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23.6.14

ルネが語るオリビエとロザリー/ADSMQ Soudine 2003年7、8月141 号のインタビューから。

「ルネが語るオリビエとロザリー」

ル ネとマリージョセの二人の子供達、オリビエとロザリーは、耳が聞こえない状態で誕生したということは、ルネファンの間ではもうよく知られていることです。 そのことがわかった時のルネとマリージョセの気持ちや状況は、どんなものだったのでしょうか。そしてその後、オリビエとロザリーが受けた人工内耳プラント 手術のこと、二人とのコミュニケーションや、サポートのことなど、ルネとマリージョセは、どうしていたのだろうと思われることでしょう。今回ご紹介する記 事は、以前から読んでいたインタビューの記事ですが、先日、この手術がカナダで最初に開始された場所がケベック。それから30年が経ち、30周年の記念式典が催されました。ルネとマリージョセもこの式典に出席したニュース がありましたので、この機会にみなさまにもルネとマリージョセがどのようにオリビエとロザリーと過ごして来たのかということを読んでいただきたいと思いま した。

インタビュー記事の前に、先日式典に出席したルネとマリージョセのニュースを紹介します。

今から30年前、北米で最初に人工内耳のインプラント手術が実施されたのは、カナダのケベック
シテイのHotel-Dieu de Québec病院で働く、この分野のパイオニアであるPierre Ferron医師によってでした。 最初の手術から、今年5月末で30年が経ちま した。ルネとマリージョセの二人の子供オリビエとロザリーの人口内耳をインプラントしたのもこの医師でした。。この医師の働くHotel-Dieu de Québe病院で人工内耳インプラント手術開始からの30周年記念式典があり、ルネとマリージョセもお祝いに駆けつけました。画像の左からPierre Ferron 医師、その隣にいるのが1987年、初めて子供として人口内耳のインプラント手術をこの医師から受けた女性、そしてルネとマリージョセ。

この30年の間に、この手術を受けた子供は、1600人を超えるそうです。オリバーとロザリーが手術を受けたのは、二人とも5才になる前だそうです。この 手術のおかげで、二人は手話を使う生活をしていません。聞く事も話す事も読む事も書く事もちゃんとできる人生を送っています。(source: サイト記事から)

ルネとマリージョセは、ずっとこのインプラント手術を多くの子供達が受けられるように、そしてその子供達が通う特別な学校(ロザリーとオリビエも通った)のためにチャリテイー活動、宣伝活動などに協力をしています。




で は、記事を読んで行きましょう。このインタビュー記事は、2003年に、ケベック難聴と聴覚障害協会(ADSMQ)の雑誌Soudineのためのもので、 ルネが、二人の子供達のことを話した内容です。このインタビューは、ルネがアーテイステックアドバイザーとして仕事に関わり、日本でも公開されたミュージ カル「エルビスストーリー」のために日本に行き、ケベックに帰ったばかりのときにされたものだそうです。インタビューの終わりに、このことについて少しお 話をしています。



Entrevue avec Rene et Marie Josee

ルネとマリージョセへのインタビュー

インタビュアー:Michel Nadeau


2003年7月 ADSMQ(L'Association des devenus sourds et des malentendants du Québec/ケベック難聴と聴覚障害協会)の隔月刊行雑誌 Sourdine 141号の記事より
source :http://adsmq.org/Entrevues/Simard.pdf 



ルネとマリージョセの子供は耳が聞こえない状態で生まれました。Muteがルネに会ってルネの話を聞きました。二人の最初の子供、オリビエが生まれたのは14年前、妹のロザリーは、その2年後に生まれました。

オリビエ、ルネ、ロザリー、マリージョセ
source: daily motion


オ リビエの耳が聞こえないということにルネが気がついたのは、オリビエが3ヶ月の時でした。オリバーがぐずって泣いている時に、いくら優しく言葉をかけて泣 くのをやめさせようとしても、オリビエは泣き続けていたからです。オリビエが泣き止めたのは、ルネとマリージョセが腕の中に抱いてオリビエを見つめた時だ けでした。

マリージョセは、それほど真剣に考えていず、心配する必要はないとルネに言っていましたけれど、ste justine 病院での幾度かの診察でオリビエが耳が聞こえないことが確認できました。オリビエは、11ヶ月になっていました。このことを知ったときの二人のショックは 大きなものでした。

2009年9月の頃のルネの家族:ロザリー、ルネ、マリージョセ、
オリビエ
source: passion simard

こ れからどうしていいのか分からないという気持ちでいることはとても怖いものでした。「オリビエに、僕たちが彼のことをとても愛していることをどのように伝 えたらいいの?」とマリージョセ。ルネは、「オリビエが僕たちを助けてくれるよ。僕たちが手話ができるようにしてくれるし、僕たちがオリビエの笑顔をとて も愛しているってことをちゃんと教えてくれるよ。」これが、ベビーカーシートに乗った幼いオリビエと一緒に病院から家に帰る車の中での僕たちの会話でし た。ロザリーの時には場合には、もっと早い時期に見つけることができました。現在では、病院では新生児に聴覚テストを実施しています。ルネもカナダ聴覚 財団の新生児の聴覚テストの普及のためのテレビニュースでのメッセージに関わっています。


「二人の子供達のことをとても誇りにしているルネ。そして二人の勇気を大変尊敬しています。」雑誌allo vedette 6月21日号の表紙から。(source:passion simard)


ル ネは、障害について、きちんと取り組み、障害とうまくつき合って行くことを学ばなければならないと言っています。「僕の仕事は、聴覚で成り立っているの で、この事については特に敏感なんです。僕たちの子供たちは、他の人たちを観察するという行為の中で多くの事を学んでいます。僕たちは他の人たちがしてい るよりも、もっと多くの目に見える方法でのコミュニケーションをしています。それは子供達から受け取る贈り物であると思うんです。そのお返しに、僕たちも 読んだり話したりすることを子供達に見せて教えているんです。」


journal de montreal 2011年6月17日の記事より
ルネ、ロザリー、マリージョセ、オリビエ、クロデイーヌバチョー

source: passion simard

実 際にルネとマリージョセは、ケベックのフランス語の手話(LSQ、カナダのフランス語圏で使われる手話)を学習し、オリビエとロザリーに幼い時期から教え てきました。「手話は、僕たちの一番最初の二人とのコミュニケーションでした。」オリビエは、両親が何を言っているのか理解できず泣いていたこともあった とルネは言います。このことがきっかけでASL(アメリカンサインランゲージ、アメリカやカナダの英語圏で使われている手話)を学ぶことになりました。 「ASLは素晴らしい言語です。」一つだけ、ルネがガッカリしたことは、ASL は国際的な言語だと思っていたのに、そうではなかったことでした。ASLと LSQには、英語とフランス語という他にもとても多くの違いがあるんです。僕たちはオリビエとロザリーに絶えずチャレンジするように求め、二人は、それに よく応えてくれました。(LSQ)手話について初めてルネとマリージョセが知ったのは、偶然の出来事があったからでした。まだ二人が結婚する前のある夜、 レストランで食事をしていました。そこで、手話でコミュニケーションをとっているカップルに気がつき、大変感銘を受けたのです。ルネとマリージョセは、そ の光景がとても素晴らしいと思い、そのカップルのテーブルに行き、二人を祝福したのです。


Le défi que lance René Simard (Diffusé le 22 mars 2008)
source: daily motion

ルネがテレビ番組(2008年)で、手話のミニレッスンをしてくれています。これはきっとケベックのフランス語の手話なのでしょう。画像に見えるルネがしている手話は、「パパ/お父さん」です。

その後、ルネとマリージョセの二人は、子供達の 自立を助けるために、考えることができるあらゆるコミュニケーションツールを与えようと努めました。 そして、人工内耳のインプラント手術を受けようと決めたのでした。オリビエは、5才の時、そしてロザリーは、4才の時にケベックシテイの Pierre Ferron 医師 から受けました。



「僕たちの子供達の人生を変えた手術、ルネとマリージョセ」
雑誌 La Semaine 2014年6月13日号 (source:passion simard)


Ste- Justine病院の遺伝学者によれば、オリビエとロザリーの聴覚障害は、遺伝に関係しているそうです。ルネとマリージョセの家系をさかのぼってみると、 たぶん二人は従妹同士なのではないかということです。その二人が夫婦になるとその子供の4人に1人の割合で、遺伝に関する障害が起こるだろうと言っていま す。

ルネは、人工内耳のインプラント手術後、オリビエとロザリーの成長の大きな変化に気がつきました。「学習能力も素晴らしく、オリビエ とロザリーは、人工内耳を使って聴こえるようになったことをとても喜びました。人工内耳のバッテリーが無くなると、子供達は、早く新しいバッテリーに交換 して!と大騒ぎになります。音楽を聴くこと事態はそれほど難しくありませんが、音の違いを聞き分けるのは、難しいようです。将来、技術がもっと進歩すれ ば、手術をし直すこともできるでしょう。」とルネは言います。わずか10分間で今使っている人工内耳が新しいものと交換できるのですから!


昨年からの画像:ロザリーとマリージョセ、ルネとオリビエ
雑誌allo vedette 2014年6月21日号

(source: passion simard)

オ リビエとロザリーの手術後、ルネとマリージョセは、リハビリテーションのために3ヶ月間、ケベックシテイに滞在しなくてはなりませんでした。手術とリハビ リをするための場所が同じという状況を変え、違う場所でもリハビリができるようになったらいいとルネは願っています。人工内耳の素晴らしい手術が出来たことを喜びながらも、すべてのことが一つの場所だけでしかできない状況というのは問題があることだと思っています。

手術後、リハビリをしていると思われるオリビエ
soucre:
Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie

私たちSoudineは、このことに関して、ルネに、ADSMQでは、モントリオール地域での人工内耳の埋 め込み手術が可能になるためのリクエストを(ケベック州政府に)提出していることを伝えました。2002年のケベック医科大学センターの集計では、この手 術を受けた人たちの56パーセントは、ケベック州西部から来ていました。

「インプラントの手術をしても、問題が解決したというわけではありません。絶えず子供達とコミュニケーションを取る為に努力を続けなければならないのです。」とルネ。
ル ネは、子供達の学校での学習も大変であることを話しました。学校での手話通訳のサービスも実施されなくてはいけないと思う。公立の小学校にいる間は無料で そのサービスを受けることができました。けれども、中高は、長いバス通学を避けるために、自宅から10分で行くことが出来るCLERKSHIP SACRED HEARTという私立の学校に行ったために、公立では無料で受けられるサービスも、ここでは、子供一人に年間30万ドル払わなくてはなりませんでした。

2012年5月、Foundation Soudine(耳の聴こえない子供達が社会へ出て自立できるように助けるための財団、ケベックシテイにあるラバル大学(医学部)と耳の聴こえない子供の親達が主催している。ケベックにある耳の聴こえない子供たちに手話を使わず声を使って教育する学校、the school oraliste Quebec hearing or deaf children の募金サポートなどをしている。のチャリテイーイベント the favour of theatreに出席したルネとマリージョセ。source:journal de quebec


ル ネは、ケベック州政府は、学校の種類を問わず、聴覚障害のある子供たちが、同じ無料でのサービスを受けられるようにすべきであると考えます。「親は、子供 達が社会に順応し、きちんと生きられるようになってほしいということを一番に望んでいることです。子供達が自立できるように願っているんです。」ルネは、 前州政府は人工内耳のインプラント手術の状況がもっと良くなるように努力していたということを強く指摘しています。また、 Pauline Maroisが、手術を受ける待ち時間の短縮、そして手術のための予算の増加のために良く働いてくれたと評価しています。ケベックの医科大学病院 (CHUQ)からの情報では、現在の時点で、手術が実施された回数は、1999年の34から2002年には77に増えていることをルネに伝えました。待ち 時間については、ルネのお話では、数年前までは、2年間でしたが、現在では6ヶ月になっているそうです。

ルネの家族の間では、たくさんの 会話がかわされるそうです。若い世代は、昔の若者よりももっと多くの情報を持っています。ですから学校で何が起こったかを親が知っていることはとても重要 です。とくにこの時期の子供達は、人生についてちゃんと説明されているべきだと思います。僕の家では子供達とセックスについて話し合っています。子供達は それをオープンに受け入れています、僕たちもですが、それほどオープンでは。。。


2012年4月、Foundation Soudineの13回目の募金チャリテイーイベンのThe flavors of theatreのリーダーとなった  jean-Yves Germain氏とルネとマリージョセsource:lequebecexpress

学 校から帰宅したロザリーが僕たちにこう言いました。「今日学校で、だれかが私に「コンニチハ、マダムデフ(耳が聞こえないマダム)」と言ったの。だけど、 私は、何とも思わなかったわ、だって私が耳が聞こえないというのは、本当なんだから。」このようにルネに伝えてから、ロザリーは、「でも違う態度をとった ほうが良かったのかしら?」とルネに尋ねました。「あなたのナンセンスな話(くだらないこと)を聞くより、耳が聞こえないほうがずっと良いわ。と言うべき だったね。」と言うのがルネの返事でした。僕とマリージョセは、子供達と素晴らしい関係を持っているんです。オリビエは僕に多くのことを話してくれるし、 ロザリーは、マリージョセととても仲が良いんです。マリージョセは、いい母親です。僕たちは、とてもいいチームなんですよ。

ルネとマリー ジョセにとって重要なことは、将来、きちんと子供達が働くということです。子供達は映画に出かけることが大好きで、時々友達と出かけますが、僕たちと出か けることが多いです。映画の話の内容を友達に尋ねなくてはならないということが嫌だからです。二人は、スポーツにも大変興味を持っています。オリビエは、 スピードスケート、そしてロザリーは、トランポリンをしています。オリビエは、芸術やアートの世界にはあまり向いていませんが、手先が器用です。何かを作 る、組み立てるということをたくさんしています。航空機の設計や建造を行う技術者になりたいという希望を持っています。最近、オリビエは、僕の兄が馬小屋 を建てる手伝いをしました。一方でロザリーは、ダンスの才能があります。きっとルネのダンスの才能を超えるでしょう!


2012年の画像。Foundation Soudineの募金キャンペーンのスポークスパーソンズ。ルネとマリージョセの左にいる男性が、オリビエとロザリーの人工内耳インプラント手術をした Pierre Ferron 医師。source: June 5, 2012 Lobe


ル ネとマリージョセは、子供達の状況が分かり、何を必要としているのか理解しているので、二人の言語力を高めようと努めています。「僕たちは絶え間なく繰り 返して話します。オリビエとロザリーは、それが自分たちのためであることを知っています。そして他の人との違いを笑えるようになりなさいと教えているんで す。僕たちが二人の質問にすぐに応えないと「もしもし、耳が聞こえないんですか?」と言って僕たちを笑わせてくれるんです。」ルネは、耳が聞こえないとい うことを障害であるとは考えず、他の人との違いであるというように考えているようです。「耳が聞こえないということは、落ち着いて考えれば、癌や他の大き な病気に比べたら、心配するようなことではないんです。二人の美しくて賢く、健康な子供達でいてくれるということはとても感謝することなんです。

ル ネは、健康サービスに関わることには、(ケベック州政府は)お金を出し惜しみせず、きちんとしておくべきであると考えます。「お金がかかりますけど、これ は本当に大切なことなんです!それから、健康サービスに関わる人たちのトレーニングにも(ケベック州政府)は、もっとお金を使うべきなんです。二人の子供 達の手話通訳者を探すのは本当に苦労しているんです。新聞でも、オーデイオロジスト(聴覚機能訓練士)や、スピーチセラピスト、手話通訳者などの数が不足 していると言っています。



今年の3月13日に、ル ネの大好きなモントリオールにあるフレンチレストランLe Bistangoでのチャリテイーデイナーが催されました。これは昨年のオークションでルネとマリージョセとのデイナーを共にすると言うFoundation Soudine(耳の聴こえない子供達が社会へ出て自立できるように助けるための財団、ラバル大学と耳の聴こえない子供の親達が主催している)のチャリテ イオークションがあり、約50万円(6000カナダドル)でこのデイナーの機会を得た人たちがいました。この画像にいる人たちは、Foundation Sourdineの関係者達だそうです。右端のストライプシャツの男性は、Le Bistangoのオーナー。ルネとマリージョセは、Foundation Soudineが現在、耳が聞こえない子供の為の学校のための募金活動に協力を呼びかけるスポークスマンをしています。story source: http://www.sourdine.qc.ca/2013/03/14/un-souper-unique/  (photo source: le bistango facebook)


最 後に、ルネは自分の仕事のことについて話してくれました。順調だそうです。ケベックのキャピトルシアターで人気のあった「エルビスストーリー」のショーを 日本でも披露することになり、そのプロダクションのアーテイステックアドバイザーとしての仕事で日本に行っていたのです。それからルネが仕事をした「ジェ ネレーションモータウン」のショーも、アメリカで披露されるそうです。将来は、もっと裏方の仕事をしたいと考えているそうです。「もう42才だからね。も うキュートだとは言えないから!」

マリージョセの仕事も順調です。「グローサリー」という番組で忙しくしていますが、彼女はこの仕事がと ても大好きみたいです。CBC放送は、マリージョセに夏中、この番組を続けて欲しいと言っていますが、この夏は子供達と一緒にリラックスしてのんびりして いたいのでその申し出を断りました。ルネとマリージョセは、いつも家族のための時間を大切にするために時間を作っているのです。


Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie


今回の記事で、ルネが語るオリビエとロザリーの幼い頃の話、そして手術のこと、リハビリの様子などが描かれているマリージョセのバイオグラフィーパート3のビデオBiographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partieが ありますので、ご覧になるといいと思います。フランス語ですが、この記事を読んだ後では、きっとルネやマリージョセが言っていることが想像できると思いま す。また、以前にもオリビエとロザリーについてのこと、ルネとマリージョセの募金活動についてのことなどを紹介している記事「ルネとマリージョセの基金活動la Fondation Sourdine pour l’École oraliste de Québec pour enfants malentendants ou sourds」があります。二人の募金活動についてもっとよく知ることができると思います。


今年の6月30日には、ルネと出会ってから40年になります。facebookのルネシマールのページでは、今、みんなで、そのお祝いとして小さくても特別なことをしようという計画があります。ルネのしているチャリテイーのために何か出来ないかなというような希望もありますが。。。40年を機会に、ルネを想うあなたも私たちのお仲間になりませんか。


最後にこの画像を紹介しましょう。マリージョセが司会をしているラジオカナダのテレビ番組 Cap sur l'étéのスタッフが思い出の写真を番組のpinterestのページで紹介しています。マリージョセが紹介しているのは、この家族の一枚です。とてもいいなと思う、大好きなルネの家族の写真です。






19.2.13

Un Air de Famille と第12回東京音楽祭前夜祭の様子から


ルネの最新ニュース






Un Air de Familleというのは、ケベックで昨年9月から放映されていた家族対抗の歌のコンテストショー。ルネがステージデイレクター・アーテイステックデイレクターをしていたテレビ番組でした。準備は5月頃から出場する家族のオーデションなどが進められ、12月中旬に終了。司会はルネの古くからの友人で、ルネと同い年(やはり2月生まれ)でもある、いろいろな番組でも共演することの多い CBC Radio-Canada(ケベックのテレビ局)で働く有名なホスト(司会者)であるPatrice L'Ecuyer。他に3人の歌のコーチとしてサポートする Bruno Pelletier(ケベックで活躍する歌手), Johanne Blouin(ケベック出身のシンガーソングライター、80年代から90年のはじめには、ルネと同じプロダクションにも属していたことがある人), Jean-Francois Breau(オンタリオ州出身のシンガーソングライター)。毎回3組の家族が出場して練習してきた歌を披露し、そこから視聴者によって選ばれた家族が次のプロセスに進み、最終的に優勝する家族が決定するという仕組みのようでした

 このショーの制作に関わったルネにとっても嬉しいことがありました。それは、このショーにとても関心をもったFrementle Media(フリーマントルメデイア)という世界最大のテレビ制作会社が、他の国での、このショー番組の制作権利を購入したからです。フリーマントルメデイアは、American Idol, America's Got Talent, The X Factor などの制作も手がけています。ケベック州で制作されたショー番組(のアイデア)を購入するのは、もちろん初めてのことだそうです。 ( 資料:le Journal de Montreal ) 英語圏でのショーのタイトルは、「ファミリーハーモニー」になるだろうとのこと。

このUn Air de Familleの番組は、次のシーズンの放映が決定されており、現在は出場希望の家族を募集しているようです。今年の放映も秋から(9月)の予定。

この番組については、Facebookのページもあり、興味のある方はそのページを見ると、今まで出場してきた家族の画像やビデオなどが紹介されているので便利だと思います。



左から 司会のPatrice L'Ecuyer, ステージデイレクターのルネ!、歌のコーチ Jean-Francois Breau, Johanne Blouin, Bruno Pelletier.

 un air de famille facebookからのルネの画像 番組プロモーション用(上の写真)の撮影をする前にお化粧などをしていただいているようです。ヘアスタイルは、ちょっと鉄腕アトム風?(笑)


 そして撮影の準備。ルネは楽しそうに笑っていますね。また面白いことをいっているのでしょうか。


このショーについて質問を受けている司会のParice L'Ecuyer、そしてステージデイレクターのルネ。ルネの仕事について「卓越した素晴らしいもの!」と話すPatrice。照れるルネ。。。番組のビデオなどを見るとルネの姿がなく、どのようにルネがこの番組のステージのために仕事をしていたのかとっても観たかったのですが、このビデオで発見!ルネが生き生きとステージでどのように歌ったらいいかなどを見せています。ルネは、昨年のミュージカル「雨に唄えば」の練習や公演ですっきりした体型のままの様子で若々しい!

Facebookの番組ページには、youtubeでは紹介していない番組に関するビデオがたくさん紹介されています。昨年5月にこの番組の準備がスタートしたころのミーテイングのテーブルについていつものよう他の出演者や番組関係者を笑わしているルネの姿も見ることができますよ。元気そうな最近のルネの姿をみたいルネファンは是非観て下さいね。




 ミーテイング中のルネのビデオ
服装などから考えると、番組のプロモーション用の写真の撮影は、このミーテイングの後に行われたのだと思います。(Facebookのアカウントを持っていないと観ることはできません。)


で、今シーズンのショーで優勝した家族は? Latreille ファミリーでした。このビデオはこの家族の最初にステージの様子です。




では、いよいよ!。。あのビデオです。

 以前お話していた第12回東京音楽祭(1983年3月)前夜祭のテレビ番組からのルネとナタリーの様子をご紹介しましょう。ルネはこのとき、音楽祭のプレゼンター(結局はグランプリ受賞者への花束贈呈のみに終わったのですが)、そしてナタリーの日本でのシングルレコードを発売するためのプロモーションのために来日していました。このビデオは私がビデオテープに録画していたTBS「第12回東京音楽祭(前夜祭のパートも含む)」の 番組からの抜粋です。これから数回に分けて、ルネとナタリーが出演している部分のみを紹介していくつもりです。今回は、そのうちの2つのパート。



一つ目のビデオは、パーテイ会場の司会の三雲孝江さんと生島ヒロシさんがルネとナタリーにインタビューする前に、歴代の受賞者やゲストなどについて昔のビデオを観ながらお話をしていくのですが、その最後に第3回東京音楽祭でグランプリそしてゲストだったフランクシナトラ賞を獲得したルネが、黒いスーツで涙をこぼしながら感動的に受賞曲「ミドリ色の屋根」を歌う姿の場面。最後の部分でルネとナタリーの姿がちょっと見えます。




二つ目は、一つ目の最後に出てきたルネとナタリーの場面からスタート。(最初の部分が途中からになってしまっていますが、その後また最初の部分から観る事ができるようになっています。あああ、編集が。。ちょっと失敗してしまいましたね!)ルネとナタリーが司会の二人にいろいろとインタビューされています。このお話の内容については過去の記事で詳しく紹介していますので、そちらも参考にされて下さい。そして、最後の場面で登場するのは、翌日の音楽祭でも司会をしていた朝比奈マリアさんと井上順さんです。マリアさんがルネとナタリーを紹介し、ステージに呼んでいるところで終了。このあと、ルネとナタリーは、あの「ミドリ色の屋根」を二人で日本語とフランス語で歌います。多くの意味で感動の時間とステージの二人の姿。このことについても過去の記事で書いています。


みなさま、この二つのビデオ、楽しんでいただけますように。涙がでてしまう。。。というファンの方もきっと多いかもしれません。。。実際にこのインタビューとステージを会場で見ていた私は、もう涙なみだの時間でした。。。みなさんはどうでしょうか。。。

もうこのビデオに関しては何も言うことはないでしょう。。。みなさまのご感想を楽しくというかちょっと複雑な想いで想像していたいと思います。

日本やケベックのルネのファンの方たちとルネの思い出、ルネへの想い、現在のルネについてお話ししたい、ルネを通してお友達を作りたい、そしていつの日かルネをもう一度日本へ呼ぶための活動をする一人になりたい!と思っていらっしゃる方は、是非、フェイスブックのルネファンのサークルへおいでくださいませ。そこには、39年前と同じ!ように「ルネを夢見る世界」が広がっています。。。フェイスブックへで私たちを見つける方法は、右側のセクションの上の部分に書いてあります。


Riko Auckland

3.2.13

京都 2度目の平野屋さんへの旅 その2


京都 奥嵯峨野鳥居本にある400年続くという平野屋さんへの旅、その2です。今回の記事で一番みなさんに紹介したいと思っているのは、平野屋さんの現在の女将さんが、ルネの撮影が平野屋さんで行われたことに際して覚えている事、女将さんの感想などです。

でも最初に、先週お話ししていたことの続きとして、平野屋さんでいただいた鮎と精進料理 のランチの写真を紹介していきたいと思います。日本には、たくさんゆっくりできるいい所がありますが、ルネがまだあの絣の着物と羽織を着て、あの平野屋さんの縁台に座っているような気がしているファンのみなさんにとって、ゆっくり静かに過ごせる場所で、あの13、14才のルネに会えそうなところに行きたいなら、この平野屋さんを訪ねるのがいいかもしれませんね。10日ほど休みなしに母の看病をしていた私は、どこよりもこの平野屋さんに一刻も早く到着して、心からの深呼吸をしてホッとしたかったという気持ちでいっぱいでした。

では、私が通されたお部屋の様子をビデオでとりましたので、ちょっと観てみましょう。





 ガラス障子の向こう側には、出窓ふうなスペースがありました。お隣にもお部屋があり、向こうに見える場所にも、こちら側より中がモダンなお部屋がいくつかあります。

 出窓の下に見えるのが、鮎の生け簀です。この時期は、鮎が大きくなって、メスかオスかを見分けられるようになっていて美味しい時期だと仲居さんが言っていました。


ビデオを撮っていると、しばらくして、ルネも食べたという「志んこ」(しんこ)という少しねじれが入って、ニッキ味のするお団子(きな粉付き)とお茶が運ばれてきました。最初に、お団子というのも変わっていますね。でも、おなかがすいて、歩いて疲れていたので、とても美味しく頂きました。


 ランチは、湯豆腐がつく精進料理と、湯豆腐に鮎も付いている精進料理のどちらかということで、最初は、湯豆腐のみと決めたのですが、やはり平野屋さんは、鮎料理で有名なところなのですから、鮎もオスとメスどちらも付けていただきました。そして仲居さんが、台所に伝え、板前の若いお兄さんらしき人が、生け簀に行き、鮎を採ってきてくれました。
 

では、次々と運んでいただいたお料理の写真を続けて紹介していきましょう。


最初の一品と、とてもおいしかったサイダー。歴史のある神戸のサイダーということですが、お店などには出回っていない珍しいサイダーなのだそうです。一品は、たぶん湯葉だったと思います。


次は、フキノトウの佃煮と、土筆(ツクシ)の煮付け(かな)ウドと麹みそ。あと二つは、何だったのか。。。思い出せません。


そして、いよいよ嵯峨野の湯豆腐の用意が。



 廊下を挟んで見えた土間の入り口に面したお部屋の風景がとても好きでした。


 湯豆腐と一緒に食べる薬味や、小魚の甘煮、そして鮎。鮎には、ポン酢とわさび?だったでしょうか。そんな味のつけ汁が付いてきました。とっても美味しい!鮎をメスの方から食べ始めた私は、とても苦労して骨を食べないようにいただいていたのですが、めちゃくちゃになってしまって、見苦しいお皿になっていました。そこへ、懐かしい女将さんが来られて、ご挨拶をしました。私の鮎の食べ散らかしを見た女将さんが、「まあ、鮎の食べ方をご覧に入れましょう。」と、オスの鮎の背中をお箸で上手に頭から尾のほうまで砕かれて、そして、頭を持って、お箸をスーッと動かすと。。。なんということでしょう!まるで魔法のように、骨から肉がスルスルとはずれ、魚が骨だけにきれいに現れてきたのでした。さすがです!


見て下さい、この違い! メスの鮎は、タマゴを抱えていました。


少し近況をお話して、食べた後でルネのお話をすることに。


 次は、天ぷら。レンコン、とうがらし?栗、茄子、きのこが、香ばしく、とても美味しい。もう満腹感がしてきました。。。


 そして、ご飯、がんもの煮付け(関西では「ひろうす」と言うらしいです。)、漬け物。これが出て来た時は、もう食べられない!と思ったのですが、2日後には、もう日本を離れることが頭をよぎり、こんな美味しい食事はできないのだとガンバって食べました。


最後には、このきんつばと、「おうす」(お抹茶)。きんつばは、まだ表面の皮がちょうどいいくらいのあたたかさがあって本当に美味しかった!お団子に始まって、きんつばで終わるというのもとても良かったです。満足!このランチの合計金額は、たぶん9500円だったと思います。安くはありませんが、私にとって、9500円の価値は、十分にあったと思います。ランチと静かな時間とそして女将さんとお話の時間がもてたのですから。

さて、では、女将さんとのお話を。
お店は午後になるにしたがって、だんだんお座敷のお部屋に入るお客さまがいて、女将さんは他のお部屋のお客さんに挨拶をしたりして、とても忙しそうでした。でも、ちゃんと私とルネについてのお話を長い間してくれて、感謝でした。

以前の記事でも書いていたかもしれませんが、2年前の訪問の時と今回お話したルネの思い出について女将さんがお話してくれたことをまとめておきたいと思います。(探偵みたいですが!)


1ルネが、撮影に来た時は、車で、何人もの人たちとやって来た。そして、もうあの絣の着物と羽織は着ていた。 

2竹林で撮影されたことは、知らなかった。けれどもきっと近くの竹林だろうとのこと。(竹林の道まで行くと柵があって入れないのでルネが竹林に入って撮影できるようなところではなかったこと。そして車でまたわざわざそこまでは行かなかっただろうと私は考えます。)ということで、私も女将さんの意見に賛成。そして、関係ない話かもしれませんが、ルネを刺したヤブ蚊は、もう天国に行っていることでしょう!

  この後にルネは泣きべそを。。。ヤブ蚊め!

 竹林道の柵が無いところを発見。このあたりのヤブ蚊がルネを刺した?でもやはりここは少し平野屋さんから少し離れているので違うかも。平野屋さん付近にも竹林がありましたからきっとその辺りの竹林で、ルネの撮影があったのでしょう。

 竹林の道。ここは、平野屋さんから徒歩で10分ぐらい?だったでしょうか。少し注意して歩かないと迷いそうな経路ですけれど、奥嵯峨野駅の南口から行くと、ここへ向かう観光客でごったがえしという状態なので、その人たちに付いて行けば簡単です。でも私がお勧めするのは、平野屋さんから静かな道すじを(たとえ迷ってしまっても。。)歩くこと。




3撮影していた時の様子
ルネの撮影があった時、平野屋さんの女将さんは今の女将さんのお母さんの時代でした。そして現在の女将さんはその時、まだとてもお若いお姉さんの時代でした。ルネと一緒に撮影されていた水を撒いている着物の女性は、その当時の女将さんではなく、仲居さんだったということです。その仲居さんは、亡くなっているそうです。

ルネは、あの縁台にちょこんと座り、おとなしくニコニコして撮影にのぞんでいたそうです。とっても小さくて、色白で、着物がとてもよく似合って、ほんとうに可愛らしかったそうです。女将さんがそんなルネを見ていたのは、ルネの背後にあるお店の暖簾の陰でだったそうです。

4女将さんは、その時ルネが一体どんな人なのか、なんで有名なのかまったく知らなかったそうです。ただルネという名前、そして時々今もルネがここで撮影したので来てみたというルネのファンが来ることが、ルネに関して女将さんが知っていることでした。



5ルネが来たのは、夏の頃。ですから平野屋さんの大きな暖簾は、白の麻ぽい暖簾。 春と夏それを使い、秋と冬は、紫の暖簾を使うそうです。ひさしの周りにある短めの暖簾は、「ひきまわし」というのだそうで、それは変えないそうです。今使われている夏の暖簾ルネの頃とは少し違っていると思います。ルネの背後にある暖簾には、右側に、「鮎」とだけありますが、先週お話していたホンダのコマーシャルでショーンレノンが座っている背後にある暖簾には、「鮎司」とあります。「ひきまわし」は、同じ物かもしれません。


 

「香魚」(あゆの肉は香気を帯びるとされ「香魚」とも書かれるそうです。)と書かれてある暖簾の向こう側は、昔ながらの台所。今もこの台所で食事を作っているようです。そして、ちょうど仲居さんがたっているあたりで、女将さんはルネの撮影の様子を見ていたのでしょう。

6ルネは、撮影に使われた「志んこ」(しんこ)というお団子を食べた。おうす(お抹茶)のことはお聞きしませんでしたが、あのお団子を食べたのですからきっとお茶も飲んだ事でしょう!ルネの隣に置いてあったのは、急須でしたから、あの時は、おうすでなくて、ふつうのお茶だったのかもしれません。

7ルネが使ったあのお茶のお茶碗は、今は使われていない。でもきっとどこかにしまってあるはずとのこと。でも、きっと「ルネの使ったお茶碗」を探すのは大変なことでしょう。。。お皿も!

8今もルネを想うファンが訪ねてくるときがある。そしてすごいファンになると、そこで泣き出してしまう人もいたそうです。 女将さんが言っていました。「ですから、ルネさんという人はよほど魅力的な人だった/なのでしょうね。」

 9女将さんが、ルネの歌を聴いたのは、私のアイパッドに入っていた「ミドリ色の屋根」と2003年に発売されたアルバムの曲を聴いたのが、初めて!ルネが歌手であったということも知らなかったそうです。ルネのこれまでの歴史のようなことについてお話をさせていただきました。そして、私のお話に耳を傾けながら、アイパッドの写真をパッパッと次から次にめくり、ルネの小さな頃、日本での写真、英語圏やケベックでの青年ルネ、そして結婚、二人のお子さんのこと、現在のルネの様子などを興味深そうに眺めていらっしゃいました。そして、ルネの歌を聴いておっしゃったことは、ルネがとても純粋な人のように感じられること、そしてそれが歌いかたにもあふれている雰囲気。小さな頃の面影が今のルネにも残っていること。それは姿だけではなくて、精神的なことも。

なんともいい風景。。。

女将さんの「ルネさん、ルネさん」という響きが大好きです。とても優しくて。今まで「ルネさん」とルネのことを呼ぶ人に会わなかったからでしょうか。そして女将さんは、「今もこうしてルネさんとのご縁で、平野屋にきてくださったり、想ってくださる人たちがいて、ほんとうに感謝している。」と言われていました。

ルネのことをひとしきりお話した後、女将さんに自由にルネについての思い出などを話しているところをビデオに撮り、このブログにアップしてルネのファンの方達に紹介してもいいでしょうかというリクエストに応えてくださいました。女将さんのお話は、ルネについての思い出全てを語っているわけではありませんが、女将さんの声と人柄がおわかりになると思います。ビデオは、3つに分けてアップいたします。つながりの部分が繰り返しの内容になっているかもしれません。

女将さんビデオ1



 女将さんビデオ2



 女将さんビデオ3





女将さんにはお忙しい時間の中、私の話におつきあいくださって、大変感謝いたしています。帰途につく間際、女将さんがお香入れとお香、平野屋の可愛らしいおみくじマッチ、美味しい葛の花まで!そして絵はがきと平野屋のブックレットなどをお土産に 用意して下さり、マッチをのぞき、他の物は大切にオークランドに持ち帰りました。お香は、本棚の上に置いてあり、そこの前を通り過ぎる度に、京都の平野屋さんの香りとともに、あの縁側にちょこんと座っている小さなルネの香りまでしてくるように思います。そして女将さんの「ルネさん」というお声も。


最後に2年前と同じように、ルネの座った場所で写真を女将さんといっしょに撮り、お別れしてきました。女将さんには、このブログのリンクを送ってありますので、きっと読んでいて下さっていることでしょう。

「女将さんへ
親 切にお話をしてくださり、貴重なお時間をいただき、大変ありがとうございました。ルネについてゆっくりと女将さんとお話できたことは、宝物です。京都を訪 れた際には、また是非寄らしていただきたいと思います。また、ルネのファンの方たちが訪れることと思いますが、女将さんにお声をかけましたら、どうぞよろ しくおねがいいたします。」 リコ

 では、みなさま、「2度目の平野屋さんへの旅 その2」楽しんでいただけましたように。

Riko Auckland


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