18.4.14

ルネの全米進出の計画と二人のマネージャー その1

前回は、3月の初めに発売されたケベックの雑誌のルネの記事についてでした。そこでルネが話していたことは、これまでのこと、現在のこと、そして将来のこ とでした。読み終えて感じたことは、ルネが今とてもいい人生を送っているということ。53才になり、自分のしたいこと、したくないことが分かり、したいと 思う仕事も選択もできる。スポットライトを浴びることよりも、カメラの裏側での仕事を楽しみ、大切な家族と穏やかに暮らしているのだということでした。そ んなルネの様子を垣間みることができる話を発見しました。記事の話を続ける前にちょっと寄り道です。


これは、昨年の9月9日に出演したテレビのトークショー'Alors on Jase!'からのルネです。ここでルネは、お天気のことや、自分の好きな植物の世話のことなどを話したそうです。ルネが話題にした好きな植物とは、「エンジェルストランペット」これは、「キダチチョウセンアサガオ」属「ナス」科のひとつだそうです。「エンジェルストランペット」というのは、園芸名。花言葉は、愛敬、偽りの魅力、変装、愛嬌。「愛敬、愛嬌」などは、 ルネにぴったりな言葉ですね。ニュージーランドでもこの植物が野生としていたるところで見られます。毒性があるので注意が必要なんですけど!ルネは、どのようにこの植物を扱っているのか気になります。番組では、どのようなことを話したのかも。



ALORS ON JASE! の番組からのルネ




「エンジェルストランペット」

これが、「エンジェルストランペット」 ルネの夢/希望の一つは、大きなグリーンハウスを作ることと言うぐらいルネは、植物を育てるのが大好きとのこと。自宅 にいる時には太陽の光を植物に浴びさせるためにしょっちゅう植物の鉢を移動させるほどだそうです。ケベックのファンのお話では、現在ルネはすでにグリーン ハウスを持っているらしいです。


そ れでは、記事についての話にまた戻ります。ケベックのファンの何人かと、この記事をどう思ったか聞いたところ、Rene is in peace. (ルネは、今とても穏やかだ、穏やかに人生を過ごしているのだ)と言っていたのがとても心に残ります。それは、私にとっても、facebookの日本のル ネファンの間でも同じく感じたことでした。そしてそのケベックのファンは、ルネの言っていることを読んでいて、自分のこれまでとこれからの人生のことにつ いて考えた時、とても励まされるということでした。自分自身に対して失った自信をもう一度取り戻せるように思うと。


現 在のルネの人生哲学と思えるような言葉がありました。「人生には、永遠に続くものというものはない、それゆえに今の瞬間を楽しむべき」だから過去の事に拘る なと。このような考えが出来上がったのは、ルネが10才でデビュー、大変成功し、大きな人気があったのにテーンエイジャーになるとあっという間に消え てしまったという経験をしているからだと書かれていました。


テーンエイジャー時代のルネ。そのルネには、今も人一倍の興味を持ち続けています。あの頃、そのルネの活躍をどれほど知りたいと思い、想像していたことでしょう。今では、ルネがその頃何をどのようにしていたのかをネットによって知ることができますが、その当時のルネのことは、日本に残された私たちファンにはほとんど伝わって来ませんでした。知ることができたことは、アルファレコードが作っていたルネのファンクラブ、メープルメイツからの会報や新聞などでアメリカ進出をするためロサンゼルスで英語やダンスのレッスンにがんばっているルネの話題や、まだ あのなつかしいおかっぱのヘアスタイルをしているけれども、幾分身長が伸びた20世紀フォックス社の前で撮られたルネの画像がありました。そして最後の会誌となった総集編では、髪の毛を短くしたルネの姿があり、ほんとうにびっくりというより嬉しい大ショック!を感じました。では、そのメープルメイツの会誌 No.4の懐かしいルネの画像を見て行きましょう。(source: maple mates no.4 my own)



 表紙の見開きページのルネ
うーん、とっても大人っぽい感じです。


「ルネが契約している20世紀フォックス社の前で」

と書かれています。the Montreal Gazetteの1976年4月10日付けの記事でこの契約の話が書かれています。それによるとルネは、20世紀フォックス社と2年間の契約を結んだそうです。この記事では、映画のためとありますが、Eugene Regiser-Guardの1975年12月28日の記事の中では、特別なテレビ番組(トークショーなど)のために2年の契約を結んだとあります。



身長もとても伸びた感じですね。



「全米放映!!TV番組 ”MERF GRIFFIN"でのスナップ」

The Merf Griffin Show は、20世紀フォックス社で制作されていたトークショー。ルネは、この番組に1977年4月19日にゲスト出演しています。画像はこの時のものではなくて、たぶん1976年の5月のショーだと思います。「20世紀フォックス社との契約は、1976年5月から1978年の5月まで」でした。(source:p75 Rene Simard signe avec 20th Century Fox, Rene Simard Magazine)


ファンクラブがまったく 停止した後は、何も分からないという状況。有志が集まってルネのファンクラブを自分たちで始めたけれど、集められた情報はそれほど多くありませんでした。少し後で、ルネの英語の曲が混じったアルバム、'Fernando' (1976)と初めての英語だけの曲で制作された‘Never know the reason why’(1977)から録音したカセットテープをを東京音楽祭の事務局の関係者で個人的にルネが好きで、この二つのレコードをもっていた方から手に入れて、大興奮! 変声期を迎え不思議だけれど魅力的なルネの声、それでもとても懐かしく胸がジーンとしました。そして、ルネが英語の歌を歌っている、そしてフランス語ではないので、すぐに歌詞の内容が分かるという嬉しさもあり、何度も聴いて、ルネを想い涙をこぼしていました。そのテープをみんなで回し合って感激をシェアしていたものです。突然引き離され(というような気分で)、その後まもなくテイーンエイジャーに成長していたルネの様子をほとんど何も分からずにいた日本のルネファンにとって、このあたりの時期は、暗闇の中、一番悲しい時だったのではないかと思います。


source: メープルメイツ会誌/総集編(my own)


最後に送られて来たメープルメイツの「総集編」としての会誌の最初の見開きに登場したルネは、もうあのおかっぱ頭のルネではありませんでした。



source:the boy choir & soloist directory

Fernando(1976) 画像は、96年のデビュー25周年に作られたcd版



ルネの初めての英語だけのアルバム 'never know the reason why'(1977)


前 置きが長くなりつつありますが、そういうわけでテーンエイジャーの頃のルネに本当はどんなことが起こっていたのかということが、あの頃の私の頭の中でいつも渦を巻いていたわけでし た。それは、40年(!)を過ぎた今でも同じです。「どうしてもちゃんと知りたい!」という強い気持ち。現在はそのことについてネット検索ですぐに様々な情報が分かるようになりました。けれども今回 は、ある一冊の本に書かれていることをたどり、その本の角度からルネにあの頃何が起きていたかを見て行きたいと思います。もちろん、そこに書かれているこ とが信頼性のあるものなのかどうかは、わかりませんが、この本の内容についてずっと考えていた私には、まるきり嘘でもないと思う内容に思え、興味を持っていまし た。とくに興味を惹かれたのは、ルネの周りに存在していた人たち、その頃のルネにとってはいなくてははならない二人がどんな人たちだったのかということも 書かれていたからです。


この二人というのは、ルネの元のマネージャーのギイクルテイ (Guy Cloutier、以下gcと記述)、そしてgcの元で、ルネのサブマネージャー的な存在として仕事をしていたルネアンジェリル(René Angélil)。ご承知だと思いますが、ルネアンジェリル(以下、アンジェリルと記述)は、ルネとの仕事の数年後、セリーヌデイオンのマネージャーとなり、セリーヌデイオンをスーパースターに育て上げ、後に彼女と結婚。二人の間には、3人の子供たちもおり、今もマネージャーとして彼女のために仕事をしている人です。



気になっていた本というのは、'René Angélil: The Making of Celine Dion: The Unauthorised Biography' 著者は、Jean Beaunoyer とJean Beaulne.  Jean Beaunoyerは、作家、ジャーナリスト、そしてJean Beaulneは、アンジェリルと12年もの間、the Baronetsという3人組のグループで一緒に歌をうたって仕事をしていた人です。その親しい間柄ゆえにルネと会う以前のアンジェリルについて、セリーヌデイオンに出会い、彼女を世界的なアーテイストに育て上げた過程について知っていることを元に、アンジェリルについて、ジャーナリストである Jean Beaunoyerと共に書き上げた本のようです。ただし、the unauthorised biographyとあるように、ルネアンジェリル本人のお墨付きまたは、頼まれて書いたバイオグラフィーではありません。



Les Baronets - Je suis fou

The Baronets時代のアンジェリルは、向かって左。右端にいるのが、著者のJean Beauln。


すでに上記していますが、この本から私の興味を引いたのは2つのことです。1つ目は、全米進出の話がどのように始まったのか、そして終わりを告げたのか。2つ目は、その全米進出にも強く関わっていた二人の人物であるアンジェリルとgcについてのこと。二人は、ルネと関わりを持つ以前はどういった人たちだったのか、そしてその二人がルネと出会った頃のこと。gcは、ルネのマネージメントを始める以前の時代、the Baroneteのメンバーたちのところに出入りしていたそうで、メンバーの家に泊ったりさせてもらったりしていたそうなので、gcについてもよく知っていたようです。この本は、著作物ですので、本の内容を翻訳してその内容を考えるのではなく、私がすでに読んでいる内容を元にこの本のレビューとして、そしてそれを私がどう思ったかという視点で書いて行きたいと思います。


source: Rene Simard magazine (my own)

フランクシナトラからシナトラ賞のトロフィーをもらうルネ

その1の今回は、ルネの全米進出の話がどのように始まり、どうして終わってしまったかということについて見ていきます。

 "Guy, it's now or never' 
「今やらなければ、もうチャンスはないんだ」

この話が書いてあるのは、セクション28に出てくる'Guy Cloutier'(以下gcと記述)の中。gcとアンジェリルが「ルネを全米デビューさせようという夢」を持ったのは、やはり第3回東京音楽祭世界大会でのグランプリとフランクシナトラ賞を獲得し、一躍日本でのレコードヒットと人気を得たことがきっかけでした。そしてフランクシナトラでさえルネに夢中というようなルネへの大きな期待感をgcとルネアンジェリルが持ったからでした。話を進めていったのは、gcよりもルネアンジェリル。以前から、アンジェリルは、ケベック州では、絶大な人気のあったルネをなんとかアメリカやカナダの英語圏でも売り出そうとgcに持ちかけていたようです。東京音楽祭での成功を、またとないチャンス!と考えたのはムリもないことです。アンジェリルには、the Baronetsの元のマネージャーがアーテイストを全米進出に成功させたスタイルを真似て、ルネのマネージメントをしたいという気持ちがあったようです。その一番の考え方のポイントは、「大きく考える」「アーテイストの才能について決して遠慮して話してはいけない」の2つだったようです。アンジェリルは、gcにこう言います。


 ”Guy, it's now or never". " We've got to think big! Even Sinatra is crazy about Rene. We've go to try the states right away.  The kid is hot everywhere!"
(ref: p120 'René Angélil: The Making of Celine Dion: The Unauthorised Biography')

訳:「gc、今やらなければもうチャンスはないんだ。僕たちは大きなことを考えなくちゃ!シナトラでさえルネに夢中なんだ。全米を今すぐに狙おう。 あの子(ルネ)は、どこでも人気者になれるんだ!」


source: スーパーアイドルルネ(my own)

東京音楽祭受賞直後。アンジェリルは、カジュアルな水色の上下の人


マネージャーの二人の喜びと期待は、大きなものだったと思いますが、今こうして読んでみると、二人は、雲にでも乗っているような気持ち、足が地に着かない、あるいは少し有頂天な気持ちになっていたのかもしれません。ほんとにルネを全米デビューさせて成功させるのが可能だと思っていたのでしょう。もちろん、私もルネにはそれだけの才能とチャンスがあったと思います。けれども、本に書かれてあることを読んでいて、二人の当時の姿を思い描いた私の感想は、ルネを大きく育て上げ成功させることは、二人にとってお金を儲けたいということでもあったのだという当然のことも再認識させられました。特にルネに出会うまでの二人の境遇を読んだ後では、成功が収入になる、また自身の名誉になるというその大きな夢や期待感が並々ならないものであっただろうという印象を持ちました。



source:Rene Simard magazine (my own)

東京音楽祭受賞後の夕食会。アンジェリルは右端の上にいます。


全米デビューのために、東京音楽祭からケベックに戻って2人が先ずしたことは、アメリカの雑誌' Time' のジャーナリストにルネがケベックでビートルズやエルビスプレスリーのレコード売り上げを合わせたよりも多くのレコードを売り上げたこと、つまりルネはビートルズやエルビスプレスリーよりも人気があるという話しをしたことだったそうです。この本によると、これは、数週間だけの事実にすぎなかったそうですが、アンジェリルとしては、その部分は省いてしまったのでしょう。


ビートルズとエルビスプレスリーよりも人気があるということ、そして東京音楽祭でシナトラ賞を獲得したので、シナトラがルネの後見人であるという2つの触れ込みで、ルネは、全米に将来が期待されたシンガーとして宣伝されて行くことになったようです。ただし、シナトラがルネの後見人として触れ込んだことについて「ルネにトロフィーを渡しただけのこと」と 著者が言っていることが気になります。シナトラ賞をルネに送ろうと思ったのは、シナトラ自身だったとは思いますが、音楽祭の後、シナトラがルネのアメリカ進出のために何かをしてくれたという事実は、当時の日本の雑誌の記事でわずかに触れられている以外に、私が今まで読んできた英語またはフランス語の記録としては見当たりません。シナトラの名前は、ルネのステータスを上げるために使われたように思えます。このビートルズとプレスリーよりも人気、シナトラにも見込まれたという話は、'time'  や'wall street journal' だけではなく、後になってもルネのプロフィールを紹介する雑誌や新聞記事ではかならずと言っていいほど繰り返されています。


このようなアンジェリルの話の様子を見られるのが、Million Dollar Babyというビデオです。ルネが東京音楽祭でグランプリとシナトラ賞を獲得する様子からスタート、それからルネがカナダ全体では知られていないけれど、フランス語圏であるケベックでのレコードの売り上げと人気のすごさ、そして日本での人気について話しています。


またgcとアンジェリルがルネとの出会いとルネの才能について話している姿も見られます。ご想像どおり英語でよく話しているのがルネアンジェリル。全米進出に向けての意気込みのようなものがとくにアンジェリルからはとても感じられます。英語が苦手なgcは、ほとんど話すチャンスがなく、隣に座って話を聞いているという様子です。


ルネとgcとの出会いは、このインタビューの中で、gcの結婚式で聖歌隊としてルネが歌っていた時だったという話をしています。これは、ルネのデビューまでを描いたドキュメンタリー映画「普通の子供」の中でも紹介され、日本で発売された「スーパーアイドルルネシマール」の記事の中でも、またその他の雑誌でもよく使われていたエピソードでしたが、その真相は、gcやルネアンジェリルの考えによって作られた話だったのかもしれないとよく考えていましたが、この本の中では、ルネとgcとの出会いは、ルネが「ジャンロジャーの発見」という(1年に渡って3段階に分けられ、3曲の歌を唄って行くという勝ち抜きの)歌のコンテストに出場していた時であったことだけが記述されています。ルネは、その時9才、すでにケベック中のお母さん達の間で人気が出ていたそうです。


パート2では、アンジェリルがルネの人間性についてほめている姿勢がとてもすばらしいと思います。そして英語の勉強を開始してからたったの3ヶ月しか経っていないルネの可愛らしい英語でのインタビューは、何度観ても微笑んでしまうのです。



さて、では次にアメリカの雑誌'time'に掲載された「東京音楽祭でグランプリ、フランクシナトラ賞獲得、ケベックでは、ビートルズやエルビスよりもすごい人気でレコードの売り上げも上」というルネの記事は、その後ルネのアメリカ進出にどのような影響を与え、ルネにはどんなことが起こりはじめていたかを見ていきましょう。


セリーヌデイオン認定の彼女のバイオグラフィー本'Celine: the authorised biography of Celine Dion' (written by Georges-Hebert Germain )に以下のようなことが書かれてあります。
'Time'に話したというこの内容は、ウオールストリートジャーナル誌  のフロントページでも紹介され、その翌週にはその記事を見た、Mike Douglas Showの関係者が連絡を取って来たことから、ルネは、この番組、そして他にもいくつかのバラエテイショーに出演することになります。そしてそのような様子をみたCBSレコー ドもルネに関心を持つことになったわけです。(ref: chapter 7, Celine: the authorised biography of Celine Diion)


source:Rene Simard magazine (my own)

Mike Douglas Showに出演したルネ。Mike Douglasは、ルネが東京音楽祭で受賞したということで着物を羽織ってトークを進めました。


René Simard - Mike Douglas Show 1975

ローラさんがアップした「マイクダグラスショー」の様子。音声のみですが、この時のルネとの会話とルネの歌が楽しめます。


「夢や期待は大きく持て! ルネの才能を高く評価して売り込め!」というような考えを持つアンジェリル(とgc)は、ニューヨークに行って、ルネに関心を持ち始めていた CBSレコードインターナショナル と契約を結ぼうとしました。CBSの代表者とミーテイングの約束を取り付け、ニューヨーク市内の高級で品の高いTwenty-One Club ( レストラン)での話し合いが実現。(chap7 Celine)アンジェリルの希望で、その契約の話し合いに雇われたルネ側の弁護士は、ビートルズのニューヨークでの弁護士 Walter Hafordという人だったそうです。(p120 Rene Angelil: Making Celine Dion)  この場でも話をしていたのは英語が流暢だったアンジェリル。そして高額な契約料を請求することでルネの価値をCBSに印象づけられると考え、一億円以下では契約をしないと言い切った。。。CBS側は、契約を検討すると言い残してレストランを出たそうですが、結局はその後CBS側からはなんの返事もなく、ビートルズの弁護士であるHaford自身や、gcとアンジェリルが何度も電話しても返事がなかったという結果に終わり、契約を結ぶのはついに失敗ということに。


アメリカでは無名だったルネに対して、一億円以下では契約を結ばないという姿勢は、世界的な多くのアーテイストと契約があり、仕事のやり方も洗練されていたCBS側にとっては、いかに無茶苦茶で馬鹿げた話であり、そのような状況を理解していなかったアンジェリルとgcは、マネージャーとしての能力と判断に欠けていたのだと本の中で厳しく批判しています。(p121 Rene Angelil: Making Celine Dion/ chap7 Celine:the authorised biography of celine dion)


 source:Rene Simard magazine (my own)

この十代のルネに会いたかったと思わせる一枚!


「この契約が失敗に終わったことで、ルネの全米進出の夢の可能性は消えてしまった。ルネが国際的なスター、パフォーマーとしてその人生を生きるチャンスは終わってしまった。けれども、(マネージャーたちの二人が)CBSに対してもっと適切なアプローチで契約を結び、またアメリカ的なやり方、売り出し方、国際的なマーケットについての理解がもっとできていたら、ルネは全米やもっと国際的な舞台で活躍ができたことだろう。」ともこの本の著者  Jean Beaulnは、言っています。(p120 Rene Angelil: Making Celine Dion)  また、先出のもう一つの本、Celine the authorised biographyの著者も、同じようなことを書いています。


RENÉ SIMARD -THE RENE SIMARD SHOW 1978

マ リエルさんがアップしている1975年から78年ぐらいまでのルネのいろいろな英語でのショーの様子が集まられているビデオ。78年の the Rene Simard showは、カナダのバンクーバーで収録が行われたカナダの英語圏へ向けてのルネがホストをするバラエテイショーでした。ルネの英語がとても可愛らしい し、テーンエイジャールネがホットに飛んだり跳ねたりと活躍中!最後の場面でルネが英語をうまく言えなかった時には、「あれえ、ガムが歯に挟まっちゃった!」という誰でも分かる演技をして笑わせています。カワイイ。。。!

CBSとの契約ができなかった後でも、gcとアンジェリルはなんとかルネをアメリカで売り出そうと、英語でのアルバム 'Never know the reason why' (1977) を自分たちのお金と力だけで制作しましたが、売れ行きはまったく だったそうです(ref:chap 7, Celine the authorised biography)


その他には、「世界が恋したピアニスト」と呼ばれたアメリカのピアニスト、エンターテイナーのLiberace(リベラーチェ)のラスベガスのステージやコンサートツアーに出演したりしました。ステージは、1977年2月ぐらいのことだったようです。(Daytona Beach Morning Journal Feb 12 1977)   昨年、Liberaceの人生がマイケルダグラスとマットデイモンの主演でアメリカのテレビ映画 'Behind the Candelabra' で放映になりました。日本でのこの映画のタイトル名は「恋するリベラーチェ」。


リベラーチェとルネ
source: Album EV Photos: la vie en images de Rene Simard (my own)

「1976年のテレビ番組に出演しているルネを観たリベラーチェは、ルネに自分のステージツアーに同行して出演してほしいと依頼した」と書かれています。なるほど!それで二人が出会ってステージで共演することになったのですね。



source: Rene Simard magazine (my own)


         ラスベガスのヒルトンでのステージのサインの前のルネ。
  ルネの名前が見えます。


source:Rene Simard magazine

ラスベガスのステージのリベラーチェとルネ


リベラーチェは、ルネのことを以下のように話しています。

"I think Rene is one of the most exciting singers 
I've ever had the privilege of introducing to my audiences".

「ルネは、私の観客の皆さんに誇りをもって紹介できる
最も素晴らしいシンガーの一人である。」
(source: Daytona Beach Morning Journal Feb 12 1977)


  Liberace Finale

やはり、リベラーチェは、すごいエンターテイナーです!


source:Rene Simard magazine (my own)

 リベラーチェの楽屋の前のアンジェリル。隣には、ルネの楽屋。


CBSと契約が成り立っていたら、二人のマネージャーが必要だったこのようなスキルと理解を助けてくれる大きな力を得られ、CBSの持つ組織や繋がりを使ってルネを売りだし、世界的なアーテイストに育て上げるということが可能であったのだと思います。


この数年後gcの元で仕事をするのを辞め、ケベックでJohny Farago, Ginette Renoなどのマネージャーの仕事をした後の1980年に、アンジェリルは、やはりケベック出身の12才だったセリーヌデイオンと出会い、デイオンを国際的な大スターに育てることに成功していきます。その背景には、ルネの全米進出の失敗から得た経験と大きな教訓があったからだと想像しないわけにはいきません。


 
Celine Dion - Un Amour Pour Moi
デビューして2年後の14、5才のセリーヌデイオンの歌と画像です。
その頃の、アンジェリルの姿もあります。


今や世界的なアーテイスト、パフォーマーとして活躍するセリーヌデイオンの姿を見るたびに、いつもルネのことを考えます。ルネもデイオンのことを考える時、いろいろなことが胸に広がるのかもしれません。今もラスベガスのステージやコンサートツアーで忙しく過ごすデイオン、デイオンが19才になった時に結婚し、ケベックからアメリカ、世界へと育てていったデイオンの夫、マネージャーとしてのアンジェリル、そしてアメリカ進出を断念、バンクーバーやトロントなどのカナダの英語圏で一時的に活躍し、ケベックに戻って歌手活動を続けたルネ。ミュージカルの舞台などに出演やプロデユースをしたルネ。結婚してからは、家族を大切にし、現在は、テレビ番組などの制作などをして過ごし、カメラの背後での仕事をするのが好きで、家族と穏やかに暮らすルネ。テーンエイジャーのルネのその後には、多くのことが起こりました。


Celine Dion & Rene Simard - Une colombe / L'oiseau (ADISQ, 1998)

1998年のADISQでルネとセリーヌデイオンが共演。二人は、お互いのデビュー曲を皮切りにヒット曲をメドレーで歌っています。

Celine Dion sings JAZZ, "Quand on s'aime" with R.Simard

ルネの2003年のアルバム"Hier...Encore"の中に収められたセリーヌとのデユエット曲。

テーンエイジャーのルネのことがとても知りたくても知ることができなかったあの時は、悲しかったけれど、歳月が流れた今になって全米進出という目標を持たされたルネに何が起こっていたのかを知ることは、私にとって価値のあることでした。そしてこの本をもとに、一歩後ろに下がって、タイムラインのような流れでその経過を見ることができたのも良かったと思います。


アメリカ進出が成功しなかったという経験をルネが現在どう考えているのかルネの胸中はだれにも分かりませんが、先週の記事の内容を読んで考えてみるとルネが今の人生を楽しんでいること、シアワセに暮らしていることは、私たちにも伝わってくるのだと思います。




source: Rene Simard 25 ans de showbiz 1996 (my own)

ルネのデビュー25周年記念号の雑誌(1996年)からのルネと家族。
右から、息子 オリビエ、ルネ、娘ロザリー、奥さんのマリージョセ
そして愛犬、Yolande







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