14.2.15

フェリスイタスイヨン、おめでとう、ルネ! ルネのオタワでのカナダ勲章「メンバー」授賞式


みなさま、ハッピーバレンタインデー!今日はドキドキワクワクのステキなバレンタインデーになりますように。この週末は、バレンタインデーということもありますが、ルネにとっては、格別特別に嬉しい週末となることと思います。理由は今日のブログ記事を読んでみるとお分かりになると思います。

私のバレンタインデーもどうなるのか、ちょっとワクワク!笑 私の様子はというと、夏休みが終わり、私の仕事もスタートして、なかなかルネのブログ記事を書くのに時間がとれない毎日が続いています。でもFacebookのほうでは、ルネに関するニュースや情報を毎日のように紹介していますよ。みなさんも良かったら「ルネシマール」「golden limited bestルネシマール」のグループページとコミュニティーページに参加してくださいね。ルネの様子をいち早く知ることができます。


さて、今回の記事は、ルネの「祖先を探す旅その3」完結編の記事を書こうと思っていたのですが、それよりも先に、カナダ時間で2月13日金曜日にルネがオタワでのカナダ勲章授章式に出席、メダルの授与を受けたというニュースが入ったので、このニュースの記事を紹介しておこうと思いました。そして、昨年9月のジェミニ賞授賞式での司会者としてのルネのオープニングのステージの様子のビデオの紹介です。そうです、あの紫色のドレスを着て、踊り歌っているルネです!


では、先ずは、カナダ勲章授章式の様子から見て行きましょう。


Félicitations. Rene!
フェリスイタスイオン、ルネ!
おめでとうございます、ルネ!
ルネ、メンバーズオブザオーダーオブカナダ勲章授章おめでとうございます!




ルネの胸には、カナダ国内でのエリザベス2世女王代理として存在するガバナージェネラル(カナダ総督)であるデビッドジョンソン氏から授与されたmembers of the order of Canadaという勲章が付けられています。授与するのは、あくまでもエリザベス2世女王です。同じ内容の勲章が、私の住むニュージーランドでもあり、エリザベス女王の代理のニュージーランド総督から授与されます。

このカナダ勲章は、カナダのために功労した人たちが周囲の人に貢献理由と共にノミネートされ、さらにそこから関係機関により調査検討というプロセスにより授与されます。ルネへの授与が決定された昨年のニュースの内容では、ルネのケベック文化とその発展のために仕事を通して貢献したという姿勢がその理由となっていました。この画像の下にもその理由が説明されているので、読んでみましょう。
その英文です。

René Simard, C.M. (Lorraine, Quebec) has held a special place in our culture for over 40 years. An iconic figure in music in the 1970s, he began his international career when he was 14 years old and has now recorded over 40 albums. He has also stirred people’s hearts as the host of galas and variety programs in Quebec and across Canada, and as the director and artistic director of major musical productions, including Génération Motown and Elvis Story. He has been very generous with his time and has, for many years, been the spokesperson for the Fondation québécoise pour la recherche sur l’implant cochléaire and the Fondation Sourdine, which help children with hearing disabilities.

日本語訳:

「ルネシマール C. M.(カナダ「メンバー」勲章が授与された人たちの名前の後には、このC.M.というタイトルが付きます。)(ケベック Lorraine在住)は、この40年間の間、カナダ(ケベック)の文化活動において特別な存在であり続けています。1970年代の音楽界を代表する歌手、ルネは、14才で国際的な仕事をスタートし、現在までに40枚ものアルバムを世に出しています。また、ジェミニ賞授賞式などの祝典の司会や様々な番組やショーへの出演を通してケベック州はもとよりカナダ中の人たちに愛と感動を与えてくれています。「ジェネレーションモータウン」や「エルビスストーリー」などのミュージカルのデレクターやアーテイステックデレクターとして制作に関わってきました。ケベックにある手話を使わずに聴覚障害のある子供達を教育する学校、École oralisteのための基金を集めるための財団、Fondation Sourdineのスポークスパーソンとして何年もの間働いています。」


その学校、Ecole Oralisteのサイトで紹介されていたルネと奥さんのマリージョセが(2人は2012年から2017年までの5年間、基金のプロモーションをするスポークスパーソンとしてサポートをしています。)子供のためにベストを希望する親たちへメッセージとすべての子供たちがきちんとしたアカデミックな教育を受けることの大切さについて気持ちを込めて話しているビデオが紹介されています。そのページには、学校が直面している問題と子供たちの教育についての目標が書かれています。


「聴覚障害に負けず、話したり、書いたりすることが普通にできるようなプログラムをもっと充実させ、そしてアカデミックな教育を子供達が受けられるようにする。将来社会にでて他の人たちと同じように生活でき、自分が本当に希望する仕事ができるように育てること。またリハビリテーションの充実も図る。」


カナダ勲章について 
wikipedia日本語ページより


カナダ勲章(カナダくんしょう、Order of Canada)は、カナダ勲章の1つ。勲章のラテン語モットー「Desiderantes meliorem patriam(よりよき国を望む)」で示されるような、カナダにとって功労のあった人に与えられる。

カナダに生涯に亘って功績を残したカナダ人を称えるために、カナダ自治領成立100周年記念として1967年レスター・ピアソン首相の提言の元、創設された。この勲章はカナダ人以外でも世界に貢献した人物に与えられる。音楽家政治家芸術家、テレビタレント、慈善事業家にも与えられた。女王エリザベス2世が勲章の授与者であり、その代理としてのカナダ総督が授与する。1967年以来、5000人以上が受勲している。
カナダはイギリス連邦に属しているため、イギリス連邦のメリット勲章が民間人の受けられる最高位の勲章となり、カナダ勲章は第2位の勲章である。他に、軍人向けとしては軍事メリット勲章(カナダ独自)、警察官向けとしては警察力メリット勲章(カナダ独自)、王室関係者向けにはロイヤル・ヴィクトリア勲章(イギリス連邦)、医療従事者向けにはエルサレムの聖ヨハネ病院勲章(イギリス連邦他)がある。

カナダ勲章には上から順に次の3ランクがある。それぞれの受勲者は名前の後に略称(C.C.など)を付記することが出来る。
  1. コンパニオン (Companions of the Order of Canada, C.C.) :最高位。毎年最大15名まで授与されるが、生存者としては同時に165名まで存在できる。
  2. オフィサー (Officers of the Order of Canada, O.C.) :毎年最大64名まで授与される。
  3. メンバー (Members of the Order of Canada, C.M.) :毎年最大136名まで授与される。
  4. 非カナダ国民 (Non-Canadian (Honorary)) :毎年最大5名まで授与される。

    勲章のデザインは、雪の結晶をかたどったものである。コンパニオンとオフィサーは金箔、メンバーは銀箔である。中央にはコンパニオンには赤エナメル、オフィサーとメンバーにはそれぞれ金と銀でメイプルリーフがあしらわれる。

    ということで、今後は、ルネの名前の後には、C.M.というタイトルが付くのかもしれませんね。

    それでは、カナダ総督のサイトページで紹介されていた授賞式の様子を見てみましょう。



    カナダ勲章メダル

    The Governor General presided over an Order of Canada investiture ceremony at Rideau Hall, on Friday, February 13, 2015. He bestowed the honour on 2 Companions, 8 Officers and 36 Members. カナダ総督は、2015年2月13日金曜日に、Rideau Hallにおいて、カナダ勲章のコンパニオンメダルを2名、オフィサーメダルを8名、そしてメンバーメダルを36名に授与した。





    デビッドジョンソン カナダ総督からの挨拶

    "You excel in so many fields and come from such a variety of backgrounds," said His Excellency. "From sea to sea to sea, the members of the Order of Canada touch all corners of this country. This ceremony is an opportunity to say thank you, on behalf of all Canadians, for all you have done." 「みなさんは、様々なバックグラウンドをお持ちの様々な分野で素晴らしい貢献をカナダのためにされています。カナダ勲章を授与されたみなさまは、カナダの西の海から東の海にいたるまでカナダに住む人たちの心を励まされました。この授与式は、そんなみなさまに、カナダの全国民を代表して「ありがとう!」と言う機会でございます。」



    Established in 1967 by Her Majesty Queen Elizabeth II, the Order of Canada is the cornerstone of the Canadian Honours System, and recognizes outstanding achievement, dedication to the community and service to the nation. The Order recognizes people in all sectors of Canadian society. Their contributions are varied, yet they have all enriched the lives of others and made a difference to this country. カナダ勲章は、1967年、エリザベス2世女王により設立され、カナダのコミュニティーや国に貢献した人たちに名誉を与え、その功績を認める役割をしています。その功労は多岐にわたりますが、カナダ人の生活を豊かにし、さらにカナダという国を素晴らしいものにしてくれたものばかりです。




     嬉しそうに誇らしげに並んでいるルネの姿が見つけられますか。ルネは、最後列の向かって右から3番目にいます!




    出席者全員でお互いのために拍手をしあっています。




    今日ケベックのテレビニュースで紹介された授与式に望むルネの様子。上記リンクから、このビデオを観ることができます。ルネが登場するのは、14秒のところからです。



    最後になりましたが、昨年9月にジェミニ賞授賞式で司会をつとめたルネのオープニングのステージ、そしてルネと見分けがつかないほどの特殊メイクをしたルネのスキットなどの様子を20分間観ることができるビデオをpassion rene nathalie et regis simardのソフィーさんとジゼルさんがfacebookのページでシェアされています。このページは、facebookアカウントがなくても見ることのできるページですので、リンクを使ってぜひ見てくださいね。!オープニングでは、黒のタキシードスーツから白のスーツ、そしてあの紫のドレスへと歌い踊りながら、次々に七変化するルネ。ルネの歌を長い間楽しむこともできて見応えがあります!

















22.1.15

ルネの祖先を探す旅 その2 テレビ番組 Qui êtes-vous?「あなたはだれ?」から。


みなさま、遅れましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。




フェイスブックの「ルネシマール」ページでは、クリスマスと年賀状をこのイベントに参加されたみなさんで作って一つにまとめてルネに送りました。




また、第5回ルネクイズグランプリのイベントも終了して、グランプリを受賞されたみなさまは、1999年5月23日にトロントで上演されたルネのオペラ座の怪人のステージの様子が収録されたデイスク(私個人所有のもの)を手に入れることができました。


さて、ルネの祖先を探す旅 その2の記事をさっそく書いて行きたいと思います。

先ずは、その1の記事の中で、ルネが「船長の家」には入らず、その家の庭で何か唄を口ずさんでいたということを書いていましたが、その唄のタイトルが分かりました。今回の記事に協力していただいたケベックのルネやナタリーのファンの友人には、ジョアンヌさんの他に、パトリシアさん、そしてジョセフくんがいます。この情報はジョセフくんに教えていただきました。 

Merci beaucoup, Johanne, Patricia et Josef!






ルネが口ずさんでいたのは、1971年、フランスの詩人でもあった歌手のレオ・フェレ Léo Ferré の「アヴェック・ル・タン」 "Avec le temps"で、日本語に訳すと「時の流れに」という唄だったそうです。ルネが「船長の家」に入らなかったことについては、何の説明もされていなかったそうです。では、この唄をyoutubeから見てみましょう。


フランス語歌詞と日本語訳をシャンソンの歌詞の翻訳を紹介されている宇藤カザンさんのブログ、アミカル・ド・シャンソン から引用させていただきました。ブログでは、全訳が紹介されていますのでご覧ください。

Avec le temps  アヴェック・ル・タン      《宇藤カザン訳》

Avec le temps...
Avec le temps, va, tout s´en va
On oublie le visage et l´on oublie la voix
Le cœur, quand ça bat plus, c´est pas la peine d´aller
Chercher plus loin, faut laisser faire et c´est très bien

時と共に・・・
時と共に、流れ、全ては消えて行く
面影を忘れ、声も忘れる
心臓、それが止まれば、その先を求めても無駄なこと
なすがままに、それでいいのだ

Avec le temps...
Avec le temps, va, tout s´en va
L´autre qu´on adorait, qu´on cherchait sous la pluie
L´autre qu´on devinait au détour d´un regard
Entre les mots, entre les lignes et sous le fard
D´un serment maquillé qui s´en va faire sa nuit
Avec le temps tout s´évanouit

時と共に・・・
時と共に、流れ、全ては消えて行く
憧れた人、雨の中を探し求めた人
文字の間に、行間に、
夜の闇に消えて行く虚飾の誓いの化粧の下に
一瞥のもとに見抜いた人
時と共に全ては消え去る


この唄をルネは、オルレアン島に住んでいた頃を思いながら口ずさんでいたのでしょう。

次にルネが訪ねた場所は、ルネが生まれた土地サグネ(Saguenay)があるチクテイミでした。ちょっとややこしいのですが、現在サグネというのは、チクテイミ(Chicoutimi, La Baie, Jonquiereの3つの地域が一緒になり、「サグネ市」になっているようです。ルネの祖先にさかのぼっていく旅は、ここから始まります。(ref: La Baie wiki)







いろいろな地名が出てくるので、分かりやすいように地図を所々に入れておきます。サグネ(Saguenay)、ラマルベー(La Malbaie)、ベーサンポール(Baie Saint Paul)、ラベ(La Baie)などの地名が出て来ますのでチェックしてみてください。地名とその土地や街がどのあたりにあるのかが分かると、この記事の話も分かりやすくなると思います。








そして祖先の資料を探しに。


 リーデンググラス(老眼鏡)をかけて資料を見ているルネ!



見せてもらっているのは、ルネの祖先の洗礼の記録。「Alexis Simard アレクシスシマール」の名前を発見!






ルネのひい、ひいおじいさんとおばあさんの写真も保管されていました。この二人は、下の系図にある上から2番目にいるアレクシスシマール(1819−1896)とその妻のアントワネットです。





 次にルネがさかのぼる祖先は、上の画像のアレクシスシマールの父親にあたるアレクシスシマール。同じ名前ですね!ニューフランス(ケベック)にフランスから父親ピエールとやってきたノエルシマールまでケベックでのルネの祖先をさかのぼって行くと、ひい、ひい、ひいおじいさんであるこのアレクシスを含めて、アレクシスという名前の祖先は、4人、そしてAnge, Noelという名前の祖先が2人ずつ存在しています。そしてルネの弟のアレジャンロジャーにもアレクシスという名前が付いて、ジャンロジャーアレクシスとなっています。


ルネの祖先を捜す旅の番組についてのことをちょっと休憩して、あるルネの家系図サイトで書かれていたことを元にルネの兄弟姉妹のこと、祖父と祖母、曾祖父と曾祖母、そしてノエルシマールについてのお話を少ししたいと思います。


ルネの弟の話が出ましたので、ここでルネの兄弟姉妹について。ルネには、実はもう2人ベルナール(Bernard)とクロード(Claude)という名前のお兄さんがいたようですが、なんらかの理由で赤ちゃんの時に亡くなっていたようです。ベルナールは、ルネのお兄さんのレジスのすぐ上、そしてクロードは、ルネのすぐ上のお兄さんでした。(ref: descendants de vincent brun 1611)



このことを考えると、ルネのミドルネームになぜクロードという名前がつけられているのかがうなずけます。このお話について少しだけルネがインタビューで話していたことは覚えていますが、実際にそのお兄さんたちの名前を知ったのは、今回の記事のためにルネの家系図を調べていた時でした。この家系図のサイトは、とても詳しく調べられているようですが、この資料の事実性は、きちんと自分で確認するようにという注意書きがあります。このサイトでルネの祖先の家系図をたどって行くととても興味深いことが分かりますので、興味があれば見てみるといいと思います。

下記はそのリンクです。リンクを開くと出てくるページは、ルネのお父さん、ジャンロックシマールのページになりますので、祖先をさかのぼるには、ジャンロックシマール氏の父親の名前をクリックしていきます。

ルネの祖先の家系図サイト:descendants de vincent brun 1611

このサイトで紹介されていた、ルネの祖父と祖母、そしてひいおじいさんとおばあさんの写真、ケベックにフランスからやってきたノエルシマールのイラスト画像です。
先ずは、ルネの祖父アレクシスと祖母のマチルダの画像。これは番組の中でも紹介されていましたね。(ブログ記事その1)おばあちゃんのスカートの柄や壁に掛かっている写真なども以前に見たものより鮮明な画像のように思います。ケベックのルネとナタリーのファンのパトリシアさんのお話によると、マチルダさんは、ルネに会うと必ず、ルネの頬を手でつまんで引っ張ったそうです。もちろん愛をたくさん込めて!楽しいおばあちゃんだったのですね。笑


もう少し若かった頃のお二人。一緒にいる女の子は、だれなのか分かりませんが、たぶんお孫さんのお一人?

このお二人の画像は、たぶん葬儀の時に配られたものという気がします。このサイトによると、マチルダさんは、1974年9月3日に亡くなられたそうです。ルネが日本に初めてやって来た後すぐのことだったのですね。おばあちゃんは、ルネの日本での活躍を喜んでくれていたのでしょう。


そしてこの画像は、ルネのおじさんとおばさんたち!ルネのおじいちゃんとおばあちゃんには、15人ものお子さんがいたのです。前列に座っている左から2人目の男性が、ルネの若かりし日のお父さん、ジャンロックシマール氏。やはり、とてもハンサムです。中央に座っているのがアレクシスおじいちゃんとマチルダおばあちゃん。



次の画像は、ルネのひいおじいちゃんのアンドレシマールとひいおばあちゃんのクララさん。


そして、これがケベックをはじめ北米大陸に住むシマール家の祖先であるノエルシマールのイラスト画像。ノエルシマールのフランスでの仕事は、父親と同じように石工や大工などをしていたようです。ケベックにやってきてからは、イロコワ族の襲撃から守るために作られていた要塞の建築や入植者の家のために仕事に従事していたそうですから石工としての仕事は役に立ったのかもしれません。その後は、父親ピエールがBeaupréに手に入れた土地を開拓して定住しますが、借金の返済のためケベックでの初めての司教Lavalが持っていたBaie-Saint-Paulにあった土地の開拓をしたりして、その後、そこで自分の土地を手に入れます。(ref:traces_Pierre.pdf)

話は前後してしまいますが、この話を考えると祖先をさかのぼって旅しているルネが、フランスに旅立つ前に訪問した場所がこのBaie-Saint-Paulであったことがうなずけます。

ノエルシマール(1637-1715)



 では、また番組のルネの様子を見て行きましょう。

ルネが手にしているのは、ここでいただいた家系図と上の青い家系図の一番上にいるアレクシスシマール(1788−1875)とエリザベスが、住んでいた土地の地図のコピー。このアレクシスシマールは、ルネにとって、ひい、ひい、ひいおじいさんに当たり、サグネ地方の La Baie(ラベ)で大活躍をした人でした。





アレクシスシマールが住んでいた土地が記された地図は、1845年に測量士Jean Baptiste Dubergerによって描かれた色付きの土地の計画書です。アレクシスの土地は、右から2番目にあります。


下にあるのは、ルネが見ていた土地の計画書のオリジナル版です。ルネの出演したこの番組「あなたはだれ?」のために資料やリサーチなどを協力したというサグネのケベック州立の図書館/資料館のサグネ支部Bibliothèque et Archives nationales du Québec(BANQ) Saguenayのサイトで、ルネとアレクシスシマールと共に紹介されていたものです。この計画書には、土地の所有者の名前や、大切な場所である製材所や教会などの場所も記されています。(ref: Banq Saguenay)


上の画像が、ルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスシマールと妻のエリザベス


資料を持ってルネが次に旅したのは、アレクシスシマールが、大活躍したという土地 La Baie (ラベ)でした。地元の歴史家からアレクシスシマールについての話を聞いているルネ。




La Baie(ラベ)の地図です。




このLa Baieの街の地図の下中央にご注目!なんと、アレクシスシマールという名前のついた通りが!そうです、ルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスシマールの名前なんです。なぜなのでしょう。それは、アレクシスシマールがこの地域の開拓の歴史を開くために貢献したからなのです。



アレクシスシマールは、その頃、La Baieへの入植を希望していた人たちが多く住んでいたLa Malbaire(ラマルベー)に家族と住んでいました。そしてLa MalbaieでLa Baieでの仕事をするために結成された「ソサエティ21」と呼ばれる21人の1人でした。このグループは、松の木の伐採をする会社を設立し、La Baieでその仕事を始めたことがきっかけで、それまでは、開拓が許されず、入植も許可されていなかったこの地域に多くの入植者を呼び、土地の開拓が始まり街が作られる基礎を作りました。次の画像が、番組で公開された、「ソサエティ21」のグループ写真です。




けれども、La Baie(ラベ)の入植と開拓を実現させるのは、簡単なことではありませんでした。当時、ニューフランス政府との契約により、La Baie周辺で、ビーバーの毛皮猟や漁業そして伐採にいたるまで独占していたイギリスの勅許会社、「ハドソン湾会社」の存在があったからです。土地やサグネ川を独占して好きなように仕事をしていたハドソン湾会社にとっては、フランス人がこの土地に入植し開拓を進めるのは、歓迎することではありませんでした。

セントローレンス川沿い、特にケベックシテイ周辺では、この頃入植者が多くなり他の土地を探していた人たちが多く、その中でも土地が肥えているというレポートが公開されたLa Baieに入植したいと望んでいた人はたくさんいたようです。けれどもハドソン湾会社の存在とその会社が1842年まで持っていたla Baieでの活動許可のために、人が入り込めることができなかい状況が続いていました。

入植を希望する人たちが嘆願書を提出しましたが1度目はニューフランス政府の許可を得ることはできず、2度目の嘆願書が提出された後に、ソサエティ21がLa Baieにやってくることが可能になったそうです。ニューフランス政府もla Baieの様子をもっと調べたいという理由があり、ハドソン湾会社も、木材の切り出しだけならということを承諾したのでした。ソサエティ21には、すでに多くの入植を希望する人たちの期待があったのかもしれませんね。

ソサエティ21は、1838年4月25日にLa Malbaieを帆船で出発、途中、Tadonssacというところで立寄り、製材所を作っています。La Baieに到着したのは、1838年の6月11日でした。(ref: la baie wiki)

その当時のLa Baieの画像。もうLa Baieでの開拓が始まった後のような様子が見えますね。



では、具体的にルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスは、どんな貢献をしたのでしょうか。グループをまとめたのは、Alexis Tremblay という人でしたし、この会社の代表になったのは、Thomas Simardという人だったので、そういう意味では、表立ってのリーダーというわけではなかったようです。では、一体なにを?

ハドソン湾会社の意向であった木の伐採だけするという約束と意向に挑み、この土地に種を撒き、農作業をして開拓を始めた人がアレクシスシマールだったのです。このことがきっかけとなり、ほかの人たちの入植が始まったのでした。(ref: saguenay tours guides booklet )

アレクシスがしたことは、それだけではありませんでした。 La Baieの街に教会を建てるために力を尽くしたようです。その教会、St-Alexis-de-la Grande-Baie presbyteryが1842年に建てられるまでの期間、自分の家を教会として使って、礼拝などができるようにサポートもしていた。アレクシスは、この土地に定住したいと思う人たちが、そうなりたいと思うようなモデルになった人でした。(ref: tourisme saguenay ca  tours guides booklet)

「ソサエティ21」の伐採会社は、その後数カ所に製材所を作りましたが、2年ほどの間にお金のやりくりが立たなくなり、かねてからケベックで材木関係の仕事をしていたイギリス人William Priceに一切の事業を譲渡することになります。



番組で紹介された、現在のSt-Alexis-de-la-Grande-Baie presbytery(右にある建物)
この教会は、アレクシスシマールの当時から何度も修復をされ改築され、William Priceが譲り受けた伐採会社と製材所で作った木材も使われたそうです。(ref: saguenay tours guides booklet)


そして、この教会の右隣には、最初の開拓者たち、「ソサエティ21」の貢献に感謝した記念のモニュメントがあります。1924年にまず大理石の下の部分が建てられ、1926年にその上にブロンズ像が加えられました。このブロンズ像の名前は、「Alexis Simard le semeur アレクシスシマール 種を撒く人」。(ref:alexis simard le semeur, waymarking)
そうです!、この像は、ルネのひい、ひい、ひいおじいさんのアレクシスシマールなんです!

このモニュメントの上にいるアレクシスシマールのブロンズ像を見上げるルネ。さぞや嬉しく、おじいさんのことを誇りに思ったことでしょう。



モニュメントには、‘Aux Preminers Colons La Partrie Reconnaissante'  "To the early settlers, the grateful homeland". 「最初の開拓者たちよ、この土地に感謝します」というような意味のことが記されてあります。


そして、「ソサエティ21」のメンバーの名前が記され、アレクシスシマールの名前は、この会社・グループをまとめたAlexis Tremblay (Picote)の次に登場しています。この記事を書いている私でさえ、感動で胸が震えるような気持ちでいるのですから、私が調べたようなアレクシスシマールの話を聞き、このモニュメントを見たときのルネは、胸がいっぱいだったのではないかと想像します。



このla Baieでの開拓がスタートしたことで、サグネ地域全体に入植が始まり開拓がされていったそうです。また、アレクシスシマールには、10人の子供が誕生、その子供たちから98人の孫、そしてひ孫が375人も誕生し、その子孫たちがこの地方一帯に住み、開拓を進め、地域の発展に貢献したのだと思います。(番組の中での紹介 ジョアンヌさんより)

「ハドソン湾会社」は、その影響で、1842年に契約が終了した後は、ニューフランス政府との契約更新にはならず、この地域から撤退することになりました。

そういうわけで、ソサエティ21とアレクシスシマールの貢献は、この地方の歴史の中で偉大なものだったのでしょう。このことがこの地方での最初の歴史的な出来事として、2013年6月6日、 Ministry of Culture and Communicationによって正式に認識され、この年の6月11日の記念日には、このモニュメントの下で、175周年記念式典がありました。毎年6月11日には、ここで記念式典が行われているそうです。(ref: societe-des-vingt-et-un wiki)


La Baieの街の観光パンフレットには、興味深い画像とアレクシスシマールに関すること、今でも見ることができる場所などが画像とともに多く紹介されています。pdfでダウンロードができます。ケベックに行くときには、この街にもぜひ行ってみたいですね。






次にルネが行った場所は、最初の入植者たちについての展示を行っているところでした。



ここで、ルネは、この地方で最初に生まれた赤ちゃんの名前がロザリーであったことを知ります。ロザリーはルネにとって特別な名前です。ルネの娘さんの名前もロザリーなのですから。ここで生まれた最初の赤ちゃんとして洗礼を受けたロザリーは、ルネのケベックでの最初の祖先、ノエルシマールの娘でした。ノエルシマールの妻のマドレーヌには、14人の子供が誕生し、ロザリーは9番目に生まれました。ノエルシマールがBaie-Saint-Paulという土地に引っ越してきて新しい土地で初めて生まれたのがこのロザリーだったわけですね。



ルネがこの女性から、ケベックに住む10人に4人がルネと同じ祖先から出た子孫であることを教えられます。その様子を下のリンクからビデオで観ることができます。

4 quebecois sur 10 partagent un ancetre avec rene simard


番組のサイトで紹介されていた若き日のルネと家族。マリージョセに抱かれているのが、まだ赤ちゃんの頃のロザリー。





そして、このモニュメントが、ノエルシマールと妻のマドレーヌとマドレーヌに抱かれている幼いロザリー。家族が働きに来て、定住したBaie-Saint-Paulという街にこの記念碑が建てられています。番組では、この記念碑の紹介はしていなかったようです。


source:simardises


ルネが次に行ったのは、このBaie-Saint-Paulでした。そこまでは、アレクシスシマールが La MalbaieからLa Baieまで帆船でやって来た同じサグネ川をルネも同じようにボートに乗り、アレクシスも眺めていたであろう風景や土地を眺めながら、Baie-Saint-Paul (Charlevoix)に向かったのでした。









番組サイトで紹介されているルネの言葉です。

「僕は、(仕事で)世界中を旅するチャンスがあるけれど、ここにこうして立ち、この目映いばかりの美しい景色を見ていると、僕たちはなんて幸運なのだろうと思う。僕の祖先が愛してやまなかった土地。それは僕にとってとても刺激的で、僕を力づけてくれるものだ。」




Baie-Saint-Paul(または、La Malbaie)でルネがお話することになったのは、Charlevoix(シャルルボワ)歴史協会の代表であるSerge Gauthierさん。この方とこの番組のために仕事をしている様子のルネが紹介されていた記事がありました。それによると、この撮影がされたのは、昨年の5月。この後ルネは番組の中でフランスへ飛ぶのですが、それが実際に行われたのは、昨年の8月。



余談ですが、ルネが着ているシャツは、数年前にも着ていたものであることに気がつきました。最初に訪問していたサグネの資料館で着ていたシャツも、やはり数年前に何かのショーか番組の中で着ていたものでした。ルネは、物持ちがいいというか、きちんとしているというか!こんなところもルネのステキなところだと思います。


ここで二人が話したことは、たぶんアレクシスシマールの住んでいた土地のこと、そしてフランスからニューフランス(ケベック)へやってきたノエルシマールとその父親のピエールシマールのこと。フランスで二人が住んでいた街のことだったのだと想像します。ルネの祖先を捜す旅は、過去へ過去へとさかのぼっているのですから。




ルネが最初の場所で、コピーしてもらったアレクシスシマールの住んでいた土地の分かる計画書をもとに、このSerge Gauthierに、その正確な場所を教えてもらい、その場所を二人で歩くことに。ジョセフくんのお話では、二人が歩いているボードウオークのあたりがアレクシスシマールの住んでいた場所(土地)だったそうです。

まだよく分からないことは、アレクシスシマールの住んでいた土地とされる場所は、La Baieだったはずなのですが、この二人が歩いている場所はla Baieではないということです。うーん。。。この点については、まだ実際にこの番組を見たケベックのファンの方たちからお聞きしていないので、はっきりとしません。教えていただいたら、ここに書き加えますね。




フランスへの旅とルネのこの旅についての感想などは、次回その3として紹介いたします。

大変長い記事になりましたが、この記事を書くためにいろいろなサイトの文献などを読みまくり、自分で知ったことをどのようにまとめようかと時間がかかってしまいました。読みながら、ルネはきっとこのような内容のことを知ったのだと思うと、とても嬉しい気持ちになりました。

調べてみると、シマール家の家系は、とても有名だったこと、そしてルネが訪ねたように、フランスのシマール家が住んでいた街へカナダやアメリカからたくさんの子孫が訪問していることなども分かりました。

フランスからノエルシマールがどのような理由でやってきて、マドレーヌと結婚し、Baie-Saint-Paulに落ち着くまでのこと、マドレーヌの有名な祖父のこと、そしてアレクシスシマールのことなど、たくさん読んで、私の中でルネという存在が以前にも増して大切な宝石のように輝きを放っています。ルネが生まれる前のずっと昔、祖先がどのように生きていたのかを知ることができたことが嬉しく、そしてそんな祖先からルネがつながって生まれてきたことをとても素晴らしく感じています。

ジョセフくんの言っていたこと、「ルネには、祖先に変な人がいなかったことは、とてもラッキーなことだと思う。変な人どころかルネの祖先は素晴らしい人たちだった!すごいことだと思うよ。」

次回、フランスでの旅で、ルネがどのような体験をして、どのようなことを知ったのでしょう。私と一緒にみなさんも旅をしてくださいね!