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5.4.14

「僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの」後編


先週からの記事の後編が今回の内容です。先週の記事の内容は、フェイスブックでのルネファンの方達の間では、とても心にしみたという感想でした。ルネの人生への考え方に協賛した、そして子供の頃のルネだけではなく、53才になった現在のルネのこともとても魅力的に感じる。誇りに思うという声がありました。また、同じぐらいの人生を生きてきている自分にとってルネはその道標のように感じるとおっしゃってくださった方もいました。


今回の後編では、ルネはデビュー当時のこと、父親のこと、自分の子供達のこと、そして奥さんのマリージョセとのことを多く語っています。そういうことを話した最後に、自分の笑顔にはどんな意味があるのかをまとめてくれたように思います。

思ったよりも長くて、日本語にするのにも時間がかかりました。その翻訳中に、記事の中で話されていることに関係のあるものを書き加えたいなと考えました。ですから、記事の内容の間に余計なものが書かれていたりビデオが入ったりして、記事が読みにくいと感じられるかもしれません。でもこの作業をして「ルネをもっと知るための旅」をしたような気持ちがしています。この記事を読む皆さんは、どのようなことを思うのでしょうか。


この画像は、また後ほど登場してくるものですが、「僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの」というルネの気持ちがなんだかとても伝わってくるなと感じていいなと思います。この記事を読み終えた時、みなさんもこのルネとマリージョセの姿を同じように感じるでしょうか。


番組のセットで一休み中のルネとマリージョセ
source:
Cap sur l'été Radio Canada


それでは、3月に発売された雑誌の記事の後編のスタートです!
ルネが直接言っているらしい言葉を青文字、記者がルネの考えをまとめているような内容をミドリの文字、そして私が記事に関係したものを書き加えたものを*黒文字で記述していきます。 以下にあるような黒い太文字は、段落ごとのタイトル、またはビデオなどのタイトルに使っています。


ルネが幼い頃のおかっぱヘアスタイルのヒミツ


ルネが幼い時のあの有名なヘアスタイルは、みんながしていた流行していたスタイルでした。けれどもルネにとっては、そのヘアスタイルは一番気持ちを落ち着かせてくれるものだったのです。ルネは、自分の大きな耳に強いコンプレックスを持っていたから。「僕が  テーンエイジャーの時に、手術をしてその形を矯正しました。よく女の子のように見られたロングヘアをしていたのは、その耳を隠したかったからなのです。だからついにそのロングヘアをカットした時には、僕はとても誇りに思いました。だってとうとう男になったというような気がしたからです。」


ノーとは言えない性格
ルネは、同僚に対しては、どんなことについてもノーと言う事ができない性格です。 たとえそれがもう一度、カメラの前や人前に出る仕事であってもです。2012年のミュージカル「雨に唄えば」の舞台に出演することになったのは、友人であり演出を担当していたdenise filiatreauitに頼まれたからであり、un air de famille の番組のデイレクターとしての仕事をするように説得したのは、やはり友人のPatrice  L' Écuyerでした。


1990年と91年のケベックの人たちが楽しみに観る大晦日に放映される風刺コメデイ番組’Bye Bye'にルネが初めて出演した時にも同じ理由によるものでした。友人であるDominique Michelから出演を頼まれたからでした。

*Bye Byeは、その年に起こった出来事をおもしろおかしくコメデイにして演じられるケベックの大晦日恒例の番組。Dominique Michelをはじめ、L
Écuyerなどの友人たちがいろいろな役柄になってコメデイを演じます。

*Dominique Michelは、ルネと兄レジスが出演した1973年の映画 ’J'ai mon voyage’ (僕の旅に出かける)で、 ルネ(とレジス)の母親役を演じたケベックのコメデイアン、女優、歌手、アーテイスト。

*(90年の初出演で、ルネは、友人であるPatrice  L' Écuyerの物まねをして、大好評を得ました。source: TV Hebdo  ) 







90年のBye Bye ルネの場面ショートバージョン





       同じ番組、ルネの出演場面のロングバージョン

* 見るだけで面白い!ルネのモノマネの才能を大発見!笑 必見です。ルネがモノマネをしているのは、司会の仕事をする仕事の多い友人Patrice Lécuyer、そのPatrice Lécuyerがモノマネをしているのが(赤いドレスの女性)同じくルネの友人のコメデイアン、女優のDominique Michel。白いドレスの女性が、そのDominique Michel.黒のジャンプスーツで現れているのがルネのモノマネをしているYves Jacques.


91年のBye Bye テレビコマーシャル

 

ルネは、ここでは、チャールズ皇太子!(91年Bye Bye)




これもルネ!
ルネは、Jean Drapeau


* Drapeauは、モントリオールオリンピックが開催された時のモントリオール市長。その時の公式テーマ曲、'Welcome to Montreal 'をルネに歌うように要請したのもDrapeau. オリンピックに市の財政を注ぎ込みすぎた市長にモントリオール市民やメデイアが反発、その財政難のために市のゴミ収集 もままならずという状態などもあり不満爆発。ルネの歌うこのテーマ曲は、そのような状況と雰囲気の中で発表されましたが、歌の歌詞はあまりにも受け狙いの商業的(でも歌詞は、ルネが作詞ということになっています)、こんな状況の中で聴いていると嫌気がさすなどの理由でメデイアにもボイコットされ、ルネがオリンピック開会式または閉会式でこの歌を披露することはついになかっ た。。といういわくつきのストーリーがあります。ルネは、その市長のモノマネ担当。そして歌っているのは、なんとその市長を風刺して?(たぶん)市長がお 金をたくさんかけて、建築デザインにも深く関わったモントリオールオリンピックスタジアムについての歌。。このようなことを分かった上でこのビデオを観る とちょっと複雑な心境ですけど。。。ルネは平気そう! 

Roger Taillibert は、モントリオールオリンピックスタジアムを設計したフランス人の建築家。


このテーマ曲に関するブログ記事「モントリオール讃歌」


Bye Bye 91 - Jean Drapeau et Roger Taillibert


将来いつか、ルネがまたこのような番組に出演するとしたら、それは友人からの依頼を断れないからでしょう。例えば、ADISQ など授賞式典番組でも共演していて、よく一緒にスキーに出かけ ているルネの仲良しな友人であるSylvain Cossette(ケベックで大人気のシンガーソングライター、シルバインコセット)「彼とはとても気が合うので、また一緒に仕事をするだろうと思います。」


Sylvain Cossette
-Pour toujours 「いつまでも」


* とっても素敵なシンガーソングライター、シルバイン コセット!ルネが親しくしている友人らしいです。このほかにも素晴らしい歌がyoutubeでたくさん紹介されています。ルネとは、ほとんど同い年(ルネは、61年、シルバインは63年生まれ)で、ちょっとルネに似ているようなそうでないような! ケベックでは、数々の賞を受賞、アルバムの売り上げもすごいようです。昨年から今年にかけて、過去12年間で初めての彼自身が書いたフランス語でのオリジナルな歌ばかりを納めたアルバムLe jour d'après を昨年の10月に発売し、昨年から今年にかけてツアーをしているそうです。(source: sylvain cossette wiki)


親しい友人たちをガッカリさせたくないという気持ちをルネが持つのは、ルネが子供の頃に感じていた寂しさから来ているものなのでしょう。ルネは、幼いときの自分を、「友人がいなくてとても孤独な子供だった」と記者に話しています。「世界中を旅行して仕事をしていた僕には、ふつうに暮らしている同じ年頃の友人を作るのは、本当に難しかったんです。」

自分の父親のような人生への別れはしない

53才のルネというアーテイストにとって、二人の子供達は何よりも大切なものです。ルネは、その二人のためだけでなく、将来のその二人の子供達/ルネの孫たちのためにも可能な限り長く生きていたいと考えています。ルネは、アルコール依存症で苦しみ、険しい生き方をしながら突然亡くなってしまった自分の父親のことをどうしても考えてしまうのです。「僕は、孫達が成長していくのを見届けるチャンスを持ちたいと願っています。僕の父親は、僕たちが予想もしていないぐらい早く突然に僕たちのもとを去って行ってしまいました。僕は父のようなお別れはしたくありません。」


ルネは、子供の時期、自分の父親にもっと一緒にいて欲しかったという憶いを隠そうとはしません。ルネが幼い時に必要としていたサポートをしてくれたのは、母親と、エンターテイメントの世界のプロの同僚たちでした。 Sous les étoiles(星の下で)と言うラジオ番組の中で、こんな風に話しています。「僕は、幼いながらもすぐに人前でどんな口調で話したり、態度をとったらいいかを学びました。あまりいろんなことをさらけ出さないようにすることは大切でした。顔をたたかれたこともありました。ギークルテイ(元のマネージャー)について、人々がどのように考えてもかまいませんが、僕が教えられたのは、インタビューの受け答えでは単刀直入に話すということでした。」


ルネ自身が父親になって、いつも考えてきたことがあります。それは、子供たちが10才の時、ネガテイブな影響から守りたいということでした。「なぜかと言えば、それは僕がエンターテイメントの世界にデビューした年齢が10才だったので、子供たちが10才を迎えた時には、絶対子供たちを守ろうと心に決めたんです。恐れていたのは、子供達がだれか/何かと悪い出会いをしてしまうのではないかということでした。」

年齢

ルネは、もう自分の身体が完璧ではない状態であるということを知っています。「もう2年の間体重が簡単に減らないということに気がついているんです。僕のメタボリズムは衰えてきているようです。とってもそのことを感じているんです!(笑)」それでもルネは、もう何年も毎日決まったスケジュールでエクササイズをしています。「マリージョセは、(シルクドソレイユとリーボックが開発した)jukari (fit to fly)のエクササイズと水泳をしています。僕は、毎朝リフテングをして、それから足を壁につけて頭を床に落として腕立て伏せを60回します。」ルネは、そのようなエクササイズをすることがとても苦しく思う朝さえ休むことをしません。たとえば、前の番にワインを飲みながら美味しい食事をしたら、ふつう翌日のエクササイズはちょっと休んでしまうか手を抜こうと考える朝でも、ルネは同じエクササイズをしています。

ルネとマリージョセにとって、50代になってもう一つ変化したことは、息子のオリバーが家族の「巣」/家から飛び立つのを見送ったことです。娘のロザリーは、まだ家に同居していますが、22才の女の子なので忙しいスケジュールがつまっていてあまり一緒に過ごす時間がありません。ルネとマリージョセが二人の子供たちの近くにいて世話をする必要がなくなったのです。二人はそれを寂しいと思っているのでしょうか。まったくそんなことはありません。ルネは、「マリージョセと二人でまたテーンエイジャー時代に戻ったみたいだ」と説明しています。長い年月が流れたのだなと感じながら、今この瞬間を楽しもうという気持ちでいます。ルネが50才の誕生日を迎えた時には南アフリカでお祝いしましたが2014年の今年もまた新たな旅を計画しています。

「まだどこに行くか分かりません。けれどもまだ健康で若いうちにできるだけ楽しまなくては!と思っています。」

マリージョセとルネのカップルは、ケベックの芸能界の中でも絆が深い夫婦の一組だと言われています。二人はお互いに出会う運命だったようです。ルネが子供時代のことを話してくれました。「学校の教室に雑誌の取材でやって来たカメラマンが、黒板に何か書いてほしいと頼んだんです。その時、マリージョセは、とても人気のあるコマーシャルをしていて僕たちの学校のノートにもその広告がありました。だから僕は、黒板のあちらこちらに、「僕はマリージョセを愛してる」と書いたんです。僕のスープの中にマリージョセの顔が見えるほど大好きだった。その時の写真(ルネがマリージョセを愛してると黒板に書いた写真?)を僕は今も持っているんです。」

*スープの中にその人の顔が見えるというのは、スープの中にもその人の顔が見えるくらい、どこをみてもその人の顔が浮かんでくるぐらい好きというとてもフランス的、あるいは、ケベックフレンチ的な愛情表現だそうです。ルネの妹ナタリーの大ファンであるジョセフくんとpassion simardのジゼルさんが教えてくれました。



* 70年代の初め、ルネもマリージョセもテレビコマーシャルをしていました。違う製品のコマーシャルでしたが制作していたのは同じケベックのフランス語の広告会社でした。そのことについてのブログ記事へのリンクです。ルネ、マリージョセのコマーシャル


source: Marielle Morin's photo (thanks Marielle!)

「マリージョセを愛してる」と黒板に書いていたのはこの時期?

source: biographie de marie-josee taillefer

その頃、コマーシャルをしているマリージョセ


25 年以上も二人は一緒にいます。にもかかわらず、火花を散らしたことはありません。去年の夏、二人はCap sur l'étéという番組のセットで毎日のように一緒に仕事をしました。ルネは、アーテイステックデイレクターとしての仕事を担当。番組のホストを務めるマリージョ セと仕事とすることを楽しみました。

「一緒に仕事をするというのが、うとましくなんてありませんでした!彼女がそこにいてくれるということがとても嬉しかったです。彼女は僕を理解してく れ、そして僕たちはお互いを信頼し合っています。そしてストレスのある生活をしている互いのことがよく分かるんです。」
* Cap sur l'été(夏を楽しもう!)は、春から夏にかけての季節を楽しもうというコンセプトのショー番組。90分の番組で、毎回様々な分野のゲストを迎え、料 理、ワイン、読書、外出先、アクティビティなどについておしゃべりし、春から夏のさわやかな季節をどう楽しむかを視聴者に提案していきます。 (sourse: cap sur l'été  radio-canada.ca)



番組のセットで一休み中のルネとマリージョセ
source:
Cap sur l'été Radio Canada

Cap sur
l'été facebook

けれども、帰宅すると二人は仕事のことは忘れ、他のことを話します。こういう時間は二人にとって休暇を楽しんでいるようなひとときです。このような時間を持つことはとてもいいことです。ルネは、公衆の中にいる時の自分と自宅での本当の自分の少しだけの違いを話してはくれませんでしたが!(笑)

「自宅にいると、もっと笑顔を取り戻せるんです。」ルネは、一般の人たちがルネが難しい問題を抱えているのかどうか知るのは大切ではないと信じています。「人々が僕のトラブル/問題を知る必要はないんです。それは僕の問題だからです。僕の笑顔は、僕の防衛。効き目/効果があるんです。笑顔は、僕を守ってくれるものなんです!」


雑誌:Allô Vedettes 12014年3月5日号のルネの記事より

以上で記事が完結いたしました。読んだ感想はいかがでしたか。この記事の中で心に残るルネの言葉や考えがたくさんありましたが、特に胸にグッときたのは、「子供達が僕が10才でデビューした時と同じ10才になった時、僕は子供達が悪い人たち/悪い事との関わり合いを持たないように子供達を守ろうと思った」という言葉でした。このようにルネが思った理由は、やはりルネには、自分の子供達は芸能界には入れたくないという気持ちがあったからなのでしょうか。悪い人たち/悪いこととは、一体どのような意味なのか。ルネのこれまでのことを考える時、ルネの言っていることが理解できる気がします。

  アーテイステックデイレクターとして、un air de familleの番組のセットで仕事をするルネ


ルネは笑顔を絶やさない人であると思います。でもやはりその笑顔の中でルネは一生懸命戦ってきたのでしょう。自分を励ますために、そして難しいことがあっても自分で解決するために。幼いときから現在にいたるまでのルネの姿を考えてみると、ルネはよく笑う人だ、コメデイアンにもなりたかったと言っていたことがありますが、周囲を楽しい雰囲気にしてくれる人だと思います。その笑顔には、このようなルネの気持ちがあるということを話してくれたルネ。これからもそのルネ
の笑顔を応援して行きたいと思うのです。



2.9.12

モントリオール1985年の夏休みーその20(Ottawa 2 ルネのコンサート)

 オタワでのルネとナタリーのコンサートへ。旅のクライマックス?

今週の記事は、モントリオール1985年の夏休みのクライマックスともいえる記事になるかもしれないので、なんだかドキドキしてしまっています。自分の気持ちを素直にというか正直にお話しようと思っていることもそのドキドキにつながっているのでしょう。



今夜、ヘッドホンで聴いているのは、なんと、この記事でお話しようとしているオタワであったルネとナタリーのコンサートの様子です。レコードが出されたの?と思う方がいるかもしれませんが、実はこの様子は、私が密かにコンサート会場の自分の席でカセットテープに「録音してしまった」ものなのです。27年も前のテープ録音なのに、ソニーのウオークマンタイプのレコーダーとマクセルの90分カセットテープ(オタワで購入したと思われます)が良かったのか、音の状態は、とってもいいんです。コンサートは、90分以上あったので、途中、ナタリーの部分が少し抜けてしまっていたようです。


テープのケースに入れてあるナタリーとルネの写真は、このコンサートの白黒のチラシをケースのサイズに収まるように、たたんで、入れてあったものです。ケースからはずしてみると、記憶していたよりずっと小さなサイズのようです。今、その写真を撮りました。そうです、このテープは、日本から持って来て、手元にあるのです。テープからMP4に変えて、今はこの懐かしい音源をitunesや、iphone などで聴いています。せっかくの思い出のチラシなのに折ってしまうなんて!と思うかもしれません。でもこのチラシは、先週もお話していたように、たくさんいただいてきてあったので、惜しみなく本物を使いました!




 この本物チラシも手元にあります。コピーすれば、同じような物が手に入るのに、どうしてわざわざ日本から持ってきてあるのは、やはりそれだけこのコンサートの思い出を大切にしていたいという気持ちなのかもしれません(他人事のように語っていますが!)


最初にドキドキしてしまっている原因の一つとして、「正直に自分の気持ちを書こうと思うから」と言っていましたが、先ずはこのことについてお話しましょう。そうでなければ、話が先に進まないような気がします。


このブログを読んで下さっているルネのファンのみなさまは、自分が持っているルネに関する思い出をどのように心の中にしまっているのでしょうか。私は、グループ「passion ルネシマールau japon」を、最初にグーグルグループでスタートし、その後、このグループのためのブログをはじめるまで、ごくわずかの人にしか、ファンとしてのルネへの想い、特に、ルネが日本から消えてしまってからの数年の間の気持ちについて深くお話したことはありませんでした。


 photo@chantal lachapelle

ルネとナタリーのコンサートのチラシに使われた画像と同じポスター。カラーです!フェイスブックを通してお友達になったナタリーのファン、シャンタルさんが私のタイムラインにシェアしてくれた画像です。

あれほど存在していた日本のルネのファンも消えたようになってしまっていて、話したくても話せる人を知らなかったからということもありましたが!とにかく、話しても自分の気持ちはよく理解してもらえないだろうということ、そして、「そんな気持ちは自分の中で大切にしておけばいいのだ、しておきたい」という気持ちでいました。ルネを応援したり、昔の思い出をお話する場をグループとして作りたいと思ったのも、そんな気持ちがあったからということも関係しています。グループに入りたいと思う事は、ルネをそれだけ真剣に思っているから、そういう人たちとなら、公には、話せない事でもお話していけるのではないかと思ったのです。


 photo@passion simard

日本で活躍していた頃のルネ。ケベックの1974年の雑誌に掲載された記事

そしてグループを作りたいと思ったもう一つの理由は、その頃、ルネとナタリーには、ケベックで大変な事が起こっていたからでもあります。ここではそのことについてお話はしませんが、だから、二人のことは、できればそっとしておいてあげたい、特にルネのことは、そっとしておきたいという気持ちがとても強くありました。ですから、ネットでルネのことをどんな人がどのように書いているか、話しているか、その頃は、とても不安で過ごしていたのです。このこともありましたから、グループでということを考えたのでした。


ここまで話した事とコンサートのことが、どう関係あるのかといえば、このコンサートの思い出、そして先々週までお話していた、ルネのファンクラブへ行った事などは、私にはとても大切な思い出であり、他の人にお話したいとは思っていなかったこと。自分の中だけにしまっておきたいという気持ちがとても強かったのです。


 photo@passion simard

日本を離れ、アメリカ進出を始めた頃のルネ。

以前このことを数人の方にお話した時、自分で話したことなのに、話した後は、もうこの思い出が、自分だけのものではなくなり、自分の心の中の大切なものがだれかに話したことで、そのだれかといっしょに行ってしまったような、自分からなくなってしまったような。。。なんともいえない悲しくて、むなしいような想いを感じました。でも、ルネのファン同士なのだから、この思い出を知りたいと思う人には、話してもいいのだということを何度も自分に言っていました。「ルネという一人の歌手、タレントのことを、それほど思わなくてもいいのではないか」と思う方もいられるでしょう。でも、誰に何を思われようとも、言われようとも、ルネは、私にとって、14才の時から現在に至まで、とても大切な存在でありつづけた人ですから、「それほど思わなくてもいいのではないか」というのは、私のこれまでの人生を知らない人なのです。(ああ、なんだか深刻な気分になってきてしまいました!)


というわけで、特にこのコンサートでのことは、私にとっては、キラキラ光り輝くダイアモンドと同じくらい価値のある思い出であり、心の中で輝いているものです。このブログを書くようになり、フェイスブックでのルネファンのケベックや日本のお友達とよくお話するようになり、みんなルネのいろいろな時期の様子をとても知りたいのだ、どんなことをお話しても同じ気持ちを感じてくれるのだという信頼と友情が生まれてきたように感じています。ですから、キラキラ輝くダイアモンドをみなさんと分け合いたいと思うのです。
それから、このブログまできてくださり、これまでのモントリオールの夏休みの記事を読んでいて下さった私の知らないルネのファンのみなさまとも分け合いたいという気持ちなのです。


85年の頃のルネは、こんな感じでした。コンサートで歌うルネが想像できますよ。このビデオのルネは、踊っていませんが、コンサートでは、踊って歌うルネの姿が!会場まで降りてきたこともありました。。。そしてすぐ近くにルネが!あああ。。。!


そして、まだフェイスブックでルネのファンのお友達と交流するようになる以前の昨年の3月、日本にいて、東日本大震災が起きる数日前まで、太平洋沿いを東北へ旅行していたので、命をおとしていたかもしれなかったということを考えると自分の思い出が他の人を嬉しくさせることができるのならば、何も惜しむ必要はないのだという気持ちもあります。

ですから、このコンサートのことを、こんな気持ちでお話できることがとても嬉しく思うのです。このコンサートは、キラキラ輝く思い出でですが、それと同時にある意味で、今までの「ルネルネ!と言っていたようなルネファンの自分」から卒業しようと思った出来事でもありました。そして、ルネとおなじようにもっと大人になる、世の中にひろく出て行くというような決意をした出来事でもあったのです。このことについては、次回の記事でコンサートと一緒に、お話したいと思います。

今回の記事でコンサートの事を全部かけると思っていたのですが、この事に関する気持ちを書いていたら、その余裕がなくなってしまいました!残念というより、ホッとしています。これで、気持ちの整理ができて、次回の記事がかけると思います。(おおげさな。。。)

 photo@josef/chinematheque quebecoise

ルネが日本に滞在中に撮られたドキュメンタリーフィルム Rene Simard Au Japonのポスター。ナタリーのファンのジョセフくんがシェアしてくれたものです。 

ルネは、ほんとうに可愛らしかった。そして本当に私たちと同じように人生の時を歩んで来たのですね。あれから、ルネにも私たちにもいろいろなことがありました。その途中の85年のルネの姿は、ステージの上で輝くダイアモンドのようにキラキラと輝いて、それが、今でも私の心の中で光を失わず、輝いているようです。

では、来週です。

riko auckland






29.7.12

モントリオール1985年の夏休みーその16(Distribution Select)




ロンドンオリンピックがいよいよスタートしましたね!開会式は、こちらの時間で、朝の7時からの放送、実際には8時に近い時間でしたから、日本では午前5時!うちの母は、早起きして最初から見たと言っておりました。イギリスらしい演出でしたね。ジェームズボンド、エリザベス女王、ミスタービーン!そして最後のポールマッカートニーのHey Jude.その歌を歌うポールの姿をみながら、いつしかルネのことを考えていました。

これは、オリンピックが来るたびに、胸が少しだけツンと悲しくなることに関係しています。1976年のモントリオールオリンピックの公式テーマ曲は、ルネの英語とフランス語での 'Welcome to Montreal'でしたが、当時の複雑な状況のために、メデイアから受け入れられず、その歌をテレビやラジオで流される事もあまりなく、そのような時に使われた歌は、別にコンテストで選び、流していたらしいです。ですから、ルネは、モントリオールオリンピックの開会式(また閉会式でも)この歌を披露することは、無かったのでした。このことは以前にこのことについてたくさん調べて、詳しく書いてありますので、興味のある方は、過去の記事をご覧になって下さい。またブログ「ミドリ色の屋根は永遠に」のkeiさんもこのテーマに関してたくさん記事を書かれているのでお読みくださいね。




また、この数日の間に、このルネのオリンピックテーマ曲についての状況などが書かれたサイトがあります。書いてある事は、私が調べたと同じ内容なようです。フランス語ですが、英語または日本語への翻訳サイトを使ってお読みいただけると思いますが、「ああ、これってしらなかった、そうだったのか!」という目新しい情報はなくて少しがっかりという気がしました。
 


モントリオールに滞在中には、もちろんこのオリンピック会場跡地に出かけ、この会場のどこかで、ルネは、あの歌を歌ったのだなあと胸をいっぱいにしてオリンピック会場のガイドのお兄さんのあとを歩いていたのでした。そしてその会場の空気を胸いっぱいに吸い込んで。。。その頃は、ルネが実際に歌わなかったことなど全く知らなかったのですから。。。だから、オリンピックの開会式を見るたびに、誰かがそこで歌を歌うたびに、私はルネを想うのです。

モントリオールオリンピックスタジアム


モントリオールオリンピック開会式




Golden Best Limited: Rene Simard  



 それから、ソニーミュージックオーダーメイドファクトリーのサイトで、ルネのcdのアンコールプレスのリクエストが行われているようです。買いのがしてしまった方にとっては、とても嬉しいことですね。リクエストがたくさん集まってアンコールプレスが実現できたら、また素晴らしいことだと思います。一人で一回だけリクエストができます。






さて、今週のメインの記事の予定は、モントリオールのルネのレコードの本拠地に出かけた内容でしたね。たとえモントリオール市内のレコード屋さんやセカンドハンド、チャリテイのお店をまわっても、ルネのこれまでのレコードをすべて購入できるということではありませんでした。みなさんもご存知なように、85年といえども、ルネは、もうすでにたくさんのレコードを出している長いキャリアをもっているベテランなのですから。

そこで私が考えたのは。。。先週もお話していたように ルネやナタリーのレコードの配給会社へ行く事!でした。レコードや、レコードジャケットに書かれてあることを見ていて、この配給会社の存在に気がついたのです。今思えば、どうしてルネの事務所に直接問い合わせをしたり、行ってみたりしようとしなかったのか、ちょっと不思議に思うのですが。。。その時の私は、ルネが日本にいる時よりも近い場所に存在しているのに、その場所には行きたくないというか、そっとしておきたいというような。。。そんな気持ちがあったのかもしれません。それは、きっと83年に会ったというか、「見た」ルネの姿や雰囲気が私をそうさせたのだと思います。ルネは、もう無邪気でかわいらしかったあの小さなルネではなく、そういう時代が終わって新しい世界で生きているのだという強烈な感じを胸にドーンと感じていたからなのだと思うのです。。。なんだか複雑そうな話ではありますが。。。今、こうやって自分のあの時の気持ちを分析してみようとすると、私の胸の中はこんな感じだったのだと思います。ふうう。。。説明するのはむずかしいですね。



とにかく、そのレコード配給会社は、「モントリオール大学からかなり遠かった!」「見つけるまでにすごく時間がかかった!」という記憶があります。事前に、電話もせず(たぶん)、そこへ行くまでの交通手段もよくわからないままに、とにかく出発して。。。バスに乗ったりしましたが、たくさん歩いた記憶もあります。しかも炎天下の中!探すのは、住所だけがたよりでしたから、その近くの住所までバスで行き、そこから歩いてどうにか探したのですが。。。きちんとした通りや人があるくところではないようなところも歩いていたような(えええ!なにをしていたのでしょうか。。。)人が歩くスペースもなくて車がビュンビュンはしっているところをガードレールにたすけられながらあるいたというか。。。とにかく住宅街とか街の中ではなく、工場地帯のような。。。そんなところを暑さでヒーヒーいって、汗を拭きながら、はやく見つけようと、一生懸命あるいていました。自分は、ここを歩いていたら一体どこへいってしまうのかと不安でしたけれど、最後はついにこの配給会社、Distribution Selectへ到着!

今もこの配給会社は存在しているようです。そして住所もかわっていないような気がします。そこでグーグルマップで自分が歩いたというか。。。モントリオール大学から徒歩でその会社までどのくらいで行けるか興味があり調べてみました。。。結果を見て下さい。。


ええ!なんと。。。車だと15分、徒歩で32分ぐらい。。。途中、歩道がありませんから気をつけることという注意もありました。うーん。。。85年当時と同じところなのでしょうか。建物を探したくてストリートビュー、イメージサーチもしてみましたが、同じ住所で同じ電話番号でレコード、cdなどを扱う大きなお店がありました。。。ミステリアスですね。。。でも、周りの様子、建物など、85年当時とはまったくちがっているようです。私が見た範囲では、建物は、結構こじんまりとしていてレコードをしまっておく草このようなものがあって、ロビーには、螺旋階段があり、その下に受付のデスクがあったり。。など。。うーん、とにかく、いろいろいっているよりもその時の写真をお見せした方が雰囲気が分かりますね。


Distribution Select


建物を入ってロビーを抜けると、すぐにこの受付のようなところがありました。ロビーのところには、螺旋階段があり、その辺りの壁に「ゴールデンデスク」などが飾られてありました。ルネのものではなかったと思いますけど。。。この写真のルネのレコードジャケットが飾られている壁の後ろにあるのがその螺旋階段の一部。ルネのレコードジャケットは、この時にとてもヒットしていたcomment ca vaというアルバムです。これは、前年の84年からヒットしていたアルバムで、その中でもとてもヒットしたこの曲comment ca vaで(アルバムと同じタイトル)ADISQ (Association du disque, de l'industrie du spectacle québécois et de la vidéo) という、ケベック州で活躍する歌手、芸能、映画などで活躍する人で構成される協会(1977年に創設)から、Félix Awardというレコード業界で活躍した人に贈られる賞を受賞しています。(過去の記事リンク)



comment ca va


comment ca va 
ルネが一体何人のファンにキスされているか数えてみるのも面白いビデオです。。。!


Salut Capitaineという曲も、モントリオールでの思い出の曲ですが、これもこのアルバムに入っています。このアルバムに入っている曲は、みんな特別なのですが!シャンタル博士のサイトで聴いてみて下さいね。

Salut Capitaine

それから、この曲も!




ここに立っているのは、私なんですけれど、その当時カナダでも、とても人気のあったケアベアの顔をお借りしています。。。(笑)そしてその後ろの壁一面にあるのが、85年に発売されていたナタリーのアルバム' Nathalie Simard, Mes Amis Les Calinours'  どちらかというと、このときは、ルネよりも断然人気のあったナタリーでしたから、このアルバムの飾ってある数もルネよりも多かったのでしょうか。。。このアルバムに入っていた曲は、ケアベアと歌う曲や、スヌーピーなどのとてもかわいらしい曲が沢山入っていました。先週の記事で書いた「ナタリーの村」というテレビ番組の中でもこのアルバムに入っていた曲をよく歌っていたようです。



最初の曲(アルバムのタイトルでもあります)がとても記憶にあって大好きな曲でもあります。ナタリーの曲は、日本のルネファンには、あまり聴く機会が少ないと思うのですが、デビューの頃から、よく聴いてみると、たくさんいい曲を歌っています。ルネが歌っていた曲を歌ったり、だれかの曲を歌ったり、オリジナルという曲はあまり無いのですけれど、ナタリーの声にどれもあっていて、ルネの妹として見るだけではなく、ほんとうに歌の才能のある人なのだなと思うのです。ルネの妹でなくても私はナタリーの歌が大好きです。

この曲、mes amis les calinoursを聴いて見て下さい。シャンタル博士のサイトからです。







このアルバムもルネのcomment ca vaももちろん購入させていただきました。もう、その時には持っていたと思うので、ここでは、買わなかったかもしれませんけれど。


ナタリーとルネのレコードジャケットの間でもう一枚撮っていただいた写真です。
私の腕と足の日焼けした色を見て下さい。すごいですよね。まっくろ!といっても言い過ぎではないような色です。このモントリオールへの旅、そして到着してから、ずっと炎天下、歩き回ったり、自転車で動き回っていたのですから。この写真を見ると、若くてすごく元気だったのだなあ。。。と思い出の中にまたもどることができるようです。


ここでは、一応自分のことを少しお話して(笑)。。ようするにルネのファンで日本から来ている事など。お水を頂いたり、お話を聞いていただいたりした後に、倉庫のようなレコードを保管しておくところに連れて行って下さって、ルネのレコードを思い切り探しなさいなどのようなことを言われて、探したのです。ここで見つけたレコードがなんだったのか覚えていませんが。。。(いつもですよね。。)とにかくナタリーのレコードも含めてたくさん探せたような気がします。お金は。。。もちろん払ったと思います(!)


よく覚えているのは、84年にナタリーが出していたアルバム、Chante Avec Nathalieのこと。これもすごくかわいらしい曲で、ナタリーがいろいろな物語のキャラクターについての唄を歌っています。最初にある曲は、Monsieur Fred Hamsterという曲なんですが、このフレッドという名前のついたハムスター(タキシードをいつも着ていて、帽子、ステッキなど、紳士てきなハムスター!)とナタリーが二人で歌うんです。そのアルバムを宣伝するために用意してあったナタリーとハムスターフレッドの等身大の固いカードボードでできたスタンドをいただいてしまったんです。すごい重いんですけれど。。どうやって大学の学生寮まで持って帰ったのか謎です。


 
 photo@ebay

 これがそのアルバムのジャケットの表紙ですが、まさしくこのポーズの二人のカードボードでした。途中、ショッピングセンターらしきところで休んでいたときにも目立って仕方がありませんでした。トイレに行くにも、これをどこに置いておいたら良いかなど。。(爆)うーん。。。一人で珍道中していた様子が目に浮かびます。タクシーでも頼めばよかったのに。。。地下鉄でも一目を引いていたのは、想像ができると思います。みんなこれが欲しくてたまらないっていう感じで。。。!ゆずってほしいとかいろいろ言ってくる人もいたりして、コワかった思いもいたしました。




 マリエルさんがアップしているナタリーとフレッドハムスターの唄です。かわいいですよ!ムッシューハムスター!

 photo@ebay

 このアルバムの中身です。中開のページがありました。かわいらしいでしょう?そしてピノキオ、ハムスター、そしてみつばちマーヤ、バーバーなどもいて、そのキャラクターたちの曲が入っているんです。

というわけで、なんとか学生寮に到着して、この「ルネのレコード探しのすごい冒険」の一日は、おわったのでした。 ルネのレコードがメインな一日のはずだったのに、この日は、やはりナタリーとハムスターフレッドのボードのせいで。。。ナタリー一色になってしまったようです。


 冒険の一日、みなさまにも楽しんでいただけましたように!
では、また来週です。来週もモントリオールでのこと。また「冒険」がスタートするかもしれません。


6.5.12

モントリオールの夏休み1985ーその7(モントリオールへ!)

いつの間にか、秋から冬へ向かっていることに気づいた今日この頃。室内では、半袖でも平気なのに、外に出るとものすごく冷たい風を感じます。コートかジャケットなしでは、外にでられない日が多くなりはじめました。先週末の日曜日は、オークランドからフェリーで、1時間15分で行く事ができる Tiritiri Matangi Islandという、ニュージーランド特有の鳥が住む島に、行ってきました。話しには、聞いていましたが、鳥や山歩きが好きな人なら、天国のような島でした。昔この島には、ほとんど森がなかったのですが、たくさんのボランテイアによって、ニュージーランドの木の植林が行われ、今では島全体に美しい森がひろがっています。現在でも国の野生保護局とボランテイアの人の手で島の自然や鳥は、保護され、鳥についてのガイドもボランテイアの人が行っています。では、一緒に行った仲間がとった写真を何枚か紹介いたしましょう。

Tui (ツイ)
ニュージーランドには、英語の他にあと一つ、マオリ語という公用語があります。この鳥の名前は、マオリ語。
Takahe (タカへ)
まったく飛べない鳥で、林の中より、草が広がったところを好む鳥。すごく大きい!

 たぶん、Rifleman (titipounamu)という体長8cmの小さな鳥




オークランドの話どころではありませんね!今週は、いよいよモントリオール到着のお話ですから!でも、自分でも何をどこまで覚えているか定かではないので、どうなることかと心配しています。それでは、スタート!




ストラットフォードからトロントまでは、地図でみるとそんなに離れていないようなのに、今 VIA Rail Canadaのサイトで時刻表を調べてみたら、午前8時34分にストラットフォード駅を出ると、トロント駅に到着するのは、なんと午後8時58分!12時間もかかっていたのでしょうか!記憶がありません。。。 




その後の電車に乗ったとしたら、トロント到着は、午後11時20分!トロント到着後、トロントへ宿泊したという記憶もないので、トロント駅からモントリオール駅に向けてそのまま電車に乗ったのでしょうか。。。そして、旅の相棒だったブレンダさんと一緒にモントリオール駅に降りたという記憶もあいまいです。いつまで一緒にいたのでしょうか。ただモントリオール到着後は、一人旅が始まったということは、覚えています。では、トロント駅からモントリオールまでの時刻表を見てみましょう。
えええ。。。やはり、そんなに遅い時間に出発する電車はないようですね。27年前の85年の夏にはあったのか?それにしても、この時刻表と同じようだったとすると、トロントでどこかに宿泊しなければならなかったと思うのに、全く!覚えていません。駅の構内などに野宿?というようなことをしたのでしょうか。。ただ覚えている光景は、トロントの駅をすぐ出たところにきれいな噴水があったこと。夜だったので、タクシーでナイアガラへ向かう時か、モントリオールへ向かう前ということになります。雨はふっていなかったので。。。トロントに泊まった???これは、深く考えずに。。。先に進むことにします。日本においてあるアルバムにも噴水の写真はあったのに、その他のトロントからの写真はなかったような。。。アルバムの写真をいくつかカメラに撮ってきてあったものを見てみます。ありました、噴水の写真!トロントの駅の前にある噴水と書いてあるようです。
この写真は、ナイアガラへ向かう時のアルバムのページなので、モントリオールへ向かう前のものではありませんね。。。 


トロントユニオン駅


この写真の説明によると、このコンコースは、VIA Rail がトロントを出て、オタワ、モントリオール、ウインザー(キッチナー/ウオータール、ストラットフォード)などへの出発口だそうです。この写真をみて、「知ってる!」と思ったのは、記憶違いではありませんでした。このあたり、よく覚えています。覚えている場所の写真を見つけると、すごく嬉しい!まるで思い出探しという感じがします。


時刻表によると、トロント駅からモントリオール駅までは、朝一番の電車午前6時40分に乗ると、正午に着くので、5時間20分かかっています。ストラットフォードからトロントの方がずっと距離が短いのに、どうしてこちらの方が早いのか!メインの路線だから電車も速い電車だったのかも。



 photo@via rail canada
トロントのCNタワーとVIA Rail Canada の電車




5時間20分の間、モントリオール駅に向かう間、私は一体何をして、何を考えていたのでしょうか。覚えている事は、ルネのカセットテープを聴いて、モントリオール=ルネ!という感激でもう胸をいっぱいにしていたこと。オタワまで電車が近づくとそれまで、街という感じでもなかった景色が少しづつ都会のような景色が現れてきたこと。


 首都オタワ駅のプラットフォームであっても、日本の首都東京駅のような雰囲気はもちろんまったくなし。。。でも他のカナダの駅に比べると、ずっと「都会風」なのでした。(日本の都会と比べられるような都市は、カナダでなくともあまりないと思いますが!)

 電車にいるときには、気がつかなかったと思うのですが、オタワあたりから、他の州より断然フランス語が使われていることに、後で気がつくことになります。やはり、首都だけあって、公用語としてのフランス語を他の州のお飾り的なフランス語の使い方(公的なインフォメーションのみ!)ではなく、ちゃんともっと使っている雰囲気がありました。BC州では、小学校から高校に入る前までは、フランス語を「必修」として学ばなければなりませんでした。多分他の州も同じだと思います。そして高校に入ると「選択科目」となります。(84年ー85年当時)授業を見させていただく機会がありましたが、フランス語をふつうに使えるようになるというような感じでは、全くなかった!ような雰囲気でした。

フランス語を教える先生のほとんどは、夏休みなどを利用して、モントリオールでの完全にフランス語だけのレッスンを受けるという研修などをよくしているようでした。BC州の知り合いの高校のフランス語の先生、ノエルさんも、85年の夏休みに、この研修でモントリオール大学に来ることになっていました。私よりも少し遅れて。モントリオール大学の学生寮にお世話になっていた私は、このノエルさんと晩ご飯を街に食べに行ったり、少し観光したり、ノエルさんの研修に出席させていただいたりしていました。


さてさて!私の乗った電車は、もう少しでモントリオールに到着!私の胸はドキンドキンと高鳴り始めました!そして、聞こえてくるアナウンスはもう完全にフランス語!「モンロエアル、 モンロエアル」という感じで聞こえてくる「モントリオール」到着が近い事を伝えるアナウンス。この時私は、モントリオールのオリジナルな意味を思い出したのです。英語で言うと「マウント ロイアル」!「あああー!そうだったわ!そうなんだ!」と思ったのをとてもよく覚えています。そして、頭の中では、ルネの76年のモントリオールオリンピックの公式ソングの 'Welcome to Montreal, Welcome to Montreal!' という音楽がなりだしました!窓から見える景色も、もうイギリス的なものではなく、完全にフランスという感じに変わっていました。


  
 このルネのモントリオールオリンピック の公式ソングについては、興味深い話があります。過去の記事でそのことを書いていますので、お読みください。この曲は、英語とフランス語バージョンの2つがあります。



ルネが、オリンピックがはじまる以前のオリンピック委員会の前で、 この曲を披露している姿が見られるビデオがyoutubeにあります。これもフランス語版。このオリンピックで有名になったナデア コマネチの演技もあります。





私もこんな感じでプラットフォームに降り立ちました。

モントリオールの駅のプラットフォーム、構内に入っても今までのカナダとちがう別のフランス的カナダ(または、アメリカ的フランス)という感じで、洗練された雰囲気。とにかく、住んでいたBC州とも、旅の途中で見てきたどのカナダの街ともまったく違う別世界だったのです。

 
                                             photo@flickr juitar photography

モントリオール駅構内

ここのカウンターで何かを確認した記憶がありますが、何をしたのか思い出せません。
とにかく、ブレンダさんの姿はもう見当たらないということは、覚えていますから、一人だったのでしょう。駅員のおじさんもだれもかも、英語を話しても、それは、フランス語のアクセントのある可愛らしい(と思った)英語でした!

このあと、とりあえず、駅から近い、若者が泊まるホステルのような所を見つけて、 一泊。ここで、はやりいろいろなところから、旅行にきていた女の子たちと仲良くなり、街へちょっと出かけようと言うことになり、おなかのへっていた私たちが向かったのは、おいしそうなパン屋さん!パン屋さんというより、ベーカリー兼カフェという感じのしゃれたお店でした。



こんな感じのお店とパンだったでしょうか。


それにしても、真っ先に私が駆け込むべきだったところは、ルネのレコードを探しに、レコードショップのはずでは! ルネよりもまず食べることを選んでしまった私が信じられません。私がモントリオールの街でおいしいパンとラテを楽しんでいる一年もまえに、ルネは、このとき、こんな風に素敵な青年に成長していましたが(下の写真)。。。 よく見ると83年に東京音楽祭のプレゼンターとしてナタリーと東京にきた時とあまり変わっていないかもしれません。


これは、83年からスタートしていたルネとナタリーのファンクラブ、Rene & Nathalie Fan Club Internationalからの定期購読によるファンクラブの雑誌(たぶん、これは、84年のもの)

フェイスブックでは、引き続き、ケベックのルネとナタリーの大ファン、そして、「ミドリ色の屋根は永遠に」のRuneさんをはじめ、日本のルネの大ファンの方たちと楽しく話したり、興味深いお話を聞いて、「えええええ!そんなことが!?」という驚きと嬉しさが毎日のようにあります。この上の写真を私がシェアした時のことを、今回の記事の最後として紹介いたしましょう。

ルネは、ミドリの植物に囲まれてステキに微笑んでいますが、これは、現在でも同じなのです。ルネの現在の趣味というか、とても楽しんでいる事は、(最近はあまりその暇もないとの事ですが) 植物を育てる事。家の中の鉢物を太陽の光がさす方向が変わるたびに光の下へ移動させているほど、植物を大切に育てているのだそうです。そしてルネの夢は、いつか自分だけのグリーンハウスを持つこと。

そして、ルネは、猫のアレルギーがあって猫は飼えないそうです。だから植物なら安全!というようなことをファンであるマリエルさんが言っていました。うわっ。。。。このことを家人に言ったら、一言いわれました。「じゃ、いくらルネのことが好きでも、ルネは、この家には絶対!くることはないね。猫アレルギーじゃ。。。」うーん。。。そのとおり。。(でも、そんなことなんて考えてもいませんから、別に悲しくなんて。。。ありません!)

 Runeさんがシェアして下さったルネのお父さんジャンロックシマール氏が書かれた本の表紙にルネが黒猫を抱いている写真があります。Runeさんと二人で、「ルネは、いつから猫アレルギーに?小さな頃は大丈夫だったのに」と話していました。ここでその写真を紹介して、今週の記事は終わりにいたします。モントリオールでの冒険は、来週です。

photo@'rune'さんより


なんと!もう午前4時27分。。。おやすみなさいませ!

riko auckland/nekonomiminoura/しゃむねこ