コメデイミュージカル「雨に唄えば」その後
ルネの「雨に唄えば」いよいよステージが後半に入ってきましたね。Passion Rene Nathalie et Regis Simard (facebook page for public)で紹介されたばかりの雑誌 Allo vedettes8月号の記事の画像です。ルネを見て下さい。余分な(!)贅肉もすっかりとれて、すっきりさわやかなルネの姿。このステージ観たルネのファンのニコルさんも、このルネの姿に見とれたそうです。姿ばかりでなく、唄、ダンスのすべて!ルネの「一番」の瞬間がたくさん続いて、ルネがとても輝いているステージだったと言っていましたが、このルネを見て、私もそのステージが想像できるようです。
1ページ目の見出しの訳:
「「雨に唄えば」のステージに感謝。ルネシマールの素晴らしい年月
特に2012年は、ルネシマールの年であると言えるだろう。映画「雨に唄えば」のコスモブラウン役のドナルド オコーナーも人気があったけれど、ルネもステージを観たほとんどすべての人々から絶賛された。51才の歌手、そしてダンサー(のルネ)にとって、このステージを披露するタイミングは、パーフェクトだった、そうでなければ、ルネは、このような、素晴らしいパフォーマンスを見せる事はできなかっただろう。」
(ルネの奥さんの)マリージョセも、ルネのステージをとても喜んでいる。
Just for Laugh フェステイバル(ルネのステージは、このフェステイバルの参加作品)から8月4日にアップされた「雨に唄えば」のステージのプロモーションビデオです。今までに見た事が無かったルネのステージのパートを観ることができますよ。
Chantons sous la pluie
では、今週も、暑い1985年のモントリオールの夏へ出発です!先週お話した、ルネのレコードの配給会社であるDistribution Selectへの訪問が終わってから、モントリオール大学の学生寮の自分の部屋で、「モントリオールにいる間に、絶対しておきたいことは?」と自分との対話をしていました(大げさな。。。!)そして、ルネのファンクラブの事務所に行きたい!という自分に、もう一人の自分が、「そうね!ルネとは会えなくても(会いたいという気持ちは不思議なことになかったのです。ルネを遠くで見ていたいというような先週お話した複雑な気持ちでいたからです。)、ルネのために仕事をしているファンクラブの事務所の人たちに会って、ルネの近況などについて話したい。」という返答をして、この計画が実行されることになったのでした。
その時、ルネのファンクラブは、以前のようなルネだけのファンクラブではなくて、ナタリーと一緒のファンクラブへと変わっていました。ファンクラブの名前は、Fan Club International Rene & Nathalieでした。
そのファンクラブについて、その時私がわかっていたことは、電話番号のみ!うーん。。。住所は。。。分からなかったんです。というか、ファンクラブの住所は、私書箱システムでしたから。それで、どうしたかというと。。。ご想像どおり、電話をするしか方法がありませんでした。電話に出たのは、女の人。英語は片言という感じの人。そして私は、英語のみで、フランス語はほとんど分からずという状況でした。。。とりあえず、私のリクエストをお話して。。。「日本からこの夏だけモントリオールに来ているルネの日本のファンです。是非、ファンクラブに行って、お会いして、ルネの最近の様子などを知りたいのです。もうすぐ、日本に帰らなくてはいけないので、よろしくおねがいします。」ようなことを熱意を込めて!(爆)学生寮の壁を見ながら、電話口に向かってお話ししていました。その電話も、学生寮の廊下に設置してあった公衆電話でしたから、小銭をたくさん用意して!今思うとほんとうにシンプルな時代というか。。。なにごともマニュアルな時代でした。テレフォンカードも、携帯も、何もなかった。。。
Fan Club International vol2 no.3 Feb 85
ファンクラブの雑誌、85年2月号からのルネのポスター
その女性は、ニコルさんと言う人でした。(先ほど話していたルネのファンのニコルさんとは、全く別の人です。)ニコルさんは、「ファンクラブがある場所は、ファンには、絶対秘密なので、来ることはできませんよ。どうしても住所を教える事はできません!だめ!だめ!」と、いいながらも、ずっと私のお話を聞いてくれていました。だめよ!と言った後に、電話を切ってしまうことも出来たはずなのに。私も、一度は、やはり、だめなのか、そうだろうなあと考えて、あきらめようかと思ったのですが、モントリオールまで来ていて、こうしてルネのために仕事をしている人とお話をしているのに、絶対自分の「切実な気持ち」を分かったもらいたいと考え直して、ルネのファンになった頃からのお話、ルネが日本に来なくなってからの悲しかった気持ち、ルネにずっと手紙を書いていた事、ファンクラブを作っていたこと、そして、83年に東京で「会った」のではないけれど「見た」ルネ のこと、ナタリーのことをお話しました。そして、ずっと憧れていたカナダに来ることができたこと、BC州から長い時間をかけて、カナダという国を見ながら、ケベックに来て、オルレアン島にも行ってみたこと、そしてモントリオールでの話。でも、もうすぐBC州に戻り、それから日本に帰ってしまうこと。。。(長いながいお話でした。。。)だから、絶対!ご迷惑がかかってしまうことを承知の上で、お願いしたい。訪問させて下さい!と、お願いしつづけたのでした。。。若かったというかクレイジーでした。
photo@patof facebook
フェイスブックのPatofのページで紹介されたルネとピエロ。このピエロは、1972年頃からケベックで放送されていた番組で人気があったキャラクター。ルネとも仲良しでした。今年、40周年記念だそうで、フェイスブックのページでも昔の写真など紹介しているようです。その中からのルネとの記事。ルネは、もっと多くのファンを持つために「子供」の時代に仲良くなったピエロとのさよならをするというような内容の記事です。
photo@patof facebook
ルネとレジスとピエロ。ルネがやんちゃな表情を見せていて可愛らしい!
そんなクレイジーな私に、ニコルさんも根負けしてしまったのでしょう。。。(ごめんなさい、ニコルさん!)やっと、ニコルさんからのオーケーが出たのでした!お願いしておきながら、そのオーケーの返事に耳をうたがったのでしたが、そのあとは、ニコルさんがゆっくり、ファンクラブの事務所への行き方を、教えてくれるのをメモして(指が震えていたのを思い出します。)いました。ふう。。。この時のことを思い出してみると、今も肩に力が入ってしまいます。(笑)
そして、その後、その日のうちに、そのメモを頼りに、地下鉄を使い、バスを使い、ようやく、その事務所にたどりつくことができたのです。
ファンクラブの事務所は、ビルの一室にあるのだろうという私の予想とは違って、住宅街にありました。かわいらしい一階建ての家。その入り口のドアをコンコンとノックすると、ニコルさんともう一人の女性のヘレンさんが、満面の笑顔で気持ちよく迎えてくれたのです。この写真は、ニコルさんと、ファンクラブの事務所で。自分の顔をケアベアで隠して、ニコルさんのお顔を隠さないのは、ちょっと悪い気もいたしますが、かわいらしいニコルさんの姿を皆様にも、おみせしたいと思いました。ニコルさんの後ろの壁にかざってあるのは、ファンクラブで発行していた雑誌です。この雑誌は、A3のサイズのものもあって、小さいサイズでもA4サイズだったので、日本のこのような雑誌と比べると大きくてびっくりしました。後ほど、それまでに発行されていたファンクラブの雑誌を全部プレゼントしていただいて、大切に日本に持ち帰りました。先日、この雑誌を日本から送ってもらったので、来週紹介いたしましょう。このブログを通して、85年に感激してページをめくったファンクラブの雑誌について、またお話できて、嬉しいです。そして懐かしいです!
ニコルさんと
いただいたファンクラブの雑誌
青い背景にタキシード姿でたたずむルネは、ファンクラブの雑誌ではなくて、20才のころに、ルネが un homme/レデイメアリーという曲の入ったシングルレコードと一緒に送ってくれた、ルネのコンサートからのパンフレットです。これは、ルネが成人となったことを記念してのコンサートと曲だったと思います。(はい、レコードとこのパンフレットをルネの短い英文でのメッセージと共に、手にしたとき、もちろん、感激で泣いてしまった事は、ご想像どおりです!)
この事務所でのこの後のお話は、来週に書きたいと思います。今日は時間がありません!ごめんなさい。でも、来週を楽しみにしていてくださいね。
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