6.4.13

「GOLDEN✩BEST Limited ルネ・シマール」、アンコールプレス予約開始スタート!! 5月15日まで!

「GOLDEN✩BEST Limited ルネ・シマール」
アンコールプレス予約開始スタート!!




今朝4時ごろに寝ましたが、8時30分のころだったでしょうか。フェイスブックのルネファンのお友達、Junkoさんより日本語でルネについてお話するページ「ルネシマール」への投稿がありました。なんとルネのCDのアンコールプレスの予約が開始されているとの情報でした!「おおお、これは、寝ている場合ではない!早くみなさまにお知らせして、この予約購入が実現できるようにお声をかけなくては!」と起きだして、今このブログ記事を書いています。Junkoさん、投稿ありがとうございました!がんばりましょう。この記事を書く前に、私も予約購入の手続きをしてまいりました!




ルネの日本での記念すべき初ベストヒットCD、「GOLDEN✩BEST Limited ルネ・シマール」のアンコールプレスのリクエストが叶って、いよいよアンコールプレス予約がスタートいたしました! 予約購入の受付は3日まえの4月3日から始まっていました!5月15日までの受付です。けれども、その予約状況は、現在29%。100%に達しないとルネのCDの購入は実現いたしません。でも、スタート3日間で29%ですから、締め切りの5月15日までに100%到達は、可能性がたくさんありますね!



このCDは、昨年、長年のファンのみなさまのリクエストにより、ソニーオーダーメイドファクトリーのサイトにて、予約開始に至り、その後、今回と同じように予約購入スタートというプロセスでその数が100%になり、実際に予約購入されたファンのみなさまが6月10日に購入できたのでした。

その時に書いた記事「GOLDEN ☆LIMITED ルネシマールのCD到着!」


そのとき、ファンのみなさんと感動と嬉しさを込めて作った、記念のスライドショービデオもyoutubeで公開しています。


ルネシマール「愛の翼をひろげて」
Golden Limited ルネシマールCD発売記念  



 


その時、まだこのことを知らずにいた、または、予約するときに、「購入手続き」を実際にされていなかったかたは、購入できずに終わってしまっていました。このルネの2枚組のCDは、4200円という価格だったにもかかわらず、その後、オークションやamazon japanなどのサイトで、2万円以上の価格が付いて売られていました。購入を逃してしまったルネのファンのみなさんは、どれだけ悔しく悲しい想いをしたことでしょう!


ということで、今回の「アンコールプレス」のリクエストをすることになったわけですが、そのリクエスト数も一定に達して、今お知らせしている「予約購入開始」のスタートとなったわけです。ここで、あとひとふんばり、実際に予約購入の手続きをするファンのみなさまの数が100%に達しないと、この購入も実現することなく終わってしまうことになります。手続き終了は、5月15日です。昨年購入をすることができたみなさんも、もう数枚ぐらい購入手続きをされると。。。そして購入を逃してしまったみなさんも、一枚といわず、2枚くらいは予約されると100%にすぐ達する可能性ができるでしょう!

では、ソニーオーダーメイドファクトリーのサイトに行って、 「GOLDEN✩BEST Limited ルネ・シマール」、アンコールプレス予約購入の手続きをしましょう!



ソニーオーダーメイドファクトリーサイトよりの情報を画像で紹介いたします。








では、みなさま、よろしくおねがいします!

riko auckland

26.3.13

第12回東京音楽祭世界大会 ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ 




ルネとナタリーの花束贈呈ビデオ
 

ビデオのアップで試行錯誤していた時に、なぜかこのビデオだけが成功していた下書きがありました! というわけなので、前回の記事の中で紹介するつもりだったビデオですが、ビデオのトラブルが解決するまで、ここにこのビデオを置いておきますので、お楽しみいただけたらと思います。このビデオは、第12回東京音楽祭世界大会グランプリの受賞の様子です。まずナタリーが花束をもって、ステージに登場し、その後すぐにルネも花束を持って登場。この時のグランプリはダブル受賞でしたので、受賞したのが二組になりました。






第12回東京音楽祭のルネとナタリー ビデオ ルネの記事


 ビデオトラブル!

今回の記事は、とっても遅れました!なぜかというと、どうしても今回の記事に使う予定だったルネとナタリーのビデオがこのページにアップロードできないという今までには経験しなかったトラブルが(大げさですね。。。)発生していたのです。。私のビデオの編集とそれをexportするプロセスでおかしくなってしまっているのか、または、ブロガーのサイト自体が少し変わったのか。。毎夜のようにいろいろと方法を変えてアップしようとしていたのですが、「もう、疲れた!」という気分になりつつあるので(笑)、このままの状態で一応記事自体のアップだけしておこうと思います。ビデオは、引き続きアップの努力をいたしますので、そのアップの時を楽しみにお待ちくださいませ。今のところ、ビデオを見ようとしてもエラーのメッセージが出てしまいます。


日本のルネのファンのお友達がまたお一人増えました!

フェイスブックの日本のルネファンの輪に、先日またお一人お仲間が増えました。「ルネを日本へ」のグループに参加されたいと連絡がありました。とても嬉しいです。そしてフェイスブックにいるファンの方達も嬉しそうです。いっしょに交流が持てることを楽しみにしていたいと思います。

私たちのように、いまだにルネを想い、昔の思い出、そして現在のルネの様子などについてお話したりしたい、そしていつか、ファンの手でルネの来日を実現させたいと願うルネのファンが日本には一体どのくらい残っているのだろう。。。というのが私のいつも考えることだと前回の記事に書いていたと思うので、このルネのファンの方の出現は、心が震えるほどに嬉しいことです。このブログやkeiさんの「ミドリ色の屋根は永遠に」のブログを読んでいてくれたそうです。ルネのことについて現在でも身近に感じられるということがとても嬉しいとお話して下さいました。ルネのことを想うファンのみなさまに一人でも多く出会うことができるのをみんなで楽しみにお待ちしております。どうぞ、フェイスブックのアカウントをお持ちになり、もう一度ルネファンとしてひとつになりましょう!アカウント名は、本名でなくても大丈夫です。



 それでは、以下がずっと書きとめていた今回の記事です。

 ******* ー  ******* ー *******

今夜の記事は、前回に引き続き、1983年3月に行われた、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネとナタリーの様子。そして翌日の音楽祭のステージの最後で、グランプリ受賞者に花束を渡す二人の姿のビデオを紹介します。そして、この来日を果たす前に日本に行くことついて語っているルネの記事のこと。





この記事は、公式のファンクラブを持たないルネがほとんど公式のように認めているジゼルさんのpassion rene nathalie, regis simardというフェイスブック上にあるファングループのページでジゼルさんが公開してくれた、1983年の切り抜きです。

このページは、だれもが見られるページです。vippassion simardという、もう一つのページがあり、そこでは、passion rene nathalie regis simardのページでは、公開されていない画像やビデオを観ることができます。このページのメンバーになりたい方は、まず、passion rene nathalie regis simardのページのlikesを押し、vippassion simardへお友達リクエストをするとメンバーになることができます。この vippassion simardのメンバー(お友達)となると、passion rene nathalie et regis simardのページでは、最後まで観ることのできなかったビデオや、そこでは紹介されていない画像なども見ることができます。そして、ルネのことが本当に今も好きな人たちが集まっているので、その方達とも翻訳機能を使ってお話することが可能です。

それでは、まず、ビデオから観てみましょう。最初のビデオは、今まで紹介したビデオに続いているものなので、今回紹介するのは、パート5と6と7になります。パート5では、ルネがナタリーが日本でデビューすることを紹介している様子。パート6は、ナタリーの日本デビュー曲の「五月の手紙」を歌う様子。そしてパート7は、音楽祭の特別ゲストのバリーマニロウの紹介の様子。ステージの終わりでルネとナタリーが花束贈呈をする様子です。

第12回東京音楽祭前夜祭パート5:
ルネがナタリーの日本デビュー曲の紹介をしています。








パート6
ルネに紹介されて、ナタリーがいよいよ「五月の手紙」を歌います。




   
 パート7
音楽祭の特別ゲストとして来日したバリーマニロウの紹介です。ここで、バリーは、私が今まで気がつかなかったことを言っています。来日するのは、この時がまったくの初めて。そして音楽祭のあとの2週間は日本全国で、コンサートをする予定なので日本のいろいろな地域を見るのが楽しみだと言っています。東京では、渋谷のNHKホールで少なくとも2度したことは覚えています。私は、そのどちらにも行っていたような気がするのですが。。。本当に2度行ったかどうか記憶が鮮明ではありません。でもコンサートの様子は、よく覚えています。とてもすてきでした。ファンを舞台に上がらせていっしょに歌をうたったり、ダンスをしたり。一人だけでしたから、会場のファンはとってもうらやましがっていました。さよならする時には、もちろん頬にキスをしてお別れ。次回の記事には、世界大会のゲストとしての彼のステージの様子を少しご紹介したいと思います。この時にバリーは、42才くらい。まだとっても若々しくて可愛らしいです。ルネは、この東京でのバリーのコンサートに出かけていたそうです。NHKホールのあの会場のどこかでルネもこのステージを見ていたのでしょうか。





  

パート8
これは、前夜祭の翌日の晩、東京武道館での12回東京音楽祭世界大会のグランプリ発表の様子です。史上初の2組のグランプリ受賞者。その2組に、お祝いの花束を渡したのが、ナタリーとルネでした。最後の最後にほんの少しの時間だけ、舞台での二人の姿を見る事ができたのです。ルネは、特別ゲストとして来日と言われていましたが、バリーのようなおおきなステージを任されるゲストではなく、結局花束贈呈だけを頼まれた。。。。ということはとってもショックでしたけれど、今考えると、ルネの来日は、どちらかというとナタリーの日本でのデビューをサポートするためという目的だったのだと思います。ナタリーとルネの姿は、2分ぐらいの場面で現れます。







ルネの記事から


この記事は、ルネがナタリーと来日した1983年の終わりごろ、または、84年のはじめの記事のようです。レポーターが、この83年の一年のことについてルネに聞いています。どのような年であったのか、どう思ったのかなど。ルネは、以下のようにお話しています。

「この一年もたくさんの素晴らしい事がありました。それをひとつひとつリストアップしたら、お話するのに大変な時間がかかってしまうでしょう。ボクの仕事のことをお話するなら、それは、ナタリーと一緒に日本に行ったことです。とても感動しました/心を動かされました。そして、それは、ボクが1974年にグランプリを受賞した東京音楽祭のそのステージだったのですから。」

ルネは、日本に行ったことをとても喜んでいたとジゼルさんがこの記事をシェアする時に書いてくれました。それをとても嬉しく読みました!

次回は、バリーマニロウのステージの様子を少しと、ルネとナタリーが出演したモーニングショーの様子 のビデオもご紹介できたらと思います。お楽しみに!

riko auckland

10.3.13

ルネの誕生日で想ったこと/第12回東京音楽祭前夜祭2


今夜は、ルネのToujours Plus Loin というアルバムを聴きながら、どんな記事を書こうかとまだ考えています。83年の第12回東京音楽祭前夜祭のステージに立ったルネのビデオの続きをアップしようと思っているうちに、そのビデオの編集が済んでいなかったので、また前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今夜はそのビデオも紹介します。


ルネの誕生日、そして想った こと




ビデオの前に、ルネの誕生日で想ったことを少し 書いてみたいと思います。

先週の2月28日は、ルネの52才のお誕生日でした。 フェイスブックの日本のルネのファンの皆さんとオンタリオ州のルネファンのローラさんとで、一枚のバースデーカードを作り、ジゼルさんのVippassion Simard のページに送りました。大勢のケベックのファンも気に入ってくれたようです。カードは、それぞれがお気に入りのルネの画像を一枚選び、そこにお誕生日のメッセージとそして' Rene to Japan!'の一言を添えたものをコラージュ風にしたものでした。これは、みんなで参加する「ルネを日本へ!(もう一度呼びましょう)」のブロジェクトの最初のイベントとして企画したものでもありました。フェイスブックでは、「Rene to Japan! ルネを日本へ!」というグループページも作ってあります。

できたらみなさんで作ったそのカードをここで紹介したいのですが、みなさんに許可をまだいただいていないので、私のカードの部分だけをアップいたします。



 「ルネを日本へ!」という夢は、まだてしなく夢のままですが、その夢への小さなプロセスを、プレッシャーや、苦痛を感じるのではなく、楽しみながら勧めていくのが大人になった私たちがしたいことだと私は思うのです。ルネを日本に呼ぶということだけが目標ではなく、それまでのプロセスを「ルネとファンとの切れた糸をつなぐ」という時間に使えたら、それはとても素晴らしいことだと思います。ルネが日本のファンについて現在どう思っているのか、どれほどの気持ちがあるのかよくわかりませんが、時が流れ、時代が変わってお互いに大人になり、昔とはちがったもっと近いファンとルネの関係が作り上げられたとしたら。。。考えるだけでとても興奮してしまいます。

そして、他のファンのお友達との信頼関係を築くことも大切だと思います。それがなければ、一緒にルネを日本へ呼ぶという夢も叶うことはないのですから。昔、高校生だった頃に手紙のやり取りだけで他のファンのみなさんと交流していたことが、今では、ネットで簡単に交流ができるようになりました。特にフェイスブックでは、一人一人が、コメントを書いたり読んだり、日常生活からの画像のアップなども簡単に出来るので、お互いの事が他の方法より分かってくるように思います。それぞれが、「自分」を表現できる場所だと思います。


それから、いつも思うのは、ルネにまた日本に来てほしい、そして昔と同じような気持ちでいつづけるルネのファンが、はたしてどのくらいいるのか?ということ。昨年のルネのcdの発売でもどのくらいの数のリクエストがあったのか、わかりませんが、そのリクエストした全員が、懐かしいという気持ち以上にルネのことをまだ思い続けているのか? ということ。私たちの年代でフェイスブックをしている人は、まだ少ないのかもしれません。でもまだ出会えていないかもしれない多くのルネのファンの方たちがほんとうにいますように。そして「是非フェイスブックでお会いしたい」と思うのです。


昔のルネの話、そして現在のルネになるまでのこと、現在のルネのことをたくさんお話して、関係のないことも楽しくお話して、お互いを知り、ルネのことも知り、ルネにもメッセージを届け。。。という時間を持ち、いつかそのファンの方たちと共にルネを(どのような形でも)日本に迎える日が来たら、ルネにとっても、私たちファンにとっても、それはそれは、素敵な夢の実現になると確信します。



それでは、1983年3月、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネのビデオです。これは、前回の記事のビデオの続きで、パート3ということで紹介いたします。前夜祭パーテイ会場でのインタビューが終わり、司会の朝比奈マリアさんに紹介され、ナタリーとルネが会場のステージへ立ちます。このパート3では、ルネの英語での挨拶からナタリーと「ミドリ色の屋根」をデユエットする直前まで。ルネは、とっても紳士的にオトナのルネとして頼もしくお話しています。この時、ルネは22才、ナタリーは13才です。




そしてパート4として編集したのは、ルネの挨拶のあとに歌われた「ミドリ色の屋根」のステージ。このステージを目の前で観ていた私には、感動を通り越してのショック以外の何ものでもなかったこのステージ上のルネとナタリーの姿と歌声。ルネが突然日本から姿を消してしまったあの1976年以降、初めて目にする本当のルネ。それまで、10代後半のルネの姿、20才になったルネの姿は写真では知っていましたが、私にとっては、14才のルネが一気に22才として現れ、妹のナタリーは、顔や姿、声まで13、4才のルネに生き写し。。。という二人の姿を同時に見て、しかもその二人があの「ミドリ色の屋根」を一緒に歌っている。。。あれほど会いたかったルネ、日本に来てほしかったルネは、ファンには何の前ぶれもなく、ファンの気持ちとは関係のないところで実現したルネの来日。嬉しくて胸がいっぱいなのですが、それは、嬉しいだけの気持ちというより、「複雑な嬉しさ、そして悔しさ」感じながら、胸がえぐられる?ようなそんな気持ちで、涙があとから後からこぼしながら、ステージのルネとナタリーを見ていました。。。

メープルメイツ2やボンジュールルネというファンで作っていたファンクラブでは、1976年ぐらいから、アルファレコードやCBSソニー、東京音楽祭事務局へ、ルネの来日を願う署名を送ってはいたものの、それは、このルネの来日の4年ぐらい前には、終わっていたのです。




83年の時には、まだ知らなかったことばかりでした。ルネがどうして日本での活動をやめることになったのか。でも、現在では、ルネが置かれていたその頃の状況のことが分かり、理解できているので、このビデオのルネとナタリーのステージを、今は、落ち着いた気持ちで見ることができるのがとても嬉しいです。そして、ルネのファンの皆様にその時の気持ち(これは以前にもよく書いていたことでしたね。)をシェアしながら、一緒にこのルネとナタリーの「ミドリ色の屋根」のステージを観ることができるのもとても嬉しく思います。

次回には、ナタリーの「五月の手紙」のステージ、そしてルネとナタリーが花束贈呈をする場面のビデオを紹介したいと思います。


Riko Auckland


19.2.13

Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から


ルネの最新ニュース






Un Air de Familleというのは、ケベックで昨年9月から放映されていた家族対抗の歌のコンテストショー。ルネがステージデイレクター・アーテイステックデイレクターをしていたテレビ番組でした。準備は5月頃から出場する家族のオーデションなどが進められ、12月中旬に終了。司会はルネの古くからの友人で、ルネと同い年(やはり2月生まれ)でもある、いろいろな番組でも共演することの多い CBC Radio-Canada(ケベックのテレビ局)で働く有名なホスト(司会者)であるPatrice L'Ecuyer。他に3人の歌のコーチとしてサポートする Bruno Pelletier(ケベックで活躍する歌手), Johanne Blouin(ケベック出身のシンガーソングライター、80年代から90年のはじめには、ルネと同じプロダクションにも属していたことがある人), Jean-Francois Breau(オンタリオ州出身のシンガーソングライター)。毎回3組の家族が出場して練習してきた歌を披露し、そこから視聴者によって選ばれた家族が次のプロセスに進み、最終的に優勝する家族が決定するという仕組みのようでした

 このショーの制作に関わったルネにとっても嬉しいことがありました。それは、このショーにとても関心をもったFrementle Media(フリーマントルメデイア)という世界最大のテレビ制作会社が、他の国での、このショー番組の制作権利を購入したからです。フリーマントルメデイアは、American Idol, America's Got Talent, The X Factor などの制作も手がけています。ケベック州で制作されたショー番組(のアイデア)を購入するのは、もちろん初めてのことだそうです。 ( 資料:le Journal de Montreal ) 英語圏でのショーのタイトルは、「ファミリーハーモニー」になるだろうとのこと。

このUn Air de Familleの番組は、次のシーズンの放映が決定されており、現在は出場希望の家族を募集しているようです。今年の放映も秋から(9月)の予定。

この番組については、Facebookのページもあり、興味のある方はそのページを見ると、今まで出場してきた家族の画像やビデオなどが紹介されているので便利だと思います。



左から 司会のPatrice L'Ecuyer, ステージデイレクターのルネ!、歌のコーチ Jean-Francois Breau, Johanne Blouin, Bruno Pelletier.

 un air de famille facebookからのルネの画像 番組プロモーション用(上の写真)の撮影をする前にお化粧などをしていただいているようです。ヘアスタイルは、ちょっと鉄腕アトム風?(笑)


 そして撮影の準備。ルネは楽しそうに笑っていますね。また面白いことをいっているのでしょうか。


このショーについて質問を受けている司会のParice L'Ecuyer、そしてステージデイレクターのルネ。ルネの仕事について「卓越した素晴らしいもの!」と話すPatrice。照れるルネ。。。番組のビデオなどを見るとルネの姿がなく、どのようにルネがこの番組のステージのために仕事をしていたのかとっても観たかったのですが、このビデオで発見!ルネが生き生きとステージでどのように歌ったらいいかなどを見せています。ルネは、昨年のミュージカル「雨に唄えば」の練習や公演ですっきりした体型のままの様子で若々しい!

Facebookの番組ページには、youtubeでは紹介していない番組に関するビデオがたくさん紹介されています。昨年5月にこの番組の準備がスタートしたころのミーテイングのテーブルについていつものよう他の出演者や番組関係者を笑わしているルネの姿も見ることができますよ。元気そうな最近のルネの姿をみたいルネファンは是非観て下さいね。




 ミーテイング中のルネのビデオ
服装などから考えると、番組のプロモーション用の写真の撮影は、このミーテイングの後に行われたのだと思います。(Facebookのアカウントを持っていないと観ることはできません。)


で、今シーズンのショーで優勝した家族は? Latreille ファミリーでした。このビデオはこの家族の最初にステージの様子です。




では、いよいよ!。。あのビデオです。

 以前お話していた第12回東京音楽祭(1983年3月)前夜祭のテレビ番組からのルネとナタリーの様子をご紹介しましょう。ルネはこのとき、音楽祭のプレゼンター(結局はグランプリ受賞者への花束贈呈のみに終わったのですが)、そしてナタリーの日本でのシングルレコードを発売するためのプロモーションのために来日していました。このビデオは私がビデオテープに録画していたTBS「第12回東京音楽祭(前夜祭のパートも含む)」の 番組からの抜粋です。これから数回に分けて、ルネとナタリーが出演している部分のみを紹介していくつもりです。今回は、そのうちの2つのパート。



一つ目のビデオは、パーテイ会場の司会の三雲孝江さんと生島ヒロシさんがルネとナタリーにインタビューする前に、歴代の受賞者やゲストなどについて昔のビデオを観ながらお話をしていくのですが、その最後に第3回東京音楽祭でグランプリそしてゲストだったフランクシナトラ賞を獲得したルネが、黒いスーツで涙をこぼしながら感動的に受賞曲「ミドリ色の屋根」を歌う姿の場面。最後の部分でルネとナタリーの姿がちょっと見えます。




二つ目は、一つ目の最後に出てきたルネとナタリーの場面からスタート。(最初の部分が途中からになってしまっていますが、その後また最初の部分から観る事ができるようになっています。あああ、編集が。。ちょっと失敗してしまいましたね!)ルネとナタリーが司会の二人にいろいろとインタビューされています。このお話の内容については過去の記事で詳しく紹介していますので、そちらも参考にされて下さい。そして、最後の場面で登場するのは、翌日の音楽祭でも司会をしていた朝比奈マリアさんと井上順さんです。マリアさんがルネとナタリーを紹介し、ステージに呼んでいるところで終了。このあと、ルネとナタリーは、あの「ミドリ色の屋根」を二人で日本語とフランス語で歌います。多くの意味で感動の時間とステージの二人の姿。このことについても過去の記事で書いています。


みなさま、この二つのビデオ、楽しんでいただけますように。涙がでてしまう。。。というファンの方もきっと多いかもしれません。。。実際にこのインタビューとステージを会場で見ていた私は、もう涙なみだの時間でした。。。みなさんはどうでしょうか。。。

もうこのビデオに関しては何も言うことはないでしょう。。。みなさまのご感想を楽しくというかちょっと複雑な想いで想像していたいと思います。

日本やケベックのルネのファンの方たちとルネの思い出、ルネへの想い、現在のルネについてお話ししたい、ルネを通してお友達を作りたい、そしていつの日かルネをもう一度日本へ呼ぶための活動をする一人になりたい!と思っていらっしゃる方は、是非、フェイスブックのルネファンのサークルへおいでくださいませ。そこには、39年前と同じ!ように「ルネを夢見る世界」が広がっています。。。フェイスブックへで私たちを見つける方法は、右側のセクションの上の部分に書いてあります。


Riko Auckland

3.2.13

京都 2度目の平野屋さんへの旅 その2


京都 奥嵯峨野鳥居本にある400年続くという平野屋さんへの旅、その2です。今回の記事で一番みなさんに紹介したいと思っているのは、平野屋さんの現在の女将さんが、ルネの撮影が平野屋さんで行われたことに際して覚えている事、女将さんの感想などです。

でも最初に、先週お話ししていたことの続きとして、平野屋さんでいただいた鮎と精進料理 のランチの写真を紹介していきたいと思います。日本には、たくさんゆっくりできるいい所がありますが、ルネがまだあの絣の着物と羽織を着て、あの平野屋さんの縁台に座っているような気がしているファンのみなさんにとって、ゆっくり静かに過ごせる場所で、あの13、14才のルネに会えそうなところに行きたいなら、この平野屋さんを訪ねるのがいいかもしれませんね。10日ほど休みなしに母の看病をしていた私は、どこよりもこの平野屋さんに一刻も早く到着して、心からの深呼吸をしてホッとしたかったという気持ちでいっぱいでした。

では、私が通されたお部屋の様子をビデオでとりましたので、ちょっと観てみましょう。





 ガラス障子の向こう側には、出窓ふうなスペースがありました。お隣にもお部屋があり、向こうに見える場所にも、こちら側より中がモダンなお部屋がいくつかあります。

 出窓の下に見えるのが、鮎の生け簀です。この時期は、鮎が大きくなって、メスかオスかを見分けられるようになっていて美味しい時期だと仲居さんが言っていました。


ビデオを撮っていると、しばらくして、ルネも食べたという「志んこ」(しんこ)という少しねじれが入って、ニッキ味のするお団子(きな粉付き)とお茶が運ばれてきました。最初に、お団子というのも変わっていますね。でも、おなかがすいて、歩いて疲れていたので、とても美味しく頂きました。


 ランチは、湯豆腐がつく精進料理と、湯豆腐に鮎も付いている精進料理のどちらかということで、最初は、湯豆腐のみと決めたのですが、やはり平野屋さんは、鮎料理で有名なところなのですから、鮎もオスとメスどちらも付けていただきました。そして仲居さんが、台所に伝え、板前の若いお兄さんらしき人が、生け簀に行き、鮎を採ってきてくれました。
 

では、次々と運んでいただいたお料理の写真を続けて紹介していきましょう。


最初の一品と、とてもおいしかったサイダー。歴史のある神戸のサイダーということですが、お店などには出回っていない珍しいサイダーなのだそうです。一品は、たぶん湯葉だったと思います。


次は、フキノトウの佃煮と、土筆(ツクシ)の煮付け(かな)ウドと麹みそ。あと二つは、何だったのか。。。思い出せません。


そして、いよいよ嵯峨野の湯豆腐の用意が。



 廊下を挟んで見えた土間の入り口に面したお部屋の風景がとても好きでした。


 湯豆腐と一緒に食べる薬味や、小魚の甘煮、そして鮎。鮎には、ポン酢とわさび?だったでしょうか。そんな味のつけ汁が付いてきました。とっても美味しい!鮎をメスの方から食べ始めた私は、とても苦労して骨を食べないようにいただいていたのですが、めちゃくちゃになってしまって、見苦しいお皿になっていました。そこへ、懐かしい女将さんが来られて、ご挨拶をしました。私の鮎の食べ散らかしを見た女将さんが、「まあ、鮎の食べ方をご覧に入れましょう。」と、オスの鮎の背中をお箸で上手に頭から尾のほうまで砕かれて、そして、頭を持って、お箸をスーッと動かすと。。。なんということでしょう!まるで魔法のように、骨から肉がスルスルとはずれ、魚が骨だけにきれいに現れてきたのでした。さすがです!


見て下さい、この違い! メスの鮎は、タマゴを抱えていました。


少し近況をお話して、食べた後でルネのお話をすることに。


 次は、天ぷら。レンコン、とうがらし?栗、茄子、きのこが、香ばしく、とても美味しい。もう満腹感がしてきました。。。


 そして、ご飯、がんもの煮付け(関西では「ひろうす」と言うらしいです。)、漬け物。これが出て来た時は、もう食べられない!と思ったのですが、2日後には、もう日本を離れることが頭をよぎり、こんな美味しい食事はできないのだとガンバって食べました。


最後には、このきんつばと、「おうす」(お抹茶)。きんつばは、まだ表面の皮がちょうどいいくらいのあたたかさがあって本当に美味しかった!お団子に始まって、きんつばで終わるというのもとても良かったです。満足!このランチの合計金額は、たぶん9500円だったと思います。安くはありませんが、私にとって、9500円の価値は、十分にあったと思います。ランチと静かな時間とそして女将さんとお話の時間がもてたのですから。

さて、では、女将さんとのお話を。
お店は午後になるにしたがって、だんだんお座敷のお部屋に入るお客さまがいて、女将さんは他のお部屋のお客さんに挨拶をしたりして、とても忙しそうでした。でも、ちゃんと私とルネについてのお話を長い間してくれて、感謝でした。

以前の記事でも書いていたかもしれませんが、2年前の訪問の時と今回お話したルネの思い出について女将さんがお話してくれたことをまとめておきたいと思います。(探偵みたいですが!)


1ルネが、撮影に来た時は、車で、何人もの人たちとやって来た。そして、もうあの絣の着物と羽織は着ていた。 

2竹林で撮影されたことは、知らなかった。けれどもきっと近くの竹林だろうとのこと。(竹林の道まで行くと柵があって入れないのでルネが竹林に入って撮影できるようなところではなかったこと。そして車でまたわざわざそこまでは行かなかっただろうと私は考えます。)ということで、私も女将さんの意見に賛成。そして、関係ない話かもしれませんが、ルネを刺したヤブ蚊は、もう天国に行っていることでしょう!

  この後にルネは泣きべそを。。。ヤブ蚊め!

 竹林道の柵が無いところを発見。このあたりのヤブ蚊がルネを刺した?でもやはりここは少し平野屋さんから少し離れているので違うかも。平野屋さん付近にも竹林がありましたからきっとその辺りの竹林で、ルネの撮影があったのでしょう。

 竹林の道。ここは、平野屋さんから徒歩で10分ぐらい?だったでしょうか。少し注意して歩かないと迷いそうな経路ですけれど、奥嵯峨野駅の南口から行くと、ここへ向かう観光客でごったがえしという状態なので、その人たちに付いて行けば簡単です。でも私がお勧めするのは、平野屋さんから静かな道すじを(たとえ迷ってしまっても。。)歩くこと。




3撮影していた時の様子
ルネの撮影があった時、平野屋さんの女将さんは今の女将さんのお母さんの時代でした。そして現在の女将さんはその時、まだとてもお若いお姉さんの時代でした。ルネと一緒に撮影されていた水を撒いている着物の女性は、その当時の女将さんではなく、仲居さんだったということです。その仲居さんは、亡くなっているそうです。

ルネは、あの縁台にちょこんと座り、おとなしくニコニコして撮影にのぞんでいたそうです。とっても小さくて、色白で、着物がとてもよく似合って、ほんとうに可愛らしかったそうです。女将さんがそんなルネを見ていたのは、ルネの背後にあるお店の暖簾の陰でだったそうです。

4女将さんは、その時ルネが一体どんな人なのか、なんで有名なのかまったく知らなかったそうです。ただルネという名前、そして時々今もルネがここで撮影したので来てみたというルネのファンが来ることが、ルネに関して女将さんが知っていることでした。



5ルネが来たのは、夏の頃。ですから平野屋さんの大きな暖簾は、白の麻ぽい暖簾。 春と夏それを使い、秋と冬は、紫の暖簾を使うそうです。ひさしの周りにある短めの暖簾は、「ひきまわし」というのだそうで、それは変えないそうです。今使われている夏の暖簾ルネの頃とは少し違っていると思います。ルネの背後にある暖簾には、右側に、「鮎」とだけありますが、先週お話していたホンダのコマーシャルでショーンレノンが座っている背後にある暖簾には、「鮎司」とあります。「ひきまわし」は、同じ物かもしれません。


 

「香魚」(あゆの肉は香気を帯びるとされ「香魚」とも書かれるそうです。)と書かれてある暖簾の向こう側は、昔ながらの台所。今もこの台所で食事を作っているようです。そして、ちょうど仲居さんがたっているあたりで、女将さんはルネの撮影の様子を見ていたのでしょう。

6ルネは、撮影に使われた「志んこ」(しんこ)というお団子を食べた。おうす(お抹茶)のことはお聞きしませんでしたが、あのお団子を食べたのですからきっとお茶も飲んだ事でしょう!ルネの隣に置いてあったのは、急須でしたから、あの時は、おうすでなくて、ふつうのお茶だったのかもしれません。

7ルネが使ったあのお茶のお茶碗は、今は使われていない。でもきっとどこかにしまってあるはずとのこと。でも、きっと「ルネの使ったお茶碗」を探すのは大変なことでしょう。。。お皿も!

8今もルネを想うファンが訪ねてくるときがある。そしてすごいファンになると、そこで泣き出してしまう人もいたそうです。 女将さんが言っていました。「ですから、ルネさんという人はよほど魅力的な人だった/なのでしょうね。」

 9女将さんが、ルネの歌を聴いたのは、私のアイパッドに入っていた「ミドリ色の屋根」と2003年に発売されたアルバムの曲を聴いたのが、初めて!ルネが歌手であったということも知らなかったそうです。ルネのこれまでの歴史のようなことについてお話をさせていただきました。そして、私のお話に耳を傾けながら、アイパッドの写真をパッパッと次から次にめくり、ルネの小さな頃、日本での写真、英語圏やケベックでの青年ルネ、そして結婚、二人のお子さんのこと、現在のルネの様子などを興味深そうに眺めていらっしゃいました。そして、ルネの歌を聴いておっしゃったことは、ルネがとても純粋な人のように感じられること、そしてそれが歌いかたにもあふれている雰囲気。小さな頃の面影が今のルネにも残っていること。それは姿だけではなくて、精神的なことも。

なんともいい風景。。。

女将さんの「ルネさん、ルネさん」という響きが大好きです。とても優しくて。今まで「ルネさん」とルネのことを呼ぶ人に会わなかったからでしょうか。そして女将さんは、「今もこうしてルネさんとのご縁で、平野屋にきてくださったり、想ってくださる人たちがいて、ほんとうに感謝している。」と言われていました。

ルネのことをひとしきりお話した後、女将さんに自由にルネについての思い出などを話しているところをビデオに撮り、このブログにアップしてルネのファンの方達に紹介してもいいでしょうかというリクエストに応えてくださいました。女将さんのお話は、ルネについての思い出全てを語っているわけではありませんが、女将さんの声と人柄がおわかりになると思います。ビデオは、3つに分けてアップいたします。つながりの部分が繰り返しの内容になっているかもしれません。

女将さんビデオ1



 女将さんビデオ2



 女将さんビデオ3





女将さんにはお忙しい時間の中、私の話におつきあいくださって、大変感謝いたしています。帰途につく間際、女将さんがお香入れとお香、平野屋の可愛らしいおみくじマッチ、美味しい葛の花まで!そして絵はがきと平野屋のブックレットなどをお土産に 用意して下さり、マッチをのぞき、他の物は大切にオークランドに持ち帰りました。お香は、本棚の上に置いてあり、そこの前を通り過ぎる度に、京都の平野屋さんの香りとともに、あの縁側にちょこんと座っている小さなルネの香りまでしてくるように思います。そして女将さんの「ルネさん」というお声も。


最後に2年前と同じように、ルネの座った場所で写真を女将さんといっしょに撮り、お別れしてきました。女将さんには、このブログのリンクを送ってありますので、きっと読んでいて下さっていることでしょう。

「女将さんへ
親 切にお話をしてくださり、貴重なお時間をいただき、大変ありがとうございました。ルネについてゆっくりと女将さんとお話できたことは、宝物です。京都を訪 れた際には、また是非寄らしていただきたいと思います。また、ルネのファンの方たちが訪れることと思いますが、女将さんにお声をかけましたら、どうぞよろ しくおねがいいたします。」 リコ

 では、みなさま、「2度目の平野屋さんへの旅 その2」楽しんでいただけましたように。

Riko Auckland


平野屋公式サイト
〒616-8437
京都市右京区
鳥居本仙翁町16
TEL&FAX
075(861)0359
JR京都駅から京都バス72系統清滝行きで45分、鳥居本下車、徒歩5分
営業時間:9:00~19:00(閉店21:00、食事は11:30~、要予約) 
定休日:無休







28.1.13

京都 2度目の平野屋さんへの旅 その1


新年のごあいさつ

Bonne Annee 2013!





大変遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。ずっと夏休みをすごしていたのに、このブログへの記事の投稿を一ヶ月ほどおやすみしてしまっていました。クリスマス頃から義母の容態が大変心配な状態が続き、入退院を繰り返していました。幸い退院ができ、やっと落ち着いた毎日となりました。私の夏休みももう間もなく終わりです。2月に入る前にブログの更新ができるようになり良かったと思います。生きて行くということは、本当にいろいろなことがあるものです。悲しい事や、苦しい事は、たとえ、クリスマスでもお正月にでも起こるのだということを痛烈に実感いたしました。また同時に、大変嬉しいことは、苦しいときでも嬉しく感じられるのだということも。うまくいえませんが、この夏休みは、このようなことの繰り返しだったような気がします。オークランドは、今日がオークランドアニバーサリーというオークランド地域だけが祝日となる日でロングウイークエンドとなっています。お天気も最高で、オークランドのワイテマタ海峡では、セーリングやカヌーレースなどの催し物でにぎわっています。

2013年が、皆様にとって、健やかで平和で、喜びを感じることがたくさんあるいい一年でありますようお祈りさせていただきます。

 
さて、では、今回の記事は、昨年10月、2度目に京都の奥嵯峨野にある平野屋さんへの旅についてです。平野屋さんがルネファンのみなさんにとって、どんな場所であるか忘れてしまったという方は、前回の記事をお読みになって下さいね。



10月に日本へ戻った本当の目的は、母の入院と手術のためでした。そしてその手術の内容、容態の深刻さは、実家に到着したその日に初めて知らされ、そしてその翌日には入院、翌々日には手術という忙しいスケジュールで日本での時間がスタート。ですから、それから10日間ぐらいの間は、ずっと病院での付き添いと看護という毎日。病室で寝たり、家に帰って洗濯、おにぎりを作ってまた病院へという毎日は、想像していたより大変でした。それから、老齢の両親にipad でfacetimeが出来るように猛特訓というのもほぼ毎日。



 facetimeの特訓中。
オークランドにいるうちの猫とパートナーを相手に練習。


というわけで、母の様子が一段落して、さあ、日本での残りの数日一番何がしたいかと自分に訊いてみたら。。。「ゆっくりと平野屋さんに一人で行ってランチを食べること」という返事。そしてさっそくその翌日、京都へ向かう新幹線に飛び乗りました。なりふり構わずまったくの普段着でという感じで、ただひたすら、静かなところでゆっくりしたいという一心だったように思います。何につけてもルネとかかわり合いのあることを考えてしまうのは、自分なのですが、今もこうして「ルネと生きる」というような生活ができることをこんな時でも幸せに感じたのでした。


JR嵯峨野嵐山駅 に2年ぶりで降り立った私は、前回のバスは利用せず、徒歩で平野屋さんに向かうことに決め、iphoneでルネの歌を聴きながら、残暑の中、歩き始めたのでした。そして忘れずに平野屋さんへランチの予約の電話をすると、電話口に出られたのは、懐かしい女将さんの声。そして2年前にお邪魔させていただいてルネのお話をした自分の事をもう一度告げると女将さんは覚えていてくれていました。女将さんにはなんの予告もなくメールもしないで、出かけてしまったのでホッといたしました。駅から歩くのなら30分か40分見ておいた方がいいということで、ランチの時間を決めたのでした。


平野屋さん付近は「嵯峨野鳥居本伝統的建造物群保存地区」なっています。そのいい雰囲気の道をずっと歩いて平野屋さんへ向かいたいと思われる方は、だれもが降り立つ南口ではなく、この北口を降りて、鳥居本のサインをたどって行くとその道が見つかります。ただし貸し自転車で行きたい方は一度、南口へ降り立ち、貸し自転車屋さんを探して下さい。

注* 
平野屋さんに徒歩で、ルネの歌を聴きながら向かいたい場合には、ルネの歌の入っているiphone, ipod, ipadなどには、十分バッテリーを準備しておいたほうがいいですよ。写真をとりながらそしてルネの歌を聴いているとすぐにバッテリーが残り少なくなり、安心した気持ちでルネの歌を楽しむ事ができません。(私が経験者でもあります。)

保存地区までの道を探すまで少し迷うかもしれませんが、この清涼寺までたどり着けばもう大丈夫。この力車の行く方向に曲がります。 (私の来た方向は、お寺の看板がある方向です。)では、バッテリーを気にしながら撮影した平野屋さんまでの写真を紹介していきましょう。



 清涼寺


そしてしばらく歩くと、左手に宝筐院。ここは、女性だけが宿泊できる宿坊でもあります。大変人気があるそうで、予約される方は早めにしておいたほうがいいそうです。何度か宿泊しようとしたことがありませすが、いまだに宿泊できたことはありません。



 このお店は、2年前に平野屋さんでとることのできなかった食事をしたところです。もう夕方であまりお店が開いていないという頃でした。湯豆腐がどうしても食べたくて、このお店に飛び込みました。中に入って行くと、そこは、江戸時代の終わりか明治のはじめ。。といったら言い過ぎかもしれませんが、とっても雰囲気のあるところでした。テーブルもサブトンもとっても小さくて、ガラス戸入りの障子があり、お庭も見えて。。。なんだかジャックと豆の木のジャックになってしまったような錯覚に落ち入りました。おとなりは、瀬戸内寂照さんのお寺。ちょうど瀬戸内寂照さんがお話をされている時とかで、女将さんと二人で聞き耳をたてましたが私にはよく聞こえませんでした。。。



 そして、ここが化野念仏寺への入り口に向かう石段。まだ紅葉には早すぎ、緑がとてもきれいでした。




そして少し歩くと、あの懐かしい、そして特別なルネの思い出のある赤い鳥居が見えてきました。このあたりに平野屋さん専用の駐車場もあります。


 この写真、なかなかいいと思いませんか。ルネが鳥居の下の石段に座ってすこし右上を見ていたあのかわいらしい姿を思い出すからです。ルネが右上を見上げた頃は多分8月頃。緑がもっと生き生きしていた頃だったのでしょうね。


 ルネが見上げていたのはこの辺り?
(バスが走る道路がこの樹の上にあります)

ルネは、この石段の4段目に座っていたのですね。 この時の写真を見てみると、ルネは、あのかすりの着物を着ていませんね。女将さんのお話では、ルネが平野屋さんで写真撮影をした時、ルネは、すでに着物を着ていたそうなのですが、一体どこで着替えをしていたのでしょう。それともこれは、大覚寺でお茶をすすった時のルネの服装と同じですから、翌日または前日に写されたものなのかもしれませんね。化野念仏寺でのルネもこの服装だったと覚えています。

 


 この写真は、2年前の12月に平野屋さんを訪問した帰り、化野念仏寺に寄ったときに撮影したものです。ミドリ色の屋根は永遠にのkeiさんにお借りしたルネの雑誌の画像にある場所を見ると、記憶に残っていた通り、まさにルネが石を積んでいたのは、まさにこの辺り!真ん中の大きな石塔の右側の石塔だったのではないでしょうか。こんなことに喜んでいるのもおかしいことかもしれませんが、大感動!これから化野念仏寺に出かける方は、入場料500円(だったと思います)を払って、この同じ石塔に石を積んで来て下さいね。笑 10月の訪問の時には私はこのお寺には寄らずに帰ってまいりましたけど。


 では、平野屋さんへ行ってみましょう!

この写真で思い出しましたが、facebookでのルネの日本のファンのお友達が、前回の記事を見て、今日本ではホンダの車のコマーシャルで、この平野屋さんが出ているということを教えてくれました。そこに出演しているのは、ジョンレノンの息子さんのショーンレノン。そして一番最初にでてきた東寺は、パートナーと出かけていた思い出のあるお寺でした。ご紹介しておきましょう。かわいらしく「ちょうどいい!」を繰り返していますよ。

このサイトでこのコマーシャルのビデオも観ることができます。




では、ルネの座った場所を見ながら、中へと入って行きましょう。


 ランチをするために通された部屋です。もちろん個室。落ち着いた昔ながらの日本間という感じのところでした。障子を開けると、平野屋さんの有名な鮎の生け簀が手前にあり、その向こうには、池があります。障子の近くに置いてあるのは、私のデイパックとお茶のボトル。。。!ここに写ってしまっていたとは気がつきませんでした。そうです、私は、デイパックを(またしても)担いで出かけていたのでした。

 ずっと歩いて汗をかいていた私は障子を開けさせていただいて気持ちのいい風で、涼をとることができました。この部屋に座ってこの眺めを見た時、初めてホッとできたと感じました。ルネの元へ来れたというか、自分の来たかった場所に来れたというか。。。ここで初めて癒されるという気持ちがしました。

 お部屋の入り口の障子。廊下もお部屋もさすがに築400年という雰囲気でまるで博物館の一室にいるようでもありました。



 そしてすぐに仲居さんがお茶とおしぼりを持って来て下さいました。そのあとは、ランチのお料理を何にするかについて。。。と楽しく美味しい時間が過ぎて行ったのでした。


今回の平野屋さんでの時間の中で一番嬉しかった事は、やはり女将さんとのお話がゆっくりと二人でできたこと。そして、 前回の時に、女将さんにお見せする事ができなかった現在のルネの写真やビデオでお見せすることができたこと。ipadにたくさんのルネとルネの歌を入れて持参していたのですが、それを女将さんは、なれた手つきでひょいひょいと次々にルネの画像を観て、感想を述べてくれたのでした。「ipadを私も使っているんですよ!便利ですよね!」といいながら。可愛らしかったです。



みなさんは、信じられないかもしれませんが、女将さんは、ルネがあの時どんな歌を歌っていたのか、どういう人だったのか、まったく知らなかったそうです。そして今回ルネの歌「ミドリ色の屋根」をipadで聴くまでまったく聴いたことが無かった!のです。ルネがどんな人なのか、かいつまんで、ささーっとお話して、現在の父親、夫としてのルネ、現在の様子などをお話しました。ルネの息子さんと娘さん、そして奥さんと一緒にいるルネを観て、幸せそうですねと言われていました。


そして、ルネの歌を聴いたあとで、女将さんは、 「この子は、とっても心が澄んだ歌をうたっていたんですね。」見た感じと同じ純粋さを感じられると。そして現在のルネを見て、「今もその面影があって、ステキに年をとられている」と。その時の女将さんの言われた言葉通りではないかもしれませんが、確かに女将さんはこのようなことをおっしゃってくれました。



続きは次回です。次回には、女将さんがルネについてお話して下さったビデオを紹介いたします。女将さんには、昨年発売となったルネのCDとブックレット、2003年に発売になったルネのCD(本物ではないんですけど。。。)をお送りしましたので、感想を聞くのを楽しみにしています。




Rene to Japan!

 あ、そうでした。ルネのCDを受け取ったローラさんは、今まで聴いたことのなかったルネの曲をはじめ、このCDに付いていたブックレットの中のルネの姿、そしてこのCDが今でもルネとルネの歌の思い出を大切にしている日本のルネのファンのリクエストで実現化したものであるということを知って、大変感動されています。そしてルネのファンページpassion simardへのページにルネ宛に、ルネは、1974年の記念の年である来年の2014年(なんと40周年!)絶対日本に行ってファンの人たちのためにもう一度何かをするべきだというメッセージを書いています。そしてfacebookに集う日本のルネファンに向けて、Rene to Japan!というスローガンで、ルネの関心を引くというようなメッセージを送って来ています。もし、ルネが日本にきてまたファンのために歌いたいという気持ちになったらとても素晴らしい事です。そのときがいつ来るかわかりませんが、facebookに集う日本のファンが力を会わせてルネが来たときのための計画をスタートしようということになりました。

小さな規模でもどこか素敵なホテルでルネのデイナーショーなどが実現できましたらほんとうに胸がいっぱいになることでしょう。そしてプロではなく、私たちファンの手でそのお手伝いができたら!ルネのファンであるみなさんも、この大冒険の計画に参加されませんか。あるファンは、もうどんな服を着ていったらいいかという可愛らしい心配をされています!果たしてこの想いがルネにとどいて、そしてどんな形でもルネを私たちの手で日本に呼ぶことができる日が来るのでしょうか。ルネと出会ってから39年目の夢は、まだまだ広がって行きます。

それでは、また次回に、平野屋さん(の記事)でお会いいたしましょう!


 riko auckland