29.9.07

ルネのレアな画像の紹介/「モントリオール讃歌」



グループサイトの新しいページ、「レアな画像」より、ルネの珍しい、または、貴重な画像と画像についての記事をいくつか紹介します。

PassionReneEtNathalieSimardのグループでは、よくレアな画像が紹介されます。そこで紹介される画像を中心に、特に日本のファンの方が喜びそうな画像を紹介していきます。

PassionReneEtNathalieSimard group shares rare images of Rene (and nathalie) often, this page will introduce those images.


モントリオールオリンピック(1976年)
とルネの唄う「モントリオール讃歌」に
関する画像


モントリオールオリンピックスタジアムなどの建設を
指揮した当時のモントリオール市長
Jean Drapeauとルネ。


この市長が意欲をもって取り組んだオリンピックスタジアムは建設時から大変な問題を抱えつつ、またオリンピック後も問題が続いたことで有名なスタジアムになりました。ルネと見ているのは、そのスタジアムモデル、そして、ルネが手にしているのは、 オリンピックのマスコットになったビーバー、'Amik'のぬいぐるみと、カナダ政府が作成したオリンピックファンファーレ、ルネのモントリオール讃歌(英語とフランス語版)の2枚の入ったレコードアルバムです。


Rene and Jean Drapeau, the montreal mayor who was responsible for the Olympic stadium that caused a lot of problems before, during and after the olympic! Rene and Drapeau looking down on the stadium model. Rene is holding 'Amik' the beaver, the Olympic mascot and also the record that Canadian government released. it has two single records, one is for fan fare, and another one is rene's Olympic theme song both in English and French.


http://en.wikipedia.org/wiki/1976_Summer_Olympics#The_Olympics_in_Montreal

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

日本語ウキペデイア- 英語のページでは、モントリオールオリンピックの問題点について詳しく書かれていますが、日本語のページには、あまり詳しくかかれていません。



「モントリオール讃歌

ルネの「モントリオール讃歌」は、公式のテーマ曲ではありましたが、それは、ボイコットされ、結局他の人の曲がコンテストから選ばれてテーマ曲になったとの記述がthe canadian encyclopediaのサイトに書かれています。


Rene's 'welcome to montreal' song was the official olympic theme song but later, it was 'boycotted' and a new song was selected. the following is about the olympic theme song from the canadian encyclopedia:


The original Olympic theme song 'Bienvenue à Montréal,' recorded by René Simard (French 45 Nobel NL-5713, English 45 Nobel NL-5714), was boycotted, and a contest for a new song was held under the charge of Stéphane Venne. The winner, 'Je t'aime' by Christian St-Roch and Jean Robitaille, was recorded by Estelle Sainte-Croix (45 Solo SO-11401).

the canadian encyclopedia


日本で発売された「モントリオール讃歌」

(英語版の 'Welcome to Montreal'のみ)

B面は、「この旗の下で」



ボイコット

このボイコットがなぜ起こったか、カナダの英語圏をはじめ、ケベックのファンの人たちの中にもことことを詳しく知るひとは、いないようです。またボイコットされたこと自体も知らなかったようです。CBCのアーカイブサイトにこのことについて書かれてある記事を発見しました。

1976年のオリンピックについて、面白い話があります。カナダの雑誌、the glove and mailの記事ですが、モントリオールオリン ピックの準備委員会は、テーンエイジャーのルネシマールという歌手が唄う”welcome to montreal" という唄をテーマ曲にするため に、115、000ドルの費用を払いました。」

「けれどもこの曲は大変評判が悪く、多くのラジオ局は、この唄を放送するのを拒否しました。あるラジオ局の番 組制作者は、「一度聞きましたが、もうそれでうんざりしてしまいました。」と言っています。このような結果、オリンピック準備委員会は、この唄を さらに宣伝するためにもっと多額の費用をかけようと決めたのでした。」

In one amusing story from 1976, the Globe and Mail reported that COJO (Le Comité organisateur des Jeux Olympiques, or the Olympic Organizing Committee) had paid $115,000 for a song called Welcome to Montreal by teenage singer René Simard. It was "so awful" that radio stations refused to play it. "I listened to it once, and that was enough for me," said one station's program director. As a result, COJO decided to put even more money into promoting the song.

このサイトには、モントリオールオリンピックに関するいろいろな情報、ビデオ、ラジオ放送などが保管されています。

サイトリンクを見られる場合、最初のページにある四角で囲まれているセクションの中の did you know? をクリックしてください。そうすると3/4のページに、ルネのことが書かれている記事が出てきます。


ルネの曲が「あまりにも想像力がなく(一般的)、オリンピックについてプロモーション的(宣伝しすぎ)という理由から、ほとんど放送に使われなかった」という記述も下記の本の中にあります。

けれども「モントリオール讃歌」の作曲家は、ケベックの 有名な故人(Andre Mathieu)のものなので、メロデイ自体はオリンピックで使われています。


「モントリオール讃歌」は、

やはりオリンピックの公式の曲

1977年12月提出のモントリオールオリンピック公式報告書にあるArt and Cultureのページには、ルネの歌についての記述がありますが、後で選ばれたというテーマ曲については、何の記述もありません。


内容は、ボイコットについてのことでなくルネの唄が公式のものであったことを証明しています。 なぜかと言うとこのサイトは、公式のモントリオールオリンピックについての報告書の全容を紹介しているからです。

この報告書は、1977年の12月に提出されていて、ルネについて書かれてあるのは、 全3巻のうちの1巻目の578ページからの arts and cultureのペ ージです。それによると、オリンピックの一年前に ルネは、このテーマ曲を英語とフランス語でレコーデイングしています。そしてこのテーマ曲は、ニュースやラジオで オリンピックのことを紹介するときに一緒に使われたとあります。

開会式の音楽についての記述は、10人のデイレクターにより、291人が、制作、 デザイン、技術などに関わり仕事をしていたとありますが、ルネがオリンピックの開会式で唄ったことについては、まったく記述がありません。ということは、ルネは、開会式で実際に唄った事実はないのです。


A year before the Games, COJO published two records (one in French and one in English) of the song Welcome to Montréal sung by René Simard, winner of the international song competition in Tokyo in 1974, and first winner of the Frank Sinatra award. This record was accompanied by another containing the signature tunes promoting Olympic news on radio and television stations.

The OfficialCeremonies Directorate comprised 10 people. Another 291 were hired to work in the following fields: production (37), design (21), administration (139), and technical services (94). The 72 people working on the Tribute by Canadian Youth and the Olympic Rings sequences brought the total to 373.


また、モントリオールオリンピック準備委員会に関わったJames Worrallは、その著書、My Olympic Journey- sixty years with canadian sport and the olympic gamesの中で、開会式の音楽など、その様子を詳しく記述していますが、そこにも、ルネの歌のことは、まったく書かれてなく、Andre Mathieuの曲を元に編曲を担当したVictor Vogelがオリンピックオーケストラを指揮して、開会式のチームの入場行進などの音楽を担当したとあります。(153ページ)

My Olympic Journey - James Worrall


テレビのニュースなどでルネの歌が使われていたことを証明するグループメンバーでもあるシャンタル博士のyoutubeの映像があります。また、メロデイだけが閉会式で使われている映像もあります。シャンタル博士の映像の最後に、ルネの画像がありますが、このルネの服装は、モントリオール市長とオリンピックスタジアムのモデルを見ているルネの服装と同じですから、同じ日に歌のお披露目をした映像なのかもしれません。

montreal 1976 xxi olympiad - opening and closing ceremony on youtube

Bienvenue à Montréal... René Simard by chantal hakase!



1976年モントリオールオリンピックの記念品を手にしているルネ。モントリオールオリンピックや「モントリオール讃歌」については、shimazaki runeさんがミドリ色の屋根は永遠に〜Rene Simard に首ったけ」の ブログで詳しく書かれています。シャンタル博士のBeboページからこの曲(英語版)を聴くことのできるリンクも紹介されています。クリックするとオリンピック関係の記事のページに行くことができますので、お読みになってくださいね。




日本に来る前のルネの画像から。

日本に来るちょっと前のルネでしょうか。かわいいファンに囲まれて嬉しそうです。rene looks a bit younger than the time he came to japan. maybe just before 74? around 73?


日本に初めて向かう飛行機の中で。お父さんのジャンロック氏。ルネの向こう側にいるのは、秘書のダニエルバチョーさん。this is in the plane flying to japan in 1974.


この画像は、日本に来ることになる直前の頃でしょうか? is this a little before coming to Japan?



現在、 ルネのファングループコミュニテイサイト、Passion Rene Simard Au Japonのメンバーは、日本人6名とカナダの英語圏、そしてケベックからの16名の合計22名になりました。日本のファンの方の参加をお待ちしています。

メンバー参加の連絡は、私のgメールのアドレスか、グループサイトから、または、このサイトへのコメントでどうぞ。

グループサイトオーナー、nekonomiminoura




27.9.07

昨年のL'Heure de Gloire 「栄光の一時間」様子から

シリーズ1(昨年)のL'Heure de Gloireからの写真を紹介します。


http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/lheuredegloire.msnw

last year's L'Heure de Gloire

(september 27 updated)

merci beaucoup, gisele, and Mélyssa Peltier for taking beautiful photos!



Tribune de Sherbrook紙に掲載されたL’Heure de gloireの初回放映予告記事

newspaper clipping from Tribune de Sherbrook on september 21

merci, gisele! (september 25 updated)

http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/rende2000aujourdhui.msnw?Page=3

23.9.07

L'Heure de gloire 「栄光の一時間」についての記事

ケベックでは、おとといの金曜日の夜に初回が放映されたルネが司会するテレビ番組L'Heure de gloire「栄光の一時間」についての記事を紹介します。


これからももっと頑張る!

still able to take some

(september 23 updated)

http://www2.canoe.com/divertissement/tele-medias/entrevues/2007/09/13/4493437-jdm.html
http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/articles.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=8085


上記のインターネット記事からの要約です。内容は、ルネが第一回目に続き、2回目も司会をすることになった「栄光の一時間」のテレビ番組についてのもの。ケベック州では、今週の金曜日の夜9時から10時までの枠で番組の初回が放送されました。

ルネは、この番組、L'Heure de gloireが、前回よりもっと多くの視聴者に楽しんでもらえることを願っています。そして、同じ金曜の夜、8時から9時までの枠で放送されるベロニククルテイエ(GCの娘でテレビタレント)の司会するPAQUET VOLEURという優勝金を目指しての新しいクイズ番組と比べてもルネの番組は、見劣りしないものになるでしょう。

この2年の間、ルネとベロニクは、お互いにむずかしい立場にありましたが、同じテレビ局ラジオカナダの同じような時間帯の中で仕事をすることになりました。


ル ネは、今回の放映される時間帯をとても好ましく思っているようです。ルネは今回の時間帯になってくれるのをいつも希望していたのです。金曜日の夜の9時か ら10時までの時間は、視聴者が家のことや仕事が終ったあとでゆっくりとテレビを楽しめる時間だからです。そして、視聴者は、その前の一時間をベロニクの クイズ番組で楽しむこともできるので、ベロニクの番組は、視聴者がルネの番組を見るための「エンジン」的な役割をしてくれるのではないでしょうか。視聴者 がまだ忙しく家のことや仕事をしながら見るのは、ベロニクの番組なのかもしれません。


こ の第二回目のL'Heure de gloireの番組では、前回とはちがい、番組に応募してきてオーデイションに通った2人から5人のグループの一般の人たちが出演します。ステージの構成 や衣装は、番組からのアドバイスがあります。番組の目標は、あくまでも出演者たちに「自分たちの栄光の時間」を贈ることなのです。ですから、 番組側からは、そのパフォーマンスについての出来についての審査などはありません。ルネ自身も参加したオーデイションの審査では、すぐれたパフォーマンスをする人たちがたくさんいたそうです。


それからルネが、この番組について誇りに思うことは、人々に喜びを運んでくるものだということです。私達の周りには、ポルトガルで5月に姿を消した4歳の女の子、マデレーンや、ケベック州で7月にに誘拐された9歳の女の子Cédrikaについてのような多くの悲しいニュースがあります。「栄光の一時間」は、このような悲しみのある世の中で、人々に笑いや喜びを与えてくれる番組なのです。

ルネは、言います。

「こ のような悲しい事件の当事者になるのは、私達かもしれないのです。そして 悲しみで苦しんでいる家族の中の父親であるかもしれません。また、病気で苦しんでいる人たち、そしてその人たちの世話をしている人たちもいます。そのよう なことを考えるとその悲しみや苦しみは、私の胸に迫ってきます。」


「こ の夏に、15人の家族や親戚でクルーズに出かけました。それは、ハリケーンデーンが現れる直前でしたからハリケーンには会うことはなかったのですが。その クルーズから戻ってすぐに確かめたことは、誘拐されたCédrikaが発見されたかどうかということでした。それは、自分の娘や息子が無事に帰宅したかど うかを確かめるような気持ちからでした。もし自分の娘と息子が同じ状況になったらどうしたらいいかわからなくて途方にくれるでしょう。子供が誘拐されたり 行方不明になった両親にとって、悪夢であり、耐えられない悲しみと苦しみであるにちがいありません。」

このクルーズでの休暇は、ルネにとってかけがえのない家族との休暇になりました。ルネは、もうすでにラジオカナダでのテレビ番組や、シルクドウソレイユのショーの制作で、大変忙しく毎日をすごしています。このプロジェクトは、ルネにとってとてもやりがいがあるものですが、同時にたいへん神経をつかうのでストレスの多いものです。けれども、46歳のルネは、まだまだ頑張れます。週に3、4回、朝早くから、ステップや、ピラーテや、エアロビクスそして筋肉をつけるエクササイズをしています。

「あと3年半で、私は50歳になりますが、これからもいろいろなことを楽しみたいと思います。」


「それでは、ギリシャ神話の中にでてくる美少年アドニスのような身体なのですか?」とルネにきいてみました。


「深刻な病気もせず、身体はとてもいい状況で健康です。身体にいい食べ物をたべて、おいしいワインを飲んでいます。タバコも吸わないし、ドラッグ(麻薬)もしていません。」


今回の番組では、視聴者がお気に入りのグループを選ぶことができるサイトが用意されています。これは、Match des étoiles (match of stars)という Normand Brathwaite が司会をする番組との共同のサイトです。


サイトアドレスは、下記です。登録すれば、私達も気に入ったグループを選ぶことができます。そして、高い投票を得たグループは、ルネの番組にも出演できるようです。

http://www.radio-canada.ca/television/etoiles/




16.9.07

カナデイアンマガジン1972年5月の記事パート3から



この記事を書いているトロントスター紙のポールキング記者は、ルネとルネの周囲を独特の視点でみていたようです。過去の記事に、パート1と2の記事の中からの抜粋部分を少し紹介してきましたが、今回は、パート3の記事の中から気になった部分を紹介します。

マガジンの表紙の画像は、シャンタル博士からの提供です。
merci, chantal hakase!

パート3

「ル ネには、ステージに出るとき、いつもあのように言って、チャレンジをさせているのです。」GCは言います。

ルネは、兄が作った「島の少年」を唄っていまし た。ルネの声は、春の川の流れのよう澄み切って、力強い声でした。合唱団の男の子の声のようなバイブレーションもなく、高音になっても震えたりする声では ありませんでした。流れるようにスムーズできちんとしまりのある声です。マイクを握り、目を閉じて唄うルネは、今まで唄ってきたどのプロの歌手よりも年齢 が上に見え、スムーズに唄っているようでした。

ルネが歌を歌った時、父親は、カメラの後ろのあたりをウロウロとしていました。背が低くて、ハンサムな40 歳の父親です。緑のストライプのシャツの上からスキージャケットを着て、長靴をはいていました。指は、ニコチンでとてもよごれていました。

「ルネとレジス がステージで唄う前になると、いつもとても身体が震えるのですよ。」と英語で話してくれました。「そして二人が問題なく唄っているのを見ると、その震えは どこかに消えてしまうのです。」私は、彼に「レジスは歌を作るのですか。(書くのですか。)」と聞いてみました。すると「いいえ、レジスがメロデイを私 に、口ずさんで、それを私が音符にして書いています。そしてレジスが歌詞を加えるのです。」


父 親は、レジスがステージのルネに加わり、レジスが作った「僕のママは天使」の歌を一緒にうたっているほうを向きました。その時、ルネがちょうど「この歌を 僕たちが愛するお母さんに捧げます。」と言いました。父親は、二人の子供を少しの間見つめていて、そして言いました。「レジスには、自分の人生を好きなよ うに生きることができる普通の子供でいることができるように、私に出来る限りの努力するつもりです。」

数 分後に父親の姿を探しましたが、もう姿はありませんでした。テレビの出演が終了すると、レジスは、ステージから飛び降り、だれも気がつかないうちに、楽屋 に歩いて行きました。ルネは、まだステージにいて、ファンに囲まれていて、ステージアシスタントがルネをファンの中から捕まえて、ルネを肩に乗せてスタジ を後にしました。

画像の提供は、シャンタル博士です。
merci, chantal hakase!



この後、ルネは、別な場所でのコンサートをしますが、その記事の内容は省略してあります。その後、夜遅くステーキハウスのレストランでの食事をするのですが、そこで出会った世界チャンピョンの女性レスラーとのやりとりから記事の最後の部分までを紹介します。

その女性レスラーは、ルネに、もし歌手でなければ何をしたいのかと聞きました。「ア イスホッケーの選手になりたい。けれども、選手になるには、僕はとても背が低いので、建築家になると思う。」とルネは言いました。そこにいた人たちが皆笑 いました。ルネも笑い返しました。

後になって、私は、ルネに、今までで一番嬉しかったときはどんなとき?と訊ねてみました。とても大きな笑顔で、ルネは言 いました。「オルレアン島にお母さんのために新しい家を買ったとき。そしてこの春に、家族みんなでそこに引っ越したとき。その家のある場所は、僕たちが 育ったところの近くなんですよ。」


ルネは、フライドチキンを食べきることをできませんでした。時間が遅くなってきて、ルネは、誰も気がつかない間に、テーブルの下にもぐりこみ、そこで寝てしまったからです。その数分後に、レジスもルネと寝てしまいました。


こ の時が、私が二人を見た最後でした。現在のケベックで一番人気のあるスターと兄を。それはレストランのテーブルの下の床の上で、寝息をたてて寝ている二人の姿 でした。

テレビのショーの間、GCにルネが変声期になったらどうなるのかと聞いてみました。「本当のことを言うと、どうなるのか私にもわかりません。でも ルネのホロスコープを読んでみたら、ルネは一生唄い続けるだろう。と出ていました。」


(この後、GCがルネと契約しているのは、わずか5年間ということを思い出しました。5年後、ルネは、16歳になっているはずです。そしてその年齢は、変声期の時期でもあるのです。)

数日後、ルネと話すためにケベックに電話をしました。ルネは流感で病気だと言われました。ルネは、Ste. Adeleでのコンサートから帰宅した時から本当に病気になっていたのでした。

以上でこの記事は終了です。

この記事は、1972年5月にトロントの「トロントスター紙」という新聞に付いてきた雑誌スタイルの別紙にあったデビューして間もない頃のルネの特集記事です。記者は、ポールキング氏。この記事の全訳は、グループサイトで紹介しています。




今週は、日本のファンの方とケベックのファンの方が新しくグループの メンバーに入りました。これでグループの人数は22人となりました。 日本のメンバーは、6人です。まだカナダのファンの数に負けているので(笑)もっと多くの新しい日本のファンの方との交流を願っていますので、このサイトを楽しみに見ていらっしゃる方がありましたら、ご連絡をくださいね。


日本でのルネ2ページから

今週、「日本でのルネ2」ページにアップされた懐かしい画像と画像についての記事のいくつかを紹介します。


PassionReneEtNathalieSimardの「日本のルネ」のページからの画像です。


こ れは、何の番組だったでしょうか。後ろの方に林家みどり???が見えていますね。せんだみつおも!林家みどりの隣は、もしかするとフォーリーブスの一 人??そしてルネの横で唄っている二人は一体誰?ガロ?風??向かしすぎて覚えていませんが。。。ルネの活躍した時代はとっても昔になってしまったのです ね。。

i am not sure what tv programme this was. i only remember those people from long long time ago lol the time rene was popular in japan seems like ages ago! indeed it was some 33 years ago!

これは、TBSのモーニングショー「奥様8時半です」??でしょうか。(自分でもどうしてこのタイトルが頭に浮かんできたのかわかりませんが。。。)司会の男性の顔をよく覚えています。この番組をテレビでみていた記憶がありますが。。。

ど うしてこの時間に家にいたのか不思議ですね。 ルネの通訳をしていて道上さんの姿も後ろにあります。1983 のルネとナタリーの来日時には、二人がこの番組に出演しています。これも私は見ていました。司会の女性には三雲孝江さん。三雲さんは、そのとき、英語とフ ランス語を話され二人と会話をしていました。 74年頃にルネとフランス語で会話の出来る人は、あまりいなくて、雑誌スーパーアイドルルネによると、後で有名な映画監督になられた伊丹十三氏がルネと会話ができたと書かれていました。伊丹氏の作品には、「たんぽぽ」「お葬式」「マルサの女」 などの傑作が多くあります。どれもが日本人、日本社会や文化を興味深く描いています。伊丹氏が1997年に亡くなられてしまったことは、とても残念でなり ません。

this tv programme is from TBS (tokyo broadcasting, channel 6 in tokyo area). it was a morning talk show for 'housewives' at 8:30 every morning. the tall japanese guy behind is mr michigami who was rene's translator. in 1983, rene and nathalie were on this same tv programme together! one of the hosting people was a woman called ms takae mikumo who could communicate with rene and nathalie in both english and french. i remember rene could not find many people who could talk to him in french in 1974 and 75 in japan though there was one japanese guy did. his name is Juzo Itami who became a popular film producer later on. his films are all focused on japanese society, people and its culture with very interesting view points. 'tanpopo', 'funeral', 'taxing woman' are all his. his films are highly praised in Japan and other countries, they are often used in university classes studying about japanese society. you should watch those! very interesting and enjoyable films. sadly Itami passed away in 1997.


ネが持っているのは、年賀状でしょうか。「今年が貴方と私にとって

すばらしい年でありますように」と日本語でも書かれています。右上に書かれてある年が分かりにくいですが、たぶん1975か1976年だと思います。ルネの着ているシャツ、スカーフ、そして鎌倉を思わせるあじさいなどからそう思うのですが。

私はこの画像を今までに見たことがありませんが、みなさんは、覚えているでしょうか。

i think the card rene showing is a new year's card for 1975 or 76. i remember rene's shirt, scarf and the flower seems like from kamakura, japan. the card says, ' wish this year will be a wonderful year for you and myself'. but i’ve never seen this photo before, wonder if you have seen this?


この他にアップした画像は、ホテルオークラらしいホテルのレストランで会食するルネ一行と東京音楽祭関係者と思われる人たちの写真。

そしてその写真でルネの隣に座っている男性と同人物であると思われる東京音楽祭代表のFukamachi氏と再会した1983年のルネとナタリーの写真があります。

ルネの最新情報2のページから。

今週のルネの最新情報2のページにアップされた全記事を紹介します。


ケベックを代表するアーテイストの一人に認められたルネ

(september 15 updated)

インターネットのニュース記事からの要約

(giseleさんからの提供 merci, gisele!)

http://montreal.24heures.ca/ArtsEtSpectacles/2007/09/14/4494931-sun.html

http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/articles.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=7363

1984 年に設立されて以来ずっと素晴らしいショーで、世界各地において成功をおさめているCirque du Soleilは、これからの数年に新しく8つのショーを制作するそうです。そしてそのショーの制作に関わるのは、Cirque du Soleil にその才能を認められたケベック州からのアーテイストや技術者、クリエーターなど。Cirque du Soleil は、このことをとても誇りに思っているそうです。

ルネもその一人に選ばれたことは、とても名誉なことですね。なお、ルネの制作するショーのスタートは、 2009年ではなく2010年ということです。 マカオでの常設劇場は、現在建設中の大きなフォーシーズンホテル内にできるそうです。

この記事によるとマカオでは、2008年スタートする別のショー(もっと規模が小さいホテル内にできる劇場)もあるようですが、これには、ルネは関わりません。なお、来年東京デイズニーリゾート内(ホテル内のようですが)にできる常設劇場のショーの制作に関わる人は、ルネではなく、作家でありプロデユーサーでもあるFrançois Girardという人だそうです。

Cirque du Soleil is very proud of having many talented people from Quebec for their 8 new shows. Rene was chosen one of those talented people.

Rene's show will be open in 2010 (not 2009 according to this new article) at their permanent theatre within a big hotel (i think it's 'four seasons hotel') that is in under construction now.

下 記のサイトでは、Cirque du Soleilがマカオでのショーを決定、そしてマカオのホテルを経営する側との契約にいたるまでのこと、中国の情勢など、Cirque du Soleilが進出することについての記事が書かれています。

そして、ビデオのセクションでは、Cirque du Soleil が、2008年にスタートするショーの常設劇場が入る、現在建設中のホテルの様子、マカオの様子などを見ることができます。

The following link page article talks about how Cirque du Soleil decided to have its permanent site in Macau, and its contract with the United Arab Emirates that will own the hotel, and the timing to go to China etc. It says that it is a good time because china has been trying to change many things since 2004.


http://www.canoe.com/divertissement/arts-scene/nouvelles/2007/09/14/4496133-jdm.html

The Circus of the Sun - extract of the Storm spectacle

この画像は、sophieさんの提供 merci, sophie!


ルネのプロデユースするショーは、Cirque du Soleilが創立されてから18番目のショー!

ケベックの雑誌 7joursの記事から。提供はソフィさんからです。(september 14 updated)

Rene's work will be the 18th show Cirque du Soleil has produced since 1984!

article from '7 jours' magazine. its from sophie, thank you!

http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=8055


ルネがシルクドゥ・ ソレイユの18番目のショーを制作することが正式に決定しました。このショーは、マカオで披露されます。

「この仕事を任されたことは、僕の人生への素敵な 贈り物だと思っています。けれどもそれは、また大きなストレスでもあります。18番目のショーを担当するのですから!この仕事のようなものを今までにした 経験がありませんから。」

「僕の指揮の下に働く人たちは、60人います。これは、技術関係の人たちや装飾関係の人たちを含めていない人です。」


ルネは、9月21日午後9時からスタートする第二弾の「栄光の一時間」 の番組でも司会と制作を担当しています。第2弾の番組では、一般の人たちが出演します。ゲストには、ハイチ出身で現在はモントリオールに暮らすボクシング世界チャンピョンのjoachim alcineを予定しています。

9.9.07

新しくアップされた記事

今週アップされた記事からのいくつかを抜粋して紹介します。




ナタリーのページ

新しいアルバム「悲しみの庭」のアルバムジャケット
アルバムは、9月25日に発売!




ケベックのルネの思い出のページ

画像の提供は
PassionReneEtNathalieSimard



日本を離れてからのルネのページ

アメリカの雑誌の記事から。ルネのファンの女の子からのリクエストです。ルネのトレードマークだったボブからショートヘアーに変わったルネの写真があり少しずつ大人に向かいはじめたルネの様子がうかがえますね。この画像のルネは、15歳ぐらいでしょうか。この記事も抜粋ではなくて全記事を紹介しています。



ルネの記事をもっと見たいです!

雑誌の名前はわかりませんが、アメリカの雑誌からの記事でしょう。ルネのファンになった 、S Somersさんからの雑誌へのリクエストです。

「私は、世界一かわいいルネシマールに激しく恋をしています!けれども、貴雑誌では、最近ルネの記事をまったく見かけることができなくなりました。もしも

ル ネに関する記事があったとしたら、とても小さかったのかもしれませんが。私はいつも隅から隅まで注意して記事を読んでいるので、ふつう見落とすことはない のです。その他に貴雑誌に出てくる人で好きな のは、レイフギャレットとスコットバイオです。この二人の記事ももっと出してほしいと思いますが、特にルネについての記事をもっと載せてください!お願い します。」

レ イフギャレットとスコットバイオ!なんと懐かしい名前でしょうか。。。ルネがアメリカで活動をはじめた当時レイフギャレットも人気があり、二人は同じ番組 に出演したことが多かったようです。ギャレットは、カナダ全土で放送されたルネシマールショーというルネの番組にもゲスト出演しました。ということで

二人は結構仲がよかったのかもしれませんね。ナタリーもギャレットと撮った写真があります。

記事の提供は、ジゼルさんからです。thank you, gisele!

http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/articlesraresanglophones.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=7157



Canadian Magazine article May 1972 のページ


画像提供は、シャンタル博士
merci chantal!

オンタリオ州のローラさんから送られてきたこの記事は、とても長いので3パートに分けて紹介していますが、その2パートまでの訳が終わりました。この記事を書いているポールキングというトロントスター紙の記者はなかなか辛辣な内容も書いています。パート2でもルネやルネの一つ年上の兄、レジスのことについて興味深いことを書いています。気になった2つの部分を紹介しましょう。

ルネについて

ルネという子供についてのもっともすごい事実は、一人の才能を持った子供がいかにうまく商品化されてコントロールされ、スターの座をおさめ、そしてそのスターであるゆえに、純真な子供時代を剥奪されて、洗練された11歳の大人になって行ったという過程です。  少 し離れたところから、ルネを見ると、前髪をたらし、鼻の周りにソバカスがあり、肩にとどく輝く茶色の髪をした小さくて可愛らしい子供です。でも、そばに近 寄り、化粧をしていない顔にある目をみると、目の下にはしわがあり、たるみがでています。目は、とても疲れていて、年を取った人にように見えます。

ル ネには、個人教師がついていますが、今でもケベック市にあるセントピエール公立学校に通っています。ルネは、この学校の去年の5年生の試験では、30人中 3位の成績をおさめました。でも放課後になると、他の子供たちは、野球をして遊ぶことができるのに、ルネは、ショーのリハーサルやレコーデイング、仕事で の旅行、ショーへの出演などでいつも忙しくしていなくてはないません。そして夜には、他の子供が寝ている時に、ルネはたびたび、自分がしらない街でステー ジに立ってスポットライトの中で唄っているのです。

でも、ルネは決して弱音をはきません。病気のときでも笑顔をみせています。周りの大人がルネに、いつも笑って、そして唄い続けなさい。有名になって一番の歌手になるようにとルネに言うからです。君にはできると


レジスについて

レジスは今、12歳。そしてルネの一番の親友でもあります。レジスは、ルネのために歌も作ります。(すでに3曲がレコードになりました)そして、ルネのコンサートにも出演します。ルネより背が高くて、髪も長くブロンドをしています。
レジスの声は、とても素晴らしいです。けれども彼は、ルネの用に可愛らしくはなく、あか抜けてもいません。レジスは、スターになるようなタイプではないのです。ほんとにふつうの男の子なのです。ルネとレジスを比べるとき、レジスがルネより勝っているとは思わないでしょう。


今週は、ナタリーの歌手活動再開、そして新しいアルバムの発売。ルネのcirque du soleilとの契約とルネのプロデユースするショーの劇場の発表など、たくさんの嬉しいニュースがありました。二人の仕事の成功をお祈りします!


ルネとシルク・ドゥ・ソレイユ(太陽のサーカス団)

ルネの最新情報2のページからのニュース

モントリオールを本拠地に全世界で活躍をしているサーカス団 Cirque du Soleil
(太陽のサーカス団)の新しいショーの制作の仕事を今年の3月頃からしていたルネでしたが、このたび正式な契約を結び、ショーを披露する劇場も発表になりました。この記事がルネの最新情報2のページにアップされました。この記事は、抜粋ではなく全記事を紹介しましょう。

Rene and Cirque du Soleil in Macao, China!

ルネがプロデユースするCirque du Soleilサーカスのショーは、中国のマカオで!

下記のサイトの2つの記事からの要約
canoe.com
corusnouvelles.com/nouvelle-cirque_soleil_recrute_rene

 cirque du soleilとルネの契約を伝える画像の提供は
PassionReneEtNathalieSimard



Cirque du Soleilとルネの契約が9月5日に正式に決まり、ルネのプロデユースするサーカスのショーは、中国のマカオで、2009年の一月からスタートする予定 だそうです。マカオは、サーカス団のアジアでの2つ目の常設劇場となります。(1つ目は、2008年オープンの東京デイズ ニーランド内にできる劇場のことだと思います)このショーのテーマは、ミュージックレビューで、ラスベガスで25年も続く有名なキャバレー、Jubileeショーを元にしたようなものになります。

ルネをサーカス団のショーの制作に起用しようと考えたのは、サーカス団を設立した人であり、現在もサーカス団の代表でもあるGuy Lalibertéでした。彼は、ルネのプロデユースした「エルビスストーリー」「ナイトフィーバー」を観劇してルネの仕事に感銘しルネにサーカス団の新しいショーの制作を依頼したのでした。ルネは、今年の3月からすでにこのショーの制作の仕事をしています。

マカオの常設劇場は、今建築中で、フォーシーズンのホテルも同じ建物の中にオープンする予定です。

ルネは、Cirque du Soleilと一緒に仕事をすることにとても感激していて、そのことを目が覚めても見ていることができる美しい夢のようであると表現しています。

ル ネは、今までに、パリや、ベルリン、そしてラスベガスなどのサーカス団のショーに出かけショーの内容、構成、装飾などを勉強していました。そして現在は、 サーカスのメンバーや技術者たちとマカオの劇場のデザインなどについての仕事をしています。 そこに使われているものは、90%はケベックからのものであることをルネは誇りに誇りに思っているそうです。

こ のショーで音楽のプロデユースを担当するのも同じケベック人のMichel Cusson。ルネはこの人のことを、「僕と同じ言葉を話す人」(フランス語を話すことも音楽に対する考え方もということかもしれません)といって、大変 喜んでいます。MichelCussonは、ケベックのミュージシャンで、1992年に解散したUZEBという グループに入っていました。その後、映画(Dawn, In a galaxy close of on your premise, Monica the Grapeshot, Maurice Richard)や劇場(Cavalia, fantastic Legends)での音楽の制作の仕事をしている人です。

ルネは、まだマカオに行ってはいませんが、今年の12月に初めていくことになります。その後も何度か足を運び、2009年の1月から5月までは、マカオに落ち着くことになる予定です。奥さんのマリージョセも同行するでしょう。

ルネは、このショーの内容について「エルビスストーリー」とは まったく違うものになるでしょう。サーカス団の代表がこのショーに感銘してくれたことは、とても嬉しいことだけど、まったく違うショーを制作することは、とても楽しいことであると言っています。

4.9.07

ナタリーの唄う「悲しみの庭」を聴いてみてください。

写真提供
Le Journal de Montréal

ナタリーの大ファンのケベックの大学生、ジョセフ君がナタリーとルネのコレクションで大変有名なシャンタルさんのサイトに、1999年の番組でナタリーが唄った「悲しみの庭il y avait un jardinが保管されていることを発見しました!(笑)

シャンタルさんのサイトを開けると一つ目にあるのが「悲しみの庭」ですので、聴いてみてくださいね。

この曲は、9月25日発売の10年ぶり(以上)の新しいナタリーのアルバムのタイトル曲にもなっています。なおこの曲は、フランスの歌手、ジョルジュムスタキの曲です。ムスタキは、一時期、エデットピアフの恋人でもありその間、彼女のためにたくさんの歌をつくったそうです。また1995年日本の阪神淡路大震災の際には、チャリテイコンサートを開きその義援金を被災者に送ったそうです。

2.9.07

今週のアップ記事ニュース/日本でのルネ/ナタリー

ナタリーの新しいアルバム

今週の嬉しく大きな記事は、ルネの妹のナタリーの歌手活動再開のニュースでした!9月25日に発売される、ジョルジュムスタキの曲、「悲しみの庭」をタイトルにした全12曲のアルバムが大変楽しみです。ケベック州以外に住む人たちにとっては、オンラインでも購入が可能だといいのですが。なお、この記事についての詳細は、昨日のブログ記事をご覧下さい。


日本でのルネ

それから、今週、たくさんアップされたページは、「日本でのルネ」です。ケベックのファンコミュニテイグループサイトのPassion Rene et Nathalie Simardでも今週から、私達のグループサイトで紹介されている日本でのルネ関係の記事や写真を公開する新しいページ、Rene Au Japon がスタートしたからです。そこで公開されているルネの画像や記事は、ケベックのファンが持っているものもあるので日本のファンにも興味深く懐かしいものがあります。そのようなものを私達のグループサイトでも紹介しているので記事が多くなりました。

このページで今週紹介している記事と画像の一部をお楽しみください。ルネの日本での活動をご存知の方にとっては、大変懐かしいものだと思います。



この他には、ルネのドキュメンタリー映画、ルネオンメロデイのポスターの紹介、アグネスチャンとの記事や雑誌明星の表紙などの記事がアップされました。



新しいページ、「日本を離れてからのルネ もスタート!

このページでは、日本での活動後、当時知ることができなかったカナダの英語圏とアメリカでのルネの活動の様子を、特に70年代のいろいろな記事や画像から見ていきます。今週の記事は、アメリカのテイーン雑誌、「シックステーン」からの記事。かなり過激な内容の記事です!(笑)


「ルネシマールに首ったけ」ページの新しい記事
  1. メープルメイツ会報no.3から、「ルネの故郷」
  2. バスケットボール部に入部したルネの記事と画像。
  3. メープルメイツ会報no.3から、「ルネの日本での休日」
  4. レイクルイーズでのプライベートな休日を楽しむルネ。
  5. 水泳とアイスホッケーの記事。
  6. 「ルネからあなたへ微笑みの手紙」
などの記事が、英語とフランス語訳になっています。
これらの日本語の記事は、Shimazaki Runeさんの素敵なルネブログ、「ミドリ色の屋根は永遠に〜Rene Simardに首ったけ」でオリジナルをお楽しみくださいね。

1.9.07

ルネの妹ナタリーが歌手としての活動を再開します!



http://groups.msn.com/PassionReneEtNathalieSimard/votrepageweb20.msnw?&pps=k


10年以上もの間歌手活動をお休みしていたナタリーが、いよいよ活動をスタート
します。9月25日には、新しいアルバムが発売されます。アルバムのタイトルは 'il y avait un jardin' (日本語では「悲しみの庭」)この歌は、ジョルジョムスタキの歌です。

以下は、グループサイトからの記事の抜粋です。

全12曲からなるアルバムは、英語とフランス語の曲でこれまでのナタリーの人生を語るような内容になります。

この12曲は、ナタリーが100曲の候補の中からナタリーが選んだもので、il y avait un jardinは、戦争(個人での争いも含め?)や恐怖で自由がなくなってしまったことを唄い、それに続き、luc cousineauの vivre en amour, jim corcoran の On s'est presque touché , gilles vigneault の Pendant que les bateaux,

serge lama の Je t'aime à la folie、そして、8月29日に13歳になったばかりの娘、イブに捧げる歌である、'Eve', そして、dennis deyoungの 'babe'などの曲が入っています。その他の曲:Carol Kingの you've got a friend など。

ナタリーは現在、38歳になり、これまで10年以上もの間、唄う事をやめていました。その原因はショービジネスの世界でひどい目にあってきたことでした。また、世間の人たちの評判や噂を恐れもあったために歌を歌わなくなりました。そんなナタリーでしたが、友人である、Denise Filiatrault, Danielle Laurin そして Claude Duboisなどの励ましにより、少しずつその考えを変えるようになりました。

ナタリーのアルバムの完成発売のお祝いは、9月25日にナショナルモニュメントで開かれ、Simon Godinの監督のもとに、ナタリーが自分のバンドといっしょに、5、6曲うたう予定です。ナタリーは、すぐにショーを開きたいと願っています。

情報ソース:http://www.cyberpresse.ca/article/20070829/CPARTS03/70829074/1017/CPARTS