先週からの記事の後編が今回の内容です。先週の記事の内容は、フェイスブックでのルネファンの方達の間では、とても心にしみたという感想でした。ルネの人生への考え方に協賛した、そして子供の頃のルネだけではなく、53才になった現在のルネのこともとても魅力的に感じる。誇りに思うという声がありました。また、同じぐらいの人生を生きてきている自分にとってルネはその道標のように感じるとおっしゃってくださった方もいました。
今回の後編では、ルネはデビュー当時のこと、父親のこと、自分の子供達のこと、そして奥さんのマリージョセとのことを多く語っています。そういうことを話した最後に、自分の笑顔にはどんな意味があるのかをまとめてくれたように思います。
思ったよりも長くて、日本語にするのにも時間がかかりました。その翻訳中に、記事の中で話されていることに関係のあるものを書き加えたいなと考えました。ですから、記事の内容の間に余計なものが書かれていたりビデオが入ったりして、記事が読みにくいと感じられるかもしれません。でもこの作業をして「ルネをもっと知るための旅」をしたような気持ちがしています。この記事を読む皆さんは、どのようなことを思うのでしょうか。
この画像は、また後ほど登場してくるものですが、「僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの」というルネの気持ちがなんだかとても伝わってくるなと感じていいなと思います。この記事を読み終えた時、みなさんもこのルネとマリージョセの姿を同じように感じるでしょうか。
この画像は、また後ほど登場してくるものですが、「僕の笑顔、それは僕を守ってくれるもの」というルネの気持ちがなんだかとても伝わってくるなと感じていいなと思います。この記事を読み終えた時、みなさんもこのルネとマリージョセの姿を同じように感じるでしょうか。
番組のセットで一休み中のルネとマリージョセ
source: Cap sur l'été Radio Canada
それでは、3月に発売された雑誌の記事の後編のスタートです!
ルネが直接言っているらしい言葉を青文字、記者がルネの考えをまとめているような内容をミドリの文字、そして私が記事に関係したものを書き加えたものを*黒文字で記述していきます。 以下にあるような黒い太文字は、段落ごとのタイトル、またはビデオなどのタイトルに使っています。
source:passion simard
ルネが幼い頃のおかっぱヘアスタイルのヒミツ
ルネが幼い時のあの有名なヘアスタイルは、みんながしていた流行していたスタイルでした。けれどもルネにとっては、そのヘアスタイルは一番気持ちを落ち着かせてくれるものだったのです。ルネは、自分の大きな耳に強いコンプレックスを持っていたから。「僕が テーンエイジャーの時に、手術をしてその形を矯正しました。よく女の子のように見られたロングヘアをしていたのは、その耳を隠したかったからなのです。だからついにそのロングヘアをカットした時には、僕はとても誇りに思いました。だってとうとう男になったというような気がしたからです。」
ノーとは言えない性格
ルネは、同僚に対しては、どんなことについてもノーと言う事ができない性格です。 たとえそれがもう一度、カメラの前や人前に出る仕事であってもです。2012年のミュージカル「雨に唄えば」の舞台に出演することになったのは、友人であり演出を担当していたdenise filiatreauitに頼まれたからであり、un air de famille の番組のデイレクターとしての仕事をするように説得したのは、やはり友人のPatrice L' Écuyerでした。
1990年と91年のケベックの人たちが楽しみに観る大晦日に放映される風刺コメデイ番組’Bye Bye'にルネが初めて出演した時にも同じ理由によるものでした。友人であるDominique Michelから出演を頼まれたからでした。
*Bye Byeは、その年に起こった出来事をおもしろおかしくコメデイにして演じられるケベックの大晦日恒例の番組。Dominique Michelをはじめ、LÉcuyerなどの友人たちがいろいろな役柄になってコメデイを演じます。
*Dominique Michelは、ルネと兄レジスが出演した1973年の映画 ’J'ai mon voyage’ (僕の旅に出かける)で、 ルネ(とレジス)の母親役を演じたケベックのコメデイアン、女優、歌手、アーテイスト。
*(90年の初出演で、ルネは、友人であるPatrice L' Écuyerの物まねをして、大好評を得ました。source: TV Hebdo )
90年のBye Bye ルネの場面ショートバージョン
同じ番組、ルネの出演場面のロングバージョン
* 見るだけで面白い!ルネのモノマネの才能を大発見!笑 必見です。ルネがモノマネをしているのは、司会の仕事をする仕事の多い友人Patrice Lécuyer、そのPatrice Lécuyerがモノマネをしているのが(赤いドレスの女性)同じくルネの友人のコメデイアン、女優のDominique Michel。白いドレスの女性が、そのDominique Michel.黒のジャンプスーツで現れているのがルネのモノマネをしているYves Jacques.
* Drapeauは、モントリオールオリンピックが開催された時のモントリオール市長。その時の公式テーマ曲、'Welcome to
Montreal 'をルネに歌うように要請したのもDrapeau. オリンピックに市の財政を注ぎ込みすぎた市長にモントリオール市民やメデイアが反発、その財政難のために市のゴミ収集
もままならずという状態などもあり不満爆発。ルネの歌うこのテーマ曲は、そのような状況と雰囲気の中で発表されましたが、歌の歌詞はあまりにも受け狙いの商業的(でも歌詞は、ルネが作詞ということになっています)、こんな状況の中で聴いていると嫌気がさすなどの理由でメデイアにもボイコットされ、ルネがオリンピック開会式または閉会式でこの歌を披露することはついになかっ
た。。といういわくつきのストーリーがあります。ルネは、その市長のモノマネ担当。そして歌っているのは、なんとその市長を風刺して?(たぶん)市長がお
金をたくさんかけて、建築デザインにも深く関わったモントリオールオリンピックスタジアムについての歌。。このようなことを分かった上でこのビデオを観る
とちょっと複雑な心境ですけど。。。ルネは平気そう!
このテーマ曲に関するブログ記事「モントリオール讃歌」
将来いつか、ルネがまたこのような番組に出演するとしたら、それは友人からの依頼を断れないからでしょう。例えば、ADISQ など授賞式典番組でも共演していて、よく一緒にスキーに出かけ ているルネの仲良しな友人であるSylvain Cossette(ケベックで大人気のシンガーソングライター、シルバインコセット)「彼とはとても気が合うので、また一緒に仕事をするだろうと思います。」
* とっても素敵なシンガーソングライター、シルバイン コセット!ルネが親しくしている友人らしいです。このほかにも素晴らしい歌がyoutubeでたくさん紹介されています。ルネとは、ほとんど同い年(ルネは、61年、シルバインは63年生まれ)で、ちょっとルネに似ているようなそうでないような! ケベックでは、数々の賞を受賞、アルバムの売り上げもすごいようです。昨年から今年にかけて、過去12年間で初めての彼自身が書いたフランス語でのオリジナルな歌ばかりを納めたアルバムLe jour d'après を昨年の10月に発売し、昨年から今年にかけてツアーをしているそうです。(source: sylvain cossette wiki)
親しい友人たちをガッカリさせたくないという気持ちをルネが持つのは、ルネが子供の頃に感じていた寂しさから来ているものなのでしょう。ルネは、幼いときの自分を、「友人がいなくてとても孤独な子供だった」と記者に話しています。「世界中を旅行して仕事をしていた僕には、ふつうに暮らしている同じ年頃の友人を作るのは、本当に難しかったんです。」
自分の父親のような人生への別れはしない
53才のルネというアーテイストにとって、二人の子供達は何よりも大切なものです。ルネは、その二人のためだけでなく、将来のその二人の子供達/ルネの孫たちのためにも可能な限り長く生きていたいと考えています。ルネは、アルコール依存症で苦しみ、険しい生き方をしながら突然亡くなってしまった自分の父親のことをどうしても考えてしまうのです。「僕は、孫達が成長していくのを見届けるチャンスを持ちたいと願っています。僕の父親は、僕たちが予想もしていないぐらい早く突然に僕たちのもとを去って行ってしまいました。僕は父のようなお別れはしたくありません。」
ルネは、子供の時期、自分の父親にもっと一緒にいて欲しかったという憶いを隠そうとはしません。ルネが幼い時に必要としていたサポートをしてくれたのは、母親と、エンターテイメントの世界のプロの同僚たちでした。 Sous les étoiles(星の下で)と言うラジオ番組の中で、こんな風に話しています。「僕は、幼いながらもすぐに人前でどんな口調で話したり、態度をとったらいいかを学びました。あまりいろんなことをさらけ出さないようにすることは大切でした。顔をたたかれたこともありました。ギークルテイ(元のマネージャー)について、人々がどのように考えてもかまいませんが、僕が教えられたのは、インタビューの受け答えでは単刀直入に話すということでした。」
ルネ自身が父親になって、いつも考えてきたことがあります。それは、子供たちが10才の時、ネガテイブな影響から守りたいということでした。「なぜかと言えば、それは僕がエンターテイメントの世界にデビューした年齢が10才だったので、子供たちが10才を迎えた時には、絶対子供たちを守ろうと心に決めたんです。恐れていたのは、子供達がだれか/何かと悪い出会いをしてしまうのではないかということでした。」
年齢
ルネは、もう自分の身体が完璧ではない状態であるということを知っています。「もう2年の間体重が簡単に減らないということに気がついているんです。僕のメタボリズムは衰えてきているようです。とってもそのことを感じているんです!(笑)」それでもルネは、もう何年も毎日決まったスケジュールでエクササイズをしています。「マリージョセは、(シルクドソレイユとリーボックが開発した)jukari (fit to fly)のエクササイズと水泳をしています。僕は、毎朝リフテングをして、それから足を壁につけて頭を床に落として腕立て伏せを60回します。」ルネは、そのようなエクササイズをすることがとても苦しく思う朝さえ休むことをしません。たとえば、前の番にワインを飲みながら美味しい食事をしたら、ふつう翌日のエクササイズはちょっと休んでしまうか手を抜こうと考える朝でも、ルネは同じエクササイズをしています。
ルネとマリージョセにとって、50代になってもう一つ変化したことは、息子のオリバーが家族の「巣」/家から飛び立つのを見送ったことです。娘のロザリーは、まだ家に同居していますが、22才の女の子なので忙しいスケジュールがつまっていてあまり一緒に過ごす時間がありません。ルネとマリージョセが二人の子供たちの近くにいて世話をする必要がなくなったのです。二人はそれを寂しいと思っているのでしょうか。まったくそんなことはありません。ルネは、「マリージョセと二人でまたテーンエイジャー時代に戻ったみたいだ」と説明しています。長い年月が流れたのだなと感じながら、今この瞬間を楽しもうという気持ちでいます。ルネが50才の誕生日を迎えた時には南アフリカでお祝いしましたが2014年の今年もまた新たな旅を計画しています。
「まだどこに行くか分かりません。けれどもまだ健康で若いうちにできるだけ楽しまなくては!と思っています。」
マリージョセとルネのカップルは、ケベックの芸能界の中でも絆が深い夫婦の一組だと言われています。二人はお互いに出会う運命だったようです。ルネが子供時代のことを話してくれました。「学校の教室に雑誌の取材でやって来たカメラマンが、黒板に何か書いてほしいと頼んだんです。その時、マリージョセは、とても人気のあるコマーシャルをしていて僕たちの学校のノートにもその広告がありました。だから僕は、黒板のあちらこちらに、「僕はマリージョセを愛してる」と書いたんです。僕のスープの中にマリージョセの顔が見えるほど大好きだった。その時の写真(ルネがマリージョセを愛してると黒板に書いた写真?)を僕は今も持っているんです。」
*スープの中にその人の顔が見えるというのは、スープの中にもその人の顔が見えるくらい、どこをみてもその人の顔が浮かんでくるぐらい好きというとてもフランス的、あるいは、ケベックフレンチ的な愛情表現だそうです。ルネの妹ナタリーの大ファンであるジョセフくんとpassion simardのジゼルさんが教えてくれました。
* 70年代の初め、ルネもマリージョセもテレビコマーシャルをしていました。違う製品のコマーシャルでしたが制作していたのは同じケベックのフランス語の広告会社でした。そのことについてのブログ記事へのリンクです。ルネ、マリージョセのコマーシャル
source: Marielle Morin's photo (thanks Marielle!)
「マリージョセを愛してる」と黒板に書いていたのはこの時期?
source: biographie de marie-josee taillefer
その頃、コマーシャルをしているマリージョセ
25
年以上も二人は一緒にいます。にもかかわらず、火花を散らしたことはありません。去年の夏、二人はCap sur
l'étéという番組のセットで毎日のように一緒に仕事をしました。ルネは、アーテイステックデイレクターとしての仕事を担当。番組のホストを務めるマリージョ
セと仕事とすることを楽しみました。
番組のセットで一休み中のルネとマリージョセ
けれども、帰宅すると二人は仕事のことは忘れ、他のことを話します。こういう時間は二人にとって休暇を楽しんでいるようなひとときです。このような時間を持つことはとてもいいことです。ルネは、公衆の中にいる時の自分と自宅での本当の自分の少しだけの違いを話してはくれませんでしたが!(笑)
その頃、コマーシャルをしているマリージョセ
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