23.6.14

ルネが語るオリビエとロザリー/ADSMQ Soudine 2003年7、8月141 号のインタビューから。

「ルネが語るオリビエとロザリー」

ル ネとマリージョセの二人の子供達、オリビエとロザリーは、耳が聞こえない状態で誕生したということは、ルネファンの間ではもうよく知られていることです。 そのことがわかった時のルネとマリージョセの気持ちや状況は、どんなものだったのでしょうか。そしてその後、オリビエとロザリーが受けた人工内耳プラント 手術のこと、二人とのコミュニケーションや、サポートのことなど、ルネとマリージョセは、どうしていたのだろうと思われることでしょう。今回ご紹介する記 事は、以前から読んでいたインタビューの記事ですが、先日、この手術がカナダで最初に開始された場所がケベック。それから30年が経ち、30周年の記念式典が催されました。ルネとマリージョセもこの式典に出席したニュース がありましたので、この機会にみなさまにもルネとマリージョセがどのようにオリビエとロザリーと過ごして来たのかということを読んでいただきたいと思いま した。

インタビュー記事の前に、先日式典に出席したルネとマリージョセのニュースを紹介します。

今から30年前、北米で最初に人工内耳のインプラント手術が実施されたのは、カナダのケベック
シテイのHotel-Dieu de Québec病院で働く、この分野のパイオニアであるPierre Ferron医師によってでした。 最初の手術から、今年5月末で30年が経ちま した。ルネとマリージョセの二人の子供オリビエとロザリーの人口内耳をインプラントしたのもこの医師でした。。この医師の働くHotel-Dieu de Québe病院で人工内耳インプラント手術開始からの30周年記念式典があり、ルネとマリージョセもお祝いに駆けつけました。画像の左からPierre Ferron 医師、その隣にいるのが1987年、初めて子供として人口内耳のインプラント手術をこの医師から受けた女性、そしてルネとマリージョセ。

この30年の間に、この手術を受けた子供は、1600人を超えるそうです。オリバーとロザリーが手術を受けたのは、二人とも5才になる前だそうです。この 手術のおかげで、二人は手話を使う生活をしていません。聞く事も話す事も読む事も書く事もちゃんとできる人生を送っています。(source: サイト記事から)

ルネとマリージョセは、ずっとこのインプラント手術を多くの子供達が受けられるように、そしてその子供達が通う特別な学校(ロザリーとオリビエも通った)のためにチャリテイー活動、宣伝活動などに協力をしています。




で は、記事を読んで行きましょう。このインタビュー記事は、2003年に、ケベック難聴と聴覚障害協会(ADSMQ)の雑誌Soudineのためのもので、 ルネが、二人の子供達のことを話した内容です。このインタビューは、ルネがアーテイステックアドバイザーとして仕事に関わり、日本でも公開されたミュージ カル「エルビスストーリー」のために日本に行き、ケベックに帰ったばかりのときにされたものだそうです。インタビューの終わりに、このことについて少しお 話をしています。



Entrevue avec Rene et Marie Josee

ルネとマリージョセへのインタビュー

インタビュアー:Michel Nadeau


2003年7月 ADSMQ(L'Association des devenus sourds et des malentendants du Québec/ケベック難聴と聴覚障害協会)の隔月刊行雑誌 Sourdine 141号の記事より
source :http://adsmq.org/Entrevues/Simard.pdf 



ルネとマリージョセの子供は耳が聞こえない状態で生まれました。Muteがルネに会ってルネの話を聞きました。二人の最初の子供、オリビエが生まれたのは14年前、妹のロザリーは、その2年後に生まれました。

オリビエ、ルネ、ロザリー、マリージョセ
source: daily motion


オ リビエの耳が聞こえないということにルネが気がついたのは、オリビエが3ヶ月の時でした。オリバーがぐずって泣いている時に、いくら優しく言葉をかけて泣 くのをやめさせようとしても、オリビエは泣き続けていたからです。オリビエが泣き止めたのは、ルネとマリージョセが腕の中に抱いてオリビエを見つめた時だ けでした。

マリージョセは、それほど真剣に考えていず、心配する必要はないとルネに言っていましたけれど、ste justine 病院での幾度かの診察でオリビエが耳が聞こえないことが確認できました。オリビエは、11ヶ月になっていました。このことを知ったときの二人のショックは 大きなものでした。

2009年9月の頃のルネの家族:ロザリー、ルネ、マリージョセ、
オリビエ
source: passion simard

こ れからどうしていいのか分からないという気持ちでいることはとても怖いものでした。「オリビエに、僕たちが彼のことをとても愛していることをどのように伝 えたらいいの?」とマリージョセ。ルネは、「オリビエが僕たちを助けてくれるよ。僕たちが手話ができるようにしてくれるし、僕たちがオリビエの笑顔をとて も愛しているってことをちゃんと教えてくれるよ。」これが、ベビーカーシートに乗った幼いオリビエと一緒に病院から家に帰る車の中での僕たちの会話でし た。ロザリーの時には場合には、もっと早い時期に見つけることができました。現在では、病院では新生児に聴覚テストを実施しています。ルネもカナダ聴覚 財団の新生児の聴覚テストの普及のためのテレビニュースでのメッセージに関わっています。


「二人の子供達のことをとても誇りにしているルネ。そして二人の勇気を大変尊敬しています。」雑誌allo vedette 6月21日号の表紙から。(source:passion simard)


ル ネは、障害について、きちんと取り組み、障害とうまくつき合って行くことを学ばなければならないと言っています。「僕の仕事は、聴覚で成り立っているの で、この事については特に敏感なんです。僕たちの子供たちは、他の人たちを観察するという行為の中で多くの事を学んでいます。僕たちは他の人たちがしてい るよりも、もっと多くの目に見える方法でのコミュニケーションをしています。それは子供達から受け取る贈り物であると思うんです。そのお返しに、僕たちも 読んだり話したりすることを子供達に見せて教えているんです。」


journal de montreal 2011年6月17日の記事より
ルネ、ロザリー、マリージョセ、オリビエ、クロデイーヌバチョー

source: passion simard

実 際にルネとマリージョセは、ケベックのフランス語の手話(LSQ、カナダのフランス語圏で使われる手話)を学習し、オリビエとロザリーに幼い時期から教え てきました。「手話は、僕たちの一番最初の二人とのコミュニケーションでした。」オリビエは、両親が何を言っているのか理解できず泣いていたこともあった とルネは言います。このことがきっかけでASL(アメリカンサインランゲージ、アメリカやカナダの英語圏で使われている手話)を学ぶことになりました。 「ASLは素晴らしい言語です。」一つだけ、ルネがガッカリしたことは、ASL は国際的な言語だと思っていたのに、そうではなかったことでした。ASLと LSQには、英語とフランス語という他にもとても多くの違いがあるんです。僕たちはオリビエとロザリーに絶えずチャレンジするように求め、二人は、それに よく応えてくれました。(LSQ)手話について初めてルネとマリージョセが知ったのは、偶然の出来事があったからでした。まだ二人が結婚する前のある夜、 レストランで食事をしていました。そこで、手話でコミュニケーションをとっているカップルに気がつき、大変感銘を受けたのです。ルネとマリージョセは、そ の光景がとても素晴らしいと思い、そのカップルのテーブルに行き、二人を祝福したのです。


Le défi que lance René Simard (Diffusé le 22 mars 2008)
source: daily motion

ルネがテレビ番組(2008年)で、手話のミニレッスンをしてくれています。これはきっとケベックのフランス語の手話なのでしょう。画像に見えるルネがしている手話は、「パパ/お父さん」です。

その後、ルネとマリージョセの二人は、子供達の 自立を助けるために、考えることができるあらゆるコミュニケーションツールを与えようと努めました。 そして、人工内耳のインプラント手術を受けようと決めたのでした。オリビエは、5才の時、そしてロザリーは、4才の時にケベックシテイの Pierre Ferron 医師 から受けました。



「僕たちの子供達の人生を変えた手術、ルネとマリージョセ」
雑誌 La Semaine 2014年6月13日号 (source:passion simard)


Ste- Justine病院の遺伝学者によれば、オリビエとロザリーの聴覚障害は、遺伝に関係しているそうです。ルネとマリージョセの家系をさかのぼってみると、 たぶん二人は従妹同士なのではないかということです。その二人が夫婦になるとその子供の4人に1人の割合で、遺伝に関する障害が起こるだろうと言っていま す。

ルネは、人工内耳のインプラント手術後、オリビエとロザリーの成長の大きな変化に気がつきました。「学習能力も素晴らしく、オリビエ とロザリーは、人工内耳を使って聴こえるようになったことをとても喜びました。人工内耳のバッテリーが無くなると、子供達は、早く新しいバッテリーに交換 して!と大騒ぎになります。音楽を聴くこと事態はそれほど難しくありませんが、音の違いを聞き分けるのは、難しいようです。将来、技術がもっと進歩すれ ば、手術をし直すこともできるでしょう。」とルネは言います。わずか10分間で今使っている人工内耳が新しいものと交換できるのですから!


昨年からの画像:ロザリーとマリージョセ、ルネとオリビエ
雑誌allo vedette 2014年6月21日号

(source: passion simard)

オ リビエとロザリーの手術後、ルネとマリージョセは、リハビリテーションのために3ヶ月間、ケベックシテイに滞在しなくてはなりませんでした。手術とリハビ リをするための場所が同じという状況を変え、違う場所でもリハビリができるようになったらいいとルネは願っています。人工内耳の素晴らしい手術が出来たことを喜びながらも、すべてのことが一つの場所だけでしかできない状況というのは問題があることだと思っています。

手術後、リハビリをしていると思われるオリビエ
soucre:
Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie

私たちSoudineは、このことに関して、ルネに、ADSMQでは、モントリオール地域での人工内耳の埋 め込み手術が可能になるためのリクエストを(ケベック州政府に)提出していることを伝えました。2002年のケベック医科大学センターの集計では、この手 術を受けた人たちの56パーセントは、ケベック州西部から来ていました。

「インプラントの手術をしても、問題が解決したというわけではありません。絶えず子供達とコミュニケーションを取る為に努力を続けなければならないのです。」とルネ。
ル ネは、子供達の学校での学習も大変であることを話しました。学校での手話通訳のサービスも実施されなくてはいけないと思う。公立の小学校にいる間は無料で そのサービスを受けることができました。けれども、中高は、長いバス通学を避けるために、自宅から10分で行くことが出来るCLERKSHIP SACRED HEARTという私立の学校に行ったために、公立では無料で受けられるサービスも、ここでは、子供一人に年間30万ドル払わなくてはなりませんでした。

2012年5月、Foundation Soudine(耳の聴こえない子供達が社会へ出て自立できるように助けるための財団、ケベックシテイにあるラバル大学(医学部)と耳の聴こえない子供の親達が主催している。ケベックにある耳の聴こえない子供たちに手話を使わず声を使って教育する学校、the school oraliste Quebec hearing or deaf children の募金サポートなどをしている。のチャリテイーイベント the favour of theatreに出席したルネとマリージョセ。source:journal de quebec


ル ネは、ケベック州政府は、学校の種類を問わず、聴覚障害のある子供たちが、同じ無料でのサービスを受けられるようにすべきであると考えます。「親は、子供 達が社会に順応し、きちんと生きられるようになってほしいということを一番に望んでいることです。子供達が自立できるように願っているんです。」ルネは、 前州政府は人工内耳のインプラント手術の状況がもっと良くなるように努力していたということを強く指摘しています。また、 Pauline Maroisが、手術を受ける待ち時間の短縮、そして手術のための予算の増加のために良く働いてくれたと評価しています。ケベックの医科大学病院 (CHUQ)からの情報では、現在の時点で、手術が実施された回数は、1999年の34から2002年には77に増えていることをルネに伝えました。待ち 時間については、ルネのお話では、数年前までは、2年間でしたが、現在では6ヶ月になっているそうです。

ルネの家族の間では、たくさんの 会話がかわされるそうです。若い世代は、昔の若者よりももっと多くの情報を持っています。ですから学校で何が起こったかを親が知っていることはとても重要 です。とくにこの時期の子供達は、人生についてちゃんと説明されているべきだと思います。僕の家では子供達とセックスについて話し合っています。子供達は それをオープンに受け入れています、僕たちもですが、それほどオープンでは。。。


2012年4月、Foundation Soudineの13回目の募金チャリテイーイベンのThe flavors of theatreのリーダーとなった  jean-Yves Germain氏とルネとマリージョセsource:lequebecexpress

学 校から帰宅したロザリーが僕たちにこう言いました。「今日学校で、だれかが私に「コンニチハ、マダムデフ(耳が聞こえないマダム)」と言ったの。だけど、 私は、何とも思わなかったわ、だって私が耳が聞こえないというのは、本当なんだから。」このようにルネに伝えてから、ロザリーは、「でも違う態度をとった ほうが良かったのかしら?」とルネに尋ねました。「あなたのナンセンスな話(くだらないこと)を聞くより、耳が聞こえないほうがずっと良いわ。と言うべき だったね。」と言うのがルネの返事でした。僕とマリージョセは、子供達と素晴らしい関係を持っているんです。オリビエは僕に多くのことを話してくれるし、 ロザリーは、マリージョセととても仲が良いんです。マリージョセは、いい母親です。僕たちは、とてもいいチームなんですよ。

ルネとマリー ジョセにとって重要なことは、将来、きちんと子供達が働くということです。子供達は映画に出かけることが大好きで、時々友達と出かけますが、僕たちと出か けることが多いです。映画の話の内容を友達に尋ねなくてはならないということが嫌だからです。二人は、スポーツにも大変興味を持っています。オリビエは、 スピードスケート、そしてロザリーは、トランポリンをしています。オリビエは、芸術やアートの世界にはあまり向いていませんが、手先が器用です。何かを作 る、組み立てるということをたくさんしています。航空機の設計や建造を行う技術者になりたいという希望を持っています。最近、オリビエは、僕の兄が馬小屋 を建てる手伝いをしました。一方でロザリーは、ダンスの才能があります。きっとルネのダンスの才能を超えるでしょう!


2012年の画像。Foundation Soudineの募金キャンペーンのスポークスパーソンズ。ルネとマリージョセの左にいる男性が、オリビエとロザリーの人工内耳インプラント手術をした Pierre Ferron 医師。source: June 5, 2012 Lobe


ル ネとマリージョセは、子供達の状況が分かり、何を必要としているのか理解しているので、二人の言語力を高めようと努めています。「僕たちは絶え間なく繰り 返して話します。オリビエとロザリーは、それが自分たちのためであることを知っています。そして他の人との違いを笑えるようになりなさいと教えているんで す。僕たちが二人の質問にすぐに応えないと「もしもし、耳が聞こえないんですか?」と言って僕たちを笑わせてくれるんです。」ルネは、耳が聞こえないとい うことを障害であるとは考えず、他の人との違いであるというように考えているようです。「耳が聞こえないということは、落ち着いて考えれば、癌や他の大き な病気に比べたら、心配するようなことではないんです。二人の美しくて賢く、健康な子供達でいてくれるということはとても感謝することなんです。

ル ネは、健康サービスに関わることには、(ケベック州政府は)お金を出し惜しみせず、きちんとしておくべきであると考えます。「お金がかかりますけど、これ は本当に大切なことなんです!それから、健康サービスに関わる人たちのトレーニングにも(ケベック州政府)は、もっとお金を使うべきなんです。二人の子供 達の手話通訳者を探すのは本当に苦労しているんです。新聞でも、オーデイオロジスト(聴覚機能訓練士)や、スピーチセラピスト、手話通訳者などの数が不足 していると言っています。



今年の3月13日に、ル ネの大好きなモントリオールにあるフレンチレストランLe Bistangoでのチャリテイーデイナーが催されました。これは昨年のオークションでルネとマリージョセとのデイナーを共にすると言うFoundation Soudine(耳の聴こえない子供達が社会へ出て自立できるように助けるための財団、ラバル大学と耳の聴こえない子供の親達が主催している)のチャリテ イオークションがあり、約50万円(6000カナダドル)でこのデイナーの機会を得た人たちがいました。この画像にいる人たちは、Foundation Sourdineの関係者達だそうです。右端のストライプシャツの男性は、Le Bistangoのオーナー。ルネとマリージョセは、Foundation Soudineが現在、耳が聞こえない子供の為の学校のための募金活動に協力を呼びかけるスポークスマンをしています。story source: http://www.sourdine.qc.ca/2013/03/14/un-souper-unique/  (photo source: le bistango facebook)


最 後に、ルネは自分の仕事のことについて話してくれました。順調だそうです。ケベックのキャピトルシアターで人気のあった「エルビスストーリー」のショーを 日本でも披露することになり、そのプロダクションのアーテイステックアドバイザーとしての仕事で日本に行っていたのです。それからルネが仕事をした「ジェ ネレーションモータウン」のショーも、アメリカで披露されるそうです。将来は、もっと裏方の仕事をしたいと考えているそうです。「もう42才だからね。も うキュートだとは言えないから!」

マリージョセの仕事も順調です。「グローサリー」という番組で忙しくしていますが、彼女はこの仕事がと ても大好きみたいです。CBC放送は、マリージョセに夏中、この番組を続けて欲しいと言っていますが、この夏は子供達と一緒にリラックスしてのんびりして いたいのでその申し出を断りました。ルネとマリージョセは、いつも家族のための時間を大切にするために時間を作っているのです。


Biographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partie


今回の記事で、ルネが語るオリビエとロザリーの幼い頃の話、そして手術のこと、リハビリの様子などが描かれているマリージョセのバイオグラフィーパート3のビデオBiographie de Marie-Josée Taillefer - 3e partieが ありますので、ご覧になるといいと思います。フランス語ですが、この記事を読んだ後では、きっとルネやマリージョセが言っていることが想像できると思いま す。また、以前にもオリビエとロザリーについてのこと、ルネとマリージョセの募金活動についてのことなどを紹介している記事「ルネとマリージョセの基金活動la Fondation Sourdine pour l’École oraliste de Québec pour enfants malentendants ou sourds」があります。二人の募金活動についてもっとよく知ることができると思います。


今年の6月30日には、ルネと出会ってから40年になります。facebookのルネシマールのページでは、今、みんなで、そのお祝いとして小さくても特別なことをしようという計画があります。ルネのしているチャリテイーのために何か出来ないかなというような希望もありますが。。。40年を機会に、ルネを想うあなたも私たちのお仲間になりませんか。


最後にこの画像を紹介しましょう。マリージョセが司会をしているラジオカナダのテレビ番組 Cap sur l'étéのスタッフが思い出の写真を番組のpinterestのページで紹介しています。マリージョセが紹介しているのは、この家族の一枚です。とてもいいなと思う、大好きなルネの家族の写真です。






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