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11.5.14

ルネの全米進出の計画と二人のマネージャー その2



BONNE FÊTE DES MÈRES !

ボンフェデメール!

母の日おめでとうございます!


Martin Jarrie(マルタン・ジャリ)の原画カーネイション
source:イラストユーロ


今日は、母の日。日本でもケベックでも、そしてニュージーランドでもお母さんに感謝をし、いつにも増して、母親のことを想う日だと思います。私も天国にいる義母と日本で元気に過ごせるようになった母のことを想い感謝をする時間を持ちたいです。母に贈ったお花はもう届いたという連絡が来てとても嬉しそうでした。ルネのママ、ガブリエルさんもお元気で過ごしていると聞いていますので、ルネもママとの時間を過ごすのかもしれませんね。植物が大好きだなルネは、どんなお花をママに贈るのでしょう。

今回の記事の前に、ルネの「ボクのママは天使」Ma Mère Est Un Angeという歌をyoutubeのビデオで聴いてみることにしましょう。この歌を作ったのは、兄のレジスです。



「ルネを誇りに思いながらポーズをとるルネのママ」 
ルネのママは、ふだんメガネをかけていますが、この画像はメガネなしで、珍しいと思います。



Rene Simard - A Child Like Any Other 3 (youtube)

カナダのルネファン、ケーシーさんがyoutubeにアップしているルネのドキュメンタリー映画「普通の子供」英語吹き替え版からのビデオ。ルネが「ボクのママは天使」'Ma Mere est un ange'を歌っている場面が出て来ます。ルネが歌う前にルネにアドバイスをしているのがgc。このコンサートは、ルネがその後も何度もコンサートをすることになるモントリオールのplace des arts(文化や芸術のための会場として使われる総合施設でカナダ国内では最大)で行われ、1970年12月4日が初演でした。(ref: 'rene &nathalie simard:les enfants cheris du show bizz' by danielle & claudine bachand) ルネの初めてのコンサートでした。

ルネがステージで話し始めたのは、ルネのコンサートと同じ日にホッケーの大きなゲームがあること。それなのにボクのステージを観にきてくれてありがとうと言っています。そしてそのホッケーの進行の様子を伝えています。「(モントリオール)カナディアンズが2対0でリードしてるそうですよ!」と言って、たぶん本当はゲームのことが気になって仕方がない
観客を笑わせています。ケベック人ならだれもが大ファンというモントリオールを本拠地にする世界最古のプロのホッケーチームです。フェイスブックのルネファンも現在ゲーム中なので、そのゲームの様子を盛んにシェアをしています。ルネもカナディアンズとホッケーの大ファン!

その後もルネの可愛らしいおしゃべりが続きます。

「あ、会場に来てくれているだれかさんに気がつきました(ママのことです)。えーと。。1、2、3、4、5、6、7、8。あ、8列目にいますね。みなさんの了解を得て、この女性にちょっと言いたいことがあるんです。」

「ママ、もしママさえ良かったら、ここにいるのがボクとママの二人きりだと思ってね。これからボクが特別にママのために歌うから。」


日本にある私のスクラップブックの雑誌の記事からのママとルネ

Ma Mère Est Un Ange「ボクのママは天使」の英語と日本語訳

 
Mama is an angel    ボクのママは天使さ
I know, believe me   そうなんだよ、信じてよ
Mama is an angel    ママは天使なんだ。
She was meant to be   そう、天使のはずなんだ

I want you always    ボクは、ママがいつも
To be so happy,     幸せでいてほしいんだ

That's because      だって
I love you mama     ボクはママを愛しているから。

Mama is an angel    ボクのママは天使さ

I know, believe me    そうなんだよ、本当なんだよ
Mama is an angel    ママは天使なんだ
She was meant to be   天使のはずなんだ

You are all my life    ママは、ボクの人生
I will always love you   ボクは、これからもいつだって愛しているよ
I can't see you suffer.   ママに辛い目にあってほしくないんだ

Mama is an angel    ママは天使さ
I know, believe me    ボクを信じてよ
Mama is an angel    ママは、天使なんだ
She was meant to be   天使のはずなんだ

Oooo...

Mama is an angel    ママは天使さ
I know, believe me    そうなんだよ、信じてよ
Mama is an angel    ママは天使さ
She was meant to be   天使のはずなんだ

You are all my life    ママはボクの人生さ
I will always love you   これからもいつも愛しているよ

I can't see you suffer.    ママに辛い目にあってほしくないよ


Mama Is An Angel (ma Mère Est Un Ange) Video

Mama Is An Angel (ma Mère Est Un Ange) Lyrics

by René Simard
Single: Mama Is An Angel (ma Mère Est Un Ange)
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Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

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Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

I want you always
To be so happy,
That's because
I love you mama

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Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

I want you always
To be so happy,
That's because
I love you mama

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

Oooo...

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.
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Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

I want you always
To be so happy,
That's because
I love you mama

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

Oooo...

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.
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Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

I want you always
To be so happy,
That's because
I love you mama

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

Oooo...

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.
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Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

I want you always
To be so happy,
That's because
I love you mama

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

Oooo...

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.
Read more at http://www.lyrster.com/lyrics/mama-is-an-angel-ma-mere-est-un-ange-lyrics-rene-simard.html#LjjAszvHeBYkcVQa.99
Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

I want you always
To be so happy,
That's because
I love you mama

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

Oooo...

Mama is an angel
I know, believe me
Mama is an angel
She was meant to be

You are all my life
I will always love you
I can't see you suffer.
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ルネと出会う前の二人のマネージャーについて

では、今回の記事を書いていきましょう。今回は、ルネと出会う前の二人のマ ネージャーについてです。この二人とは、ルネのマネージャーであったギイクルテイ(以下gc)とgcのサポートをするという形でルネのサブマネージャー/ プロデューサーだったルネアンジェリル(以下アンジェリル)のことです。

アンジェリルが「プロダクションgc」で仕事をし始めた頃の紹介の画像



アンジェリルは、プロデューサー、クロデイーヌバチョーは、gcのアシスタント(マネージメントをしていたアーテイストの世話とgcの秘書)、クロデイーヌバチョーの妹のダニエルバチョーは、報道担当者として紹介されています。この他に、受付の女性の紹介もしています。クロデイーヌバチョーは、gcの元で2004年まで約30年(たぶん31年か32年間)の間、仕事をしていました。ルネの世話をデビュー当時からずっとしていた人です。

この画像の上には、この4人の画像の10倍くらいのサイズのプロダクションマネージャーとしてのgcの画像が紹介してあります。(source: rene magazine sincrement/my own)


ネット検索をしてみると、元の二人のマネージャーについてのことは英語、フランス語のサイトで様々なことが書かれています。gcについて現在どんなことが書かれているか、今回の記事では書きません。2004年に、gcは、ルネのマネージメントをやめています。


アンジェリルについては、ご想像通り、セリーヌデイオンのマネージャー、夫としての活躍を読むことができます。けれども、私がとても興味を持っていたルネに出会う前の二人については、あまり詳しく書かれていないようです。アンジェリルは、歌手やコメデイアンとして仕事をしていたので、gcよりは情報がありますが、gcについては、ほとんど詳しい記述はないようです。


正直に言えば、私が最も知りたいと思っていたのは、アンジェリルよりもgcについてでした。ルネと出会う前に、どんなことをしていた人だったのか。そしてルネのマネージャーとして仕事をするようになった経過について知りたいと考えていました。前回の記事その1と同じように、'René Angélil: The Making of Celine Dion: The Unauthorised Biography'  (2004, written by Jean Beaunoyer an Jean Beaulne)の本を読んだ内容をメインに紹介していきたいと思います。




ルネの現在のマネージメントをしているのは、ルネのデビュー当時からgcのオフィスで秘書として働き、ルネの世話をしていたクロデーヌバチョーです。彼女は、2004年にgcのgc コミュニケーションズ(プロダクション会社の名前を数回変えていますが、96年からはこの名前でした)が閉鎖後、彼女自身のマネージメント会社、Claudine Bachand Communicationsを立ち上げて、ルネも奥さんのマリージョセもそこに属しています。なお、gcコミニュケーションズは、gcの娘でタレントのベロニククルテイエ(Veronique Cloutier)がNovemプロダクションという名前に変え、アーテイストのマネージメントセクションを廃止して、テレビとラジオの制作部門をメインに続行していましたが、タレント業に専念し、家族との時間を優先させるために、2009年に売却しています。(ref: veronique cloutier wikipedia)



アンジェリルとgcの出会い/アンジェリルについて


アンジェリルとgcとの出会いは、二人がルネに出会うずっと以前のことでした。1963年の頃だったそうです。その時、アンジェリルは、ケベックでは、人気のあった Les Baronetsという友人2人との3人組のグループでキャバレーなどのクラブ周りをして歌うのを仕事にしていました。高校が終わった18才の頃から週末などを利用して歌っていたようです。gcとの出会いがあったこの頃ビートルズが音楽界に登場、Les Baronetsもビートルズなどの歌をフランス語にして歌ったりしてヒット曲も数曲あり、特に甘いマスクのアンジェリルは女性に人気があったとか。



Les Baronets - Twiste et Chante (ビートルズカバーTwist and Shout) - 1964

Les (Nouveaux) Baronets - Demain (1966)

Les Baronets - Symphatie (1970)

このLes Baronetsもケベックだけでなく、アメリカに進出し、やがてはビートルズのように世界中で活動するという大きな夢を抱いて、アメリカのレコード会社Vee Jay Recordのプロデューサーに見込まれたことを機会に、ニューヨークで英語だけのアルバムのレコーデイングもしたようです。「ビートルズにだって出来たのだから僕たちにだってチャンスはあるかもしれない」(ref: 'international market already', celine) とアンジェリルは仲間に言っています。

残念ながら、そのアルバムはレコーデイング会社がその直後に、破産となってしまい、レコーデイングしたものはその破産管財人の手に落ち、取り返す事ができず、また再度違う会社でレコーデングする予算もなくなり、アメリカ進出の夢はあきらめることになったのです。

アンジェリルも歌手としてアメリカ進出を夢見てレコーデイングまでしていたという事実は、私にルネの全米進出の計画のことを思い出させ、アンジェリルが、ルネやセリーヌの全米進出に熱心に仕事を進めて行く気持ちは、お金を得たいということだけだったのでなく、自分も目指していたことを二人に実現してほしいという強く熱い気持ちがあったのだろうと感じました。


Les Baronetsの人気も無くなり、ステージでのパフォーマンスも惨めなものが多くなり、グループが正式に解散したのは、1973年でした。アンジェリルは、30才になっていました。最初の奥さんと離婚そしてギャンブルで借金もあるという状態。借金は母親が返したらしく、アンジェリルは、違う分野の仕事で再スタートをしたいと考えていました。


Les Baronets時代からマネージメントに興味があったようで、このころすでにマネージメントを始めていたgcのもとで、72年の頃から、何人かの歌手の面倒を見ていたようです。そのうちの一人だったAnne Reneeと、73年に最初の奥さんとの離婚後、74年の7月23日に2度目の結婚をしています。ルネが第3回東京音楽祭でグランプリ/フランクシナトラ賞を獲得したのは、同じ年の6月30日でした。その後ルネ一行がケベックへ帰ったのが7月14日(ref: スーパーアイドルルネ)ということですから、ケベックに戻ってからまもなく結婚したようです。



(source:passion simard)
1974年12月頃にパリに出かけていた時の画像。左端にいるのがアンジェリルが結婚したAnne Renee、隣がクロデイーヌバチョー、ルネの姉のリン、ルネ、そしてアンジェリル。ルネは1974年の12月5日に、パリのオリンピア劇場のステージに出演していました。


ケベックで、マネージャーという仕事を最初に職業として成り立たせたのは、gcだろうとこの本の中に書かれていました。そのマネージャーとしての技量をgcが発揮し始めたのがルネだったということも。アンジェリルは、gcがルネをどのようにマネージメントしていたかということをよく観察していたようです。


ルネは、72年当時、11才。9才の時にテレビの歌の勝ち抜きコンテスト「ジャンロジャーの発見」に出場していた時からgcがマネージメントをはじめ、それから1年もしないうちにデビューさせ、人気者にさせています。



Passion Simard extrait ''un enfant comme les autres'' René chante Ave Maria aux découvertes 

ルネのデビューまでの様子をまとめたドキュメンタリー「普通の子供」からの「ジャンロジャーの発見」に出演シューベルトの「アベマリア」を歌う場面のルネ。この勝ち抜き戦でルネは3段階の最終まで進んだので3つの曲を歌ったことになります。ルネと最後まで競っていたのは、ルネの兄のレジスでした。(passion simard Rene biography より)


gcについて



gcは、1942年、ケベック州のAlma(アルマ)という町に生まれました。(wikipediaでは、生まれたのはチクテイミ、育ったのがAlmaと書かれているようですが) Alma は、ルネが生まれたケベック州Saguenay Lac-Saint_Jean (サグネラックサンジャン)地域にあるChicoutimi(チクテイミ/シクテイミ)の町から45キロメートルしか離れていない位置にあります。サグネ地域で一番大きなチクテイミに比べると、とても小さな町のようです。2009年のチクテイミの人口は6万7千人に対してアルマは、3万人。ルネは、6才の時にオルレアン島に引っ越しをするまでチクテイミに住んでいました。


アルマとサグネ周辺の地図


中央下にケベックシテイ、ルネの生まれたチクテイミのあるサグネ(Saguenay)は、中央上、gcの生まれた町、アルマ(Alma)は、saguenayの左側上にあります。Alma は、サンジャン湖のすぐ近く、サグネはサグネ川沿いの地域。ケベックシテイのすぐ近くにある島がオルレアン島です。

チクテイミの場所を確認したいので、地図をあと一つ。


(source:saguenay-lac saint-jean)

この本の記述によると、gcは、学生時代からいろいろなことを企画して実行するのが得意だったそうです。高校の時には、ダンスパーテイや、グループでの外出などのイベントを企画していたりしていたそうです。高校を卒業してまもなく、La Maison de Palmarès(ヒットパレードの家)という名前のレコードショップを経営するようになり、そのお店は、gcが20才になった頃には Almaの町で成功しているビジネスの一つとなりました。


モントリオールから仕入れて来た新しいレコードが売れるように、地元のラジオ局にしつこいぐらいに頼み込み、そのレコードの曲を流してもらったり、またコンサートツアーをする歌手のスケジュールを熟知していて、そのスケジュールにあわせるようにその歌手のレコードをたくさん仕入れて置くということもしていました。


アンジェリルとの出会いは、1963年ということでしたが、the BaronetsがパフォーマンスをするためにAlmaに来た時に、町のホテルで最初に顔を合わせ、アンジェリルと他の二人のメンバーと親しくなったそうです。gcは、エンターテイメントの世界にとても魅了されていましたが、この後まもなく La Maison de Palmaresは破産をしてしまったことで、エンターテイメントの世界での仕事をしたいという気持ちが強くなったのでしょう。驚くことに1964年から1966年にかけてバンドの歌手として数曲をレコーデイングしています。(wikipedia: guy cloutier)




gcのレコーデイングした歌


破産してしまった後は、かなり貧しい暮らしをしていたそうで、住むところもなくなり、いつもthe Baronetsの3人と一緒にいるようになり、3人のそれぞれの家に寝泊まりをしていたようです。そうしているうちに、the BaronetsのレコーデイングをしているTony Roman(歌手、レコードプロデューサー、映画監督)のレコーデイングスタジオでthe Baronetsのための仕事をするようになりました。この時の収入は、週に150ドルだったそうです。その後、Tony Romanの立ち上げたレコードレーベルCanusaのプロモーションとプロデューサーの仕事をするようになっていきました。Canusaは、60年代、ケベック州で多くのヒット曲を出していたそうです。


Tony Roman
(source:Tete Carre)


もっと手広く才能のあるアーテイスト達のマネージメントをしたいと考えたgcは、1969年に「プロダクションgc」という会社をスタートしています。(wikipedia) その翌年に、「ジャンロジャーの発見」という歌のコンテストに出場していたルネに出会ったわけです。他に数人のマネージメントをしていたそうですが、gcを有名にさせたのは、ルネ、そしてその後デビューしたルネの妹のナタリーでした。


ルネとのgcの出会いは、また改めて記事にしたいと思いますが、ルネのマネージメントをしたいと考えたのは、gcだけではなく、他にもたくさんいたようです。その一人が、gcのプロダクションでマネージメントをしていた歌手の一人、 Patrick Zabé でした。gcよりも一足先にオルレアン島に出かけ、ルネの父親にルネと兄のレジスのマネージメントをしたいと申し込みをしていましたが、断られてしまったそうです。(ref: 'au-dela du silence' 2007 by jean-rock simard)



Patrick Zabe

source: Patrick Zabe ma vie ma musique

1970年頃のPatrick Zabe  画像の右下には、gcプロダクションの連絡先、左下には、 当時のgcのレコード会社、NOBEL(ノーベル)のロゴが見えます。

1999年には、ケベックの芸能界でのこれまでのキャリアと実績を讃えるFelix賞、翌年の2000年には、その年の最も優秀なプロデューサーに贈られるFelix賞をADISQ(からおくられていました。(wikipedia) ミュージュカル、リアリティーショーなどの制作などもしていて、ケベックの芸能界では大物としての存在になっていました。

ADISQ(Association québécoise de l'industrie du disc, du spectacle et de la vidéo)について。1978年に創設されたケベックの音楽、映画産業をサポートする非営利団体。1979年からは、音楽家や歌手、アーテイストなどに賞を贈る授賞式が毎年開かれるようになっています。





左端にいるのがgc、ルネの右にいるのがアンジェリル
(source:スーパーアイドルルネ 1974/my own)


gcとアンジェリルのその後、1975年

ルネの全米進出の計画が失敗に終わった後のアンジェリルとgcの様子はどうだったのでしょうか。ご想像のように、二人の関係は、あまりいいものではなかったようです。アンジェリルは、自分の持っているお金をルネやgcのプロダクションのために注ぎ込んでいたので、gcの対等のパートナーとしてプロダクションをやって行きたい、それからプロダクションの収入の半分も受け取りたいとgcに申し出たそうですが、gcからの返事は、ノー。そのため 独立して、自分のプロダクションを作りました。アンジェリルは、その時、32才となっており、その数年後に14才のセリーヌデイオンとの出会いが待っていたのでした。





テレビ番組に出演する前のルネと日本から取材にやってきた人たち。ルネの背後にいるのは、アンジェリル。 (source: sincerement rene magazine/my own)

ルネと出会う前のアンジェリルとgcについて読んでみていかがだったでしょうか。ルネに出会うまでの二人の生い立ちや経歴を知ったことで、想像していたよりもずっと、二人が持っていたルネへの期待と夢が並々ならないものであったことを感じました。アンジェリルもgcも、エンターテイメントの世界、マネージメントの世界に魅了され、才能を持ったルネに出会うことで、歌手として自分が叶えられなかった自分のことを思い返し、ルネを売り出そうと必死だったのでしょう。そして同時に自分たちの収入と、有能なマネージャーとして社会的に認められることへの願望。


その後の二人の人生は、どうなっていったのかということを見てみると、二人のどちらに対しても大変複雑な思いを感じます。そして、もちろんルネ自身の人生についても。ルネは、全部を知っている、そして受け止めて今も前向きに生きている。そんなルネを見守って応援をして行きたいというのがいつも思うこと。がんばってね、ルネ!




18.4.14

ルネの全米進出の計画と二人のマネージャー その1

前回は、3月の初めに発売されたケベックの雑誌のルネの記事についてでした。そこでルネが話していたことは、これまでのこと、現在のこと、そして将来のこ とでした。読み終えて感じたことは、ルネが今とてもいい人生を送っているということ。53才になり、自分のしたいこと、したくないことが分かり、したいと 思う仕事も選択もできる。スポットライトを浴びることよりも、カメラの裏側での仕事を楽しみ、大切な家族と穏やかに暮らしているのだということでした。そ んなルネの様子を垣間みることができる話を発見しました。記事の話を続ける前にちょっと寄り道です。


これは、昨年の9月9日に出演したテレビのトークショー'Alors on Jase!'からのルネです。ここでルネは、お天気のことや、自分の好きな植物の世話のことなどを話したそうです。ルネが話題にした好きな植物とは、「エンジェルストランペット」これは、「キダチチョウセンアサガオ」属「ナス」科のひとつだそうです。「エンジェルストランペット」というのは、園芸名。花言葉は、愛敬、偽りの魅力、変装、愛嬌。「愛敬、愛嬌」などは、 ルネにぴったりな言葉ですね。ニュージーランドでもこの植物が野生としていたるところで見られます。毒性があるので注意が必要なんですけど!ルネは、どのようにこの植物を扱っているのか気になります。番組では、どのようなことを話したのかも。



ALORS ON JASE! の番組からのルネ




「エンジェルストランペット」

これが、「エンジェルストランペット」 ルネの夢/希望の一つは、大きなグリーンハウスを作ることと言うぐらいルネは、植物を育てるのが大好きとのこと。自宅 にいる時には太陽の光を植物に浴びさせるためにしょっちゅう植物の鉢を移動させるほどだそうです。ケベックのファンのお話では、現在ルネはすでにグリーン ハウスを持っているらしいです。


そ れでは、記事についての話にまた戻ります。ケベックのファンの何人かと、この記事をどう思ったか聞いたところ、Rene is in peace. (ルネは、今とても穏やかだ、穏やかに人生を過ごしているのだ)と言っていたのがとても心に残ります。それは、私にとっても、facebookの日本のル ネファンの間でも同じく感じたことでした。そしてそのケベックのファンは、ルネの言っていることを読んでいて、自分のこれまでとこれからの人生のことにつ いて考えた時、とても励まされるということでした。自分自身に対して失った自信をもう一度取り戻せるように思うと。


現 在のルネの人生哲学と思えるような言葉がありました。「人生には、永遠に続くものというものはない、それゆえに今の瞬間を楽しむべき」だから過去の事に拘る なと。このような考えが出来上がったのは、ルネが10才でデビュー、大変成功し、大きな人気があったのにテーンエイジャーになるとあっという間に消え てしまったという経験をしているからだと書かれていました。


テーンエイジャー時代のルネ。そのルネには、今も人一倍の興味を持ち続けています。あの頃、そのルネの活躍をどれほど知りたいと思い、想像していたことでしょう。今では、ルネがその頃何をどのようにしていたのかをネットによって知ることができますが、その当時のルネのことは、日本に残された私たちファンにはほとんど伝わって来ませんでした。知ることができたことは、アルファレコードが作っていたルネのファンクラブ、メープルメイツからの会報や新聞などでアメリカ進出をするためロサンゼルスで英語やダンスのレッスンにがんばっているルネの話題や、まだ あのなつかしいおかっぱのヘアスタイルをしているけれども、幾分身長が伸びた20世紀フォックス社の前で撮られたルネの画像がありました。そして最後の会誌となった総集編では、髪の毛を短くしたルネの姿があり、ほんとうにびっくりというより嬉しい大ショック!を感じました。では、そのメープルメイツの会誌 No.4の懐かしいルネの画像を見て行きましょう。(source: maple mates no.4 my own)



 表紙の見開きページのルネ
うーん、とっても大人っぽい感じです。


「ルネが契約している20世紀フォックス社の前で」

と書かれています。the Montreal Gazetteの1976年4月10日付けの記事でこの契約の話が書かれています。それによるとルネは、20世紀フォックス社と2年間の契約を結んだそうです。この記事では、映画のためとありますが、Eugene Regiser-Guardの1975年12月28日の記事の中では、特別なテレビ番組(トークショーなど)のために2年の契約を結んだとあります。



身長もとても伸びた感じですね。



「全米放映!!TV番組 ”MERF GRIFFIN"でのスナップ」

The Merf Griffin Show は、20世紀フォックス社で制作されていたトークショー。ルネは、この番組に1977年4月19日にゲスト出演しています。画像はこの時のものではなくて、たぶん1976年の5月のショーだと思います。「20世紀フォックス社との契約は、1976年5月から1978年の5月まで」でした。(source:p75 Rene Simard signe avec 20th Century Fox, Rene Simard Magazine)


ファンクラブがまったく 停止した後は、何も分からないという状況。有志が集まってルネのファンクラブを自分たちで始めたけれど、集められた情報はそれほど多くありませんでした。少し後で、ルネの英語の曲が混じったアルバム、'Fernando' (1976)と初めての英語だけの曲で制作された‘Never know the reason why’(1977)から録音したカセットテープをを東京音楽祭の事務局の関係者で個人的にルネが好きで、この二つのレコードをもっていた方から手に入れて、大興奮! 変声期を迎え不思議だけれど魅力的なルネの声、それでもとても懐かしく胸がジーンとしました。そして、ルネが英語の歌を歌っている、そしてフランス語ではないので、すぐに歌詞の内容が分かるという嬉しさもあり、何度も聴いて、ルネを想い涙をこぼしていました。そのテープをみんなで回し合って感激をシェアしていたものです。突然引き離され(というような気分で)、その後まもなくテイーンエイジャーに成長していたルネの様子をほとんど何も分からずにいた日本のルネファンにとって、このあたりの時期は、暗闇の中、一番悲しい時だったのではないかと思います。


source: メープルメイツ会誌/総集編(my own)


最後に送られて来たメープルメイツの「総集編」としての会誌の最初の見開きに登場したルネは、もうあのおかっぱ頭のルネではありませんでした。



source:the boy choir & soloist directory

Fernando(1976) 画像は、96年のデビュー25周年に作られたcd版



ルネの初めての英語だけのアルバム 'never know the reason why'(1977)


前 置きが長くなりつつありますが、そういうわけでテーンエイジャーの頃のルネに本当はどんなことが起こっていたのかということが、あの頃の私の頭の中でいつも渦を巻いていたわけでし た。それは、40年(!)を過ぎた今でも同じです。「どうしてもちゃんと知りたい!」という強い気持ち。現在はそのことについてネット検索ですぐに様々な情報が分かるようになりました。けれども今回 は、ある一冊の本に書かれていることをたどり、その本の角度からルネにあの頃何が起きていたかを見て行きたいと思います。もちろん、そこに書かれているこ とが信頼性のあるものなのかどうかは、わかりませんが、この本の内容についてずっと考えていた私には、まるきり嘘でもないと思う内容に思え、興味を持っていまし た。とくに興味を惹かれたのは、ルネの周りに存在していた人たち、その頃のルネにとってはいなくてははならない二人がどんな人たちだったのかということも 書かれていたからです。


この二人というのは、ルネの元のマネージャーのギイクルテイ (Guy Cloutier、以下gcと記述)、そしてgcの元で、ルネのサブマネージャー的な存在として仕事をしていたルネアンジェリル(René Angélil)。ご承知だと思いますが、ルネアンジェリル(以下、アンジェリルと記述)は、ルネとの仕事の数年後、セリーヌデイオンのマネージャーとなり、セリーヌデイオンをスーパースターに育て上げ、後に彼女と結婚。二人の間には、3人の子供たちもおり、今もマネージャーとして彼女のために仕事をしている人です。



気になっていた本というのは、'René Angélil: The Making of Celine Dion: The Unauthorised Biography' 著者は、Jean Beaunoyer とJean Beaulne.  Jean Beaunoyerは、作家、ジャーナリスト、そしてJean Beaulneは、アンジェリルと12年もの間、the Baronetsという3人組のグループで一緒に歌をうたって仕事をしていた人です。その親しい間柄ゆえにルネと会う以前のアンジェリルについて、セリーヌデイオンに出会い、彼女を世界的なアーテイストに育て上げた過程について知っていることを元に、アンジェリルについて、ジャーナリストである Jean Beaunoyerと共に書き上げた本のようです。ただし、the unauthorised biographyとあるように、ルネアンジェリル本人のお墨付きまたは、頼まれて書いたバイオグラフィーではありません。



Les Baronets - Je suis fou

The Baronets時代のアンジェリルは、向かって左。右端にいるのが、著者のJean Beauln。


すでに上記していますが、この本から私の興味を引いたのは2つのことです。1つ目は、全米進出の話がどのように始まったのか、そして終わりを告げたのか。2つ目は、その全米進出にも強く関わっていた二人の人物であるアンジェリルとgcについてのこと。二人は、ルネと関わりを持つ以前はどういった人たちだったのか、そしてその二人がルネと出会った頃のこと。gcは、ルネのマネージメントを始める以前の時代、the Baroneteのメンバーたちのところに出入りしていたそうで、メンバーの家に泊ったりさせてもらったりしていたそうなので、gcについてもよく知っていたようです。この本は、著作物ですので、本の内容を翻訳してその内容を考えるのではなく、私がすでに読んでいる内容を元にこの本のレビューとして、そしてそれを私がどう思ったかという視点で書いて行きたいと思います。


source: Rene Simard magazine (my own)

フランクシナトラからシナトラ賞のトロフィーをもらうルネ

その1の今回は、ルネの全米進出の話がどのように始まり、どうして終わってしまったかということについて見ていきます。

 "Guy, it's now or never' 
「今やらなければ、もうチャンスはないんだ」

この話が書いてあるのは、セクション28に出てくる'Guy Cloutier'(以下gcと記述)の中。gcとアンジェリルが「ルネを全米デビューさせようという夢」を持ったのは、やはり第3回東京音楽祭世界大会でのグランプリとフランクシナトラ賞を獲得し、一躍日本でのレコードヒットと人気を得たことがきっかけでした。そしてフランクシナトラでさえルネに夢中というようなルネへの大きな期待感をgcとルネアンジェリルが持ったからでした。話を進めていったのは、gcよりもルネアンジェリル。以前から、アンジェリルは、ケベック州では、絶大な人気のあったルネをなんとかアメリカやカナダの英語圏でも売り出そうとgcに持ちかけていたようです。東京音楽祭での成功を、またとないチャンス!と考えたのはムリもないことです。アンジェリルには、the Baronetsの元のマネージャーがアーテイストを全米進出に成功させたスタイルを真似て、ルネのマネージメントをしたいという気持ちがあったようです。その一番の考え方のポイントは、「大きく考える」「アーテイストの才能について決して遠慮して話してはいけない」の2つだったようです。アンジェリルは、gcにこう言います。


 ”Guy, it's now or never". " We've got to think big! Even Sinatra is crazy about Rene. We've go to try the states right away.  The kid is hot everywhere!"
(ref: p120 'René Angélil: The Making of Celine Dion: The Unauthorised Biography')

訳:「gc、今やらなければもうチャンスはないんだ。僕たちは大きなことを考えなくちゃ!シナトラでさえルネに夢中なんだ。全米を今すぐに狙おう。 あの子(ルネ)は、どこでも人気者になれるんだ!」


source: スーパーアイドルルネ(my own)

東京音楽祭受賞直後。アンジェリルは、カジュアルな水色の上下の人


マネージャーの二人の喜びと期待は、大きなものだったと思いますが、今こうして読んでみると、二人は、雲にでも乗っているような気持ち、足が地に着かない、あるいは少し有頂天な気持ちになっていたのかもしれません。ほんとにルネを全米デビューさせて成功させるのが可能だと思っていたのでしょう。もちろん、私もルネにはそれだけの才能とチャンスがあったと思います。けれども、本に書かれてあることを読んでいて、二人の当時の姿を思い描いた私の感想は、ルネを大きく育て上げ成功させることは、二人にとってお金を儲けたいということでもあったのだという当然のことも再認識させられました。特にルネに出会うまでの二人の境遇を読んだ後では、成功が収入になる、また自身の名誉になるというその大きな夢や期待感が並々ならないものであっただろうという印象を持ちました。



source:Rene Simard magazine (my own)

東京音楽祭受賞後の夕食会。アンジェリルは右端の上にいます。


全米デビューのために、東京音楽祭からケベックに戻って2人が先ずしたことは、アメリカの雑誌' Time' のジャーナリストにルネがケベックでビートルズやエルビスプレスリーのレコード売り上げを合わせたよりも多くのレコードを売り上げたこと、つまりルネはビートルズやエルビスプレスリーよりも人気があるという話しをしたことだったそうです。この本によると、これは、数週間だけの事実にすぎなかったそうですが、アンジェリルとしては、その部分は省いてしまったのでしょう。


ビートルズとエルビスプレスリーよりも人気があるということ、そして東京音楽祭でシナトラ賞を獲得したので、シナトラがルネの後見人であるという2つの触れ込みで、ルネは、全米に将来が期待されたシンガーとして宣伝されて行くことになったようです。ただし、シナトラがルネの後見人として触れ込んだことについて「ルネにトロフィーを渡しただけのこと」と 著者が言っていることが気になります。シナトラ賞をルネに送ろうと思ったのは、シナトラ自身だったとは思いますが、音楽祭の後、シナトラがルネのアメリカ進出のために何かをしてくれたという事実は、当時の日本の雑誌の記事でわずかに触れられている以外に、私が今まで読んできた英語またはフランス語の記録としては見当たりません。シナトラの名前は、ルネのステータスを上げるために使われたように思えます。このビートルズとプレスリーよりも人気、シナトラにも見込まれたという話は、'time'  や'wall street journal' だけではなく、後になってもルネのプロフィールを紹介する雑誌や新聞記事ではかならずと言っていいほど繰り返されています。


このようなアンジェリルの話の様子を見られるのが、Million Dollar Babyというビデオです。ルネが東京音楽祭でグランプリとシナトラ賞を獲得する様子からスタート、それからルネがカナダ全体では知られていないけれど、フランス語圏であるケベックでのレコードの売り上げと人気のすごさ、そして日本での人気について話しています。


またgcとアンジェリルがルネとの出会いとルネの才能について話している姿も見られます。ご想像どおり英語でよく話しているのがルネアンジェリル。全米進出に向けての意気込みのようなものがとくにアンジェリルからはとても感じられます。英語が苦手なgcは、ほとんど話すチャンスがなく、隣に座って話を聞いているという様子です。


ルネとgcとの出会いは、このインタビューの中で、gcの結婚式で聖歌隊としてルネが歌っていた時だったという話をしています。これは、ルネのデビューまでを描いたドキュメンタリー映画「普通の子供」の中でも紹介され、日本で発売された「スーパーアイドルルネシマール」の記事の中でも、またその他の雑誌でもよく使われていたエピソードでしたが、その真相は、gcやルネアンジェリルの考えによって作られた話だったのかもしれないとよく考えていましたが、この本の中では、ルネとgcとの出会いは、ルネが「ジャンロジャーの発見」という(1年に渡って3段階に分けられ、3曲の歌を唄って行くという勝ち抜きの)歌のコンテストに出場していた時であったことだけが記述されています。ルネは、その時9才、すでにケベック中のお母さん達の間で人気が出ていたそうです。


パート2では、アンジェリルがルネの人間性についてほめている姿勢がとてもすばらしいと思います。そして英語の勉強を開始してからたったの3ヶ月しか経っていないルネの可愛らしい英語でのインタビューは、何度観ても微笑んでしまうのです。



さて、では次にアメリカの雑誌'time'に掲載された「東京音楽祭でグランプリ、フランクシナトラ賞獲得、ケベックでは、ビートルズやエルビスよりもすごい人気でレコードの売り上げも上」というルネの記事は、その後ルネのアメリカ進出にどのような影響を与え、ルネにはどんなことが起こりはじめていたかを見ていきましょう。


セリーヌデイオン認定の彼女のバイオグラフィー本'Celine: the authorised biography of Celine Dion' (written by Georges-Hebert Germain )に以下のようなことが書かれてあります。
'Time'に話したというこの内容は、ウオールストリートジャーナル誌  のフロントページでも紹介され、その翌週にはその記事を見た、Mike Douglas Showの関係者が連絡を取って来たことから、ルネは、この番組、そして他にもいくつかのバラエテイショーに出演することになります。そしてそのような様子をみたCBSレコー ドもルネに関心を持つことになったわけです。(ref: chapter 7, Celine: the authorised biography of Celine Diion)


source:Rene Simard magazine (my own)

Mike Douglas Showに出演したルネ。Mike Douglasは、ルネが東京音楽祭で受賞したということで着物を羽織ってトークを進めました。


René Simard - Mike Douglas Show 1975

ローラさんがアップした「マイクダグラスショー」の様子。音声のみですが、この時のルネとの会話とルネの歌が楽しめます。


「夢や期待は大きく持て! ルネの才能を高く評価して売り込め!」というような考えを持つアンジェリル(とgc)は、ニューヨークに行って、ルネに関心を持ち始めていた CBSレコードインターナショナル と契約を結ぼうとしました。CBSの代表者とミーテイングの約束を取り付け、ニューヨーク市内の高級で品の高いTwenty-One Club ( レストラン)での話し合いが実現。(chap7 Celine)アンジェリルの希望で、その契約の話し合いに雇われたルネ側の弁護士は、ビートルズのニューヨークでの弁護士 Walter Hafordという人だったそうです。(p120 Rene Angelil: Making Celine Dion)  この場でも話をしていたのは英語が流暢だったアンジェリル。そして高額な契約料を請求することでルネの価値をCBSに印象づけられると考え、一億円以下では契約をしないと言い切った。。。CBS側は、契約を検討すると言い残してレストランを出たそうですが、結局はその後CBS側からはなんの返事もなく、ビートルズの弁護士であるHaford自身や、gcとアンジェリルが何度も電話しても返事がなかったという結果に終わり、契約を結ぶのはついに失敗ということに。


アメリカでは無名だったルネに対して、一億円以下では契約を結ばないという姿勢は、世界的な多くのアーテイストと契約があり、仕事のやり方も洗練されていたCBS側にとっては、いかに無茶苦茶で馬鹿げた話であり、そのような状況を理解していなかったアンジェリルとgcは、マネージャーとしての能力と判断に欠けていたのだと本の中で厳しく批判しています。(p121 Rene Angelil: Making Celine Dion/ chap7 Celine:the authorised biography of celine dion)


 source:Rene Simard magazine (my own)

この十代のルネに会いたかったと思わせる一枚!


「この契約が失敗に終わったことで、ルネの全米進出の夢の可能性は消えてしまった。ルネが国際的なスター、パフォーマーとしてその人生を生きるチャンスは終わってしまった。けれども、(マネージャーたちの二人が)CBSに対してもっと適切なアプローチで契約を結び、またアメリカ的なやり方、売り出し方、国際的なマーケットについての理解がもっとできていたら、ルネは全米やもっと国際的な舞台で活躍ができたことだろう。」ともこの本の著者  Jean Beaulnは、言っています。(p120 Rene Angelil: Making Celine Dion)  また、先出のもう一つの本、Celine the authorised biographyの著者も、同じようなことを書いています。


RENÉ SIMARD -THE RENE SIMARD SHOW 1978

マ リエルさんがアップしている1975年から78年ぐらいまでのルネのいろいろな英語でのショーの様子が集まられているビデオ。78年の the Rene Simard showは、カナダのバンクーバーで収録が行われたカナダの英語圏へ向けてのルネがホストをするバラエテイショーでした。ルネの英語がとても可愛らしい し、テーンエイジャールネがホットに飛んだり跳ねたりと活躍中!最後の場面でルネが英語をうまく言えなかった時には、「あれえ、ガムが歯に挟まっちゃった!」という誰でも分かる演技をして笑わせています。カワイイ。。。!

CBSとの契約ができなかった後でも、gcとアンジェリルはなんとかルネをアメリカで売り出そうと、英語でのアルバム 'Never know the reason why' (1977) を自分たちのお金と力だけで制作しましたが、売れ行きはまったく だったそうです(ref:chap 7, Celine the authorised biography)


その他には、「世界が恋したピアニスト」と呼ばれたアメリカのピアニスト、エンターテイナーのLiberace(リベラーチェ)のラスベガスのステージやコンサートツアーに出演したりしました。ステージは、1977年2月ぐらいのことだったようです。(Daytona Beach Morning Journal Feb 12 1977)   昨年、Liberaceの人生がマイケルダグラスとマットデイモンの主演でアメリカのテレビ映画 'Behind the Candelabra' で放映になりました。日本でのこの映画のタイトル名は「恋するリベラーチェ」。


リベラーチェとルネ
source: Album EV Photos: la vie en images de Rene Simard (my own)

「1976年のテレビ番組に出演しているルネを観たリベラーチェは、ルネに自分のステージツアーに同行して出演してほしいと依頼した」と書かれています。なるほど!それで二人が出会ってステージで共演することになったのですね。



source: Rene Simard magazine (my own)


         ラスベガスのヒルトンでのステージのサインの前のルネ。
  ルネの名前が見えます。


source:Rene Simard magazine

ラスベガスのステージのリベラーチェとルネ


リベラーチェは、ルネのことを以下のように話しています。

"I think Rene is one of the most exciting singers 
I've ever had the privilege of introducing to my audiences".

「ルネは、私の観客の皆さんに誇りをもって紹介できる
最も素晴らしいシンガーの一人である。」
(source: Daytona Beach Morning Journal Feb 12 1977)


  Liberace Finale

やはり、リベラーチェは、すごいエンターテイナーです!


source:Rene Simard magazine (my own)

 リベラーチェの楽屋の前のアンジェリル。隣には、ルネの楽屋。


CBSと契約が成り立っていたら、二人のマネージャーが必要だったこのようなスキルと理解を助けてくれる大きな力を得られ、CBSの持つ組織や繋がりを使ってルネを売りだし、世界的なアーテイストに育て上げるということが可能であったのだと思います。


この数年後gcの元で仕事をするのを辞め、ケベックでJohny Farago, Ginette Renoなどのマネージャーの仕事をした後の1980年に、アンジェリルは、やはりケベック出身の12才だったセリーヌデイオンと出会い、デイオンを国際的な大スターに育てることに成功していきます。その背景には、ルネの全米進出の失敗から得た経験と大きな教訓があったからだと想像しないわけにはいきません。


 
Celine Dion - Un Amour Pour Moi
デビューして2年後の14、5才のセリーヌデイオンの歌と画像です。
その頃の、アンジェリルの姿もあります。


今や世界的なアーテイスト、パフォーマーとして活躍するセリーヌデイオンの姿を見るたびに、いつもルネのことを考えます。ルネもデイオンのことを考える時、いろいろなことが胸に広がるのかもしれません。今もラスベガスのステージやコンサートツアーで忙しく過ごすデイオン、デイオンが19才になった時に結婚し、ケベックからアメリカ、世界へと育てていったデイオンの夫、マネージャーとしてのアンジェリル、そしてアメリカ進出を断念、バンクーバーやトロントなどのカナダの英語圏で一時的に活躍し、ケベックに戻って歌手活動を続けたルネ。ミュージカルの舞台などに出演やプロデユースをしたルネ。結婚してからは、家族を大切にし、現在は、テレビ番組などの制作などをして過ごし、カメラの背後での仕事をするのが好きで、家族と穏やかに暮らすルネ。テーンエイジャーのルネのその後には、多くのことが起こりました。


Celine Dion & Rene Simard - Une colombe / L'oiseau (ADISQ, 1998)

1998年のADISQでルネとセリーヌデイオンが共演。二人は、お互いのデビュー曲を皮切りにヒット曲をメドレーで歌っています。

Celine Dion sings JAZZ, "Quand on s'aime" with R.Simard

ルネの2003年のアルバム"Hier...Encore"の中に収められたセリーヌとのデユエット曲。

テーンエイジャーのルネのことがとても知りたくても知ることができなかったあの時は、悲しかったけれど、歳月が流れた今になって全米進出という目標を持たされたルネに何が起こっていたのかを知ることは、私にとって価値のあることでした。そしてこの本をもとに、一歩後ろに下がって、タイムラインのような流れでその経過を見ることができたのも良かったと思います。


アメリカ進出が成功しなかったという経験をルネが現在どう考えているのかルネの胸中はだれにも分かりませんが、先週の記事の内容を読んで考えてみるとルネが今の人生を楽しんでいること、シアワセに暮らしていることは、私たちにも伝わってくるのだと思います。




source: Rene Simard 25 ans de showbiz 1996 (my own)

ルネのデビュー25周年記念号の雑誌(1996年)からのルネと家族。
右から、息子 オリビエ、ルネ、娘ロザリー、奥さんのマリージョセ
そして愛犬、Yolande