8.6.14

ルネのタイムライン/ルネの家族のパロデイドラマ


今回の記事は、ルネがこれまで歩んできた道のりの「タイムライン」です。記事の前に、ルネが昨年司会を務めた 第28回 Gala des Prix Gémeaux受賞式の番組で披露されたルネファミリー のパロデイビデオを紹介いたします。ルネの家族が実際にはどんな人たちなのか、様子なのかをパロディ化したものです。もちろん本当のルネの家族は、このパ ロディ化したような人たちではありませんが、実際とは全くちがう様子を面白く描いています。それぞれが問題を持っているという内容なのですが、ルネがそん なことには気がつかず、あるいは、気がつかない振りをして、できるだけ明るく楽しく家族と過ごそうと務めます。



ルネファミリーのパロディドラマ
Le bonheur est dans le pouding
「シアワセは、プデイングの中に」
youtubeのビデオリンクは、ドラマのあらすじの後に紹介してあります。

プデイングというのは、このビデオの最後の方に登場するぶた(けれどもルネは犬だと妄想?)の名前であり、ルネがデビュー当時していた仕事の一つに、ローラセコードというお菓子の会社のプデングを宣伝がありました。「ちっちゃなシマール(ルネ)を歌わさせるものは何?(プデングなんだよ)」という歌と一緒にルネのこともこのプデイングのことも大人気にさせたコマーシャルだったので、使われているのかなと思います。このプデイングが本当にルネの家で飼われている犬なのかどうかは分かりません。


 
ローラセコードのプデイングのコマーシャルその1
ルネ、兄レジス、弟ジャンロジャー、妹ナタリーが登場します。牛舎でミルクをしぼって家に運ぶ姿がとても可愛らしいです。



プデングについて:プデングを日本のプリンと一緒の物と思いがちですが、それはちがいます。プデイングと聞いて、一般的に想像するのは、食後のデザートのちょっとべたべたしたような甘いもの。それはケーキやパイを生クリームやアイスクリームと一緒にして食べるからなのでしょう。ルネが宣伝していたローラセコードのプデングは、ちょっとドロドロしたものでスプーンですくって食べるような感じもの。溶けたチョコレートと少しの小麦粉を混ぜたようなものだと想像します。



ローラセコードのプデングのコマーシャルその2
キッチンのテーブルで模型電車で遊ぶルネ、兄のレジス、兄のマルタン、妹のナタリー。


フェイスブックの日本のルネファンの間でこのビデオの話題になり、特にルネが家族の関心を引こうとテーブルで日本のことについて話す場面がありますが、そこでルネが話していることをどうしても知りたいということになりました。それで、ケベックのファン、パトリシアさんが英語に訳してくれました。その部分を入れながら、このビデオのあらすじを書きます。

あらすじ:
奥さんのマリージョセが帰宅、カツラを取り、入れ歯やコルセットを外して、すごい状態になっているにも関わらずルネは、ボクの美しい奥さん!と言ってうっとり。息子のオリビエ は、ウデを入れ墨だらけにして、ゲームに夢中、娘のロザリーは、警察に補導されて帰宅なのに、二人ともいい子供達だと考えているルネ。自分のことは、デビュー当時と変わらないと思っている姿を鏡に映し、デビュー曲の「鳥」を歌ったりしている。そんな家族が集まるテーブルで、「今日はどうだったの?どんな日だったか話してよ。」と嬉しそうに聞くのですが、だれも応答しようとはしません。そこでルネが、「じゃあ、ボクの話から始めるね」と言って話しをスタート。その話が、日本でのことになります。

*****

facebookでのパトリシアさんの英語での説明、そしてその日本語訳

English: So, talk to me about your day
(No answer from family )
ルネ:えーと、みんな、今日はどんな日だったの?僕に話してよ。
(家族からの返事は全くなし)

Ok, I will start then. I will talk about my day. My day of October 14 1974
in Japan. Oh it was my first visit to Japan (René goes on and on about his adventures but we cannot make out what he's saying because of music background and the rest gives an impression that the family is not paying any attention to what he's saying lol ! )

ルネ:そうか。。。じゃあ、僕から話すね。僕が話す日は。。1974年の10月14日(ルネは完全に間違っていますけど。。笑 正しくは6月30日)の日本でのことだ。日本に行くのは生まれて初めてだったんだけど。。。(ルネはどんどん続けて話していますが、音楽がうるさすぎてよく聴こえません。家族は相変わらずルネの話に興味を示さない状況が続きます)

.....Oh I sang a song called Midori Iro Yo Yane and POW ! First prize !
And who do you think gave me my first prize ? ( Marie answers with a huge burp)..... almost, Frank Sinatra ! (door bell rings and it's Mother-in-law)

ルネ:あああ、そうだ。僕はね、ミドリ色の屋根という歌を歌ったんだよ。そして、ああああーすごいんだよ、だってグランプリを獲得したんだから!それでその賞を手渡してくれたのは一体だれだったか分かる?(マリージョセがおおきくゲップをする)。。。それはね。。。フランクシナトラだったんだよ!(この時ドアのベルが鳴って、マリージョセのお母さんが入って来ました。)

以上です。パトリシアさん、ありがとうございました! merci beaucoup, Patricia!

*****


ルネの話を誰も聞かず、一生懸命話しているルネをみて家族は、うんざり。ゲップをしたり、携帯をいじったり。そんなところに、マリージョセのお母さんが登場。バックに入れてたくさんの洋服のお土産を持って来てくれたとルネは考えるのですが、実際には、万引きしてきた品物。そして警察にも捕まったことがあるほどの常習犯。その義母のクローデットがなんとぶた(犬?)のプデイングを丸焼きに料理してしまいます。。。
それでは、そのパロデイビデオを観てみましょう。


ルネファミリーのパロディドラマ
Les Simard - Taillefer Le bonheur est dans le pouding
「シアワセは、プデイングの中に」youtube




ルネのタイムライン/バイオグラフィーについて


ルネが日本で活動している時代には、ルネが同時にフランスでも活動をしていたこと、そしてまた全米進出を目指しての英語やダンス、歌のレッスンをロサンゼルスでしていたことなど。。それからルネシマールショー、スーパーキッドというルネの特番など、今ひとつ、このような仕事をどのような順番でして行ったのかというのが、よくわからないという感じでした。ルネのバイオグラフィーは、いろいろな方が書かれているようですが、それぞれに違うようです。その中で、特に詳しく書かれているものがいくつかありますが、今回はそのうちの一つ、QUEBEC INFO MUSIC COMというサイトのルネのバイオグラフィーを参考にして、ルネの2004年までの道のりをもっとシンプルなタイムラインとして見て行きたいと思います。このサイトに書かれてあることをタイムラインになおしているので、年代などのミスがあるかもしれませんが、気がついたもの以外は、そのまま同じものを記します。タイムラインは、2004年から現在までのものを、ケベックのルネファンの協力とこの他のバイオグラフィーなどを参考にしてアップデイトして行きたいと思います。

*このサイトの情報以外で、大切なものと思われるものを少しだけ、付け足しとして書き加えています。



ルネシマール タイムライン 2004年まで
ver 1 バージョン1based on Quebec Info Music Info Com

1961年2月28日
ケベック州サグネ、チクテイミに生まれる。*生まれた時刻は、午前3時33分。(ref: バチョー姉妹の書いたルネとナタリーの本より)

1969年
6才の時に、ケベック市、オルレアン島に引っ越し、そこで育つ。



1970年
CFCM Quebecテレビ局の番組「ジャンロジャーの発見」という勝ち抜き歌のコンテストに出場。優勝する。

gcがルネのマネージャーとしての契約が成立し、「鳥」という歌のレコードを発売。175,000枚を売り上げる。

12月5日より: モントリオールのplaces des artsで3回のコンサートを開く。

1971年
モントリオールに引っ越す。ケベック州内のコンサートツアーを実施。

1972年
兄のレジスと共に数多くのパフォーマンスを行い、テレビでの特別番組も放映される。

6月
:「今年最も活躍した/目立ったアーテイスト、その活躍」を対象とした2つのトロフィーMeritas をthe Gala des Artistesより受賞。トロフィーのタイトルは、"Decouverte de l'annee"と"Phenomene de l'annee"

この人気は、「何が小さなシマールを歌わせるの?(それは、ローラセコードのプデイングなんだよ)」というキャプションのついた、ローラセコードのプデイングのコマーシャルをすることで更に絶大なものとなる。

ルネ自身のことを描いた「普通の子供」というドキュメンタリー映画に出演後、ケベックコロシアムでコンサートに3万人、the place des montreal のコンサートには、6万人、Hullでは、4万3千人を集める。

1973年
4月、「ボクの旅」という映画でドミニクミッシェル、jean lefebvre、兄のレジスと共演し、この映画のアルバムにおさめられた曲でコンサートツアーを行う。

1974年
6月: 日本の第三回東京音楽祭にカナダ代表として出場、「ミドリ色の屋根」を歌い、グランプリと特別ゲストのフランクシナトラ賞を受賞。6百万枚のレコード売り上げを記録。

12月
: パリのオリンピア劇場でDaniel Guichardのステージの前半のステージに登場、またMichel DruckerやPhilippe Bouvardのテレビ番組にも出演する。

「普通の子供」(73)、「パスカル」(73)、「日曜の午後」(74)、「ママ、今夜出かけさせてよ」(75)などのレコードがゴールドデイスクを受賞。

アメリカNBCネットワークの「マイクダグラスショー」に出演。

1975年
1月: カンヌのMIDEM の閉会式で歌を披露。日本でのコンサートツアーの実施。

1976年
5月: アメリカCBCネットワークのMerv Griffin Show、NBCネットワークのHoward Cassell showなどに出演。アメリカで放映された特別番組、Fair Weather Friendsに出演。モントリオールフォーラムで開催されたボブホープとビングクロスビーによるモントリオールオリンピックのためのショー、「ボブホープスペシャル」に出演。

オリンピックテーマ曲の「ウエルカムツーモントリオール」を歌う歌手に選ばれる。

CBCネットワークのルネの特別番組、「スーパーキッド」に出演。

FERNANDOヒットチャート入り

1977年
「スーパーキッド」に出演中、リベラーチェの1977年のアメリカコンサートツアーへの出演を求められ、ツアーに同行。

このツアーから戻り、「ルネシマールショー」(1977−79)の番組のホストを務め始める。この番組は、30分のウイークリーバラエテイショーで、バンクーバーで撮影され、最優秀バラエテイ番組として、ACTRA賞を受賞。

9才の妹ナタリーとユニセフのキャンペーンソングとして Tous les Enfants du Mondeを歌う。

YOU'RE MY EVERYTHINGがヒットチャート入り


1980年
*妹のナタリーとPLACES DES ARTSでのコンサート。
カリフォルニアとフロリダでのデイズニーランドとデイズニーランドを会場にしての2つテレビ番組を放映。

1981年
THE GREAT RETRO ツアーに参加する。ロサンゼルスに数ヶ月暮らす。

1982年
妹のナタリーとPLACE DES ARTSでのコンサート。

*第12回東京音楽祭特別ゲスト/プレゼンターとして、日本でのレコードデビューをするナタリーと来日。

妹のナタリーといくつかのレコードを制作。

1984年
COMMENT CA VAでのシングルレコードの最高売り上げで、FELIX賞受賞
RSVP(VAT 1984-87)バラエテイショーの番組でのホスト。


1985年
妹のナタリーとPLACE DES ARTSでのコンサート。

1986年
「あの人は今」的なテレビ番組出演のために来日。

1987年:
*8月8日:タレント、女優の Marie-Josee Taillierと結婚


1988−90年
LASER 33-45(CBC)の番組

1988年
妹ナタリーとのデエットのプロモーションビデオで(VIDEO OF THE YEAR) FELIX賞受賞、シングルレコードのベストセリングでの賞受賞(TURN THE PAGE)

1989年
「キャサリン」チャート入り


1990年
年末恒例のパロデイ番組のBYE BYEに出演

1991年 :
BYE BYEへ出演。
ADISQでの司会

1992年
BYE BYEへ出演。
ADISQでの司会


1993年
アルバムE=MC2 をリリース。

トロントのドラマスクールに通う。その後、joseph and the amazing technicolor dream coatのリード役をもらう。andrew Lloyd webberのミュージカルに出演。しかしプロダクションは破産。

1996年
7月に大洪水の災害にあったサグネのために、妹のナタリーと兄のレジスと共に、30年前にシンガーソングライターのpaul davisによって作られ、大ヒットしたmon villageという歌を2曲違ったバージョンにして歌ったcdをリリース。

この年の秋に、ミュージュカルJeanne la pucelle(ジャンヌダルク)を Judith Berardと共演する。places des artsのmaisonneuveにて公演。

1999年
4月:トロントでのthe phantom of the opera(オペラ座の怪人)の主演を勝ち取る。

この年の秋、sky-fmのall the world upラジオ番組のホストをする。

2001年
夏、フランスとケベックのコメディアンたちと共演したcyclone ショーが人気となる。

2002年
ケベック市のキャピトルシアターで公演されたGENERATION MOTOWNのプロダクションのデイレクターとしてミュージカルに復帰。この後、毎年同じようなミュージカルプロダクションの制作をする。

2003年
10年ぶりに歌手としてのアルバム「昨日をもう一度」を秋にリリース。
ジャジーなフランスとケベックのスタンダードナンバーを13曲収録。セリーヌデイオン、JEAN PIERRE FERLANDがこのアルバムに参加。

20004年
冬、キャピトルシアターで「ダリダの生涯」を公演。










 

1 件のコメント:

Pati さんのコメント...

Hello Japanese René fans ! Nicely done Riko, glad I could help :D

Lots of love, Patricia xxx