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14.2.15

フェリスイタスイヨン、おめでとう、ルネ! ルネのオタワでのカナダ勲章「メンバー」授賞式


みなさま、ハッピーバレンタインデー!今日はドキドキワクワクのステキなバレンタインデーになりますように。この週末は、バレンタインデーということもありますが、ルネにとっては、格別特別に嬉しい週末となることと思います。理由は今日のブログ記事を読んでみるとお分かりになると思います。

私のバレンタインデーもどうなるのか、ちょっとワクワク!笑 私の様子はというと、夏休みが終わり、私の仕事もスタートして、なかなかルネのブログ記事を書くのに時間がとれない毎日が続いています。でもFacebookのほうでは、ルネに関するニュースや情報を毎日のように紹介していますよ。みなさんも良かったら「ルネシマール」「golden limited bestルネシマール」のグループページとコミュニティーページに参加してくださいね。ルネの様子をいち早く知ることができます。


さて、今回の記事は、ルネの「祖先を探す旅その3」完結編の記事を書こうと思っていたのですが、それよりも先に、カナダ時間で2月13日金曜日にルネがオタワでのカナダ勲章授章式に出席、メダルの授与を受けたというニュースが入ったので、このニュースの記事を紹介しておこうと思いました。そして、昨年9月のジェミニ賞授賞式での司会者としてのルネのオープニングのステージの様子のビデオの紹介です。そうです、あの紫色のドレスを着て、踊り歌っているルネです!


では、先ずは、カナダ勲章授章式の様子から見て行きましょう。


Félicitations. Rene!
フェリスイタスイオン、ルネ!
おめでとうございます、ルネ!
ルネ、メンバーズオブザオーダーオブカナダ勲章授章おめでとうございます!




ルネの胸には、カナダ国内でのエリザベス2世女王代理として存在するガバナージェネラル(カナダ総督)であるデビッドジョンソン氏から授与されたmembers of the order of Canadaという勲章が付けられています。授与するのは、あくまでもエリザベス2世女王です。同じ内容の勲章が、私の住むニュージーランドでもあり、エリザベス女王の代理のニュージーランド総督から授与されます。

このカナダ勲章は、カナダのために功労した人たちが周囲の人に貢献理由と共にノミネートされ、さらにそこから関係機関により調査検討というプロセスにより授与されます。ルネへの授与が決定された昨年のニュースの内容では、ルネのケベック文化とその発展のために仕事を通して貢献したという姿勢がその理由となっていました。この画像の下にもその理由が説明されているので、読んでみましょう。
その英文です。

René Simard, C.M. (Lorraine, Quebec) has held a special place in our culture for over 40 years. An iconic figure in music in the 1970s, he began his international career when he was 14 years old and has now recorded over 40 albums. He has also stirred people’s hearts as the host of galas and variety programs in Quebec and across Canada, and as the director and artistic director of major musical productions, including Génération Motown and Elvis Story. He has been very generous with his time and has, for many years, been the spokesperson for the Fondation québécoise pour la recherche sur l’implant cochléaire and the Fondation Sourdine, which help children with hearing disabilities.

日本語訳:

「ルネシマール C. M.(カナダ「メンバー」勲章が授与された人たちの名前の後には、このC.M.というタイトルが付きます。)(ケベック Lorraine在住)は、この40年間の間、カナダ(ケベック)の文化活動において特別な存在であり続けています。1970年代の音楽界を代表する歌手、ルネは、14才で国際的な仕事をスタートし、現在までに40枚ものアルバムを世に出しています。また、ジェミニ賞授賞式などの祝典の司会や様々な番組やショーへの出演を通してケベック州はもとよりカナダ中の人たちに愛と感動を与えてくれています。「ジェネレーションモータウン」や「エルビスストーリー」などのミュージカルのデレクターやアーテイステックデレクターとして制作に関わってきました。ケベックにある手話を使わずに聴覚障害のある子供達を教育する学校、École oralisteのための基金を集めるための財団、Fondation Sourdineのスポークスパーソンとして何年もの間働いています。」


その学校、Ecole Oralisteのサイトで紹介されていたルネと奥さんのマリージョセが(2人は2012年から2017年までの5年間、基金のプロモーションをするスポークスパーソンとしてサポートをしています。)子供のためにベストを希望する親たちへメッセージとすべての子供たちがきちんとしたアカデミックな教育を受けることの大切さについて気持ちを込めて話しているビデオが紹介されています。そのページには、学校が直面している問題と子供たちの教育についての目標が書かれています。


「聴覚障害に負けず、話したり、書いたりすることが普通にできるようなプログラムをもっと充実させ、そしてアカデミックな教育を子供達が受けられるようにする。将来社会にでて他の人たちと同じように生活でき、自分が本当に希望する仕事ができるように育てること。またリハビリテーションの充実も図る。」


カナダ勲章について 
wikipedia日本語ページより


カナダ勲章(カナダくんしょう、Order of Canada)は、カナダ勲章の1つ。勲章のラテン語モットー「Desiderantes meliorem patriam(よりよき国を望む)」で示されるような、カナダにとって功労のあった人に与えられる。

カナダに生涯に亘って功績を残したカナダ人を称えるために、カナダ自治領成立100周年記念として1967年レスター・ピアソン首相の提言の元、創設された。この勲章はカナダ人以外でも世界に貢献した人物に与えられる。音楽家政治家芸術家、テレビタレント、慈善事業家にも与えられた。女王エリザベス2世が勲章の授与者であり、その代理としてのカナダ総督が授与する。1967年以来、5000人以上が受勲している。
カナダはイギリス連邦に属しているため、イギリス連邦のメリット勲章が民間人の受けられる最高位の勲章となり、カナダ勲章は第2位の勲章である。他に、軍人向けとしては軍事メリット勲章(カナダ独自)、警察官向けとしては警察力メリット勲章(カナダ独自)、王室関係者向けにはロイヤル・ヴィクトリア勲章(イギリス連邦)、医療従事者向けにはエルサレムの聖ヨハネ病院勲章(イギリス連邦他)がある。

カナダ勲章には上から順に次の3ランクがある。それぞれの受勲者は名前の後に略称(C.C.など)を付記することが出来る。
  1. コンパニオン (Companions of the Order of Canada, C.C.) :最高位。毎年最大15名まで授与されるが、生存者としては同時に165名まで存在できる。
  2. オフィサー (Officers of the Order of Canada, O.C.) :毎年最大64名まで授与される。
  3. メンバー (Members of the Order of Canada, C.M.) :毎年最大136名まで授与される。
  4. 非カナダ国民 (Non-Canadian (Honorary)) :毎年最大5名まで授与される。

    勲章のデザインは、雪の結晶をかたどったものである。コンパニオンとオフィサーは金箔、メンバーは銀箔である。中央にはコンパニオンには赤エナメル、オフィサーとメンバーにはそれぞれ金と銀でメイプルリーフがあしらわれる。

    ということで、今後は、ルネの名前の後には、C.M.というタイトルが付くのかもしれませんね。

    それでは、カナダ総督のサイトページで紹介されていた授賞式の様子を見てみましょう。



    カナダ勲章メダル

    The Governor General presided over an Order of Canada investiture ceremony at Rideau Hall, on Friday, February 13, 2015. He bestowed the honour on 2 Companions, 8 Officers and 36 Members. カナダ総督は、2015年2月13日金曜日に、Rideau Hallにおいて、カナダ勲章のコンパニオンメダルを2名、オフィサーメダルを8名、そしてメンバーメダルを36名に授与した。





    デビッドジョンソン カナダ総督からの挨拶

    "You excel in so many fields and come from such a variety of backgrounds," said His Excellency. "From sea to sea to sea, the members of the Order of Canada touch all corners of this country. This ceremony is an opportunity to say thank you, on behalf of all Canadians, for all you have done." 「みなさんは、様々なバックグラウンドをお持ちの様々な分野で素晴らしい貢献をカナダのためにされています。カナダ勲章を授与されたみなさまは、カナダの西の海から東の海にいたるまでカナダに住む人たちの心を励まされました。この授与式は、そんなみなさまに、カナダの全国民を代表して「ありがとう!」と言う機会でございます。」



    Established in 1967 by Her Majesty Queen Elizabeth II, the Order of Canada is the cornerstone of the Canadian Honours System, and recognizes outstanding achievement, dedication to the community and service to the nation. The Order recognizes people in all sectors of Canadian society. Their contributions are varied, yet they have all enriched the lives of others and made a difference to this country. カナダ勲章は、1967年、エリザベス2世女王により設立され、カナダのコミュニティーや国に貢献した人たちに名誉を与え、その功績を認める役割をしています。その功労は多岐にわたりますが、カナダ人の生活を豊かにし、さらにカナダという国を素晴らしいものにしてくれたものばかりです。




     嬉しそうに誇らしげに並んでいるルネの姿が見つけられますか。ルネは、最後列の向かって右から3番目にいます!




    出席者全員でお互いのために拍手をしあっています。




    今日ケベックのテレビニュースで紹介された授与式に望むルネの様子。上記リンクから、このビデオを観ることができます。ルネが登場するのは、14秒のところからです。



    最後になりましたが、昨年9月にジェミニ賞授賞式で司会をつとめたルネのオープニングのステージ、そしてルネと見分けがつかないほどの特殊メイクをしたルネのスキットなどの様子を20分間観ることができるビデオをpassion rene nathalie et regis simardのソフィーさんとジゼルさんがfacebookのページでシェアされています。このページは、facebookアカウントがなくても見ることのできるページですので、リンクを使ってぜひ見てくださいね。!オープニングでは、黒のタキシードスーツから白のスーツ、そしてあの紫のドレスへと歌い踊りながら、次々に七変化するルネ。ルネの歌を長い間楽しむこともできて見応えがあります!

















26.3.13

第12回東京音楽祭のルネとナタリー ビデオ ルネの記事


 ビデオトラブル!

今回の記事は、とっても遅れました!なぜかというと、どうしても今回の記事に使う予定だったルネとナタリーのビデオがこのページにアップロードできないという今までには経験しなかったトラブルが(大げさですね。。。)発生していたのです。。私のビデオの編集とそれをexportするプロセスでおかしくなってしまっているのか、または、ブロガーのサイト自体が少し変わったのか。。毎夜のようにいろいろと方法を変えてアップしようとしていたのですが、「もう、疲れた!」という気分になりつつあるので(笑)、このままの状態で一応記事自体のアップだけしておこうと思います。ビデオは、引き続きアップの努力をいたしますので、そのアップの時を楽しみにお待ちくださいませ。今のところ、ビデオを見ようとしてもエラーのメッセージが出てしまいます。


日本のルネのファンのお友達がまたお一人増えました!

フェイスブックの日本のルネファンの輪に、先日またお一人お仲間が増えました。「ルネを日本へ」のグループに参加されたいと連絡がありました。とても嬉しいです。そしてフェイスブックにいるファンの方達も嬉しそうです。いっしょに交流が持てることを楽しみにしていたいと思います。

私たちのように、いまだにルネを想い、昔の思い出、そして現在のルネの様子などについてお話したりしたい、そしていつか、ファンの手でルネの来日を実現させたいと願うルネのファンが日本には一体どのくらい残っているのだろう。。。というのが私のいつも考えることだと前回の記事に書いていたと思うので、このルネのファンの方の出現は、心が震えるほどに嬉しいことです。このブログやkeiさんの「ミドリ色の屋根は永遠に」のブログを読んでいてくれたそうです。ルネのことについて現在でも身近に感じられるということがとても嬉しいとお話して下さいました。ルネのことを想うファンのみなさまに一人でも多く出会うことができるのをみんなで楽しみにお待ちしております。どうぞ、フェイスブックのアカウントをお持ちになり、もう一度ルネファンとしてひとつになりましょう!アカウント名は、本名でなくても大丈夫です。



 それでは、以下がずっと書きとめていた今回の記事です。

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今夜の記事は、前回に引き続き、1983年3月に行われた、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネとナタリーの様子。そして翌日の音楽祭のステージの最後で、グランプリ受賞者に花束を渡す二人の姿のビデオを紹介します。そして、この来日を果たす前に日本に行くことついて語っているルネの記事のこと。





この記事は、公式のファンクラブを持たないルネがほとんど公式のように認めているジゼルさんのpassion rene nathalie, regis simardというフェイスブック上にあるファングループのページでジゼルさんが公開してくれた、1983年の切り抜きです。

このページは、だれもが見られるページです。vippassion simardという、もう一つのページがあり、そこでは、passion rene nathalie regis simardのページでは、公開されていない画像やビデオを観ることができます。このページのメンバーになりたい方は、まず、passion rene nathalie regis simardのページのlikesを押し、vippassion simardへお友達リクエストをするとメンバーになることができます。この vippassion simardのメンバー(お友達)となると、passion rene nathalie et regis simardのページでは、最後まで観ることのできなかったビデオや、そこでは紹介されていない画像なども見ることができます。そして、ルネのことが本当に今も好きな人たちが集まっているので、その方達とも翻訳機能を使ってお話することが可能です。

それでは、まず、ビデオから観てみましょう。最初のビデオは、今まで紹介したビデオに続いているものなので、今回紹介するのは、パート5と6と7になります。パート5では、ルネがナタリーが日本でデビューすることを紹介している様子。パート6は、ナタリーの日本デビュー曲の「五月の手紙」を歌う様子。そしてパート7は、音楽祭の特別ゲストのバリーマニロウの紹介の様子。ステージの終わりでルネとナタリーが花束贈呈をする様子です。

第12回東京音楽祭前夜祭パート5:
ルネがナタリーの日本デビュー曲の紹介をしています。








パート6
ルネに紹介されて、ナタリーがいよいよ「五月の手紙」を歌います。




   
 パート7
音楽祭の特別ゲストとして来日したバリーマニロウの紹介です。ここで、バリーは、私が今まで気がつかなかったことを言っています。来日するのは、この時がまったくの初めて。そして音楽祭のあとの2週間は日本全国で、コンサートをする予定なので日本のいろいろな地域を見るのが楽しみだと言っています。東京では、渋谷のNHKホールで少なくとも2度したことは覚えています。私は、そのどちらにも行っていたような気がするのですが。。。本当に2度行ったかどうか記憶が鮮明ではありません。でもコンサートの様子は、よく覚えています。とてもすてきでした。ファンを舞台に上がらせていっしょに歌をうたったり、ダンスをしたり。一人だけでしたから、会場のファンはとってもうらやましがっていました。さよならする時には、もちろん頬にキスをしてお別れ。次回の記事には、世界大会のゲストとしての彼のステージの様子を少しご紹介したいと思います。この時にバリーは、42才くらい。まだとっても若々しくて可愛らしいです。ルネは、この東京でのバリーのコンサートに出かけていたそうです。NHKホールのあの会場のどこかでルネもこのステージを見ていたのでしょうか。





  

パート8
これは、前夜祭の翌日の晩、東京武道館での12回東京音楽祭世界大会のグランプリ発表の様子です。史上初の2組のグランプリ受賞者。その2組に、お祝いの花束を渡したのが、ナタリーとルネでした。最後の最後にほんの少しの時間だけ、舞台での二人の姿を見る事ができたのです。ルネは、特別ゲストとして来日と言われていましたが、バリーのようなおおきなステージを任されるゲストではなく、結局花束贈呈だけを頼まれた。。。。ということはとってもショックでしたけれど、今考えると、ルネの来日は、どちらかというとナタリーの日本でのデビューをサポートするためという目的だったのだと思います。ナタリーとルネの姿は、2分ぐらいの場面で現れます。







ルネの記事から


この記事は、ルネがナタリーと来日した1983年の終わりごろ、または、84年のはじめの記事のようです。レポーターが、この83年の一年のことについてルネに聞いています。どのような年であったのか、どう思ったのかなど。ルネは、以下のようにお話しています。

「この一年もたくさんの素晴らしい事がありました。それをひとつひとつリストアップしたら、お話するのに大変な時間がかかってしまうでしょう。ボクの仕事のことをお話するなら、それは、ナタリーと一緒に日本に行ったことです。とても感動しました/心を動かされました。そして、それは、ボクが1974年にグランプリを受賞した東京音楽祭のそのステージだったのですから。」

ルネは、日本に行ったことをとても喜んでいたとジゼルさんがこの記事をシェアする時に書いてくれました。それをとても嬉しく読みました!

次回は、バリーマニロウのステージの様子を少しと、ルネとナタリーが出演したモーニングショーの様子 のビデオもご紹介できたらと思います。お楽しみに!

riko auckland

10.3.13

ルネの誕生日で想ったこと/第12回東京音楽祭前夜祭2


今夜は、ルネのToujours Plus Loin というアルバムを聴きながら、どんな記事を書こうかとまだ考えています。83年の第12回東京音楽祭前夜祭のステージに立ったルネのビデオの続きをアップしようと思っているうちに、そのビデオの編集が済んでいなかったので、また前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今夜はそのビデオも紹介します。


ルネの誕生日、そして想った こと




ビデオの前に、ルネの誕生日で想ったことを少し 書いてみたいと思います。

先週の2月28日は、ルネの52才のお誕生日でした。 フェイスブックの日本のルネのファンの皆さんとオンタリオ州のルネファンのローラさんとで、一枚のバースデーカードを作り、ジゼルさんのVippassion Simard のページに送りました。大勢のケベックのファンも気に入ってくれたようです。カードは、それぞれがお気に入りのルネの画像を一枚選び、そこにお誕生日のメッセージとそして' Rene to Japan!'の一言を添えたものをコラージュ風にしたものでした。これは、みんなで参加する「ルネを日本へ!(もう一度呼びましょう)」のブロジェクトの最初のイベントとして企画したものでもありました。フェイスブックでは、「Rene to Japan! ルネを日本へ!」というグループページも作ってあります。

できたらみなさんで作ったそのカードをここで紹介したいのですが、みなさんに許可をまだいただいていないので、私のカードの部分だけをアップいたします。



 「ルネを日本へ!」という夢は、まだてしなく夢のままですが、その夢への小さなプロセスを、プレッシャーや、苦痛を感じるのではなく、楽しみながら勧めていくのが大人になった私たちがしたいことだと私は思うのです。ルネを日本に呼ぶということだけが目標ではなく、それまでのプロセスを「ルネとファンとの切れた糸をつなぐ」という時間に使えたら、それはとても素晴らしいことだと思います。ルネが日本のファンについて現在どう思っているのか、どれほどの気持ちがあるのかよくわかりませんが、時が流れ、時代が変わってお互いに大人になり、昔とはちがったもっと近いファンとルネの関係が作り上げられたとしたら。。。考えるだけでとても興奮してしまいます。

そして、他のファンのお友達との信頼関係を築くことも大切だと思います。それがなければ、一緒にルネを日本へ呼ぶという夢も叶うことはないのですから。昔、高校生だった頃に手紙のやり取りだけで他のファンのみなさんと交流していたことが、今では、ネットで簡単に交流ができるようになりました。特にフェイスブックでは、一人一人が、コメントを書いたり読んだり、日常生活からの画像のアップなども簡単に出来るので、お互いの事が他の方法より分かってくるように思います。それぞれが、「自分」を表現できる場所だと思います。


それから、いつも思うのは、ルネにまた日本に来てほしい、そして昔と同じような気持ちでいつづけるルネのファンが、はたしてどのくらいいるのか?ということ。昨年のルネのcdの発売でもどのくらいの数のリクエストがあったのか、わかりませんが、そのリクエストした全員が、懐かしいという気持ち以上にルネのことをまだ思い続けているのか? ということ。私たちの年代でフェイスブックをしている人は、まだ少ないのかもしれません。でもまだ出会えていないかもしれない多くのルネのファンの方たちがほんとうにいますように。そして「是非フェイスブックでお会いしたい」と思うのです。


昔のルネの話、そして現在のルネになるまでのこと、現在のルネのことをたくさんお話して、関係のないことも楽しくお話して、お互いを知り、ルネのことも知り、ルネにもメッセージを届け。。。という時間を持ち、いつかそのファンの方たちと共にルネを(どのような形でも)日本に迎える日が来たら、ルネにとっても、私たちファンにとっても、それはそれは、素敵な夢の実現になると確信します。



それでは、1983年3月、第12回東京音楽祭前夜祭からのルネのビデオです。これは、前回の記事のビデオの続きで、パート3ということで紹介いたします。前夜祭パーテイ会場でのインタビューが終わり、司会の朝比奈マリアさんに紹介され、ナタリーとルネが会場のステージへ立ちます。このパート3では、ルネの英語での挨拶からナタリーと「ミドリ色の屋根」をデユエットする直前まで。ルネは、とっても紳士的にオトナのルネとして頼もしくお話しています。この時、ルネは22才、ナタリーは13才です。




そしてパート4として編集したのは、ルネの挨拶のあとに歌われた「ミドリ色の屋根」のステージ。このステージを目の前で観ていた私には、感動を通り越してのショック以外の何ものでもなかったこのステージ上のルネとナタリーの姿と歌声。ルネが突然日本から姿を消してしまったあの1976年以降、初めて目にする本当のルネ。それまで、10代後半のルネの姿、20才になったルネの姿は写真では知っていましたが、私にとっては、14才のルネが一気に22才として現れ、妹のナタリーは、顔や姿、声まで13、4才のルネに生き写し。。。という二人の姿を同時に見て、しかもその二人があの「ミドリ色の屋根」を一緒に歌っている。。。あれほど会いたかったルネ、日本に来てほしかったルネは、ファンには何の前ぶれもなく、ファンの気持ちとは関係のないところで実現したルネの来日。嬉しくて胸がいっぱいなのですが、それは、嬉しいだけの気持ちというより、「複雑な嬉しさ、そして悔しさ」感じながら、胸がえぐられる?ようなそんな気持ちで、涙があとから後からこぼしながら、ステージのルネとナタリーを見ていました。。。

メープルメイツ2やボンジュールルネというファンで作っていたファンクラブでは、1976年ぐらいから、アルファレコードやCBSソニー、東京音楽祭事務局へ、ルネの来日を願う署名を送ってはいたものの、それは、このルネの来日の4年ぐらい前には、終わっていたのです。




83年の時には、まだ知らなかったことばかりでした。ルネがどうして日本での活動をやめることになったのか。でも、現在では、ルネが置かれていたその頃の状況のことが分かり、理解できているので、このビデオのルネとナタリーのステージを、今は、落ち着いた気持ちで見ることができるのがとても嬉しいです。そして、ルネのファンの皆様にその時の気持ち(これは以前にもよく書いていたことでしたね。)をシェアしながら、一緒にこのルネとナタリーの「ミドリ色の屋根」のステージを観ることができるのもとても嬉しく思います。

次回には、ナタリーの「五月の手紙」のステージ、そしてルネとナタリーが花束贈呈をする場面のビデオを紹介したいと思います。


Riko Auckland


24.9.12

モントリオール1985年の夏休みーその23(Ottawa 5 ルネとの時間1)



ファイナルエピソードを楽しみにしていたみなさまへ


この記事をずっと読んでいただいていたみなさまは、きっとこの週末にこのエピソードが終わると思っていた事でしょう。私も思っていました。。。けれども、次の週末といっても金曜日の朝ですが、急に日本に行くことになりました。この日本行きのことと、仕事が休暇前の追い込みの時期に重なって、この週末は、午前1時15分の現在までの時間まで仕事を続けなければなりませんでした。この記事は、日本へ発つ前までには、仕上げたいと考えています。下にあるのは、以前に少し書いておいた事ですが、その部分だけを今夜は、アップして眠りたいと思います。そして、続きを最後まで書いて日本へ行きます。


それから、ジョセフ君が、フェイスブックで日本のファンの次のリクエストに答えて下さり、ルネの日本でのファーストコンサートのライブ盤の中で何を話していたのかを英語に訳してくれましたので、それを日本語でご紹介しておきましょう。


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ルネとの時間



ずっと続いていたこの「モントリオール1985年の夏休み」の記事も、その23となり、この23回目で最終回となります。(たぶん!)そして、私がこれから書こうとしている記事の内容は、先週までの記事を読んでいただいていたならば、覚えていらっしゃると思うのですが。。。オタワでコンサート後、「楽屋でルネ本人に会う」ということになったのでした。コンサートに招待してくれた、ルネとナタリーのファンクラブの会長だったジャンピローテという方が、このルネとの時間を計画してくれていたのでした。
 

ですから、今回の記事は、ルネに会ったことについて。そして、目近に見る、そして言葉を交わした24才のルネは、私の目にどう映ったか、そして私が感じたことなどを書いて行きたいと思うのです。ルネと会った時間は、たぶんそれほど長い時間ではなかったのだと思いますが、そのことで、それ以後の自分の気持ち、大げさに言えば、生き方への姿勢などにもとても影響を受けたと考えています。こうして記事を書き始めても、27年前に感じた事、思った事、そして27年後の今、その時思った事を振り返って、考える事など、どのくらいうまく表現できるか不安です。でも、この時点で、自分の気持ちや思い出になるべく正直にかけたらいいと思います。そう思う反面、ルネの心の奥深くまでのことを、そのとき私が感じたこととして、本当に書いてもいいのか、私は書きたいのかということをまだ自分自身に問いかけています。


オタワでルネに会う以前に、83年にルネが第12回東京音楽祭のゲストプレゼンターとしてナタリーといっしょに来日していた時にも、会う機会がありました。まずその時の私の気持ちからお話させて下さい。このお話をすれば、オタワでのルネに会った時のことが自分の気持ちの中でよく説明できそうな気がするからです。


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photo@ebay

photo@maple mates fan club magazine 2nd issue 1994




ファーストコンサートライブ盤の中でのルネのお話

ルネがこのライブ盤の中でお話をしている箇所は、3つありました。 最初のお話は、オーバチュアの後で「僕の国へおいで」を歌い、その終わりでルネが挨拶を始めたところでした。

ルネ:こんばんは!こんばんは!(ファンの「こんばんは」がよく聞こえず、また)こんばんは!(そしてやっとファンが大きな声で「こんばんは」!)
ルネ:英語で "GOOD!" 
ルネ:僕は、日本が大好きです。今回が二回目の来日です。でも、僕が日本に来る時には、いつも何か起きるんですよ!最初に来た時には、モンスーン(梅雨)の季節でした。そして今回は。。。(意味不明)。。。(ジョセフ君の聞き取りでは、ルネは、ここで、なぜか「小さな橋」があった  というようなことをいっていますが。。。でも、私が以前に誰かに訊いた時には、台風のことを言っているのでは?ということだったのですが。。。明日、職場のフランス語の聞き取りが出来る人にまた訊いてみましょう)
ルネ:小さな橋といえば、次の歌をうたいましょう! 英語で " RAIN DROP" 「雨にぬれても」! 




2つめは、 「雨にぬれても」の後に、デビュー曲の「ロワゾウ」(鳥)を歌うまえに、話しています。

ルネ:僕が次に歌う2曲は、カナダでの最初の歌です。一つ目は、「ロワゾウ」と言って、マネージャーのgcが僕を有名にしてくれた歌です。(この前にルネは、この2曲は、僕がステージで作った曲というような説明もしているというジョセフ君でしたが、少し?という感じがします)これが、この2曲の歌の説明です。では、歌いましょう。

3つめのお話は、「廃墟の鳩」を歌う前です。ルネのお話の後は、「廃墟の鳩」「小さな命」そして最後に「ミドリ色の屋根」。

ルネ:次の2曲は、どちらとも村井邦彦さんが作ってくれた歌です。


この訳は、なんだか不安です。。。明日また調べてみましょう!


Thank you, Merci beaucoup, Josef!  ありがとう、ジョセフ君!




photos@maple mates fan club magazine 2nd issue 1974





午前2時16分です!みなさま、おやすみなさい。

riko auckland





9.9.12

モントリオール1985年の夏休みーその21(Ottawa 3 ルネのコンサート)

 さて、書きますよ!。。。といっても。。。全部書けるかな。。。

やっとここに座って、今夜の記事を書き始めました。もっと早い時間に書いてしまおうと思っていたのに、やはりなんとなく、書くのが「怖い」または、「不安」というようなおかしな気持ちがして、時間を延ばし延ばしにしていたように思います。でも、先週、この記事に関する自分の気持ちを書け、その後、フェイスブックの「ルネシマール」という日本語で日本のルネファンのお友達と話すことができるページで、ルネのファンのお友達の嬉しい感想を聞く事ができたので、とてもすっきりした気持ちで今夜の記事と自分にむかえます。ありがとうございました、みなさま!


 では、みなさま、ルネ(とナタリー)のコンサート、いよいよ開幕です!


ルネとナタリーのコンサート

ナショナルアーツセンター オタワ 
1985年7月29日 月曜日/30日 火曜日 午後8時開演


 National Arts Centre (ナショナルアーツセンター)

ルネのコンサートが行われたのは、この中にある Southam Hallまたは、オペラステージと呼ばれる一番大きなホール(wiki によると、座席数は、2323席)だと思っていたのですが、今ネットでその写真などを見ると、座席数897席の現在、The Theatreと呼ばれるホールだったのかもしれません。オーケストラは、ステージの下にいたのではなくて、ステージ上だったのですから。


このポスターは、初日の7月29日のためのポスターというより、チラシです。会場になった ナショナルアーツセンターの入り口付近に置いてあったチラシでした。

サマータイムが導入されているカナダの夏の午後8時ですから、まだあたりはそれほど暗くなくてすこし夕方になりつつあるという感じの時間。バックパックで旅行していた私は、すてきなドレスなどというものは持っていなくて、持っている物の中で「こぎれいな洋服」という感じの服装でYWCAを出た記憶があります。でも服装よりも、緑の多い通りを胸をドキドキさせながら歩いていたことをよく覚えています。ルネを見る事ができるということもでしたけど、本当にジャンピローテに会うことができて、コンサート会場に入れるのだろうかということを先ず心配していました。

そして、ナショナルアーツセンターに到着。チラシを発見!だれもあまり興味をもっていないようなチラシだったのか、まだたくさんあって、ひんしゅくをかわない程度に何枚もいただいてしまいました。そして、ジャンに言われた通りにチケットブースのところでジャンを待っていました。周りを見てみると、たくさんの子供連れのお客さんがいたように思います。というか、ほんとはあまり、どんなファンがそのあたりにいたのか覚えていません。開幕の8時まであと少しにせまり、胸のドキドキは、頂点に達しようとしていました。ほんとうに、このどこかにルネがいて、そしてジャンは来てくれるのだろうかと。。。


 真ん中の男性がジャンさんです。


 すると、ジャンがニコニコして向こうのほうからやってきたのでした。

ジャン:ちゃんとこれましたね!
私:はい、これました!今日は本当にありがとうございます!ルネのコンサートを見れるなんて、まだ信じられませんよ。
ジャン:ははは。でも本当にルネのコンサート!もうすぐルネを見ることができるんですよ。
私:はい!(これ以上ないという笑顔。。。だったような)
ジャン:コンサートが終わったら、またここで僕をまっていてくれる?
私:はい?はい、わかりました。じゃ、この同じところでまっていますね。
ジャン:オーケー!じゃ、これが今夜のチケットです。はい、これ!
私:はい、ありがとう!

 というような会話をしてジャンは、またコンサート会場の楽屋方面へ姿を消しました。

チケットをよーく見て。。。ほんとにルネのコンサートのチケット!あの会場の扉を開くとルネにつながっているのだわ。。まるで「夢のトンネル」のように感じたのをよく覚えています。さて、では、扉を開きましょう!



この写真を見ると、ルネのコンサートがあったのは、まさしくこの会場だったのだと思います。私の座席は、なんとステージの前の座席で、前から2列目、しかも真ん中というとっても素晴らしい席だったのでした。(ありがとう、ジャン!)

うわあ。。。と思いながら、座席に座り、周りを見てみると、やはり子供を連れた人たちが多くてびっくり!しかもフランス語を話す人たちばかりでした。わざわざケベックから来たのでしょうか。そしてどうして、このコンサート会場をオタワに選んだのか。。謎ですけど。そして子供たちのお目当ては、ルネではなく、このコンサートのもう一人の主役のルネの妹のナタリーでした。以前の記事で、ナタリーがこの当時、いかに子供たちに人気があったか、ということをお話していたと思いますが、このコンサートにもナタリーのファンが大勢来ていたのでした。ルネのファンは。。。?きっと後ろの方にいたのかもしれませんね。でも私の印象は、この小さな子供たち(2才さいから6才ぐらい!)が、ルネのコンサートをどのように楽しむのだろう!?という何か不思議なものでした。さあ、いよいよ、コンサートの開幕です。第一部は、もちろんルネのコンサート!あああ。。。

フェイスブックのケベックのファンのお友達の中で、このコンサートに来ていたのは、今わかっているだけで二人いました。しかも、一人は、私のことを覚えているという。。。!(なぜか。。。)

あああ、ステージからは、音楽とコーラスが聞こえてきました。オープニングの曲は、なんと、Kool & The GangのCelebration!フランス語で歌っていました。ルネがステージに登場!83年の時とそれほど変わっていない様子のルネ。でも、ステージ上のルネは、とても華やかでダイナミックです。あああ、ルネだわ。。ルネ。。。もう言葉にうまく言い表せないほど胸がキーンとなってきました。。この曲が終わると、近くにいた小さな女の子が、「ブラボー!」などと私の代わりのように言ってくれていました。私は、一言も「ルネー!」とも言えませんでした。。。ただ胸を押さえて見つめるだけでした。



オープニングのルネ(たぶんオープニングの頃)

ルネの衣装は、このようにピカピカ輝く華やかなものでした!広いステージ上をダンサーの人たちと踊りながら、歌うルネ。。。なんだかスクリーンのルネの観ているような錯覚になりましたが、本物のルネだったのです。

オープニングの曲をyoutube  で見つけました。残念ながらルネがこの曲を自分のアルバムの中で歌ってはいません。Kool & The GangのCelebration をルネが歌っていると想像して聞いてみて下さい。(むずかしい!?)


Celebration (Cool & The Gang)


ルネは、この曲のあと続けて次の曲を歌い始めました。その曲は、83年にジョントラボルタがしたサタデーナイトフィーバーの続編のStaying  Aliveの中で Frank Stallone (シルベスタースターローンの弟だそうです)が歌っていた曲、「Far From Over」でした。 ルネはこの曲を英語できちんと歌っていましたよ。下の写真のようにダンサーの女性たちと踊りながら。そして、これはどの曲をうたっている時だったのか、ルネが座席の中までやってきて、すぐそこで歌ったこともありました!うーん。。。ほんとうは、握手か何かしたいと思いましたが、ルネが一生懸命歌っているので、それをさえぎることはやめました。2つの写真は、同じアルバムのページにある写真をまた写真に納めたものです。コンサートのプログラムらしきものが貼ってありますね。このプログラムをみることができないのが残念です。きっと曲目なども書いてあったのでしょう。

 コンサート一日目のステージ。踊っているのは、たぶん(が多いのですが!) Far from over, そして観客席に来て歌っていたのは、バラード。どの曲だったのか。。。もしかすると最後近くにシャッターを押していた自分の音が入っているので、Fermertureだったのかもしれません。




 John Travolta - 1983 - Staying Alive - Intro 

このビデオのジョントラボルタのように、ルネは、踊っていましたよ!本当に!笑 もちろんルネの衣装は、このようではありませんでしたけど! 

そして、この曲のあと、ルネが挨拶を始めて、コーラスやバンドのメンバー、そしてずっとルネのコンサートのバンドの指揮をとったり、ピアノを演奏しているLuc Caronなどを紹介。その後、会場の座席に来ていたルネのお母さん、お兄さんのレジスなどを紹介。 ステージから観て、右側にある斜めの席のほうにいました。

「お母さんどこに座っているの?ママ?あ、いた!」
「あ、レジスも来ている、兄のレジスです!」

そして次の曲は、ルネのアルバムにも入っている 'Femme Liberee' (オリジナルは、Cookie Dingler)。楽しいリズムの歌。ルネの(オリジナルな)曲だと思っていたのですが、そうではなかったんですね。この後の歌は、ライオネルリッチーの ' Hello' 。ルネは、大人になってもやはりバラードの曲がとても似合っているなあという感じでした。そしてそんなルネを観ながら、83年の東京プリンスホテルであった東京音楽祭前夜祭のパーテイ会場で、音楽祭出場歌手としてエントリーしていたライオネルリッチーとルネとナタリーが一緒に立ってお話または、写真などをとっていたのを2メートルぐらいのところで見ていたのを思い出していました。そしてライオネルリッチーは、その第12回東京音楽祭のグランプリを受賞。あの懐かしいルネのグランプリのトロフィーと同じトロフィーをそのライオネルリッチーにプレゼンターとして渡したのは、ルネとナタリーでしたっけ。。。

83年の来日のページの特集が入っている、ルネとナタリーのファンクラブインターナショナルの会報表紙

 会報の来日特集ページの一ページ目。トロフィーをライオネルリッチーに渡しているナタリーの写真があります。このときの東京音楽祭のステージを客席で見ていたのでした。ルネもいっしょにステージに上がったはずなのですが、この写真はナタリーのみが写っていますね。ルネは、右側にいたのでしょうか。。


  83年の来日時のルネ。これは、前夜祭のパーテイ会場というより、たぶん音楽祭当日だったのではないかと思います。パーテイ会場には、ルネを追い求めていたという人は、数人だったような気がします。そしてルネは、ナタリーと歌い終わった後、間もなく、ナタリーが水疱瘡にかかってしまって熱っぽかったので、ホテルの部屋へ早めにつれて帰っていましたから。


できれば、ルネの歌った曲を一曲ずつよく説明して行きたいと思ったのですが、このペースで行くとおそろしく時間がかかってしまうので、次の曲から簡単に説明して行くことにします。フェイスブックのページでは、できるだけオリジナルで歌われているルネの歌った曲のリンクをシェアしています。youtubeに、ありますので、探してみて下さいね。

では、始めからルネの歌った曲のまとめです。ルネのオリジナルでない曲は、(   )でオリジナルで歌っている歌手の名前を書いておきます。見ると気がつかれると思うのですが、ルネがこのコンサートで歌った曲は、たとえルネのアルバムの中には入っている曲であっても、ルネのオリジナルではない曲がほとんどでした。これは、元マネージャーの考えと指導によるものでルネ自身の曲の選択ではないそうですけれど、ルネのアルバムをみると、オリジナルな曲は、近年まで数えるほどしかなかったということに気がつきます。*印の曲は、ルネのアルバムの中でレコーデイングされている曲です。

なお、この曲目のリストを調べるためにナタリーのファンのジョセフくん、そしてどうしても思い出せなかった曲のタイトルなど、私のパートナーまで がお手伝いしてくれました。ありがとう、ジョセフくん!merci beaucoup à Josef!
 

オープニング:Celebration (Kool & the Gang )フランス語
2- Far from over ( Frank Stallone) 英語
あいさつとバンド、コーラスの紹介。そして会場に来ていたお母さんとレジスの紹介。
3- Femme libérée (Cookie Dingler) *フランス語
 4- Hello (Lionel Ritchie)英語
5- Sous le sunlignt des tropiques (Gilbert Montagné)*フランス語
ワムの曲をここから2曲。懐かしい。。。
6- Careless Whisper (Wham) 英語
7- Wake me up before you gogo (Wham) 英語
おはなし
8- Coeur de rockeur (Julien Clerc)フランス語
おはなし、そしてコーラスとのパパス&ママスの曲のメドレーのスタート
René singing with Elyse, Marco, Maryse and Louis for Mama's and Papa's succes
9- Only you (The Platters)英語
10- In the world? よくわからない曲。メドレーの中で短いパートがあった曲
11- California Dreamin(Papas&Mamas)英語
「ロックンロールタイム!」
 12- Rock and roll (Elvis)*英語
13- Great balls of fire (Elvis)*英語
14- Blue suede shoes (Elvis)*英語
15- Johnny be good (Chuck Berry)英語
16- (???? translation from a succes)?よくわからない曲です。。。
ルネが腰をどのようにまわしてツイストするのかを私たちに見せてくれています。
 17- Let's twist again (Chubby Checker)*英語
18- Comment ça va*ルネのオリジナル(だと思います。この曲は、前年大変ヒットした曲)
19- Just a gigolo ( David Lee Roth)*英語

そしていよいよ、最後の曲。この曲の前に、観客への挨拶とお礼が始まりました。そして、観客の幼い子供との会話。多分、名前や年齢をきいたりして、いい感じです。

ルネ:ナタリーを観に来たの?
子供:そうだよ など。。。

そして数人のファンがルネに近寄り、キスの嵐。。。そして、ルネが just a gigoloの歌の中で「誰も僕のことをかまってくれない」 と歌っていたことから、「おお!僕のことをかまってくれる人がいるんですね!」’I knew I have somebody!'と英語で言って、観客の笑いをさそっていました。最後の挨拶とお礼の言葉は、やはり、ルネらしく、とても気持ちがこもっているようでした。表面的でなくて、ちっとも自分を飾っていないルネの語りかけは、それを聴いているだけで、胸がジーンときました。ルネの人柄がこれだけでもわかるような気がしました。それは、きっと13才のルネからちっとも変わっていない、変わってほしくないと思うルネの大切なものだと思いました。


今手元にあるアルバムの写真を撮ったものは、あまりなくて驚いています。これしか撮らなかったのか、それともまだ日本のアルバムには、何枚かあったのか。。。


 20- Fermeture (Dan Hill 'Sometimes When We Touch') *この曲は、ルネのオリジナルではありませんが、フランス語の歌詞が新たに作られ、それをルネが歌っています。内容は、コンサートを終えた歌手のいろいろと想いについてだそうです。ケベックのルネファン、マリエルさんのお話によると、この曲は、まるでルネが自分で作ったような(歌詞)内容のものであるので、誰もがルネの歌詞だと思うそうなのですが、歌詞はルネ自身が作ったものではないそうです。でも、すばらしい歌だと思います。マリエルさんによると、ルネは、コンサートやショーのエンデングに、この曲を歌うことが多かったそうです。

この歌の歌詞の訳が日本語でも説明されているサイトを見つけましたので参考にして下さい。 ルネのFermetureの日本語訳、フランス語の歌詞サイト


 Fermertureを歌うルネ。この衣装もまさしくコンサートのオープニングで着用していたものでした。そして多分最後のこのFermertureもこの衣装だったかもしれません。



 この後は、ナタリーのパートがスタート。その始めのパートは、テープの時間の不足のために、削られてしまっています!(これは私がしたこと。。。どうして、もっとテープをもっていかなかったのでしょうか!)


 ナタリーとルネが、すごく小さく見えるでしょうか。あれ?どうしてこんなに後ろの席に?と思われていると思いますが、実はこの写真は、コンサート2日目の8月30日に撮ったものです。本当は、ジャンは、一日だけコンサートに招待すると考えていたようですが、2日目もコンサートに呼んでいただいたようなので、座席も1日目のような席ではありませんでしたけど、ルネをもっと距離を置いてみられた事は、なんだか、自分とルネの距離感に合っているように思えて、なんだか安心して見れたように思います。観客は、2日間とも満席でした。この写真からも見えるように子供連れのファンがたくさんいました。コンサートは、ルネだけを目当てに来ている人というよりナタリー、そしてルネの二人のことが好きでやって来たというファンで、ファミリー的な雰囲気だったように思います。



ナタリーのパートでは、ナタリーがすこし休みをとる間 に、きょうだいの子供バンドが登場して3曲ほど歌いました。 (Here Stanton family with Dominic, Miguel, Patrick and Beverly)

1- (It's the night ????)よくわかりません。。。思い出せない曲のタイトル。。
2- I just called to say I love you (Stevie Wonder)
3- Would I lie to you ( Eurythmics )
 

そしてナタリー が、また登場。このとき大ヒットしていたアルバムの中からの曲をぬいぐるみ達といっしょに歌いました。もう子供たちは大興奮!その子供を連れた大人たちもですが!

1- La poupée de chiffon
2- La chanson au brouillon
3- La ronde des quatre saisons
4- Mes amis les calinours


この記事を昨日の夜から書き始めて、今は、翌日の午後3時58分!うわあ。。なぜかこんなに時間がかかってしまって自分でもあきれているというか驚いているというか。。それだけ、この記事をどのように書こうかと不安だったのかもしれませんね。でもいざ書いてみると、やはり、自分の気持ちを書きながら詳しく説明していくという作業は、大変で、途中から、もっとポイントだけ(曲名のみ)という感じになってしまいました。

でもこれを読んで下さるルネのファンのみなさまが、少しでもこのコンサートの雰囲気を感じられたら嬉しいです。

では、この記事の最後のパートを書きましょう。。。

コンサートが終わり、ジャンとチケットのブースのところで会うという約束を忘れてはいませんでした。お礼も言いたかったし。お礼に何か用意していたのでしょうか。。。その記憶がまったくないのです。本当にどうしてそんな失礼な事ができたのかと今となっては思うのですけれど。。。



ジャンが、またニコニコして、やってきました。

ジャン:どうだった!?コンサートは、楽しみましたか?
私:もちろんですよ!まだ本当にルネのコンサートを実際に観たことが信じられないでいるぐらい夢のような気持ちです。本当にありがとうございました。
ジャン: さて、じゃあ、ルネのところに行きましょう!
私:は?は?????ルネのところ?
ジャン:そうです、ルネがいる楽屋に行くんですよ。
私:え????楽屋。。。ルネ。。。!?ええーーーーー!
ジャン:行きたくないの?
私:胸がいっぱいで。。。呼吸ができなくてしゃべれません。。。
ジャン:笑
私:笑

という感じの会話となりました。

そうなんです。。。ルネに会う事になってしまったんです。。。
嬉しいというより、まったく予期していなかったことで、心の準備も、ルネへのお花とかプレゼントとかカードとか、まったく持っていなかったと思うんです。どうして!まったく信じられませんよね。。。もっていたのでしょうか。。。信じられないと思われてしまうのですけれど、この1日目だけルネに会ったのか、それとも2日目もあったのか。。。それも覚えていなくて、今、そのとき着ていた洋服のこととかを思い出して、このことをどうにか思い出したいと思っているところなんです。そして、ルネとナタリーに、お花をあげたような記憶もあり。。。という具合に。。。いろいろな場面を覚えているのに。。。このことは、はっきりしていません。

 この29日にルネに会うという時に、楽屋ですでにルネと会っていた というフェイスブックでお友達になっているルネのファンの方が私のことを覚えていました。「日本からあなたに会いにきたファンがきているよ」というふうに、ルネが呼ばれて、そのファンが楽屋を出る時に私がいたんだそうです。肝心の私自身が覚えていないというのに。。。すごいですよね。。。

ということで、このルネとの時間は、来週の記事にいたします。私がうまくお話できるかどうか不安だと思っていた事は、このことに関係しているんです。

では!来週です。長い記事を読んでいただいてありがとうございました。


riko auckland






19.8.12

ルネとマリージョセの基金活動la Fondation Sourdine pour l’École oraliste de Québec pour enfants malentendants ou sourds



今夜は、GOLDEN BEST LimitedルネシマールのCDの2枚目を聴きながら、この記事を書いて行こうと思います。最初の曲は、「去年の夏」。ルネの変声期の声にショックを受けながらも、ルネが確実に成長していることの実感(嬉しいような悲しいような)とその不思議にも思えるような声の魅力に引き込まれながら、レコードでこの歌を聴いていた事を思い出します。




実は今夜、夕食の後で、うちの猫の目が少しおかしい事に気がつき、よく見てみると、その目の上が少し赤くなっていて、同じ側の耳のところからすこし血が出ていて。。。という状態を発見して、明日の早朝、獣医さんに連れて行くことになりました。うちの猫は、いろいろと他の猫がしないようなことをしがちなのですが、そのうちのひとつに、トイレの後にその事をすごく気にしてしまって、家中をすごい勢いで(「新幹線」というニックネームもあるぐらいの速さで)走り回るという習慣があります。その時に、頭をどこかにぶつけてしまうということがあるのです。今朝も、走り回っていた音が聞こえていたように思うのですが、そのあとはずっと寝ている姿をみていただけで、この目の異常と耳のことに気がつかないでいました。痛みはまったくないようなのですが、とても心配しています。今夜は、ブログをよほどおやすみしてしまおうかと思ったぐらい、本当は、心配と不安で胸がどきどきしているのですが。。。でも、短くても今夜の記事を書こうと思います。だからルネの歌を聴きながらではないと、集中できないようです。そして少し、心配な気持ちも落ち着いてきます。明日にならないと、何もすることはできないのですから。。。人間も動物も、健康であるというのは、本当にかけがえのないものですね。

今、ルネの曲は、4曲目の「アベマリア」です。


今夜は、うちの猫の様子が心配で、オタワでのコンサートの様子をうまく記事にする自信がありません。。。予定を変更してルネの最新ニュースを書くことにしたいと思います。





少し前の記事でも少し書いていたことですが、ルネとマリージョセは、Ècole Oraliste de Québec Pour Engants Sourds (ケベックオーラリストスクール)(聴覚の問題を持つ子供たちが手話を使わず、リップリーでイングを声を出して学ぶ学校)の第一次期の基金集めのスポークスマンを5年間務めることを決めました。5年間での目標は、2,500,000ドル。

その最初ともいえる仕事として、二人は、 聴覚の健康のためのグループのLobe Sante auditive et communicationの雑誌のインタビューを受けています。二人のすてきな写真がその雑誌の表紙を飾っています。インタビューに答えているのは、マリージョセ。この雑誌は、PDFでもダウンロードすることができます。ダウンロードできるサイトアドレスは、http://lobe.ca/magazine/  リンクを利用してもダウンロードのページに行くことができます。そしてPDFのアイコンをクリックするとダウンロードが始まります。





マリージョセのインタビュー記事は、5ページにあります。PDFファイルなので、コピーペイストで翻訳ページを利用すると簡単に英語または日本語に訳することが可能です。訳はおかしいかもしれませんが、概要は知る事ができると思います。

インターネットでルネのことを調べてみると、いろいろと新しく知ることがたくさんあると思いますが、この二人がどうしてこれほど聴覚に問題のある子供たちのために力を尽くそうとしているのかというと、二人の子供のロザリーとオリビエも聴覚に問題をもって生まれてきたという理由があります。このことに関してはここでは、書き尽くせないくらいのことがありますので、ここでは、このことについて今回は、ふれないでおきます。ただ、このマリージョセのインタビューを読んでみると、ルネとマリージョセがオリビエ が11ヶ月になるまでオリビエの聴覚に問題があることに気がつかないでいたこと、ロザリーは誕生とともにすぐに検査をして問題のあることがわかったことなどにふれて、少しでもおかしいなと思うことがあれば、病院に連れて行って検査をすることがその子供の将来のためにどれほど大切であることかを力説しています。

 photo@passion simard
ルネ、オリビエ(11ヶ月)、マリージョセ
雑誌Le Lundi1990年6月9日号の表紙

フェイスブックのpassion simardのページで紹介されていた昔の雑誌の表紙。ケベックのルネの大ファンのマリエルさんとのフェイスブックでのコメント欄での話では、この時、ルネとマリージョセは、オリビエの聴覚の問題には気づいていなくて、気がついたのは、この一ヶ月後ぐらいだったのだそうです。オリビエとロザリーの聴覚問題の原因は、ルネとマリージョセの遺伝子の組み合わせに関わりがあるのだそうです。


また、Lobe のブログのページで紹介されているマリージョセのインタビュー記事では、ルネとマリージョセが手話を学んだこと、オリビエが5才、ロザリーが4才の時に、人口内耳(cochlear implant)の手術をしたことを話しています。

そしてオリビエとロザリーのことを誇りに思っていること。現在の二人の様子も話しています。二人とも学校では、多くの大変な努力をしなければならなかったけれども、現在、ロザリーは、大学の2年生としてビュジュアルアートやダンスの勉強を勉強していること 、そして、クラフトショップでアルバイトをしているそうです。

オリビエは、電気エレクトロニクスの技術者として就職していること。そして最近では、3ヶ月の間カナダ西部に単身でかけ、英語を学んでいたとのこと。

 ルネは、このインタビューで話していませんが、ルネもこれまでにもっと多くの聴覚に問題のある子供たちが人口内耳の手術を受けることができるように基金を集める運動をしています。ケベックの人たちやルネのファンたちは、すでにこのことを昔から知っていて、ルネの運動に協力をしています。そういえば、最近シャンタル博士が、 フェイスブックのMusee Simardで1998年にスーパーで行われていた募金活動で使われていた「募金箱」の写真を公開していました!ちょっとその写真をお借りしてきましょう。



ルネは、機会があるたびに、よく「子供たちやマリージョセのことをほんとうに誇りにして、愛している」ということを言いますが、表面的ではなく、本当にほんとうにいろんなことがあって、みんなで頑張ってきた、そして今も頑張っているからこそ、このように言えるのだろうと思うのです。「私たちが知っているルネ」だけでなく「私たちが知らなかったルネ」としても深く協賛し、尊敬できる人であると思います。

このことについて私が初めて知ったのは、2002、3年の頃に、passion simardのグループに入った時だったと思います。そしてルネの子供たちの手術をした医者のサイトで書かれていたことなどを読んだり、その記事と関係していたオリビエとロザリーのドキュメンタリーを youtubeでアップされていたので、みたりしていました。現在残っているのは、同じものではありませんが、ドキュメンタリーの一部をみることができるものが一つだけあります。

オリビエとロザリーのことを、このブログで記事にしようとは考えていませんでしたが、 今回、ルネとマリージョセがこの募金活動のスポークスマンになるということで、私も二人の応援がしたいと思い、書くことにいたしました。そして、もしかしたら、このブログを読んでいる方の中にも二人の活動に協賛されて募金をしたいと思って下さる方がいるかもしれませんね。

Le drame de René Simard

 

Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie(dailymotion)

ミドリ色の屋根は永遠に」のkei さんが、dailymotionのサイトにあるマリージョセのバイオグラフィーのリンクを紹介してくれました。これも、youtubeに昔アップされていた映像だと思いますが、私が話していた人口内耳の手術を勧める医者/グループのサイトで紹介されていたもう一つのドキュメンタリーとは、違うものです。そのドキュメンタリーは、ロザリーとオリビエが中学生または高校生の時までの様子も紹介されていたような気がします。この映像は、マリージョセの自叙伝というタイトルのあるもので、これはそのパート3です。この中でマリージョセ、ルネは、二人の子供の聴覚問題のことが分かった時のこと、人口内耳の手術を受けた時のことなどを話しているようです。二人の話していることがもっとよくわかったらいいのですが。。。keiさんは、以前に「ルネの子供たち」のタイトルで記事を書かれていますので、keiさんのサイトで詳しくお読み下さいませ。

  

 



募金活動に興味がある方は、こちらのサイトFoundation Sourdineをご覧になってください。






以下に翻訳サイトBingでフランス語から英語に訳したものをコピーしておきます。少しおかしな英語の部分があるかもしれませんが、マリージョセの言っている事はよくわかるとおもいます。


Interview with Marie - Josée Taillefer: make visible deafness
Posted on August 12, 2012
Marie-Josée Taillefer and René Simard spokesperson of the first campaign of the «Fondation sourdine» to school oralist of Quebec for hearing impaired children or deaf, Marie-Josée Taillefer agreed to at the outset we grant an interview.

Who better to understand the importance of our awareness campaign to inform the population on the importance of hearing in our life the days this pair of extraordinary people, Marie-Josée Taillefer and René Simard, who have a life absolutely inspiring with their two deaf children experience.

Birth of Olivier, Marie-Josée and René have always thought they had a very quiet child, very quiet. Far from silent, the babbling of Olivier did not believe that he did not intend. However, over time, these small sounds began to subside as he heard them not; It had therefore not reflex to repeat them. However, as each of us, he felt the vibrations. For example, if an object falling on the ground, he could startled not because he had heard him, but because he felt it. Marie-Josée says that they found at one point that they were not able to secure their son only by the sound of their voice when he was crying. Olivier soothed only when he saw his parents. They therefore decided to have net. It is at the age of 11 months that the verdict fell. Olivier is diagnosed deaf.

Early stimulation: important!

For Rosalie, arrived two years later, it was completely different. From birth, a new apparatus for detecting deafness in infants was tested at the hospital. The same verdict of deafness is established to Rosalie. For the couple, the news was a shock. Experience with Olivier showed them how it is crucial to act quickly, to sail the child and to immediately adopt appropriate behaviours to ensure that the latter will not delay since the development of the language of a child builds before the age of 3 years. "For example, if a child starts to talk to 1 year, it is that he has heard for a year." Imagine the delay can take a child if it begins to hear only in 5 years! ", we emphasized Marie-Josée.

Olivier has worn hearing aids from the age of 1 year to stimulate his hearing. "Our son when he was in an audiologic cabin for testing, well intended pure sounds and he reacted. However, we quickly realized that, in everyday life, he was unable to distinguish the sounds. Exchanges with specialists of the hearing led us clearly: Olivier had very late! ", we reveal Marie-Josée. As parents, they have even learned sign language to be able still able to communicate with their children.

Despite this, Marie-Josée and René who always wanted to give their children all the communication tools to facilitate autonomy turned to the cochlear implant. Supported and supported by Dr. Ferron to Quebec and his team, their two children were operated: 5 years for Olivier and 4 years for Rosalie.

Marie-Josée recalls how deafness is a sneaky disability, it is not easy to detect. "We do not think that the hearing of our child can be reached, it is assumed at birth that he means well." Imagine, you are 24 hours a day with your child and, despite the fact that Olivier is deaf, it took to gather all these small signs have a reasonable doubt and decide to take steps to assess his hearing. Then imagine a child who has a mild deafness or moderate. Often, parents are in will report only to the school, when the child will have difficulties to read and write. "If there is any doubt, consult an audiologist to be net", we entrust Marie-Josée.

Olivier and Rosalie: what do do now?

Marie-Josée is very proud of the path of his children. Despite the obstacles at school because of their difference and all the efforts that they had to deploy, they were able to carve out a place in society. Rosalie is dance. She is in her second year at the University in Visual arts. She is also part time in Omer DeSerres where she advises the clients.

Olivier, he held a position in electronics at Bombardier. He is the living example, according to Marie-Josée, that can be an oraliste with a sign. Olivier left only three months in the West to learn English. A boy determined to get a place! He worked also as a server


それでは、来週こそ、オタワでのコンサートについての記事が紹介できますように。コンサートは、2日間あり、そのどちらとも招待していただきました。