ということになり、お友達リクエスト、そしてプライベートメッセージをお送りいたしました。そして翌日お返事があり、お友達の承認もしていただきました。そしてルネの通訳をされていたこともお話してくださり、「懐かしいですね!」「ルネシマール」のグループページでは、私たちがいまだにルネのファンで、思い出を話したり現在のルネの様子をみたり、応援していることを「素晴らしい」とコメントしていただきました。

道上さんは、東京に在住、ビジネスをしていらっしゃるそうなので、一度、ルネファンのみなさんと集まってお話会のようなことを楽しくできたらいいですねとお話しています。私が日本に行く時まで待っていて下さるそうです。(嬉しい!)



 「銀座通りで。隣は、川添象郎氏」
道上さんは、向かって右側 の長身の方。


この後は、ジゼルさんや、ローラさん、ジョセフ君、日本のルネのファンのお友達にも道上さんを紹介して、今はみな「お友達同士」 になりました!現在の道上さんを見つけたこと、ジゼルさんは、きっとルネが知ったらとっても喜ぶだろうとジゼルさん自身もとても嬉しい様子でした。


 「ルネはいたずらっ子 出番を待つ間、ルネは、テレビスタジオの中を飛び回ります。通訳の道上君に、かかえられて、その自尊心が爆発!」


 「ブルースリーもビックリ!見事なキックです。」ルネは、この「ブルースリーキック」をパリでも東京でもしていたのですね!




ルネと遊園地 「何度乗ってもあきないジェットコースターや、電気の自動車に、ルネは夢中です。係のおじさんもルネのために、長い時間機械を動かしてくれました。」

1974年7月7日(日)豊島園のジェットコースター。道上さんもルネとクロデイーヌの後ろにいます。


1974年7月7日(日) 豊島園(この後ルネ一行は、横浜ドリームランドへも)ルネの後ろを歩く道上さん。



 こうして、ケベックのファン、英語圏のファン、日本のファン、ルネ本人さえも、このフェイスブックのルネファンの集まりを通して、みんなで懐かしい方や、直接お話することなど考えられもしなかった方たちなどと思い出や現在のこと、ルネに関係のない事でもお話をシェアできるということは、38年前、いえ、つい数年前であっても考えられない ことだったと思います。お互いに、年を重ねて来たから、そして38年も前のことだから、なつかしく話せるというより、「今話さなくてどうするの!」という貴重な思い出になりつつあるのかも知れません。



「ファンの中でルネはもみくちゃ」

1974年7月14日(日)午後7時45分、カナダ太平洋航空機にてルネ離陸。ここにもルネのそばには、道上さんの姿が。

ケベックのルネファンのマリエルさんとルネの日本での時間についてお話することがあります。マリエルさんによると、ルネが日本に持って行ったバッグの数は、20数個だったのに、ケベックに戻ってくる時には、おみやげが多くて、バッグが60数個にも増えていたのだそうです。マリエルさんは、「日本の人ってとても気前がいいのね!」と言っていました。


 もう一つの奇跡

あと一つの奇跡は、先週の記事にも書いていた、パリでのルネのお友達、ロメオくん。1973−1976年の間、稀だと言われる「ボーイバリトン」声で、ゴールデンボイスと呼ばれ、人気者になったそうです。だから、先週お話していたように、「ボーイソプラノ」のルネの声よりもずっと低い声だったのですね。では、奇跡とは? そうです!もう想像がついたかもしれませんが、このロメオ君とローラさんが、お友達になりました。先週の記事をロメオ君にローラさんが紹介したことがきっかけだったようです。そして、私にもプライベートメッセージを書いてくれました。それは、「僕のことを、ブログに書いて下さって、ありがとう。ルネとは、いい思い出がたくさんあります。」というような内容でした。ルネとの思い出にはどんなことがあったのか、簡単な事でも教えていただけたらなあと思っていますが。。。お友達の承認をまだいただいていませんので、これは実現が可能か不明です。

先週紹介していたリンクに、ロメオ君のベストアルバムCDがありましたが、このアルバムの紹介記事(英文)がPDFファイルになっているものを見つけました。


 

 Alpha records com(PDFファイル)


ロメオくんが歌手としてデビューするまでの話なども含まれ大変興味をそそがれる内容です。記事を訳してみると。。。


「1973年から76年にかけて、ロメオはフランスで最も人気のある少年歌手だった。本名のGeorges Brizeは、「黄金の声を持った子供」というぴったりのニックネームが付いた。彼の曲は、みな大ヒットし、フランス中のラジオ局やテレビ局でも放送された。彼のファーストアルバム「Maman」は、発売後、数週間のうちに90万枚を売り上げ、ロメオの出したレコードは、合計400万枚以上もの売り上げの記録を出した。

ロメオがどのように見いだされたのかという話は、おとぎ話のようでもある。一番ロマンチックなストーリーは、こうである。

ロメオの両親は、リヨンの近くにあるSaint-Georges de Reneinsという小さな街で、食事と宿泊を提供するカントリーインを経営していた。ロメオがこの付近で遊んでいた時に、車で通りすがった一人の男性がいた。その男性は、タイヤがパンクしてしまい、タイヤを交換しなければならなくなり、汚れた手を洗うために、遊んでいたロメオに手を洗える場所を尋ねた。ロメオは、両親の経営するカントリーインにその男性を連れて行き、そのあと、インのお客さんのために歌を歌い始めた。ロメオは、4才の頃からこうして歌を歌ってきたのである。その歌声を聴いた男性は、すぐに知り合いのレコードプロデユーサーに連絡をとり、ロメオの歌をレコーデングするように頼んだ。

この男性は、その当時フランスでヒットを飛ばしていた最も人気のある歌手Shielaの親しい友人だったのである。そして彼が連絡をとったレコードプロデユーサーは、70年代を通して、フランスの音楽界でもっとも影響力を持っていた会社の(Carrère レコードの創立者であるClaude Carrèreだったのだ。

1976年、ロメオは、勉強に集中して学業を終了できるようにという理由で音楽界からの引退を発表しました。人々は悲しみましたが、ロメオの願いを理解しました。」

Romeo はステージネームで、本名はGeorges Briz. 1961年1月29日生まれ


うーん、そうだったんですか。多くのサイトには、声変わりのために引退と書いてある事が多いようでしたけど、声変わりのためだけでもなかったのかもしれませんね。   フランス語wikiには、声変わりのためと書かれているようです。そして現在は、翻訳/通訳/ジャーナリストという職業についているとか。フェイスブックでお訊きしてみましょうか。。。でも先週紹介しましたように、最近また歌を歌っているようです。「僕の新しい歌をほめていただいてありがとう」とも言われていましたから。



ロメオ君の 歌った曲目、アルバムなどの詳しいリストは、以下のサイトで見る事ができます。

BCSD(The Boy Choir & Soloist Directory)
 



 現在のロメオくんを見たい方は、こちらのサイトへどうぞ



道上さんとロメオ君へ、この場をお借りしてまた、改めて、お礼を申し上げたいと思います。


ありがとうございます!道上さま 

Merci Beaucoup, Romeo!






10.12.12

ローラさんのルネとロメオ Lora's Rene & Romeo


 今週末から「夏休み」に入った私は、この2、3日、古くからのルネファンの友人ローラさんと一日中!と言ってもいいぐらい、フェイスブックのウオールや、プライベートメッセージなどでお話しています。ローラさんは、このブログの過去の記事でも度々その名前が出てきましたが、ルネがトロントで活動していた76、77年頃にルネととても仲良くしていたというファンの方です。Passion ルネシマール Au Japonのメンバーとしても、2005年頃から活動しています。youtube にもskfanincan  という名前で、沢山のルネに関するビデオを紹介していたり、スライドショーを制作しています。

since my 'summer holiday' has started, I've been spending a lot of time talking with Lora on facebook. You should know who Lora is by now as I have often mentioned her and her Rene collection and youtube videos in this blog.  Lora is a member of Passion Rene Simard Au Japon and we've known each other since around 2005.  Lora has been a so lucky girl who got to know Rene well during the time Rene was actively working in Toronto 1976-77. She has created a lot of rene slide shows and sharing on youtube with a name 'skfanincan'.

ということで、今週は、そのローラさんとのお話しの内容やローラさんがシェアしてくれた画像などを紹介したいと思います。ローラさんは、フェイスブックに参加されていないルネファンのためにこのグループブログでも紹介してほしいと希望されています。

 This week article is a little bit about what Lora and I have talked for the last few days. It is about Rene and Romeo in France 1974-75.  Lora kindly suggested me to share her rene clipping from France on this group blog for people who haven't joined in our Rene Simard Fan circle on facebook yet.



Thank you to our Lora!


 フランスでのルネ Rene in France

ローラさんの手元には、まだpassion simardでも取り上げられていないルネの画像がありました。たくさんあるのですが、その中でもルネが日本とパリを行き来していた74、75年ぐらいの時の雑誌の記事がとても興味深いです。これは、ローラさんが知り合ったフランスのルネのファンだった女性から譲っていただいたものだそうです。はじめて見た時、ローラさんは、「えええええええ!なんてことをしているのだろう!」と思ったそうです私もそうでした!「えええええ!」。。。では。。。その画像をお見せいたしましょう。

The clippings Lora has shared are rare that I didn't see even in Passion Simard collection.  Especially it is very interesting to see the ones from 1974, 75 when Rene was 'commuting' to Japan. Lora obtained the following ones from Rene's fan in France.  "Ahhhhh! What!!??" ...was Lora's reaction when she first saw this 'naughty' smoking Rene's photo. My reaction was the same ..."Ahhhhh, Rene is smoking!?"

ルネとロメオ 1975年 7月 パリで
Romeo & Rene in Paris, July 1975 


なんと!ルネが同じ年ぐらいの不良少年といっしょにタバコ!えええええ!これは一体。。。どういうこと!?しかも、堂々と雑誌の写真を載せてしまっているのって。。。


でも。。よーく見てみると。。。タバコの形をしたチョコレートだったのです!そういえば、子供の頃、こんなチョコレートが日本でも売られていて、ルネと同じように、いかにも「タバコが旨い」というようなポーズを決めていたような記憶もあります。

but it was 'chocolate' cigarette Rene was 'smoking'! I think this kind of chocolate was sold in Japan also around the same time, and I might have had the same 'cigarette' moments as Rene and Romeo!

でも、ルネと一緒にいる「ロメオ」(Romeo)  って一体誰?ロメオくんは、その頃、ルネと同じようにフランスで人気のあった少年歌手だそうです。ルネとの共通点は、少年歌手という他に、二人のレコードは同じレコード会社「Carrere」から出ていたこと。

So who is Romeo? He was a very popular boy singer like Rene around 70s as Rene.  His records were released from Carrere, the same record company as Rene.

このサイトで、ロメオくんのベストCDに入っている70年代の曲を全曲少しだけ聴くことができます。ロメオくんの曲は、現在でもitunesで購入することもできるそうです。ルネの曲も、いつかitunesで購入が可能になるといいのですけど!

You can check Romeo's best album in the following site.  Lora says you can purchase this album on itunes store as well as this site.  Wish one day soon, we will be able to purchase Rene's songs on itunes!





ルネが74年、75年ごろにフランスで出したレコード。下にあるのがロメオくんのレコード。一番右にあるルネのレコードジャケットMaman, laisse-moi sortir ce soir)とすぐ下にあるロメオくんのレコードジャケットは、とっても似ているとローラさんと話していました。 彼の声は、ルネよりずっと低い声のようです。ローラさんいわく、ルネのお兄さんのレジスの声に良く似ている!私も同感です。では、歌っているロメオくんを見てみましょう。 

Rene's records released in France around 74 and 75, also Romeo's.  Those record jacket layout are very similar to each other, the last ones especially.  Romeo's voice is lower than Rene and Lora thinks Romeo does sound like Rene's one year older brother, Regis.


romeo juste un petit baiser (youtube)



Romeo - Ecoute (youtube)

大人になったロメオ 'mature adult Romeo'
落ち着いたいい声で歌っています。 

 この歌は ルネの妹ナタリーがデビューして間もない頃のアルバム Nathalie chante pour ses amis (1980)の中でも歌っている曲です。Nathalie, Rene's younger sister also sang this song in this album that she released in 1980.



 実際のナタリーの歌は、シャンタル博士のサイトリンクから聴くことができます。You can listen to  Nathalie's song on this site.





この記事の画像を見てみると、ルネは、友人を得て、とっても元気にいろいろなことを楽しんでいるようにも見えます。では、二人がどのようなことをしていたのか、見ていきましょう。 

Rene and Romeo looks like having a lot of fun doing variety of things around Paris.


だれかに電話?「アロー!」もしかすると電話の相手は、ルネが大好きで、パリのいろいろな場所に一緒に出かけていたという、年上のイザベルという女の子かもしれませんね。ローラさんの話では、ルネは、きっとブロンドの女の子に惹かれることが多いとか!そういえば、奥さんのマリージョセもブロンドですね。

Who is Rene calling to? " Allô ?"  It could have been Isabel that Rene adoresIt was said Rene spent a lot of time with her while he was in Paris. Lora says that Rene tended to prefer 'blonde' girls.  Marie-Josee, his wife, also 'blonde'! 
 

イザベルに電話した後は。。。そうだ!ブルースリーの映画へ行こう!映画のポスターの前でブルースリー並みのキックを披露するルネ。日本でお父さん相手に柔道を繰り広げていたルネを思い出します。

After talking with Isabel (only guessing!) "Oh yes! let's go see Bruce Lee film!" Rene's kicking does remind us of Bruce Lee...!  While in Japan, Rene also tried 'Judo' against his father Jean Rock Simard!
 

  映画の後は、食事。レストランへ!何を食べようかな。。。僕の好きなラザニアか。。チキンサンドイッチはあるかな?(私の勝手な想像です。)

"It's a meal time after the film! What shall I eat...  do they have my favorite lasagna or  chicken sandwiches?" (again, I am only guessing what Rene has thought...)

食事が終わったら。。。そうだ!パスポート写真を撮ろう!また日本に行くから、余分にパスポート写真を持っていた方がいいからね。(これも勝手な想像をしております。)よく見てみると。。。ロメオくんと二人で撮ってあるようですね。今ならもっとルネは、プリクラなども楽しめたでしょうに。

次は買い物!


そしてテイータイム。日本のファンに手紙を書こう!

 それから、レコードの打ち合わせ?



では、ルネがフランスで出していた曲を少し聴いてみましょう。



 maman, laisse moi sortir ce soir
(ママ、今夜遊びに出かけてもいい?)1975



この画像は、以前にお話したことがある私たちがしていた手作りのルネのファンクラブ「ボンジュールルネ」の会誌第2号(1978年7月号)のあるページ。このページの上のほうにあるのは、そのころルネの事務所がしていた英語でのルネシマールファンクラブに入会したときのルネからの「ようこそ」というようなメッセージの最後の部分。これは、ルネの手書きのものですが、もちろん印刷されてあったものでした。そして下の部分にあるのは、そのファンクラブから送られて来たこれまでのルネについてのお話の部分の日本語訳をしたもの。この始めの頃に、フランスでのルネのことが少し書かれていたことを思い出したので、この画像を紹介いたしました。日本を離れて、ロサンゼルスで英語やダンスを勉強していたり、全米進出をめざし、有名なテレビショーに出ていたことも紹介されていいます。それにしても、このルネは、かわいらしいと思います。これは、たぶん旺文社の学習雑誌にでていたルネのように思いますけど。「ママ、今夜遊びにいってもいい?」という曲は、フランスで、ゴールドレコードという賞に輝いたと書かれています。

ところで、フランスにもルネのファンクラブがあったそうです。ローラさんにこれらの切り抜きなどを譲ってくれた女性もファンクラブに入っていた人だったそうです。最初の頃の名前はフランス語だったそうですが、そのあとは、Club Rene Simardという名前だったとローラさんは、聞いているそうです。Club Rene Simardと言えば、フェイスブックには、この名前のルネのファングループもあるんです。Passion Simard は、やく2千人ぐらいだったと思いますが、このClub Rene Simard は、350人ほど。アメリカやカナダの英語圏のファンも多いようです。なぜか最近、何の連絡もないままに、このグループの代表のうちの3人のうちの1人に昇進?させていただいたようで驚いています。



その他の曲は。。。


la monde de walt disney ウオルトデイズニーの世界(1974)


Merci ma chance チャンスをありがとう(1974)
これは、「ウオルトデイズニーの世界」のB面の曲でした。


Les petites filles modeles (girls models) (1974)




une maman c'est toi (mother is you) (1974)
この歌が、les petites filles modelesのB面だったと思います。


最後に、ロメオくんとルネが、1974年の3月には、もうお友達でいたことを示す新聞?と雑誌の切り抜き画像です。ローラさんも言っていたように、ルネは、74年の始め頃から頻繁にフランスに出かけていたのですね。そして6月には、日本。第3回東京音楽祭。この年の12月3日に、パリのオリンピア劇場で、Daniel Guichardのコンサートの最初のパートでルネがステージに立ったのです。

まずは、オリンピア劇場で歌うルネの画像から。



 Daniel Guichardと


オリンピア劇場のルネの名前


ロメオくんの記事


ルネの記事



ルネが日本とフランスを忙しく駆け回っていたことは知っていましたが、この記事で紹介したローラさんがフランスから取り寄せたという画像を見るまでは、ルネが実際にフランスでどのような様子でいたのか知ることはできませんでした。38年も!!昔むかしのことなのに、38年後にこのルネの様子が分かったということが嬉しくて仕方がありません。ローラさんもフランスでの記事をとても興奮してしまって、二人で夢中でお話しました。ルネのフランスでの画像は、もう少しあるそうなので、ローラさんがそれを見つけたらご紹介したいと思います。


では、フランス パリのルネを楽しんでいただけましたように! 



25.11.12

懐かしい頃 Bonjour Rene会誌 No.3 抜粋


Bonjour Rene (ボンジュールルネ)会誌 No. 3  Summer 1979

今週の記事は、何を書く事にしようかとずっと考えていましたが、なかなか決まらずにいましたが、私がルネのファンのみなさんと作って活動していた「ボンジュール ルネ」というファンクラブの3冊目の会報からの記事を紹介してみようと思います。





 日本に戻った際に、実家に置いてあるルネ関係の物を写真にできるだけまとめてきたので、時々その写真を眺めることが多くなりました。すっかり忘れていた物、事柄などたくさんあるようです。その中で、なんだか結構忘れていたものに、この会報の記事がありました。この会報No.3 の記事の内容は、FM福岡のラジオ番組で流されたルネについての放送のこと、それから、この時期にルネがホストをつとめていたルネシマールショーのことについてです。なぜ、1冊目じゃなくて、3冊目を?というと、この会報を読んでいたら、先々週まで続いていた「モントリオール1985年の夏休み」の最終回の記事の中で、このファンクラブを通して活動していたことのことに少し触れていたことを思い出しました。そして、この事に関係して、83年にルネがやっと来日した時の複雑な気持ちについても書いていたからです。

「ボンジュール ルネ」とは?

このファンクラブのこともずいぶん忘れていた事がありました。このクラブは、私が主催していたものでしたが、このファンクラブがスタートする一年前くらいに、福岡のファンが中心として作っていたファンクラブ「メープルメイツII」がありました。このメープルメイツIIの代表の方と連絡を取り合って強力しながらスタートさせたという状況だったらしいです。そしてメープルメイツIIは、会報を3冊ぐらいだして、その後、「ロワゾウ」というファンクラブになり、その「ロワゾウ」も、この1979年に終了、そして新しいファンクラブを私たちと一緒に作って再活動をするというようなことになっていました。そしてその後、再活動は、メンバーの大学入学、新しい生活がスタートしたという状況のため、そのまま打ち切りになってしまったと考えられます。



では、この会誌の最初のページから、途中の記事まで見て行きましょう。この時、私は大学一年生だったと思いますけど、文字がとても幼くて、英語の訳もなんだか怪しげという感じで、とっても恥ずかしいです。けれども、その恥ずかしい気持ちをおさえて。。。お見せいたします。画像をクリックすると、記事を読む事ができると思いますので、内容をここに書き改めません。



このページの初めに書いてある通り、この時期は、ルネの状況が少し分かってきたような時でした。ルネは、カナダの英語圏とくにブリッテッシュコロンビア州のバンクーバーのCBCスタジオで、1977年の秋から「ルネシマールショー」をスタートさせて、とても忙しく活躍している頃でした。そして、その最初の記事は、FM福岡のラジオ番組で、ルネについてのことが放送されたことについて。後で、この番組の井上さんという方から、この放送で使われたというレコードを送っていただきました。放送では、カナダに住む重松美子さんという方が、ルネの人気について、日本語でレコードに録音したものを使ったそうです。制作したのは、ラジオカナダインターナショナル。タイトルは、「ルネシマードの人気」 で、録音時間は、4分25秒。



FM福岡から送っていただいたレコード
(実際の音源をどうにかして、録音してくるべきでした。残念!)



 2ページ目。「ルネシマードの人気」の続きです。


 3ページ目。FM福岡にCBCから送られてきた、「ルネシマールショー」についての記事とルネの画像です


 4ページ目。「ルネシマールショー」の記事の続きと、ショー自体のプロモーション用の記事。下にあるルネの画像は、カナダ大使館広報部にいらっしゃった吉田さんがバンクーバーに仕事で行かれた時に、テレビに写った「ルネシマールショー」のルネを写真におさめて送って下さったもののコピーです。


5ページ目。最初にあるのは、「メープルメイツII」(でもこのときは、すでにロワゾウと名前を改めていました。」の代表の方のメッセージ。このFM福岡で放送されたことや、「ルネシマールショー」の資料についてのことを書かれています。

そして、2つ目の記事は、シックステーンというアメリカの雑誌に掲載された記事が、日本でも創刊になったシックステーンの雑誌に掲載されたルネの記事。でもルネの記事というより、これは、モントリオールにワールドツアーで立ち寄った、レイフギャレットが、ルネの番組に出演したという内容の記事です。画像をクリックすると読めると思うので、ここに改めて書き直しません。この記事を発見した時の感動は!それは、もうとても嬉しかったことを覚えています。



 6ページ目。これは、とっても見にくいというより、見えないと思うのですが、この会報より前の会報に載せた、Macleans という 雑誌の中で紹介されたルネの記事がありました。大使館の吉田さんが送って下さった記事でした。その後、この雑誌社にお手紙をさしあげていたので、その返事をタイプしたものだと思います。その時、ルネの資料などを送って下さったと思うのですが、それがこの画像であったかどうか、記憶があいまいです。この画像自体は、ライブ盤のレコードにもなった a la place des nationというコンサートのステージのルネという感じがします。



 そして8ページ目。ここに書いてあることを読むと、83年に来日したルネを見て、言葉にはできないくらい嬉しかったけれど、それと同時にとても動揺してしまった気持ちが、この記事を読んでいて下さっている皆さんには、わかっていただけるかもしれません。
 83年は、この記事を書いた4年後ということになります。

 FM福岡が手に入れたと思われるCBCテレビからの「ルネシマールショー」のポスターのコピー。FM福岡からいただいたものか、それとも「ロワゾウ」の代表者の方からいただいたものか。。。


 「ルネシマールショー」のポスターコピー。この画像は、ルネがラスベガスのヒルトンインターナショナルホテルで 1976年の12月、アメリカのピアニスト、エンテーテイナーであるリベラーチェ(Liberace)とのステージでのルネだと思います。この時期にあった、ルネのファンクラブの資料によると、ルネは、翌年、リベラーチェといっしょに、フロリダ、アリゾナ、レイクタホなどでステージに立ったそうです。




 これが、そのラスベガスでのステージ。ピアノを弾いているのがリベラーチェ。画像は、25周年記念に発売されたCD集のCollection 25 ANS de carriere  2枚組に入っているブックレットからです。ルネは、Macleans (1977年、9月19日号)の記事の中で、このリベラーチェとラスベガスでのステージのことをこのように言っています。 

Macleans: You're the first Quebecois to ever play in Las Vegas. That must have been satisfying."
Rene: That was lots of fun.  Mr. Liberace was like a grandfather to me - always trying to help."



このポスターと全く同じ画像が25周年記念の2枚組のCDのブックレットにも入っています。


Gloria Loringは、アメリカの女優、歌手



「ルネシマールショー」ポスターコピー


紹介した画像の質は、あまりよくありませんでしたが(昔むかしのものですから)、ルネがなんとか日本のファンと連絡を取り合う事ができるようになって、ルネの様子がもっと簡単に分かり、ルネの来日の夢が叶う日を夢見ていた自分の姿、そしてこの記事を読んで、同じ気持ちでいたルネのファンの姿を懐かしく思い返すことができました。メープルメイツII 、ロワゾウで一緒に熱くルネへの気持ちを語り合った方たちとの出会いが、また叶いますように願っています。お元気でいらっしゃるでしょうか。

記事に書かれていた事を、もう一度書き直しませんでしたが、判読できましたように!