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25.11.12

懐かしい頃 Bonjour Rene会誌 No.3 抜粋


Bonjour Rene (ボンジュールルネ)会誌 No. 3  Summer 1979

今週の記事は、何を書く事にしようかとずっと考えていましたが、なかなか決まらずにいましたが、私がルネのファンのみなさんと作って活動していた「ボンジュール ルネ」というファンクラブの3冊目の会報からの記事を紹介してみようと思います。





 日本に戻った際に、実家に置いてあるルネ関係の物を写真にできるだけまとめてきたので、時々その写真を眺めることが多くなりました。すっかり忘れていた物、事柄などたくさんあるようです。その中で、なんだか結構忘れていたものに、この会報の記事がありました。この会報No.3 の記事の内容は、FM福岡のラジオ番組で流されたルネについての放送のこと、それから、この時期にルネがホストをつとめていたルネシマールショーのことについてです。なぜ、1冊目じゃなくて、3冊目を?というと、この会報を読んでいたら、先々週まで続いていた「モントリオール1985年の夏休み」の最終回の記事の中で、このファンクラブを通して活動していたことのことに少し触れていたことを思い出しました。そして、この事に関係して、83年にルネがやっと来日した時の複雑な気持ちについても書いていたからです。

「ボンジュール ルネ」とは?

このファンクラブのこともずいぶん忘れていた事がありました。このクラブは、私が主催していたものでしたが、このファンクラブがスタートする一年前くらいに、福岡のファンが中心として作っていたファンクラブ「メープルメイツII」がありました。このメープルメイツIIの代表の方と連絡を取り合って強力しながらスタートさせたという状況だったらしいです。そしてメープルメイツIIは、会報を3冊ぐらいだして、その後、「ロワゾウ」というファンクラブになり、その「ロワゾウ」も、この1979年に終了、そして新しいファンクラブを私たちと一緒に作って再活動をするというようなことになっていました。そしてその後、再活動は、メンバーの大学入学、新しい生活がスタートしたという状況のため、そのまま打ち切りになってしまったと考えられます。



では、この会誌の最初のページから、途中の記事まで見て行きましょう。この時、私は大学一年生だったと思いますけど、文字がとても幼くて、英語の訳もなんだか怪しげという感じで、とっても恥ずかしいです。けれども、その恥ずかしい気持ちをおさえて。。。お見せいたします。画像をクリックすると、記事を読む事ができると思いますので、内容をここに書き改めません。



このページの初めに書いてある通り、この時期は、ルネの状況が少し分かってきたような時でした。ルネは、カナダの英語圏とくにブリッテッシュコロンビア州のバンクーバーのCBCスタジオで、1977年の秋から「ルネシマールショー」をスタートさせて、とても忙しく活躍している頃でした。そして、その最初の記事は、FM福岡のラジオ番組で、ルネについてのことが放送されたことについて。後で、この番組の井上さんという方から、この放送で使われたというレコードを送っていただきました。放送では、カナダに住む重松美子さんという方が、ルネの人気について、日本語でレコードに録音したものを使ったそうです。制作したのは、ラジオカナダインターナショナル。タイトルは、「ルネシマードの人気」 で、録音時間は、4分25秒。



FM福岡から送っていただいたレコード
(実際の音源をどうにかして、録音してくるべきでした。残念!)



 2ページ目。「ルネシマードの人気」の続きです。


 3ページ目。FM福岡にCBCから送られてきた、「ルネシマールショー」についての記事とルネの画像です


 4ページ目。「ルネシマールショー」の記事の続きと、ショー自体のプロモーション用の記事。下にあるルネの画像は、カナダ大使館広報部にいらっしゃった吉田さんがバンクーバーに仕事で行かれた時に、テレビに写った「ルネシマールショー」のルネを写真におさめて送って下さったもののコピーです。


5ページ目。最初にあるのは、「メープルメイツII」(でもこのときは、すでにロワゾウと名前を改めていました。」の代表の方のメッセージ。このFM福岡で放送されたことや、「ルネシマールショー」の資料についてのことを書かれています。

そして、2つ目の記事は、シックステーンというアメリカの雑誌に掲載された記事が、日本でも創刊になったシックステーンの雑誌に掲載されたルネの記事。でもルネの記事というより、これは、モントリオールにワールドツアーで立ち寄った、レイフギャレットが、ルネの番組に出演したという内容の記事です。画像をクリックすると読めると思うので、ここに改めて書き直しません。この記事を発見した時の感動は!それは、もうとても嬉しかったことを覚えています。



 6ページ目。これは、とっても見にくいというより、見えないと思うのですが、この会報より前の会報に載せた、Macleans という 雑誌の中で紹介されたルネの記事がありました。大使館の吉田さんが送って下さった記事でした。その後、この雑誌社にお手紙をさしあげていたので、その返事をタイプしたものだと思います。その時、ルネの資料などを送って下さったと思うのですが、それがこの画像であったかどうか、記憶があいまいです。この画像自体は、ライブ盤のレコードにもなった a la place des nationというコンサートのステージのルネという感じがします。



 そして8ページ目。ここに書いてあることを読むと、83年に来日したルネを見て、言葉にはできないくらい嬉しかったけれど、それと同時にとても動揺してしまった気持ちが、この記事を読んでいて下さっている皆さんには、わかっていただけるかもしれません。
 83年は、この記事を書いた4年後ということになります。

 FM福岡が手に入れたと思われるCBCテレビからの「ルネシマールショー」のポスターのコピー。FM福岡からいただいたものか、それとも「ロワゾウ」の代表者の方からいただいたものか。。。


 「ルネシマールショー」のポスターコピー。この画像は、ルネがラスベガスのヒルトンインターナショナルホテルで 1976年の12月、アメリカのピアニスト、エンテーテイナーであるリベラーチェ(Liberace)とのステージでのルネだと思います。この時期にあった、ルネのファンクラブの資料によると、ルネは、翌年、リベラーチェといっしょに、フロリダ、アリゾナ、レイクタホなどでステージに立ったそうです。




 これが、そのラスベガスでのステージ。ピアノを弾いているのがリベラーチェ。画像は、25周年記念に発売されたCD集のCollection 25 ANS de carriere  2枚組に入っているブックレットからです。ルネは、Macleans (1977年、9月19日号)の記事の中で、このリベラーチェとラスベガスでのステージのことをこのように言っています。 

Macleans: You're the first Quebecois to ever play in Las Vegas. That must have been satisfying."
Rene: That was lots of fun.  Mr. Liberace was like a grandfather to me - always trying to help."



このポスターと全く同じ画像が25周年記念の2枚組のCDのブックレットにも入っています。


Gloria Loringは、アメリカの女優、歌手



「ルネシマールショー」ポスターコピー


紹介した画像の質は、あまりよくありませんでしたが(昔むかしのものですから)、ルネがなんとか日本のファンと連絡を取り合う事ができるようになって、ルネの様子がもっと簡単に分かり、ルネの来日の夢が叶う日を夢見ていた自分の姿、そしてこの記事を読んで、同じ気持ちでいたルネのファンの姿を懐かしく思い返すことができました。メープルメイツII 、ロワゾウで一緒に熱くルネへの気持ちを語り合った方たちとの出会いが、また叶いますように願っています。お元気でいらっしゃるでしょうか。

記事に書かれていた事を、もう一度書き直しませんでしたが、判読できましたように!






12.11.12

モントリオール1985年の夏休みー最終回/その25(Ottawa 7 ルネとの時間)



ついに最終回です!


今夜は、このモントリオール1985年の夏休みの記事を終了させたい!と思います。ふうう。。。このテーマで25回も書いてしまうことになるなん て!予想もしていませんでした。最初は、モントリオールでの様子、そしてルネのコンサートのことのみを書こうと考えていたのに、書き始めたら、最初から書 いて思い出の記録にしたいというように気持ちが変わり、モントリオールへ出発するバンクーバーからの記事を書き始めたのでした。

今夜は、それもとうとう最後です。ルネとコンサートの後で会ったことについての内容。会った内容というよりも、私が感じたり思ったりしたことになると思います。

では、今回日本で新たに見つけてきたコンサートの写真、それからこの旅行の写真の何枚かを紹介しながら、そのルネと会った時のことを書いていきたいと思います。




旅行のアルバムをもう一度見ていたら見つけたこのオタワでのコンサートのルネ。以前にアップしていた写真とは、別の衣装を着ています。これは、私が観たコンサートの一日目のステージ。ステージからこんなに近い席だったのですね。


前回の記事について

この旅行の2年前の83年に東京で会った/見たルネのことは、前回の記事で書いた通りです。その記事には、ただただ少年から成人したルネの姿、そして13 才のルネに生き写しのようなナタリーの姿を同時に見ていろいろな意味で衝撃を受けたことなどを書いたのですが、そのあとfacebookのルネシマールの ページ(日本のファンの方との日本語で交流しているページです。)で、このときの事をもう少し落ち着いて書き初めて、気がついた事がありました。

それは、 ルネの姿のみに衝撃を受けただけではなかったこと。それまで、わずかに残っていたルネのファンで集めた「ルネを東京音楽祭のゲストとして来日させる署名」 集めなどの活動、制作していた手作りのファンクラブの会報などを、東京のカナダ大使館、TBS, 東京音楽祭事務局、モントリオールのgcのオフィスなどに送って、なんとかルネに日本のファンがこんなにルネのことを想い続けている事、連絡がとりたいこと、日本でも活動または、日本からでもルネのレコードを購入できるようにしたいことなどが叶うように活動を続けていたのに、そのような努力や気持ちがきちんとした形でルネやgcからの返答が無かったという結果に終わっていた状況の中、ルネの来日が大きな力が動いたら、これほどすんなりという感じで実現したということに、怒りと失望という気持ちがあったから、あれほど衝撃を受けたという記憶があるのだと。



このルネは、コンサート2日目のルネ。席はずっと後ろの方でした。上下とも白の衣装のルネが、想いを込めて歌っている姿。こうして見ると、ちゃんと大人の人たちも大勢来ていたコンサートだったのですね。


今考えれば、gcの下で働いていたルネにとっては、日本のわずかに残っていたファン のために行動を起こしたくてもできないことは明白、そして大きなお金が働いたり、目的がないことには、ルネサイドも何もする手段がなかったのでしょう。で も、自分たちにできることが小さすぎて、弱すぎたことが、とても悲しかったのです。自分のすぐ前にいる大人になった/なってしまったルネを見ていると、よけいに。

 ルネサイドからは、きちんとした連絡が無かったと言いましたが、一ヶ月に一度は、ルネ個人宛に手紙も書いていた私には、ルネからときどきメモ程度のメッセー ジが、プロマイドやレコード、小さめのポスター、コンサートのプログラムなどが送られてきていました。ルネが成人した記念にレコーデイングしたレコードと それを記念して行われたコンサートのプログラムが送られて来た時には、おいおいと泣いてしまいました。" thank you very much for your letters, i read them.  please write again"  などと書かれていましたから、ほんとにルネは、ちゃんと読んでいてくれていたのだと嬉しかったことを覚えています。83年の東京でのルネにそのこともちゃんとお礼を行っておくべきだったのですが。。。それも出来なかった!


 これは、コンサートのプログラムです。アルバムの中に貼ってしまっていたものです。以前の記事の中で紹介していた写真にルネについての紹介がありますが、その紹介のページは、この中にあったものです。他のページも調べてみましたが、ほとんどが、スポンサーになっている会社の宣伝のページでしたので、写真に収めてきませんでした。このプログラムをよく見てわかったことは、このコンサートは、3日間あったこと。私が観たのは、2日目と3日目だったのでした。


では、オタワのコンサート会場の入り口付近へタイムスリップいたしましょう。ルネのところへ行こうと言ってくれたジャンさんの後へついて歩き始めました。ジャンさんがコンサートの前に会った時に消えて行った楽屋の入り口へ、私も入ったのでした。廊下がずっと続いていて、たくさんの楽屋の部屋がありました。 

ドキンドキン。。。これは、ルネへと続く廊下?本当にルネに会うの?会ってしまうの!?というようないろいろな想いが胸と頭を駆け巡っていました。ジャンさんは、どんどん奥へ。この時、ナタリーが、どこかの部屋から顔を出しました!ジャンさんが、私のことを紹介。どう紹介したのか?覚えていません!ただ、ナタリーが、英語で「ハロー」と言ったのは、覚えているような。。。でも、ナタリーの可愛らしい笑顔は、よく覚えていて、ステキでした。2年前の13才のナタリーの姿では、まったくなくて、15才のナタリーは、ステージで観ていたように、もう立派な年頃の女の子という感じに成長していました。なんだかとっても充実しているようなしあわせそうな笑顔だったんです。


コンサートの最後に挨拶しているルネとナタリー、このあと、他の出演者もみんな呼んで全員で挨拶。この写真は、きっと私が観た2日目のもの。
 

そして、いよいよ、ルネの楽屋へ。。。これは、以前の記事で書いていた事かもしれませんが、facebookで出会えたケベックのルネのファンの一人が、この時すでにルネの楽屋でコンサートを終えたルネとお話していたのだそうです。 そして、だれかが、日本からのファンが会いに来ていることを伝えにやってきて、二人のお話が終わったそうなのです。そのファンが楽屋の廊下を歩き始めて去ろうとしていた時に、私が来たのだとお話してくれました。28年目にして初めて、あの時に起きていたことの一部を知る事ができたのは、なんともいえない気持ちでした。そのファンの方は、ルネとは、とても親しくしている様子で、その時ルネとお話していたことを教えてくれました。私が一度目にみたコンサートは、「お客さんの乗り」が今ひとつで、盛り上げるのにとっても苦労したそうで、ルネは、あまり満足していなかったのだそうです。うーん。。。そういわれてみれば、もっと会場のファンに踊ったり歌ったりしてもらうためにルネは、一生懸命でしたよね。。。その一人だった私も、28年目にして反省いたしました。(でも大きな声を出さなかったのは。。。テープにコンサートの様子を録るためでもありました!ルネ、ごめんなさい!)

 
 そして、ついにジャンさんが、ルネのお部屋をノック。

「ああああああああああーー!どうしよう!」
「どんな顔をしてルネに会ったらいいのでしょう?」

という気持ちを整理する間もなく、ジャンさんが私をルネに紹介。2年前にも東京で会ったでしょうとかなんとか言っていたような。。。会ったのではなくて見たんですけど。。!

そして満面笑顔のルネの顔が、すぐそこにやってきて!
「あああああ!ルネだわ、ルネなんだわ」(という気持ちの私)
ルネは、もうステージ衣装から、ふだんのシャツとズボンに着替えていました。お化粧もおとしてありました。

ルネと握手、そして あっという間にルネが私の頬にキスを。。。!
(卒倒しそうでした。。。でも、なんとか倒れないように。。。もう二度と頬を洗わないようにしよう!とそればかり考えていたように思います。)私もたぶんルネの頬にキスを軽くしたような。。。ああああ。。。頬に当たったルネの唇の感触は。。。 えーと。。言わないでおきましょう!


ジャンさんからいただいたコンサートのチケット。これも今回日本にいる間にアルバムの中から見つけたものです。

覚えているルネとの会話を書きます。

ジャン:じゃ、しばらく二人で話していてね。
ルネ:オーケー
私:はい。。。

ルネの楽屋の鏡の前の椅子に座ります。ルネが鏡に向かって右側で私が左側。(たくさん忘れているのにこんな事は覚えています。。。不思議)
ルネ:2年前に東京で会いましたか?
私:いえ、東京プリンスホテルの前夜祭で会ったのですが、声はかけずにおわったんです。
恥ずかしくて。。。(あの時の本当のことは、たぶん言えずにいたと思います。 )
ルネ:あああ、そうだったの!でも、どうして今カナダに?そしてどうして、僕のこのコンサートに!?(このあたりのルネは、お茶目な感じのルネでした。)
私:去年から、BC州に留学していて、この夏休みを利用して電車でのカナダ横断旅行をしてケベックに到着後、ジャンさんと会う機会があって、ジャンさんがこのコンサートのことを話して下さって、それで招待してくれたんです。
ルネ:えええ、それは、すごい!なんの勉強をしているんですか。
私:英語です。それから、こちらの学校のシステムと教育事情、実際の教室の中での授業の進め方や教授法について。
ルネ:へえ、そうなんですか。おもしろいですか。
私:はい、違う事がたくさんあって、おもしろいと思います。
ルネ:僕のコンサートは、どうでしたか。楽しみましたか。
私:もちろんです。ルネのコンサートが観れるなんて、夢にも思っていなかった事でしたから。。。
ルネ:よかった!ところで、僕はまだ、日本での歌を歌えますよ。ほら。。。。



 なんと。。。シャトーフロンテナックを背景にしての私です。写真が古くて、ipadで、大きく引き延ばしても顔がよくわからないようなものなのでアップいたしました。。笑


なんと、ここで、ルネは、私一人のために歌いだしました。小さな声で。。。
その曲は、「ミドリ色の屋根」(やっぱり!)

「どううして、そんなに〜〜悲しい顔で〜。。。。」

最後に近いぐらいまで歌ってくれたと思います。そのときのルネは、小さな声でも真剣に13才のルネと同じように心をこめて歌っていました。。そのルネの顔をじっと見る私。私の中で、23才のルネの顔が13才のルネの顔に変わって行きます。。。ルネと私だけの静かな、でも今までの想いがギュッと濃縮された時間。。。ルネには想像もつかないようなこれまでのこと。。。

ルネ:ほらね。今でもこの曲は、ちゃんと歌えるんです。(そういえば、ルネは、今でもよくこのようにして、「ミドリ色の屋根」を歌っているビデオがpassion rene nathalie et regis simard のfacebookのページで紹介されています。)
私:そうですねえ、偉いです!
ルネ:笑
私:笑
私:感動です。歌っていただいてありがとうございました!
ルネ:どういたしまして!
私:ルネは、日本のことをどう思っているんですか。また、日本で歌ってくれるのでしょうか。。。
ルネ:日本のこと。。。日本のことは、本当に遠い昔のことなんです。
Long Long time ago...
私:遠い昔むかしのこと。。。なんですか。。そうなんですか。。。



ケベックの城塞の近衛兵と

この後の会話は思い出せません。。。
ただこの後のルネのお話する表情や、雰囲気のことは覚えているのですけれど。ルネは、ずっときちんとお話につきあってくれたこと、そして、とても真面目そうなルネ。有名人にありがちなチャラチャラしたところなどは、微塵もありませんでした。とっても普通な静かな礼儀正しい人でした。けれども、時々、悲しそうな、さみしそうな表情がみえたような気がします。そんな表情を感じた時、ルネの心には入って行けない、触れてはいけないような雰囲気がありました。


それから感じた事は、ルネは、もうとても有名でちゃんとした位置のあるアーテイストなのに、汗をかきながら、いろいろなことを考え心配しながら、いっしょうけんめい自分の仕事を頑張っていること、これからもそのように続けて行くこと。あのあどけなく、可愛らしかったルネとは、まったく別人のようなルネの大人の雰囲気と話し方。日本のことは、遠い昔の事と言ったルネ。そして、日本で人気のあったことや思い出などは、まったく口にしなかったルネ。


 モントリオール、サンテレーヌ島


2012年の現在、ルネは、13才の昔の頃のルネのように、また明るくてお茶目で、楽しくお話していますけど、この時のルネは、そのようなルネとはほんとに違って、どんな内容のことを話したらいいかよく考えて話さなくては。。と思わせるような真面目で真剣で、そして少し悲しそうにも見える人のように私には見えたのです。公の場にいるルネのビデオや記事でのルネと、一人になった時のルネは、今でもやはり違うのかもしれませんね。人はだれでも、一人になるとそういうものなのかもしれません。コンサートの後ということもあって、疲れていたのかも知れません。 「本当のルネ」とは、一体どういう人であるのかなどということは、誰にも分からないことだと思います。


けれども、この時、私が感じた、会ったルネは、まだ13才のルネへの想いでいっぱいの、「ルネ!ルネ!ルネ!」という気持ちでいた私から、その幼いルネへのどうしょうもない恋しさを消して、いえ、13才のルネを自分の中に、そっとしておき、自分も今のルネと同じように大人になろう、そして、いつまでもルネのことばかりを中心に考えていないで、ちゃんと自分のこれからの夢に向かって歩き出さないといけないのだ」という強い気持ちにさせてくれたのです。



 ジャスパーで


ルネには、これまで、ルネの来日が実現し、また日本のファンとつながってほしいという目標のあった活動のこと、ずっと手紙を書いていたこと、返事をもらっていたこと、そして83年の気持ちのことなど、伝えたい事はたくさんあったのに、結局は、そういったことは何も話さずにおわったとおもいます。特にルネの中では、日本のことはもう遠い昔の話という気持ちでいることがわかった時点で、また日本で活躍してほしいことをいうのは、場違い的な雰囲気がありました。そして、胸がいっぱい、頭の中は真っ白状態で、なんとかルネとのお話を続けていた私でしたから、話したい事を全部話すのは、無理だったのです。そして、なんと言っても、ルネは、コンサートの後で相当疲れていたのですから、はやく休ませてあげたいと思っていた事も事実。今、この時の気持ちを書けるのは、このぐらいです。。。といっても、もうすごく書いていますね!



 ストラットフォードのB&Bの入り口で、ブレンダさんと。シェイクスピアフェステバルで観劇した喜劇「パイレーツ」のプログラム



そして、とうとうルネとのお別れの時間がやってきました。ジャンさんがまたきて、ルネとまた握手と頬にキス(あああ、なんということでしょう。もう私は、28年間毎日、その手と頬を洗ってしまっています。。。)をして、お別れ。このあたり、実は記憶があいまいなのです。なぜかというと、コンサートには、その翌日の夜も招待していただいて、もしかするとまたルネに会っていたのかもしれないからです。どうしてそう思うのかというと、ルネとは、写真を一緒にとっていただいていたからなのです。その時、ルネは、確か花束を持っていたのですけれど、一日目のコンサートの時には、花束を持って行っていなかったという記憶があります。二日目は、さすがにお花を持って行っていたと思うので、その時のお花は、2度目に会ったときのものかもしれません。28年という年月は、やはりすごいものですね。あれほどの大切な思い出もこんなに忘れてしまっているのですから。その写真は、残念ながら、公開はいたしません。ごめんなさい。。。(見たくなかったかもしれませんが!)




 ファンクラブインターナショナル ルネナタリーシマールのニコルさんからの手紙。ニコルさんには、この後数年間お便りを書いていたと思います。


これで、25回も続けて書いてしまった「モントリオール1985年の夏休み」の記事を終わりにいたします。長い記事になり、最後のルネとの時間のことは、特に時間がかかってしまいましたが、これまで、私の冒険旅行におつきあいいただき、読んでいただきありがとうございました。よい旅行の記録と思い出の整理ができました。

時間は、もうすぐ午前3時!でもようやく終わらせることができたので、やっと安心して眠る事ができます。




ローラさんがfacebookに参加!


  2004年頃からルネファンのお友達としてお話させていただいていたローラさんがfacebookに先週末から参加されています。ローラさんは、このpassionルネシマールau japonのメンバーとしても、このブログで紹介していた方です。youtubeにもたくさんルネの懐かしいビデオや音源をスライドショーでアップされています。


René Simard 1975 TV Appearance Radio Canada

 日本からルネが姿を消してしまった後の数年、ルネがカナダの英語圏のオンタリオ州トロントで仕事をするようになった時に、ルネと交流を持つ機会が多くあったファンの方です。 日本のファンがルネを恋しがっていた時のそのルネを実際に見て、会って、お話をしていたのです。そんなルネの思い出や画像、そしてyoutubeでも紹介されているビデオについてのことをfacebookでお話されはじめています。これからも、ローラさんのお話を楽しみにしていたいと思います。



ローラさんがルネと一緒に撮った写真も見ることができます。そして、ルネがどんな様子で少年から青年に変わって行っているのが紹介されている画像で分かります。ルネを恋しいがっていた日本のファンには、たまらなく切なくなる画像かもしれません。

René Simard - Make Music 1970s


ルネのことをもっと身近に感じられるfacebookのルネのたくさんのファンのお友達に、もっと多くの日本のルネのファンが出会って、ルネのお話や思い出をシェアし合うことができたら素晴らしいと思います。このブログを読んでいて下さるルネを今も思い出しているファンのみなさまも、ぜひfacebookのほうにおいで下さいませ!あっと言う間に、ルネの世界に引き戻されます!ルネだけでなく、他のルネファンのお友達と知り合いになる事も楽しいんです。ルネを知った頃の自分の事、今までの事、そして現在の事を含めてお話もできることでしょう。


では、ローラさんが最近youtubeにアップされ、facebookでも紹介されていた1975年の全米に放送された「マイクダグラスショー」 に出演した様子の音源を使ってのスライドショービデオをここでも紹介しておきます。ルネは、日本でファーストコンサートに使用したステージ衣装を着ているようですね。ルネがたどたどしい英語をつかって楽しそうにお話している様子が聞こえてきます。その様子が、かわいくて、おかしくて何度も笑ったり微笑んだりしている自分がいました。ローラさんも、この放送が大好きだったらしくて自分で録ったこの音源のテープを何度も何度も聴いていたそうです。

なお、ルネの出演後、この番組が始まって以来の数のルネについての手紙が視聴者からこの番組に届けられたそうですよ。


Thank you so much, Lora!

René Simard - Mike Douglas Show 1975





4.11.12

モントリオール1985年の夏休みーその24(Ottawa 6 ルネとの時間)



 日本から戻りました



日本へ行く前にルネと会った時間についてのエピソードを書き終わすと言っていたのに、やはりそうできず、書いている途中のままになっていました!


日本から戻ったのは、10月18日。そのあとも、うちの猫の様子がおかしくて獣医さんに行ったり(バランスが定まらず、ヨロヨロと歩く!)、そしてパートナーの母親が入院ということになり、また忙しくなっていて、ブブログの記事を書くという時間も気持ちを探すのも簡単ではありませんでした。日本へ行った理由は、私の母親が入院、手術ということになったからだったのですが、本当の状況は日本到着まで知らされていませんでした。手術の付き添い、看病などで、人の一生について、健康でいることのありがたさ、家族の大切さとありがたさなどなどこれまでよりも深く考えたり感じたりする18日間でした。


幸い、母親は、現在自宅にて回復していますが、手術の後に酸素マスクや点滴などいろいろなチューブをされて意識が朦朧としている姿なのに、「いてくれてありがとう、迷惑をかけたね」という母の言葉を聞いただけで、もう涙でいっぱいになりました。兄に「本人は泣く事が一度もなかったのに、おまえが泣いていてはだめ」とさとされてしまいました。


「親が死んでしまう時は、このような顔なのだろうか」などとまたそんなことを考えながら酸素マスクをかけて苦しそうに寝ている母親の顔を見ているとまた、涙がでてしかたがありませんでした。そして驚いた事には、そんな時にでも、いつも考えてしまっていたのは、ルネのこと。それは、ルネ自身のお父さんが、数年前他界していたからでした。ルネも、お父さんが亡くなる前には、何度も病院へ行って、お父さんの弱々しい姿と対面していただろうと。ルネは、その時どのように自分の気持ちと格闘したのだろう。。。そしてお父さんが他界した時には、どれほど辛くて悲しかったかと考えていました。たとえ、過去に親とどんなことがあったにしても、自分の親が自分のいるこの世界から離れてしまうのを経験することは、言われようも無い悲しい事です。


ルネとお父さんのジャンロックシマール氏



日本では、最後に、2日間だけ自分の自由になる時間がありました。その一日目は、どこかに行きたいとしたらどこだろう?と考え、京都の奥嵯峨野にある 400年続くという「平野屋」さんにゆっくりとお昼ご飯を食べに行く事だと思いました。ルネファンの皆様ならご存知のように、ここは、38年も前にルネが 明星の取材で撮影をしたところです。毛氈がひいてある店の縁側に座って、お茶をすするルネ。絣の柄の着物をきて、下駄もはいていました。 2年前に初めてお邪魔した時には、一人旅をしていた私に親切にしてくれた二人の見ず知らずのおじさまたちと一緒だったこと、時間がなかったのでお団子しか 食べる事ができなかったことで、心残りがありました。その時、ルネについてお話をさせていただいていた女将さんにもお会いしたかったので、いい機会だと 思ったのです。このことは、またこのブログの記事としてお話させていただきたいと思います。とにかく、心配と疲れでいっぱいだった私にとって、平野屋さん でゆっくりさせていただいた時間は、静かな至福の時でした。お昼頃から4時頃までお部屋で女将さんとルネの思い出をお話ししながら、過ごさせていただきま した。




 京都、奥嵯峨野「平野屋」の女将さん
ルネが座っていたところに座っています。



さて、 では、ルネとの時間について書くのですが、その前に83年にルネが第12回東京音楽祭のプレゼンターとして妹のナタリーと来日した時のことから書きます。その時に感じたことと85年にルネに実際にお会いした時のことが似ているというか、自分の中にずっとその83年のときのルネのイメージが強く残っているままで、何かつながっていたように思うからです。うーん。。。なんだかうまく表現できないのですけど。。。書いているうちに自分の言おうとしていることがわかってくるかもしれません。。。


83年にルネに会ったというのは、実は見ていたというのが正解です。それは、私が東京音楽祭の出場者が宿泊していた東京プリンスホテルの東京音楽祭用の宿泊券で泊まっていたことから可能になった事でした。音楽祭の前日にあった前夜祭のパーテイ会場にも招待され、そして翌日の音楽祭の鑑賞券もあり、会場に行く事ができました。








大人になったルネの姿をこの目で初めて見たのが、その前夜祭のパーテイ会場でした。いくら大人になったルネの姿を手に入れた記事やレコードジャケットで見ていたとはいえ、私の中にはいつもあの小さな13才のルネがいたのでしょう。大人のルネを見てとても嬉しかったのですがそれよりも、なによりも、その姿をみて愕然となったのです。「もうあの13才のルネは永遠にいなくなってしまったのだ!」と。そして、そんなルネに寄り添うナタリーを見ると、それは、まるで13才のルネの生まれ変わりのような姿!大人になったルネが気遣うように一緒にいるまるでルネのようなナタリー!何も言えず、ルネやナタリーのところに行く事も出来ず、何かの背後でそんな二人を見ながらただただ涙がこぼれていました。嬉しいというよりショックで打ちのめされた。。。。というのが一番近い表現かも知れません。






上の写真にあるのと同じ服装の二人。会場に飾られていた桜の花の前で録られた写真をもとにつくったファンクラブメンバー用のカード。 このときのパーテイの様子は、TBSでその数日後放送され、そのビデオを持っているのですがまだdvdにしていません。その放送を見た方なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、会場のステージで、ルネとナタリーが二人で「ミドリ色の屋根」を歌い、そのあとルネが妹のナタリーを英語で紹介。日本でデビューすること、そしてカナダ(ケベック)では、もう数枚アルバムを出していることなど。そのあと日本でのデビュー曲、「五月の雨」を紹介し、そしてナタリーが歌い始めました。



第12回東京音楽祭のプログラムの本の終わり頃にあったナタリーの紹介記事。「五月の雨」のプロモーション用の記事だと思われます。



そのあと(前かな?)は、ゲストであったバリーマニロウ、音楽祭でグランプリをとることになるライオネルリッチーなどそうそうたるメンバーとの談笑。ちゃんとお話しているというよりもテレビのカメラやカメラマンの要望に応えてポーズをとっているような雰囲気だったように思います。


私もそのすぐ横にいたのに、ルネに会いに行く事はとうとうなかったのです。信じられませんよね。。。サインも写真も何も頼めませんでした。サインは、だれかがもらってくれたので持っていると思うのですが。それも私が胸にかけていたパーテイ用のネームカードの裏か何かに。。(ルネとナタリーがしているネームカードと同じものでした。)




とにかく、とても大きな出来事、ルネとお話しするチャンス!だったのに、私は何もできなかった。。。というのが 本当の事です。ただルネがその時持っていた雰囲気は、すごく大人で落ち着いていて、静かで、思慮深いというかジェントルマンというか。。昔のおちゃめなルネの雰囲気はそこにはなかったのです。きっときちんとした席だったからなのかもしれませんね。そしてナタリーの面倒も見ていたからでしょう。この数分後、ホール周辺で涙をぬぐっていた私は、部屋へ向かおうとエレベーターを待っていたら、ルネがナタリーを連れてエレベーターのところまで来たのです。。。ええええ!どうしよう。。。ここでエレベーターに乗るのをやめてもおかしいし。。ということで、エレベーターにルネとナタリーそして私だけの3人で乗る事に。。で、どうしたと思いますか。二人にプライベートな時間をあげたいという気持ちから、天井をむいて、そしらぬふりをしてしまった私。どうしてこうなるのだろう。。。と考えながら、その時間はアッと言う間に終わってしまいました。ナタリーは水疱瘡で熱があったためルネがナタリーを部屋まで連れて行ったようです。翌朝は、ホテルのレセプションでナタリーがだれか日本人の女の子たち二人ぐらいとどこかへ出かけたのを見ているので、熱はひいたのでしょう。






えーと。。。ここまで書いて自分がなぜこのことをルネとオタワでお話したことを書く前に書いているのか。。。まだ疑問ですが!きっと私の中ではこの時の83年のことをずっとまだひきずっていたのだと思います。私の中にいた「本当に好きだったあの小さなおかっぱ頭のルネ」はいなくなったのだと。そしてそのことが受け入れられずにいた?というような。。。きっとそんな感じだったのでしょう。


 そしてこの2年後にその小さなルネではなくなったルネに会うということになるとは想像もしていませんでした。モントリオールでも、どちらかと言えば、ルネと直接会うということを避けていた私でしたから。。。どう大人のルネに対処していいかわからなかったからでしょう。。。どう受け入れたらいいのか?とも言えるかもしれません。(勝手な事を言っていますね!)私の中には、まだまだ13、4才のルネがずっと住んでいた/いるのですから。







そんな私が突然、また「大人のルネ」「大きくなったルネ」に会うということになったのです。。。うーん。。。今度は、ちゃんと話さなくては!





では、私と一緒に、大人のルネに会いに行きましょう!

(次の記事で書きます。。。あああ。。。でも、今夜のうちに書いてしまいますよ。きっと。。。)






16.9.12

モントリオール1985年の夏休みーその22(Ottawa 4 コンサートでのルネのお話)



ルネとオールブラックス


今夜は、ニュージーランドのラグビーのナショナルチームである、「オールブラックス」というチームと南アフリカのナショナルチームである「スプリングボックス」との大きな試合が南島の一番下に位置するダニーデンという街で開催されました。この試合を観ないで、ルネのコンサートの記事、しかもきっとこの「モントリオール1985年の夏休み」の最後になるはずの大切な記事を書こうと思っていたのですが。。。。いつものようにスプリングボックスは、とてもラフ(乱暴で激しい!)な試合内容をスタート!ハラハラドキドキということになり、セカンドハーフで、11対8まで追い込まれた状況になり。。。もう何も手につかなくなり、腰をすえて観るということにしてしまいました。結果は、21対11で、オールブラックスが勝利でした。ホッといたしました!


 オールブラックス対スプリングボックス


ニュージーランドの代表的なスポーツであるラグビー。こちらの子は、4、5才の頃からラグビーチームに入り、裸足でかけまわってラグビーになじんでいくようです。学校でもラグビー部に所属し、ファーストフィフテーンになっている男の子たちは、(女の子のチームもありますけど)他の生徒のあこがれの的ということになり、ヒーローになります。ですから、オールブラックスに入るのが夢!という男の子がたくさんいます。オールブラックスは、男の子だけではなくて、ニュージーランド中の人たちのあこがれ、ヒーローなのです。そして、オールブラックスの選手の言動や行動は、大げさにいえば、「常にきちんと正しくあれ」というような考え方を、ニュージーランドの人たちは持っています。とくに、多くの(特に男の)子供は、「そのような尊敬すべき大人になる」というような想いを持っています。見方によって違うかもしれませんが、ニュージーランド人のメンタリテイと言うのは、結構日本のそれと似ていると思います。

ニュージーランドには、他の国と同じように、いろいろな国からの移民で成り立つ国になりつつあります。ですから、時には人種差別からくると思われる言動、行動などでギクシャスすることもあると思いますが、このオールブラックスの存在があるとき、試合がある時は、そんなことは、忘れて、一致団結、みんなが一つになって応援するんです。みんなで歓声をあげるとき、勝利したとき、胸がジーンと熱くなるんですよ。そして、結局は、オールブラックスやニュージーランドのことがみんな大好きなんだなあと実感させられるのです。

なぜ、オールブラックスのことを話したかというと、今夜の試合が終わって、ホッとした時、ルネとルネのファンの私たちのことを考えたんです。なんだか、似ているんじゃないのかなあと。。。一人一人みんな、ものごとやルネに対しての気持ちや、考えが違っていたとしても、ルネのことが大好きだから、ルネを通して一つになれるのだなと。そして、オールブラックスに感じるのと同じようにというか、それ以上ですよね!それ以上に、ルネは、私たちの胸を熱くさせた、させてくれているんだと思うのです。それに、「言動や行動が正しくあれ」(これは、いろいろな意味で)とか、「尊敬すべき大人になる」という想いを抱かせてくれたのも、私がルネに感じたこと、感じていることの大切な一つの事実なのです。


今夜は、ルネと会った時間について書くのをやめます。その代わりに、コンサートの中でルネが一体どんなことをフランス語で話していたのか。。。とっても興味がありますよね!27年もの間、理解する機会がなかった、またはあきらめていたのですが、ジョセフくんが、とてもていねいに英訳してくれたんです。ですから、ラグビーの試合が終わった後、それを日本語に訳してみましたので、紹介することにします。


merci beaucoup beaucoup à Josef! 




コンサートでのルネのお話

オープニング:Celebration (Kool & the Gang )フランス語

 
ルネは、踊りながら歌っています。 

 
2- Far from over ( Frank Stallone) 英語

あいさつとバンド、コーラスの紹介。そして会場に来ていたお母さんとレジスの紹介

「今晩は、みなさま。みなさんと今夜、このように一緒に過ごせることがとても嬉しいです。今夜は、一緒に楽しみましょうね。ダンスや、歌、そして音楽などいろいろとご披露します。いつも、ショーの時には、僕と一緒に仕事をしていて、僕がとても愛している人たちを紹介することにしているんですよ。では、紹介しましょう!皆さんは、僕のRSVPというテレビショーを観てくださっているかどうかわかりませんけど。。。(コンサートの観客が拍手をしています。)」



photo@rene&nathalie fan club international vol.2 no.2 1984
gift from fan club

ルネのファンクラブ(当時)の会報にあるRSVPのショーの記事


R.S.V.P

1984年から87年まで、ルネがホストを務めていたバラエテイショーのこと。TVAというテレビ局のネットワークで放映されていました。R.S.V.Pは、René Simard vous présente のこと。「ルネが貴方に贈るショー」という意味。このショーのビデオをyoutube   で探してみました。ケベックのルネの大ファンのマリエルさんが沢山 アップしてくださっています。


Chanson thème de l'émission R.S.V.P. 1985

PSVPのテーマソングを歌うルネ。ステキです!


RENE SIMARD -MEDLEY CLAUDE FRANCOIS 

(RSVP 1985)


RENE SIMARD & MICHELE RICHARD 

LE TEMPS NOUS PRESSE (RSVP 1984)


Celine Dion as Carmen - L'amour Est Enfant De Bohême 

(Live at RSVP 1985)  

ルネがコンサートの時にも着ていた衣装で、17才のセリーヌデイオンを紹介しています。

1985年、セリーヌデイオンは、まだ17才!そしてルネのプロダクションから離れたルネアンジェリルがもうセリーヌデイオンのマネージャーをしていました。 というより彼女を見いだして成長させたのが、ルネアンジェリルだったのです。ルネの当時のマネージャーとは、ちがって、ルネアンジェリルは、セリーヌの曲の多くをオリジナルで作っていた人。そして「ルネのアメリカ進出で苦い経験をしたルネアンジェリルは、このことから多くのことを学び、セリーヌを世界的に有名な歌手にさせるために成功した。」と自叙伝の中で語っています。もちろんこのことだけが、セリーヌの成功の理由ではありませんが、ルネアンジェリルとルネの当時/元マネージャーの人間性の違いがよくわかるお話を本の中で書いているように思えます。



「では、はじめにパトリック、ラフレッシュ、そしてアンドレ、パーカッションは、リュック、ドラムは、ピエール、ギター(バス)は、シモンとギルス。皆さん、拍手をして歓迎して下さいね。」

「それからボーカルグループのスタックス。RSVPのショーにも出演しているのでご存知かもしれませんが、エリーズ、マリオ、そしてルイーズ。ブラボー!今夜一緒にこのショーにいてくれてありがとう!」

「そして、ダンサーのルイーズラピイエールのダンサーのスージー、フランス、サミュエル、ジョアンヌ、ブリジットとクリスチン。あれ、だれかのこと忘れたかな?忘れなかった?ああ、よかった!パーフェクトですね!(拍手)」

「それから、僕をいつも助けてくれて、僕の生涯の友人のリュック カーロンを歓迎して下さい。僕のショーにこんなに大勢で来てくれて僕のために仕事をしてくれてありがとう!」


 photo@un homme concert booklet/gift from rene

この人がリュックカーロン(Luc Caron)です。ルネとは、ずっと長い間、一緒に仕事をしてきた指揮とピアノを担当していた人。RSVPのショーでもルネがお世話になっていたそうです。ルネのどんなコンサートのライブを聴いてみても、必ずルネが Luc Caron!とていねいに紹介しているのがわかりますよ。 


「僕の母が、観客席のどこかにいることを皆様にもお知らせしておきたいと思います。ママ、どこにいるの? ああ、あそこです。友人や親戚の人たちと一緒に座っています! 」

「それから、僕の兄のレジスもきているはずなんですが。レジス、どこ? あああ、いた!あそこに!レジスは、皆さんに紹介してほしいと言っていたんですよ。婚約者と一緒です。レジスと婚約者には、もうすぐ赤ちゃんが生まれるんです!」

「それでは、お互いのことを知ることができたので、次の歌をうたってショーを続けましょう。」


3- Femme libérée (Cookie Dingler) *フランス語

曲の合間のルネの問いかけ 

「今夜この会場には、いろいろな制約から開放された自由に生きる女性はいるでしょうか?」

 4- Hello (Lionel Ritchie)英語

5- Sous le sunlignt des tropiques (Gilbert Montagné)*フランス語

6- Careless Whisper (Wham) 英語

7- Wake me up before you gogo (Wham) 英語

曲の合間のルネのおしゃべり


「この歌は、歌わずにはいられませんね。(多分すごくヒットしていた曲だったから、ルネがこう言っているのでしょう。) 皆さん、手を上に上げて手拍子をして下さい。皆さんの声/手拍子がもっと聴きたいです。はい、手を上にあげて!大丈夫?」

 8- Coeur de rockeur (Julien Clerc)フランス語

ルネと観客のやりとり

ルネ:皆さんにも僕と一緒に歌ってほしいです。皆さんが歌っているのを聴きたいです。
ルネが歌い始めます。でもお客の乗りが今ひとつ。。。そこでルネは。。。
ルネ:あああ、だめだめ!だめ!
皆さんはロックンローラー魂を持っていますか?いるんでしょう!
客:はいいい!
ルネ:ロックンローラー魂ですよ!
客:はいいい!
ルネ:皆さんが歌わないなら、何度でもこの曲を始めからやりなおしますよ!
客:はい!
ルネ:じゃ、続けましょう、みんなで一緒にね!


 photo@own collection gift from friend in quebec


ロックンローラールネ! 

ルネは、アメリカ進出を目指していた頃、当時のマネージャーがエルビスの大ファンで会ったことから、エルビスプレスリーのコンサートに出かけたことがあったそうです。その時のエルビスは、体重がとてもふえていて、健康も害していたため、ステージでもほとんど動けなかったとか。これは、現在では、セリーヌデイオンのマネージャーそしてご主人でもあるルネアンジェリル(1976、77年あたりまでルネのサブマネージャー的な存在で、ルネが日本に来ていた時にも、ルネと一緒でした。)の自伝本の中に書いてある事です。そしてそんなエルビスプレスリーに、ルネはあまり興味を示さなかったとも書いてあります。この後、ルネはケベック州を中心とした活動にうつり、エルビスプレスリーの曲がたくさん入ったアルバムもリリースしています。そしてまた、そのずっと後年に、エルビスストーリーというミュージカルの制作にも関わっていました。エルビスを大好きでしかたがなかったのは、ルネよりも、当時のマネージャーだったようです。



 René Simard-Escale à Memphis

ルネは、メンフィスというエルビスプレスリーの曲を集めたアルバムを出しています。そしてこの映像は、メンフィスまで行って、スペシャル番組を作ったときのもののようです。





Michèle Richard - J.Farago - R.Simard - Le monde est fou du rock'n'roll 

「ロックンロールしているルネ」 の映像が他にもyoutube で観ることができますよ。ルネと一緒にツイストを楽しまれては!?

 

ルネ:「今夜のショーは、僕たち二人のためにあるんですよ。僕とあなたのために。このショーは始まったばかりです。エンデングまでには、まだずっと時間があります。」

「さきほど、僕は皆さんに、ロックンローラー魂があるかどうかと訊いていたんですが。。。皆さんは、ロックンロールが好きですか?僕は大好きなんです。」


(ここでルネが少しふざけて、冗談を言っています。)


「ロックンロールの時代は、いろいろなグループがいましたね。ママス&パパスとか、そして The Plattersとか。少し前に、コーラスのスタックスを紹介しましたが、このボーカルグループが、ママス&パパスのヒット曲を歌います。皆さんが、僕のテレビショー、RSVPを観たなら、きっと、このボーカルグループが僕のショーのとても大切な才能のある発見となったことが分かるでしょう。 この若い4人は、ケベックシテイからやってきました。では、マリオ、エリーズ、マリーズ、ルイが僕と一緒にママス&パパスの大ヒット曲を歌うので聴いて下さいね。」



photo@marille morin
merci beaucoup à Marielle!


メドレーのスタート

9- Only you (The Platters)英語

10- In the world? よくわからない曲。メドレーの中で短いパートがあった曲

11- California Dreamin(Papas&Mamas)英語



 「では、次の曲なんですが。。昨日、ダンサーたちが、間違ってステージの上で踊ってしまったんです。僕たちは、いつもなら、ショー(あるいはこの曲)をアリーナでするんです。でも最近のお客は、ドレスアップしているので、たぶんツイストのダンスをしたくないだろうと思っていたんです。ところが、昨日のお客さんたちは、みんなこのツイストダンスに参加してくれたんですよ。とっても素晴らしかったんですよ。今夜来て下さったみなさんにも同じようにツイストに参加してくれたらとっても嬉しいです。みなさんは、ツイストダンスが好きですか!?みなさん、じゃ、立ち上がって下さい。はい、そして手拍子をして!」


  photo@own collection gift from friend in quebec


 12- Rock and roll (Elvis)*英語

13- Great balls of fire (Elvis)*英語

14- Blue suede shoes (Elvis)*英語

15- Johnny be good (Chuck Berry)英語

16- (???? translation from a succes)?よくわからない曲です。。。

ルネが腰をどのようにまわしてツイストするのかを私たちに見せてくれています。

 17- Let's twist again (Chubby Checker)*英語

18- Comment ça va*ルネのオリジナル(だと思います。この曲は、前年大変ヒットした曲)

「みなさん、もっと大きな声で僕と一緒にうたって!」

19- Just a gigolo ( David Lee Roth)*英語

この歌がおわって、子供が一人、ステージのルネにお花を もって来ました。

ルネ:「あああ、ありがとう。本当に感謝します。いい子だね。お名前は?」
子供:「キムです。」(女の子)
ルネ:どこに住んでいるの? そして電話番号も教えてくれる? (会場から笑い)
ルネ:今夜は、お母さんたちと来たの?
キム:ちがいます、おばさんと。
ルネ:来てくれてありがとう!ナタリーのことが大好きなの?
キム:そうなの。
ルネ:僕もナタリーのことが大好きですよ。そして彼女のことをとても誇りに思っているんですよ。本当にコンサートにきてくれてありがとう。すごく嬉しいです。


そして、他のファンもお花を届け始めました。



  photo@flower facebook


このあたりから、ルネの語りかけがとても誠実であり、心がこもっているなと感じたルネのお話が始まります。ルネがこのコンサートの最後の歌をうたう直前に話したこと。文字だけで読むと、なんだかけっこう誰でも言えるようなことと感じる方もいるのかもしれません。でも、実際にルネの語りかけを聴いていると、ルネのお父さんが亡くなる数年前に書いた本の中で語りかけているように、誠実さとあたたかさを感じるのです。ルネのそんなところは、ルネ自身の努力、人間性と、そしてきっとお父さんの持っていた本当の人柄を受け継いでいるのだと考えるのです。


ルネ:「あああ、(キスの嵐!)やっぱり僕のことを思ってくれている人がいるとわかってました! あああ、ありがとう!すごく嬉しいですよ!昨日も、お花をたくさんいただきました。これは、すごく嬉しいことなんです。だって、みなさんが、自分の大切な時間をつかって、僕たちのために、僕たちのことを想いながら、お花を選んで、もってきてくれるんですから。心から感動を覚えているんですよ。新聞で、レポーターが、今夜もたくさんお花をもってくるファンがいるだろうと書いていました。本当に素晴らしいことだと感謝しています。ありがとうと1000回ぐらいいいます。(会場から笑い)みなさん、コンサートに来てくれて本当にありがとう!

ルネ:あああ、そこで、子供が寝てしまっていますね。。。子守唄を歌っていたとは思ってなかったんだけど。。。(ルネは大笑い)でも、すごく素敵な寝顔ですね。きっといい気持ちで寝ているんでしょうね。」


「では、みなさんへ、僕の心の底からのお礼として、この(最後の)歌をうたいます。」

 20- Fermeture (Dan Hill 'Sometimes When We Touch') *


ルネ:さようなら、みなさん。来年も会いたいです。スタントンファミリー、ナタリー、そしてコーラスやバンドのみなさんに感謝したいです。ステージに来て下さい。このコンサートを実現させてくださった全ての人たちに感謝いたします。来てくれてありがとう!

スタントンファミリーは、ナタリーの休憩時間に、ステージで何曲か歌を披露した子供バンド。きょうだいバンドでした。ナタリーとスタントンファミリーのコンサート部分は、今回の記事では、紹介していませんが、先週の記事に少し書いています。ルネのバラエテイショー、RVSPでも歌を披露しているビデオを発見!86年の映像ですから、この子たちも85年より成長して見えます。


Famille Staunton à l'émission RSVP en 1986 - Chanson de Noel


La famille Staunton - Self Control - Ma blonde m'aime - She works hard for her money - Tension Attention (RSVP 1985) 

これは!ルネのコンサートでも、歌っていた曲、Self Controlがありますね!しかも85年の映像。ボーカルをしていた女の子のことは、よく覚えています。



皆さんのことが、大好きです。さようなら!また次の機会に会いましょう!コンサートのために働いていて下さった人たち、リチャード ミチョープロダクションの方たち、ありがとう!みなさん、ありがとう、来年会いましょう! 


photo@rene&nathalie fan club international magazine 1984
gift from fan club


RSVPの打ち合わせ中のルネ。こうやって、舞台裏で、沢山の人との努力が、すばらしいステージを作り上げるのですね。




では、来週こそ、ルネと楽屋で会った時間のお話をさせていただきますね!読んでいただいてありがとうございます。

riko auckland