イースターエッグ
今年は、買い遅れてしまってイースターには、食べる事ができなかったチョコレートとマシュマロでできたイースターエッグでしたが、家人が普段行く事はないスーパーまで行って見つけてきてくれました。イースターは、過ぎてしまったけれど、食べるのが楽しみ!
さて、今週は、バンフからトロントへ向かい、ナイアガラの滝までのお話をし たいと思います。赤で書かれているものは、写真やイメージの説明です。メインのお話を黒で書いていきます。
image@VIA Rail Canada
この旅は、27年前のことで(27年!こうしてこの数字を書いてみると、ほんとうに昔のことだったのですね!)手元に、この旅で作っていたアルバムや写真がないので、自分の曖昧な記憶をたどり、訪れた場所をネットで調べ、イメージ検索で見つけた、他の方たちがアップしている写真を使わせていただき、この記事を書いています。
ネットで調べていて先ず気がついた事は、私が利用した大陸横断鉄道は、「モントリオール1985年の夏休み/その1」の記事で書いていた鉄道会社とはちがっていたことでした!(なんという頼りにならない記憶でしょうか。)それは、VIA Rail Canada で、本社がモントリオールにあるカナダの国営企業であることも、始めて知りました。
購入したチケットは、Canarail Passというレイルパスだったことも思い出しました。パスを見せて駅でその都度、チケットを受け取っていたようです。現在のバンクーバー/トロント間のこのパスの値段は、千数百カナダドルだそうですから安くはありませんね。私のパスは、バンクーバー/モントリオールまでだったと思うので、その当時いくらだったのか、アルバムに貼付けてあるパスの値段をみて見なければわかりません。
現在、トロントまで運行している大陸横断鉄道の列車は、The New Canadianという名前です。The New Canadianと言うだけあり、27年前の車両とは、比べ物にならないほど豪華な座席やサービスを提供しているようです。私も利用していたと思うエコノミーの座席でも、昔よりふっくらしていて座りごこちと寝心地が良さそうに見えます。ただし、日本の新幹線よりも車両の幅は、幾分狭いような気がします。
VIA Rail - The New Canadian ビデオ
トロントーバンクーバーまで旅する the New Canadianの様子をビデオで観ることができます。私の覚えている車内や私が乗っていたエコノミーの座席とも少し様子がちがいますが、素晴らしい景色は変わっていません。旅の雰囲気が楽しめますよ!
The New Canadianの車両。
昔の四角張った先端とは、とても違っています。右下の写真にある車両の先端が私の乗ったものによく似ています。
バンクーバー(BC州)からバンフ/ジャスパー(アルバータ州)へ。
この地図は、乗客に渡されるパンフレットの中にある The Canadian の路線地図。その他に、途中経由する地域や街、名所や歴史の説明が載っていました。今は、VIA Rail CanadaのサイトからPDFファイルとしてダウンロードすることができます。
バンクーバーからトロントまでは、4日間かかるので、バンフ/ジャスパーからトロントまでは、3日間ぐらいかかったと思います。 途中、マニトバ州のウイニペグで電車の入れ替えか何かで降車した以外、ずっと電車の中だった記憶があります。
電車の中には、ガラス張りの展望車両、そして スナックや飲み物を買える車両、そしてダイニングカーなどがあり、長期間電車に乗っていても平気だったのです。ダイニングカーでのきちんとした食事は、予約制。車掌さんのお じさんが車両を回ってきて予約と注文をとっていました。予約時間は、2つのうちのどちらかを選び、その時間になると、そのおじさんがベルをならしながらまた車両を回って食事の時間であることを伝えてくれるのでした。そのこと は、よく覚えているのに、何を食べていたか、またどんなところで寝ていたのかという記憶があいまいです。というか覚えていません!寝台車に寝ていた記憶は ないので、座席にそのまま寝ていたのでしょうか。
座席や展望車は、バンクーバーからバンフまでの山や川、湖、そして森という多彩に満ちた風景の路線でのみ 少し賑わっていましたが、その他は、とても空いていたと思います。バンクーバーからジャスパーまでは、日本からの団体の観光客が特別な団体の車両に乗っていました。ジャスパーで 降車し、バンフへというコースだったのでしょう。
電車の中には、ガラス張りの展望車両、そして スナックや飲み物を買える車両、そしてダイニングカーなどがあり、長期間電車に乗っていても平気だったのです。ダイニングカーでのきちんとした食事は、予約制。車掌さんのお じさんが車両を回ってきて予約と注文をとっていました。予約時間は、2つのうちのどちらかを選び、その時間になると、そのおじさんがベルをならしながらまた車両を回って食事の時間であることを伝えてくれるのでした。そのこと は、よく覚えているのに、何を食べていたか、またどんなところで寝ていたのかという記憶があいまいです。というか覚えていません!寝台車に寝ていた記憶は ないので、座席にそのまま寝ていたのでしょうか。
座席や展望車は、バンクーバーからバンフまでの山や川、湖、そして森という多彩に満ちた風景の路線でのみ 少し賑わっていましたが、その他は、とても空いていたと思います。バンクーバーからジャスパーまでは、日本からの団体の観光客が特別な団体の車両に乗っていました。ジャスパーで 降車し、バンフへというコースだったのでしょう。
ロッキー山脈付近を走る The New Canadian。少し高くなっている車両が展望車になっています。私の記憶では、この展望車は一つではなく、いくつかあったと思います。この写真でも、後ろの方にあと一つ展望車があるのが見えます。
photo@tripadvisor
展望車は、指定席がなくて、好きなときに行く事ができました。空席があれば、自由に座ってよいのでした。ガラス張りで景色を見るのには、とてもいいのですが、天気の良い日に長時間いるのは、少しチャレンジが必要でした。まぶしすぎて、暑すぎるから。クーラーなどは効いていなかったと思います。
photo@VIA Rail Canada
現在、車両の中で購入できる軽食の一つ。
ハム入りのクロワッサン、チーズ、生の人参?
現在、車両の中で購入できる軽食の一つ。
ハム入りのクロワッサン、チーズ、生の人参?
そういえば、学校でランチにもってくるのは、生の人参一つとりんごなどという学生が結構いました。それをポリポリかじります。BC州の人たちが集まるパーテイでも、生の野菜をカットしただけでそれをいろいろなデップにつけて食べるというメニューはいつも人気がありました。人参、ブロッコリ、カリフラワー、きゅうり、セロリなど。私もいつしかポリポリと大好きになっていました。歯が丈夫でないとむずかしいかも。。。ニュージーランドの人たちも生の人参やセロリなどをよく食べますが、私が見たカナダの人たちよりずっと量は少なめ。
photo@Closet Canuck: O Canada!
ダイニングカー担当の車掌さん?(というのでしょうか)27年前のおじさんはもっと年を召した方で、帽子をかぶって車両を巡っていました。背後に見えるのがダイニングカーのテーブルと椅子。この方は車掌さんではなく、ウエイターの方のようですね。私も、2回くらい、このダイニングカーで、食事をとりました。
バンフのあるアルバータ州からサスカチュワン州に入ると、カナデイアンプレーリーと呼ばれる大平原がずっと続き、時々現れる赤い(ものが多かったような気がする)グレインエレベーター(Grain Elevator)と呼ばれる建物が印象的でした。wikiによると、穀物の貯蔵施設で、巨大なサイロ(貯蔵ビン)と穀物搬入用のエレベーター、穀物の乾燥施設などが備わっているたてものであるそうです。現在はこのような昔ながらのグレインエレベーターの風景は消えて行っている状況のようです。
photo@flickr
赤いサイロは、こんな感じだったでしょうか。
同じカナダなのに、BC州とも目的地のケベック州ともまったく違うサスカチュワン州のどこまでも続く平な平原を眺めながら、ルネの「僕の国へおいで」を口ずさんでいました。
僕の住むカナダ、遊びにおいでよ〜
君の友達もみんなつれといで〜
鳥の歌声が森や湖に
美しくながれてる素敵なところさ〜
さあ、みんなで遊びにおいでよ〜
僕の住むカナダ、一度来てごらん〜
君も友達も好きになれちゃうよ〜
夏の草原や、冬の銀世界、
どこまでも果てしなく広がるところさ〜
ねえ、みんなでおいでよカナダに〜
風に吹かれて
「スーパーアイドル ルネ」25ページより
君の友達もみんなつれといで〜
鳥の歌声が森や湖に
美しくながれてる素敵なところさ〜
さあ、みんなで遊びにおいでよ〜
僕の住むカナダ、一度来てごらん〜
君も友達も好きになれちゃうよ〜
夏の草原や、冬の銀世界、
どこまでも果てしなく広がるところさ〜
ねえ、みんなでおいでよカナダに〜
そういえばルネも電車が大好きでした。車窓から顔をだして景色を眺めるルネの写真が「スーパーアイドル ルネ」(ニューソングブック臨時増刊号/ケイブンシャ)という雑誌に載っていましたっけ。そのルネのまなざしを私も大平原を見ながら思い出していました。
風に吹かれて
ルネは、電車が大好きです。たった一度だけ、ルネ一行は、電車に乗ることができました。一日中歩き回って疲れた一行の中で、ルネだけは、電車に乗ることが出来てご満悦。サラサラと髪を、風にまかせて.....電車の窓から、外の景色に見入ります。
「スーパーアイドル ルネ」25ページより
BC州での1年とモントリオールまでの旅の間大切にしていた物の一つは、ソニーのウオークマンタイプの白いラジオカセットレコーダーでした。ルネの歌を出来るだけ沢山録音したカセットテープも一緒です。このレコーダーは、両親の家に今でもありますが、たぶん動かなくなっていると思います。ネットでこのモデルの写真をやっと見つけました!これを持って、いつもルネの歌を聴きながら歩いていたのでした。それから、これは!と思ったものを録音したり、とても役に立ってくれました。今思うと、もっといろいろな音声を録っておけばよかったと少し悔やまれます。テープの音源は、MP3ファイルにしてitunesやiphoneなど今のテクノロジーでも楽しめるのですから。
いよいよ列車は、トロントへ!
日本に残してある旅のアルバムのトロント/ナイアガラのページです。カメラでそのページを撮ったものです。ブレンダさんと私がナイアガラの滝の見物のために黄色いレインコートを着ています。
このページのメモに残した記録を読んでみると、バンフ/ジャスパーからトロントまでは、やはり3泊4日かかっていました。しかも、途中で列車がレイルを間違えるというハプニングがあり、その分8時間もよけいに時間がかかってしまったようです。ジャスパーを出たのが、7月15日の午前10時50分、そしてトロント到着は、7月18日の午後4時のはずでした。でも、このハプンニングのため夜中に到着、そしてトロントからナイアガラまで行く列車に乗る事ができなくなった私たちは、VIA Rail Canadaの支払いでタクシーでナイアガラに向かったのでした。(これを読むまでこんなことなど、すっかり忘れていました!)
そのメモの記録の部分だけをアップしてみます。私の手書きが読めるでしょうか。
もう一枚、アルバムのページの写真があります。これは、ナイアガラの滝壺に、黄色のレインコートを着て見物したのと同じ日だと思います。滝のすぐ前には、レストランやおみやげの店がたくさんあって、世界中からの観光客で大変なにぎわいでした。でも、近くには、きれいで静かな公園などもあって、いいところでした。夜には、滝のライトアップがあり、近くをあるいていると霧がふっているのだと思うぐらい、滝のしぶきが降り注ぎました。
この写真は、ナイアガラの滝の目の前にある芝生で、ブレンダさんと二人でフリスビーをしていた時のものです。メモによると、素敵な警察官の青年が(!)フリスビーの仲間に入り、その夜の勤務終了後、ドライブに誘われたけれども、翌日の朝一番の列車でまたトロントへ向かうというスケジュールのため、そのドライブには行かなかったことが書かれてありました。なんだか、すごく懐かしくなってきました!そんなことがあったのでしたか!それにしても、Tシャツと思いっきり足を出している短いショーツ、白いソックスというファッション。。。時代も年代も今とは本当にちがっていることをヒシヒシと感じています。若かった!
ブレンダさんは、とても気さくでチャーミングな人でしたから、どこに行っても、他の人たちに親切にされたり、あるいは、男性に言い寄られたり、または、宿泊先のおばさんが自分の息子に会わせようとしたり、というようなことが度々ありました。
ブレンダさんとは、今でも友人同士。日本にも、ここニュージーランドにもご主人と共に会いにきてくれました。今は、BC州の高校の美術の先生で、娘さんもお一人います。
両親に送った絵はがきもこのアルバムに記録としてはってあります。それを読んでみると、宿泊したベッド&ブレックファストは、普通のお宅のようなところで、宿泊費は、なんと10ドルだけだったこと。
お世話になったベッド&ブレックファストのビジネスカード
riko auckland/nekonomimi
ネットで検索してみると、このB&Bは、まだ健在のようです!朝食が大変おいしいとありますが、27年前もまさしくその通りでした。ブレンダさんが会うことになっていた息子さんは今どうしているのでしょうか。SHEMARA?。。。ちょっとルネの苗字のSHIMARD に似ている気が。。!
次に向かうのは、メノナイトと呼ばれる人たちが住む地域のキッチナー(Kitchener)、ウオータールー(Waterloo)、そしてシェイクスピア フェステイバル(Stratford Shakespeare Festival)で、有名だと言われているストラットフォード(Stratford)です。シェイクスピア フェステイバルでは、夏の間、ストラットフォードの街中のシアターで、シェイクスピア作の喜劇、悲劇の舞台をたくさん観劇できる催し物などが開かれます。ストラットフォードの後は、またトロントに戻り、オタワを経由してモントリオールへ。次回の記事では、モントリオールでのお話ができるでしょうか。。。また、スピードをあげていかなければいけませんね。
ところで、85年のルネは、どのような感じになっていたのでしょう。youtube で見て下さいね。この歌とステージ衣装は、後で、私には忘れられない特別な思い出となります。
曖昧な記憶とわずかな自分の写真、そしてネットで見つけた資料を使っての思い出の1985年のモントリオールへの旅の記録ではありますが、読んでいただいてありがとうございます。モントリオールになかなか到着できませんが、楽しみに読んでいただけていたら幸いです。私も、思い出をよみがえらせる作業が楽しみになってきています。
riko auckland/nekonomimi
2 件のコメント:
モントリオールへの旅、ワクワクしながら読ませていただいています。私がカナダに行ったのもほぼ同時期、同じ年の夏前でした。残念ながら東はバンフ止まりでしたが、私も『僕の国へおいで』を心の中で口ずさんでいましたょ!! 大陸横断鉄道をバスの窓から見て(ガイドさんが教えてくれました)、これに乗ったらケベックに行けるのに…と懐かしいルネに思いを馳せたものです。
続きも楽しみにしていますね♪
cherienomamaさま。
コメントをありがとうございます。そうでしたか、cheriemamaさんがカナダに行かれてたのも
同じ年の夏の少し前!カナダの自然や動物たちは、ルネの「僕の国へおいで」を少なくとも2度耳を澄まして聴いてくれていたのですね:) (たとえ心の中で口ずさんでいても!)ケベックには、次回に到着できると良いのですが。続きも、曖昧な記憶を引き出しながら、がんばりますので、楽しみにしていて下さいね。バンフは、楽しかったですか?
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