ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ
26.3.13
第12回東京音楽祭世界大会 ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ
第12回東京音楽祭のルネとナタリー ビデオ ルネの記事
ビデオトラブル!
今回の記事は、とっても遅れました!なぜかというと、どうしても今回の記事に使う予定だったルネとナタリーのビデオがこのページにアップロードできないという今までには経験しなかったトラブルが(大げさですね。。。)発生していたのです。。私のビデオの編集とそれをexportするプロセスでおかしくなってしまっているのか、または、ブロガーのサイト自体が少し変わったのか。。毎夜のようにいろいろと方法を変えてアップしようとしていたのですが、「もう、疲れた!」という気分になりつつあるので(笑)、このままの状態で一応記事自体のアップだけしておこうと思います。ビデオは、引き続きアップの努力をいたしますので、そのアップの時を楽しみにお待ちくださいませ。今のところ、ビデオを見ようとしてもエラーのメッセージが出てしまいます。
日本のルネのファンのお友達がまたお一人増えました!
フェイスブックの日本のルネファンの輪に、先日またお一人お仲間が増えました。「ルネを日本へ」のグループに参加されたいと連絡がありました。とても嬉しいです。そしてフェイスブックにいるファンの方達も嬉しそうです。いっしょに交流が持てることを楽しみにしていたいと思います。
私たちのように、いまだにルネを想い、昔の思い出、そして現在のルネの様子などについてお話したりしたい、そしていつか、ファンの手でルネの来日を実現させたいと願うルネのファンが日本には一体どのくらい残っているのだろう。。。というのが私のいつも考えることだと前回の記事に書いていたと思うので、このルネのファンの方の出現は、心が震えるほどに嬉しいことです。このブログやkeiさんの「ミドリ色の屋根は永遠に」のブログを読んでいてくれたそうです。ルネのことについて現在でも身近に感じられるということがとても嬉しいとお話して下さいました。ルネのことを想うファンのみなさまに一人でも多く出会うことができるのをみんなで楽しみにお待ちしております。どうぞ、フェイスブックのアカウントをお持ちになり、もう一度ルネファンとしてひとつになりましょう!アカウント名は、本名でなくても大丈夫です。
それでは、以下がずっと書きとめていた今回の記事です。
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今夜の記事は、前回に引き続き、1983年3月に行われた、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネとナタリーの様子。そして翌日の音楽祭のステージの最後で、グランプリ受賞者に花束を渡す二人の姿のビデオを紹介します。そして、この来日を果たす前に日本に行くことついて語っているルネの記事のこと。
この記事は、公式のファンクラブを持たないルネがほとんど公式のように認めているジゼルさんのpassion rene nathalie, regis simardというフェイスブック上にあるファングループのページでジゼルさんが公開してくれた、1983年の切り抜きです。
このページは、だれもが見られるページです。vippassion simardという、もう一つのページがあり、そこでは、passion rene nathalie regis simardのページでは、公開されていない画像やビデオを観ることができます。このページのメンバーになりたい方は、まず、passion rene nathalie regis simardのページのlikesを押し、vippassion simardへお友達リクエストをするとメンバーになることができます。この vippassion simardのメンバー(お友達)となると、passion rene nathalie et regis simardのページでは、最後まで観ることのできなかったビデオや、そこでは紹介されていない画像なども見ることができます。そして、ルネのことが本当に今も好きな人たちが集まっているので、その方達とも翻訳機能を使ってお話することが可能です。
それでは、まず、ビデオから観てみましょう。最初のビデオは、今まで紹介したビデオに続いているものなので、今回紹介するのは、パート5と6と7になります。パート5では、ルネがナタリーが日本でデビューすることを紹介している様子。パート6は、ナタリーの日本デビュー曲の「五月の手紙」を歌う様子。そしてパート7は、音楽祭の特別ゲストのバリーマニロウの紹介の様子。ステージの終わりでルネとナタリーが花束贈呈をする様子です。
第12回東京音楽祭前夜祭パート5:
ルネがナタリーの日本デビュー曲の紹介をしています。
ルネに紹介されて、ナタリーがいよいよ「五月の手紙」を歌います。
音楽祭の特別ゲストとして来日したバリーマニロウの紹介です。ここで、バリーは、私が今まで気がつかなかったことを言っています。来日するのは、この時がまったくの初めて。そして音楽祭のあとの2週間は日本全国で、コンサートをする予定なので日本のいろいろな地域を見るのが楽しみだと言っています。東京では、渋谷のNHKホールで少なくとも2度したことは覚えています。私は、そのどちらにも行っていたような気がするのですが。。。本当に2度行ったかどうか記憶が鮮明ではありません。でもコンサートの様子は、よく覚えています。とてもすてきでした。ファンを舞台に上がらせていっしょに歌をうたったり、ダンスをしたり。一人だけでしたから、会場のファンはとってもうらやましがっていました。さよならする時には、もちろん頬にキスをしてお別れ。次回の記事には、世界大会のゲストとしての彼のステージの様子を少しご紹介したいと思います。この時にバリーは、42才くらい。まだとっても若々しくて可愛らしいです。ルネは、この東京でのバリーのコンサートに出かけていたそうです。NHKホールのあの会場のどこかでルネもこのステージを見ていたのでしょうか。
パート8
これは、前夜祭の翌日の晩、東京武道館での12回東京音楽祭世界大会のグランプリ発表の様子です。史上初の2組のグランプリ受賞者。その2組に、お祝いの花束を渡したのが、ナタリーとルネでした。最後の最後にほんの少しの時間だけ、舞台での二人の姿を見る事ができたのです。ルネは、特別ゲストとして来日と言われていましたが、バリーのようなおおきなステージを任されるゲストではなく、結局花束贈呈だけを頼まれた。。。。ということはとってもショックでしたけれど、今考えると、ルネの来日は、どちらかというとナタリーの日本でのデビューをサポートするためという目的だったのだと思います。ナタリーとルネの姿は、2分ぐらいの場面で現れます。
ルネの記事から
この記事は、ルネがナタリーと来日した1983年の終わりごろ、または、84年のはじめの記事のようです。レポーターが、この83年の一年のことについてルネに聞いています。どのような年であったのか、どう思ったのかなど。ルネは、以下のようにお話しています。
「この一年もたくさんの素晴らしい事がありました。それをひとつひとつリストアップしたら、お話するのに大変な時間がかかってしまうでしょう。ボクの仕事のことをお話するなら、それは、ナタリーと一緒に日本に行ったことです。とても感動しました/心を動かされました。そして、それは、ボクが1974年にグランプリを受賞した東京音楽祭のそのステージだったのですから。」
ルネは、日本に行ったことをとても喜んでいたとジゼルさんがこの記事をシェアする時に書いてくれました。それをとても嬉しく読みました!
次回は、バリーマニロウのステージの様子を少しと、ルネとナタリーが出演したモーニングショーの様子 のビデオもご紹介できたらと思います。お楽しみに!
riko auckland
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10.3.13
ルネの誕生日で想ったこと/第12回東京音楽祭前夜祭2
今夜は、ルネのToujours Plus Loin というアルバムを聴きながら、どんな記事を書こうかとまだ考えています。83年の第12回東京音楽祭前夜祭のステージに立ったルネのビデオの続きをアップしようと思っているうちに、そのビデオの編集が済んでいなかったので、また前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今夜はそのビデオも紹介します。
ルネの誕生日、そして想った こと
ビデオの前に、ルネの誕生日で想ったことを少し 書いてみたいと思います。
先週の2月28日は、ルネの52才のお誕生日でした。 フェイスブックの日本のルネのファンの皆さんとオンタリオ州のルネファンのローラさんとで、一枚のバースデーカードを作り、ジゼルさんのVippassion Simard のページに送りました。大勢のケベックのファンも気に入ってくれたようです。カードは、それぞれがお気に入りのルネの画像を一枚選び、そこにお誕生日のメッセージとそして' Rene to Japan!'の一言を添えたものをコラージュ風にしたものでした。これは、みんなで参加する「ルネを日本へ!(もう一度呼びましょう)」のブロジェクトの最初のイベントとして企画したものでもありました。フェイスブックでは、「Rene to Japan! ルネを日本へ!」というグループページも作ってあります。
できたらみなさんで作ったそのカードをここで紹介したいのですが、みなさんに許可をまだいただいていないので、私のカードの部分だけをアップいたします。
「ルネを日本へ!」という夢は、まだ果てしなく夢のままですが、その夢への小さなプロセスを、プレッシャーや、苦痛を感じるのではなく、楽しみながら勧めていくのが大人になった私たちがしたいことだと私は思うのです。ルネを日本に呼ぶということだけが目標ではなく、それまでのプロセスを「ルネとファンとの切れた糸をつなぐ」という時間に使えたら、それはとても素晴らしいことだと思います。ルネが日本のファンについて現在どう思っているのか、どれほどの気持ちがあるのかよくわかりませんが、時が流れ、時代が変わってお互いに大人になり、昔とはちがったもっと近いファンとルネの関係が作り上げられたとしたら。。。考えるだけでとても興奮してしまいます。
そして、他のファンのお友達との信頼関係を築くことも大切だと思います。それがなければ、一緒にルネを日本へ呼ぶという夢も叶うことはないのですから。昔、高校生だった頃に手紙のやり取りだけで他のファンのみなさんと交流していたことが、今では、ネットで簡単に交流ができるようになりました。特にフェイスブックでは、一人一人が、コメントを書いたり読んだり、日常生活からの画像のアップなども簡単に出来るので、お互いの事が他の方法より分かってくるように思います。それぞれが、「自分」を表現できる場所だと思います。
それでは、1983年3月、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネのビデオです。これは、前回の記事のビデオの続きで、パート3ということで紹介いたします。前夜祭パーテイ会場でのインタビューが終わり、司会の朝比奈マリアさんに紹介され、ナタリーとルネが会場のステージへ立ちます。このパート3では、ルネの英語での挨拶からナタリーと「ミドリ色の屋根」をデユエットする直前まで。ルネは、とっても紳士的にオトナのルネとして頼もしくお話しています。この時、ルネは22才、ナタリーは13才です。
そしてパート4として編集したのは、ルネの挨拶のあとに歌われた「ミドリ色の屋根」のステージ。このステージを目の前で観ていた私には、感動を通り越してのショック以外の何ものでもなかったこのステージ上のルネとナタリーの姿と歌声。ルネが突然日本から姿を消してしまったあの1976年以降、初めて目にする本当のルネ。それまで、10代後半のルネの姿、20才になったルネの姿は写真では知っていましたが、私にとっては、14才のルネが一気に22才として現れ、妹のナタリーは、顔や姿、声まで13、4才のルネに生き写し。。。という二人の姿を同時に見て、しかもその二人があの「ミドリ色の屋根」を一緒に歌っている。。。あれほど会いたかったルネ、日本に来てほしかったルネは、ファンには何の前ぶれもなく、ファンの気持ちとは関係のないところで実現したルネの来日。嬉しくて胸がいっぱいなのですが、それは、嬉しいだけの気持ちというより、「複雑な嬉しさ、そして悔しさ」感じながら、胸がえぐられる?ようなそんな気持ちで、涙があとから後からこぼしながら、ステージのルネとナタリーを見ていました。。。
メープルメイツ2やボンジュールルネというファンで作っていたファンクラブでは、1976年ぐらいから、アルファレコードやCBSソニー、東京音楽祭事務局へ、ルネの来日を願う署名を送ってはいたものの、それは、このルネの来日の4年ぐらい前には、終わっていたのです。
83年の時には、まだ知らなかったことばかりでした。ルネがどうして日本での活動をやめることになったのか。でも、現在では、ルネが置かれていたその頃の状況のことが分かり、理解できているので、このビデオのルネとナタリーのステージを、今は、落ち着いた気持ちで見ることができるのがとても嬉しいです。そして、ルネのファンの皆様にその時の気持ち(これは以前にもよく書いていたことでしたね。)をシェアしながら、一緒にこのルネとナタリーの「ミドリ色の屋根」のステージを観ることができるのもとても嬉しく思います。
次回には、ナタリーの「五月の手紙」のステージ、そしてルネとナタリーが花束贈呈をする場面のビデオを紹介したいと思います。
Riko Auckland
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19.2.13
Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から
ルネの最新ニュース
Un Air de Familleというのは、ケベックで昨年9月から放映されていた家族対抗の歌のコンテストショー。ルネがステージデイレクター・アーテイステックデイレクターをしていたテレビ番組でした。準備は5月頃から出場する家族のオーデションなどが進められ、12月中旬に終了。司会はルネの古くからの友人で、ルネと同い年(やはり2月生まれ)でもある、いろいろな番組でも共演することの多い CBC Radio-Canada(ケベックのテレビ局)で働く有名なホスト(司会者)であるPatrice L'Ecuyer。他に3人の歌のコーチとしてサポートする Bruno Pelletier(ケベックで活躍する歌手), Johanne Blouin(ケベック出身のシンガーソングライター、80年代から90年のはじめには、ルネと同じプロダクションにも属していたことがある人), Jean-Francois Breau(オンタリオ州出身のシンガーソングライター)。毎回3組の家族が出場して練習してきた歌を披露し、そこから視聴者によって選ばれた家族が次のプロセスに進み、最終的に優勝する家族が決定するという仕組みのようでした
このショーの制作に関わったルネにとっても嬉しいことがありました。それは、このショーにとても関心をもったFrementle Media(フリーマントルメデイア)という世界最大のテレビ制作会社が、他の国での、このショー番組の制作権利を購入したからです。フリーマントルメデイアは、American Idol, America's Got Talent, The X Factor などの制作も手がけています。ケベック州で制作されたショー番組(のアイデア)を購入するのは、もちろん初めてのことだそうです。 ( 資料:le Journal de Montreal ) 英語圏でのショーのタイトルは、「ファミリーハーモニー」になるだろうとのこと。
このUn Air de Familleの番組は、次のシーズンの放映が決定されており、現在は出場希望の家族を募集しているようです。今年の放映も秋から(9月)の予定。
この番組については、Facebookのページもあり、興味のある方はそのページを見ると、今まで出場してきた家族の画像やビデオなどが紹介されているので便利だと思います。
左から 司会のPatrice L'Ecuyer, ステージデイレクターのルネ!、歌のコーチ Jean-Francois Breau, Johanne Blouin, Bruno Pelletier.
un air de famille facebookからのルネの画像 番組プロモーション用(上の写真)の撮影をする前にお化粧などをしていただいているようです。ヘアスタイルは、ちょっと鉄腕アトム風?(笑)
そして撮影の準備。ルネは楽しそうに笑っていますね。また面白いことをいっているのでしょうか。
このショーについて質問を受けている司会のParice L'Ecuyer、そしてステージデイレクターのルネ。ルネの仕事について「卓越した素晴らしいもの!」と話すPatrice。照れるルネ。。。番組のビデオなどを見るとルネの姿がなく、どのようにルネがこの番組のステージのために仕事をしていたのかとっても観たかったのですが、このビデオで発見!ルネが生き生きとステージでどのように歌ったらいいかなどを見せています。ルネは、昨年のミュージカル「雨に唄えば」の練習や公演ですっきりした体型のままの様子で若々しい!
Facebookの番組ページには、youtubeでは紹介していない番組に関するビデオがたくさん紹介されています。昨年5月にこの番組の準備がスタートしたころのミーテイングのテーブルについていつものよう他の出演者や番組関係者を笑わしているルネの姿も見ることができますよ。元気そうな最近のルネの姿をみたいルネファンは是非観て下さいね。
ミーテイング中のルネのビデオ
服装などから考えると、番組のプロモーション用の写真の撮影は、このミーテイングの後に行われたのだと思います。(Facebookのアカウントを持っていないと観ることはできません。)
で、今シーズンのショーで優勝した家族は? Latreille ファミリーでした。このビデオはこの家族の最初にステージの様子です。
では、いよいよ!。。あのビデオです。
一つ目のビデオは、パーテイ会場の司会の三雲孝江さんと生島ヒロシさんがルネとナタリーにインタビューする前に、歴代の受賞者やゲストなどについて昔のビデオを観ながらお話をしていくのですが、その最後に第3回東京音楽祭でグランプリそしてゲストだったフランクシナトラ賞を獲得したルネが、黒いスーツで涙をこぼしながら感動的に受賞曲「ミドリ色の屋根」を歌う姿の場面。最後の部分でルネとナタリーの姿がちょっと見えます。
二つ目は、一つ目の最後に出てきたルネとナタリーの場面からスタート。(最初の部分が途中からになってしまっていますが、その後また最初の部分から観る事ができるようになっています。あああ、編集が。。ちょっと失敗してしまいましたね!)ルネとナタリーが司会の二人にいろいろとインタビューされています。このお話の内容については過去の記事で詳しく紹介していますので、そちらも参考にされて下さい。そして、最後の場面で登場するのは、翌日の音楽祭でも司会をしていた朝比奈マリアさんと井上順さんです。マリアさんがルネとナタリーを紹介し、ステージに呼んでいるところで終了。このあと、ルネとナタリーは、あの「ミドリ色の屋根」を二人で日本語とフランス語で歌います。多くの意味で感動の時間とステージの二人の姿。このことについても過去の記事で書いています。
みなさま、この二つのビデオ、楽しんでいただけますように。涙がでてしまう。。。というファンの方もきっと多いかもしれません。。。実際にこのインタビューとステージを会場で見ていた私は、もう涙なみだの時間でした。。。みなさんはどうでしょうか。。。
もうこのビデオに関しては何も言うことはないでしょう。。。みなさまのご感想を楽しくというかちょっと複雑な想いで想像していたいと思います。
日本やケベックのルネのファンの方たちとルネの思い出、ルネへの想い、現在のルネについてお話ししたい、ルネを通してお友達を作りたい、そしていつの日かルネをもう一度日本へ呼ぶための活動をする一人になりたい!と思っていらっしゃる方は、是非、フェイスブックのルネファンのサークルへおいでくださいませ。そこには、39年前と同じ!ように「ルネを夢見る世界」が広がっています。。。フェイスブックへで私たちを見つける方法は、右側のセクションの上の部分に書いてあります。
Riko Auckland
3.12.12
第12回東京音楽祭のルネとナタリー 1983年
第12回東京音楽祭(1983年)/前夜祭の番組のビデオから
今週も、1977年ー79年まで活動していたボンジュールルネについての記事の中から何か紹介したいと考えていましたが、つい先日、ある昔のビデオをDVDに変換して記録することが出来ましたので、そのお話をいたします。
このビデオは、1983年に行われた第12回東京音楽祭のプレゼンターとして、また妹ナタリーの日本でのレコード発売のサポートのために来日していたルネ、そしてナタリーの姿が入っているビデオでした。こちらに住み始めた時からずっと大切に手元にもっていたビデオでしたが、DVDに変換してもらうということをしていませんでした。今、やっと出来てとても嬉しいです。facebookのルネファンのサークルの中で、このビデオを先に紹介しようと考えていますが、この記事の中では、先ずその画像を少し公開いたします。そしてルネがなんと言っているかなど。このビデオの中には、TBSのモーニングジャンボという朝の番組に出演しているルネとナタリーの姿も入っていますが今回は、音楽祭の特に前夜祭でのルネとナタリーについて。この前夜祭でのことは、今までにもたくさん書いて来たことなので、興味があれば、他の記事も合わせて読んでいただけます。
紹介していく画像は、画質もカラーもあまりよくありません。 実際にビデオで観てみるともっと質がいいと思うのですが、日本のビデオのシステムは、VHS、こちらはPALというシステムなので、DVDに変換する際にも、このことが関係してグーンと画質、色の質が落ちてしまうという説明を受けました。でも、きっと懐かしく、あるいは、ルネがこの時に日本に来ていたことさえ知らないでいたファンの方には、興味を持って観ていただけると思うのです。
前夜祭(東京プリンスホテル、鳳凰の間)の番組では、ルネとナタリーを紹介する前に、これまでのグランプリ受賞者、スペシャルゲストなどの映像を流しました。そしてルネとフランクシナトラのあの感動的な姿が映し出され、ルネがフランクシナトラ賞をいただいた後に黒のタキシード姿で「ミドリ色の屋根」を歌う様子が流れました。ルネは、今こうしてみると、本当に小さくて、幼くて、そしてまさにピュアという感じの男の子だったんですね。一生懸命歌うルネの姿は、きっと多くの日本の人たち、私たちの胸に特別な矢を打ち離し、深くふかく胸の中に入って行ってしまったのだと思います。
そして、この13才だったルネのビデオの後に、いよいよルネとナタリーが登場してパーテイ会場でいろいろなアーテイストにインタビューをしていたTBSの三雲孝江さんと。。。うーん。。だれだったでしょう、このアナウンサー。。あ、同じく、TBSの生島ヒロシさんですね!それがこの上にあるルネとナタリーの画像です。この時この前夜祭のパーテイに居た私は、このインタビューの様子をすぐ近くで見ていました。本当に懐かしい。。。29年、いえあと半年もしないうちに、30年も前の事になるなんて。。。
三雲:みなさん、これが9年前*12才だったルネシマールさんです。(*ほんとは13才)
(13才のルネの写真をさして)これは、ルネさんだったんですよね。
ルネ:はい、これは僕の写真です。 (フランス語)ロングタイム!
三雲:ずいぶん前の事だとおっしゃっていますが。今いくつ?(フランス語)
ルネ:今ですか?(フランス語)Now I'm 22. (22才です。)
三雲:22才!あ、紹介していただきましょうか。(ナタリーを見て)
ルネ:ナタリーです。
三雲:何才なんですか。
ナタリー:13才(フランス語)
三雲:まだ13才なんですって。かわいいですね〜!
生島:かわいいですけど、やっぱりプロの歌手なんですか。
三雲:プロなんですか(フランス語)
ナタリー:そうです。
三雲:(デビューして)何年ぐらいになるんですか。
ナタリー:3年ぐらいです。
ルネ:ナタリーは、もう6枚もアルバムを出しているんですよ。(フランス語/英語)
三雲:まあ、6枚も!もうお兄さんを追い越しているという感じですけど。
生島:もう超えてますよ!十分超えてます。
ルネ:Pretty soon, tomorrow, her 45 will be released in Japanese.
(もうすぐ、明日、日本語でのシングルレコードが発売になるんです。)
生島:アルバム(シングル)がリリース!?
三雲:日本語でですってよ。
このインタビューの後、すぐ翌日の第12回東京音楽祭の司会もしていた前夜祭の司会、朝比奈マリアによって二人の紹介があり、ルネとナタリーは、前夜祭にもうけられていたステージに上がって、二人で「ミドリ色の屋根」を歌い始めます。そしてサブタイトルでは、この画像のようにルネの言っている事がとても省略して書かれていたのですが、実際には、ルネが流暢になっていた英語でこのようにお話しています。
朝比奈:Now we'd like to introduce the winner of the 3rd Tokyo Music Festival, Rene Simard and his lovely sister, Nathalie! (では、第3回東京音楽祭のグランプリ受賞者、ルネシマールさんとその可愛らしい妹のナタリーをみなさまに、ご紹介いたしたいと思います。)
ルネ:Thank you very much. どうもありがとうございます。Good evening, Ladies and Gentlemen, we are very happy to be with all of you tonight. It's great to be back in Japan. And I'd like to thank the Japanese people for inviting me tonight. And they've asked me to sing for you, the song I sang in 1974, "midori iro no yane", it was written by a friend of mine here in Japan, Mr Kuni Murai. And...I just like to share this wonderful memory with you tonight.
こんばんは、皆様。僕たちは今夜ここにこうして、皆様といられることを大変嬉しく思っています。日本に戻って来れるなんてとても素晴らしいことです。僕を今夜この席に招待してくださった日本の皆様にお礼を申し上げたいと思います。
1974年に歌った曲、「ミドリ色の屋根」を歌ってほしいと言われました。この曲は、僕の日本での友人、村井邦彦さんが作ってくれた歌です。ぼくは、この曲の素晴らしい思い出を今夜皆様と一緒に分かち合いたいと願っています。
ルネがナタリーを見ながら、「じゃあ、歌うよ」と言う感じで、二人が歌い始めます。この時の感動とショックとそして心が震えるような嬉しさは、今でも心が震えてしまうくらい覚えています。大きくなったルネ、そして13才のルネの生まれ変わりのようなナタリー。ルネの声にとっても似ているナタリーの声など。。。 二人のルネが同時に現れたような錯覚。そしてあれほど待ち望んでいた日本に来たルネ。。。。切なかった。。。
「ミドリ色の屋根」を感動的に歌った後、ルネがナタリーが日本で(翌日から)発売する「五月の手紙」について紹介します。そしてナタリーが、歌を披露。ルネは、このようにお話します。
ルネ:Before we go further, I'd like to wish our best to the participants. I must tell you my little sister, Nathalie started show business 3 yrs ago and it's going very well for her in Canada. And now she has just recorded her first Japanese single. It's going to be released tomorrow. She likes to sing it for you now. I hope you will enjoy her voice. The title is "go ga tsu no te ga mi"! (here is) Nathalie!
先を進める前に、音楽祭への出場者に声援を送りたいと思います。では、僕の妹のナタリーのことを皆様にお話しましょう。ナタリーは、3年前からショービジネスを始めました。カナダ(ケベック)では、とても人気があって、順調に仕事をしています。今回日本でも最初のシングルレコードの録音をいたしました。それが明日発売になるんです。ナタリーが、これからこの曲をご披露いたします。ナタリーの素晴らしい歌声をお楽しみくださいますように。その曲のタイトルは。。。「ご、が、つ、の、て、がみ」(五月の手紙)!では、ナタリーです!
エレベーターの奇跡
私の心の中は。。。
「えええええ!どうしてこうなるんだろう。。。!信じられないくらい嬉しいけれど、こんな泣き顔で。。。ルネとナタリーにファンなんです!などと言えないだろう。。。今さら同じエレベーターを待っている二人の元から去れないし。。。」
そしてエレベーターが到着。仕方なく(なんともったいないことを考えていたのでしょう)おなじエレベーターの中へ。ルネは、ナタリーの肩を優しく抱き、そして少し心配そうにナタリーの様子を見ていました。そして、私を見て、少しニッコリ。私は。。。どうしたのでしょう。多分下か横か、上を向いてしまっていたと思います。二人をじろじろみないように務めていました。自分の部屋の階で降りて。。そのあと、部屋に戻り、今あった「エレベーターの奇跡」を「信じられない!」と一人で自分に話していたように思います。
なんてこと。。。もっとファンとして、きちんと行動するべきだった?!でも、もうプライベート感覚でいた二人のことを追い回したくなかったし、話しかけるべきでもないと思ったので、そうしたのだと思います。
第12回東京音楽祭当日
そして翌日は、日本武道館での第12回東京音楽祭。スペシャルゲストは、バリーマニロウ。ルネとナタリーは、どこでプレゼンターをするのだろう。。。と思って会場で見ていましたが、このビデオを見てみると、二人の登場場面は、プレゼンターというより、花束贈呈という役をしていて、音楽祭グランプリの2組(音楽祭初ということでした)のライオネルリッチー(もうこの時既にこの人は、すごく有名で実力が認められていたのだと思うので、もう始めからこの結果は分かっていたような。。。という気分で見ていました)とジェニファーとジョーコッカーに渡しにステージに上がったのみでした。
バリーマニロウ
バリーマニロウのショーもパーフェクトにこのビデオに入っていましたが、まるで普段着のような服装でショーに臨んでいたのでびっくり。そして、30年前のバリーマニロウは、とても若かった!今、70才と少しぐらいなので、このショーの時に彼は、40才ぐらいですね。。。。バリーマニロウは、都内で何回かコンサートも開きましたが、ルネもでかけていたそうです。私も、NHKホールでのコンサートに出かけていたのですけど。。ルネの観たコンサートも同じものだったのでしょうか。。コンサートでは、ちゃんと素敵なステージ衣装のバリーマニロウでした!そして、前夜祭でもきちんとタキシード。うーん。。。パーテイということだったからなのかな。。。
さて、83年のルネの来日した第12回東京音楽祭そして、その前夜祭の時代にタイムスリップして、ルネに会いに行くことはできたでしょうか。早く、ビデオの紹介もしたいと考えています。facebookのルネの世界にも、是非お越し下さいませ。
4.11.12
モントリオール1985年の夏休みーその24(Ottawa 6 ルネとの時間)
日本から戻りました
日本へ行く前にルネと会った時間についてのエピソードを書き終わすと言っていたのに、やはりそうできず、書いている途中のままになっていました!
日本から戻ったのは、10月18日。そのあとも、うちの猫の様子がおかしくて獣医さんに行ったり(バランスが定まらず、ヨロヨロと歩く!)、そしてパートナーの母親が入院ということになり、また忙しくなっていて、ブブログの記事を書くという時間も気持ちを探すのも簡単ではありませんでした。日本へ行った理由は、私の母親が入院、手術ということになったからだったのですが、本当の状況は日本到着まで知らされていませんでした。手術の付き添い、看病などで、人の一生について、健康でいることのありがたさ、家族の大切さとありがたさなどなどこれまでよりも深く考えたり感じたりする18日間でした。
幸い、母親は、現在自宅にて回復していますが、手術の後に酸素マスクや点滴などいろいろなチューブをされて意識が朦朧としている姿なのに、「いてくれてありがとう、迷惑をかけたね」という母の言葉を聞いただけで、もう涙でいっぱいになりました。兄に「本人は泣く事が一度もなかったのに、おまえが泣いていてはだめ」とさとされてしまいました。
「親が死んでしまう時は、このような顔なのだろうか」などとまたそんなことを考えながら酸素マスクをかけて苦しそうに寝ている母親の顔を見ているとまた、涙がでてしかたがありませんでした。そして驚いた事には、そんな時にでも、いつも考えてしまっていたのは、ルネのこと。それは、ルネ自身のお父さんが、数年前他界していたからでした。ルネも、お父さんが亡くなる前には、何度も病院へ行って、お父さんの弱々しい姿と対面していただろうと。ルネは、その時どのように自分の気持ちと格闘したのだろう。。。そしてお父さんが他界した時には、どれほど辛くて悲しかったかと考えていました。たとえ、過去に親とどんなことがあったにしても、自分の親が自分のいるこの世界から離れてしまうのを経験することは、言われようも無い悲しい事です。
ルネとお父さんのジャンロックシマール氏
日本では、最後に、2日間だけ自分の自由になる時間がありました。その一日目は、どこかに行きたいとしたらどこだろう?と考え、京都の奥嵯峨野にある 400年続くという「平野屋」さんにゆっくりとお昼ご飯を食べに行く事だと思いました。ルネファンの皆様ならご存知のように、ここは、38年も前にルネが 明星の取材で撮影をしたところです。毛氈がひいてある店の縁側に座って、お茶をすするルネ。絣の柄の着物をきて、下駄もはいていました。 2年前に初めてお邪魔した時には、一人旅をしていた私に親切にしてくれた二人の見ず知らずのおじさまたちと一緒だったこと、時間がなかったのでお団子しか 食べる事ができなかったことで、心残りがありました。その時、ルネについてお話をさせていただいていた女将さんにもお会いしたかったので、いい機会だと 思ったのです。このことは、またこのブログの記事としてお話させていただきたいと思います。とにかく、心配と疲れでいっぱいだった私にとって、平野屋さん でゆっくりさせていただいた時間は、静かな至福の時でした。お昼頃から4時頃までお部屋で女将さんとルネの思い出をお話ししながら、過ごさせていただきま した。
京都、奥嵯峨野「平野屋」の女将さん
ルネが座っていたところに座っています。
さて、 では、ルネとの時間について書くのですが、その前に83年にルネが第12回東京音楽祭のプレゼンターとして妹のナタリーと来日した時のことから書きます。その時に感じたことと85年にルネに実際にお会いした時のことが似ているというか、自分の中にずっとその83年のときのルネのイメージが強く残っているままで、何かつながっていたように思うからです。うーん。。。なんだかうまく表現できないのですけど。。。書いているうちに自分の言おうとしていることがわかってくるかもしれません。。。
83年にルネに会ったというのは、実は見ていたというのが正解です。それは、私が東京音楽祭の出場者が宿泊していた東京プリンスホテルの東京音楽祭用の宿泊券で泊まっていたことから可能になった事でした。音楽祭の前日にあった前夜祭のパーテイ会場にも招待され、そして翌日の音楽祭の鑑賞券もあり、会場に行く事ができました。
大人になったルネの姿をこの目で初めて見たのが、その前夜祭のパーテイ会場でした。いくら大人になったルネの姿を手に入れた記事やレコードジャケットで見ていたとはいえ、私の中にはいつもあの小さな13才のルネがいたのでしょう。大人のルネを見てとても嬉しかったのですがそれよりも、なによりも、その姿をみて愕然となったのです。「もうあの13才のルネは永遠にいなくなってしまったのだ!」と。そして、そんなルネに寄り添うナタリーを見ると、それは、まるで13才のルネの生まれ変わりのような姿!大人になったルネが気遣うように一緒にいるまるでルネのようなナタリー!何も言えず、ルネやナタリーのところに行く事も出来ず、何かの背後でそんな二人を見ながらただただ涙がこぼれていました。嬉しいというよりショックで打ちのめされた。。。。というのが一番近い表現かも知れません。
上の写真にあるのと同じ服装の二人。会場に飾られていた桜の花の前で録られた写真をもとにつくったファンクラブメンバー用のカード。 このときのパーテイの様子は、TBSでその数日後放送され、そのビデオを持っているのですがまだdvdにしていません。その放送を見た方なら覚えていらっしゃるかもしれませんが、会場のステージで、ルネとナタリーが二人で「ミドリ色の屋根」を歌い、そのあとルネが妹のナタリーを英語で紹介。日本でデビューすること、そしてカナダ(ケベック)では、もう数枚アルバムを出していることなど。そのあと日本でのデビュー曲、「五月の雨」を紹介し、そしてナタリーが歌い始めました。
第12回東京音楽祭のプログラムの本の終わり頃にあったナタリーの紹介記事。「五月の雨」のプロモーション用の記事だと思われます。
そのあと(前かな?)は、ゲストであったバリーマニロウ、音楽祭でグランプリをとることになるライオネルリッチーなどそうそうたるメンバーとの談笑。ちゃんとお話しているというよりもテレビのカメラやカメラマンの要望に応えてポーズをとっているような雰囲気だったように思います。
私もそのすぐ横にいたのに、ルネに会いに行く事はとうとうなかったのです。信じられませんよね。。。サインも写真も何も頼めませんでした。サインは、だれかがもらってくれたので持っていると思うのですが。それも私が胸にかけていたパーテイ用のネームカードの裏か何かに。。(ルネとナタリーがしているネームカードと同じものでした。)
とにかく、とても大きな出来事、ルネとお話しするチャンス!だったのに、私は何もできなかった。。。というのが 本当の事です。ただルネがその時持っていた雰囲気は、すごく大人で落ち着いていて、静かで、思慮深いというかジェントルマンというか。。昔のおちゃめなルネの雰囲気はそこにはなかったのです。きっときちんとした席だったからなのかもしれませんね。そしてナタリーの面倒も見ていたからでしょう。この数分後、ホール周辺で涙をぬぐっていた私は、部屋へ向かおうとエレベーターを待っていたら、ルネがナタリーを連れてエレベーターのところまで来たのです。。。ええええ!どうしよう。。。ここでエレベーターに乗るのをやめてもおかしいし。。ということで、エレベーターにルネとナタリーそして私だけの3人で乗る事に。。で、どうしたと思いますか。二人にプライベートな時間をあげたいという気持ちから、天井をむいて、そしらぬふりをしてしまった私。どうしてこうなるのだろう。。。と考えながら、その時間はアッと言う間に終わってしまいました。ナタリーは水疱瘡で熱があったためルネがナタリーを部屋まで連れて行ったようです。翌朝は、ホテルのレセプションでナタリーがだれか日本人の女の子たち二人ぐらいとどこかへ出かけたのを見ているので、熱はひいたのでしょう。
えーと。。。ここまで書いて自分がなぜこのことをルネとオタワでお話したことを書く前に書いているのか。。。まだ疑問ですが!きっと私の中ではこの時の83年のことをずっとまだひきずっていたのだと思います。私の中にいた「本当に好きだったあの小さなおかっぱ頭のルネ」はいなくなったのだと。そしてそのことが受け入れられずにいた?というような。。。きっとそんな感じだったのでしょう。
そしてこの2年後にその小さなルネではなくなったルネに会うということになるとは想像もしていませんでした。モントリオールでも、どちらかと言えば、ルネと直接会うということを避けていた私でしたから。。。どう大人のルネに対処していいかわからなかったからでしょう。。。どう受け入れたらいいのか?とも言えるかもしれません。(勝手な事を言っていますね!)私の中には、まだまだ13、4才のルネがずっと住んでいた/いるのですから。
そんな私が突然、また「大人のルネ」「大きくなったルネ」に会うということになったのです。。。うーん。。。今度は、ちゃんと話さなくては!
では、私と一緒に、大人のルネに会いに行きましょう!
(次の記事で書きます。。。あああ。。。でも、今夜のうちに書いてしまいますよ。きっと。。。)
24.9.12
モントリオール1985年の夏休みーその23(Ottawa 5 ルネとの時間1)
ファイナルエピソードを楽しみにしていたみなさまへ
この記事をずっと読んでいただいていたみなさまは、きっとこの週末にこのエピソードが終わると思っていた事でしょう。私も思っていました。。。けれども、次の週末といっても金曜日の朝ですが、急に日本に行くことになりました。この日本行きのことと、仕事が休暇前の追い込みの時期に重なって、この週末は、午前1時15分の現在までの時間まで仕事を続けなければなりませんでした。この記事は、日本へ発つ前までには、仕上げたいと考えています。下にあるのは、以前に少し書いておいた事ですが、その部分だけを今夜は、アップして眠りたいと思います。そして、続きを最後まで書いて日本へ行きます。
それから、ジョセフ君が、フェイスブックで日本のファンの次のリクエストに答えて下さり、ルネの日本でのファーストコンサートのライブ盤の中で何を話していたのかを英語に訳してくれましたので、それを日本語でご紹介しておきましょう。
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ルネとの時間
ずっと続いていたこの「モントリオール1985年の夏休み」の記事も、その23となり、この23回目で最終回となります。(たぶん!)そして、私がこれから書こうとしている記事の内容は、先週までの記事を読んでいただいていたならば、覚えていらっしゃると思うのですが。。。オタワでコンサート後、「楽屋でルネ本人に会う」ということになったのでした。コンサートに招待してくれた、ルネとナタリーのファンクラブの会長だったジャンピローテという方が、このルネとの時間を計画してくれていたのでした。
ですから、今回の記事は、ルネに会ったことについて。そして、目近に見る、そして言葉を交わした24才のルネは、私の目にどう映ったか、そして私が感じたことなどを書いて行きたいと思うのです。ルネと会った時間は、たぶんそれほど長い時間ではなかったのだと思いますが、そのことで、それ以後の自分の気持ち、大げさに言えば、生き方への姿勢などにもとても影響を受けたと考えています。こうして記事を書き始めても、27年前に感じた事、思った事、そして27年後の今、その時思った事を振り返って、考える事など、どのくらいうまく表現できるか不安です。でも、この時点で、自分の気持ちや思い出になるべく正直にかけたらいいと思います。そう思う反面、ルネの心の奥深くまでのことを、そのとき私が感じたこととして、本当に書いてもいいのか、私は書きたいのかということをまだ自分自身に問いかけています。
オタワでルネに会う以前に、83年にルネが第12回東京音楽祭のゲストプレゼンターとしてナタリーといっしょに来日していた時にも、会う機会がありました。まずその時の私の気持ちからお話させて下さい。このお話をすれば、オタワでのルネに会った時のことが自分の気持ちの中でよく説明できそうな気がするからです。
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photo@ebay
photo@maple mates fan club magazine 2nd issue 1994
ファーストコンサートライブ盤の中でのルネのお話
ルネがこのライブ盤の中でお話をしている箇所は、3つありました。 最初のお話は、オーバチュアの後で「僕の国へおいで」を歌い、その終わりでルネが挨拶を始めたところでした。
ルネ:こんばんは!こんばんは!(ファンの「こんばんは」がよく聞こえず、また)こんばんは!(そしてやっとファンが大きな声で「こんばんは」!)
ルネ:英語で "GOOD!"
ルネ:僕は、日本が大好きです。今回が二回目の来日です。でも、僕が日本に来る時には、いつも何か起きるんですよ!最初に来た時には、モンスーン(梅雨)の季節でした。そして今回は。。。(意味不明)。。。(ジョセフ君の聞き取りでは、ルネは、ここで、なぜか「小さな橋」があった というようなことをいっていますが。。。でも、私が以前に誰かに訊いた時には、台風のことを言っているのでは?ということだったのですが。。。明日、職場のフランス語の聞き取りが出来る人にまた訊いてみましょう)
ルネ:小さな橋といえば、次の歌をうたいましょう! 英語で " RAIN DROP" 「雨にぬれても」!
2つめは、 「雨にぬれても」の後に、デビュー曲の「ロワゾウ」(鳥)を歌うまえに、話しています。
ルネ:僕が次に歌う2曲は、カナダでの最初の歌です。一つ目は、「ロワゾウ」と言って、マネージャーのgcが僕を有名にしてくれた歌です。(この前にルネは、この2曲は、僕がステージで作った曲というような説明もしているというジョセフ君でしたが、少し?という感じがします)これが、この2曲の歌の説明です。では、歌いましょう。
3つめのお話は、「廃墟の鳩」を歌う前です。ルネのお話の後は、「廃墟の鳩」「小さな命」そして最後に「ミドリ色の屋根」。
ルネ:次の2曲は、どちらとも村井邦彦さんが作ってくれた歌です。
この訳は、なんだか不安です。。。明日また調べてみましょう!
Thank you, Merci beaucoup, Josef! ありがとう、ジョセフ君!
photos@maple mates fan club magazine 2nd issue 1974
午前2時16分です!みなさま、おやすみなさい。
riko auckland
16.9.12
モントリオール1985年の夏休みーその22(Ottawa 4 コンサートでのルネのお話)
ルネとオールブラックス
今夜は、ニュージーランドのラグビーのナショナルチームである、「オールブラックス」というチームと南アフリカのナショナルチームである「スプリングボックス」との大きな試合が南島の一番下に位置するダニーデンという街で開催されました。この試合を観ないで、ルネのコンサートの記事、しかもきっとこの「モントリオール1985年の夏休み」の最後になるはずの大切な記事を書こうと思っていたのですが。。。。いつものようにスプリングボックスは、とてもラフ(乱暴で激しい!)な試合内容をスタート!ハラハラドキドキということになり、セカンドハーフで、11対8まで追い込まれた状況になり。。。もう何も手につかなくなり、腰をすえて観るということにしてしまいました。結果は、21対11で、オールブラックスが勝利でした。ホッといたしました!
オールブラックス対スプリングボックス
ニュージーランドの代表的なスポーツであるラグビー。こちらの子は、4、5才の頃からラグビーチームに入り、裸足でかけまわってラグビーになじんでいくようです。学校でもラグビー部に所属し、ファーストフィフテーンになっている男の子たちは、(女の子のチームもありますけど)他の生徒のあこがれの的ということになり、ヒーローになります。ですから、オールブラックスに入るのが夢!という男の子がたくさんいます。オールブラックスは、男の子だけではなくて、ニュージーランド中の人たちのあこがれ、ヒーローなのです。そして、オールブラックスの選手の言動や行動は、大げさにいえば、「常にきちんと正しくあれ」というような考え方を、ニュージーランドの人たちは持っています。とくに、多くの(特に男の)子供は、「そのような尊敬すべき大人になる」というような想いを持っています。見方によって違うかもしれませんが、ニュージーランド人のメンタリテイと言うのは、結構日本のそれと似ていると思います。
ニュージーランドには、他の国と同じように、いろいろな国からの移民で成り立つ国になりつつあります。ですから、時には人種差別からくると思われる言動、行動などでギクシャスすることもあると思いますが、このオールブラックスの存在があるとき、試合がある時は、そんなことは、忘れて、一致団結、みんなが一つになって応援するんです。みんなで歓声をあげるとき、勝利したとき、胸がジーンと熱くなるんですよ。そして、結局は、オールブラックスやニュージーランドのことがみんな大好きなんだなあと実感させられるのです。
なぜ、オールブラックスのことを話したかというと、今夜の試合が終わって、ホッとした時、ルネとルネのファンの私たちのことを考えたんです。なんだか、似ているんじゃないのかなあと。。。一人一人みんな、ものごとやルネに対しての気持ちや、考えが違っていたとしても、ルネのことが大好きだから、ルネを通して一つになれるのだなと。そして、オールブラックスに感じるのと同じようにというか、それ以上ですよね!それ以上に、ルネは、私たちの胸を熱くさせた、させてくれているんだと思うのです。それに、「言動や行動が正しくあれ」(これは、いろいろな意味で)とか、「尊敬すべき大人になる」という想いを抱かせてくれたのも、私がルネに感じたこと、感じていることの大切な一つの事実なのです。
今夜は、ルネと会った時間について書くのをやめます。その代わりに、コンサートの中でルネが一体どんなことをフランス語で話していたのか。。。とっても興味がありますよね!27年もの間、理解する機会がなかった、またはあきらめていたのですが、ジョセフくんが、とてもていねいに英訳してくれたんです。ですから、ラグビーの試合が終わった後、それを日本語に訳してみましたので、紹介することにします。
merci beaucoup beaucoup à Josef!
コンサートでのルネのお話
オープニング:Celebration (Kool & the Gang )フランス語
ルネは、踊りながら歌っています。
2- Far from over ( Frank Stallone) 英語
あいさつとバンド、コーラスの紹介。そして会場に来ていたお母さんとレジスの紹介
photo@rene&nathalie fan club international vol.2 no.2 1984
gift from fan club
ルネのファンクラブ(当時)の会報にあるRSVPのショーの記事
R.S.V.P
1984年から87年まで、ルネがホストを務めていたバラエテイショーのこと。TVAというテレビ局のネットワークで放映されていました。R.S.V.Pは、René Simard vous présente のこと。「ルネが貴方に贈るショー」という意味。このショーのビデオをyoutube で探してみました。ケベックのルネの大ファンのマリエルさんが沢山 アップしてくださっています。
Chanson thème de l'émission R.S.V.P. 1985
PSVPのテーマソングを歌うルネ。ステキです!
「では、はじめにパトリック、ラフレッシュ、そしてアンドレ、パーカッションは、リュック、ドラムは、ピエール、ギター(バス)は、シモンとギルス。皆さん、拍手をして歓迎して下さいね。」PSVPのテーマソングを歌うルネ。ステキです!
RENE SIMARD -MEDLEY CLAUDE FRANCOIS
(RSVP 1985)
RENE SIMARD & MICHELE RICHARD
LE TEMPS NOUS PRESSE (RSVP 1984)
Celine Dion as Carmen - L'amour Est Enfant De Bohême
(Live at RSVP 1985)
ルネがコンサートの時にも着ていた衣装で、17才のセリーヌデイオンを紹介しています。
1985年、セリーヌデイオンは、まだ17才!そしてルネのプロダクションから離れたルネアンジェリルがもうセリーヌデイオンのマネージャーをしていました。 というより彼女を見いだして成長させたのが、ルネアンジェリルだったのです。ルネの当時のマネージャーとは、ちがって、ルネアンジェリルは、セリーヌの曲の多くをオリジナルで作っていた人。そして「ルネのアメリカ進出で苦い経験をしたルネアンジェリルは、このことから多くのことを学び、セリーヌを世界的に有名な歌手にさせるために成功した。」と自叙伝の中で語っています。もちろんこのことだけが、セリーヌの成功の理由ではありませんが、ルネアンジェリルとルネの当時/元マネージャーの人間性の違いがよくわかるお話を本の中で書いているように思えます。
「それからボーカルグループのスタックス。RSVPのショーにも出演しているのでご存知かもしれませんが、エリーズ、マリオ、そしてルイーズ。ブラボー!今夜一緒にこのショーにいてくれてありがとう!」
「そして、ダンサーのルイーズラピイエールのダンサーのスージー、フランス、サミュエル、ジョアンヌ、ブリジットとクリスチン。あれ、だれかのこと忘れたかな?忘れなかった?ああ、よかった!パーフェクトですね!(拍手)」
「それから、僕をいつも助けてくれて、僕の生涯の友人のリュック カーロンを歓迎して下さい。僕のショーにこんなに大勢で来てくれて僕のために仕事をしてくれてありがとう!」
photo@un homme concert booklet/gift from rene
この人がリュックカーロン(Luc Caron)です。ルネとは、ずっと長い間、一緒に仕事をしてきた指揮とピアノを担当していた人。RSVPのショーでもルネがお世話になっていたそうです。ルネのどんなコンサートのライブを聴いてみても、必ずルネが Luc Caron!とていねいに紹介しているのがわかりますよ。
「僕の母が、観客席のどこかにいることを皆様にもお知らせしておきたいと思います。ママ、どこにいるの? ああ、あそこです。友人や親戚の人たちと一緒に座っています! 」
「それから、僕の兄のレジスもきているはずなんですが。レジス、どこ? あああ、いた!あそこに!レジスは、皆さんに紹介してほしいと言っていたんですよ。婚約者と一緒です。レジスと婚約者には、もうすぐ赤ちゃんが生まれるんです!」
「それでは、お互いのことを知ることができたので、次の歌をうたってショーを続けましょう。」
3- Femme libérée (Cookie Dingler) *フランス語
曲の合間のルネの問いかけ
「今夜この会場には、いろいろな制約から開放された自由に生きる女性はいるでしょうか?」
4- Hello (Lionel Ritchie)英語
5- Sous le sunlignt des tropiques (Gilbert Montagné)*フランス語
6- Careless Whisper (Wham) 英語
7- Wake me up before you gogo (Wham) 英語
曲の合間のルネのおしゃべり
8- Coeur de rockeur (Julien Clerc)フランス語
「この歌は、歌わずにはいられませんね。(多分すごくヒットしていた曲だったから、ルネがこう言っているのでしょう。) 皆さん、手を上に上げて手拍子をして下さい。皆さんの声/手拍子がもっと聴きたいです。はい、手を上にあげて!大丈夫?」
ルネと観客のやりとり
ルネ:皆さんにも僕と一緒に歌ってほしいです。皆さんが歌っているのを聴きたいです。
ルネが歌い始めます。でもお客の乗りが今ひとつ。。。そこでルネは。。。
ルネ:あああ、だめだめ!だめ!
皆さんはロックンローラー魂を持っていますか?いるんでしょう!
客:はいいい!
ルネ:ロックンローラー魂ですよ!
客:はいいい!
ルネ:皆さんが歌わないなら、何度でもこの曲を始めからやりなおしますよ!
客:はい!
ルネ:じゃ、続けましょう、みんなで一緒にね!
photo@own collection gift from friend in quebec
ロックンローラールネ!
ルネは、アメリカ進出を目指していた頃、当時のマネージャーがエルビスの大ファンで会ったことから、エルビスプレスリーのコンサートに出かけたことがあったそうです。その時のエルビスは、体重がとてもふえていて、健康も害していたため、ステージでもほとんど動けなかったとか。これは、現在では、セリーヌデイオンのマネージャーそしてご主人でもあるルネアンジェリル(1976、77年あたりまでルネのサブマネージャー的な存在で、ルネが日本に来ていた時にも、ルネと一緒でした。)の自伝本の中に書いてある事です。そしてそんなエルビスプレスリーに、ルネはあまり興味を示さなかったとも書いてあります。この後、ルネはケベック州を中心とした活動にうつり、エルビスプレスリーの曲がたくさん入ったアルバムもリリースしています。そしてまた、そのずっと後年に、エルビスストーリーというミュージカルの制作にも関わっていました。エルビスを大好きでしかたがなかったのは、ルネよりも、当時のマネージャーだったようです。
René Simard-Escale à Memphis
ルネは、メンフィスというエルビスプレスリーの曲を集めたアルバムを出しています。そしてこの映像は、メンフィスまで行って、スペシャル番組を作ったときのもののようです。
Michèle Richard - J.Farago - R.Simard - Le monde est fou du rock'n'roll
「ロックンロールしているルネ」 の映像が他にもyoutube で観ることができますよ。ルネと一緒にツイストを楽しまれては!?
ルネ:「今夜のショーは、僕たち二人のためにあるんですよ。僕とあなたのために。このショーは始まったばかりです。エンデングまでには、まだずっと時間があります。」
「さきほど、僕は皆さんに、ロックンローラー魂があるかどうかと訊いていたんですが。。。皆さんは、ロックンロールが好きですか?僕は大好きなんです。」
(ここでルネが少しふざけて、冗談を言っています。)
「ロックンロールの時代は、いろいろなグループがいましたね。ママス&パパスとか、そして The Plattersとか。少し前に、コーラスのスタックスを紹介しましたが、このボーカルグループが、ママス&パパスのヒット曲を歌います。皆さんが、僕のテレビショー、RSVPを観たなら、きっと、このボーカルグループが僕のショーのとても大切な才能のある発見となったことが分かるでしょう。 この若い4人は、ケベックシテイからやってきました。では、マリオ、エリーズ、マリーズ、ルイが僕と一緒にママス&パパスの大ヒット曲を歌うので聴いて下さいね。」
photo@marille morin
merci beaucoup à Marielle!
メドレーのスタート
9- Only you (The Platters)英語
10- In the world? よくわからない曲。メドレーの中で短いパートがあった曲
11- California Dreamin(Papas&Mamas)英語
「では、次の曲なんですが。。昨日、ダンサーたちが、間違ってステージの上で踊ってしまったんです。僕たちは、いつもなら、ショー(あるいはこの曲)をアリーナでするんです。でも最近のお客は、ドレスアップしているので、たぶんツイストのダンスをしたくないだろうと思っていたんです。ところが、昨日のお客さんたちは、みんなこのツイストダンスに参加してくれたんですよ。とっても素晴らしかったんですよ。今夜来て下さったみなさんにも同じようにツイストに参加してくれたらとっても嬉しいです。みなさんは、ツイストダンスが好きですか!?みなさん、じゃ、立ち上がって下さい。はい、そして手拍子をして!」
photo@own collection gift from friend in quebec
12- Rock and roll (Elvis)*英語
13- Great balls of fire (Elvis)*英語
14- Blue suede shoes (Elvis)*英語
15- Johnny be good (Chuck Berry)英語
16- (???? translation from a succes)?よくわからない曲です。。。
ルネが腰をどのようにまわしてツイストするのかを私たちに見せてくれています。
17- Let's twist again (Chubby Checker)*英語
18- Comment ça va*ルネのオリジナル(だと思います。この曲は、前年大変ヒットした曲)
「みなさん、もっと大きな声で僕と一緒にうたって!」
19- Just a gigolo ( David Lee Roth)*英語
この歌がおわって、子供が一人、ステージのルネにお花を もって来ました。
ルネ:「あああ、ありがとう。本当に感謝します。いい子だね。お名前は?」
子供:「キムです。」(女の子)
ルネ:どこに住んでいるの? そして電話番号も教えてくれる? (会場から笑い)
ルネ:今夜は、お母さんたちと来たの?
キム:ちがいます、おばさんと。
ルネ:来てくれてありがとう!ナタリーのことが大好きなの?
キム:そうなの。
ルネ:僕もナタリーのことが大好きですよ。そして彼女のことをとても誇りに思っているんですよ。本当にコンサートにきてくれてありがとう。すごく嬉しいです。
そして、他のファンもお花を届け始めました。
photo@flower facebook
このあたりから、ルネの語りかけがとても誠実であり、心がこもっているなと感じたルネのお話が始まります。ルネがこのコンサートの最後の歌をうたう直前に話したこと。文字だけで読むと、なんだかけっこう誰でも言えるようなことと感じる方もいるのかもしれません。でも、実際にルネの語りかけを聴いていると、ルネのお父さんが亡くなる数年前に書いた本の中で語りかけているように、誠実さとあたたかさを感じるのです。ルネのそんなところは、ルネ自身の努力、人間性と、そしてきっとお父さんの持っていた本当の人柄を受け継いでいるのだと考えるのです。
ルネ:「あああ、(キスの嵐!)やっぱり僕のことを思ってくれている人がいるとわかってました! あああ、ありがとう!すごく嬉しいですよ!昨日も、お花をたくさんいただきました。これは、すごく嬉しいことなんです。だって、みなさんが、自分の大切な時間をつかって、僕たちのために、僕たちのことを想いながら、お花を選んで、もってきてくれるんですから。心から感動を覚えているんですよ。新聞で、レポーターが、今夜もたくさんお花をもってくるファンがいるだろうと書いていました。本当に素晴らしいことだと感謝しています。ありがとうと1000回ぐらいいいます。(会場から笑い)みなさん、コンサートに来てくれて本当にありがとう!
ルネ:あああ、そこで、子供が寝てしまっていますね。。。子守唄を歌っていたとは思ってなかったんだけど。。。(ルネは大笑い)でも、すごく素敵な寝顔ですね。きっといい気持ちで寝ているんでしょうね。」
「では、みなさんへ、僕の心の底からのお礼として、この(最後の)歌をうたいます。」
20- Fermeture (Dan Hill 'Sometimes When We Touch') *
ルネ:さようなら、みなさん。来年も会いたいです。スタントンファミリー、ナタリー、そしてコーラスやバンドのみなさんに感謝したいです。ステージに来て下さい。このコンサートを実現させてくださった全ての人たちに感謝いたします。来てくれてありがとう!
スタントンファミリーは、ナタリーの休憩時間に、ステージで何曲か歌を披露した子供バンド。きょうだいバンドでした。ナタリーとスタントンファミリーのコンサート部分は、今回の記事では、紹介していませんが、先週の記事に少し書いています。ルネのバラエテイショー、RVSPでも歌を披露しているビデオを発見!86年の映像ですから、この子たちも85年より成長して見えます。
皆さんのことが、大好きです。さようなら!また次の機会に会いましょう!コンサートのために働いていて下さった人たち、リチャード ミチョープロダクションの方たち、ありがとう!みなさん、ありがとう、来年会いましょう!
スタントンファミリーは、ナタリーの休憩時間に、ステージで何曲か歌を披露した子供バンド。きょうだいバンドでした。ナタリーとスタントンファミリーのコンサート部分は、今回の記事では、紹介していませんが、先週の記事に少し書いています。ルネのバラエテイショー、RVSPでも歌を披露しているビデオを発見!86年の映像ですから、この子たちも85年より成長して見えます。
Famille Staunton à l'émission RSVP en 1986 - Chanson de Noel
La famille Staunton - Self Control - Ma blonde m'aime - She works hard for her money - Tension Attention (RSVP 1985)
これは!ルネのコンサートでも、歌っていた曲、Self Controlがありますね!しかも85年の映像。ボーカルをしていた女の子のことは、よく覚えています。
皆さんのことが、大好きです。さようなら!また次の機会に会いましょう!コンサートのために働いていて下さった人たち、リチャード ミチョープロダクションの方たち、ありがとう!みなさん、ありがとう、来年会いましょう!
photo@rene&nathalie fan club international magazine 1984
gift from fan club
gift from fan club
RSVPの打ち合わせ中のルネ。こうやって、舞台裏で、沢山の人との努力が、すばらしいステージを作り上げるのですね。
では、来週こそ、ルネと楽屋で会った時間のお話をさせていただきますね!読んでいただいてありがとうございます。
riko auckland
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