16.9.07

カナデイアンマガジン1972年5月の記事パート3から



この記事を書いているトロントスター紙のポールキング記者は、ルネとルネの周囲を独特の視点でみていたようです。過去の記事に、パート1と2の記事の中からの抜粋部分を少し紹介してきましたが、今回は、パート3の記事の中から気になった部分を紹介します。

マガジンの表紙の画像は、シャンタル博士からの提供です。
merci, chantal hakase!

パート3

「ル ネには、ステージに出るとき、いつもあのように言って、チャレンジをさせているのです。」GCは言います。

ルネは、兄が作った「島の少年」を唄っていまし た。ルネの声は、春の川の流れのよう澄み切って、力強い声でした。合唱団の男の子の声のようなバイブレーションもなく、高音になっても震えたりする声では ありませんでした。流れるようにスムーズできちんとしまりのある声です。マイクを握り、目を閉じて唄うルネは、今まで唄ってきたどのプロの歌手よりも年齢 が上に見え、スムーズに唄っているようでした。

ルネが歌を歌った時、父親は、カメラの後ろのあたりをウロウロとしていました。背が低くて、ハンサムな40 歳の父親です。緑のストライプのシャツの上からスキージャケットを着て、長靴をはいていました。指は、ニコチンでとてもよごれていました。

「ルネとレジス がステージで唄う前になると、いつもとても身体が震えるのですよ。」と英語で話してくれました。「そして二人が問題なく唄っているのを見ると、その震えは どこかに消えてしまうのです。」私は、彼に「レジスは歌を作るのですか。(書くのですか。)」と聞いてみました。すると「いいえ、レジスがメロデイを私 に、口ずさんで、それを私が音符にして書いています。そしてレジスが歌詞を加えるのです。」


父 親は、レジスがステージのルネに加わり、レジスが作った「僕のママは天使」の歌を一緒にうたっているほうを向きました。その時、ルネがちょうど「この歌を 僕たちが愛するお母さんに捧げます。」と言いました。父親は、二人の子供を少しの間見つめていて、そして言いました。「レジスには、自分の人生を好きなよ うに生きることができる普通の子供でいることができるように、私に出来る限りの努力するつもりです。」

数 分後に父親の姿を探しましたが、もう姿はありませんでした。テレビの出演が終了すると、レジスは、ステージから飛び降り、だれも気がつかないうちに、楽屋 に歩いて行きました。ルネは、まだステージにいて、ファンに囲まれていて、ステージアシスタントがルネをファンの中から捕まえて、ルネを肩に乗せてスタジ を後にしました。

画像の提供は、シャンタル博士です。
merci, chantal hakase!



この後、ルネは、別な場所でのコンサートをしますが、その記事の内容は省略してあります。その後、夜遅くステーキハウスのレストランでの食事をするのですが、そこで出会った世界チャンピョンの女性レスラーとのやりとりから記事の最後の部分までを紹介します。

その女性レスラーは、ルネに、もし歌手でなければ何をしたいのかと聞きました。「ア イスホッケーの選手になりたい。けれども、選手になるには、僕はとても背が低いので、建築家になると思う。」とルネは言いました。そこにいた人たちが皆笑 いました。ルネも笑い返しました。

後になって、私は、ルネに、今までで一番嬉しかったときはどんなとき?と訊ねてみました。とても大きな笑顔で、ルネは言 いました。「オルレアン島にお母さんのために新しい家を買ったとき。そしてこの春に、家族みんなでそこに引っ越したとき。その家のある場所は、僕たちが 育ったところの近くなんですよ。」


ルネは、フライドチキンを食べきることをできませんでした。時間が遅くなってきて、ルネは、誰も気がつかない間に、テーブルの下にもぐりこみ、そこで寝てしまったからです。その数分後に、レジスもルネと寝てしまいました。


こ の時が、私が二人を見た最後でした。現在のケベックで一番人気のあるスターと兄を。それはレストランのテーブルの下の床の上で、寝息をたてて寝ている二人の姿 でした。

テレビのショーの間、GCにルネが変声期になったらどうなるのかと聞いてみました。「本当のことを言うと、どうなるのか私にもわかりません。でも ルネのホロスコープを読んでみたら、ルネは一生唄い続けるだろう。と出ていました。」


(この後、GCがルネと契約しているのは、わずか5年間ということを思い出しました。5年後、ルネは、16歳になっているはずです。そしてその年齢は、変声期の時期でもあるのです。)

数日後、ルネと話すためにケベックに電話をしました。ルネは流感で病気だと言われました。ルネは、Ste. Adeleでのコンサートから帰宅した時から本当に病気になっていたのでした。

以上でこの記事は終了です。

この記事は、1972年5月にトロントの「トロントスター紙」という新聞に付いてきた雑誌スタイルの別紙にあったデビューして間もない頃のルネの特集記事です。記者は、ポールキング氏。この記事の全訳は、グループサイトで紹介しています。




今週は、日本のファンの方とケベックのファンの方が新しくグループの メンバーに入りました。これでグループの人数は22人となりました。 日本のメンバーは、6人です。まだカナダのファンの数に負けているので(笑)もっと多くの新しい日本のファンの方との交流を願っていますので、このサイトを楽しみに見ていらっしゃる方がありましたら、ご連絡をくださいね。


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